【完結】ヤンデレの女の子に死ぬほど愛されて眠れない兄になって死にたくなってきた   作:食卓塩准将

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第18病 Happy 《self bad》 End

 

 始める前は、きっと自分は恐くなるんだろうと思っていた。

 相手は反社会的なグループに属してる人間で、暴力に慣れてて、自分より歳上の男。もしかしたらいざという時、体が震えて何もできなくなるんじゃないかって。

 

 返り討ちにあったらどうしよう。半殺しにされるんじゃないか。

 いや半殺しに遭うだけならまだ良い、最悪殺される様な事になれば、七宮さんにこの時代まで送ってもらったのが台無しになる。

 

 そんな不安を抱えながら、どんなルートで入手したのか分からないが(知ったらダメなんだろうけど)悠が用意してくれた合鍵で静かに家に入り玄関の廊下を通って、リビングの入り口から今まさに夢見に手を掛けようとしてる男の背中を見た瞬間。

 

 自分の胸中から顔を覗かせたのは、恐怖とは全く別の感情だった。

 

 怒り、と形容するのが1番近いが、妙に異なる。

 燃え滾る憤怒の様に攻撃的な雰囲気はあるが、その中には鋼鉄の様に冷たくて硬くて動じない、芯のような物がある。

 

 他に類似した感情を想起する。強いてあげるなら復讐心だが、そうだと形容するには自分の感情は少し落ち着き過ぎる。

 

 冷静の様でいて攻撃的、じゃあこの気持ちは何だろうと考えたが答えが分からない。

 考えるだけで時間を浪費するだけと思い、俺はそれ以上同じ思考を続けるのをやめて、目の前で繰り広げられてる光景だけに集中した。

 

 今、俺と数メートルしか離れてない距離で、夢見の義父が彼女の衣服を剥いでいる。丁寧に、丁寧に、丁寧に。

 時折独り言を呟きながら。愉快そうな鼻歌を交えながら。

 夢見の身体を見て妻とのそれを比べたり、年相応では無い発育具合に喜んだり。

 

 あと数分後には彼女の人生を大きく歪ませる行動を取ってるとは思えないくらい、あまりにも慣れた仕草と、あまりにも罪悪感の無い態度。

 

 何より、背後に全く知らない人間が近づいてる事にすら気づかない視野の狭さ。自分のことに集中すると周りに全く関心が向かないのがよく分かる、自己中心っぷり。

 

 ああ、夢見はこんな男に純潔を奪われたのか。

 夢見は、こんな男に惚れた母親に殺されそうになったのか。

 こんな男のせいで、夢見は人生血塗れになるしかなかったのか。

 

 そんな事を考えると同時に、気づいてしまった。

 

 そうだ、この男に狂わされたのは夢見だけじゃない。

 別に今初めて気づいたわけじゃ無いが、あまりにも目の前に繰り広げられてる光景がお粗末で、再確認が遅くなっただけだが。

 

 俺の──俺達の人生も、この男によって狂わされた。

 

 夢見を殺人鬼に変えるきっかけになった、だけの話じゃ無い。

 黒幕が夢見なだけで、悠を刺し殺したのは間違いなくこの男だし。

 考えてみれば、監禁されてる時夢見に何度も求められたから、俺はこんな男の穴兄弟になってるわけで。

 

 ははは……そっか、そういう事か。

 

 俺の感情は、怒りでも復讐心でも無かった。

 これはその先にある感情、いや決意……または、結論と呼べるもの。

 

 自分の全てを破綻させた存在の正体が、こんなチンコの事しか頭に無い低俗なカス野郎だったという現実。

 そして、俺にとって大切な人達や思い出や時間は、こんなチンカス野郎でも簡単にぶっ壊せてしまえる程度の物でしかない、という事実。

 

 それらが合わさって、俺の中でもうこの男のために怒るのも、嘆いたり哀しむのも、全てが馬鹿らしくなった。

 ましてや、恐れを抱くなんて事が起こる筈も無い。

 

