【完結】ヤンデレの女の子に死ぬほど愛されて眠れない兄になって死にたくなってきた 作:食卓塩准将
お酒のせいで更新途絶えてる説が濃厚になってきました。ストゼロを飲みたい
「籠の中の鳥は、外が今よりも自由で幸せだと勘違いしてるの」
綾瀬の切断された足を処置しながら、夢見は聞いてもいない自論を述べ始めた。
「あたしの名字になってる小鳥遊、由来は聞いた事ある?」
振り返って俺を見ながら問いかける夢見に、俺は首を横に振ってこたえた。
そっか。じゃあ教えてあげる。そう言って新しい包帯をぐるぐると綾瀬の足に巻きつけて、夢見は言葉を続ける。
「元々は言葉遊びなの。“四月一日”で‟わたぬき”って呼んだり、“月見里”で“やまなし”って呼んだりするのと同じ」
そもそもの話、そういう名字がある事すら今知った。
「どれも文字と読み方だけじゃ意味が繋がらないけど、四月一日は昔の人が着物から防寒用の綿を抜くからわたぬき、月が見える里には月を隠しちゃう山が無いからやまなし、こんな風に言葉遊びがあるの。それじゃあ小鳥遊はどんな言葉遊びがあると思う?」
「……さぁ」
「正解はね、小鳥が空を飛んで遊べる……つまり、天敵の鷹が居ない状態。自分を苛む存在が居ない、自由な姿。それが小鳥遊」
分からない。どうして夢見は急にそんな話をし始めたのかも、最初に言った籠の中の鳥とどう関係してるのかも。
話の繋がりと夢見の意図が掴めないでいる俺を一瞥しながら、夢見は引き続き慣れた仕草で綾瀬の足に包帯を巻く。……綾瀬はずっと虚ろな目で空を見つめたまま。
「あたし、この小鳥遊って名字がずっと気になってたの。だって、空に鷹が居ない状態なんていつまでも続かない。そのうち必ず鷹は頭上に現れて、幸せそうに遊んでる小鳥は簡単に食べられちゃうに決まってるから」
包帯を巻き終えて、処置に使った道具や古くなった包帯をゴミ袋に詰めつつ、まだ夢見の述懐は終わらない。
「自分がどんなに“今”だけを欲しがってても、外の世界は勝手に変わっちゃう。嫌いな人や怖い人が勝手に現れて傷つけてくるの。だけど生まれた時から籠の中に居る鳥はそんな事知らないから、ふとした時に自分から大空に飛んでッちゃう。飛んで行って──あっけなく喰われて死んじゃうの、馬っ鹿みたい」
不穏な内容とは裏腹に、夢見は面白おかしそうな表情で話している。やがて全部のごみを掃除し終えた夢見は、スタスタと俺のいる方へ歩み寄る。
「本当に幸せであり続けたいなら、大きな世界なんかに居ちゃいけないの。小さくて狭い鳥籠の中にこそ、本当の幸せがあるんだから」
「だから、俺をここに?」
「そう! さすがおにいちゃん、理解力抜群ね! ……自分の大切なモノ、好きな人、それだけを集めて、嫌なモノや苦しめる物、邪魔な奴が存在しない、甘くて幸せな生活だけが続く世界。あたしが欲しいのはそれだけ」
俺の──足だけ椅子に縛り付けられている俺の正面まで来てから、夢見は膝にまたがる。
自由を奪われた両足に座りつつ、至近距離で対面する俺達は、そこだけ切り取れば恋人同士の戯れにも見えたかもしれない。
愛する人を目と鼻の先で見つめる夢見は、俺が今ここにいるという事実に勝手に恍惚し、その両手で頬に触れる。……ここにきて、もう何度もやられた仕草だ。
「ここが、あたしにとっての全て。あたしの世界、あたしの幸せ。これからずっと、おにいちゃんと一緒に暮らすワンルーム。あぁもう、口にするだけで本当にサイッコー! あたし、幸せです」
「……どうして、急にこんな話をするんだ」
「知って欲しかったから。あたしが邪魔な女とホモ野郎を殺した理由。全部あたしとおにいちゃんのためだって」
両頬にあてていた手を伸ばして、俺を抱きしめる夢見。互いの胸が密着し、心臓の音さえ伝わってくるほどのゼロ距離で、夢見は耳元で囁く。
「愛してる、おにいちゃん……今はまだおにいちゃんの中に
激しく、それでいてどこまでも純粋な愛の言葉。
その一言一句を耳に入れて脳が認識するたびに、心が壊れそうになる。
「やっと、ここまで来れたの。だから、絶対、絶対に、離さないんだから……ね?」
改めて、思い知らされる。
小鳥遊夢見は、完成されたヤンデレだと。
そして、そんなヤンデレの女の子に死ぬほど愛されているのだと。
死にたくなってくるが、まだ駄目だ。
「……っ」
