【完結】ヤンデレの女の子に死ぬほど愛されて眠れない兄になって死にたくなってきた   作:食卓塩准将

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前回までのあらすじ

死んだ


第3病 『夢』と『既視感』

「──お兄ちゃん、お兄ちゃん?」

「……んんっ」

 

 肩を揺らす小さな刺激で目が覚める。

 視界に映ってるのは、見慣れた部屋の天井と、心配そうに俺を見つめる渚の顔。

 雨音は聞こえず、部屋のにおいが優しく鼻孔を包む。

 

 まるで──いや、まさに。

 悠の葬式があった次の日の朝、そのものだ。

 

「……病院じゃ、無いんだよな?」

 

 そんな当たり前のことを、口にしてしまうくらい、今の俺は困惑している。

 

「病院? どこか体調悪いの?」

 

 当然の疑問を抱く渚に、ああやはり、俺の認識がおかしくなっているのだと理解する。

 

「いや、大丈夫だよ。変なこといってごめん」

「お兄ちゃん、うなされてたよ? 悪い夢でも見た?」

「夢……」

 

 さっきまで自分が見てたものを、夢だと言い切ってしまうのは簡単だ。

 でも、そうするにはあまりにも──あんまりにも、リアル過ぎる。

 まぶたを閉じれば今でも鮮明に思い出せるくらいに。

 

 体をかすった車の衝撃、だらだらと流れる血液と、その熱と臭い、刻一刻と死んでいく夢見、そして──真っ正面から車に当たって肉の塊になろうとする自分自身。

 

「うぅ……」

「お兄ちゃん!?」

 

 フラッシュバックて現象をはじめて体感する。あまりの気持ち悪さに胃液が逆上するのを必死にこらえた。

 

「やっぱりどこか悪いんだよ、病院にいこう?」

「いや──大丈夫、もうおさまったから」

 

 慌てる渚をなだめながら、口元を腕でぬぐう。

 

「でも──」

「悪い夢を見たんだ、きっと……悠が死んでけっこうメンタルに来てるんだな」

「それは、そうだと思うけど……」

「とにかく、俺は平気だから。な?」

「…………分かった」

 

 弱々しい表情ではあっただろうが、俺がそう言うことで渚も渋々ながら納得してくれた。

 

 

 朝食を済ませて、今日も渚だけが登校する。

 昨日までは俺から休むと言ってたが、今日は今朝のこともあって、渚からしっかり休むように言われた。

 あんまり酷いようだと心の調子も見てもらう必要があるかも、と過激に心配する渚をまたもなだめながら、俺は『怪我に気をつけていってこい』と無理やり送り出した。

 

 それからは特にやることもなくなり、リビングのソファでテレビを無作為に垂れ流すくらいしか無くなった。

 とはいえ、今日一日ずっとそうして過ごす気は無いわけで。

 

「……なんかしないとなぁ」

 

 今朝見た夢の事もそうだが、悠の死に顔をハッキリ見たので、メンタルに自覚できないストレスが掛かってるのは間違いない。

 こんな心境で、一日中何もせず塞ぎ込んでちゃ、きっと心を本格的に病んでしまうだろう。

 そうなったら益々、渚に心配をかけてしまう。

 

 ……ああいや、そういう『心配かけちゃダメだ』って考えがそもそも駄目なんだっけか。

 無理にでも健全な精神状態を目指すんじゃなく、あくまでも自然と良い方向になっていくような行動をとるべき。

 だからまぁ、そういった閉塞的な気持ちを一新させるために、今俺ができる行為は何かというと──、

 

「……勉強でもすっか」

 

 ちょうど、悠の訃報を受けてからここ数日、全く勉強に手を付けていなかったのもある。

 たとえ親友が亡くなっても、俺が来年受験生になるという現実は変わらないし、世間も同情こそすれ試験に加点なんてしてくれない。

 辛いとはいえ『現実』に戻っていく足がかりとしても、勉強するのはピッタリだ。

 

 それじゃあまずは、メンタルスイッチを切り替えるって意味でも、昨日帰ってから洗ってない体にシャワーを浴びせて、スッキリさせよう──と……、

 

 

「……?」

 

 酷い既視感がした。

 

「……なんだ、え?」

 

 前にもこうやって、同じことを考えて。

 シャワーを浴びた後、たくさん勉強しなかったっけ? 