 俺の目の前でウキウキしながら女子中学生の身体に触れているのは、ただの害虫だ。

 家に巣食って卵を産むゴキブリや、梁や柱に住み着いて増えるシロアリの様に、放置しておくと将来自分が不利益を被る害虫。

 それが、人の形をして、人の言葉を使っているだけに過ぎない。

 

 人は、害虫相手に初めは驚くだろう、恐がるだろう、居るだけで不快感を覚えて怒りに転じる事もある。

 だが、何度も見ていたら次第にそんな感情は鳴りを潜め、いずれは“事務的”に殺す様になる。

 いや、殺すというよりも“処理”と言った方がより適切か。

 

 つまり俺はこの男に対して今から“怒りで恐怖を振り払い、みんなの仇を討つために夢見を助ける”のではなく。

 ただひたすらに“目の前の害虫を徹底的に終わらせる”のだ。

 

 厚生の余地なく、挽回の機会も無く、地獄に垂らされる蜘蛛の糸があるとすればそれすら燃やし尽くす──それ程の終わりを、この男に与える。

 

 それはもはや感情では無く、故に結論。

 俺は今から、事務的にこの男と相対する。

 

 尤も、相手からすればそんなの、単なる逆恨みにしか映らないだろうけどね。

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「……野々原? それって……アイツの姉のとこのガキかよ」

 

 男は自分を急襲した存在が何者であるか、すぐに思い至った。

 野々原は自分の妻の姉の苗字。やたら妻に自分との交際を反対してきた、鬱陶しい女だったのを記憶していたからだ。

 確かに野々原家には子供が2人居たが、ヨスガと名乗ったコイツは兄の方か、と結論付ける。

 

 そうして同時に、もはや男の中で数秒前まであった警戒心は雲散霧消する。

 恐れや警戒はそれが未知の対象であるか、自身を凌駕する存在だという情報を持っているからこそ生まれるモノ。

 

 相手が野々原ヨスガであると分かった瞬間、未知ではなくなり。

 ただの中学生が、自身を脅かす存在には到底なり得ない事を、知っている。

 

 それがどうしてこの家に、このタイミングで現れて、自分のしようとした事を知ってるのかは分からない。

 だが、そんな事を考える必要なんて無い。どうせ、あの口うるさかった女に言いくるめられて心配で見に来たんだろう。

 もし、そうじゃ無かったとしても、だからどうだと言うのか。

 

「従妹のためにヒーローごっこでもしに来たか?」

「……」

「逆恨みとか意味わかんねえ事言って、頑張ってカッコつけてさぁ」

 

 殺してしまえば良い。それしか男は考えていない。

 膝立ちから、ゆっくりと立ち上がり、ヨスガの全身を見る。

 手には夢見の持ってた鋏──何故か持ち手の部分では無く閉じてる先の方を握ってるが、そんなモノは男にとって恐るべくもない。

 視線だけは一端に自分を見て逸らさず、一切隙を感じさせずに待ち構えてる様だが、それだって事が始まれば崩れる程度の構えだ。

 

 総じて、喧嘩慣れしてる自分が負ける道理は無い。

 一歩二歩、こちらが踏み込んで、フェイントを仕掛ければあっという間にヨスガは床に倒れているだろう。

 男の脳裏には、自分が相手の鳩尾に深々と拳を沈めて、その痛みでゲロを吐きながら床で悶えるヨスガの姿が、感触付きで容易に想像出来た。

 

 ハッキリ言って、脅威では無い。幸い薬は2人に効いてるのだから余程大きな音でも出ない限り目が覚める事もない。

 夢見を抱くのはヨスガを殺してからでも遅くないだろう。

 いや、むしろ死にかけのヨスガの前で、目が覚めた夢見を犯すのも気持ち良いかもしれない。

 

 卑劣な妄想で下卑た笑みをチラつかせる男。

 対照的にヨスガはまるで表情を動かさずに、一瞬だけ手元の鋏を見やってから、男に問い掛けた。

 