夢見の愛の囁きを聞き流しつつ、俺は視線の向こうにいる綾瀬を見る。
果たしてどれだけの地獄を味わったのか。ここに連れられてから数日経っても、綾瀬が生者らしい反応を見せる事は一度も無い。俺がここに来た時すでに、彼女の心は死んでいた。
……だが、それでもまだ綾瀬は死んだわけじゃない。両足を切断され、俺に日々の食事と排便の世話を受け、虚ろな眼に光が差し込む事は無くとも、まだ綾瀬の命はここにある。
まだ、死ねない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「今日はね、おにいちゃんとお喋りをしようと思います!」
何処からか運んできた小綺麗なテーブルを挟んで向こう側に座る夢見は、手に持った『彼氏ともっとうまくいくための99』という本を見せてそう言った。
正直、うまくいくために99も何かしなきゃいけない関係性は恋人同士ではないと思ったが、そう言えば今の俺と夢見の関係はまさにその通りですから、変に納得してしまう。
ふざけるな。
「お互いの事を知る事で、おにいちゃんにもっとあたしを好きになってもらいたいんだ。あたしがここにおにいちゃんを連れてきた理由はさっき言ったからぁ、次はあたしがおにいちゃんをいつ好きになったのかを言うね」
聞きたくも無い。黙れ。
……なんて言えたら、本当にカッコいいんだろうな。
「ズバリ! 一目惚れです!」
「……そっか、どうも」
「え~反応冷たいー!」
速攻で終わった。もう帰らせてくれ。
「あっでもでも! そのあとちゃんと好きになる所はあったんだよ? 優しい所とか、いつも明るい所とか。焦っちゃうとすぐバレるような嘘ついちゃうところとか!」
指折り数えながら俺の好きなところを挙げていく夢見。
「あとはあとは……あぁだめ、両手の指じゃ全然足りない。どうしよう、これじゃあおにいちゃんをどれだけ好きなのか説明しきれない!」
非常にどうでも良い悩みだったが、このまま好き放題言わせててもらちが明かないので、助け船を出す事にした。
「……じゃあ、一番好きな理由だけ挙げてくれればいいよ」
「え、本当? それなら答えはもちろん──」
ここで俺は、次の夢見の言葉はどうせ『カッコいい』だとか『全部』とか、中身の無い答えになるんだとばかり思っていた。
だが、実際に夢見の口から出た言葉は、そんな俺の予想を覆すものだった。
「──あたしの心の寄す処になってくれた事かな……なんて」
「……俺が?」
「心当たりが無い? でも分かるよ、きっとおにいちゃんにとっては当たり前の事をしてくれただけなんだって。でもね……あたしにとっては特別なの。特別な事を、おにいちゃんはしてくれたんだよ」
そう言って、夢見が懐から取り出したのは──渚の命を奪った“あの”鋏だ。
「──ッッ!」
当然のこと、それを視界に収めた瞬間に体は強張っていく。自分の命が脅かされる事への恐れもあるがそれ以上に、もしかしたらこのまま綾瀬を殺そうとするのではという不安が脳裏に過る。
そんな俺の心情を読み取ってか、夢見はチラッと俺の目を見てから小さく笑い、あやすような口調で言った。
「もう、そんな心配しないでおにいちゃん。別に何もしないから。……でも、そっか。これも覚えてないかぁ」
「覚えて……? 何の話だ」
「あたしにこの鋏くれたの、おにいちゃんなんだよ?」
「え……っ!?」
思いもよらない発言に一瞬頭が真っ白になり──その僅かな間で、思い出した。
夢見が初めて俺達の住む街に、引っ越してきた頃の話だ。
奇しくもその時、今と同じようにお互いの紹介をし合う場があって、その時夢見が将来の夢で『美容師』だと答えた。
夢を目指して前の家ではよく家族の髪をカットする事もあった。と同席してた夢見の母親が話したので、話の流れで俺の髪の毛をセットしてもらおうって事になって……その時家にたまたまあった散髪用の鋏を俺が持ってきて、夢見に渡していた。
その後に鋏がどうなったのか、当時の俺は全く意に介さずに居たが……じゃあつまり。
「あの時の鋏が、それなのか……?」
「思い出してくれたんだ、嬉しい! そうだよおにいちゃん。これはおにいちゃんが初めてあたしにプレゼントしてくれた、世界で一番大事な物。……あたしとおにいちゃんを繋いでくれたお守りなの」
「…………そんな、事が」
じゃあ、つまり。
