【完結】ヤンデレの女の子に死ぬほど愛されて眠れない兄になって死にたくなってきた   作:食卓塩准将

44 / 75
クリスマスプレゼントだろ!!!!


第8話 汀の音

「最低ですね」

 

 そう言い切った渚は、言葉の強さとは裏腹にまるで普段通りの雰囲気だった。

 怒りはなく、失意もなく、まるで日常そのままって感じの、そういう渚。

 

「……」

「渚……渚ちゃん、どうして」

 

 当たり前だが、俺と綾瀬もすぐに距離を取った。取ったところで俺がやろうとした事も、さっきまでの距離感も、全部渚には筒抜けではあるが。

 綾瀬は息を呑み、俺は冷や汗が背中を伝る。

 誰にも見られてはいけない行為を、1番見られてはいけない人に見られた。

 その事実が、この後何が起こるのかを簡単に思い起こさせる。

 

 ──終わった。

 素直に、そう諦めるしかない。

 自分のやろうとした事、その結果がコレなのだと。

 隣の綾瀬も、同じ様に思ってるのだろうか。

 

「お兄ちゃん……それに、綾瀬さんも、遅かったから心配になって来てみたら……ふふっ」

 

 後ろ手を組む渚は、一見すると手ぶらの様に見えた。

 だけど、背中に隠した手に何か持ってる可能性は十分にあり得る。

 

「大丈夫? お兄ちゃん、すごく難しい顔になってるよ? 綾瀬さんもだけど」

 

 言いながら、一歩、また一歩と俺達に近づく渚。

 その歩みから、俺も綾瀬も半歩だって退がる事は出来ない。

 蛇に睨まれた蛙の様な。生きたまま標本にされる虫の様な。絶対にその場を動けない、動かせない力が働いている。

 

 あっという間に、渚は俺達の間にまで辿り着く。そうして、ゆっくりと俺の方へと顔を向けた。

 街灯に照らされて映った渚の瞳は──あれ? 

 

「──ぷっ、あはははははは!」

 

 ──本当に“いつも通り”の、明るく澄んだ色をしていた。

 

「もう、お兄ちゃんったら怖がりすぎだよぉ。そんなにビクビクしなくたって平気だって」

 

 笑いながら渚が、口元に手を当てる。その手は何も持ってはおらず、手ぶらだった事が分かった。

 ……てことは、渚。

 

「怒って、無いのか?」

「うん、怒ってないよ」

 

 あっさりと、キッパリと、渚は断言した。

 先程の俺がやろうとしてた事を見た上で、その相手が綾瀬だと知ってる上で、だけど渚は怒っていない。

 

「何で? ……って顔してる。お兄ちゃん、私がそんなに怒りっぽい子だと思ってたの? 酷いなぁ」

 

 それどころか、心外だとばかりに頬を膨らませて、可愛らしく不満をアピールなんてまでして見せた。

 その一挙手一投足から、渚は演技じゃなく本当に怒っていないのだと分かった。

 本気で、からかっているだけ。

 

 であれば、当然疑問が生じる。

 それすら分かってるとばかりに、渚は聞かれるより先に自分から話始めた。

 

「お兄ちゃんは優しいから、その場の空気に流されやすい所があるのは知ってるもん。だから、()()()()()()()()()、綾瀬さんのために動いちゃうんだろうなぁって、簡単に分かるよ」

 

 カラカラと笑いながら答えるその言葉に、一切の嘘は感じられない。

 信じられない話だが、本当に渚は、“しょうがないなぁお兄ちゃんは”なんて雰囲気でこの場を流している。命の危機を感じてる事それ自体が、ちゃんちゃらおかしい事だと笑っている。

 

 でも、それじゃあ最初綾瀬に向けた言葉はどうなる? 