「あの、先に一つだけ聞きますけど」

「あ?」

「この鋏、あなた持ちました?」

「……は?」

 

 質問の意図が掴めず、男は思わず素っ頓狂な声を上げる。

 するとヨスガは、空いてる手で鋏の持ち手を指差しながら、もう一度尋ねた。

 

「ココ、一回でもさっき手で触れましたかって聞きました。どうです伝わります? 言ってること分かる?」

「んなの何だっつんだよ、持つに決まってんだろ」

 

 むしろ何故さっきから先の方で鋏を持ってるのか、そっちを逆に聞きたいくらいだと言わんばかりに、男は答える。

 すると満足したのか、ヨスガはここに来て初めて表情に明るさを見せて言った。

 

「そうでしたか! やっぱさっき床に投げ捨てる時持ってた様に見えたんですよ。念のため聞こうと思ってましたが、いや良かったぁ」

「……あのさぁ、お前なめてる?」

「はい?」

「鋏がどうとかどーでも良いんだよ、馬鹿じゃねえのお前」

「何故ですか?」

「何故って……殺すぞお前!?」

「鋏持ったの聞いたら殺されるんですか俺?」

「あーもいい、もういい気持ち悪いからいいよお前、もう殺すわ」

 

 今までどんな関係性でも関わってきた人間の中で、ここまで会話の成り立たない相手は居ないと男は思った。

 半殺しにしてからヒロインの夢見を目の前で犯す事も考えたが、これ以上は面倒くさいのでさっさと殺す事に決める。

 

 男から発せられる殺意を感じたからか、ヨスガも鋏を持つ方の手を胸の前まで上げて構えを取る。

 

「ははっ、やっぱお前馬鹿だろ。そんなもんでどうにかなるって思ってるのかよ。漫画じゃねえんだぞ」

「……」

「死体残んの怠いから、コンクリに詰めて海か山に捨ててやるから安心して死ねな?」

 

 この後自身の身に降りかかる恐ろしい出来事を事前に予告して、恐怖と動揺を煽る。男の常套手段だ。

 しかし、先ほどまでオウム返しの様に何故何故と繰り返してたヨスガの口は、この脅しについてはまるで反応を示さなかった。

 眉ひとつ微動だにせず無反応のまま。

 

「おい、今更ビビんなって。もう遅いから諦めとけ」

 

 男はそれを、ヨスガが単純に遅過ぎる後悔に身を包まれているだけだと判断した。

 しかし、それが大いなる思い違いである事に、男はすぐ気付かされる──否、思い知らされる事となる。

 

「……確かに、そうですね」

 

 男が一歩踏み込んだのと同時に、ヨスガはぽそりと呟く。

 

「確かに、この世界は漫画じゃない」

「……あ?」

 

 今更何を──そう言おうとする男より先に、ヨスガは鋏の切っ先を自身に向けたまま頭上に掲げて、

 

「CDの世界だ」

 

 一切の躊躇いもなく、()()()()()に突き刺した。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

「──は? え? はぁ!?」

 

 男が露骨に動揺してるのが、声で分かる。

 そりゃそうだろう、鋏で自分に立ち向かってくるのだとばかり思ってたのが、まさか自分自身を刺すだなんて思いもしない。

 

「──っ……」

 

 刺す時とは違い、ゆっくりと腹部から鋏を抜き取る。

 途端に腹部から全身に流れる、熱と痛みと嘔吐感。

 それらの一切に蓋をして──俺は再度、自分の腹に鋏を突き刺す。

 

 突き刺したらまた抜いて、また腹の違う所に刺す。

 何度も、何度も、何度も何度も何度も、俺は自分の身体がどんどん蜂の巣になってくのを自覚しながら、鋏を突き刺していく。

 

「な、何やってんだお前!? マジで気ぃ狂ってるかよ!?」

 

 もはや一周回って心配──じゃないな。この声色は。

 意味の分からない存在に対して抱く、恐怖だ。

 自分自身をひたすら刺し続けるという、意味の分からない行動を前に恐怖している。

 分かるよ。理由が分からない、理解はおろか想像すら困難な存在を前にしたら、驚くのと同時に恐くなるもんだ。

 