俺は、渚や綾瀬、それにみんなを殺すのに使われた武器を、当の本人に渡していたって事か。
「はは……なんだよそれ、あり得ねぇ」
「えぇ!? 本当だよ、嘘じゃないんだから! この鋏があったからあたし、おにいちゃんと離れてからも今日まで生きてこられたんだもん」
俺が言ってるのは、夢見の事じゃない。
みんなの死因に俺が深く関与しているのだと、思い知らされた事についてだ。
結果論だと自己弁護するのは容易だ。しかし、結局夢見が武器として使い、俺の目の前で渚を殺めたのは、俺がかつて何の気なしに夢見に渡した鋏で──俺はみんなの死に、加害者側としても立っていたんだ。
「おにいちゃん……なんでそんな悲しそうな顔してるのかな?」
「──っ、いや……何でもない」
マズい、この状況で夢見の機嫌を損ねるような事になったら、それこそ本当に綾瀬に危害が及びかねない。
泣きたくなりそうな心を必死に抑えろ。もうこれ以上、俺が与えてしまった
「……まぁ、でも、おにいちゃんも急にこんな事言われたってビックリしちゃうよね。……本当はもうちょっと後で話すつもりだったけど、せっかくだから言うね」
鋏をテーブルの上──互いの中間地点──に置いてから、
「おにいちゃんが、あたしに何をしてくれたのか。おにいちゃんと離れ離れになった後に、あたしに何があったのか」
夢見は穏やかな表情で語り始めた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
自分の人生を振り返ると、あたしはとっても我慢する人生だったなって思う。
家族に対しても、友達に対しても、好きな人に、嫌いな人に──色んな我慢をしてきたから。
でも、しょうがなかった。
あたしが我が儘を言ったら、すぐにあたし自身が酷い目に遭うから。
嫌な思いをしないためには、いつも我慢しなきゃいけなかったの。
最初に我が儘を言ったのは、小学生の時。
あたしの誕生日に旅行を計画してたのに、当日急に入ったお父さんの仕事のせいで無かったことにされた。
せっかく楽しみにしてたのに、大人の都合なんかで台無しにされるのが我慢できなかったあたしは、申し訳なさそうに家を出るお父さんにこう言ったの。
『大っ嫌い、死んじゃえ』
当然、本当に死んじゃえなんて思ってはいなくて。
こうでもしなきゃ気持ちが収まらなかったのと、こういえばお父さんが考えを変えてくれるかも、なんて望みがあった。
今にして思えば、本当に幼いなぁ。なんてクスクスしちゃうけど。
神様は、そんな優しくなかった。
その日の夕方、お父さんは運転してた車の事故で、あっさり肉の塊になって死んじゃった。
急な仕事を急いで終わらせて、猛スピードで家に帰ろうとしたんじゃないかって、警察の人が言ってたのを覚えてる。
幸い誰も巻き込まれていない事故だったからあっさり話は進んで、お葬式も遺産の話も生命保険のお金とかも、あたしの目の前で問題になる事は無かった。
でも、誰も言わなかったけど、お父さんが仕事を急いで終わらせて、事故を起こした原因は、あたしの誕生日を祝いたかったからだと思ってる。あたしが仕事に行こうとするお父さんを責めたから、その罪滅ぼしをしたくて、無理をした。
つまり、あたしの我が儘で、お父さんは亡くなった。
お母さんはその事について、当時のあたしを責めなかった。
──次に、我が儘で痛い目にあったのは、そこから数年後。
お父さんが亡くなってから、お金とお家は生活出来るくらい余裕があった。
でも遺産だけで暮らしていくわけにもいかないから、専業主婦だったお母さんが働くようになって。
でも働いてすぐにお父さんと結婚したお母さんが、まともな職場にありつけるはず無い。
やっぱりというか、当然と言うか、何回も職についてはやめてを繰り返して不安定な状態だったのを、お母さんの姉が見かねたのがきっかけで、あたし達は引っ越すことになったの。
お母さんはお父さんとの思い出がつまった家を出て行くのに躊躇ってたけど、あたしがまだ子どもである事、ちゃんとしたお仕事に就くためにお勉強や資格を取る時間が必要って事で、引き払うことにした。
あたしも引っ越しは寂しいけど、お父さんが映った家族写真を見て泣いたり、仕事のせいで日に日に病んでいくお母さんが嫌だったから、何か変わる事を期待して──その人と出会った。
『小鳥遊ってこれでそう読むんだって苗字だなぁ』
