【完結】ヤンデレの女の子に死ぬほど愛されて眠れない兄になって死にたくなってきた   作:食卓塩准将

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久々に2万字行きました。暇がある時に読んでください


第17病 moratorium【2】

 

 渚と映画館に行った翌日。週が明けて月曜日。

 今週は水曜まで学園のテスト期間だ。

 4時間ぶっ通しでテストがある代わりに、午前中で終わる。

 

「野々原ー、帰りカラオケ行こうぜ」

「おー、良いね。駒澤と俺と、あと誰行くの?」

「山菱と七宮」

「七宮……七宮かぁ」

「え、嫌だ?」

「あぁ違う違う、別の人思い出してただけ。行くよ、久々に歌うべ」

 

 となるとまぁこの通り、普段は部活動で時間が合わない友達とも、この期間は一緒に遊んだり、帰りに寄り道が出来る。

 ……まぁ、学園側は絶対この時間をテスト対策に割り振らせたいんだろうけどね。

 

 そんな都合、今目の前の楽しさを満喫する事だけに全力な男子中学生に通るわけもなく、俺は遊びの誘いを素直に受けてカラオケに向かった。

 

「……」

「……」

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 翌週、水曜日。

 

「なあ野々原、今度の休みどっか行かね?」

「日曜は妹と遊ぶ約束してるから、土曜なら良いけど……どっかって何処よ」

「今計画中。崎山が中華街、伯方は箱根の温泉行きてえってさ」

「伯方、アイツ渋いなぁ……温泉好きなんだっけ?」

「さぁ? アニメの影響か何かじゃね」

「あー、ありそう」

「お前も行きたいとこある? 正直温泉は避けたい」

「ん……あんま候補増やしても決めるのだるいし、行くなら中華街かな。あ、日程合えばそのままスタジアム行って野球観戦とかどうよ」

「野々原それアリ。今年優勝あり得るし、行きたかったんだわ」

「ちょうど良いじゃん、それなら決まりで良くね? 俺あとで日程調べるよ」

「最高、んじゃ放課後にアイツらにも伝えるわ」

「おーう」

 

 ちょうど予定空いてたし、チケットに余裕あるかだけ確認しないとな。

 ちなみに俺の記憶が間違ってなければ、今年は地元の球団が10数年ぶりに優勝する年なので、多分勝ち試合が見られるだろう。

 

「ふふ、ちょっと楽しみ」

 

 

「……」

「……」

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 そのまた翌週、金曜日の放課後。

 今週の土日は何も予定が決まって居ない。大人しく勉強か、夢見を助ける計画の確認をして過ごす事にしよう。

 あぁ、もしくはちょっと東京まで行って神保町で本屋巡りとかもアリかな。せっかくだし渚を誘ってみるのも良いよな。

 

 そんな事を思いつつ、校門を出てまっすぐ家まで帰ろうとした矢先、

 

「縁、待ってたよ」

「……」

 

 綾瀬と悠の2人が、立ち塞がる様に俺の前に現れた。

 何故だろう、少し2人とも怒ってる様に見えるけど……。

 

「えっと、どうした2人して……」

 

 綾瀬は部活動、悠は通学路が違う(というか迎えの車で帰る)都合上、この前までのテスト期間以外は一緒に帰る事が少ない。

 特に綾瀬は運動部だから地区大会もあるので、この時期に既に帰る用意してるのは珍しい。

 

 そんな綾瀬。数歩詰めよって目の前に来てムッとした表情のまま、

 

「この後、予定空いてる? 空いてるわよね? 空いてないなんて言わないわよね?」

 

 有無を言わせない勢いで詰問して来た。

 ここで敢えて「空いてない」なんて答えたらどうなるんだろう、滅茶苦茶怒るんだろうなぁとか余計な事を考えてみるが、絶対に口に出してはいけない。

 

「あ、空いてるよ……大丈夫」

 

 そう答えるや否や、綾瀬は俺の左手首をぎゅっと掴んで、ずいずいと歩き始めた。

 当然、それに引っ張られて俺も強制的に綾瀬の後ろをついて行く事になる。

 

「うわわ、ちょっと綾瀬、逃げたりしないから引っ張るのやめて」

「やだ」

「やだぁ!?」

 

 いつになく直情的な言動に動揺しつつも、高校時代の綾瀬とは少し違う姿に新鮮味を覚えてしまう。

 

「諦めて連行されるんだね」

 

 隣を歩く悠も、普段より少し冷徹な雰囲気だ。

 なんだろう、俺、気づかないところで2人の逆鱗に触れる事言ったり、行動したのだろうか。

 

 自分の今日までの行動を振り返って地雷踏んだ事が無かったか思い出しつつ、綾瀬の意のままに歩き続ける。

 途中、周りの人から変な目で見られたりして大変恥ずかしかったが、手首を振り払ったりすれば最後どうなるか分かったものでは無いので我慢した。

 

 そうして約15分程経過した辺りで、ようやく綾瀬は歩みを止める。

 目的地に到着したのだろう、辿り着いた先を確認すると──、

 

「え、カラオケ?」

 

 意外にも……というか、予想なんて無理だろうが、綾瀬の目的地はカラオケだった。2週間前に俺がクラスメイトの駒澤達と行った場所である。

 そのまま店内に入り、悠が受付でやり取りをして、俺たち3人は1時間のコースで部屋に案内された。

 

 部屋の扉を閉めて、照明を付けると、ようやく綾瀬は掴んでた手を離してくれた。ここならもう逃げられない、と言う判断だろうか。

 

「さて、じゃあ座ろうか」

 

 悠が促すのに対して、先に色々説明する事があるだろうと問い詰めたかったが、それをグッと堪えて椅子に座る。

 悠はテーブルを挟んで俺の向かい側の椅子に、綾瀬はピッタリ俺の隣に、それぞれ腰を落とした。

 

「さて──流石に君もなんでこんな状況になってるのか、分からないと思うから……まず単刀直入に理由を話そうか」

「頼む、切実に頼む」

「ちなみに、君の中で思い当たる節はあるかい?」

「それを考えながら来たけど、特に2人を怒らせる様な行動に思い当たらない」

「うん……そうだね、確かに君は何もしてない。そして、まさにそれが理由だったりするわけで」

「……?」

 

 何もしてないのが理由? 

 え、もしかして──俺が解答らしきものに思い当たるのと同時に、悠が言った。

 

「ズバリ、ここ最近の君──僕らを蔑ろにしてないかい?」

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

「2週間前は駒澤君達とここでカラオケ。1週間前は同じく駒澤君、それにカラオケとは違うメンバーで横浜。……君の交友関係が広いのは好ましい事だ。明日からの休みも、何か予定はあるのかな?」

「いや、無いから家で勉強するか、渚を連れて神保町まで本探しでもしようかなって──」

「どうしてそこで僕や綾瀬さんを誘おうって選択肢にならないのさ!」

「そうよ、渚ちゃんとは毎週遊んでるのに!」

 

 あー、やっぱりこう言うことか〜! 