 

「──うっ……」

 

 前頭葉が酷く痛む。ゲームを長時間やった時や、ソフトボールが額に直撃した時だって感じたことの無い痛みが、頭の中をぐりんぐりんと捩じり込むように弄っていく。

 思わず膝から崩れてしまったが、辛うじてテーブルに手を付けて支えにすることで、ぶっ倒れるのだけは避けられた。

 こんな姿をもし渚に見られたものなら、それこそ問答無用で病院に引っ張られるに違いない。

 

 だが、今の自分が普通とはかけ離れた精神状態にいるのも、疑いようがない事実だと思う。

 以前、パニック障害に悩む人物の体験談をニュースで見たことがある。家に出る時は大丈夫だったのに、レストランで注文を待ってる間、急に具合が悪くなってしまったというものだ。

 今の俺もまた、行動を起こすのはまだ無理ってコトなのだろうか……。

 

「──素直に、寝るか」

 

 今日は……いや今日も、俺は自室のベッドで寝ることにした。

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 微細な振動と、聞きなれたメロディが、不本意な睡眠から俺を起こす。

 枕元に置いてたスマートフォンが、着信音を鳴らしていた。

 寝ぼけ頭のままスマートフォンを手に取り、画面を見ると、そこには綾瀬の名前が表示されてある。

 

「──っ!?」

 

 はっきり綾瀬から電話が来たと脳が認識した瞬間、()()()()()『既視感』が寒気を伴って背中を擦る。

 そう、朝も感じた『既視感』だ。俺は何故か、二度目の睡眠から起きたばかりというのに、今が『もうすっかり日の登っている時間だ』と分かっている。

 画面の端に映ってる時刻は12時45分。それを見る前から、そのくらいの時間だという無根拠な確信があった。

 

「……っ、電話に出ないと」

 

 今俺が感じてる様々なモノは、俺が電話に出るのを待ってる綾瀬には何ら関係のない。

 無根拠で不快なモノを理由に、綾瀬の電話をこれ以上無視することなんて、それこそあり得ない行動だ。

 後ろ髪を掴む一切合切を無視して、俺は綾瀬の電話に出た。

 

「もしもし、ごめん寝てた」

『あー、やっぱり? ごめんね起こしちゃって』

「いや、良いよ。むしろ最高のモーニングコールだ」

『ちょっと、アタシをホテルマン代わりにするのやめてよね』

 

 軽い冗談を交わして綾瀬の声を聴くと、先ほどまでの感覚が嘘のように消えていく。

 

『でも良かった、その様子だと、少しは元気になったみたいね』

「…………少しはね、でも」

 

 一瞬、朝から続く『既視感』を相談しようと思ったが、あまりにも主観的かつ、聴いても『メンタルクリニックに行こう』と本気で提案される未来しか見えなかったのでやめる。

 それでも、綾瀬に全くの嘘を言うのは嫌だったから、部分的にかいつまんで話すことにした。

 

「……正直なところ、自分で思ってる以上にメンタルがやられてるみたいでさ。昨日もちゃんと寝たのにさっきまで二度寝してたのも、それが理由」

『そうなの……ご飯はちゃんと食べられてる?』

「朝ごはんはね。お昼は当然まだ」

『お風呂に入ろうって気持ちは出てくる? もしそれが億劫に感じてたら──』

「あぁ、精神が病んでるときのサインって奴だよね。まだ昨日から寝っぱなしだけど、ちゃんと入る気はあるよ。そこは大丈夫」

『なら良かった。……なんとなく、あなたが今、凄く無理してるんじゃないかって気がして、それが気になって電話したから』

「……綾瀬」

 

 返す言葉が見つからず、電話越しに僅かな沈黙が生まれる。だがそれに気まずさを感じるようなことは無く、むしろ逆だ。

 ここ数日、チャット越しの文字を使ったやり取りばかりだったにも関わらず、こうして俺が電話に出られるようになった頃を見計らって、心配の電話を掛けてくれること。それが本当に嬉しくて、ありがたくて、愛おしい。

 

『あなたってどうしても渚ちゃんのために頑張ろうとする所あるから。渚ちゃんもその辺分かってるけど、あなたのために止めようとしないし……こうして弱い所しっかり指摘してあげるのはアタシだけなんだからね?』

