【完結】ヤンデレの女の子に死ぬほど愛されて眠れない兄になって死にたくなってきた   作:食卓塩准将

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私的な理由で更新を早めます。
次回更新は4/16の予定です。

お気に入り、感想、誤字のご連絡など、大変助かってます。
終章も折り返し地点に到達したので、このまま頑張ります。


幕間 悠の章 悠遠の思幽

 小鳥遊夢見。

 彼女と初めて会った時に懐いた印象は、『あぁ、似てるな』だった。

 イトコだからなのか、一緒にいる時間が多いからなのか、理由はともかくとして、彼女はふとした時に見せる所作や仕草や表情が、同性の渚ちゃんではなく、縁と似ていた。

 

 特に似ていたのは、笑い方だろうか。

 縁は感情が顔に出やすいから、特に嬉しい時の笑顔は、本当に嬉しそうに笑う。それが、彼女にも見て取れた。

 本当に、彼女も、良い笑顔を見せていた。

 なのに……。

 

 そんな彼女の裏の姿を知ってしまった経緯は、あまり誉められるモノでは無かった。

 何故なら、見方によっては僕も彼女と同じだと言われてしまうような行動が、全ての始まりだったから。

 ことの発端は、綾小路悠と名前を変えて転校し直し、新しい生き方を始めてから数週間後の、とある夜にまで遡る。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

「どうぞ、これを」

 

 僕の家の一室で男はそう言って、簡素なマイクロSDを僕に差し出した。

 受け取った僕は手に持っていたタブレットに差し込み、中に保存されているファイルを読み取り開く。

 

 中には、とある人物に関する情報があった。

 

「いやはや、しかし、まさか綾小路家の者から……しかも貴方のような若い方からの依頼が来るとは思いませんでした」

 

 心の底からそう思ってるように、心にも無い事を平然と口にするように、男は平坦だが朗らかな声色でそう言った。

 敢えてその軽口に答えることは無く、僕は一つ一つのドキュメントファイルを開いて、記載された情報を読み込む。

 

「──うん、ありがとう。依頼通りだ」

 

 全部読むのにたいして時間はかからなかった。

 男はその間、退屈そうな目をしながら口元は僅かに楽しそうでもある、掴みどころが無い表情でいた。

 

「それは何よりです。しかし、一体何故このような瑣末な情報を我々に依頼したのです? “学友の経歴”など、市井(しせい)の探偵程度で事足る話では──」

「そうやって顧客の内情に付け入るのも仕事のウチですか?」

 

 言葉を遮って、僕は言った。

 話す気はない、という言外のアピール。それを理解できない男では無く、男は『失礼しました』と平謝りする。

 とはいえ、彼の疑問も仕方ないところではある。事実、僕が彼に──七罪が1つ『千里塚インフォメーション』に頼んだ事は、確かに町の探偵に頼めば済む話であったからだ。

 

 依頼の内容は──『野々原縁の過去と今』。

 幽夜(ボク)()にするキッカケをくれた友達。彼の経歴と、現在の彼と周囲との人間関係についてだ。

 

 僕がそんな事をわざわざ、大金を叩いてまで知りたかったのには2つ理由がある。

 1つは、今まで出会った事の無かった野々原縁という人間がどういった経緯であのような人格になったのかを知りたかったから。

 これから彼と共に過ごす上で、それはおいおい知っていく事もできるだろう。でも僕は今すぐにでも、友人の全てを知りたかった。少なくとも“書面に書き起こせる範囲”の事を全て知って、その上で直接触れ合わないと分からない彼を感じたかった。

 

 ……やや、ストーカーじみた行為である事は否定できない。

 でも、僕だって仮にも綾小路家の末席だ。その人間が友人とする相手の素性を知らないままと言うのは、ある意味危険な事でもある。

 だから、これは正当な行いで……いいや、ダメだよね。

 分かってはいるけど、なまじ正当化できる理由があるから、それに託けて彼のプライベートを覗くようなマネをしている。

 でも仕方ないじゃないか! 僕は彼を知りたいんだから。

 

 ──いけない、話が脇道に逸れてきた。もう一つの理由の説明が残っている。

 