お母さんの姉が暮らしてる家の向かいに建つ貸家に越した日、互いの家族紹介の場で、その人は感心した口振りでそう言った。
変なこと言わないの、と親に小突かれて笑ってから、笑顔であたしに手を差し伸べながら自分の名前を口にする。
『俺は縁、よろしく! 夢見ちゃん!』
あとで名前の漢字を聞いたら、そっちも『こう読むの?』て漢字だったけど。
あたしは、あんなに善意しか無い笑顔を向けてくれる人に、初めて出会った気がした。
そして、この日からあたしは、縁──おにいちゃんと、その妹の渚ちゃんと、過ごすことが多くなった。
それからの時間は、楽しかったなぁ。
おにいちゃんは優しくて、複雑な理由で引っ越してきたあたしを寂しがらせないように、街の楽しい場所を教えてくれたり、祭りやイベントに連れてってくれたり、学校で片親なあたしを揶揄うヤツらからかばってくれた。
たまに
血縁関係なんてどうでも良かったけど、面倒臭い奴が湧いてきたらウザいから、一応調べてみた。そしたら最高、いとこ同士なら結婚したってなんの問題もないの! そんなのもう、躊躇う理由が無い。
日に日にあたしの中でおにいちゃんを求める気持ちが強くなる。もっと知りたい、もっと見たい、あたしの知らないおにいちゃんを、あたししか知らないおにいちゃんを。
おにいちゃんの全部を知って、あたしだけのおにいちゃんにしたい。
それが、あたしの2度目の我が儘だった。
そして、そんな我が儘を抱いたあたしに世界は容赦なく邪魔をしてくる。
『縁に対する盗撮行為をすぐ止めるんだ』
綾小路悠、お兄ちゃんが中学二年生になったすぐ後に転校して、いつの間にかお兄ちゃんのそばを飛び回るようになった虫。
ある日、その虫に急に呼ばれたと思ったらあたしの姿が映ってる写真を何枚も見せられる。
そのどれもが、あたしのある行動──『おにいちゃんの事をもっと知りたい』ただそれだけの気持ちから、おにいちゃんの日々の姿を集めた“おにいちゃんコレクション”撮影中の姿を捉えていた。
『──それ、どうやって』
本当に、この時ほどこの世の終わりを感じた事は無かったかも。
おばさん達(おにいちゃんの両親)やお母さん、おにいちゃんや渚ちゃん達にこの事が知れ渡ったら、もう2度とおにいちゃんコレクションを集めることができなくなる。それどころか、おにいちゃんの近くにいる事も難しくなるかもしれない。
それどころか、あたしの部屋にある今までのコレクションも全部捨てられちゃう……そんなの絶対に耐えられない。
……というより、そもそもあたしのしてる事を『盗撮行為』なんて言い出すコイツが信じられない。最近ぽっと現れたばかりの奴がなんでおにいちゃんの味方ヅラしてこんな事してくるの?
『お金持ちにはできる事が多いんだ』
『ふーん……盗撮ですか、最低ですね』
『君がね。これが何をしてる瞬間のものか、僕はもう知っている』
『──そうなんだぁ、そっかぁ』
焦りよりも怒りの方が湧き出て、どうにかなりそうだったあたしは、それでも何とかそれを表に出さない事に徹した。
この虫の事は転校した日からお兄ちゃんの話に出てきて分かってた。よく分かんない、金持ちのお家の子だって。そんな人生お手軽モードで生きてきたようなのを相手に何かしたら、それこそあたしが潰される。
それに何よりも、こんな虫でもおにいちゃんの友達。……腹立たしいけど、今のあたしにできることは限られてる。
『おにいちゃんは、この事を知ってるんですかぁ?』
どうしても気になってしたこの質問に、虫は『まだ伝えてない』と答えた。
その後もごちゃごちゃうるさい事を話してたけど、あたしの返答次第で全部が決まるわけで。
『……うん、綾小路先輩の言う通りにします』
はらわたが煮えくり返って、脳みそが沸騰してどうにかなってしまいそうな自分を堪えて、あたしは虫の要求を無条件で受け入れる。
「君が本当にストーカー行為をやめてるかは、チェックさせてもらうよ。もし本当に好きなら、ちゃんと正面からアタックすれば良い。君は彼の周りにいる女の子の中でも負けないくらい可愛いんだから」
調子に乗った虫が更に耳障りな羽音みたいな言葉を放つ。
この後どうなっても良いから、衝動のままに動いてしまおうと思った。
『ありがとうございます、先輩。でも』
せめて、これくらいは言っても良いでしょ?