「うん、感謝してる。綾瀬が俺の幼なじみで、俺は果報者だよ」

『果報者って……そういうお爺さんみたいな言い方しない。それに、幼なじみじゃなくて今は恋人でしょ?』

「……そうだな。綾瀬は最高の恋人だ」

『なら、そんな恋人との数日ぶりの会話なんだから、もっと他に言うべきことがあるんじゃない?』

「いや、えっと……あはは、それ、すっげぇ恥ずかしいんだけど言わなきゃダメ?」

『何よー、言いたくないの? 大好きな幼なじみ兼恋人に大好き、はやく会いたいって言うのがそんなに恥ずかしい?』

「もう自分で言ってるじゃん……」

『そう、アタシは言ったけど恥ずかしくない。あなたは?』

「……ずるいなあ」

 

 とはいえ、確かにそうだ。

 綾瀬が恥もためらいもなくそう言ってくれるなら。俺だって今の気持ちをちゃんと伝えないと。

 

「綾瀬は俺なんかにはもったいないくらいの──なんて言わない。俺の、俺だけの恋人だ」

『~~~っ!』

 

 電話越しでも、綾瀬がどういう顔でどんなリアクションをしてるかがよく分かる悶え声だった。

 

「──明日、次はちゃんと面と向かってこれ言うから。待ってて」

『……うん、待ってる』

 

 そうやって約束を交わした直後に、綾瀬の方から昼休み終わり5分前を告げるチャイムがうっすら聞こえてきた。

 どうやら、この時間も終わりにせざるを得ないようだ。心の底から名残惜しいけど。

 

「じゃあ……時間だろうから、一旦切るな」

『えぇ。また明日ね』

「ああ。また明日」

 

 そう言って、どちらからともなく電話を切った。

 

「──さて、俺も遅まきの昼食、するか」

 

 綾瀬から食事の心配もされてたし、健康な精神のために、俺が確実に無理なくできるのは、食事くらいだろう。

 さっそく1階に降りてご飯の用意をしよう。そう思ったが、俺の視線は自然とスマートフォンに向けられて固まる。

 

「……早く会いたいな」

 

 電話を終わらせたのは自分なのに、それがとても口惜しい。

 できるなら、もう今日のうちに会いたいという気持ちすらあった。

 それを言わなかったのは、直前に物凄く胸がいっぱいになるやり取りをしたのと──、

 

 前にもそうやって、会う約束をしたのに、結局会えなかったから。

 

「──あぁぁぁもう、またかよ!!!」

 

 せっかくの幸せな気持ちが、またも降って湧いた『既視感』に蹂躙し尽される前に、俺は怒声と共にそれを薙ぎ払う。

 電話の前と後、綾瀬に関する行動にこの不快なモノが出てくる、それ自体がもはや許容できることではない。

 

 朝の様に、ただ振り回されるような精神状態では無くない。

 だからこそ、冷静では無いけどもいくらか客観視して、自分の中に度々生じるモノを見やることにした。

 むろん、昼食の用意もする。綾瀬との会話の余韻に泥を塗るような不快極まりない感覚に、俺の食事時間まで割いてやる価値なんて無いからだ。

 

「ながら作業で相手してやる! 片手間感覚でな」

 

 我ながら虚勢を張ってるなあと自覚しつつ、俺は今度こそ、スマートフォンを寝巻のポケットにしまいつつ1階に降りたのだった。

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 ニンニクとオリーブオイル、それとベーコンを2枚使ったお手軽ペペロンチーノをモグモグと食べながら、俺は改めて今朝から続く『既視感』について考える。

 

 最初に起きたのは、朝勉強しようと決めたとき。シャワー浴びてスッキリしようと思い至ったら、強烈な『既視感』と、それにつられて頭痛が起きた。

 次に出たのは綾瀬の電話を受けとるとき。電話が来ると言う事実だけじゃなくて、電話が着た時間すら、俺は眠りから起きたばかりなのに分かっていた。

 そして、最後……現状の最後は、電話を終えたあと。つまりさっき。綾瀬と今日中に会いたいと思った矢先に、それが叶わないと、何故か俺は思った。

 

