【完結】ヤンデレの女の子に死ぬほど愛されて眠れない兄になって死にたくなってきた   作:食卓塩准将

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本編の最終回です。
エピローグと後書きは後日同時に投稿しますので、お気をつけください。

一応エピローグはありますが、今回を持って今作……野々原縁の物語は本当の本当に最終回です。
後書きでも書きますが、ここでも先に。

今まで読んでいただき、ありがとうございました。


最終病 ヤンデレの女の子に死ぬほど愛されて眠れない兄として生きていく

 

 結局のところ、俺は最後の最後に、希死念慮に負けたらしい。

 

 鳴りを潜めていたから、すっかり消えたのだと思ってたが、自分を刺すなんて狂った行動を取るうちに、自然と本気で死のうとしたんだと、今になって自覚した。

 

 こんなに頑張って、やる事やりきって、その結果この結末ってのは、もう何というか……救いようが無い。

 夢見はちゃんとあの家族から離れられただろうか。俺が死ぬのを目の前で見てしまった綾瀬と悠は、気を落としすぎて無いだろうか。自分の全く知らない場所で起きた兄の死を、渚は受け止めてくれるだろうか。

 

 分からない、死んでしまった俺にはもう、それを知る術はない。

 悔いは残るばかりだが、先立たないから後悔なわけで……死んでしまったらそれでおしまいなのも、本来の在り方だ。

 

 それに、少なくとも俺が死ねば夢見が俺を想ってヤンデレに転化する事も無くなる。

 それは夢見に限らず綾瀬や渚達にも言える話で、つまりもう彼女達が誰かを殺したり、互いに殺しあう事も無くなるのだから……俺が死ぬのも悪い事ばかりじゃない。

 

 だから素直に受け入れよう。俺は加減し損ねて本当に死んじゃった馬鹿だけど──それでも、目的は果たせたんだから。

 

 何より──これでようやく、死んだみんなの所に俺も行けるんだから。

 

 

 

 

「いや」

 

 

 

 

 

「──行けるわけねぇだろボケ」

 

「ぁ痛あ!?」

 

 急に頭をド突かれた痛みで意識が目覚める。

 今まで足刺されたり、腹刺されたり、ナイフ突き刺さったり、車に轢かれたり、色んな痛みを経験してきたが、こんなどストレートにゲンコツされたのは初めてだ。頭蓋骨を通して脳が揺れる感覚で涙目になりつつ、俺は周りを見渡した。

 

「……何だここ」

 

 頭をささりつつ、出てきた言葉はそれだった。

 無理もない。辺り一面、自分が今腰を落としてる地面と思わしき場所まで、全部が灰色なのだから。

 オープンワールドのゲームでフィールドのテクスチャがバグってる時みたいに、どこまで続いてるか分からない虚無感溢れる空間。

 立ち上がってみるが、視線の高さが変わった気すらしない。

 

「……ここが、死後の世界って言われるものですかね」

 

 そうだとすればあまりにも味気なさ過ぎる。

 

「まあ、半分正解で半分間違いってとこだな」

「──!?」

 

 誰に言うでもなかったはずの独り言に、背後から返す声が聞こえた。

 そうだ、そもそも俺はさっき頭を拳骨されてるんだった。

 自分で自分を痛めつける行動なんて2度としたくないし、する気もない。であれば当然、俺以外の人間がこの空間にいると言うわけで──それが、背後から俺の独り言に返事をしたのは間違いない。

 

 果たしてどんな人が俺の後ろにいるのだろうか。いや、死後の世界なら死神とかになるのか? 

 黒装束に鎌を持ってたり? あるいは、やたら和装で日本刀携えてる可能性もある。

 声の感じからして男だろうけど、拳骨するくらいだから粗暴で野蛮な性格かもしれない。

 

 あらゆる想像を織り交ぜ戦々恐々としながら、俺はゆっくり後ろを振り向いた。そこには──、

 

 

「よぉ」

「……どうも」

 

 俺よりやや身長高めなだけで、あとは何の変哲もない、黒髪の高校生が居た。

 何故高校生と断定出来るのか、それは高校の制服を着ているからだ。

 とは言え、全くもってこの人が誰なのか俺には分からない。

 

「えっと……あんた、誰?」

 

 また拳骨されるかな? と思いつつも恐る恐る聞いてみたら、高校生さん(仮称)は目と口をぽかんとした後に、クスクス笑い始めた。

 

「おいおい、オレが誰か分からないか? 本当に?」

「えぇ……はい。すみません」

「もっとよく見ろって、オレの特徴とかさ」

「あーっ、その、何だろ。高校生ですよね、その制服」

「おう。少しは正解に近づいたな。それで?」

「それで? って……あとはもう何も」

「もうちょっと考えてみろって。どうしてお前はオレの格好が高校生の制服だってハッキリ分かる? お前の通ってるトコと違うのに」

「どうしてって、そりゃ見た事が──」

 

 いや、待て? 

 見たことがあるって、いつよ? 

 塚本せんりが会う度に変わってた制服の中にあったか? いや違うな、俺はあいつのキャラの濃さだけは覚えてるけど、服装に関しては細かく記憶してない。

 なら、あと俺が制服を見る機会なんてのは……駅前とかで良舟学園以外の学校に通ってる学生を見た時と、高一の時に友達と女子校の文化祭見に行った時くらいだ。

 

 それだって、駅前で見る他学校の制服なんか基本覚えてないし……ましてや女子校の制服を男が着てるわけもない。

 

 となれば、あと俺の記憶にあるのは──、

 

「あっ……俺の記憶じゃなくて」

 

 そうだ、この制服が見慣れてる感じしたのは、俺じゃなくて頸城縁の記憶で見ていたからだ! 