『今回、こうやって止めてくれるだけ済ませてくれたのは助かりましたが──後悔、しないでくださいね?』
全身全霊で作り上げた笑顔と共に送った言葉を、虫がどう受け取ったのかは分からない。
ただ、その日の帰り。帰宅して自分の部屋に戻った後、あたしは自分のベッドに仰向けで倒れこんで枕に顔を埋めると。
『──殺してやる』
もう、誰の目も気にする必要が無いのを確認してから。
『殺してる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す!!』
膨れ上がって、とっくに許容量の限界を迎えていた激情を、外に吐き出した。
あたしがおにいちゃんのもとに帰ってきて、最初に殺す相手があいつだったのには、こんな理由があったのでした。
この時のあたしにはまだ、本気で殺意は芽生えたとしても行動に移す事はできなかった。
殺したくなるくらいの感情を抱く相手が居ても、本当に自分の手で殺してしまう事に躊躇いがあったから。
でも、そんなあたしを今のあたしに変えた出来事が起きた。……細かく言えば、出来事は1つじゃなくて幾つもあるんだけどね。
あたしがおにいちゃんに出会って幸せな時間を過ごしている間、お母さんは再就職先を見つけるためによく家を出ていた。
お父さんが残した遺産で生活をして、そのうち見つけた仕事で生きていくんだと。あたしはなーんの疑いも無いまま、そう思ってた。
でも、ある日──というかあたしが綾小路悠に屈辱的な想いをした日──の夜に、お母さんは信じられない事を口にしたの。
『夢見、お母さん再婚するから。来週にはこの街を出るわよ』
──は? って感じよね、本当。我が親ながら本気で何言ってるのか理解できなかった。
動揺しちゃって思ったよりリアクションが取れなかったあたしに、お母さんはつらつらと説明を始めた。
再婚相手はホストの人で、街を出る理由は先に結婚の報告をした伯母さん(おにいちゃんのお母さん)から猛反対を食らったから。
信じられないけど、お母さんは家を出て仕事を探してるんじゃなくて、ずっとその男とデートしていた。夜は店で、日中は市街で。移動費もご飯代も娯楽費も、全部お母さんが払っていた。お父さんの残したお金を切り崩しながら。
急いで通帳の残高を見たら、信じられない頻度で高額の引き落としがされていた。
あんなにあったお金が、ホストへの貢ぎ物になっていたなんて。……どうしてこんな事をしたのかと、当然あたしはお母さんに詰め寄った。このお金は家族で再出発するためのお金だったんじゃないの? って。
そしたら、お母さんの目の色が急激に変わった。
気が付いたらあたしの視線は天井を向いていて、尻もちをついてた。
頬は鈍い痛みに加えて熱も発してて……あたしは今お母さんに殴られたんだと理解するのに、少しだけ時間を要してしまった。
『あんたが……あんたが壊したんでしょ!?』
今まで聞いた事の無い声色で、お母さんはあたしの胸ぐらをつかんで無理やり起こすと、目を見開いてこう言った。
『あんたがあの時、あの人に死んじゃえなんて言わなきゃあの人は今も生きてたんだ! くだらないガキの我が儘のために事故死する事は無かったんだ! お前のせいであたしがやりたくも無い転職活動や、下げたくも無い相手にペコペコしてるんじゃない!! アタシから大切な家庭を奪っといて、その上新しい幸せまで否定する気なワケ!?』
口端に泡を吹かして、今にもかみついてきそうな剣幕。
そして、今まで言われた事の無かった──でもずっとお母さんがあたしに対して抱いていた本当の気持ち。何もかも初めて尽くしな状況で、思わず口に出して言ってしまった。
『怖いよ、やめて』
今まで優しい姿しか知らなかった子どもにとっては当たり前の言葉。
でもこの状況では、火にガソリン撒いちゃうのと同じ意味だった。
『怖い!? 誰が怖いって言うのよ!? 今日まであんたを育ててやった人は誰だと思ってんの!? ふざけてんじゃないわよ!!!!』
殴られて、蹴られて、存在を否定される。
実の母親から数年間ため込んでいた本音を、文字通り叩きつけられた。
鬱憤が晴れた後、散々痛めつけてから、お母さんは人が変わった様に床に倒れたあたしを抱きかかえて謝って来たけど、何言ってるか全然分からなかった。
寝る前、身体中の痛みで泣きながら、あたしはとっくに壊れ切った家庭の中で生きていたんだと思い知って……これから更に壊れていくしか無い事を理解して……笑うしかなかった。
結局、反対なんて意に介さないお母さんは言った通り数日で無理やり街を出た。
貸家の家賃や手続きは野々原家も負担してたのに、何もしないで必要最低限の荷物だけを再婚相手の持ち出した車に詰めて、何処に行くかも告げないまま真夜中に出発。なにソレ夜逃げ?
