【完結】ヤンデレの女の子に死ぬほど愛されて眠れない兄になって死にたくなってきた   作:食卓塩准将

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第11病 死んだ方がマシだ!!!

「……かくして、あたしは晴れておにいちゃんのもとに帰ってきて、今に至るのでしたぁ〜パチパチ〜」

 

 長く、重い過去語りが終わり、反動とばかりに夢見は底抜けに明るい声で茶化すような拍手をする。

 

「……」

 

 待って、待ってほしい。じゃあ母さんと電話してたのは叔母さんじゃなく夢見で……あの時既にもう、叔母さんは死んでた? 

 って言うか、再婚相手に普通にレイプされてるじゃん、ヤバいだろそれ、警察が出てくるレベルだって。それなのに叔母さんは夢見を殺そうとしてた? はぁ? そこまで倫理観終わってたのかよ、嘘だろ? 

 それと全く関係なく夢見は俺をストーカーしていて、悠はそれを知ってた? 知ってたのに俺には何も言わなかったのも何でだよ、言ってくれたらもっと何か変わったかもしれないじゃないか。

 

 あまりにも情報量が多くて、感情の優先順位が分からない。怒るべきか同情すべきか、泣くべきか知った事かと突き放すべきか。

 

「……っ」

 

 落ち着け、どんなにショッキングな内容だからって、心を乱しても意味はないんだから。

 夢見の話は全て終わり切った過去。同情しても悲しんでも変わる事も無いし、改善する事も無い、ただひたすらに『そういう事があった』という事実の陳列にすぎない。

 だから俺も、同じスタンスで向き合うのがベスト。何より俺に話す夢見自身が、単なる昔話としか自分の過去を扱っていないのだから。

 

「どうどう? これで少しはあたしの事、分かってくれたかな?」

「……たぶんな」

 

 夢見は、俺と再会する時には既に──もっと言えば、俺と初めて会った時から、既にヤンデレとして完成されていた。

 家庭や環境が夢見に与えた影響は大きいだろう、もし叔母さんが少しでも夢見に寄り添ってれば、再婚相手がほんのちょっぴりまともなら、夢見が受けた悲劇は無かったかもしれない。

 それでも、夢見が俺をストーカーしてたのは再婚なんか話に上がらない時からだったし、悠を逆恨みで殺そうと決意してたのも、渚や綾瀬達を邪魔もの扱いしてたのも夢見が自発的に思った事。

 

 とは言え、叔母さんが夢見に『お前が苦しむのはそうなる事を望む人がいるから』とか『自分が望む通りに世界は応える』とか、極端な事を言わなければ、夢見が実際に殺人まで犯す事は無かっただろう。

 それと再婚相手のクズ野郎。こいつがこの世に生を受けてさえなけりゃ、少なくとも叔母さんが歪む事だって無かった。母娘の間に亀裂はあったけど、それだってもっとまともな形で修復される事もあったに違いない。

 

 

 

「良かったぁ、これでおにいちゃんは前よりもあたしを好きになってくれる。嬉しい……」

 

 一方的に喜ぶ夢見を見つつ、俺は少し冷静になった思考で結局今の話が何だったのかを総括する。

 

 1つ、夢見は最初から夢見だった。

 2つ、夢見のいる環境は詰んでいた。

 3つ、夢見が苦しい時に助けとなったのは、俺との思い出だけだった。

 4つ、これは総括よりも感想に近いけど──夢見と叔母さんは、よく似ていた。

 

 “家庭”という安息の地に執着し、それが壊れる事を極端に忌み嫌った叔母さん。

 “小さな世界”という空間を作るため、障害となる者を徹底的に排除する夢見。

 どちらも自分の幸せのため、自分が主となるコミュニティを作る(維持する)という点で同じ。

 

 誰だってみんな、多少はそういう事をする。自分の心が休まる集団や環境に身を置きたいのは当たり前の話だ。

 だけど、小鳥遊母娘はその度合いが違った。自分の安寧を壊す存在はたとえ娘でも否定し、阻む者は友人知人でも殺す。

 