 俺も夢見に同じ感情を抱いたからさ……今度は俺がそれをアンタに与える番になった、それだけの話。

 

「ふー、ふー……」

 

 全身から冷や汗が止まらない。

 ぼたぼたと流れる血はその勢いを止むことなく、ともすれば立つ事すらかなわなくなりそう。

 だけど構わない、これで良い。

 

「俺が……鋏の切っ先を持ってるのは……俺が抵抗したから」

「はぁ……?」

「鋏を持って、俺を刺そうとしたお前に抵抗したが、力の差で敵わず俺はお前に刺される。何度も、何度も何度も……だから、お前の指紋がこの持ち手にびっしりある」

「──!? お前、そのために……?」

 

 そう。

 初めから、俺は力でコイツに勝つ気なんて無かった。

 悠が色々気を利かして、格上相手に通用する体術やら何やらを仕込んでくれたけど、元からそれらは全て日の目を見ないスキル。

 

 俺はコイツを叩きのめすんじゃなく、人生を終わらせに来た。

 薬物による昏睡、未成年女子中学生への性的暴行、それらに加えて“殺人未遂”。

 この3つの罪を持って、コイツを一生豚箱にぶち込む。そのために俺の身体を犠牲に出来んなら、それが一番確実なら、何も躊躇う事はない。

 

「ふざけてんのか!? そんな事して死にかけてんじゃねえか!」

「大丈夫です……ちゃんと場所は考えてるので」

「は、はぁ……?」

 

 俺だって無闇矢鱈に刺してるわけじゃない。

 刺された場所は全部──夢見に刺された場所をなぞっている。

 あの日、俺に跨って何度も何度も刺した夢見だが、致命的な傷は避けてると言った通り、俺はどうにか死なないで病院のベッドで目覚めた。

 なら、今回も同じ場所を刺せば、まぁ死にかけはしても死なないだろう。そう思った。

 

 場所については問題ない。

 あの日の……いや、あの日々の出来事はこの時代に戻ってきてからずっと、毎日夢に見ていたから。

 熱さと痛みと吐き気だって、最初に言った通り人は慣れれば全てに置いて事務的になれる物。

 生憎自慢じゃないが、腹を刺される事も、それによって生じる様々な影響も、俺は初めてじゃ無かった。

 

「……別にどうでも良い、勝手に死のうとしてんなら逆に都合良いわ、このまま楽にして──」

 

 動揺しながらも、まずはこの状況を終わらせる事に思考を集中させた男は、改めて俺に詰め寄ろうとする。

 だけど遅い。もう今更過ぎる。

 ここまで、何もかも俺の理想通りにだった。

 

 隙だらけの後ろ姿を晒してた男。

 男が夢見の服の中から取り出して、しっかり指紋を残した上で床に投げた鋏。

 すぐに襲い掛からず、俺の言葉に付き合って経過された時間。

 

 ここまで何もかも俺に都合良く事が運んだのに、今更逆風が吹くわけもない。

 

『小林葉月! 殴り合う様な声と音がしたと通報が来ている、扉を開けなさい!』

 

「──ッ!?」

 

 突如、玄関から聞こえてくる男の声と、ドアを叩く音。

 それがどこに属する人間からの物か、分からないほど致命的な馬鹿ではなかった様だ。男の顔がみるみる青ざめていく。

 

「警察……テメェこうなるのを分かって呼んでたのか!」

「当たり前……でしょ?」

「ふざけんじゃねえぇ──!!」

 

 逆上する男が、衝動のまま俺をぶん殴る。

 もちろん抵抗せずに、俺は顔面を強かに撃たれるが、決して倒れる事はしない。

 

「はい、暴行の証拠もいただきました」

「ッ!? てめえどこまで……」

 

 腹だけじゃなくて、新しく鼻からも血を垂れ流しつつ、俺は初めて男にニヤリと──どっかの情報屋の真似で笑って見せた。

 