 俺は何もやってない。むしろその『やってない』のがダメだったわけだ。

 

 め、面倒くせぇ〜〜〜! 

 

「貴方今、絶対面倒臭いなこいつらって思ったでしょ?」

「いや、そんな事はない」

 

 嘘だ。

 

 だけど、疎ましくは思わない。

 面倒かもしれないが、この面倒さは同時に猶予とも言えるからだ。

 

 悠はまだしも、綾瀬がこうやって素直に寂しさをアピールしているのはまだ彼女が十分にヤンデレ化してない事を意味している。

 もし、これが3年後の──まだ俺と正式に交際する前の綾瀬だったなら、こんな可愛げのある行為には収まらないのは、想像に難くない。

 

「……まぁ、確かにこの3週間、2人とは業間や昼休み以外で深く接する事は無かったと思う」

 

 だけど、それには大きく理由が3つある。

 

 1つは、3年前と3年後の交友関係で違いがあった事。

 具体的に言えば、俺は中学生の頃、色んな奴らと幅広く仲良しで居ようと思う節があった。友達100人とは言わずとも、クラスで良くある大きなグループと小さなグループのどちらかに属すのでは無く、誰とでも仲良くしたい、そんな感じだ。

 ここだけの話、転校したばかりのバチバチしてた悠に積極的に関わろうとしてたのも、当時(この時代では数ヶ月前)の俺がそういう人間だったから、て所がある。

 

 そこから時間を掛けて、高校生から俺は自然と友人の輪を狭めていった。仲が悪くなった訳じゃない。意見の対立とかでも無いが、誰かれ構わず皆と仲良くしたいって気持ちより、俺の中で『コイツともっと一緒に居たいな』と感じる奴との付き合いを重視し始めたんだ。

 その結果、交友関係は中学時代の5割以下になって、その中でも1番一緒に居てしっくり来るし楽しい悠と過ごす時間が多くなった。

 

 そうやって狭まった交友関係に慣れきっていた俺だが、またこうして幅広く色んな奴と遊んでるうちに、3年後の俺が忘れていた一人一人の面白い所や、そいつらと遊んでるからこそ味わえる楽しみとかを再発見してしまった。

 

 結果、俺は自覚しないうちに2人との時間を削ってしまった。

 

 それと、特にこの状況になって思ったが、3年後と今で最も違うのが園芸部の有無だ。

 園芸部自体はこの時代からあるものの、そこに俺と悠と綾瀬(それに渚)が一堂に会する事で、俺達は毎日コミュニケーションを交わす事ができた。綾瀬と渚が最終的にどちらかを殺す様な結末にならなかったのも、園芸部で積み重ねた時間が関係してるハズ。

 

 ──とまぁ、ここまで長々と講釈垂れたのは自分に責任がある理由についてだ。

 

 残りの2つについては、正直俺に悪い所は無い。

 なので、素直に言わせてもらう。

 

「だけどな、まず悠、俺はお前を誘おうと思う事が普通に何回もあったけど、ここ最近は家の都合か何かで平日も忙しそうだったじゃないか。放課後にすぐ帰る事なんてザラじゃなかったろ」

「ん……それはそうかもしれないけど」

「休日だって、寂しいなら俺が他の奴と遊ぶ約束してる時に『僕も混ぜて』とか言えば良くないか?後は、俺以外にも男子はいるんだから誰かと遊ぶ約束すれば良いだけじゃないか」

「ぼ、僕はまだ学園に来て半年も経って無いんだ、まだ友達と呼べるだけの関係になってる相手は君しか居ないし……混ぜてなんて気軽に言えないよ……」

「あのな、普通半年じゃなくて2ヶ月も同じ教室に居れば、自然と交友関係は広がるの。お前が俺以外に親しい奴できないのは、転校したばっかの頃に自分から貴族ムーブして壁作ったからじゃねえか」

「うぐっ!? ──君、僕が1番気にしてる事を……!」

 

 言ってしまえばコイツの交友関係の狭さは自業自得だ。

 転校した頃と比べたら今は物凄く性格は丸くなってるし、面白いところがある奴ってのは知れ渡ってる。

 けど、それでも第一印象で刻み込まれた……と言うか悠が自ら刻み付けた庶民と貴族の溝を飛び越えて、仲良くしようと声を掛ける勇気がある人は、この時代ではまだかなり少ない。

 何なら3年後でも、今と比べてだいぶ周りに馴染んでこそいるが、まだ貴族相手だから、と話しかけられない奴がいる。特に女子で。

 

 だが、飛び越える勇気が無いだけであって、実際のところ嫌われてるのかと言えば、全くそんな事は無い。むしろ――、

 

「お前の事気になってる奴、結構多いんだぞ男女問わずで」

「そ、そうなのかい?」

「そうだよ、特に女子なんて『普段の綾小路君ってどんな感じなの?』とかよく聞いてくるし……アイツらも俺に聞くんじゃなくてお前に直接聞けばいいのにな」

「……そうだったんだ」

「とにかく、お前はもう少し俺以外の友人作る事も考えようぜ。俺はお前の事一番の親友だと思ってるけど、だからこそ言わせてもらう、俺の友人はお前だけじゃ無いんだ」

「う……うん、そうだよね」

「これからは気にせず声かけて行こうぜ。あと、俺も誘われた時に悠も混ぜて良いか聞くからさ」

「……ありがとう」

 

 ちょっと最後は突き放す様な言い方になって申し訳ないが、良い機会だから言わせてもらった。

 思い返せば、悠は3年後の時点でも俺以外に積極的に遊ぶ相手がどれだけ居ただろうか。もしかしたらこの当時から俺ばっかり一緒だったから、高校2年生になってもあまり変わらない交友関係になってたかもしれない。

 

 それなら、これを機に悠がもっと色んな奴と関わって、皆がもっと悠の良さを知って欲しい。

 その結果、悠が俺以外の奴と俺以上に仲良くなったりしたら──まぁ、その時は今回の面倒臭いムーブを真似させてもらうさ。

 

 さて、悠を納得させる事は出来た。

 お次は綾瀬だが……正直、綾瀬の方がより正論をぶつけやすい。

 

「綾瀬、平日部活終わって17:30過ぎにやっと下校するお前を放課後に遊びに誘うなんて、逆に出来ると思うのか? いくら幼なじみで隣の家同士と言っても、絶対俺綾瀬の両親に怒られるぞ」

 

 高校生ならまだしも、中学2年生じゃ絶対無理だ。

 特に今は10月中頃、5時過ぎたらあっという間に日が暮れる。そんな中中学生2人で遊ぶなんて非常識だろう。

 