 “最低”なんて言葉、マイナスの感情がこもってなきゃ出てこないハズだ。あるいは、よほど本当に酷い現場を見てもしなきゃ、そんな言葉が口から出てくるワケ──、

 

「何もおかしく無いよ、お兄ちゃん」

 

 そんな俺の考えすら読めている様に、渚はさっきまでの綾瀬と同じくらいグイッと俺に近づいて、下から覗き込みつつ、

 

「言ったでしょ? お兄ちゃんの事を1番理解してるのは私。だからお兄ちゃんが考えてる事なんてすぐに分かるんだから」

 

 そう言って、くるりと踵を返し、今度は綾瀬を見る。

 視線が自分に向かれた綾瀬は、そこでようやく右足を半歩だけ後ろに下げた。プレッシャーに押されるように。

 

「私が、綾瀬さんにも怒って無いのがお兄ちゃんは不思議なんだよね?」

「……あぁ」

「それも簡単だよ。だって──怒る気にすらならないんだもん」

 

 “怒る気にすらならない”。その遠回りしな言い方からは、まるで滑稽なものを見ている時の様な、心底見下している時みたいなニュアンスを感じた。

 

「本当は全部分かってるのに、お兄ちゃんの気を引きたくて、構って欲しいからって分からないフリまでしちゃって。あんな必死な姿見たら、無様過ぎて怒る気にもならないわ。ねぇ綾瀬さん?」

 

 言葉の暴力なんて生やさしい表現じゃすまない、まさしく見下した人間から出る言葉が、容赦なく綾瀬を突き刺していく。

 

「そんな事……そんな事ない! アタシは」

「嘘ですよねぇ? お兄ちゃんがあんなに違うって言ってたら、本当の事だって分からないハズないですよ。だって綾瀬さんは幼なじみでしょ? アタシの次にずっとお兄ちゃんと一緒にいた綾瀬さんが、お兄ちゃんの言葉が本当か嘘かなんて分からないワケがないじゃない。もし分からないなら幼なじみなんて名乗る資格無いわ」

「……違う」

 

 渚は弱々しく反論する綾瀬を、まるで意に介さない。

 

「綾瀬さんがお兄ちゃんの気を引きたいのは構いませんけど……それでお兄ちゃんにキスまで強請るのは、流石におふざけが過ぎますよね?」

「……うるさい」

「お兄ちゃんが断れないのを知ってて、迫られたらそうするって分かってて、そういう事するから“最低”って言ったんです。分かりましたか?」

「うるさいって言ってるでしょ……」

「これで分かったでしょ、お兄ちゃん。お兄ちゃんは綾瀬さんに何も悪い事してないし、綾瀬さんのためにあれこれ考える必要なんて無いの。だって──」

 

 それ以上言わせちゃいけない。

 そう判断すんのが、遅過ぎた。

 

「最初からぜーんぶ、お兄ちゃんの気を引きたいからやってる構ってちゃんアピールでしかないんだから。調子に乗らせるだけだよ」

 

 直後。

 強烈に乾いた音が、耳朶に響いた。

 

「五月蝿いって言ってんでしょ……何で分からないの」

 

 次に聞こえたのは、綾瀬の声。

 そして矢継ぎ早にもう一度、乾いた音が響く。

 驚きで硬直していた思考が、その音の正体をようやく認識した。

 綾瀬が、思いっきり渚の頬を叩いた。今のはその音だった。

 

「あんたなんかに……何が、何が分かるって言うのよ!」

「ハァ? 正論言われて言い返せないからって逆ギレですか?」

 

 頬を2度も叩かれたにも関わらず、渚の強気な態度は揺れる事が無い。

 黙るどころか更に煽って来た渚に、綾瀬はもう一発──今度は手を拳の形にして振り上げる。

 幾らなんでも殴られる妹をぼぉっと見てるわけにいかない。慌てて綾瀬を止めようと身を乗り出した、その直後。

 

「“アンタなんかに何が分かる”ですって? 何も分かりませぇん。と言うか綾瀬さん、そんな風に怒る資格があるんですか? 自分の事棚に上げ過ぎてません? 私の言葉が正しいって、あの日保健室で言ったの誰でしたっけ?」

 

 まるで横からカウンターでも食らったボクサーみたいに、綾瀬の手が止まる。

 再び綾瀬を言葉のみで圧倒した渚は、止めようとして間抜けな姿勢になり掛けてる俺を背にしながら、トドメになる言葉を言い放った。

 