「ザマァ見ろ、お前はこれで一生檻の中だ。どうせ叩けば埃しか無いだろお前、死ぬまで税金生活出来るよおめでとう!! ハッピーエンドだなぁ!?」

 

 俺の言葉にまた懲りずに拳を振り上げる男だったが、それが俺の身体に触れる事はもう無かった。

 

「貴様何をしてるんだ!!」

「──離せ! デコが邪魔すんじゃねえぇ!!」

 

 間一髪……と言って良いかは微妙だが、ドアが開いてる事に気づいたであろう警察が2人、タイミングよく俺を殴ろうとする男に飛び掛かり、瞬く間に動きを拘束した。

 悠と綾瀬は……一緒には居ない様だ。まぁ初めからその予定だから問題ない。むしろ今の俺の姿を見せないで済んで良かった。

 

 ていうか、葉月なんて名前してるのなコイツ。無駄に良い名前してるの腹立つわ。立つってより穴だらけだが。

 

「おいテメェ! 殺してやるからこっちこいこの野郎! 来いって──うぶっ!」

 

 どんどん墓穴掘る発言ばかりする葉月は、頭を床に叩きつけられてそれ以上喋るのが出来なくなった。

 誰がどう見ても現行犯なので、ちゃんと後ろ手に手錠も掛けてくれたので、まかり間違ってもこの状況から葉月が逆転できる可能性は、これで消えた事になる。

 

「君、血だらけじゃないか!?」

 

 ついで、警官は俺の惨状を目の当たりにして驚く。鋏はさりげなく床に置いたので、今リビングに来たばかりの警官2人にはちゃんと俺が刺されただけに見えるだろう。

 

「来てくれてありがとうございます、助かりました」

「助かってるもんか! すぐ病院だ! 待ってなさい救急車を呼ぶから──」

「な、何よこれ!!!???」

 

 慌てて救急車を呼ぼうとする警官の声を遮って、一際甲高い声が部屋にこだまする。

 

「何で私の家に警察が……ちょっと、アンタたち人の夫に何してんの!? 離せよ!?」

 

 デカい声が続いたものだから目が覚めてしまったのか、叔母さんが頭に手を添えて痛みに耐える様に起き上がるやいなや、目の前で繰り広げられてる状況にパニックを起こした。

 

 拘束してる警官に掴みかかる叔母さんだが、俺のために救急車を呼ぼうとしてた方の警官が慌てて押さえにかかる。

 2人で口早に叔母さんが葉月の内縁の妻だと確認してから、続けて説得する。

 

「落ち着いてください奥さん、彼は今──」

「離せって言ってるのよ!! 離せよ!!」

 

 まるで話を聞こうとせず、必死になって警官を突き放そうとする叔母さん。警官の顔に猫みたいに爪を立てて引っ掻こうとしてる。

 そんな喧騒の中、とうとう眠らされていたもう1人……夢見も目を覚ましてしまった。

 

「んぅ……頭痛い……どうしたの、お母さん」

「夢見、アンタも一緒に──、何よ、その格好……」

 

 いつの間にかソファに寝てた事自体には無関心なまま、夢見に協力する様に命令するため振り向いた途端、叔母さんの表情が固まり……やがて真っ赤になる。

 

「格好って……え、何これ……あたしどうして!?」

「ふ……ふざけんなお前ぇー!!」

 

 夢見の肌が露わになった下着姿を見て、叔母さんはみるみる目付きを鋭くして、葉月を助ける事なんて頭から抜けたかの様に夢見へ掴みかかった。

 警官が止めるのも間に合わないほどに素早く、夢見にのしかかり、ソファに体重を預けたままその両手で首を絞める。

 

「お前がやったんだろ!? お前がアタシの夫に手出させて警察に突き出しやがったんだな!?」

「お、お母さん……ちが、あたし、知らない……」

「と、ぼ、けてんじゃねえよビッチが!! またアタシの幸せを邪魔すんのかよ!」

 