「……なら、休日はどうなのよ。あたしはクラスも違うから貴方が普段誰と約束してるかなんて知らないから、混ぜてなんて言えないわ」

「土曜日だってお前部活あるじゃんか……」

「日曜日は無いのよ? それなのに貴方、ここ最近はいっつもいっつも渚ちゃんとばかり出かけて……いくら妹だからって特別扱いし過ぎじゃないの!?」

「あー……なるほど」

 

 綾瀬の場合、不満の本質はソコか。

 平日休日の時間じゃない。同じ時間を共有するのに都合が悪いのは綾瀬も理解している。

 問題は数少ない一緒に過ごせる時間……つまりは部活のない日曜日を、自分ではなく渚と過ごしてる事に不満を持ってるんだ。

 

「渚とは意識して一緒に過ごす時間を増やしてる。実をいえば最近は毎日夜一緒に寝てたりもする」

「──っ、なんでよ……妹だからって甘やかしてたら、兄離れできないでしょう?」

「いいや、むしろ兄離れを起こすためにこそ、一緒の時間を作ってるんだよ綾瀬」

「どう言う事? 意味がわからない」

「例えば、物凄くどら焼きが好きな人が居たとして、親が無理やりどら焼き食べるなと言って食わせないで居たら、その人はどら焼きを食べなくなると思うか?」

「……食べなくなるんじゃないの?」

「そうだな。だけどあるいは、親が期待する方向とは違う行動を取る可能性がある」

 

 親の言う事を嫌だけど聞いて、そのまま食べない様になる子はいる。

 だが、中には親の前だけでは食べない様に振る舞って、隠れて食べる様になる子も居るだろう。

 または、独り立ちして親の目が無い環境になってから反動で馬鹿喰いするかもしれない。

 

 逆に案外、好きな物を取り上げるより与えてる方が、勝手に食べなくなる事もある。

 幼い頃、好き好んで食べていた物を今も変わらず全部好きだって人がどれくらい居るか。

 

 これらは別にどら焼きに、ましてや食べ物限った話でも無い。

 好きな物はそのうち普遍的な存在になり、特別な時間はありふれた日常に変わる。

 渚が兄を求めるヤンデレになったのは、両親が不在な家庭環境と、唯一頼れる肉親である兄が自分との時間を蔑ろにしたから。

 それなら、今のうちに飽きる程一緒に過ごして、兄がいるのは当たり前だと言う認識に促す方が良い。

 

 北風と太陽の逸話にもある様に、何事も無理やりより促す方が上手くいくものなんだ。

 

 ──と言う事を、そのままでは無いにしろかいつまんで綾瀬に説明した所、不承不承ながら一応の理解は示してくれた。

 

 それはそれとして、綾瀬との時間が少なくなってる事それ自体はそのままだ。

 とは言え、ここまで来たら後はシンプルだ。

 

「最初に言った通り、土日のどっちかで神保町行こうと思ってるけど、まだ渚には声かけてないんだ。古本屋と美味しいカレー屋さんしか連れて行ける場所無いけど、良ければ日曜日行かない?」

「……渚ちゃんも一緒にってのは無しね」

「うん」

「他に誰も誘わないこと」

「誘わないよ、2人だけだ」

「……駅に11時集合。遅れたら許さないから」

「オッケー、30分前に待ってるから」

「10分前で良いわよ……約束だからね」

 

 ――解決!

 

 つまるところ、綾瀬と2人きりの時間を作れば良い、それだけの話である。何も特別な事は必要ない。

 

 これでどうにか、突発的な2人の不満に対してのケアは終わった……のだけど、これでお終いにするのはダメだと思う。なので……。

 

「それじゃあ、2人の主張は終わったんだし、せっかくカラオケに来たんだから、歌おうか」

 

 マイクとタッチパッドを手に取り、2人に二ッと笑いかけながら言った。

 実の所、駒澤達とカラオケ行った時も、2人が居れば何を歌うかなって何度も考えたし、誘えば良かったと何度も思った。

 

 それに面倒だなんだと言ってはいるが、こんな風に行動で気持ちを示してくれたのが物凄く嬉しかった。

 だから俺も、ここぞとばかりにちゃんと思ってた事を言おう。

 

「言っとくけど、寂しさを感じてたのがお前らだけだと思ったら大間違いだ! 今日は最近遊べなかった分まで、しっかり付き合って貰うから!」

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

「──あー、歌った歌った。もう喉ガラガラ」

「凄いしゃがれ声。絶叫みたいな歌ばかり選びすぎよ」

「JAMプロの曲は無理だよ僕には……」

 

 楽しかった。普段は聴くだけで歌ったことのない曲だけを徹底的に選んで、悠も巻き込んで熱唱した。

 その結果見事に男2人は声帯がボロボロになったが、まるで悪い気はしない。

 

「あははは、こんなになるまでデカい声出すの久しぶりだったなぁ」

「この前行った時はどうだったの?」

「流行の曲ばかり歌ってたから、人数も多いしそこまで喉痛くなる事はなかったよ。それに」

「それに?」

 

 首を傾げる綾瀬に、俺は続けて言った。

 

「それに、やっぱりさ、全然違うよな。綾瀬と悠相手にする時と、それ以外ってなると」

「えっと……つまりどう言う事?」

「駒澤達とも当然仲はいいから自由に歌えるけどさ、それでもやっぱり“これはやめとくかな”とか“ある程度テンションは抑えとこう”みたいな事は考えちゃうんだよな」

「ふんふん。それで?」

「たぶん俺の中で“まだココまでしか自分を見せない”てセーフラインがあるんだよ。んで──」

「僕たち相手ならそれが無い、という事だね」

 

 間に入ってきた悠が、何故か誇らしげに、しかし俺の言いたい事をまとめてくれた。

 

「そゆこと。だからつまり──」

「今日、アタシ達と歌った時間の方が楽しかったって事ね」

「……はい、そゆことです。──ていうかお前らそれを言わせたいだけだろ!?」

 

 これ以上誘導尋問の様な会話の流れが続くと、もっと恥ずかしい事までツラツラと言わされそうだ。

 でも良かった。俺は恥ずかしい事を言ってるけど、歌う前までの綾瀬と悠が溜めていたフラストレーションはすっかり消えている。

 あとは、俺が決して2人を蔑ろにするつもりは無いって明確にアピール出来ればベストなんだけど。

 

 ……そうだ、一つ閃いた。

 

「悠、今何時?」

「16時42分だね。どうして?」

 

 腕時計を見て即答してくれた悠の疑問には答えず、俺は続けて2人に問い掛ける。

 

「この後、まだ2人とも時間ある? 行きたい場所があるんだ」

「アタシは全然平気」

「僕もだよ」

「そっか。ならちょっと早歩きで移動しよう。日がまだ沈まないうちに行きたいんだ」

 

 そう言って早歩き──やや駆け足で、俺は2人を目的の場所まで案内し始めた。

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

「さあ、着きました」

 

 街外れにある高い丘の頂上。やや急な坂を登った先には自販機1台とガードレールに囲まれた駐車場だけ、後は樹々に覆われて何も無い。

 時間が時間だったので、途中から走って来たのもあり、俺達全員が肩で息をしている。

 