「お兄ちゃんの優しさに甘えるばかりで、自分の思う通りにいかないと暴力に走るなんて、そんな人がお兄ちゃんの幼なじみだったなんて幻滅するわ。最低を通り越して、お兄ちゃんの人生の汚点ね」

「──っ!」

 

 弾かれた様に、今日部室で見た時よりも更に早く、綾瀬が公園から走り去って行く。

 それはまるで、いやまさに、撤退と言っていい物だった。

 

 急いで後を追いかけよう、綾瀬がここから離れて向かう場所は家しかない。慣れない校舎内ならともかく、親の顔より見慣れた道で見失う事はしない。

 ──そう、思ったが。

 

「あれ、お兄ちゃん。追いかけないの?」

「……うん」

「きっと今の綾瀬さん相手じゃ追いついたって無駄だとは思ってるけど。……ちょっと意外。どうして?」

 

 俺が追いかけようとしない事を不思議がる渚。その渚に、俺はポケットから取り出した物をかざす。

 

「え──これ、ハンカチ?」

 

 前世の記憶を持ってから絶対にCDと同じルートにならないために、と持ち歩く事にしたハンカチだ。

 わざわざそんな物を渚に見せたのは、決闘の申込みをするためでも、降伏の証を見せるためでもない。

 かざしたハンカチをそのまま渚の顔まで動かして──、口元を優しく拭う。拭った後のハンカチに付いていたのは、渚の血だった。

 

「口元、怪我してる。さっき綾瀬に引っ叩かれた時に口が軽く切れたんだ」

「──え? は、本当?」

 

 冷静を装ってるが、やっぱり興奮して気付いてなかった。

 俺が追いかけるのをすぐやめたのは、確かに渚の言う通り今度こそ追いついても無駄だろうって諦観もあったが、渚の口元から血が地面に垂れ落ちるのを見たからだ。

 どんな過程があったとしても、怪我した渚を放置して何処か行くなんて事、それだけはできなかった。

 

「家帰るぞ、消毒しなきゃ」

「……うん」

 

 嵐にも似た激しい時間は、こうしてあっさりと終わりを迎えた。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「ん、終わり」

 

 唇のところがちょっと切れただけで、あとが残るような傷ではなかったのが良かった。

 消毒と、傷薬を塗って、絆創膏を貼ったから明日には目立たなくなるだろう。

 

「……ありがとう、お兄ちゃん」

 

 先ほどまで綾瀬を追い詰めていた人間のそれとは思えないほど、柔らかく、穏やかな声で渚は言った。

 俺が貼った絆創膏を指で軽くなでると、クスクス笑いながら、

 

「……なんだか、昔とは逆だね」

「そうだっけ……そうだったかも」

 

 渚の言う昔……小学校低学年のころは、俺が遊んでケガしたら渚が手当てしてくれた事が何度もあった。

 今日は確かに、その逆だ。遊びで怪我した俺と、煽りで怪我を負った渚じゃ、内容が雲泥の差ではあるが。

 

「いつの間にか、お兄ちゃんの手当をするのも綾瀬さんの仕事になってたよね」

「……」

「あ、今『いきなり綾瀬の事を持ち込んでくるのかよ』って思ったでしょ?」

「渚、1ついう事がある」

「なぁに? お兄ちゃん」

「心読むの禁止」

「はぁい。えへへ」

 

 そのものずばり、一言一句同じことを思ってたからびっくりした。

 言い当てた渚ときたら、なんかさっきから妙に浮足立っている様で、さっきあんな事があったというのに、凄くはしゃいでいる。

 気になった。から、聞いた。

 

「なんで嬉しそうなんだ? 怪我したから?」

「その言い方だと、私変態みたいじゃない。違うよ、お兄ちゃんが綾瀬さんじゃなく私を優先してくれたから。だから嬉しかったの」

「──そっか」

 

 臆面もなく、ストレートに。気持ちを示してくれる渚。

 普段から渚はそうだけど、ああいう事があった後は、特にそのまっすぐさが胸に染みる。……最も、それが今みたいにプラスの方向に向いている時だけは、だが。

 