当然そんな事したから、伯母さんや野々原家とは実質絶縁関係になる。
あたしはお母さんについていくしかなかったし、お母さんはあたしが野々原の家族と接触を持つことを許さなかったから、それ以降おにいちゃんとのつながりまで消される事になっちゃって。
おにいちゃんと出会って手に入った幸せが、あ──っという間に音を立てて崩れていった。
大好きな人と離れ離れにされて、家族関係は崩壊してて、あたしはもうお腹いっぱいになるくらい酷い目に遭ったつもりでいた。
だけど残念。あたしの苦難はむしろここからが本番。あたしがおにいちゃんの前に帰ってくるまでの数年間が、最後の受難だったのです。
再婚相手の男はホストだって聞いてたけど、実態はそれどころじゃないもっと危険な人だった。
半グレとか愚連隊とかって呼ばれたりする、暴力団とは違うけど充分に反社会的な人。当然そんな人が心からお母さんを好きになっているわけも無くて、お母さんが持ってるお金目当ての結婚だった事はすぐに分かった。でも今更『こんな危ない奴からお母さんを助けないと!』なんて思うわけも無かったし、馬鹿なお母さんは自分が単なる金づるにされてるのにも気づかないで、自分より若い女のあたしが『誘惑するんじゃないか』なんて本気で警戒してたから、極力かかわりを持たないようにするだけに留めた。
娘相手に本気で嫉妬して警戒するのは、馬鹿を通り越して憐れみすら感じちゃうけど、その気持ちは分からなくも無かったりする。
実際に再婚相手の男は『早く打ち解けて家族になりたいから』って事あるごとに、あたしをお出かけや食事に誘ってきた。これだけなら一見打ち解けるために頑張ってるようだけど、日ごろ風呂上りや部屋着を着てる時に“アレ”な視線を向けてるのは分かってたから、そんなの体のいい建前でしかないのはバレバレ。
だからって誘いを断っていくと、今度はお母さんが家を空けてる時にお酒を一緒に呑むように誘ってきたり、あたしに飲ませようとした飲み物に隠れて錠剤(たぶん睡眠薬)を混ぜたり、段々節操が無くなる始末。
そんな事だから、お母さんは女の勘であたしが再婚相手に性的対象として見られてるのを察知するのは無理も無かった。
かと言って実の娘に手を出そうとしてる男からあたしを守るんじゃなくて、むしろあたしを敵扱いするところが、どうしようもないんだけどね。
日に日に当たりの強くなっていく母親と、いつレイプしてくるかも分からない男との生活に安心できる時間なんてあるワケが無い。
もういっそのこと、世間からどう思われても構わないから、家から出ていこうかな。そう思う事が増えてきた中──決定的な出来事が起きちゃったのでした。
11月27日、他ならぬあたしの誕生日。
お父さんが死んで、お母さんに恨まれて、いろんな物が壊れて崩れるキッカケにもなった運命の日。
この日、珍しく機嫌のよかったお母さんは、なんとあたしのために誕生日ケーキを買ってきてくれた。
引っ越してからずっと、そんな親っぽい事なんてしてくれなかったお母さんから、思いもよらない行動をされたあたしは、不覚にも油断してしまった。
再婚相手の男も交え、夜にささやかな誕生日会を開くと、ケーキもそこそこに大人2人はお酒を飲み始めた。その時にまた、男が性懲りも無くあたしにお酒を飲ませようとして……久しぶりに親の愛情を受けて警戒心が弛んでいたあたしは、お母さんもいるから何もされないハズだと思って、シャンパンの入ったグラスを受け取って、その中身を飲む。
次にあたしが目にしたのは、うす暗くなったリビングのソファの上で、半裸の状態になったあたしの上でサルみたいに腰を振る男の姿だった。
お母さんは、あたしが男に盛られたものと同じ薬で寝ていて、すぐそばで夫が娘を犯している事実に気づけずにいる。
こうして、あたしはよりにもよって誕生日に、処女を失ってしまったのでした。
初めては大好きな人と、なんていうのは別にロマンチストじゃなくても考える、当たり前の夢。だけどあたしは、『好き』とは対極の位置にいる男に汚された。
さすがに死にたくなった。
行為が終わってナカで果てて、疲れた男がたばこを買いに外に出た後、乱れた服のままあたしは自分の部屋に戻って、自殺するための道具を探した。
できるだけ楽に、なんて考えない。むしろ派手に苦しく死んだ方がアイツらの人生をめちゃくちゃに出来てお得。
そんな事を考えつつ部屋の中を漁ってると、机の引き出しから出て来たのは、おにいちゃんが以前あたしにくれた鋏だった。