「着いたって言うけど……縁、まさか君の目的地がまんまこの場所ってわけじゃないよね?」

「もちろん」

「……日が登ってる内って言うから、走ったけど……ここ何もない様にしか見えないわよ?」

「ここからすぐ先にあるんだ」

「先? 周りは木しかないじゃない」

「その木の先って事さ。ほら、着いてきて」

 

 有無を言わせない勢いで、俺はガードレールを跨いで木々の奥へと進む。

 2人も、色々言いたい事はあるのを我慢して、素直に後ろに続く。

 

 “最後”にこの道を歩いた時には面に落ち葉が絨毯の様に敷かれていたが、秋の深まる季節なのもあって、足元にはどんぐりや松ぼっくりの方が多くなっていた。

 陽光を遮る様に樹の枝葉がうっそうと茂る、手つかずの道なき道。以前は後ろにガミガミ文句を言う女の子が居たけど、今回は特に文句なく着いてくる親友と幼なじみ。

 

「……色々印象変わるな」

「え、なに?」

「んーん、何にも……あっほら綾瀬、見えてきた」

「見える? なにが──うそ」

 

 前回と同じく約3分程歩き通し、本当の目的地にたどり着く。

 沈みかけの、一際強い夕焼けに染まる街並みが、薄暗い木々の先で俺たちを迎えてくれた。

 幼少期に、ひとりで何度も見てきた茜色。3年後の未来で『街を案内しろ』と駄々をこねた咲夜にしか見せた事が無くて──当然この時代には誰とも共有しなかった、野々原縁の特別な場所。

 

「綺麗……街がぜんぶ見える」

「ここだけ木に覆われて無いんだね。偶然にしてはできすぎてる」

「だろ? 俺の今まで誰にも見せたことが無い、お気に入りの場所なんだ。……あ、一応ここ崖っぷちだから気をつけてな」

 

 軽い注意喚起をしつつ、俺もひさしぶりの景観を眺める。

 家やビル、移動する車、歩く人──生きてる人間の営みが、斜陽の中で活き活きと映っている。

 その景色をもっと近くで見たくなって、気がつけば足が一歩、また一歩と、崖の手前まで歩みを進めていた。

 

「お、おい、君が危ないって言ったんじゃないか」

「はは、大丈夫だって」

 

 慌てて悠が止まるように言うのを、笑いながら聞き流す。

 あと一歩で足の踏み場が消える、そんなギリギリまで近づいて、俺はくるっと振り向いて、景色ではなく2人を見た。

 

「ここを、この景色を、2人にも見て欲しくなったんだ。誰にも見せた事の無い景色。俺だけが見ていたものを」

「……それって、今日アタシ達が詰め寄ったから?」

「うん。俺はこれから先、色んな人と出会って関わりを持つ事になっても、この景色を見せようとは思わない。きっとこの先見せるのは、渚と……」

「……縁?」

 

 ふと、考えて言葉が止まった。

 渚と、園子と、咲夜──もし彼女達に見せる様な機会があるとすれば、それはきっとこれから何年も先の話だ。

 夢見を助けて、3年の時を過ごし直して、また園芸部に入って──。

 

 ──でも本当に、そんな時間を過ごせるのかな。

 

 夢見を助けて、3年後の未来を変える。──つまりそれは、夢見にみんな殺されるだけじゃなくて、もう園子や咲夜との縁も尽きるって事になるんじゃないかな。

 

 本当に、またみんなと楽しく過ごせる未来なんてあるのか? 

 

 今は楽しい。間違いなく楽しい。

 歌って、走って、綺麗な景色を共有して──今日だけじゃ無い。俺がこの時代に戻ってから過ごす時間の全てが、たったの3週間の全てが、泣きたくなるほど幸せな時間だった。

 

 でもそれって来年も続く幸せなのか? 

 

 前世の記憶を思い出して、渚と喧嘩したけど仲が深まって、園芸部と言う居場所が生まれた。

 ──辛かったけど幸せだった。

 

 咲夜が来て、学園がめちゃくちゃになって、園芸部も悠も失いそうになったのを何とか止めた。

 ──辛かったけど何とかなった。

 

 綾瀬と渚が殺し合って、自分の感情と向き合って、誰も死なせないまま綾瀬と恋人になれた。

 ──辛かったけどもうこれから先は幸せしかないと思った。

 

 夢見が来て、みんな死んで、死んで、死んで、死んで殺されて苦しくて悲しくて辛くて憎くて泣きたくて嘆いてもがいて絶望して死にたくなって、それをどうにかしたくて過去に戻った。

 

 ──そこから夢見を助けたあと、俺に待ってるのは幸せなのか? 

 

 ──また、俺は幸せのために辛い思いを繰り返さなきゃダメなのか? 

 

 もし、俺の幸せが何か大きい苦しみの果てにしか生まれないのなら。

 辛い思いをしなきゃ幸せになれないと言うのなら。

 

 俺、夢見を助けた後、わざわざ生き続ける必要なんてあるのか? 

 だって、今が幸せなんだ。今が優しいんだ。今が楽しいんだ。今が暖かいんだ。

 

 夢見は助けなきゃいけない。俺はそのためにここに来たんだから。

 だからそれはやるつもりだけど、じゃあその先は? 夢見を助けて変わってしまう未来で待ち受ける辛い出来事を、どうして俺は無条件で受け入れなきゃいけないんだ? 

 その先に『今以上の幸せ』があるなんて、何の保証も無いのに。

 

 それだったら──確実に幸せと楽しさしか無い“今”のまま、この幸せの絶頂の中で死んでしまった方が──、

 

 

「縁」

 

 ふと、手に暖かい感触が伝わった。

 ハッとして見ると、綾瀬が泣きそうな顔で俺の前まで来て、右手首を握っている。

 

「ど、どうした?」

「……」

「お、おい……」

 

 綾瀬は何も言わずに、俺をぐいぐいと雑木林の方へと引っ張るばかり。

 悠もやや困惑してるようで、俺と綾瀬を交互に見つつ、最後尾をついて行く。

 手を振り払う事は簡単だけど、ひたすら前を歩きながら俺の手首を握る綾瀬の手が、小刻みに震えているのに気づいて出来なくなった。

 

 駐車場のところまで戻ったところで、ようやく綾瀬は俺の手を離す。顔は前を向いたまま、こちらを振り返らない。

 

「──ごめんなさい。でも、ああしないと貴方が……」

 

 綾瀬はそこで一度言葉を止める。

 続きを話すのを待つけど、全く話そうとしない。

 

「……綾瀬?」

 

 促す様に名前を言うと、綾瀬はやっとこちらに振り返って、声を少し震わせながら言った。

 

「ああしないと、貴方がどっかに消えてしまう様な気がしたの」

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 ──ひとまず場所を移そう。

 