「……まぁ、兄としては人を馬鹿にして痛い目にあった妹をほっとくのも考えたけどな。顔に傷が残ったら父さんにぶっ殺されるし」

「あー、そういう事言うんだ。私は本当に嬉しかったのに。今だってサイコーって気持ちなんだよ」

「大げさだろ、たかが怪我の手当くらいで。照れるからやめろって」

 

 照れるのは本当だったので、さっさと消毒薬やらなにやらを救急箱に詰め戻して、元あった場所に戻そうとする。

 

「大げさなんかじゃないよ」

 

 そんな俺の手を、渚がそっと掴んだ。

 

「……渚?」

「お兄ちゃんは、絶対綾瀬さんを優先すると思ってたから」

 

 そうして、俺の手を自分の頬まで運んでいき、お気に入りのぬいぐるみを頬ずりするように自らの頬を撫でた。

 手のひらに、渚の柔らかくあたたかな肌の感触が伝ってくる。

 

「……やっぱ大げさだって。渚は俺の大事な妹だぞ、そんな簡単にほっとかないよ」

「お兄ちゃんはそう言っても、私は不安だったの。お兄ちゃんはどんな状況でも、最後には私じゃなくて綾瀬さんを優先するから」

「どうして、そんな事言うのさ」

「だって、お兄ちゃん綾瀬さんの事好きでしょ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 時間が、止まったような錯覚を覚えた。

 渚の言葉に、何も返すことができなかった。言葉も、反応も、呼吸さえ。

 

「……あの時、私が止めに入らなかったら、お兄ちゃんはどうしてた?」

「それは……」

「キス。しようとしてたよね」

「……あぁ」

「普通、信じてもらうためだけにあんな事しないよ、もう。本当に流されやすいんだから」

「……」

「……まぁ、そういうお兄ちゃんが好きなんだけどね」

 

 詰問と茶化しを織り交ぜつつ、渚は俺に問いかけ続ける。

 

「前にも、一回聞いたよね私」

「……何を?」

「柏木さんとお出かけする事。綾瀬さんに言わなかった理由」

「あ──っ」

 

『どうして、この前柏木さんと出かける事を私には事前に教えたのに、綾瀬さんには言わなかったの?』

 

 確かに、そんな質問を以前渚は俺にした。

 その時、俺はいつもと違ってそれらしい理由を思い浮かべる事が全くできなかった。

 渚にはできたのだから、ヤンデレ化を恐れて言わないってのは違うだろう。では何故か。

 今でも、理由は思い浮かばない。

 

「今日の時もそう。ちょっと前に咲夜のせいで綾瀬さんが酷い目にあった時もそう。お兄ちゃんはいつも、綾瀬さんが関わると急にポンコツになっちゃうの」

 

 

「──必死になっちゃう。綾瀬のためには」

 

 心臓がドクン、と鳴るのを感じた。

 自分の根幹にある物を掴まれたような。

 

「ただの幼なじみ相手に、そんな必死になる事なんてないよ。お兄ちゃんが綾瀬のために頑張るのは、いつだって、綾瀬と一緒に居たいから。……綾瀬と離れるのが、死ぬよりも嫌だからなんだよ」

「渚、俺は……」

「お兄ちゃんは、初めて綾瀬さんと出会った日から、いじめから自分を助けてくれたあの時から、ずっと綾瀬が女神だったの」

 

 女神。

 奇妙な表現だが、不思議と胸の内にすとんと落ちてくる言葉だった。

 

「だから、大事に大事に、自分の恋心を曇らせるくらい大事に扱ってた。関係が壊れそうな事は自分から言わないし、綾瀬がお兄ちゃんから離れそうになったら、絶対に距離を戻そうとした」

「なんだか、好きっていうよりも信仰みたいだな……あぁ、だから女神か」

「自覚、無かったんだ」

 