 そして夢見は今、この小さな部屋で自分の好きな人とモノに囲まれた世界を作り上げた。この世界を壊す事は、夢見に殺されるリスクを背負う事に直結する。

 俺は両腕こそ自由だが、綾瀬に食事を与える時や夢見の“相手”をする時しか、両足の拘束は解かれない。

 綾瀬は両足を失い、夢見によって心も廃人にされてる。

 夢見に説得なんて絶対通用しない事は、今回で夢見の在り方を理解してしまった事で明確化した。

 ……無理だ。もう、無理だ。

 

 俺は夢見から逃げられない。俺一人が逃げるならまだしも、綾瀬を連れて逃げるのは不可能だろう。

 想いの桁が違う。俺が綾瀬とここを脱出したい気持ちよりもはるかに、夢見の想いは強い。

 それはここまで夢見が語ってきた経験から生まれた人生観と、俺が記憶している以上に繰り返したであろう夢見の蓄積された執念によるものだ。

 果たしてどれだけの回数、俺は死んでやり直しをしてたんだろう。夢見の言動の端々から察するに、10や20では到底足りなそうな数っぽいが……いずれにしても、それだけの数“失敗”してきた夢見にとって今回は待ちに待った瞬間である事は間違いない。

 最初に俺がここに来た時考えた事の繰り返しになってしまうが……俺にできる事は結局、夢見の機嫌を損なうことなく、綾瀬が殺されないように、死ぬまでここで暮らす事だけなのかもしれない。

 

 諦めよう。受け入れよう。俺はここで一生暮らしていくんだと。夢見と一緒に生きるしかないのだと。

 

 

 渚を、悠を、園子や咲夜、両親を、そして部屋の奥にたたずむ綾瀬を想って──俺は、自分の運命を受け入れた。

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 その日から、どんくらい経っただろう。

 

 天井の窓から差し込む光以外に外からの刺激が無いこの空間では、時間が経つ程に感覚がマヒしていく。

 もはや、渚が殺されてから何日目なのか、今日が何曜日なのか、俺には分からなくなっていた。

 毎日夢見と会話して、夢見と一緒に過ごして、綾瀬にご飯を食べさせて、綾瀬の排泄を処理して、夢見の愛を受けて、眠って起きる。その繰り返し。

 たまに夢見は何かをするために部屋を出る。その間、夢見はあえて俺の拘束を完全に解いて出ていく。俺を逃がさない自信の表れか、なんにせよ夢見が居ない時間だけが唯一、俺が俺らしさを失わずに済む時間だった。

 

「……なぁ、綾瀬」

 

 今日もまた、夢見は外に出て行った。

 綾瀬の隣……固い床に座り、声をかける。綾瀬は瞬きや呼吸、口に入った物を飲み込む程度の反応は示すが、それだけ。俺の言葉にも、一言だって返さない。

 人形に独り言をするのと何も変わらない。心が死んで耳も機能しなくなったのだろうか……いや、もしかしたら聴こえてるのかもしれないが、俺の事を怒ってるかもしれないな。

 ここに来てからすぐに、俺は夢見に迫られて断れないまま、夢見と“一線”を越えた。それ以降何度も、俺は綾瀬の目の前で夢見と重なっている。綾瀬の意識が僅かでも残っていて、俺がしてることを認識できるのなら、俺の行動は裏切りと思われても言い訳のしようがない。

 

 それでも、俺は綾瀬に語り掛ける。それが自己満足の類であったとしても、綾瀬への想いだけは濁らずにいるのだと、彼女に伝えるため。

 ──同時に、それしかもう、俺の正気を保つ術は無いのだから。

 

「どうして、こうなっちゃったんだろうな。俺達ほんの少し前まで、普通に高校生してたのに」

 

 もっとも、もっと前までは全然普通じゃなかったんだけど。

 

「朝起きて、学園で会って、授業受けて、放課後に園芸部の活動して……悠と咲夜が言い合いしてるのを園子が宥めたり、渚がお前と嫁姑みたいなやり取りするのを俺が間に入って、逆にややこしくなったり……」

「──────」

「お前と恋人同士になるまで、凄く色々あってさ。でもいざ恋人同士になったら、今度はあっという間に滅茶苦茶にされたな」

「──────」

「俺、これから先も綾瀬と一緒に大人になってくんだと思ってた。渚や悠たちと笑ったり喧嘩したり、あわや別れる寸前の状況になって、それでもやっぱり仲直りするとか……」

 