 2つ目は、友人である彼の身の回りで、今現在または今後、彼を脅かす可能性を持つ人物や組織がないかを知りたかったからだ。

 彼が誰かにいじめられてないか、脅されてないか、反社会的な組織が彼を狙ってないか、または彼の家族を標的にしてないか……ありとあらゆる視点で彼を脅かす芽を取り除きたかった。

 ただ腐って消費を繰り返すだけしか無かった僕の人生に、色彩をくれた彼への恩返しという意味もある。

 

 ……まぁ、いずれにせよ、この行為を彼に明け透けと打ち明ける事はできない。墓まで、とは言わなくてもいつか必要になる時が来ない限り、正直に打ち明けるつもりは無い。

 本当の事を言った方がいいんじゃないか、隠し続けていつかバレてしまったら嫌われるんじゃないかと思うと、少し怖いけどね。

 

 

「全部見させてもらったけど、彼の現状は安全って認識で良いのかな」

 

 どのファイルにも縁に危害を及ぼす可能性については書かれていなかった。

 それはすなわち、彼が安全で、むしろこんな事してる僕が1番危ない事をしてるという証左に他ならない。

 ところが、僕の問いかけに対して男は頷くのでは無く、代わりに懐からもう一個、マイクロSDを取り出した。

 

「これは?」

「危害を及ぼす、とは微妙なラインですが……ご確認を」

「……」

 

 わざわざ別媒体でファイル分けしたという事はつまり、そういう事だろう。

 “微妙なライン”という言い回しに違和感を覚えたが、僕は彼の促すままにマイクロSDを差し替えて、中身を確認する。

 そして──、

 

「…………これ、は」

「はい。偶然……本当に運良く見つけられたというくらい、見事に隠れていましたが、居ました」

 

 中にあったのは、全て画像ファイルだった。

 写っているのはどれも同じ人物。そしてそれは、僕も知る人物だった。

 

「小鳥遊夢見……彼女が、これは何を……してる?」

 

 カメラやスマートフォンなど、機器は異なるが、画像の中の彼女は常に何かを撮影している。

 これは、まるで──、

 

「盗撮。ストーキングをしています。対象は当然、野々原縁です」

 

 ああそうだ。分かってる。分かりたく無かっただけで、実際は一目で理解できたさ。

 

「いやはや、見事な腕前ですよ。スキャンダルを狙うマスコミよりも隠れるのが上手です。スカウトしたい程でした」

「……それは、大したもので」

「あくまでも隠れる対象が野々原縁だから見つけられたような物です。もし彼女が本気で社会の目から隠れたら──どうでしょうね」

 

 男の示唆する危険性、彼女のスニーキング能力の高さ、どれも驚くに値する情報だが、今重要なのはそこじゃ無い。

 縁の身近にいる彼女が、常に縁をストーキングし、盗撮をしている。その行為がどれだけ危険であるかは、考えるまでも無いだろう。

 

「──ありがとう、依頼料は玄関で使用人から受け取ってください」

「はい。では、またのご贔屓を」

 

 僕の言葉に素直に応じて、男は部屋から出ようとする。

 その後ろ姿に、僕は唯一、依頼とは関係のない事を聞いた。

 

「……思ったより若いんですね、僕と同じか少し上くらいに見えて驚きました」

 

 男は、振り返る事はせず、ただ肩越しに答えた。

 

「──そうでしょう?」

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 翌日、良舟町の川沿いにある散歩道に、僕は彼女──小鳥遊夢見を呼びつけた。

 

「えっと……お話って何ですか、綾小路先輩?」

 

 急な呼びつけにも関わらず、彼女は縁によく似た明るい雰囲気で、特に不快感も見せずその場に現れた。

 辺りには誰もいない、SPに人払いをさせているから。

 僕は、単刀直入に切り込んだ。

 

「縁に対する盗撮行為をすぐ止めるんだ」

「──はい?」

 

 やや間を空けてから、彼女は首をかしげる仕草をする。

 はたから見て可愛らしい仕草も、今の僕には胡散臭い行動にしか見えなかった。

 手に持っていた鞄から、印刷した件の画像を取り出す。

 

「──それ、どうやって」

 

 “変わった”と確信する。

 口調や声色はそのままに、彼女の纏う雰囲気だけが反転するのが分かった。

 