 

「さっきよりも正解が近くなってきた感じ?」

「えぇ、まぁ。だからその、俺であって俺じゃない……みたいな? ちょっと説明が難しいんですけど」

「〜〜あぁもうまどろっこしいな、散々オレの記憶の中で見てきた奴と同じって良いんたいんだろう?」

「そうです、その通り……です。って、はぁ!?」

 

 今なんて言ったこの人!? 

 俺の秘密を普通に知ってるっていうか、むしろ当事者みたいな言い方してたよね!? 

 

「今、オレの記憶っておっしゃいました……?」

「あぁ、言ったよ。オレの記憶であり、お前のものでもあったよな」

「あったよなって……えっと、もしかして、つまり君は……」

 

 俄には信じられ……いや、散々今まであり得ない経験してきた上で言うのも何だが、今回のはとびきりだ。

 だって、いくらなんでもこんな事が起こるなんて思うわけ無いじゃないか! 

 

「君、頸城縁か!?」

「あぁ。こうしてツラを合わせるのは初めてだな、野々原」

 

 やけに馴れ馴れしい割に、違和感なかった理由に納得した。

 この男は、今までずっと俺の中にいた、変な言い方をすれば相棒みたいな奴だったんだから。

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

「改めて見ると、全然似てないなオレら」

「確かに……そうですね」

 

 髪色や身長だけじゃない。声も向こうの方が低いし、目つきも心なしか悪そうだ。

 

「って、なんでさっきから敬語調なんだよ」

「いやだって、記憶が正しければ高3ですよね? 先輩相手にはちょっと……」

「──あははは! お前ヤンデレCDの主人公なくせに真面目かよ!」

「んな、どういう意味ですかそれ!」

「誰と付き合ってもいい加減な態度で、女の子を病ませる奴じゃないか本来のお前」

「うぐっ……それは」

 

 確かに、俺がこの人の記憶を思い出したり意識と同化しなかったら、今頃俺はとっくにこの世からオサラバしてたに違いない。

 でも、それを今更このタイミングで言うかなぁこの人は!? しかも一緒になってそうならないように頑張った仲なのに! 

 ……まぁ、だからこそ言える関係って言い方もできるかもな。とは言ってもだ。

 

「人間性の問題を言うなら、こっちだって言わせてもらいますけどね、自分の味方してくれてた幼なじみをあんな突き放し方したのは最低でしょうが!」

「……………………はい」

「速攻でメンタルつぶれるなよ煽って来たくせに!?」

 

 俺の世界の幼なじみさんと親友さん相手に言葉を伝えられたから、ある程度は乗り越えたのかなと思ったが、どうやら未だに当時の行動は地雷の様だ。

 

「……お互い、この手の話はしない方が無難ですね」

「だな……すまなかった」

「いえ、こちらも」

 

 気まずい空気が両者の間を流れて数秒。

 咳払いと共に改めて頸城さんが話を続けた。

 

「とりあえず、オレに対して敬語は無しで良い。というか使うな。なんかもどかしい」

「んー、じゃあ分かり……分かった。そうさせてもらう」

「んん、その方がやっぱ自然だ」

「それで、結局ここはどこ?」

 

 あの世が半分正解って事はまあ、ありきたりな発想で境目とかになるんだろうけど。

 

「あの世とこの世の境目だな」

「あ、まんまそうなんだ」

 

 もう少し捻ったオチが待ってるかと少し期待したのに。

 

「そりゃそうだろう。だって俺たちこのままだと死ぬし」

「……やっぱそうなのか」

 

 サラリと、しかし何の疑いも持たせない確信を持った言い方でハッキリ言われてしまった。

 

「やり過ぎだよお前、あんな深々と刺しまくったらそりゃあ死ぬさ」

「だって、半端な刺し方じゃ疑われると思ったし……夢見に刺された所を参考にすれば、死なないかなって」

「んで、死んだと……まあ疑われないためにってのは分からなくも無いがさ。……死んだら楽になれるとか、その辺の事も思ってたろ」

「……」

「思ってたな?」

「……いちいち聞くなよ、答え知ってるくせに」

 

 俺の希死念慮は、頸城だって分かってる事。

 沈黙も否定も、無駄な事だって分かってるけど、いちいち揶揄うように言われるのも恥ずかしい。

 

「まぁ、な……お前の気持ちは分からなくもない……と言うのは嘘だ」

「分からないのかよ、俺だったのに」

「そう。お前と意識が混じってたから、お前が大好きなみんなのいる所に行けるって考えるまでの過程や事情は分かる。でもそれは共有した情報ってだけで、オレ自身は別にそういうセンチメンタルな事思わねえから、分からんッてコト」

「……そっか。そう言えばあんた死ぬ時はひたすら後悔してたもんな」

 

 思い起こすと、頸城は死ぬ前に雨に打たれながら最後まで悔しさを口にしていた。

 俺みたいにやっと楽になれるとか、死んだ奴らとまた会えるとか、後ろ向きだけどプラス方面な思考にはならずに、最後までずっと歯を食いしばってたんだ。

 そういう意味でも、やっぱ俺と頸城は色々違うんだろう。

 

「オレはお前と違って親も周りの人間とも上手くいかなかったからな。死んだ後に会いたいって思える奴が居なかったよ。その点で言えば無様なのはオレで、恵まれてるのはソッチだな」

「でも、幼なじみには──」

「会いたくなかったなぁ」

「──そっか、悪い」

 

 そうだった。また俺は地雷を踏んでしまった。

 結局、頸城は今も幼なじみの死は自分のせいだと思ったまま。

 俺の世界の彼女が幸せに生きているとしても、頸城の世界の彼女は永遠に死んだままなんだから、後悔が消える事は無いのか。

 

 なのに、また安易に幼なじみの事を話に出してしまった。

 認めたく無いけど……こういう、人の心のデリケートな部分に不用意なのが、本来の俺なのかもしれない。

 頸城と混じってる時はその辺の配慮も出来てたけど、多分離別してる今、この状態の俺が本来の──女の子を病ませて殺される野々原縁の人間性。

 