 先の2つは気のせいで済む話かもしれない。だけど3つ目もそれで片付けるには、あまりにも変だ。

 俺はただ『どうせ会えやしない』という気持ちで綾瀬と今日は会えないと思ったんじゃなく、明確に会えない理由があって無理だと思っている。

 それは何故だ? この考え方は、それこそ過去に一度でも、綾瀬と会おうと試みた経験がなければ出てこない類いのものだ。

 だがそれはあり得ない、俺がそう思うためには、今日を最低でも1度は繰り返さなきゃならないからだ。

 

「それはねえだろ……」

 

 突拍子もない考え方……なのに、何故かそれがものすごく自分の心のなかでしっくりと来てしまった。

 最初の2つの『既視感』と言い、俺は今日を繰り返してるとでも? 馬鹿な。

 

「何なんだ今日は……」

 

 思えば朝から俺は変だった。起きてまず口に出たのが『病院か?』だなんて、昨日は確かに気絶するように寝てしまったけど、渚と会話してから寝たんだ。病院にいくようなことは何もなかったと分かるだろうに。

 

 ……それなら、何で俺は病院に自分がいるのか、なんて疑問を持ったんだ? 

 パッと思い付くのは、そう言う夢を見ていたからだ。夢の中の出来事を、起きたはかりの寝ぼけてる自分が現実とごちゃ混ぜにしてしまった、というもの。

 

 であれば、それはどんな夢だったのだろう。

 起きた直後は、ものすごく鮮明に覚えていたのに、今は大まかな輪郭だけしか思い起こせない。

 

「確か……大怪我するような夢だった」

 

 口に出すことで、思い出すきっかけを作ろうと試みる。

 それが功を奏したのか、連想ゲームのようにその原因が頭から出てきた。

 

「そう、そうだ、車に牽かれたんだ、思い切り、2回も」

 

 2回目に牽かれる直後、俺は起きた。

 最初に病院かと渚に訪ねたのは、俺が車に牽かれたと思ってたから、ということになる。

 

「……っ」

 

 思い出してきたら、鳥肌が立ってくる。

 夢だった……ハズなのに、思い出そうとすればすぐにあの瞬間の質感がリアルに甦ってくる。

 もうここで考えるのをやめにしたかったが、そうもいかない。俺は更に『夢』を思い起こす。

 

 車に牽かれたんだって言うのは、つまり、俺が外に出たってことになる。

 じゃあ、俺が外に出るきっかけは何だろうか。綾瀬と会うのなら家で済む話で、わざわざ『夢』のように車の行き交う大通りに行く必要がない。

 どこかに行こうとしてた、あるいは、行った帰りか? 

 

 じゃあどこに行ったんだ。

 曖昧だが、服は制服じゃなかった。つまり学園ではない。

 もう少しで答えが出てきそうなもどかしさがこめかみを痒くする。それでも答えが出てこなかったので、ヒントがないかと今日の出来事も振り返ってみたら、綾瀬との電話の部分で引っ掛かるものがあった。

 

 電話の内容そのものではなく、電話だ。

 そう、たしか『夢』で俺は、牽かれる前に誰かと電話をしていた。相手は綾瀬ではなく、たしか……、

 

「……綾瀬のお母さん」

 

 言葉に出して見ると、その通りだという確信が持てた。

 間違いない、俺は綾瀬のお母さんと電話をしている。なら当然次の疑問は、その内容だ。

 またそれを思い出す必要があるのかと思ったが、今度はまるで芋づる式に思い出してきた。

 

 綾瀬のお母さんは病院にいて、俺にあることを伝えようとしていた。

 それは、病院にいる綾瀬が、死んだってことで。

 そもそも、綾瀬が病院にいる理由は、確か綾瀬が放課後に学園で頭を強く打ったからで。

 

「……………………嘘だろ?」

 

 じゃあ、俺が何故か今日綾瀬と会えないって思ってるのか、その理由は。

 綾瀬が今日死ぬことを、もう知ってるから? 

 

「──ふざけんな、冗談じゃない……」

 

 きっと心が疲れてるだけだ。

 急に親友を失って、前世でも大切な人が死ぬ経験してるから、記憶や過去や経験がない交ぜになった結果、そう言う想像ばかりをしてしまうだけに違いない。

 だってそうだろう? さっき電話で元気に受け答えしてた綾瀬が、今日の放課後いきなり死ぬって? 