「お金持ちにはできる事が多いんだ」

「ふーん……盗撮ですか、最低ですね」

「君がね。これが何をしてる瞬間のものか、僕はもう知っている」

「──そうなんだぁ、そっかぁ」

 

 惚けても無駄だと言う事を理解したらしい夢見は、諦観にも似た雰囲気の声で聞いた。

 

「おにいちゃんは、この事を知ってるんですかぁ?」

「いいや、まだ」

「あたしだったらすぐ伝えるのに」

「縁はキミを大事にしてる。たとえ盗撮行為をしてる相手でも、彼にとっては大切ないとこだからね。だから、こうして君に止めて欲しいと頼んでるんだ」

「…………はぁ」

 

 ため息をこぼして、夢見はうなだれる。

 そこから少しして、彼女は答えた。

 

「……うん、綾小路先輩の言う通りにします」

 

 降参したように両手を頭の所まで上げて、彼女はほとほと困ったように笑った。

 

「参ったなぁ、ちゃんとバレないようにしてたつもりなのに、こんな簡単にバレちゃうんだもん、焦っちゃった」

「見つけてくれた人も偶然だって言ってたよ」

「偶然、かぁ……それなら、仕方ないかなっ!」

 

 カラカラと笑いながら、彼女はくるっと踵を返す。

 その背中に、念を押す意味で僕は言う。

 

「君が本当にストーカー行為をやめてるかは、チェックさせてもらうよ。もし本当に好きなら、ちゃんと正面からアタックすれば良い。君は彼の周りにいる女の子の中でも負けないくらい可愛いんだから」

「ありがとうございます、先輩。でも」

 

 そう言って言葉を止めて、辺りをくるっと見回してから、改めて肩越しにこちらを向いて、夢見は言った。

 

「今回、こうやって止めてくれるだけ済ませてくれたのは助かりましたが──」

 

「──後悔、しないでくださいね?」

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 あの会話の数日後、彼女は母親の急な再婚によって、瞬く間にこの街を離れていった。

 物理的に離れた事で、実質ストーカー行為は不可能となり、僕もそれ以来敢えて彼女の身辺調査をする事は無かった。

 彼女を信用したかったと言うのもある、だけど──もしかしたら、最後に言われた言葉に内心、恐れを抱いていたのかもしれない。

 

 そうやって3年してから、彼女は去る時と同じく、唐突に街に帰ってきた。

 3年と言う時間に相応しい成長度合いを見せた彼女は、あんなやり取りをした僕に対しても、あまりにも普通の対応をしてきた。

 もしかしたら、あれから成長して彼女は本当に真っ当になってるんじゃないだろうか。僕だけが知ってる彼女の本当の姿はしかし、もはや意味を持たないただの過去でしか無いのでは。

 

 そんな期待と不安の混ざった気持ちをスッキリさせたくて、僕は彼女が帰ってきた翌日の放課後、学園を案内させようという園子部長の提案に自ら乗って案内役を申し出た。

 僕が率先して名乗り出る事を、縁は少しだけ不思議がったが、僕の意図を察してか否か、彼女も躊躇いなくそれに応じたので、何の問題もなく、僕は彼女と2人だけで行動する時間を持つ事ができた。

 

 彼女が今、どんな考えを持って居るのか早く知りたい気持ちはあったけれど、名目上は部長の提案に乗って案内をする事になっている。

 園芸部に入るかは分からないけれど、ここで僕がなんの案内もせずにさっそく詰問なんてしたら、僕の方がおかしい奴になってしまうので、始めはちゃんと学園を案内する事にした。

 高等部校舎、中等部校舎、それとそれぞれの間に立ち、運動部と文学部両方の施設や部室がそろっている部室棟、それらの建物を結ぶ廊下に中庭、講堂と食堂も……こうして考えるとやっぱ僕と咲夜の両方の家が出資しただけあって、敷地は広いし案内するだけでも結構な時間になると思った。

 

 スタートしてからだいたい40分くらい経った頃だろうか。ようやく全部案内し終わると、彼女は心底疲れた声で言った。

 

「この学園、外から見た以上にすっごい広い~! 先輩よく迷わないで案内できましたね!」

「1年もいれば自然と覚えるよ、学園自体は広いけど、ロの字に建物があるから順当に覚えていけば簡単さ」

「とりあえず、校舎と教室までの道のりだけは覚えないと……うーん」

 