 野々原縁が河本綾瀬に恋心を抱いている。

 それは、前世の記憶を思い出した直後、今より前世の俺(頸城縁)の意識が鮮明で、俺や世界を今以上に客観的に見ていた頃、真っ先に気づいた想いだった。

 だが、当時の俺はヤンデレCDの結末を避けるために、必要以上にみんなとの関係を深める事はしないように、その想い諸共フタをしていた。

 だけど、いや、だから気づかなかった。あまりにも主観の奥底に眠っていて、自覚すらなかったから。

 恋心、そんな甘酸っぱく儚くて、消えてしまいかねない曖昧な物なんかじゃ決しておさまらない。

 

 俺が綾瀬を、自分でも引いてしまうくらいに、信仰していたなんて。

 

 認めたくない、絶対に嫌だけど。

 崇拝型のヤンデレって、こういう感じなんだろうか。

 

「──そっか、だから渚は」

「分かった? お兄ちゃんが私を優先した事がどんなに嬉しいか」

 

 よく分かった、というか、理解させられた。

 そうして同時に、今までの自分の行動すべてが本当の意味でしっくりと嚙み合っていくのが分かった。

 俺が園子のために頑張ったのには綾瀬が関わっていた。これは自覚があったけど、それだけじゃない。

 俺が園芸部を守ろうとしたのは悠を助けたいからって気持ちがあったが、それと同時に綾瀬を苦しめた咲夜たちが許せなかったから。

 そもそも、仲良くし続ければヤンデレ化した綾瀬に殺される可能性があったのを承知で、この街から離れる選択肢を最初から除外してたのも、全部綾瀬が大事で離れたくなかったからだ。

 

「そう、だから──本当に、綾瀬が嫌い」

 

 きっとここからが、渚の本当に伝えたい気持ちだ。

 

「ねえ、お兄ちゃん」

「うん」

「私、お兄ちゃんが()()お兄ちゃんになって、最初は酷い事言ったと思う」

「……そんな事ないけど、渚はそう思うんだよな」

「うん。お兄ちゃんは綾瀬を女神扱いしてるけど、私はお兄ちゃんを偶像扱いしてた。だからお兄ちゃんを最初否定したし、そんな私をお兄ちゃんも嫌った……」

 

 後にも先にも、あんなにハッキリと互いを否定した事は初めてだった。

 

「でもそれから、お兄ちゃんは私を、私はお兄ちゃんを、それぞれ真剣に向き合うようになって、私はお兄ちゃんのいろんな姿を見るようになったよ」

「……うん。俺も結構、自分を渚に晒してきたと思う」

お兄ちゃんの中にいる人(頸城縁)についても知ったし、お兄ちゃんがどうしたら悠さんを助けられるのか苦しむ姿も見た。お兄ちゃんを真剣に見ないと絶対に分からないお兄ちゃんの顔を、私、たくさん知ったと思う」

 

 間違いない。俺の事を一番知っているのは、理解してくれるのは、きっと渚に違いない。

 親友の悠より、女神の綾瀬より、俺達を生んだ両親より、そして俺自身よりも──俺を理解してくれるのは、渚なんだ。

 

「でも、私とお兄ちゃんがそうなるには、2人だけじゃダメだった。もし2人だけなら、あの日の喧嘩で、私たち終わってたもん」

 

 否定はできない。あの喧嘩で自分を否定されて怒った俺は、渚の言う通り怒りを覚えて、最後は存在まるごと否定する言葉だって言いそうになった。

 でも、それを止めてくれたのが──、

 

「綾瀬だった。今こうしてお兄ちゃんと会話できてるのが、綾瀬のせいだって言うのが本当に悔しい……お兄ちゃんを好きな気持ちは、私だって──ううん、私の方がもっと前から好きだったのにっ」

 

 頬に添えられていた手を、渚が両の手で包みこんで胸の前まで運ぶ。

 

「綾瀬が居なかったら、私、こうして前よりずうっとお兄ちゃんを好きになる事が出来なかった。それが、本当に悔しい……っ!」

 

 さながら教会で祈る信徒のように、俺を見上げる形で、渚は思いのたけの全てをぶつけてきた。

 