 悠の一声で俺達は一旦街中に戻ることにした。

 丘から降りて住宅街に入る頃には太陽も完全に沈みきっていて、茜色の空は僅かな光の残滓が生み出すブルーモーメントの空に模様替えして、下弦の月が煌々とその存在を主張し始めていた。

 

 月光と街の照明が照らす道を、俺たち3人はトボトボと歩く。

 

「縁……あなたさっき、死んでもいいって考えてた?」

 

 隣を歩く綾瀬が、急にそんな事を聞いてきた。

 

「……そんな事、思ってないよ」

 

 嘘だ。

 顔は平然を装うが、心臓がばくばくと強く鼓動を打つ。

 綾瀬の言う事は正しい。俺はたぶん綾瀬に手を握られるまで本気で死んでもいいって頭になっていた。今は違う……違うと、思う。

 

 同じ事が前にもあった。

 ごく普通の会話、楽しい時間、幸せを感じる1秒と1秒の刹那、そのほんの僅かな思考と思考の縫い目に、抱いてはいけない感情が──強烈な自殺願望の様な物が、頭と心を支配しようとしていた。

 

 景色を見ながら崖の方へ歩いて、振り返ってから2人の他にこの景色を見せたい相手は誰かを考える、その時までは平気だった。

 だけど考え始めて、未来がどうなるのかを考えて……将来どうなるか分からなくなって、今死んだ方が幸せなんじゃないかって考えが頭をよぎった。

 

 あり得ない、あっちゃいけない。この前も渚の笑顔を何年も見ていきたいと思ったはずの自分が、抱くわけもない思考。

 だけどあと1秒でも綾瀬の手が握られて居ないまま、あの思考が続いて居たら、俺は躊躇いなく足を半歩下げて崖から落ちる事を選んで居たに違いない。

 

 それもきっと、満面の笑顔で。

 

 否定したいけど、出来ない。今の俺は看過できない問題を抱えている。

 夢見を助けるか助けないかの葛藤は、頭と心の不一致から起こる物だった。

 だけど今やっと判明出来たコレは違う、これはきっと……精神的な問題だ。根性とかじゃ無い、突発的な自殺衝動……希死念慮がいつの間にか俺の中に巣食っている。

 

 未来を変えてみんなと生きていく為に頑張ろうとする、そのすぐそばで、幸せなうちに死にたいという考えが徐々に大きくなっているんだ。

 いつの間にこの希死念慮が生まれたのか、明確なタイミングは分からないが、原因はどう考えても3年後の夢見から受けた仕打ちに違いない。

 

 嫌になっちゃうなぁ。

 俺はここにきて、また煩わしい心の問題と向き合わなきゃいけないのか? 

 そうまでして生きなきゃ──あぁ、これだ。またいつのまにか顔を覗かせてくる。

 

 ダメだ、きっとこのままだと、俺は夢見を助けた後に──いや、あるいはそれを待たずに、自殺する。

 

 吐き出さなくちゃ、誰かに聞いてもらわなきゃ、器から溢れるんじゃなくて、器が壊れてしまう。

 

「──っ」

 

 だけど、そのまま俺が未来で起こった事をこの2人に話すのはダメだ。

 誰かにそう言われたわけじゃないが、未来に起こる事を詳らかに話すのは恐い。

 

 信じて貰えなきゃ、精神的におかしくなったと見做されて病院送り。

 信じて貰ったとして、将来どれほどのリスクが生じるかまるで分からない。

 

 “輪廻転生って信じてる? ”とかつて俺は何度も渚や綾瀬達に“頸城縁”の事についてカミングアウトした事はあったが、あれは話した所で実害が生じるのは俺だけだから可能な行為だった。

 でも、未来は俺の周りの人間関係全体に響く物。明確に未来の事を伝えた結果、俺の知らない未来に変わってしまうのは嫌だ。

 

 悠はまだ平気かもしれない。

 だけど綾瀬や渚にまで未来の事を話してしまうとなれば、前世の記憶を思い出してから過ごした、薄氷の上に設置された地雷原を突破する様に走り抜いたあの日々が、完全に消えてなくなる可能性が大いにある。

 

 誰も死ななかったあの奇跡の様な日々をなぞる事が出来ないとなったら……夢見を助けても意味が無い。そんな事は耐えられない。

 

 俺は3年後に夢見によってみんなが殺されるのを止めたいだけであって、3年後を何もかも別の世界に変えたいわけじゃないんだ。

 

 しかし、一度俺の中に強烈な希死念慮があると自覚してしまったからには、もうずっと言わないままになんて居られない。

 

 ならどうするか──、

 

「……なぁ、2人とも。今日この後夜まで時間くれないか。俺の部屋に来て欲しいんだ」

「え?」

「な、なんだい?」

 

 全てを詳らかに話すのは無理。

 このまま胸に抱えるのも無理。

 なら──出来る事は一つしかない。

 

 嘘と真実を織り交ぜて、話す。

 今まで渚や綾瀬の追求から逃れる為に俺がやってきた事だ。

 

「2人に、相談したい事があるんだ」

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 流石に時間が時間だったのもあり綾瀬はご両親に、悠は電話で世話役の人に、そして俺は母さんと渚に、それぞれが許可を得た上で夕飯を食べてから、俺の部屋に集まる事になった。

 

 綾瀬は自宅で食べたが、悠は母さんがせっかくだからと一緒に食べる事になり、母さんが学園の俺の様子を根掘り葉掘り悠から聞こうとしたので焦った。

 ちなみに部屋に集まる理由としては“俺の進路についての相談”としている。まんまその通りではないが、あながち嘘でもない。

 

 渚が自分も話を聞きたいと主張するので宥めるのに苦労したが、母さんが『渚の進路についても話す事にしましょうか?』と助け舟を出した事で、自分の学校の成績について聞かれる事を嫌がった渚は渋々諦めてくれた。

 

 

 とにもかくにも、急な俺の要望にも関わらず、柔軟に対応してくれた2人に感謝したい。

 食事も終わり2人が部屋に集まる。俺は椅子に腰を掛けて、ベッドの端に座ってもらった2人に言った。

 

「この前から、同じ内容の夢ばかり見るんだ」

 

 夢、俺の経験をそう表現して2人に伝える事にした。

 高校生になった自分達が、街に戻ってきた夢見に殺される事。

 何度も、何度も何度も、殺されるまでの経緯は違うけど最後は必ず殺される。抗っても逃げても変わらず、繰り返しが重なるほどに残酷な結末になる事。

 夢見から街に戻るまでの過去を聞かされて、それが殺人鬼になる原因になっている事。

 

 園子や咲夜、園芸部関連、そして何よりも綾瀬と恋人になった事については当然言わないが、とにかく夢見がヤバい奴になって帰ってくるから、そうなる前に止めなきゃいけないって事を、夢という形で話す。

 

 話の間、2人がどんな顔で俺の言葉を聞いてたかはあえて見なかった。

 