 後ろから警官が引き離そうとしてるが、怒りで力のリミッターが外れてるのか引き剥がす事が出来ない。

 夢見も必死に抵抗しようとしてるが、酸欠が近くなるごとにその力も弱々しくなる一方だ。

 

「お、おい……お前何して……」

 

 見てみると手錠されて床に倒れたままの葉月も、ドン引きしながら母娘の様子を見ている。

 いや、お前もドン引くのかよ。……いやまぁ、当然の話か。自分の女がこれだけの危うさを持ってる人間だと想像できるだけの頭があれば、絶対金づる扱いでも近づこうとなんてしなかっただろうしな。

 

「おいアンタ! それ以上やると本当に死ぬぞ!」

「お母……苦しい……」

「うっせえよ、苦しんでんじゃあねえ死ねって言ってるでしょ!?」

 

 いよいよ夢見も限界が近くなってるのが顔色で分かる。

 正直なところ、このタイミングで叔母さんが起きて、しかもこんな事態を引き起こすなんて事は想定外も良い所だったけど……逆に好都合かもな。

 “このまま放置すれば夢見も死んでくれるんじゃないか”という黒い考えを振り払って、俺は血が足りなくなってきた体に鞭を入れる。

 

「叔母さん、それ以上はダメだよ」

 

 警官の様に引き剥がすのではなく、夢見の首絞めているその手にそっと触れて、俺は注意を引き付ける。

 

「今度は誰……え、縁君?」

 

 新たな邪魔者の登場に殺意の籠った視線を向ける叔母さんだったが、相手が思いもよらない人だったのもあってか、一瞬だけその表情に理性が戻った。

 

「どうして君がここに……」

 

 よほど驚きだったのか、それでも頭のねじが半分抜けてるだけあって俺が血まみれな事には気付いているの居ないのか、まるで無頓着だ。

 それでも夢見の首を絞める手を弱めるのには成功できた。警官がようやく叔母さんを夢見から引き剥がす。

 

「げほっ……ごほっ!」

「大丈夫か、夢見」

 

 咳き込む夢見に声をかけると、こちらもようやく俺が来ている事に気が付いて、咽て涙を浮かびながらも驚きの表情を浮かべる。

 

「お、お従兄ちゃん!? どうして……それに、血だらけだよ!? なんで? どうしたのそれ……」

 

 あぁ、こちらはちゃんと気づいてくれたのか。

 とにかく死ぬような状態ではないのが分かればソレで良い。

 メインの目的は達成されたし、早く病院にもいきたい。脳内麻薬がいつの間にか仕事して痛みや熱や吐き気は沈静化してる内に、このヒステリック・レディにも収まっていただくとしよう。

 

「叔母さん、夢見は本当に何も知らないんです。叔母さんと同じように葉月(コイツ)に薬を盛られて眠らされて、そのうちにコイツが夢見を襲おうとしたんですよ」

 

 淡々と、しかし的確に事実だけを述べる。

 

「そんな……そんな事……」

 

 警官2人に抑えられながら、瞳をまん丸に見開いて俺の言葉を受け止める叔母さん。

 一見、誤解が解けたようにも見えるだろう。だけどそんな言葉が通じる様な相手ではない事を、俺はもう知っている。

 

「──あんたもソイツもそう言うように誑かされてんでしょうが!?」

 

 ほらね、あっという間に豹変した。

 知ってたよ、こうなるの。だってこの人夢見の母親だぜ? 

 再び暴れだした叔母さんを、警官たちは必死になって押さえつけている。俺はつばを吐き散らかす狂乱女を前にしても冷静に、しかし煽るように、わざと正論をぶつけ続ける。

 

「どうしてそんな酷い事を言えるんですか。自分の娘でしょう? 夢見はただの被害者ですよ」

「あたしが被害者よ! こんな若さで男を誑かすしか脳の無い売女、さっさと風俗にでも行かせればよかった! そうすれば夫はアタシだけを愛したのに!」

「……本気で言ってるんですか?」

「本気も何も事実そうだから言ってるんじゃない! アタシの幸せはいつもソイツに壊されてるの! アタシが幸せになるにはソイツが死ななきゃダメなの! 分かる? 分かるわよね!?」