 胸ポケットに入っていたリボン──ずいぶん前に、ナナから別れ際に貰ったものを指で転がしつつ、俺はもはや二度と現れる事のないifの未来を夢想する。

 高校を卒業して、大学に行って、就職して、いつか綾瀬にプロポーズして……そんな幸せな夢物語は、正真正銘夢の様な話になってしまった。

 今ここにあるのは、そしてこの先俺に待っているのは、二度と口を開く事のないだろう綾瀬の前で、夢見と共に生きる日々だけ。まだ非日常だが、それが時間の経つ毎に日常にさし変わっていき、いつか当たり前の様になる。

 そうなったら綾瀬への想いもまた、段々と薄れて行ってしまうのだろうか? 今はまだ大切な恋人でも、綾瀬を生きる上で単なる足かせや負債だと感じてしまう時が来るんだろうか? 

 

 考えていくうちに、段々の胸の奥から感情が込み上げていくのが分かった。

 

「……っ」

 

 いけない、この感情はこれ以上外に吐露しちゃダメなものだ。そう分かっていても、今日まで積み重なっていた精神的疲労で感情の抑えが効かない。

 綾瀬を好きじゃなくなってしまう、邪魔に感じて──いつしか夢見を心から受け入れてしまう時が来るかもしれない。否が応でも考えてしまう。

 

 “そんな事はありえない”と声高に断じる自分。

 “既にこうして心の片隅にその可能性を感じている時点で、もう自分は綾瀬を邪魔だと思い始めている証拠じゃないか”と反駁する自分。

 

 説得力を感じてしまうのは、よりにもよって後者の方だった。

 そんな自分を認めたくなくて──ついに、口からポロっとこぼれ落ちてきた。

 

「……こうなっちゃうんなら、恋人なんてならなきゃ良かったかもな」

 

 これまでの日々の否定。

 自分の人生の選択、積み上げた過去と築き上げた人間関係。それら全てを否定してしまう自暴自棄の奔流。

 殺されていった悠や渚の想いさえ、ともすれば踏みにじってしまうかもしれない、負の感情の坩堝(るつぼ)

 

「昔、泣いてる俺と出会わなきゃ……幼なじみなんかにならなきゃ、俺達が赤の他人だったら、少なくとも今お前はこんな場所で、こんな目に遭ってなかったのに」

 

 きっと意識があれば綾瀬が一番聞きたくないハズの言葉ばかりを、綾瀬の手を握りながら、半ば縋るような思いで口にしてしまった。

 

「ごめん……ごめんな、綾瀬ぇ……俺と一緒に居たせいで──俺が綾瀬を好きになったせいで、綾瀬の人生を何度も、何回も壊して」

 

 今回だけじゃない。俺が記憶してるだけでも2回──記憶していない繰り返しの中ではもっとたくさん、綾瀬を傷つけてしまった。

 綾瀬だけじゃない、渚も園子も繰り返しの中で命を落としている。俺が記憶していない中で皆が何度夢見を原因とした運命に殺されたのか、考えるだけで頭がどうにかなりそうだ。

 そして今、俺は綾瀬を死なせないためという名目で夢見と一緒に暮らす事を受け入れてるが、同時に綾瀬の人としての尊厳を跡形も無く蹂躙している。確かに綾瀬を死なせたくなくて夢見の執念に屈服した。でも、今の綾瀬は生きてると言えるのか? 心は死んで意思も無く、今後自由に動く事も叶わず、俺が居なきゃ食事も排泄の処理もできない──これが生きてるって言えるのか? 

 

 違う……こんなのは生きてるんじゃない。生かされてるだけだ。

 それも、他でもない俺の“綾瀬を死なせたくない”という一方的で自己満足な想いのために、綾瀬は生かされている。

 夢見が自分の恋心と幸せのためだけに皆を殺して俺を監禁した事と、何が違うだろうか。何も違わない、何も! 