「──そんな感じの夢を、毎日見てる。最初は気のせいだと思う事にしたけど、あまりにもリアル過ぎて、ずっと頭から離れないんだ」

「それじゃあ、さっき急に変になったのも、最近ずっと様子がおかしかったのも、本当はその夢が理由なのね」

「うん。夢があんまりにも酷過ぎて、目が覚めた時みんなが普通に生きてるのが奇跡みたいでさ。……幸せ過ぎると中毒起こしちゃうんだね、人って」

「悪い夢を継続的に見てしまう事で生じる心の病は確かにあるね……悪夢障害ってまんまな名前だけど。あとは君の場合、夢があまりにも現実味を帯びてたからPTSD……極端なストレスを原因に起こすものだけど、それに似た物にもなってるかもしれない」

「詳しいんだな」

「にわか知識だよ、でも少なくとも君が見てる夢が、君の性格や言動に異常をきたしてるのは間違いないよね」

「夢が原因って言うなら、どうすれば夢を見なくて済むか考えないと! ……どうすれば良いか、分からないけど」

 

 頭をうんうん唸らせる綾瀬と、冷静に話を聴く悠。

 とりあえず初っ端から精神病院に行けとか言われないで済んだのは安心だ。

 

「俺なりに考えて、まずは夢の中で聞いた話が現実ではどうなのか、試しに夢見が今どう暮らしてるのか見に行ったんだけど」

「見に行ってたの?」

「うん、実は」

「どうして黙ってたのよ」

「言ったら納得してくれるか? 夢の中で将来何度も自分やみんなを殺す相手が今どんな暮らししてるか気になったなんて言って。綾瀬が俺の様子おかしくなってると思わないうちに話したって、絶対頭おかしいと思われるだろ?」

「……それは、うん、確かに」

 

 我ながら言ってて心にグサグサ刺さるし、否定しない綾瀬の素直さにも追い討ちを掛けられた。

 

「それで、君はわざわざあんな遠くまで行く事にしたのか」

「え、綾小路君もしかして一緒に行ってた?」

「うん、実は」

「何で綾小路君はよくてアタシはダメなの!?」

「それはまぁ……成り行きで行くのバレたから」

「成り行きって……そんな理由ある?」

 

 自分だけ省られたように感じたのだろう。綾瀬は肩を落として意気消沈する。

 悠が俺に同行するようになったのは本当に事の成り行きからだったが、今になって俺にプラスの効果を与えてくれた。

 何故なら、この後俺が説明しようとする内容に説得力が付いたから。

 

「話を戻すけど、俺は悠と一緒に今夢見が暮らしてる家を見に行った。そしたら夢見が家に帰る場面をたまたま見かけたんだが、その後に家の中から叔母さんがあの子を酷く痛めつけてる声が聞こえたんだ」

「これは本当だよ。僕も聞いたからね」

 

 そう、この話こそが、俺の“夢”に現実味を与えてくれる唯一の根拠になる。

 俺だけが夢見の虐待を知ってるんじゃ、説得力に欠ける。

 気の狂ったような事を言ってる俺と、真っ当な判断が出来る悠の両方で同じ経験をしたと言ってようやく、綾瀬も納得させられる。

 

「ちなみに、あの時縁は最初から彼女が親からネグレクトを受けてる事知ってた風だけど、知ってた理由も夢からかい?」

「うん。夢の中であいつから聞かされた中で、サラッと話してたからあんなに酷いとは思わなかったんだけどね」

「……綾小路君も一緒になってアタシを揶揄ってる、とかじゃないのよね?」

「河本さんと僕は同じ立場だよ。ただ、僕は少しだけ彼の言葉を信じる値する出来事に遭遇してるだけだ」

「貴方は、夢見ちゃんが今虐待されてるのを、夢の中で聞かされてたのよね? それで実際に確かめに行って……夢の通り──ううん、それ以上だった」

「そういう事になる」

「──じゃあ、このままだと本当に将来アタシたち殺されちゃうの!?」

 

 情報を飲み込んだ──飲み込み過ぎてパンクしちゃった綾瀬が露骨に動揺してしまった。

 

「ああいや、だからそれをどうにか止めたいって思ってるんだ」

「止めるって具体的には? 叔母さんを警察に突き出すとか?」

「いや、それじゃあ足りない。それ以上に対処しなきゃダメな男が居る」

 

 そこから、また“夢”の体裁で夢見から聞いた話の詳細──夢見が大きく歪む原因になった2つの出来事の中で最も重大な、今年の誕生日に義父に犯された出来事について説明した。

 夢見の義父が明確な犯罪行為を行うのは、知る限りではこの日が最初。これ以降は頻繁に夢見を抱いたらしいが、そうなってしまった後の夢見を助けても遅すぎる。

 夢見をクズの義父から助けて、ついでに叔母さんの目を覚まさせるには、義父が初めて夢見に手を出してかつ、まだ夢見が歪んでいない今年の誕生日の夜しか無い。

 

 本当はもっと楽に助けられるタイミングがあるのかもしれないが、俺の情報は夢見が話した分しかないので図りようも無い。

 

「夢見ちゃんの誕生日しかないっていうのは分かったけど、それで貴方、どうやってその人を止めるの?」

「当日、夢見の家に入って、直接止めるつもり」

「相手は元とは言え半グレだろ? 無謀じゃないか?」

「簡単にはいかないよな。もちろん武器は用意するけど」

「普通に、警察呼ぶだけじゃ駄目なの?」

 

 もっともな指摘だが、これについてはちゃんと考えがある。

 

「単に止めると言っても、ただ義父を拘束するとか、警察に突き出すとかじゃ駄目だ。それだと罪は軽くなるし、数年間懲役を受けたあと戻ってくる可能性も高い」

「確かにそうだね。だけど未遂のうちに止めないと意味が無いって言ったのは君だろう?」

「夢見についてはな。だから、別の罪をかぶせる必要がある」

「ちょっと待って、嫌な予感しかしないんだけど……」

「ははは、さすが綾瀬、勘が良い!」

 

 俺の言わんとすることを、悠より先に気づいたみたいだ。

 

「俺が普通に立ち向かっても勝てないし、やり返されるだろ? だからちょうど良い具合にボカされてから、警察に駆け込んでもらおうって算段だ」

「やられる前提かい!?」

「ダメよそんなの、もし本当に殺されちゃったらどうするの? 警察だってそんなタイミング良く来てくれるなんて限らないでしょ?」

「そのために、2人に“相談”してるのさ」

 

 当然のように猛反対する2人を制して、俺は話を続ける。

 

「確かに俺1人じゃ無理がある。でも、2人が協力してくれたら、無理じゃない」

 

 思い出すのは、園子をいじめから助けようとした時。

 あの時も、こうやって3人で計画を立てて、綱渡りだが大胆に動いた。

 だからきっと、今回も上手くやれるはず。

 

