振り回した剣の重みに耐えかねて、コロコロと体が転がる。
慌てて起き上がって体にこびりついた砂を払っていると、アルトリウスがかすかに笑っていた。転がった自分を見て笑ったのだと気づいて、シフは思わず喉から恨めし気な唸り声を出していた。
それを受け、アルトリウスは「すまんすまん」と謝りながら膝を突いた。
「大丈夫か、シフ。怪我は?」
ちょっとした転倒程度で怪我などするはずもない。シフは元気よく吠えて応えようとして、口に咥えた剣が落ちそうになったので慌てて咥え直した。その動作が面白かったのか、やはり笑うアルトリウスに、シフは軽く体当たりをした。本気ではなく、じゃれついているレベルだ。当然、アルトリウスがそんな程度の接触でびくともするはずもなく、力強い腕で受け止めた。
「悪い悪い。まあ、最初のうちは仕方ないさ。私も最初、剣を使い始めた頃はその重みに振り回されて上手く扱えなかったものだし」
アルトリウスは立ち上がると、背負っていた剣を抜き放つ。かなり重量のある剣だろうに、軽々と片手で振り回すと、肩に担いだ。
そして、シフに鍛錬用の藁人形を見ておくように示す。
次の瞬間、アルトリウスは空中を駆けていた。いや、そう見えただけで、実際はただ跳躍しただけだ。しかし、空中で自在に姿勢を制御し、舞うような動きは、空中を駆けたとしか表現できない見事なものだった。
跳躍の勢いそのまま、剣を振るい、その重心の移動すらも糧にした一撃が藁人形を両断する。
無骨な剣は決して切断に優れたものではなく、斬る体勢もひどく乱れたものであったはずなのに、藁人形の切断面は滑らかで、そのままくっ付ければ元通り使えそうなほどだった。
アルトリウスは満足そうにそれを見やり、再び剣を納めながらシフの方に歩いてきた。
「こんな感じで、剣を体の一部に感じられるようにまで扱いこなすんだ。シフならできるさ」
わしゃわしゃと頭を撫で回される。その手はガントレットに覆われてはいたが、確かな優しさと熱を感じさせるものだった。
いつかその手のように剣を扱いこなして見せる。
その想いを込め、吠えたシフの口から、横向きに咥えていた剣が落ちた。重力に従って落ちた剣はシフの前足のすぐ傍の地面に突き刺さり、思わずシフは飛び上がって避けてしまった。
それを見たアルトリウスが大笑いし、シフは情けないやら恥ずかしいやらで、そんな感情を誤魔化すようにアルトリウスのマントに噛みついた。
笑いながら謝るアルトリウスは、とても楽しそうだった。
四千年。
アインズはその途方もない年月を想って呆然とする。日本語には四半世紀という言葉があるため、もしや翻訳機構かあるいはルプスレギナがそれと混同しているのではないかと一瞬疑ったが、それこそありえないとアインズの本能が囁いている。
目の前にいる大狼は数百年の時を超えて存在していることは明らかだ。千年を超えていてもおかしくはないとは思っていたが、まさか四千年もの時間を経ていたとは。
「そんなにも長く……永い時を……ひとりで、か?」
思わずそう聞いていた。
アインズにも、何年でもナザリック地下大墳墓に君臨し続ける覚悟はあった。仲間を探し出すまで。仲間を見つけ出すまで。仲間が来るまで。どれほどの長い年月を費やそうとも、この世のすべてにアインズ・ウール・ゴウンの名を知らしめて。
大墳墓を守り続け、仲間を待ち続ける覚悟はあった。
しかし、実際にそれほどの長い年月を耐えられるかどうかは……それこそ、いまのアインズにはわからない。
その先達が目の前にいる。
シフはその金色の目をすがめ、少し考えるような間を開けてから、ルプスレギナを通じて答えた。
「『こうして誰かと会話を交わすのは、アルトリウスの墓を守り始めてから始めてだ』だそうです」
「…………そうか」
アインズは考える。
たとえば、自分がその状況におかれたらどうだろうか。自分にはNPCたちがいる。彼らを守るために、彼らに失望されないように、支配者たる自分は君臨し続けることを決めた。