 

 無理やりご飯を食べさせて、見られたくないだろう糞尿を晒され、俺と夢見の行為を見せつけられ──それでどうして生きてる方がマシと言えるだろうよ。下手に殺すよりよほど残酷な事を、俺は悪意無く今日まで続けている。俺は綾瀬を生かしてるんじゃない、殺し続けているんだ。

 そんなの、もう夢見となんら変わりゃしない。

 いいや、人を殺めずに綺麗な人間のつもりでいる分、俺の方がはるかに邪悪だ。よほど汚らわしい。自分が善だと微塵も疑わず、被害者意識に酔ってる加害者でしかない。綾瀬を恋人でも幼なじみでも無く、自分の心を満たすための玩具扱いしてるのだから。

 

 ──そんな俺が、自己満足では無い方法で今の綾瀬にできる事があるとすれば、なんだろう。

 ──答えは、思いのほかすんなりと出てきた。

 

 

 あるいは、心の奥底ではとっくにそうしたかったのかもしれない。

 

 

「なぁ、綾瀬。俺達ここで死ぬまで生きるくらいならさ」

 

 だから、ほんの数分前まで考えすらしなかった言葉を、ぽろっと口に出す。

 

「もう……終わりにするって言ったら、駄目かな」

 

 殺し続けた綾瀬を、今度こそ本当に殺す。この地獄でしかない空間と、俺みたいなクズを、綾瀬から切り離す。そうすればもう二度と、綾瀬が苦しむ事だけは無くなる。それだけが、綾瀬を人として扱う唯一の手段だ。

 綾瀬を殺して、俺も死ぬ。俺は死んだらまた巻き戻るのかもしれないけど、その時はもう、すぐに自殺しよう。そこからまた巻き戻ったら、また自殺する。そうやって巻き戻しが終わるまで──終わらなきゃ永遠に、俺は夢見どころか誰にも何もせずに死に続けるんだ。

 それが、綾瀬に犯した罪を……今日まで俺のせいで死んでしまった皆にできる、数少ない粛罪に違いないから。

 

「綾瀬、じゃあな……すぐに俺も死ぬから」

 

 そう言って、綾瀬の首にナナからもらったリボンを巻き付けた。

 まだほんの僅か自分に残る躊躇いを飲み込んで、リボンの端を掴む指に力を入れる。そして────、

 

「さようなら、大好きだよ、綾瀬」

 

 今生の別れになる言葉を手向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「駄目だよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────ッッ!?」

 

 重力が真横に変わったのかと錯覚するほどの膂力で、俺は強引に綾瀬から引き離される。

 何が起きたのかという戸惑いは一瞬で、理解は瞬きより早かった。

 背中から床に落ちて視界の隅に映る、あけ放たれた扉。そして、自分と綾瀬の間に立つ夢見の後ろ姿。

 

 考えるまでも無い、いつの間にか帰ってきた夢見が俺を引きはがしたんだ。

 俺を掴んだだろう左手とは逆の右手には、どうやって入手したのかレトルト食品や野菜が詰まった袋を持っている。

 

「……もう、おにいちゃんったら。そろそろかな~とは思ってたけどさぁ」

 

 その声からは、思いのほか怒りの匂いは嗅ぎ取れなかった。未遂に済んだので問題と見てなかったのか。

 ……などと思っていた俺の甘い考えは、こちらを振り返った夢見の表情から瞬く間に雲散霧消する。

 

「本当……本当に、分かりやすいなぁ、おにいちゃんは。あたしがそんな勝手な事、させるワケないのに」

 

 そう話す夢見の表情は、朗らかな声色とは裏腹に、一切の感情を乗せていなかった。

 光彩の澱んだ瞳は、俺をジッと捉えて離さず、俺もまた目を逸らせなくなる。もしホンのわずかでも逸らせば──夢見に殺される、そんな確信がある。

 

「殺す? そんな事するわけないじゃない。やだなぁ」

 

 また俺の考えてる事を見破って、夢見は相も変わらず無色の瞳のまま、口元だけ笑みを形作る。

 

「……でも、反省はしてほしいかも」

「うっ……」

 

 言いながら俺の真正面まで近づいて、流れるような仕草で俺の足に足錠(レッグカフ)をかけて自由を奪い、倒れている俺の上に四つん這いになりながら、顔を鼻がこすれるほど近づける夢見。

 そのまま何も出来ないでいる俺の唇に、軽くキスをしてから、諭すように言った。

 