「あんま気にするなよ、勝手に後悔してるのはオレだ。お前が気に病むことねえって」

「いや、そう言ってくれるのはありがたいけどさ……」

「ん?」

「俺、思ってたよりずっと、お前の性格に助けられてたんだなって実感したよ」

「……ははは、何の事か分かんねえけど、そう言ってくれるのは嬉しいよ」

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

「……でもな、実のところ、オレもお前から貰ったものがあるんだ」

「というと?」

「家族、クラスメイト、親友、それに幼なじみ……そのどれとも関係が破綻しないまま続く日々。どれもオレが生きてる時に切望して、でも無理だと絶望してたものばっかだった」

 

 幸せを指折りで数えながら、頸城は穏やかな表情で言う。

 

「オレがお前の中で目を覚まして、お前に混じってから、オレが幸せだと感じるものが沢山あった。それこそ指が足りなくなってしまうくらい」

「……その分、大変な目にも遭ったのに?」

「それでもさ! オレはお前と駆け抜けた日々の全部、良い事悪い事全部引っくるめて、楽しかったよ」

 

 屈託の無い笑顔を、頸城は見せた。

 それはきっと、彼が生前ごく僅かな人間の前でしか見せなかったであろう物に違いない。

 

 園子に依存されずにいじめ問題を助けようと懊悩した事も。

 渚と正面から対立した日も。

 咲夜と悠のお家争いで大切な関係が崩れてしまいそうになった事も。

 綾瀬と恋人になる覚悟を決めて奔走した事も。

 夢見に全てを壊されて……それでもなお諦めずに未来を変えようとした事も。

 

「全部、オレにとってはかけがえの無い……掛け替えが出来る筈もねえ時間だったよ。ありがとな」

「……それこそ、そんな風に言ってくれて嬉しいよ」

 

 苦しい事も多く……いやだいぶ苦しめられたけれども、その中にある平穏な日々と幸せは間違いなく、野々原縁という人間が本来なら辿り着けない、手に入らない物だった。

 

 寂しさを拗らせた妹に監禁された後に殺されるか。

 独占欲が暴走した幼なじみに磔にされてしまうか。

 失う事を恐れて殺され植物の養分と成り果てるか。

 

 そんな未来しか無かった俺がここまで生きてこれたのは全部、頸城縁が一緒に居てくれたからに他ならない。

 

「俺にも言わせて欲しい。本当にありがとうございました」

「──なら、お互いにありがとって事で良いか」

「うん、そうしよう」

 

 そう言って互いに笑い合う。

 それはまるで、今日まで一緒になってヤンデレと理不尽な世界に立ち向かってきた者同士だけが出来る、ささやかな祝賀会の様だった。

 

「……だからさ」

「ん?」

「オレ、お前にお礼がしたいんだ」

「お礼って、今更何を?」

 

 制服のプレゼントとかなら結構だ。サイズ合わないし、欲しくない。

 他に見たところ所持品なんて無さそうだし……そもそも死にゆく時にさしあたって、物なんか貰っても意味は無いだろう。

 もしかして三途の川を渡るための船賃を貸してくれるのだろうか? 

 

「何考えてるのかは予想つくけど、たぶん違うぞ」

「心読むなよ」

 

 ほんのさっきまで一緒だった分、俺の思考回路は分かるだろうけど。

 

「……オレは、お前から色んな物を貰った。それは生前のオレが持ち得なかった物ばかりだったけど、実はいくつかオレにもお前と同じ物があったんだ。何か分かるだろ?」

「……ん、まぁ、分かる」

 

 幼なじみと、親友。

 

 どちらとも不幸な別れ方にはなったが、この2つだけは確かに頸城にもあった。

 

「そう。お互い、安寧と平和な日々ってのには縁がない人生だったけど、身近に自分を想ってくれる人との縁はあった」

「……だな」

 

 頸城が俺の思考を読めるのと違って、向こうが何を言おうとしてるのか分からず、黙って続きを促す。

 

「オレとお前には相違点が沢山あって、性格やガタイだけじゃなくて、オレにはあった悪いものがお前には無かった。オレは瑠衣や堀内を拒絶したが、お前は綾小路や河本を頼った。だからオレとお前は違う人間だった。なのにさ」

 

 俺の肩に手を当てて、頸城は親が子を諭す様な、真剣な面持ちで言った。

 

「死に方がオレと同じじゃ、駄目だろ?」

「……っ」

 

 頸城縁の死に方。

 幼なじみの瑠衣さんを死に追いやったクラスの男子数名相手に1人で対峙して、再起不能に追いやった代わりに受けた傷で死んだ。

 瑠衣さんの仇打ちという点で言えば確かに、俺が葉月や叔母さん相手にした事と繋がってると言えるけど──、

 

「違う」

 

 俺の思考を遮って、頸城は言葉を続けた。

 

「オレと同じってのは、大切な人達を目の前にして死ぬって事だよ」

「あ……そ、そうだな……うん」

 

 そうだった。頸城が死ぬ前、本当の本当に命が尽きる直前。唯一頸城の味方をしていた堀内さんが駆けつけたくれていた。

 無茶な事をすると分かってて、死に物狂いで頸城を探して、ようやく見つけた時には全てが手遅れになった後。

 彼は、必死に頸城に呼び掛けてくれた。

 

「お前がやったのはもっと酷い。あんなにお前の事が大好きな幼なじみの河本まで居たんだから」

「……ほんとにな」

「あの後、お前が死んでしまったらあの2人はどうなると思う? 多分一生のトラウマになるぜ。自分達が止めなかったから死なせてしまったってな……それこそ、お前の世界で生きててくれた瑠衣達と同じになる。引きずるぞ、一生」

「それは──っ、困る! そんなの!」

「そういう事をしたんだろうが。……まぁ、オレも一緒にやった事だけど、ちょっと強引過ぎたよな。死にたがってたお前の思考がその辺の判断歪ませたんだろう」

「だけど、でも……アイツらがそれで後悔し続けるのは、嫌だ……」

 

 我ながら勝手だと思う。

 そもそも、その程度の予想は出来たはずなのに、死んだ後にいよいよ嫌がるなんてふざけてるとしか言えない。

 考えが浅かった。死ぬ予定は無かったとはいえ、一歩間違えたら死ぬ作戦ではあったんだから、もっと別の事を考えるべきだった。

 何が死ねばみんなのところに行ける、だ。自分勝手にも程がある! 