 これが有名な占い師や予言者だのが言うならまだしも、親友が死んで精神がまともじゃなくなってる男の夢がそう言ってるだけの話。

 そんなもの、マトモに受けとる方がおかしい。

 

「…………駄目だ、病院にいこう」

 

 抵抗があるが、予約を取って早い内にメンタルクリニックに行くしかない。

 渚が帰ってきたら相談する。決まり。

 

 自分のなかでそう結論付けて、食事を再開する。

 だが、量は多く作らなかったはずなのに中々手が進まず、食べ終えるのにすっかりスパゲッティが冷え切ってしまうくらいの時間をかけてしまう。

 何とか食べ終えたら食器をさっさと洗って、今度こそ俺は、心のスイッチを切り替えるためにシャワーを浴びることにした。

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 いつもなら長くて20分程度の所を、普段の倍以上時間を取って体の隅々まで洗って、上下の下着だけ付けた俺は、横着してドライヤーを使うことだけ渋り、タオルで雑に頭をふきながら部屋に戻った。

 

「……はぁ」

 

 結論。ダメだった。

 

 昨日から肌にまとわりついていた汗っぽさや怠さがシャワーのお湯に流されて、確かにスッキリした。

 なのに、肝心の心のスイッチの切り替えができない。

 シャワーの間、頭の中で別のことを考えようとしたが、『既視感』と『夢』の内容がどうしたって拭えなかった。

 それ以外を考えようとするって思考回路が、ふさがれているみたいに。

 

 こういう状態になってしまったら最後、選択肢は2つしかない。

 

 1つは、引き続きこの強迫観念じみたモノから何とか目を逸らし続けて、病院に行くまで耐える。

 もう1つは、行動を起こす。つまり……。

 

「要は、今日を乗り越えれば全部気のせいってことになるんだろ?」

 

 『既視感』も、『夢』も、今日に限った話だというなら、いっそのこと今から学園に行って確かめれば良い。

 綾瀬が病院で死んでしまうようなことになるって言うなら、そうなる可能性を一切合切排除する。そうやって万が一でも『夢』と同じ状況にならなければ解決って話だ。

 

 壁に掛けられている時計を見る。

 綾瀬との電話の後、遅々とした昼食と長風呂ならぬ長シャワーをしたので、気が付けば3時を過ぎていた。

 今から着替える時間を計算して家を出れば、学園に着く頃には最後の授業が終わった直後って所か。

 それなら帰りのHRがあるし、教室に行けば綾瀬がいるはず。見つけたらとにかく一緒に行動して、少しでも危ない物があれば遠ざける。

 

 それでお終い、朝から俺を苛むモノから晴れて解放されるワケだ。

 

「──じゃあ、さっさと出る用意するか」

 

 ダラダラと乾かしてた髪をドライヤーで乾かし、いそいそと制服に着替え、一応補導されないために中身は空っぽの鞄を手に家を出た。

 

 

 学園に着いて教室に入ると、ちょうど帰りのHRが始まる前だったらしい。廊下を歩く途中に帰る生徒がいたから、もしかして遅かったのかと少し焦った。

 

 一瞬、扉を開けた瞬間に今まで何度も見てきた柔和な笑顔と『やぁ縁』という声が幻と共に脳裏に浮かんだが、視界に映った現実が、ありありと『悠のいない教室』を見せつける。

 

「──ん、ぇえ、野々原!?」

 

 俺の情緒がまた歪み始めるより前に、いち早く俺の存在に気づいた七宮が、お化けを見たような顔とリアクションをした。……まぁ、分からなくもない。

 途端に、クラスのみんなが俺に気づいて、会話が止まってしまう。

 

「……いや、会話続けていいから」

 

 苦笑い気味の笑顔を無理やり作って、凍った空気を砕く。

 それだけですぐにみんなが元通りになるわけじゃ無いが、元々付き合いの浅いクラスメイトから、自分たちの会話を再開し始める。

 

「お、おいおい……今日まあまあ休みだったんじゃ」

 

 七宮が心配した口調で、オロオロしながら言う。

 だけど、腫れ物を扱うような感じでは無かったから、少し心待ちが軽くなる。

 