 そう言って道中ちょくちょく道順を覚えるために書き込んでいたメモ帳を見つつ、うんうん唸る姿は、まるで普通の女子高生と言ったところだ。

 そう……とても3年前、縁を盗撮していた子とは思えないような……。

 

「……先輩、最後にもう1か所だけ、案内してくれます?」

「良いけど、どこに?」

「誰にも会話を聴かれないような場所」

「──っ」

「……あたし、先輩に話したいことがあるんです。先輩も、あたしに色々聞きたい事、あるでしょ?」

 

 向こうから切り込んできた、とすぐに理解する。

 こっちから話を切り出すつもりだったけど、逆に手間が省けたと見るべきだろう。

 学園の敷地内なら、放課後のこの時間で思いつくのは1か所だ。

 

 

「へぇー、ここは屋上解放してるんだぁ」

「もとは閉鎖されてたんだけど、色々あってね」

 

 連れてきたのは高等部校舎の屋上だ。

 全く生徒の数が居ないってわけでは無いけど、最近まで立ち入り禁止で施錠されてた場所というのもあって、この時間あんまり足を運ぶ生徒はいない。

 秘密の会話ってのをするのには打ってつけの時間・場所だと言える。

 

「色々、か……あたしが居ない間も、お兄ちゃんや先輩は退屈しない生活だったんだ」

「まぁ、それなりにね……でも」

「でも?」

「君が戻ってきたことで、それが崩れるんじゃないかって危惧はしているよ」

「──っ」

 

 唐突に、そして直入に、僕は本題を持ち出した。持ち出して、彼女に突き付けた。

 退屈しない生活が壊されるか否かを確かめるために、僕はここに彼女を連れてきたのだから。

 

「君は──、どうして戻ってきた? また、彼のストーカーをするっていうなら、もう見ないフリはしないよ」

「……」

 

 俯いた彼女の顔がどんな表情を見せているのか、夕焼けに染まった髪の毛ばかりが見えて、伺えない。

 敢えて答えをせかすことはせずに、僕は時間の許す限り、彼女の発言を待つ気持ちでいた。

 1分が10分にも感じるほどの濃い空間。それを割いたのは、あまりにも予想外な物だった。

 

「──ごめんなさい、先輩」

 

 出てきたのは謝罪の言葉、それと──俯いていた顔がこちらに向いて分かった……涙だった。

 

「……は?」

 

 泣いている。小鳥遊夢見が泣いている。

 3年前、あんなに末恐ろしい気配を見せていた彼女が、年相応の女の子のように、涙目で僕に謝っているのだ。

 

「ま、待って……何で泣いて……」

「3年前先輩に、お兄ちゃんを隠し撮りしてた事を責められた時、あたし先輩に失礼な事言いましたよね」

 

 両の手で涙をぬぐいながら彼女は言う。

 

「あの時、確かにあたしは間違った事をしてたのに、逆切れみたいな態度であんな事言って……本当なら警察に突き出されてもおかしくなかったのに」

「……反省、してるんだ」

「もちろん! ……です。お兄ちゃんが今も普通に接してくれてるから、先輩が本当にお兄ちゃんには内緒にしてくれてるんだって分かって、本当は昨日にもすぐ謝りたかったくらいで……」

 

 これはいったい、どういうことなんだ。

 僕があの日、彼女から感じた恐怖感がまるで嘘のように、小鳥遊夢見は心から僕に謝っている。

 そう、嘘じゃない。彼女の言動からは、嘘を感じない。

 だからこそ──心底不気味だ。

 

「ずいぶんな、心変わりだね。最後に僕を脅した人間と同じとは思えない」

「……あたしも、色々あったってことです」

 

 目を伏せながら、とても言いづらそうに彼女は答える。

 色々あった……その言葉の内容は分からないが、察するに彼女の人生観や性格に何かしらの影響を与えるほどのものだったというワケか。だとしてもだ、

 

「悪いけど、君をすぐに無害な存在だと思うことは難しいな」

「……ストーカーされる側の気持ちが、分かったの」

「え……まった、君、転校してから逆にストーカーされたの!?」

「『されてた』じゃなくて……今も」

 