「お母さん……そんな……」

 

 後ろで絶望する夢見の声が聴こえた。ああ、こんな母親でも一端に絶望出来るんだ。こいつも人の娘なんだな。

 ……ホント、つくづく呆れ果てる。脳みそがチンコにある男と、自分が愛される事しか頭にない女。

 こんな2人に夢見は壊されて、俺の人生は狂わされたんだから。……もう何度も反芻してる思いだが、何回も思い返してしまうほど悲惨なんだから、仕方ない。

 

「はぁ……アンタ、本当に人の親かよ」

 

 言わなくても良い言葉だったが、言わずにはいられない言葉でもあった。

 

「何よその言葉、それにその顔……姉さんとまんま同じ……」

「あー、話がややこしくなりそうな姉妹間コンプレックスは他所で話してください」

「──分かった! お前アイツにここに来いって言われたんだろ!?」

「はい? なんて?」

「とぼけんな! 姉さんがここにきてアタシの家庭を壊して来いって命令したんでしょ!? あの人はいつもそうやってアタシのやることなす事全部否定するんだから!」

「……実の娘否定してるアンタが言える言葉かよ」

 

 思った通りの発狂具合で、もはや自分で何を言ってるのかも分かっていないのがありありと見てとれる。

 ……うん、もうこの辺で良いかな。

 

「俺はね、夢見に前から相談されてたんですよ。母さんが結婚した男は普通じゃない、怖いって」

「え、お従兄ちゃん……?」

 

 困惑する背後の夢見を無視して、俺は話し続ける。

 

「夢見は今日まで、そこで倒れてる男を避けて生活してましたが、今日は誕生日で何されるか分からなかった。だから俺がお邪魔してけん制しようって提案したんです。でもここに来る途中で迷って遅くなって……それでようやく来たと思ったら、夢見は襲われる寸前だったんですよ」

「でたらめ言ってんじゃ無いわよ! ……夢見、アンタ本当にそんな事してたっての!?」

「あぁ、そうですよ」

 

 夢見より先に俺が答えて、そのままくると振り向き、背後のソファで横たわりながら俺を見上げていた夢見に視線を合わせる。

 

「そうだよな? 夢見……」

「お従兄ちゃん……あたし……あたしはっ」

 

 もちろん、今話した事は全て真っ赤な嘘だ。血だらけで真っ赤な俺が言うので物理的にもその通りである。

 夢見はそれを分かった上で、俺の言葉に頷けばどうなるのか──両親、特に母親が捕まってしまう事を理解している。

 こんなに好き放題言われても躊躇ってしまうのは、本当に母親を家族として思っていたからか、あるいは毒親のDV教育による服従精神故か……いずれにせよ、俺に夢見の決断を待つ暇は無い。

 

「夢見。()()()()()()

「──っ!」

 

 ジッと夢見の瞳を見ながら俺は言う。

 それに合わせて、夢見もおずおずと俺の目を見返す。

 

 夢見は言った。俺を追いかけていくうちに、目を見るだけで俺の感情や気持ちを理解できると。

 そしてそれは、あの街で暮らして俺のストーカーをしている間に身に着いたものでもある、と。

 

 ならば、今の夢見にも分かるはずだ。俺の考えてる事、俺の気持ちが。

 もう、この家に固執して夢見のためになるモノは何もない。切り離すべきであり、その最後の決断を選べるのはこの状況で夢見だけ。

 

「──うん、分かった」

 

 ジッと俺の目を見た夢見は一瞬俯いて、次に顔を上げた時には決意に満ちた瞳になった。

 

「お従兄ちゃんの言う通りです。あたしがお従兄ちゃんに助けを求めました」

「──夢見、アンタ!」

「あたしをレイプして、お従兄ちゃんを殺そうとしたんです! 2人が!」

 

 夢見自身の口から放たれる嘘の証言。

 それがこの場の流れを決着させるのに相応しいものであるのは、疑いようも無かった。

 