「ちょっと用事があって来た。綾瀬は……あれ、居ないのか?」

 

 教室の中をぐるっと見回して──途中に見えた悠の机と、その上に添えられた花に心をかき乱されるのを必死に抑えつつ──、綾瀬の姿が見えないことに気づく。

 というか、綾瀬が居れば七宮が俺の名前を大声で口に出した時に駆け寄ってくるはず。ということは、今綾瀬はどこか別の場所に……。

 

「七宮……綾瀬、見てない?」

「んぇ、河本? そういやさっき教室出てったような……すぐにHRだし、トイレじゃね」

 

 居ると思っていた綾瀬が居ない。

 それだけのことなのに、急激に背中を冷たい汗がつぅっと流れる。

 

「──っ!」

「ちょ、おい縁!」

 

 七宮の言葉には応えずに、俺は教室を飛び出した。

 教室からいちばん近いトイレには、途中の廊下で通り過ぎている。つまり綾瀬が教室を出たのはそれ以外の理由ってことになる。

 そうなると、綾瀬が向かったのは校舎の中央側、俺が通ってきた道とは違う方向だ。

 その方向にあるのは──。

 

「……落ち着け。勝手に決めんな」

 

 飛び出してすぐに走り気持ちを抑えて、まだ人の多い廊下を早歩きで通り抜けていく。

 この先にあるのは、校舎で唯一屋上まで繋がっている階段だ。

 そして、ここに来るまでにおぼろげながらも思い出した『夢』の中で、綾瀬が死ぬ原因となったのが、学園で頭を強く打ったこと。

 

 肝心の『どうして頭を打ったのか』についてまでは思い出せなかったが、仮に『夢』が本当に起きてたとして、『夢』の中の俺が経緯を説明されてたとしても、綾瀬が死にそうってショックで何も頭に入っていないだろう。

 

 それでも推測くらいならできる。

 学園の中で死ぬレベルの頭の打ち方をするなら、方法ないし過程は限られている。

 

 家庭科室にある大きめのフライパンや鍋で思いっきり叩きつけられる。

 教室の出入り口の引き戸でギロチンみたいに挟む。

 会議室にあるパイプ椅子の金属部分を豪快に振り下ろす。

 

 その他にも、剣道部に置いてる木刀や野球部のバットとか、その気になれば凶器になるものは結構多い。

 だけど俺が考えたのは、それよりもっとシンプルで、かつ確実に死ぬもの。

 

 つまり、屋上からの飛び降り。

 

 無論、綾瀬が自分から飛び降りるなんて可能性は万に一つも無い。

 それに屋上は咲夜の圧力で全校舎が解放されたとは言え、授業時間中は施錠されている。放課後に用務員さんが鍵を開けるまでは基本立ち入ることは不可能。

 だけど、綾瀬が何らかの理由で屋上にいて、何かのきっかけで落ちてしまう可能性は0じゃない。

 そんな馬鹿な話があるわけないだろう、と自分でも思うが、今の綾瀬がそれ以外の理由で──つまり、綾瀬の自損ではなく、誰かが綾瀬を殺そうとしたってシチュエーションが考えられない。

 

 昔の渚なら、あるいはあり得たかもしれない。

 兄に依存し、幼なじみの綾瀬を内心で嫌悪していた渚なら。

 だけど、今の渚は俺や綾瀬との衝突や和解を経て、ともすれば俺なんかよりずっと精神的に成長している。

 そんな渚が、今更になって綾瀬を手に掛けようとするのは、絶対にあり得ないんだ。

 

 園子にしたってそうだ。

 柏木園子というキャラクターに、ヤンデレの可能性があるのは事実。

 でも、俺と悠と綾瀬の3人で助けて、一緒に過ごしてきた園子はヤンデレじゃない。

 綾瀬とも正真証明の友情を育んでいる彼女に、綾瀬を殺そうとする理由があるのなら教えてほしいくらいだ。

 

 つまり、綾瀬を殺す可能性がある『ヤンデレCD』の人物はもういない。

 なら、綾瀬が何かしらの理由で自分から頭を打った。という結論になるしか、俺には考えられないんだ。

 