 

「あの2人だけじゃなくて、渚だって悲しむよな?」

「あぁ、そう思う」

「家族だって」

「分かってる! いや、分かってなかったけど!」

「そうなって欲しくないよな」

「無いよ! でも今更──」

 

「だから、ならない様にしてやるよ」

「──は?」

 

 今、なんて? 

 ならない様にするってどういう事だ? 

 

「最初に言ったよな、ここはあの世とこの世の境目だって」

「あ、あぁ……」

「正直、何でオレがそんな事分かってるのかは自分でも分からないんだ」

「え、えぇ?」

「えー? って思うよな。でもなんかこう、そうだっていう確信だけはあるんだよ」

「……はぁ」

「話が逸れたな──つまりオレはここが“そういう場所”って事を知っていて、ここに来てしまったからには、ちゃんと死ぬ必要がある」

「まぁ、そのための境目なんだろうし……当然だよな」

 

 不思議と、俺も頸城の言う事に心から同意している。

 だからこそ、この後俺たちは境目からあの世に行かなきゃ駄目なわけで──、

 

「でも、ここには今2人いる。そして現実で死んだのは1人、お前だけだ」

「……ん?」

「本当に死んだのは1人だけ、野々原縁だけなのに、今ここには野々原と頸城の2人がいて、どっちもあの世に行こうとしてる。これじゃあ数が合わないし、おかしいよな?」

「ま、待って……いや待って?」

「特に待たない」

「そうじゃなくて! じゃあ何だ、あんたの言いたい事ってつまり……」

 

 死んだのは1人で、ここには2人。

 あの世に行くのは本来、1人で良い? 

 そうだとしたら、残る1人は──、

 

「そ。戻れる……黄泉返りって奴だ」

「う、うぅ嘘だろ!?」

「さあ、嘘か本当かは知らん」

「なんだよそれ、そんな屁理屈まかり通るのかあの世って!?」

「知らないよ、神様に聞いてくれ」

「聞けねえよ!」

「だったらそう思う事にしとけ。だからまぁ、あの世にはオレが行って

 ……お前はお前を大好きな人達の居る場所に帰れよ。それがオレに出来るただ一つのお礼だ」

 

 衝撃的な告白に頭がポカンとなりそうなのを堪えて、俺は改めて自分が言われた事を脳みそに叩き込んだ。

 つまり、理屈は理解出来ないけど、俺は生き返る事が出来るってわけで……でもそれはつまり、頸城だけはあの世に行く。俺達が離れ離れになるって意味だ。

 俺だけが生きて、頸城だけは死ぬ。

 

「あんたはそれで良いのか?」

「オレは元から死人だよ! どう言うワケか生まれ変わり先のお前に、意識と記憶ごとお世話になってただけで、本当ならとっくに向こう側の住人だった。本来の場所に収まるだけだよ」

「だけど、俺だけが助かるなんて、お前だって一緒に頑張ってきたのに」

「違うよ。オレはあくまでお前の中でヒントや別の見方を提供してただけ。どんな言葉も行動も、最終的に選んだのはいつだってお前だろ。だから頑張ったのはお前だし、お前だからオレはもう少し生きて欲しいと思うんだ」

「でも……それじゃあ」

「だぁー! もうまどろっこしいなぁお前!」

 

 頭をかきながら、心底めんどくさそうな顔をして、人差し指をピンと俺に向けた頸城が言う。

 

「お前、死にたいのか?」

「いや、死にたく無い」

「じゃあここに残りたい理由があるのか?」

「そんな……特には、無い」

「現実に戻りたくない理由は?」

「もっと無い!」

「じゃあ素直に生き返ればいいだろう!? 何躊躇ってんの」

「それは…………」

 

 何もかも頸城の言う通りだし、反論の余地は無い。

 それは、そうなんだが……。

 

「あっ、分かった」

「……分かるなよ」

 

 すぐに俺が躊躇う理由に勘づいた頸城は、ニヤニヤ笑って揶揄うように、

 

「お前……オレと離れた後、1人で上手くやっていけるか不安なんだろ?」

「……うっ」

 

 ズバリ、その通りだった。

 こうして2人で話してる中でも、彼の地雷を踏んでしまうような俺だ。

 仮に生き返ったとして、無意識に渚や綾瀬の神経を逆撫でする様な行動を取ってしまうかもしれない。

 未来は変わって、俺が過ごした日々をただなぞらえるだけじゃ行けなくなる。そんな中俺がヤンデレの素質を持った女の子達相手に、今まで通りの立ち回りが出来るかは甚だ怪しい。

 

「そんな事気にして生きる躊躇ってんのかよ、馬鹿だなお前」

「うっさいなあ、分かってるけどさ……」

 

 それでも不安はあるんだから仕方ないだろ。そう言おうとした俺に、

 

「大丈夫だ、今のお前なら」

 

 頸城はまた確信を持った声で、宣言する。

 

「確かに危うさは残ってる。でもそれは今日まで色んな経験をしたお前なら乗り越えられる程度のものだ。だって、何回も死んで殺されてを繰り返してきたんだぜ?」

「……そうかな」

「おう、俺が保証する。お前は俺と違って、頑張ればちゃんと幸せに生きていける人間だし、それが叶う環境にいるんだから」

 