 そ、そういうことか……色々の意味も、言いづらそうなのも、腑に落ちてしまう。

 

「前にいた場所からここに戻ってきたのも、それが理由?」

「うん……あたしがここにいたことを向こうは知らないから、大丈夫だと思ってきたの。なのに……」

「もう、この街に来ているのかい?」

「……今日、市役所に行く途中に、カーブミラーに映ってたのが見えて」

「……はぁ」

 

 カーブミラーまで注意を向けてしまうってことは、よほど長い時間被害を被っているらしい。

 

「もしかして、君が僕に話したかったことは、それについてか」

「そう! そうな……そうなんです」

「もう無理やりな敬語は使わなくていいよ、違和感しかないから」

「……ありがとう。こんなこと、お兄ちゃんに相談できなくて、どうすれば良いか分からなくて……お願い、一緒にストーカーを捕まえてほしいの!」

「…………んぅ」

 

 僕は考える。

 

 彼女の過去の姿を思い出し、

 彼女の過去の行いを想起し、

 彼女の今の言動を振り返り、

 彼女の今の涙と心境を慮り、

 

 彼女を大事な親戚として見ている、親友の事を考えた。

 

「正直、僕は君をまだ信用していない。君がストーカーの被害を受けているとしても、それは自業自得だと切り捨てていいとすら思っている」

「……っ」

「でも、そんな君を、何も知らない縁はあの頃と変わらずに家族の一員として、大事に思っているだろう。君が困ったら、何かあれば、間違いなく彼は君のために心を砕く。力になろうと無茶をする。だから──」

 

 それは、僕の望む未来ではない。

 もう、僕のためにやったような無謀な行動を、彼にさせたくない。

 小鳥遊夢見のことを信じていないし、彼女のために力になるなんてこと、絶対にしない。

 でも、縁のためなら。彼女の従兄で、彼女と3年前から変わらずに接し続け、今も力になりたがる親友のためになら──、

 

「力を貸すよ。僕にできる範囲で」

「本当!?」

「ああ。具体的に何をすればいいか教えてくれ」

「……ありがとう、悠先輩!」

 

 そう言ってはじけるような笑顔を見せた彼女は。

 本当に、癪だけど。

 やっぱりどこか、縁に似ていた。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

『放課後、ここで会ってこれからどうするか相談させて! 先輩が協力してくれたら、どうしようかって考えてた事があるの!』

 

 そう言って彼女が指定したのは、街の中心街から少しだけ外れた、川沿いにある散歩道だった。

 彼女は事情を隠すため、縁たちに適当な話をしてから、遅れて合流するとのことだったので、僕は一足先に到着し、目印にしてる公衆トイレのそばにあるベンチに腰掛ける。

 

 夕暮れ時なのもあって人通りは少なく、すでに日が沈み暗くなるのを待つだけの外気は、そよ風すら肩を震わせるくらいに冷たくなりつつあった。

 はたして、あの子はどんなプランを用意しているのだろう。僕が協力するからこそ可能な内容だと言うなら、つまりは財力に物を言わせた手段になるのかな。

 あるいは、恋人のフリとか? 

 

 何にせよ、何にせよだが、用心と心構えをするに越した事は無いと思っている。

 協力するとは言ったが、まだそれでも、僕は彼女を心から信頼してるわけでは全くない。

 今だって、ここから少し離れた場所にSPをつけている。もし、彼女が化けの皮を被っていて、ソレを僕の前で剥がす様なことが起きたとすれば……。

 

 僕はすぐに、彼女をだいの大人数人がかりで捕まえて、警察に突き出すつもりだ。

 縁には悪いけど、彼のためにこそ、嫌われたって僕はやる。

 それに、本当のことを知らないだけの彼に真実を伝えれば、きっと分かってくれるはず。

 

 いや、何ならもう今からすぐに彼に真実を伝えるべきなんじゃないか? 