 HRの時間を告げるチャイムが鳴り、廊下をうろついてた生徒たちも続々と教室に戻っていく。

 人が減っていく廊下をさっきよりも早い足取りで通り過ぎると、階段の踊り場が見えてくる。

 そこまで行ったら、思い切り階段を駆け上がり屋上へ向かおう。

 扉が開いてたら綾瀬が居るのは確定。開いて無ければ──きっと教室に綾瀬は居て、全部が杞憂だったってオチ。『夢』のことも『既視感』も、全てが完全に吹っ飛ぶ。

 

 後者であることを心の底から願いつつ、俺はまっすぐな廊下から踊り場に足を進める。

 そして──────。

 

 

 

 音は無く。

 声も無く。

 とても綺麗な放物線を描きながら、踊り場の上から落ちてくる。

 綾瀬が、見えた。

 

 放物線の終着点、俺の1メートル前方の床に後頭部から叩き落ちた綾瀬の身体は、そのまま、まるでピンボールの玉みたいにもう一度空中に飛びあがり、今度は廊下の壁にぶつかり、そこからまた2、3度バウンドして……顔だけ俺の方を向いた俯せの状態で、ようやく止まった。

 途中、何度も肉や骨がしたたかに打ち付けられて壊れる音を廊下に、俺の耳朶を通して脳の海馬に鳴り響かせつつ。

 

 

「……は?」

 

 その全部を見た俺は、そんな間抜けな声を出したと思う。

 

「……綾瀬? 何してんだ、お前……? なんで? なんで落ちてんの?」

 

 続く気の抜けた疑問に、綾瀬は当然答えることはなく。

 代わりに、頭からこぼれ出る綾瀬の血液が、まるで縋るように俺の方へと流れてきた。

 光彩の消えた瞳は人形のガラス玉のように無機質で、さっきまで河本綾瀬だった命が、ここにもう無いことを口以上に語っていて……。

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 数時間後。日はとっくに沈み、冬の空気が肌にしみこむ時間。

 

「災難続き、なんて言葉じゃ足りないわね」

 

 病院の一角にある休憩室。

 そこで手術中の綾瀬を待ちながら呆然と佇む俺に、見知った金髪の少女──綾小路咲夜が声を掛けた。

 どうして咲夜が居るのかというと、ここが綾小路家お抱えの病院だからだ。

 

「アンタから急に連絡が来たときはどうしたのかって思ったけど、まさかアイツに続いて河本綾瀬まで、こんなことになるなんてね」

「……悪いな、無理言って」

「──別に、この程度なんてことないわよ」

 

 綾瀬が血だまりになって倒れている姿を見て、最初に俺がしたことは、取り乱す事ではなく──いや、既にこれでもかと言うほど取り乱してはいたが、ひとかけらの理性が起こした行動は『咲夜に連絡する』だった。

 必要最低限の情報で、事の重大性と、やって欲しいことを伝えたら、咲夜は困惑しつつも迅速に行動してくれた。

 その結果、救急車が運ぶ一般の病院ではなく、綾小路家の人間が最優先に運ばれる病院──数日前に悠の死体が運ばれた場所でもある──に緊急搬送され、そのまま手術の運びに。

 今はその結果を、同じく病院に来た綾瀬のご両親と一緒に待っている。

 お二人からは先に家に帰るよう勧められたが、それすらも『既視感』があったので、無理を言って残らせてもらった。

 

「アンタの妹と、イトコは?」

「帰ってるよ」

 

 俺が綾瀬の乗る救急車に同行するときに、一緒に来てくれた渚と夢見は帰らせたが、その際に念のため家の生活費から削っていいからとタクシーに乗らせている。

 

「そ、なら都合がいいわ」

「え?」

「アンタ、だいぶ意気消沈してるみたいだけど、人の話を聞く気力は残ってる?」

 

 咲夜の発言の意図がわからな……い、わけではないが、何を話そうとしてるのかが分からない。

 確かに、悠の死に続いて綾瀬まで生死の境を彷徨っている現状に頭がいっぱいだ。

 だけど、それにも関わらず、咲夜の言う『気力』とやらがまだ俺の中に残っている。

 皮肉にも、今日1日俺を悩ませていた『夢』と『既視感』が、一種の耐性みたいなものを生み出しているみたいだ。

 