大きくて鋭い形状をした鋏で自分の体や喉を突けば、きっと出血多量で死ねるに違いない。今最も望んでる死に方を与えてくれるかもしれない物を手に持った時、あたしは──泣いた。
おにいちゃんが、死のうとするあたしを止めてくれた。そう思えてならなかったから。
気持ち悪くて悍ましくて虫唾が走って吐き気が止まらなくて嫌で嫌で嫌で嫌で仕方なくて、そんな負の感情に呑み込まれそうだったあたしを、おにいちゃんが助けてくれた。
冷たくて無機質な鋏は、あたしにとっては温かくて優しい、世界一大好きな人とのただ一つの繋がり。
それから、この鋏はあたしにとってお守りのような存在に変わった。
男は一度あたしを犯してから躊躇いが無くなり、誕生日以降お母さんの目を盗んではあたしに行為を迫るようになった。
お母さんの気まぐれな愛情もあの日限りのもので、むしろそれ以降はより一層、あたしを怪しむようになり冷たい態度になった。
地獄はその濃度を増して、常人ならとっくにドアノブにヒモを垂らして自殺しててもおかしくない環境の中。あたしはおにいちゃんのくれた鋏を懐や学校のカバンに入れて常に持ち運ぶ事で、耐えていく。
どんなに苦しくても、おにいちゃんの温もりがあたしを包んでくれる。もしどうしても我慢できない時が来たって、その気になればいつでも命を絶てる。どこまでも優しくて、救いをくれる鋏は、あたしの心と体の生きる寄す処。
おにいちゃんをいつでも感じられるようになったあたしは、お母さんの顔色を伺ったり、男からいつ迫られるか気を張る事が無くなり、今までと比べて明らかに明るい雰囲気になっていった。
もう何を言われても、何をされても構わない。どんなに汚れてしまっても、あたしにはおにいちゃんがいる。おにいちゃんへの愛は何も変わらない。それどころか月日を重ね、時間が経つごとにどんどん深く大きく、濃密になっていく。
どんなに汚れても決して歪まない愛。自分はそんな愛を抱いているんだって思えば思うほど、他人には理解できない、出来るはずのない、あたしだけが分かる幸せが心を満たす。
──だけど、それを許さない奴がいた。お母さんだ。
あたしが誕生日以降、雰囲気が変わった事を訝しんでいたお母さんはある日、男のスマートフォンを開いてアルバムを見た。
そこには、何度目かの行為の時に男が撮影した、あられも無い姿のあたしを映した写真や動画が入ってたワケで、案の定お母さんはあたしの態度が変わった理由は『夫と浮気してるから』という盛大に滑稽な勘違いをし始めた。
男が外出して、あたしが家にいる時を見計らって、お母さんは鬼の形相であたしの部屋に来て詰め寄って来た。
思いもしなかった展開にあたしもたじろいだけど、あたしはここがお母さんの目を覚まさせるチャンスだと思って、今まで自分があの男にされていた事を告白してみた。
そしたら、どうなったと思う?
『……やっぱりお前が誘惑したんじゃない! ふざけんじゃないわよこの売女!!』
お母さんはあたしの話をまるで聞いてない事が分かりました、ちゃんちゃん。
『許さない、許さない許さない許さない! アタシの家庭を、2度も壊すなんて──お前なんて産んだのが間違いだったんだよ!!』
頭を掻き乱して、髪の毛を揺らして、ヒステリックに狂った表情のまま、お母さんは素早くあたしの首に手を掛けた。
『死ねよ、死ねよ死ねよ死ねよ死ねよ! あたしは今までアンタにずっと母親として愛情注いできたのに、全部裏切りやがって! ここまで育ててやったのによくも裏切りやがったなァ!?』
『お、お母さん……やめて、苦しい……』
手を振り払おうとしても、怒りで力のリミッターが外れたお母さん相手にそんな事は無理。
『……お母さん許して……死にたくない……』
『許す? 何馬鹿言ってんのよ、許すわけないじゃない。良い? アンタはここで死ぬの、ここで、アタシに殺されるのよ! どうしてか分かる?』
『……っ』
もう、あと何秒かで息もできなくなるあたしには、お母さんの問いに答えるだけの余裕なんて無い。
最初からそれが分かってるお母さんは、首を絞める力をいっさい弛めないまま、笑いながら答えを言った。
『それはね、アタシが望んでるから! アンタがあの日、あの人を死なせたあの日から、ずっとずっとず──っとアタシはアンタが不幸になって無様に死ぬ事を望んでたの! だから世界は望む通りにアンタを死なせるのよ!』
──あたしが不幸なのは、お母さんが望んでたから?
──世界はあたしが不幸になって、苦しんで、死ぬ事を望んでる?