「おにいちゃん、ここで綾瀬を殺したら自分も死のうと思ったんでしょう? その後は巻き戻ったら……あたしに会う前に自殺でもする気だったかな?」

「……あぁ、そうだよ。そうすればもう、お前が皆を殺す理由も無くなるからな」

「やさしいなぁおにいちゃん。あたしのためにそんな事まで考えてくれるなんて」

 

 お前のためなワケが無いだろう。と否定するのは無駄な事だと、いい加減俺も理解している。

 

「でもね、おにいちゃんはそれで良いかもしれないけど、残された皆はどうなると思う?」

「残された……?」

「あ、おにいちゃんの視点だと死んだらそれっきりだもんね、分からないか……」

 

 にわかに、嫌な仮定が頭の中に浮かび上がる。

 まさか──俺が死んだ後も、その世界は続いている? 

 

「正解~! 当然、おにいちゃんが死んでも世界が消えてなくなるなんてありえないよ~! おにいちゃんの意識は元に戻るけど、生きてる皆はそのままだよ!」

「じゃ……じゃあ、お前も今まで何回も?」

「うん! ……あっ、そう言えばこういう話ってまだあんまりして無かったかも。失敗した~」

 

 今ここに居る夢見は、何度が巻き戻るそのたびに俺を逃し続けてきた過去(正しくは違うが敢えてこの表現を使わせてもらう)夢見たちの執念によって、巻き戻りが起きてる事を認知している夢見だと聞いた。

 同時に、過去の夢見たちがどう過ごしてきたのかも、記憶していると。その記憶は俺が巻き戻った回数と同じであり、更に俺には自分自身が覚えていない巻き戻りもあったという。

 その中には、俺の記憶にある様な車に轢かれて死んだり、ナナやノノに殺されるってパターンもあるが、死なずに済んだパターンもあったに違いない。その何十年にもわたる人生の記憶を、全部夢見は覚えているのか? 

 

「流石に全部は覚えきれないよ、やだなぁ。……あっでも、おにいちゃんとの時間は全部全部ぜ──んぶ、覚えてるからね」

「……っ」

 

 つまり、この夢見は肉体こそ俺より年下でも、精神はもう遠いご先祖様レベルで年上って事だ。

 そんなに長い時間の記憶を保持していながら、夢見はずっと俺を想い続けて、今日まで生きてきたのか。

 苦しい時に、俺に出会って、俺との思い出に救われたから──ただそれだけのキッカケで。

 

「あたしの愛の深さ、分かってくれた? 嬉しい……またお互いを理解できたね! ……でも、今言いたいのは違うよおにいちゃん。話を本筋に戻しまーす」

 

 そう言って体を倒れこませて、俺の上に犬や猫の様に上からもたれかかる。抱きしめ合う様な格好になるが拒絶する余裕なんてあるワケも無い。

 

「んん──、数時間ぶりに嗅ぐおにいちゃんの匂い……サイッコー!」

 

 本筋に戻すと言いつつ、鼻を俺の胸板に押し付けて、しばらくの間もぞもぞとじゃれついた後に、夢見はようやく話を続けた。

 

「……おにいちゃんが自殺して巻き戻っても、周りの皆は巻き戻らない。するとどうなっちゃうと思う? 周りからは急に命を絶った様にしか見えないの。渚ちゃんも、叔母さんやおじさん、まだ生きてる綾瀬や他の全員──おにいちゃんが急に自殺して物凄く悲しむ事になるんだよ? ……それでも、良いの?」

「良いわけ無い! ……最悪だ、そんなの」

 

 思わず駆け引きも躊躇いも全く考慮せずに、夢見に思ったまんまの言葉で返してしまう。

 だけども、確かにそれ以外の答えは無いのだし、仕方ない事でもある。

 

 俺が死ねば、俺にとっては時間が巻き戻るけども、周りの人物はそのままの時間を生きていく。そんな事を言われたらもう、仮にこれが夢見の嘘だとしても安易に自殺なんて出来ない。

 本当の話だった場合、俺はそれこそ能動的に渚や綾瀬達はもちろんのこと、両親までも悲しませる事になる。それを何度も繰り返したら、もはや俺は周りを苦しめるためだけに自殺する狂人でしか無い。

 