 不思議……というか、単純な物だが、頸城にそう言われるだけで本当に大丈夫だという気持ちになってきた。

 

「……きっと、今後も胃が痛くなる日々になるんだろうな」

「間違いない。まずは渚が難敵だな」

「綾瀬とも、しっかり向き合わないとだし」

「園芸部って空間無しでみんなの仲が良好なるのも難しいなぁ」

「園子のいじめは、できれば起こる前に止めたいかな」

「わぁ、やる事沢山あるじゃねえか。ならここで立ち止まってる暇なんか無い」

「……うん、そうだね。その通りだ」

 

 躊躇いも不安も、まだまだ余裕であるけど。

 それ以上に、やってやろうって気持ちの方が強くなってきた。

 

「やってみるよ、またあの死にたくなる日々を、今度こそ死なずに生ききってみる」

「あぁ。じゃあそのために一つ約束だ」

「約束? ここから離れるためのルールか? 振り向かないとか?」

「それもあるんだろうけど、俺が言いたいのは生き返った後の事」

 

 生き返った後の? 

 また瑠衣さんの所に行って欲しい、とかだろうか。

 3年戻ったので、またあの夫婦も頸城の死に引き摺られてるままだ。それを払拭してくれって言うなら喜んでするつもりだが。

 

 そんな予想と、頸城が言った言葉はまるで違っていた。

 

「オレと約束して欲しいのは、簡単だ。もう2度と“死にたくなってきた”なんて思わない事、それだけ」

「……それだけ?」

「あぁ。それだけだ。どんなに辛くても、逃げていいから死ぬ方向に考えを向けるな。ちゃんと生きて、生きて生きて──幸せになれ」

 

 それは俺の世界で頸城が、俺の体を通して瑠衣さん達夫婦に向けた最後の言葉と同じだった。

 どこまで行っても、自分の幸せは考えず……コイツは、本当に。

 だけど、仕方ない。もう頸城縁の人生は完結してしまった。スピンオフもifストーリーも起こり得ない。

 いや、そもそも俺と一緒にいた日々こそが彼にとってのソレだったんだから。

 

 生きる事を決意した俺に、死にゆく事が決まってる頸城の性根を変える事はもう出来ない。

 だから、せめて俺に出来る事──頸城との約束だけは、ちゃんと守ろう。

 

 

「分かった。任せてくれ。幸せになりたさは人の倍はあるんだから」

「オレの分までな。ふふっ……頼んだぜ」

「あぁ」

 

 そう答えると、途端に頸城は俺の両肩を掴み、くるりと体を反対向きにさせた。

 唐突な行動に面食らいながらも、これが何をさせたいのかをすぐに察知する。

 

「じゃあ、話はここまでだ。もうオレの顔を見る必要もない。このまままっすぐ向こう側に向かって、走れ」

「急なんだから……だけど、いよいよお別れか」

「あぁ。しっかり人生を楽しめよ? あ、あと万が一出会うような機会があれば、七宮伊織さんによろしく伝えといて……やっぱいいや、お前が拗れるだけだし」

「……おう」

 

 やっぱりコイツ、俺の知らない所で何か七宮さんとあったんだな。

 問いただす時間もないこのタイミングで言うなんて、本当に厭らしい真似をする。お陰で、永遠に俺の知らない物語になってしまった。

 

 まあでも良いか。これから先俺が過ごす日々だって、コイツが知らない物語になるんだから。お互い様だ。

 

「じゃあな、野々原縁。心置きなくヤンデレの女の子に死ぬほど愛されて眠れない日々を過ごせ!」

「ちょっ……お前なぁ……」

 

 最後の最後に、呪いの言葉みたいな激励を受けて、俺は笑いなのか涙なのか分からない感情を呑み込み──背中にいるもう1人の自分に、今生の別れを告げる。

 

「ありがとう、頸城縁。さようなら」

 

 シンプルな言葉と同時に、俺は目の前の道なき道を駆け抜ける。

 地面の感触も無いまま、本当に走ってるのか分からないけど、確かに、自分がこの空間から離れていくのだけは理解できる。

 次第に視界が真っ白になっていき、まるで明晰夢から目が覚める直前のような感覚が体を包み──。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

「……んぅ」

 

 次に瞼を開けた時には、見慣れた学園の天井が見えた。

 あれ? と思い首を左右に動かすと、間違いない学園の保健室だ。

 

「何で……学園にいるんだ? って、痛え……」

 

 てっきり、ガチガチに繋がれた病院のベッドの上だと思っていたのに何故? と思う矢先に、頭がじんじんと痛むのに気づく。

 痛む所に手を当てると、まるで何かに強く打たれた様なたんこぶが出来ていた。

 

「何が、どうなってる……?」

 

 半身を起き上がらせて窓を見ると、あろう事か外ではチラチラと舞う桜の花びら。

 部屋の気温も11月や12月のそれとは違い、ポカポカとしたまるで春模様そのもの。

 

 壁に貼られたカレンダーを見てみれば、まさに4月30日! 

 しかも西暦が3年後の──俺が高校2年生つまり巻き戻る前の時代になっている!! 