 ストーカーのことは隠しておくとしたって、彼に彼女の危険性を認知させることは、また別の話なんじゃ──

 

「──あぁ、やめやめ」

 

 やだなぁ、思考がさっきから循環してるよ。

 彼のため、小鳥遊夢見を助けると言いつつ。

 彼のため、小鳥遊夢見を排除しようとする。

 

 彼女を待つ間、こうやってずっと思考がグルグルしてるのは、きっと自覚してる以上に僕が彼女を警戒してるからだ。

 まるで初めてのデートにドギマギする男のようだ。何か変なこと言えば彼女の逆鱗に触れるんじゃ、変な行動を取れば彼女のうちに潜む狂気を起こすんじゃ、そんな自分にウンザリする。

 

 こうやって過激な排除思考に至るのだって、結局は恐怖の反動。

 

「気分を一新しなきゃ。これじゃあ会っても力になれない」

 

 スイッチを入れるためにもそう言葉に出して、僕は一旦ベンチから立ち上がり、近くのトイレに向かうことにする。

 

 たいして水分は取ってないのに、緊張に加えてこの寒さも悪い。

 無風ならともかく、少しでも風が吹けば、それは冬の匂いと共に冷たさまで運んでくる。

 そう思っているうちにまたびょう、と風が吹いた。

 

「うぅ、何で屋外で集合なんだ」

 

 そう軽く文句を言わずには居られない。

 しかも今吹いてるのはそよ風じゃなく、普通に木の枝も揺れる勢いのもので、落ちた葉はくるくると宙を舞い、道の砂利が軽い砂埃すら見せている。

 さっさとトイレに行こう、そう思い駆け足で向かった。

 

 その時だ。

 

 風が、それまでとは違う何かを乗せてるのに気づいた。

 そう、これは……これは匂いだ。

 トイレが近いから、そこから出る不衛生な匂いだろうか。僅かにそう思ったけど、違う。

 どちらかと言えばこれは、トイレではなく別の施設から匂う類のもので──それは何処だったろうか。

 

 一瞬の逡巡。降って沸いたような違和感。

 地面から離した足が、再び地面を踏むまでのごく短い時間。

 答えが出た。

 

 そう、これはまるで──ガソリンスタンドでよく嗅ぐ、

 

「──ガソリンの臭い!!!!」

 

 ──カチッ。なんて音が耳に入った気がする。

 

 答えに至ったのと、気がするのは全くの同時で。

 そこから激しい爆発が起こるのも、全くの同時だった。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

「──うぅ、う……」

 

 痛みより、炎とガスの酷さで意識が戻った。

 目を開けて、最初に見えたのは、黒煙が立ち上るさっきまでトイレだった場所と、燃え盛る周囲の木々。

 次いで五感が捉えたのは、驚き恐怖し、叫び散らす人々の声だ。

 何が起こったのかはすぐに理解できた。過程は分からない。

 可燃性の液体か何かが、僕の向かおうとするトイレにあって、ソレが爆発した。

 

「ぁ、ああ゛っ、痛い……」

 

 そこまでどうにか事態を飲み込んでからやっと、僕は自分が酷く地面に打ちつけられて痛がってることを自覚する。

 顔も体も、砂利と火傷と傷だらけだ。軽く咳き込んだら血まで出てきた。

 目を開けるのさえやっとで、左目は触るのも無理なくらい激痛が走るから、右目だけが頼りだ。

 幸い手足が折れてるってことは無いみたいだが、筋肉を動かすのすら、まるで何年間も寝たきりだったように困難。ままならない。

 

「はやく、離れない、と……」

 

 何が爆発を起こしたのかは分からないが、再度大きな爆発が起こる可能性だって十分にある。

 それだけじゃなくても、今も周囲に立ち込める煙をこれ以上吸えば、それだけで死ぬ、死んでしまう。

 

「うゔっ、ぁあああ……っくそ!」

 

 無理やりなんて言葉すら生ぬるいほど強引に、体を起き上がらせる。

 途中また何度も咳が出て、その度に血と胃液が勝手に漏れる。これは多分、内臓もやられてるんだろう。

 

 早く、SP達のところに行かないと……そう思って、煙の薄い方を見回す。

 その途中、僕からほんの数メートルだけ離れた地面に、倒れてる男の姿を見つけた。

 僕と同じように爆発に巻き込まれた人間に違いない。違うのは、僕は目を覚ましてるけど、その人はまだ気絶してると言うことだ。

 火の手はまだ盛んで収まる気配は無く、煙もこうしてる間にどんどん濃くなっていく。

 放っておかない、助けないと死んでしまう。

 

「──あの! 大丈夫ですか!!」

 

 声を出すのも精一杯だけども、僕はできる限りの声を張り上げながら、痛む体をおして倒れている人物に駆け寄る。

 もし意識を取り戻してくれれば、無理やり引っ張るより確実にここから逃げ出せる。

 

「起きてください、早く逃げないと!」

 

 倒れている人の肩を揺すり、なんとしても目を覚まさせようとする。すると、

 

「……が……」

 

 弱々しいがたしかに、男が声を漏らした。

 まだ生きている、助けないと! 

