「なあ、アルトリウスはシフの言うことがわかるのか?」
そうアルトリウスに尋ねたのは、アルトリウスと同等の存在である四騎士のひとり"王の刃"キアランだった。細身の体に白磁の面を被り、その表情や抱いている感情は外見ではわからないが、その声にはアルトリウスに対する確かな親愛が感じられた。
当時、大型犬よりは大きく成長していたシフは、そんなキアランにじゃれついて遊んでもらいながら、ふたりが喋るのを聞いていた。
アルトリウスは少し離れた場所で小さな石に腰掛け、愛用の大剣を磨きながら応じる。
「当然だろう。シフは私の相棒だぞ?」
シフも同じだと言わんばかりに胸を張る。キアランはそんなシフの頭を撫でた。
「疑う訳じゃないが、声を発しているわけでもないのに、どうしてわかるんだ?」
「色々だ。ちょっとした仕草や動作、目の細め方から手足の緊張具合。総合的に見れば簡単だぞ」
言われてキアランはじっとシフを見つめる。
それに対し、シフは軽く首を傾げた。
「……言葉が通じていなくて、単に不思議そうにしているように見える」
「『俺が何を考えてるか、わかるか?』と言っているんだ。ちなみに何を考えてるかといえば、これからキアランが出すであろうお菓子の内容が何かを考えている」
当然だというように口にするアルトリウスに対し、シフは我が意を的確に表したことを誉めるように大きく楽しげに鳴いた。
キアランはさすがに苦笑して首を横に振る。
「わかったわかった。お前たちが仲の良い友達だということはよくわかった」
「まあ、シフが賢いから成り立っているようなものだ。さすがに普通の狼や犬の気持ちはここまではわからないさ」
アルトリウスは大剣を光に翳した。手入れの出来栄えに満足して、鞘に納める。
「それでも、言葉を持たないものと友情を成立させられるのはアルトリウスだからだろう。私には無理そうだ」
言いながら、キアランは用意していたお菓子を取り出した。
「西方より伝わった珍しい菓子だ。たまたま手に入ったんだが、一人で食べるのもなんだからな。お前たちと共に食べようと思って」
「シフが食べても大丈夫か?」
人と狼の間には体の構造という大きな壁がある。それをきちんと確認してからでなくては、安心して食べさせることはできない。
「抜かりはない。安心しろ。きちんと商人に確認済みだ」
「なら一緒に食べられるな。こっちにきて一緒に食べよう。シフも『キアランが持ってくる菓子はいつも美味いから期待しているぞ』と言っている」
誘われたキアランはアルトリウスの方へ近付く。いままで座っていた場所をアルトリウスはキアランに譲る。
キアランは素直に座りつつも、少し憮然とした声を放つ。
「アルトリウスが座ったままでいいのに……」
「お互いに腰かけると、どうしても見下ろしてしまう形になるからな。私が地面に直に座った方が視線が揃う」
アルトリウスは大きく、キアランは小さい。
そのため、普通に二人とも座るとどうしても見下すような視点の違いが生じてしまうのだ。キアランが石に腰掛け、アルトリウスが地面に胡坐をかいて座って、ようやくまっすぐ視線が揃う。
アルトリウスは対等の相手であるキアランに配慮しているのだ。
「それに、戦いの時はともかく、女性に席を譲るのは男として当然だろう?」
「……」
そんなアルトリウスの言葉に、キアランは沈黙を返した。
その反応を受け、アルトリウスは少し声を落とす。
「む……すまない。キアランは女扱いが嫌なんだったな。……ん? なんだシフ。なぜ呆れているんだ? 『まだ彼女の気持ちに気づかないのか』とはどういう意味だ?」
「……はぁ。いいよシフ。ありがとう。アルトリウスはこういう奴だから仕方ないさ」
キアランが力なく撫でるのを、シフは少し申し訳なさそうに啼きつつ、受け入れた。
「んん?」
アルトリウスはなぜか自分がふたりから責められているような気分になって首を傾げる。
キアランが素直に石に腰掛けながら、話題を変えた。
「それより、ふと気になったんだが、シフはアルトリウスみたいな喋り方なのか?」
「いや、言語を介しているわけじゃないから、これは単に私が感じた通りの口調というだけだ。実際にシフが言葉を覚えて喋った場合の口調とは違うと思う。要はシフにどんなイメージを抱いているか、シフの態度をどう受け取るか、だということだ」
だからもし、とアルトリウスは続ける。
「私以外にシフの言いたいことがわかる者がいたら、その者はその者なりに、シフの口調を表現すると思う」
「『我が名はシフ。騎士アルトリウスの友であり、相棒だ』……と言っています」
なぜ慌てていたのかは不明だが、落ち着きがなかったルプスレギナがようやく落ち着いて、灰色の大狼の意志を翻訳していた。