「まず役割からな。俺は『偶然夢見の新しい父親が危ない男だと知って、本当か確かめに行った無謀な若者』。そして2人は『暴走気味な俺を心配してついてきた友人』だ」

「うん、絶妙にその通りではあるね」

「俺は2人が止めるのを聞かずに、無理矢理夢見の家に入って男を問い詰めようとする。2人は俺が家に入ってからすぐ乱闘の様な音が聞こえたと、警察に慌てて連絡する」

「……それで?」

「駆けつけた警察は、夢見をレイプしようとした痕跡と、ボコボコにされた俺を見つけて“強制わいせつ未遂”と“暴行”の現行犯で逮捕……上手くいけば殺人未遂まで持っていくつもり」

「そのあと、君はどうなる? ボコボコにされておしまいかい?」

「そこはほら……事前に綾小路家お抱えの病院とかで治療して欲しいなぁ……なんて」

「やれやれ……」

 

 最後は綾小路家のマネーパワーに頼る。こんな所も園子を助けた時と同じで内心苦笑する。

 

「確かに、君のプランが上手く回れば、彼女を助ける事は出来るし、男に明確な罪を課す事も出来るね」

「だろ? だから──」

「でも」

 

 ぴしゃりと俺の言葉を遮って、悠は言った。

 

「そもそも、そんな危な過ぎる話を、僕や河本さんが許すと思う?」

「……それは、うん、まぁ……」

 

 普通は無理だ。俺が逆の立場なら断固反対する。

 

「そもそも、君の行動の根拠は全て夢の内容だ。確かに、一部現実と合致する点はあるけど、でも夢だ。3年後本当に僕達を殺す様になるかは分からないし、そもそも今年の誕生日に彼女が義父に襲われるのだって分からない」

「──っ」

「全部徒労に終わるかもしれない、ただの現実的な夢なだけかもしれない。君が痛い目を見るだけで──何なら君だけが警察の世話になる結末もあり得る。それでも、やる必要はあるかい?」

「ある」

「……即答だね、驚いた」

 

 悠の言葉は正しい。だけど間違ってる。

 俺だってこれが本当にただの夢であれば、どんなに良いかと思う、思ってきた。何度も何度も。

 それが全て夢じゃなく現実だったから、俺は今ここに居るんだから。

 

 悪夢の様な現実を、現実味のあるただの夢にするために、俺は絶対夢見を助けなきゃいけない。

 

「心から信じてくれとは言わない。でも力を貸して欲しい、頼む」

 

 2人の目をじっと見つめて、そらさない。

 綾瀬と悠も同じく俺を見つめ返すが……すぐに綾瀬が視線を落とした。

 

「……はぁ。不思議な気持ち。そんなに真剣な顔でお願いする貴方、初めて見る」

 

 次いで、悠がやれやれと肩をすくめた。

 

「“夢”の内容を信じる人の目をしてないよ、君。どちらかと言えば経験の──まぁいいや」

「諦めましょう、もうこうなったら絶対止まらないし、1人でも動くからきっと」

「そうだね。こうやって僕達に協力を申し込むってだけでも、マシか」

「えっと、つまり2人とも協力してくれるって事で……良いのか?」

 

 柔和した2人の雰囲気から、すでに解答は出ているとも言えたが念のため聞くと、2人とも苦笑しながら答えた。

 

「協力してあげる。こうなったら絶対夢見ちゃんを助けよう!」

「やるからには徹底的に、ね。君の計画に則るけど、それなりに準備をしてもらうよ」

「じゅ、準備って?」

「一歩間違えたら死ぬ様な危ない事をするんだ、何の対策も無しに行くのは馬鹿だろう? だから護身術程度の動きは覚えて貰わないと」

「えぇ、イヤそんなの教えてもらうにしても、講師を雇う金なんてねえよ俺!?」

「問題ないよ、講師は僕だから。これでも金持ちの家に生まれてるからね、体術は一般教養さ」

 

 俺が昔から喧嘩でどうしても勝てなかった理由の一端が垣間見えた。

 

「……ありがとう、ありがとうございます!」

 

 だけどそんな事今はどうでも良くて、こんな無茶な要望に苦言を呈しながらも承諾してくれた事が嬉しい。

 嬉しさのあまり、椅子から立ち上がり2人に頭を下げた。

 

「ありがとう“ございます”? “ございます”ってなんだよ君らしくもない!」

「か、からかうな、感謝の気持ちをちゃんと伝えるのは当たり前の話だろ、なぁ綾瀬?」

「ごめんなさい、アタシも貴方の“ございます”は違和感すごい」

「おーい!!」

 

 緊張の糸が切れたのか、これ以降はもう暗い話は終わりになって、お互いに笑い話に花を咲かせて、20時を過ぎた頃解散になった。

 俺も夢見を助ける事についてはそれ以上考えずに、この日を終わらせた。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 翌週から、俺は出来るだけ悠と綾瀬との時間を多く作る様にした。

 また2人から文句を言われたくないから……ではなく、俺自身がそうしたいと思ったから。

 

 希死念慮はその後も時折顔を覗かせたが、綾瀬達と一緒に過ごしてる間にそれが起こる事は無くなった。

 

 渚は俺がプレゼントしてマフラーを本当に気に入ってくれて、家でも学校でも休みの日でも、積極的に巻いてくれてる。

 たまにマフラーが要らない暖かい日の時も巻いて汗をかいていたので、暑いなら取ればいいと言ったけど、頑として聞かないから諦める事にした。

 

 

 11月に入って夢見の誕生日である27日まで残り1ヶ月を切ってからも、不思議と俺の中で恐怖や緊張と言った類の感情が湧くことは無く、ニュートラルな状態でいられた。

 

 自分がその日何をしたいのか、そのためにどうするのか、それらがハッキリと固まってる上で、綾瀬と悠が協力してくれる。その安心感が平常心を保たせているんだと思う。

 

 希死念慮も、27日に近づけば近づくほど出てこなくなった。

 

 毎日、登校して、授業受けて、悠や他の男子と喋って遊んで、綾瀬と話して、それを男子にからかわれて、逆に“仲良い女子居ないから嫉妬するなよ”と煽ったらキレ散らかされて。

 

 放課後に公園や空き地、あるいは悠の家にお邪魔になって、悠指導のもと護身術や拘束術、最低限の動きと筋力で相手を倒す方法なんかをみっちり仕込まれてたりして。

 

 笑って、楽しんで、幸せで……心の底から生きてると感じる時間を、堪能した。

 

 そうして、心置きなく野々原縁の人生を生きて──27日を迎えた。

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「……はぁ、意外と効き悪かったなこれ」

 

 男──夢見の義父は、テーブルに体を突っ伏している妻と、その連れ子である夢見を見たあと、自身の手のひらに乗せた粉末の入った袋を見て、誰に言うでもなく呟いた。

 寝ている2人の手には、液体の入ったグラスが握られている。

 