 なんて事だろう。巻き戻り後は皆が夢見に殺されないために自殺を考えてるのに、それでも今度は俺のせいで皆を……こんなのどうすれば良い? どうすれば少しでもマシな結果に辿り着けるんだよ。

 

「答えは簡単だよ、おにいちゃん」

「簡単?」

「うん、このまま何も変わらずに、あたしと暮らせば良いの」

「それの、何処が……」

 

 それが嫌だから足掻こうとしてたんじゃないか、それが嫌だから綾瀬も自分もまとめて死のうとしたんだ。

 もはや俺を煽ってるとしか思えない。──そう考えている事は当然夢見に筒抜けだろう。

 そして、俺がそのように考える事それ自体も。それを証明するかのように、夢見はクスクスと笑う。

 

「巻き戻っても、あたしは諦めないよ? そしたらおにいちゃんの周りにいる邪魔な女どもは当然、またあたしに殺されちゃう。今度はあの金髪お嬢様から殺すかな。そうすればあの双子も出てこないだろうし」

 

 ──でも、と一旦言葉を区切って一呼吸置く夢見。

 

「おにいちゃんがここに居続ければ、あたしはもう誰も殺さないよ? まだ邪魔な奴は残ってるけど……あいつらが此処を見つけるなんて無理だもの」

「…………っ」

 

 その通りだから、もう何も言えない。咲夜が綾小路の当主に守られている状況で、夢見を探すための人員なんて回せるわけもない。父さんや母さんは今頃失踪した俺を探してくれてるだろうが、あてにはならない。

 誰も自分達を見つけられないというなら、わざわざ自分から姿を見せる事はしない。夢見はそう言っているんだ。

 

「だから、おにいちゃんはもうあたしを受け入れるべきなの。巻き戻って自殺して、皆を傷つける事より、もうこれ以上誰も傷つける事のない、あたしが誰も殺そうとしない、この世界で生きる。素敵でしょ?」

 

 ……本当にそっちの方が良い気がしてきた。

 ──なんて思うワケがねえだろ。

 

 確かに夢見を受け入れるって言うのは、悠を殺して、渚を殺して、綾瀬を廃人にして、巻き戻る前は園子すら手に掛けた女を受け入れるって意味で──それら全てを水に流すのと同義だ。

 ──冗談じゃない、反吐が出る。

 

 普通だったらあり得ない。でも、今俺が置かれてる状況は普通とは程遠い。そもそもの話、夢見から提案を受けている体ではあるが、俺に本当の意味での選択肢なんて無い。

 ──受け入れるなんて選択肢はそもそも無い。

 

 だいたい、俺が“普通”だった時なんてあっただろうか。前世の記憶を思い出して以降、ヤンデレの女の子達に殺されないよう日々を生きて、悪質ないじめや学園を巻き込んだお家騒動、一触即発の恋愛に、ストーカーヤンデレ従妹による皆殺しと監禁。これだけ異常な出来事ばかり続いたのに、今更俺に“普通だったら”なんて尺度を求めるのがおかしいだろう。

 ──その“異常”な日々の中にこそ、野々原縁は幸せを求めて、だから今日まで生きてきたんだろう? 

 

 その点、夢見を受け入れてしまえば、もう俺はそんな日々から解放される事になる。夢見もヤンデレだけど俺を好きな気持ちは本物で純粋だし、料理は上手だし、声もどことなく綾瀬と似ている。俺が変な事をしなければ、これ以上誰も殺さないとすら言ってる。園子達の心配をする必要も無くなるんだから、楽になれる事の方がはるかに多い。

 ──それは同時に、野々原縁が己が持つすべてを投げ捨てるという事。

 

 それで良いのか? 確かに巻き戻ったとしても夢見はまた渚や綾瀬を殺そうとするだろう。でも、それだからって今お前が夢見を受け入れたら、たとえ何度巻き戻っても、来世に生まれ変わったとしても、二度と拭えない後悔になってしまうんだぞ? 

 本当に、お前はそれで良いのか? 