 

「爆発が起きたんです、早くここから離れないと」

「爆発が……」

「そうです、だから」

「──あぁ、そうか。そうだった……早く、しないと」

「起きられますか? 早く逃げましょう、ここから──」

 

 言葉が、途中で止まってしまう。

 いや、違うな。止められた。

 止まらざるを、得なかった。

 

「……はい?」

 

 だって、当然だ。僕は今、死にそうな体で、死にそうな人を助けようとしてるのに──、

 

「何で……何、これ、え?」

 

 ──何で、助けようとした死にそうな男に、急に刃物でお腹を刺されてるんだ? 

 

「え、えぇ、あの、え……」

「──ごめんな、でも、そうしないと」

 

 男は弱々しい口調とは裏腹に、とても力強く、何処に仕込んでたかも分からない包丁を、より深く僕の中に──、

 

「ぁあああああ! あつ、熱い? 熱い──痛いいたい、ぁああ!」

 

 熱さの後に、酷い痛みが体のあらゆる感覚を支配する。

 だめだ、こんなの無理だ、死ぬ、死んじゃう、殺される? 殺されようとしてるのかぼくは、何で、なぜ? 

 

「う──ぅああああああああ!」

 

 男は、のたうち回る僕に馬乗りになって、包丁を何回も何回も刺してきた。

 逃げ出す力なんて残ってるはずもなくて──あっという間に僕は蜂の巣みたいに穴だらけになっていく。

 そうやってできた穴からは、僕の命を司る色んなものが垂れ流れていき、代わりに入ってくるのは炎の熱と煙、それと避けられようも無い死の足音だった。

 

「なぁ、なぁ――ちゃんと殺してるぞ!やったぞ!見てるか?みてくれてるよな?だから、もう許してくれ!俺が悪かったから許してくれぇえええ!!」

 

半狂乱に、ワケの分からない言葉を撒き散らしながら男は僕を刺し続ける。

 

「なに……を言って」

「まだ生きてんのかお前死ねよぉ! 死ねえええええ!」

 

 男が両手で大きく包丁を振り下ろそうとした直前。

 さっきより大きな爆音と炎が、僕と男を呑み込んだ。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 どのくらい、そこから経ったのかな。

 

 僕より爆発をモロに受けただろう男は、『熱い熱い』と顔に燃え移った炎にのたうち回りながら、視界からいなくなってた。

 

 僕の命も、もうすぐ居なくなる。

 

 あぁ……どうして、なんで。

 落語の『死神』だったろうか。消えかかる己の命の灯火を前にただ呆然とする他ない男の噺。

 あの男のようにとは言わないが、僕も今まさに、消える自分の意識と命を感じながら、ただ、どうにもならない思考を張り巡らせるしかなかった。

 

 もう助からない、このまま僕は死ぬ。

 死ぬのか、本当に死んじゃうのか、ぼくはここで、こんな唐突に、簡単に死ぬのか? 

 それでいいのか、良いわけない、おかしい、納得なんて到底できない。何か理由があるはずなんだ。何もないのに、こんな死に方、いやだ……。

 

「──?」

 

 死にかけた体に、ほんのちょっぴり残ってる神経が、胸元に微細な揺れがあるのを感じ取った。

 たしか、その辺りにはスマートフォン、あったっけ。

 腕、動くかな……あぁ、動いた。きっと最後の力ってやつなんだろう。

 ぼくは、いつこと切れるかも知らないまま右手でスマートフォンを取り出して、ひび割れと自分の血でメチャクチャだけど、どうにか着信を告げてることが分かる画面をタッチした。

 

「──だれ、だい」

『もしもし? あれ、生きてる!?!』

 

 スマートフォン越しに聞こえた言葉で、僕は、否応なく全てを理解した。

 この状況を作ったのは、君だったのか。

 

「小鳥遊……夢見、君が……!」

『正かぁい! でも驚いた、まだ生きてるなんて、お父さんも中途半端なんだから──これだから反グレは嫌いなのよ』

 

 お父さんだって? 確か夢見の両親は行方が分からないままで──僕を刺した男が、そうだって言うのか? 