「やっぱりアタシ達を──ふざけんなぁああああ!! 殺してやる! 殺させろ!」

 

 あんなに自分達をハメたのかとキレてたくせに、いざ本当の本当にはハメられた途端、悲痛な叫びをあげる叔母さん。

 そんな落ちるところまで堕ちた人間を前に、俺から言える事があるとすれば、ただこれだけだった。

 

「ハッピーエンドだね、叔母さん」

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 今まで一番の狂乱を見せた叔母さんだったが、流石にこれ以上好き放題暴れさせるワケも無く、警官達に今度こそ完全に取り押さえられた。

 応援の警官がパトカーのサイレンを鳴らしながら現れて、暴れ続ける叔母さんと、そんな叔母さんの姿を見て無気力になる葉月を連行して、ようやく救急車が呼ばれる。

 それまでの間、夢見はいそいそと服を着直して、俺の容態を心配してくれた。

 

 事情を聴きに来た警官に尋ねたが、今回の話が全て事実なら、計画性を持った醜悪な犯行で、かつ葉月は半グレだから余罪も多く、無期懲役の可能性が大いにあるだろうとの事。

 あくまでも警官の経験則による発言だが、あとは悠にお願いしてこっそり手を回してもらおうかな。

 

 なんにせよ、これでとうとう終わった。

 夢見がこれで歪んでしまうことは無くなって、3年後の惨劇の引き金も消え失せた。

 何か大きな実感があるワケではないが、変わったんだ、未来は確実に。

 

「あぁ……やっと、やっと終わった」

 

 口に出して、耳朶に響かせて、脳で認識させて──ようやく、俺は夢見が戻ってきてから続いてきた悪夢から解放されたのだと、心から思う事が出来た。

 

 だから、なのだろう。

 

 

「──ッ!!??」

 

 途端に、現実が俺を包み込む。

 

「──お従兄ちゃん!?」

「どうしたんだ君!? ……なんて出血量だ、マズいぞ! 君今までこんな怪我を我慢して……!?」

「救急車を急がせろ! 間に合わないぞ!」

 

 パニックが戻ってきた周りの喧騒が、やけに遠くから聴こえる。

 それも仕方ないか。だって、俺の意識が薄らいでるんだから。

 

 いつの間にか俺は倒れていたらしい。

 お腹から、ものすごい量の血が流れてるのが薄ぼんやりと見える。

 

 ──身体が、重い。

 

 鉛のようになった身体をくるっと回して、仰向けになる。

 隣で夢見が泣きながら俺の名前を連呼しているが、何も答えられないのがもどかしい。

 

「なんだ君達は、ここは今入っては──」

「縁の友人です! いったい何が──おい、嘘だろ!?」

「縁! いやぁあああ!」

 

 ──おいおい、なんでこのタイミングで悠と綾瀬まで来ちゃうかな。

 

 必死に俺に声をかける3人。はは、申し訳ございません。駄目ですこれ。

 何度も死んで来たから分かる。この感覚は“死ぬことが決まった”時のモノだ。

 おっかしいなぁ。夢見が刺した場所と寸分違わぬ場所を刺したつもりだったけど、アイツのいう事がそもそもいい加減だったかな? 

 いや、違うか。そういやアレは3年後の俺の身体の話で合って、中2の今の俺の体系では成り立たない話だもんな。

 

 なぁんだ、結局俺は自業自得で死ぬのね。

 せっかく、ここまで来れたのに。

 やっと未来が見えたのに。

 

 はは、本当に、本当に、くだらない。

 

 

 

 ──でも

 

 

 

 ああ。

 死にたく無い。

 

 

 

 ──これで、死んだみんなの所に行けるなら、良いかな

 

 

 

 ――to be continued




次回、正真正銘の終章最終回です。


厳密には最終回、エピローグ+あとがきの順で更新予定です。

事前の通知ですが、エピローグとあとがきについては同時に更新するので、目次から見て頂くようにお願いします。

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