 

「……あぁ、そうだな」

 

 既に十分苦しいこの状況で、今よりもっと楽になれるのなら、意地を張る必要なんて無いんだ。

 

「そうだなって言う事は……おにいちゃん、やっと分かってくれたのね?」

「あぁ。決めたよ。もう」

「本当!? 良かったぁ~もしこれでも分かってくれなかったら、さすがにおにいちゃんでもちょっとやり方変えなきゃいけないと思ってたから」

 

 心底嬉しそうにそう語りながら、抱き枕の様に俺に抱き着く夢見。そんな夢見に俺は頼みごとをする。

 

「なぁ夢見、できればこの足の足錠(やつ)、外してくれないかな。もう良いだろ?」

「あ……うーん」

 

 俺が足をぴょこぴょこさせながらそう言うと、夢見は俺の目をじぃ~~っと見つめた後、にっこりと笑いながら答えた。

 

「分かった、確かにこれからは本格的に一緒に暮らすんだもんね。本当はあたしもおにいちゃんにこんなの付けたくなかったし、外すね!」

 

 そう言って、ポケットからジャラジャラと音を立てる鍵束を取り出すと、簡単に足錠を外してくれた。今までは外した後すぐに左右どちらかの足に噛ませていたが、今回は完全に取り外してもらい本当の意味で拘束が解かれた形になる。

 

「ありがとう、夢見。これでやっと足から金属の感触が無くなってくれたよ」

「ううん、あたしの方こそごめんね、今まで嫌な思いさせて……」

「とりあえず、起き上がろうよ」

「うん!」

 

 2人そろって起き上がり、服のしわを伸ばしたりしながら、俺は夢見の持っている鍵束を見ながら言った。

 

「それにしても、かなりの数だな、その鍵」

「あ、これ? うん、無くしちゃったら大変だから、全部まとめて持つことにしてるの。地味に重くて大変だけどね。でもこれからはおにいちゃんの分の鍵は要らなくなるから、少しは楽になるね!」

「確かに。もう使わないからな」

「これからはこんな物使わなくても一緒に暮らせるんだね……幸せ。もうあたしとおにいちゃんを邪魔するモノは何も無いんだ。これからずっと一緒に居ようね、おにいちゃん」

「……なぁ、夢見」

「なに?」

「お前と一緒にここで暮らせば、俺はもう苦しまなくて済むんだよな?」

「そうだよ、この小さな、嫌な事がなぁんにも無い世界の中で暮らせば、おにいちゃんは何も困る事なんて無いんだから」

「そうか……そりゃあ、凄い楽だな」

 

 はぁ、と息を吐いて。俺はこれから先自分が迎える事になる日々に想いを馳せる。夢見が言うように、誰も見つける事の出来ないこの鳥籠の様な世界に居れば、俺は一生気を患う必要も無くなる。夢見を受け入れた事で何もかもが楽になるんだ。

 それは──本当に素敵な話だと思う。

 

「夢見、ちょっとクイズだ」

「クイズ? お題はなに?」

「お題はオレだ。目を見るだけで何を考えてるか分かっちゃう夢見には簡単なお題だろ?」

「あ~さっそくあたしの愛を試そうって魂胆だ、おにいちゃんったら~試す男は嫌われちゃうよ?」

「そういう話も聞くけど、夢見は試すタイプの男は嫌いか?」

「おにいちゃんならどんなタイプでもOKです……なんて!」

「ははは、それじゃあ行くぞ。ズバリ、今オレは何を考えているでしょう?」

 

 そう言って、俺は夢見の目に左の手のひらを被せて、俺の目を見せないようにする。

 得意の読心術が使えない事に夢見は軽く文句を言いつつも、素直に自分の勘だけで応えようとする。

 その健気な仕草に、クスっと笑うそぶりをしながら、俺はあまり間を置かず回答を伝える。

 

「正解を言うぞ」

「え~まだ早くない?」

「駄目だ。俺が好きなら即答してくれなきゃなぁ。次に期待だ」

「うん……分かった。答えは何?」

「答えは……」

 

 

──ここで楽になってしまうくらいなら、死んだ方が600倍マシだ! 

 

 

「──こうだよ!!」

 

 言葉では無く空いた右の拳で、耳朶ではなく頬に、俺は“答え”を告げた。

 油断しきって吹き飛ぶ夢見。手からこぼれ落ちる鍵束。俺を引きはがす事に夢中で開きっぱなしの扉。

 躊躇う必要なんて、何処にも無い。

 

 鳥籠から逃れる、最初で最後のチャンスが訪れた。

 

 

 ──to be continued


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