 

「これは……まさか」

 

 初めて俺が頸城縁の記憶と意識を思い出した日と重なる、違和感。

 その正体がうっすらと見え始めた直後、部屋の出入り口から1人の少女──この季節にはあまりにも似つかわしく無いマフラーを巻いた渚が入ってきた。

 

「……お兄ちゃん、起きてる?」

 

 奇しくもCDと同じセリフと共に、渚は固まってる俺を見ながら数秒間黙ったあと──一目散に駆け寄ってきた。

 

「良かったぁ! もう目を覚まさないかと思った! 本当に良かった……」

 

 喜びと安堵の混じった声で、思い切り抱きついてくる渚。

 心配してくれてたのは十分に伝わったが、力が強くて痛い……。

 

「う、分かった、分かったから一旦離れて……苦しい」

「あ、ごめんね……安心してつい」

「いや、心配してくれたのは嬉しいよありがとう……」

 

 すぐにパッと離れてくれた渚を見ると、やはり最後に見た幼い姿から成長している。

 制服も学園のものを着てるし、間違いなく3年分成長しているのが分かった。

 

「お、お兄ちゃん……? 急にそんなまじまじと見てどうしたの? (あたし)どこか変?」

「いや、大丈夫だ……いや、変というか、何でマフラー巻いてるんだ?」

「え?」

「──っ!?」

 

 何気なくした質問。だが、渚の周りの空気が瞬時に冷たいものへと切り替わるのが分かった。

 嘘だろ、いきなりか!? ……いや待て、焦るな俺。

 流石に渚の顔を見ればそれが怒ってるのか、それ以外かの判別は付く。付く様になってきた。その上で今の渚を見る限り、伺えるのは怒りではなく動揺──より厳密に言えば、焦りだ。

 

「お兄ちゃん……もしかして()()忘れちゃったの? マフラーのこと……」

 

 やはりと言うべきか、渚は自分が巻いてるマフラーに手を添えながら、恐る恐る聞いてきた。

 

「いや、忘れてない! 俺が買ったんだよな、前に……映画を観に行った帰りで」

「うん……そうだよ、お兄ちゃん。良かった……頭強く打ったって聞いたから、もしかしてあの時みたいに分からなくなっちゃったのかと思ったよ」

 

 頭を強く打ったらしい。通りでたんこぶが出来てるわけだ。

 納得すると同時に、疑問も湧いてきた。

 

「えっと渚、分からなくなるって、前にそんな事あったかな俺」

「もう、ひょっとして寝ぼけてるの? お兄ちゃん3年前にあんな事あって、ちょっとだけ記憶喪失になったんでしょ?」

「……え?」

 

 記憶を失っていた? 

 思わぬ情報に動揺する俺と、逆に至極聞きなれたことの様に感じる自分がいる。

 

「本当、あの時はお兄ちゃんが私にマフラー買ってくれたこと忘れててビックリしたけど……あんな酷い怪我したんだもん、仕方ないよね」

「……怪我。夢見の家に行った時に、刺された事だよな?」

「うん、そうだよ。犯人は捕まったあとすぐに死んじゃったんだよね。無期懲役が決まったすぐ後に」

 

 渚の口から次々と出てくる情報に翻弄されながらも、俺は段々とこの3年間に何があったのかについて、思い出し始めてきた。

 

「──っ!」

 

 シャツを捲って、自分のお腹を見る。隣で渚が驚いて可愛い悲鳴をあげているが、気にせず自分がかつて刺した場所を確認した。

 

「……ずいぶん、綺麗になってるな」

「ふぇ? ……う、うん。悠さんがすごいお医者さん紹介してくれて、何とか綺麗にして貰ったんだよ? それも寝ぼけて忘れてるの?」

 

 お腹は多少の手術痕こそあるが、俺が蜂の巣みたいにブッ刺したとは思えないほど見事に元通りになっていた。

 その僅かな痕を指でさすり、俺は今度こそ明確に、この3年間の事を思い出す。

 

 夢見の家で倒れた俺は、激しい臓器の損傷と大量出血でまさに意識不明の重体になる。

 案の定、綾小路家お抱えの病院に悠が無理やり運び込んで緊急手術をしたものの、意識は戻らずこのまま植物人間になる可能性すら大きかった。

 

 ところが手術から3日後、俺は2度と目が覚めないだろうと言われるほどの状況から意識を取り戻し、無事にこの世に戻ってきた。医者も驚くばかりで、まさに奇跡だと話したらしい。

 

 ──ところが、だ。

 

 俺が目覚めてから治療やリハビリを経て、ようやく家族の面談や会話を十分に取れる様になり、警察の事情聴取も可能になった時、俺が事件の起きた前後の記憶を完全に失っていることが発覚する。

 完全な記憶喪失ではなく、1ヶ月程度の──まさに、俺が3年前に意識だけタイムスリップしてから夢見の家で倒れるまでの間の記憶だけ、都合よくすっからかんになった。

 

 家族や友人全員驚いたが、警察も困った。医者は精神的なショックが引き起こした物だと判断して、時間が経てば思い出すと言ってたが、1番驚いたのは、いつの間にか腹が穴だらけになって重体だった当時の俺だったのは言うまでも無い。

 

 無事に日常生活を送れる様になってからは、そんな大変な目にあった事なんて嘘の様に今まで通りに過ごして、俺は高校生になり、今日この日まで平和に過ごしてきたわけだ。

 ……綾瀬や渚がヤンデレの素質を持ってる事を忘れて、2人の心情をまるで意に介さない本来の俺のままで。

 

「やっちまった……馬鹿野郎が……忘れる事ねえだろ、よりによって……!」

「お兄ちゃん大丈夫? もしかしてどこか怪我してるの!?」

 

 頭を抱えて懊悩する俺を心配する渚。

 怪我はしてないが、今後怪我以上の痛い思いをする布石がどれだけ自分によって敷かれているのかを考えると、頭を打った事とは別に頭痛がしてくる。

 

 ちなみに頭を打った理由は、学園の中庭の木に登って降りられなくなった子猫を助けようとしたら、足が滑って落下したからだ。馬鹿だね。

 

 もう一つ、ついでに言えば──これはついでで済む内容では無いけど、葉月と叔母さんの内縁夫婦について。

 

 葉月は捕まってから刑が決まるまでは俺の自演だと必死に反論したが、俺の腹部の傷の深さと刺し方が、明らかに殺意を持った人間の手による物だと判断された事、葉月自身に過去似たような犯罪歴があった事、また今回の件とは全く別に葉月が半グレ仲間と暴行事件に関わっていた事など複数の点と点が重なり、無期懲役が確定していた。

 