彼らはNPCで、仲間たちが残した子供のような存在だ。自分を慕ってくれる彼らとの交流は心温まるものだし、話し相手になってくれるだろう。支配者と従属者で、一定の壁を感じるのは仕方ないが、それでも話す相手がいないということはない。
それに対し、シフは誰もいない状態で、ただ友の墓を守るという気持ち一つで四〇〇〇年もの長い時を生きつづけたのだという。墓荒らしは来ただろうが、そんな存在が何の気休めになるというのか。少しでも油断すれば墓を荒らされる状態だったとすれば、ろくに墓から離れることも出来なかったのではないだろうか。
そんな状態で、四〇〇〇年。
アインズは愚かな問いとは半ば自覚しつつも、聞かずにはいられなかった。
「なぜ、そこまで……?」
その問いに対し、今度のシフの返答は早かった。
「『友の誇りを守ることに、それ以上の理由が必要なのか?』」
当たり前のことを当たり前に口にしただけ。
そんなシフの雰囲気と口ぶりに、アインズは一瞬唖然として、そして、大きく笑い声をあげた。周りにいるアルベド、コキュートス、アウラ、ルプスレギナは、その笑い声に、どこか清々しいものを感じる。シフのことを馬鹿にしている笑いではない。むしろ、自分の馬鹿さ加減に呆れた者が発する自嘲の笑い声だ。
「は、ははは! そうだな。ああ、そうだ。愚問だった。……私もそうだからな」
アインズはシフに向かって頭を下げる。周囲の者が息を呑むのを感じつつも、アインズはそうすべきだと感じたことをする。
「すまない、下らない質問だった。忘れて欲しい。……その上で、提案があるのだが、聞いてくれるだろうか」
シフは先を促す。
「シフよ。よければ、我がナザリックに招かれないか? アウラによれば、あなたは森の中で倒れていたと聞く。見たことろ外傷はないようだが……休息は必要だろう。ナザリックの中でならば十分な休息を取れるはず」
その言葉に何よりも早く反応したのはアルベドだった。
「お待ちくださいアインズ様! 慈悲深きあなた様の心は理解しておりますが、我らに届きうる牙を持つ獣を、何の対策もせず迎え入れるのは危険です!」
ある意味、アルベドの言葉は正しかった。アインズの言っていることは砕けていえば、町でたまたま言葉を交わした相手に「お前気に入ったからうちで休んでいけよ」と言っていることであり、相手のことをよく理解していないうちにするにはあまりにも不用心なことだ。
しかし、アインズは静かに応える。
「アルベド。私が彼をナザリックに招くと決めたのだ。今後、シフはナザリックの賓客として扱う。最大限の敬意を払え」
元々、アインズもこの行為が危険であるかもしれないという可能性は考慮していた。ナザリックからすれば異物を招こうというのだ。危険でないはずがない。
だがアインズはそんな理屈よりも何よりも、シフという存在を尊重することを選んだ。それは自分と『同じ』であるシフを尊重し、敬意を表するべきだと彼が感じただめだ。シフに対する共感はそれほどまでに強かった。
「ただの獣であるならば、確かに危険かもしれんが、シフが知性ある存在だ。ならばこちらの敬意に対し、それを裏切るような真似はしないだろう」
そういってシフを見上げるアインズ。シフの目にはどこか不思議そうな感情が宿っていた。
「シフ。どうして私があなたを招くのか、あなた自身気になるだろう。答えは単純だ。もう少しあなたと話がしたいと思った。突き詰めればそれだけのことだ」
嘘偽りない本音。
そしてそれは、シフ側も同じものを感じていたようだ。
シフは静かに頷き、アインズの提案を受け入れる。
「『少しの間、世話になる。よろしく頼む』……と仰っています」
アインズはその時のルプスレギナの声に、なぜかかすかに弾むものを感じたが、些細なものだったため、気にしないことにした。
杖を構える。
「それでは早速だがナザリックに転移するとしよう。閉じる前に続いてくれ」
そういって、アインズは〈転移門〉を開く。
こうして、灰色の大狼シフは、ナザリック地下大墳墓に招かれた。