「混ぜても色は変わらないし、よく効くって言うから買ったのに、ばったもん掴ませやがってあのカバチタレが……次会った時しめるか」

 

 雑にポケットにしまい、反対のポケットからはタバコを取り出し、テーブルの真ん中にあったケーキ──夢見の誕生日ケーキのそばに置いてあるチャッカマンのスイッチを押して、タバコに火をつける。

 身体中で味わう様にしばらく吸ってから、長々と煙を吐き出して、男はまだだいぶ残ってるタバコを胸ポケの携帯灰皿の中に突っ込んだ。

 

「さて、と……それじゃあ久々の生JC、味わうとしますか」

 

 寝ている夢見を抱き抱えて、リビングのソファに運ぶ。

 これから自分が何をされようとしているのか、薬で強制的な眠りについてる彼女は知りようもない。

 男は夢見の母親と結婚──厳密には籍を入れない内縁だが──して以降、夢見をいつか自分の手で穢す事を楽しみにしていた。

 もとより夢見の母親は金蔓としか見ておらず、歳の割には発育が良く容姿も良い夢見の方を性的な対象として見ていたが、そんな自身の黒い欲望に気づいていたのか、夢見は頑なに男と2人きりになろうとしない。

 

 仲間を使って無理やり襲う事も考えたが、万が一の事もある。仲間内には過去に懲役を受けた者も居るので、下手に捕まる様な事があれば厄介だ。

 そこから関係が拗れるとなると面倒なのもあり、誕生日で流石の夢見も緊張が緩むタイミングを見計らって、“その手の目的”でよく使われる催眠薬を使う事にした。

 買っておいたノンアルコールシャンパンの蓋を開けて、事前に薬を混ぜておき、ケーキの蝋燭を消した後の乾杯で2人を昏睡。

 

 流石の夢見も、母親がいる前では何もされないと油断していたのか、自分が渡したグラスに対しても全く警戒せず、やや時間は掛かったが眠った。

 今はあんなに拒絶していたのが嘘の様に、無抵抗な姿を晒している。

 

「手に入りにくい物ほど、自分の物になったら嬉しいもんだよな」

 

 1人興奮しながら、男は夢見の服を一枚ずつ丁寧に脱がしていく。

 スカートを下ろし、部屋着のパーカーを脱がせて……段々とあらわになる瑞々しい少女の肢体が、下衆の性の情動をこの上なく掻き立てる。

 

「……ぁ? んだこれ……?」

 

 パーカーの下に着ていたシャツのボタンを外して、いよいよキャミソールが見えてきた所で、服の中から顔を覗かせる異物に気づく。

 手に取ってみると、それは髪を切る時などに使われる鋏だった。

 

「こんな物騒なもん隠してたのかよ、コイツ……ま、寝てりゃ何持っても意味ねえよ」

 

 護身用に持ってたのだろうが、最早何の役にも立たない。男はすぐに鋏への関心を失い、それを雑に床へ投げる。

 

「さて、と……やっぱ胸あるなコイツ。母親よりあんじゃん、ウケる」

 

 そう呟いてから、いよいよキャミソールも脱がそうと手にかけた、その直後──、

 

 

「──は?」

 

 男の体が、宙に浮いた。

 厳密には、何かに引っ張られて思いっきり後方へと吹き飛んだ。

 完全に意識の範囲外から生じた出来事に対して、咄嗟の反応なんて取れるわけもなく、男はゴロゴロと転がり強かと部屋の壁にぶつかる。

 

「何だよ、急に……っ!?」

 

 何が起きたのか全く分からず、後頭部の痛みに耐えつつ前を見ると、いつの間に家の中に入っていたのか、見た事のない男が自分と夢見のちょうど中間の位置で立っていた。

 

 事態は掴めないが、自分を夢見から引き剥がして後ろまで投げ飛ばしたのはコイツだとのは間違いない。

 男は膝立ちの姿勢になりながら、不法侵入者に対して怒りをぶつける。

 

「オメェどっから入っ──ブッ!?」

 

 言葉を言い切るより先に、相手は手に持っていた何かを思い切り投げつけてきた。

 投げ飛ばされたものは一切の迷いも無く、男の鼻面に叩きつけられる。

 

「玄関の前に鍵落ちてたから、それで入りました。ダメじゃないですか、大事な物落としちゃ」

 

 相手はまだ声変わりしたばかりの様な声で、まるで何事もなかった様に語り始める。

 

「世の中物騒ですから、何されるか分かりませんからね……例えば」

 

 着ていた上着のコートをゆっくりと脱いで、床にパサっと落とす。中に着ていたのは、どこの学校のものかは知らないが男子学生が着る制服だった。

 相手の正体──はまだ不明だが、とにかく自身を後ろまで引っ張ったのは、まさかの夢見とそう歳も変わらなそうな少年だった。

 “ガキに不意打ちされたのか? ”という驚きと、“ガキになめた事された”という不快感がない混ぜになる男の耳朶に、そんなのお構いなしとばかりに少年は話を続ける。

 

「例えば──純真無垢……でも無いか。それは違うな、まぁ良いや。取り敢えず、薬を使って無理やり催眠レイプ! なんてやろうとする人間が居たりしますからねぇ」

「……は?」

 

 背筋に冷たい汗がつーっと流れるのを男は感じた。

 今まで、反社会的なグループの中で生きてきた経験から、男はその手の感情とは一般人より何倍も慣れ親しんでいる。

 むしろ、一般人にそういった感情を与える側。誰かに嫌な思いをさせるとか、恐ろしい目に合わせるとか、一時の快楽やその場のノリで人を傷つける事を厭わない、そんな他者を踏み躙るのが特別でも無い環境にいる事が多かった。

 

 そんな自分が、目の前の、いきなり現れたよく分からない男子学生相手に、今まで感じたことの無い異様な感情を抱いている。

 その事実に、男は困惑した。

 

 まるで、自分が今見て、相対してる少年が、少年の形をした全く別のナニカに見えたのだ。

 

「……お前、誰なんだよ」

 

 ビビってる自分を否定しながら、男は問いかける。

 

「あー、はい。すみません自己紹介が遅れて」

 

 対照的に、朗らかな口調で少年は答えた。

 

「俺の名前は野々原縁。野原の間にノマが入って野々原、ヨスガは合縁奇縁の縁です、よろしくお願いしますね。まぁ、尤も……」

 

 そこで一度間を入れて、少年は先程男が投げ捨てて床に落ちていた鋏を拾う。

 まるで因縁の相手を見るかの様に数秒間、持った鋏を見つめたあと、男に視線を戻し、

 

「覚えて貰わなくても結構です。俺はただアンタに敵討ちと逆恨みを、一方的にするつもりで来ましたから」

 

 先ほどまでの明るさが皆無の──底冷えする様な冷たい声で、言い放った。

 

 

 

 ──to be continued




とうとう長々と続いてきたこの作品にも、本当の終わりが見えてきました。
感想お待ちしてます。

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