 

『お父さんまだ生きてます? そんなわけ無いか。それよりどうでした、あたしのドッキリ企画、題して『おにいちゃんとの恋を邪魔するゴミを爆死させてみた〜!』驚きました? 驚きましたよね? 反グレも本物の爆弾くらいは用意できるんです、小鳥遊親子の命を張った企画楽しんでくれました?』

「……そういう、最初から僕を……殺すつもりで」

『あぇ……今更そんな事聞くの?』

 

 “何当たり前のこと言ってるんだコイツ”とでも言いたげな雰囲気でそう言った後、

 

『そんなの──当たり前じゃない!! あたしとおにいちゃんの間に立って邪魔しやがって! お前なんてそうやって死ぬのがお似合いなのよ! あはははははは!!』

 

 きっと、ず────っとそう言いたかったんだろうな。

 文字通り心底楽しそうに、夢見は笑う。嗤う。嘲う。

 

『死ぬ顔が見られないのだけがほんとーに残念! できるならあたしが直接ぶしゃ──! ってしてあげたかったのに〜!』

「──そうかい」

『……スカしてんじゃ無いわよ、もう死ぬだけのくせに! 残り数分の命を後悔しながらみっともなく死ねぇ!』

「きみ、は……縁と恋人になりたくて、僕を殺すんだよな?」

『“なりたい”じゃなくて“なる”の。綾瀬も渚も、邪魔な女はみーんな殺して、あんたと同じ所に送ってあげる!』

「なら……ひとつだけ、アドバイスしてあげるよ」

『は?』

「電話越しに臭うほどクサいんだよ!! 口臭のケア位してから日本語使え!!」

『──ッ、まだそんな』

 

 電話を切った。

 その瞬間、僕の中に残ってた最後の“線”もまた、ぷっつりと切れた気がした。

 

 あぁ。

 嫌だ。

 死にたくない。

 

 だめだ、このまま終わっちゃうのだけは、ぜったいにだめだ。ダメ、なのに。

 夢見にわざわざ言われるまでも無い。後悔が、恐怖が、とめどなく溢れてくる。

 

 でも──だけど。

 

 もう、どうしようもない!! 

 気がつけばスマートフォンを持っていた手の力も消え失せた。

 血が足りない、酸素も足りない、時間も命も何も無い、全部ない! 

 お金なんていくらあったって、このまま死ぬ自分を止めることなんてできやしない、命も時間も、買えやしない。

 

 死ぬ、僕は死ぬ。夢見の策に乗せられてここで無様に死に果てる。

 でもそれじゃあ、何もかも壊される。

 これから夢見によって、僕の大事な人たちの居場所も、時間も、命も、僕がこのまま死んだらその後に全部殺される。

 残さなきゃいけない、伝えなきゃいけない、こうなったらもう僕が死ぬ事じたいはどうだって良い。ただ何もせずに死ぬこと、それだけがダメなんだ。

 

 それが分かってるから、分かってるのに、何もできることが浮かばない! 

 ただ終わるだけなんてあっちゃいけないんだ、何でも良い、今からみんなに伝える手段があれば何でもするから……たのむから、お願いだ……。

 

「……あぁ」

 

 ──そんな死に際のなけなしの願いだって、もう叶いやしない。

 

「よす、が……」

 

 ──最後になるんなら、もっと、みんなと……縁と、一緒にいたかったな。

 ──最期になるくらいなら、フラれても、気持ち悪がられても、好きだって言えば良かったな。

 ──さいごに、なるくらい、なら……。

 

「……ごめ……ん……」

 

 きっとこれが、綾小路悠の末期の言葉だった。

 

 

 

 

 

 

 うん、やっぱり僕たちの家訓は間違ってるよ、咲夜。

 

 世の中、お金で買えない物ばかりじゃないか。

 

 本当に必要なもの限って、ね。




まずこの世が買えない

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