「残ってるっていうか……内容によるかな」

「じゃあ問題ないってコトよね。来なさい」

 

 こんなときでも傍若無人な強引さは変わらない。

 不思議だが、それが逆に今は安心感すら覚える。

 

「話はここじゃダメなのか?」

 

 とっくに一般の利用者が居なくなった休憩室なら、誰にも聞かれる心配はないはずだ。

 しかし咲夜は答えず、スタスタと歩いていく。

 仕方ないので、急いでそのあとを追うと、普段患者も入らない、中にテーブルと椅子があるだけの狭い部屋に入る。

 入るや否や鍵を閉めるように言うのでその通りにすると、珍しく『はぁ……』と疲れた色のため息を咲夜が吐いた。

 

「ここなら、防音だから誰にも聞かれることは無いわ」

「いったい何の話をするっていうのさ」

「誰にも聞かれたくない話よ。まずは椅子に座りなさい、落ち着いて聞けないでしょ」

 

 これまた珍しく、咲夜が諭すような口調で言うものだから、引っ掛かりはするが素直にいうことを聞くことにした。

 たぶん、咲夜がこういう態度になるってことは本当に大事な話だ。逆張りして逆らう理由は無い。

 それに、こんなこと絶対に言えないけど、諭すときの雰囲気が悠に似ていたってのもある……絶対に言わないけど。

 

「まず、最初にアタシに連絡したことは本当に正解だったわよ、じゃなきゃ河本綾瀬は今頃庶民向けのやっすい設備に繋がれて死んでたでしょうね」

「……今も、死ぬかもしれない状況には変わらないだろ?」

「彼氏なんでしょう? もう少し庶民らしく都合のいい方に考えを向けたらどう? それに、綾小路お抱えの病院(ここ)と他所を一緒にされたら困るわ」

「そんな凄いのか……庶民には立派な病院としか分からないや」

「死にかけだったらどんな状態でも死なせないだけの医者と設備を用意してるの。ここに綾小路家の名前で運ばれて助からないのは……」

 

 そこで一度言葉を止めて、やや間を開けてから。

 また、ため息を吐きつつ言葉を再開する。

 

「……助からないのは、来る前にとっくに死んだ奴だけよ」

「……そっか」

 

 それ以外、反応のしようがない。

 

「とにかく! ここに運ばれた以上、アンタの彼女のことはひとまず安心しなさい。それよりも、今後の話よ」

「今後って言うと……リハビリや治療費か?」

「違うわよ、ていうか、そんなのアタシの方で出しとくっての」

「は、ええ? マジで言ってるのか」

「『マジ』よ。河本綾瀬の親にもとっくに説明済みなんだから」

「──ありがとう! 何から何まで!」

 

 信じられない大判振る舞いだ。さっきここが凄い病院だって言うからどうなるんだろうと内心少し焦ったが、その心配もなくなった。

 

「きゅ、急に元気なるんじゃないわよ! 別にあんたのためってだけじゃ──ああもう、話の腰折らないで!」

「ん、すまない……続けて」

「もう、これだから……。さっきも言ったけど、これはアンタのためじゃない、アタシにもあいつに死んでほしくない理由があるの」

「理由……それが、お前の言う『今後』につながるのか」

「そういうこと。……少し調子戻ってきたみたいね」

 

 調子が戻ってきたわけでは無いが、今この会話に『既視感』を抱いてない事が関係してるかもしれない。

 結局、俺が見た『夢』の通りに綾瀬は学校で頭を打ち、生死の境を彷徨うことになった。『夢』も『既視感』も、決して無視できないものだと理解した。

 だが『夢』ではとっくにこの時間、綾瀬はおろか俺と夢見も車に轢かれて死んでいる。しかし、綾瀬は手術中とはいえまだ生きており、少し前に渚と夢見両方から帰宅したとSNSでメッセージが来ている。

 あの『夢』の続きに、俺はいるんだ。

 

「話してくれ、今後するべきことって言うのはなんだ?」

「それは──」

 

 次に咲夜が放った言葉は、俺の想定から大きく外れる、思いもしないモノだった。

 

「犯人探しよ。河本綾瀬を階段から殺そうとして──」

 

 

 

「悠を殺した犯人のね」

 

 

 

 ──to be continued


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