ルプスレギナ曰く、狼語という言語を使っているわけではなく、意思の意訳のようなものらしいが、大体の意図が通じるだけで十分だった。
シフやらアルトリウスやら、固有名詞もきちんと通じているところが不思議ではあったが、元々この世界の言語を勝手に翻訳して理解できるような、よくわからない世界法則が働いているのだから、不都合がない限りはアインズはそれを受け入れる。
「アルトリウスという騎士についてもう少し詳しく教えてくれないか?」
「『アルトリウスは最高の騎士だった。大剣を振るえば天下無双。王に仕えし至高の四騎士の中でも最強の強さだった』……そうです」
「ふむ……王に仕える騎士アルトリウスか」
念のためすこし記憶を漁ってみたが、アインズの記憶に該当する名前はない。
個人プレイヤー名だった場合はわからないが、シフはユグドラシルとは関係がない可能性が高かった。そもそもユグドラシルでは『王に仕える』という状態がない。ギルドマスターを王とするロールプレイを好んでいたというのならわからないが、そういう存在というわけでもなさそうだ。少なくともシフの様子からはNPCたちと同じ本気度が感じられる。
(と、なると……シフはこの世界の存在なのか……? いや、それにしては何か雰囲気が明らかにこの世界の者と違うように感じる……そもそも、この世界の基準からすれば我々と同様にシフも明らかにオーバースペックだ。そんな存在が森の中にぽつんと倒れていた? ありえないだろう)
アインズはシフがユグドラシルとは違う別のゲーム、あるいは異世界からの流入という可能性を考えていた。
そして、それはある意味希望を感じさせることだ。
(散発的な流入があるということは……つまり、仲間たちがいまこちらに来ていなかったとしても、これから来るかもしれないということじゃないか!)
その希望に気づいてしまっては、アインズはとても落ち着いてはいられない。いますぐにでも世界すべてにアインズ・ウール・ゴウンの名前を知らしめたくなる。慎重に行動するつもりだったが、力に任せて征服してしまってもいいのではないか。そんな風に考えてしまう。
そんなアインズの昂ぶった精神は、沈静化された。
(ちっ……抑制されたか。まあ、仕方ない。いまは落ち着いてシフに話を聞くことが大事だしな)
気を取り直して、アインズはシフに尋ねる。
「そのアルトリウスはいまどうしているんだ?」
「『死んだ。その昔、深淵の化け物に挑み、帰らなかった』」
「……そうか」
「『我はアルトリウスの死後、その墓を守り続けていた。我が友は世界でも有数の騎士であり、その墓に何か貴重なものが眠っているはずだと考える不埒者どもは幾人もいた。そんな屑どもに友の誇りは穢させられない。ゆえに守り続けた。我にアルトリウス以外の友はなく、ひとりだったが……守り続けなければならないと思った』」
「それは……よくわかる」
アインズの友が遺していったものの名前は、奇しくもナザリック地下大墳墓。
友の墓を、誇りを守り続けるという行為はアインズがゲーム時代していたのと同じ、そして現在もそうしているのと同じだ。
アインズはシフという存在に強い共感を覚えていた。
「その墓はどこに?」
「『わからない。我は長い間墓を守り続けていたが、ついに侵入者に敗れてしまった。そして、気づけばこの森の中にいたのだ』」
シフがこの世界の存在ではなく、ユグドラシル以外の世界から転移してきたのは間違いなさそうだ。アインズは納得し、頷く。
「……どれくらい、守り続けたんだ? たったひとりで、どれほどの期間を?」
「『数えていたわけではないので、正確にはわからないが』……え?」
翻訳をしていたルプスレギナが、途中で唖然とした顔になって硬直した。それを、アインズは不思議そうに見やった。
「どうした?」
「い、いえ、ちょっとありえないので、たぶん正確に伝わっていないのだと思うのですが……」
「構わん。お前が感じた通りに言ってみろ」
アインズが命じると、ルプスレギナは頷いた。
「『四千年以上』だそうです」
告げられた途方もない年月に、アインズは驚愕した。
<シフの墓を守り続けた年月について>
・本来シフが墓を守り続けた年月は「何百年」とだけされています。
・しかしここではシフがその年月を繰り返していた設定ですので、「何百年」×7で「数千年」。何百年を200~400年と見るか、500~700年と見るかで大きく違ってきますが、今作中では600年×7で4200年近く守り続けた、ということになっています。
・単純に何百年かだとナザリックの面々にはインパクトが薄いかと思い、このような表現の仕方をしています。ナザリックの面々がどの程度の時間間隔かわからないので、可能な限りの最大値を用いたわけです。