 俺は我ながらやり過ぎたと反省した刺しっぷりだが、逆にアレくらいしたから説得力になったというから複雑だ。

 だがしかし、その後は先程渚がサラッと話した通り、刑が確定して拘置所から刑務所に移ったあとすぐに、自殺した。

 直前まで死のうとするそぶりなど見せなかったため、彼が過去に関わっていた暴力団員も同じ刑務所に居た事から、それらの人物が自殺に見せかけた可能性も考えられたが、“刑務所で囚人が精神を病んでしまうのは珍しくも無い”という事で、半ば強引に自殺と処理されたらしい。

 

 ここまでの話は、当時に悠からものすごく丁寧に説明を受けた。

 俺は覚えても無い人間の事だったので、取り敢えず安心したのだが……今の俺が思い返すと、もしかしたら──いや、良いや。考えないでおこう。

 

 そして、母さんからは叔母さんの──自身の妹についての顛末を聞かされた。

 

 あの時現場にいた警官の証言や、夢見自身の言葉で叔母さんのネグレクト行為は表沙汰になり、更に葉月と共謀して俺や夢見に危害を加えようとした事も罪に問われた。

 これについては、俺がそう思わせる様に咄嗟に嘘をついたのもあるが、何よりも警官の前で「お前ら一緒に殺してやる」とヒステリックに発言してしまった叔母さんが墓穴を掘ったのが大きい。

 

 結局、精神鑑定やら何やらを受けた後、彼女も実刑判決を受けた。

 姉である母さんはもちろん、野々原家から勘当されて、刑務所から出た後も精神病院にぶち込まれるのが関の山、との事だ。

 この判断は、明確に母親を拒絶した夢見の行動によるものが大きいらしく、夢見はその後野々原家にお世話になるのではなく、父方の小鳥遊家が引き取る事になった。

 

 大丈夫か? と不安になったが、どうやら元々小鳥遊家は叔母さんはともかく孫の夢見を心配していたが、叔母さんが連絡を拒絶していたから途方に暮れていたらしい。

 今は遠方で、穏やかに暮らしているとのことだから、もう彼女がヤンデレになる事はそうそう無いだろう。

 

 ちなみに、文面と電話だけのやりとりだが、この3年間で何度か俺もあの子と交流を続けている。

 記憶を思い出した今、それをやるのは正直怖いところがあるが……まあ、必要になればやるだけだ。

 

 

 とにかく、俺が倒れてからの3年間はそんな感じ。ほんっとに、俺が記憶喪失になる事を除けば理想通りの展開だ。

 

 ──と思っていたのだが、それが甘い考えだと言うのが直後に判明する。

 

「──どうして、半裸になってるの?」

「ひぃっ!?!」

 

 底冷えする様な恐ろしい声が耳朶に響き、小さな悲鳴が口からこぼれる。

 声のする方を見ればそこには、渚が開けっ放しにしていた入り口からこちらを見る──いや、物凄くハイライトの無い恐ろしい瞳で俺たちを凝視する、綾瀬の姿があった。

 え、あれ? なんかもう既にヤンデレ化してませんか? 

 

「ちっ、うるさい奴が来た……」

「渚……?」

 

 今小声で、でもハッキリと怖いこと口にしたよね? 

 

「ねぇ、どうして無視するの?」

「んひぃ!」

 

 ほんの一瞬、渚の発言に気を取られただけなのに、いつの間にか綾瀬は俺の前に立って、その仄暗い瞳をこちらに向けている。

 

「どうして、渚ちゃんと2人きりの状況で、服を脱ごうとしていたの?」

「いや……これは、ですね……」

「そんなに難しい質問してるかな、あたし。ただ理由を聞いてるだけなんだけど」

 

 こ、こここここ恐い!! 

 巻き戻る前だってここまで露骨に恐い綾瀬を前にした事は無かった。

 付き合ってからなら一回だけ怒らせた事があるが、今はあの時と同じか、それ以上だ。

 

「古傷が開いてないか心配になって調べただけですよ、綾瀬さんこそ何をそんなに焦ってるんですかぁ?」

 

 たじろぐ俺を助ける様に、渚が言葉を挟んでくれた。……のだが、こちらもやたらめったら攻撃的な口調だなおい!? 

 

「渚ちゃんは黙って、あたしは今彼と話してるから」

「黙れません、そんな風に私のお兄ちゃんを恐がらせてるのを見て、黙っていられるわけないじゃないですか」

「だいたい、なんで渚ちゃんが今ここにいるの」

「お兄ちゃんが怪我したから心配になって見に来たに決まってるじゃないですか。綾瀬さんこそ、クラスも違うのになんで来てるんです?」

 

 え、クラス違うの!? 

 

 驚愕しながらまだ処理しきれてない自分の記憶を思い返すと、確かにそうだった。

 しかもそれだけじゃない。巻き戻る前と後で、綾瀬の雰囲気だけじゃなくその他諸々、色々細かいところが変わっている。

 

 綾瀬は確かにクラスが違うが、その代わりとでも言うのだろうか、まさかの園子がクラスメイトになっている。

 記憶の限りでは園子と俺が2人で会話する様な事は無かったみたいだが……先日、委員会を決める中で俺と彼女が図書委員会に決まっている。委員会ごとに集まって話し合う時間が今度行われるから、その時になると否応なしに会話が必要になる。

 悠は変わらず同じクラスで親友だが……昨日の記憶だと『近いうちに従妹が転校しそうだ』と頭を抱えていた。

 

 ちょっと待ってくれ、横で渚と綾瀬がバチバチに言い合いしてるのを放置してるのもマズイが、俺かなりヤバい状況になってるんじゃないか? 

 

 綾瀬はどういうわけか凄いヤンデレモード入ってるし、綾瀬を前にした渚も巻き戻る前より露骨に対立的だ。こんな2人がいる中で、俺は園子と委員会活動しなきゃいけなくなるの? 