何かが、ストンと胸の内に落ちた。
それは『納得』。
あたしが今までわがままを言ってその度に痛い目にあって来た事や、今受けている苦しみ、それら全てに対する納得。
あたしが『死ね』と望んだから、世界は応じてお父さんを死なせた。
お母さんが『苦しめ』と望んだから、世界は応じてあたしを苦しめてる。
そして今も、お母さんが『死ね』と望んでるから、世界は応じてあたしを死なせようとしている。
全ての出来事は、誰かが望んで、世界がそれに応えてくれた結果なんだ。
それならきっと、お母さんが急にホスト狂いになってあんな男とくっ付いた挙句、引っ越す事になったのは。
おにいちゃんのそばに居たあの男──綾小路悠がそうなるように望んだからに違いない。
何も理不尽な運命とかじゃ無いんだ。
全部、誰かの意思から生まれるモノ。
だったら──それなら、それより強くあたしが望めば、きっと世界はあたしのために動いてくれる!
『ほら良い加減に死になさいよ、さっさとくたば──』
お母さん──ううん、
同時に、あたしの首を絞めていた手の力も弱々しくなる。
その代わり、馬鹿女のお腹に深々と刺さった鋏から、赤黒い汚れた液体がタラタラと滴り落ちた。
『い──痛い痛い痛い!! なによ、何なのよこれ!』
『五月蝿い』
もう何も、呻き声ひとつすらこの女の口から発せられる音を耳にしたく無かったあたしは、お腹に刺した鋏を勢いよく抜いて、そのまま声帯のある喉を刺し貫いた。
目を見開きながらも、苦痛と驚愕で馬鹿みたいな顔を浮かべた女は、そのまま力なく後ろに仰向けで倒れる。
『──ありがとう、あたし、お母さんから最後に教わったよ』
自分の服で鋏に付いた女の血を拭き取って、あたしは足元に倒れた、まだ息がある女に向けて、最後の言葉をかける。
『この世界は誰かの望みに応じて、簡単に人を苦しめたり、死なせたりするんだね。でもあたしはそんな理由で死にたくないし、幸せになりたいの。なら……あたしを苦しめる奴がいない世界を作れば良いんだよね』
『──っ、──っっ!!!』
『うん、決めた。大きくなくて良い、たくさん人がいたら、誰があたしの不幸を願うか分からないもんね。……だから、あたし頑張って作る。あたしの好きな人、大事なモノだけがある、あたしだけの小さな世界』
そのための第一歩として。
『まずは、世界一……ううん、2番目かな? 邪魔なあんたを殺すから』
一方的にそう告げて、あたしは泣きじゃくる馬鹿女の息の根を止めた。
それからは、もうあんまり語る所も無いかなぁ。
外から帰って来た──まぁ普通に女と楽しんできた男を、背後から襲って監禁。最初の頃は半グレらしく荒々しい態度で刃向かって来たけど、あたしが男に犯された回数の二乗分の拷問をして、食事には馬鹿女の死体を解体して作った肉料理を食わせ続けたら、簡単に心も人格も壊れて、“あたしが望んだ通り”に動く人形になった。
そして、あたしの本当の望み──おにいちゃんと再会して、2人だけの世界を作る──のために、まず邪魔な綾小路悠を殺す算段を立てた。
次に絶縁状態だった野々原家にあたしだけ迎え入れて貰える様に、馬鹿女の声を真似て伯母さんに電話をかけて、あたしを心配する様に仕向けた。
馬鹿女が言った通り、あたしが望む通りに世界は応えていく。
女の残骸を乗せた車を遠くの山奥まで走らせて、夫婦の失踪を偽装した上で、男には浮浪者の格好で先におにいちゃんの住む街へ行かせた。もちろん歩きで。
あたしの声真似電話を信じて姪を心配した伯母さんは、かつて住んでた貸家に戻るよう言ってくれた。
悠は男に半グレのコネで用意させた爆薬で諸共死なせたし、おにいちゃんの周りにいる邪魔な女どもだって、全員殺したわけじゃ無いけど、2度とあたしたちを見つける事はできない。
まだ邪魔な綾瀬が居るけど、秘密のワンルームで、今はおにいちゃん一緒に暮らしている。
あたしの望みは、まさに叶う寸前まで来ているんだ。
この小さな、しあわせに満ちた世界を、あたしは永遠にするの。
そのためなら、何だってするし、何もさせない。
おにいちゃんは私の物。誰にも渡さないわ。
もう、死んでやり直すなんて事もさせない。
絶対に──逃さないんだから。
──to be continued
※注意
今回はセンシティブな表現が一部あります。
心の準備をした上で読んでください。