 それに、もし悠の言う通りアイツの従妹──つまり咲夜が転校してくるとなれば、また査問委員会とか綾小路家のお家争いに巻き込まれる事になる可能性があって……こんな状況で塚本の助けも見込めないのに無理だろそんなの!? 

 

 

「あ、縁! 良かった……目を覚ましたんだね」

「──悠!」

 

 まるで救世主の様に姿を現したのは悠だった。

 今後の予測される騒動についてはともかく、悠ならこの2人の言い争いを止めてくれるんじゃないか。そう期待したのも束の間──、

 

「あぁ、2人はいつものだね」

 

 ニコニコして完全にスルーしながら、スタスタと俺の前に来た。

 

「ちょっと悠、お前から2人を止めてくれよ」

「どうして? 今更じゃないか。あの2人を鉢合わせた時点で諦めるべきだね」

「えぇ……そのレベルの諦観かよ」

「というか普段から君も気にしてないだろ? 相変わらず2人は仲が良いなぁとか、息が合うんだなぁとか言ってさ」

「…………はぁ〜〜〜」

 

 言ってた。記憶思い出す前までの俺そんな暢気すぎる事言ってました! 

 信じられない、このバチバチした空気感を前に、俺は全く危険性を感じなかったのだから。

 この危機意識の薄さ……これが本来の俺、ヤンデレCDの主人公のポテンシャルって奴なのかよ……! 

 

「ちょっと、大丈夫かい? ヤケに顔が青くなってるみたいだけど」

「ああいや、うん……色々あってな」

「そっか……。あ、それより聞いてくれよ、僕の従妹が昨日変な事言い出したんだ」

「へ?」

「この学園に、生意気な庶民が在籍してる筈だから誰か教えろって言うんだよ。どうもアイツ、この前勝手に家を抜け出して東京でブラついてたらしくて、途中で迷った時に助けてくれた人がこの学園にいるって話したらしいんだ。自分に対して凄く生意気でムカつくから、直接会って懲らしめたいんだとさ。僕はてっきり綾小路家の覇権争いとかで来るのかとばかり──あれ? 縁、今度は汗がすごいよ?」

「………………」

 

 

 会ってました!!!!! 

 先週の土曜に1人で神保町行った時に、裏通りで困ってた金髪ツインテールの女の子と俺、一緒に過ごしてましたよ!!!! 

 え、じゃあ何原因俺じゃん!? 咲夜が探してるのって(記憶思い出す前の)俺じゃん完璧に!! 

 

「ぐぁぁぁ……この男は、どこまで馬鹿なんだ……っっ!」

「な、何がどうしたんだい……?」

 

 願うならば、これらが全て夢であって欲しい。あるいは全く別の人間の仕業だと。

 じゃなきゃ馬鹿だろ本当に、ヤンデレCDの知識をせっかく、せっっかく頸城からもらってるのにそれを忘れて今日まで生きて、ただでさえ巻き戻る前より危うい2人がいる側で新しい女の子との出会いの種を撒いて育ててるんだぞ? 

 

 誰かのせいにして顔面をぶん殴りたいが、生憎自分の顔しか思い浮かばない。

 

 

「だいたい渚ちゃんは中等部でしょ? さっさと校舎に戻ったら?」

「先生から許可は貰ってるのでお構いなく。私は家族として側に居ますから。クラスも違う綾瀬さんこそ、早く帰って方が良いですよ?」

「……いい加減に──」

 

 まずい、放置してる間にそろそろ綾瀬の方が我慢出来なくなりそうだ。

 自分を責めるのは後回し、まずは鎮火作業をしなきゃ地雷どころじゃない爆発が起こる! 

 

「あ、綾瀬、そろそろその辺にして」

「私じゃなくて渚ちゃんを庇うの?」

 

 あー言ってるそばからつい渚を庇ってしまった結果かえって綾瀬を怒らせてるよこの馬鹿! 

 いや違えよ、もうこの状況だとどっちを庇ってたとしても、もう片方から顰蹙買うのが目に見えてるんだ。

 そしたらどっち選ぶか、家族だから家でも怒った状態の渚と対峙するより、綾瀬の方がまだマシってそれだけの話だよ。最悪だな。

 

「まあまぁ綾瀬さん、お兄ちゃんもこう言ってる事だから」

「黙ってて。──ねぇ縁、あたし貴方のこと心配してるだけなのよ? それなのに邪魔だった?」

「邪魔なんて思ってないよ。むしろ嬉しい」

「本当に?」

「本当さ、だから渚と喧嘩は──」

「お兄ちゃん? 私が来たのは嬉しくなかったって事?」

 

 誰か俺をもう1人手配してくれませんか? 

 

「──悠、助けて」

「はは、ごめん無理」

 

 親友ぅ──! いつもの頼り甲斐ある姿はどうした!? 

 

「ねぇどうして悠くんに話を振るの? 今はあたしと話してるんだよ?」

「お兄ちゃんどうなの? 私の質問に答えてよ」

 

「お兄ちゃん!」

「縁!」

「〜〜っ、あぁ、ったく……」

 

 ──こんな、ヤンデレの女の子に死ぬほど愛されて俺は、もうこの言葉を呟かずには居られなくなってしまった。

 

「──死にたく」

 

 いや、違うな。

 これから先どんな事があっても、それだけは違う。

 だってそれが、辛くて苦しい日々を共に乗り越えて、俺にもう一度生きるチャンスをくれた頸城縁(あいつ)との、最後の約束だからな。

 

「渚。それに綾瀬も、よく聞け、俺はな──」

 

 たとえ、ヤンデレの女の子に死ぬほど愛されて眠れない人生だとしても、その先に確かにある幸せと平穏な日々を求めて──、

 

「お前ら2人とも、大好きだぞ」

 

 俺は、最後まで生きていこう。

 

 

 

 

 

 ─―THE・END

 

 


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