「ねぇお兄ちゃん、私お兄ちゃんの事が好き。家族としてじゃなくて、それ以上に、世界中の何よりもお兄ちゃんが大好きなの!」

「──うん」

「お兄ちゃん以外の存在なんて要らない、私の世界にお兄ちゃんさえ居てくれたら、何があったって大丈夫。そのくらいお兄ちゃんの事が好き、ううん、愛してる」

 

 ──向き合え。縁。

 ──これは地雷原なんて俗物的な物じゃない。

 

 一人の、俺の大事な女の子の、一世一代の告白なんだ。

 

「私を好きになって欲しいの。綾瀬じゃなくて、他の誰でも無くて、お兄ちゃんの全部を私にちょうだい? お願い、私だけを愛して、お兄ちゃん……っ!」

「ごめん、その想いには応えられない」

 

 即答。だった。

 

 思いのたけをすべて、渚の中にあるすべて、全部向けてくれたからこそ、余計な間なんて作りたくなかった。

 同じく、全部を懸けて渚の思いに応えよう、そう思ったら自然と口が動いたんだ。

 

「──そっか。やっぱり、お兄ちゃんにとって私はただの……妹でしかないんだ」

「ううん、ちょっとだけ違う」

 

 渚の心が暗闇に沈んでしまう前に。

 いや、俺が今から言いたい事を言いきってから、それでも渚が沈んでしまうなら、それで俺を殺そうと思うなら、それでも構わない。

 渚がそうしてくれたように、俺も、思いの全部を今、渚にぶつけるだけだ。

 

 空いた手を渚の背に回して、そのまま思いっきり抱き寄せた。

 落ちていく渚を抱き上げるように、心臓の音が聴こえるくらい、強く強く、抱きしめる。

 

「渚、俺はお前の恋人にはなれないし、渚を異性として見る事はしない。それは事実だよ」

「……」

「でも、俺を──()()()()()()()()()()()俺を最初に受け入れてくれたのは、渚だった。一度は否定したのに、それでもまた向き合ってくれたのは渚だった。俺が頸城縁の未練に立ち会った時も、咲夜に限界まで苦しめられた時も今の俺がこうして生きてるのは、綾瀬じゃない、渚が居てくれたからだよ」

「……うん」

「だから、渚は俺にとって、世界で一番。誰よりも、何よりも……まぁ、自分の命と同じくらい、大事な存在だと思ってる。それは家族とか恋人とか、好きとか愛とか、女神なんてものも超越した、唯一無二のものなんだ。だから、渚を苦しめる奴が居たらそれが誰だろうと絶対に許さないし、何があったって、俺は渚のお兄ちゃんとして隣に居るよ」

 

 ううん、違う。

 

「居たいんだ。だから、その……ここまでいって渚を振る言い訳みたいになって嫌だけど、俺にとって渚は単なる妹じゃなくてさ……」

 

 思いのたけをぶつけたら、結局渚の告白は受け入れられないという事実が残ってしまって、うまく締められなくなった。

 あーあ、せっかく言ったのに、これじゃあ恰好が付かないな。この後渚に殺されたって文句は言えない。

 そんな風に久しぶりに客観的に自分を見て呆れかえったが──、

 

「──フフッ、何、それ。お兄ちゃん、かっこ悪い」

 

 胸の中に顔をうずめたままの渚が、笑いながら小さく震えている。

 いや──違う。これは……。

 

「うぅ、うう……変なの、もう……ふふっ……」

 

 これは、()()()()()()()()()()()

 だけど、それについて俺がこれ以上何かいう事はしない。

 渚は今、俺の胸に顔を埋めて()()()()()()()。それだけだ、それで良い。

 

「……ねぇ、お兄ちゃん」

「なんだ?」

「私を傷つける人は、誰でも許さないって言ったけど、本当」

「ああ、本当だ」

 

 今、一番渚を傷つけているのが俺だと分かったうえで、俺は矛盾すら飲み込んでそう断言した。

 

「じゃあ、それが綾瀬さんでも?」

「当然だ」

 

 即答だった。

 

「──そっか、そうなんだ。……うん」

 

 やや間を開けてから、渚は何か納得したように何度も『うん』と頷き、やがて……ゆっくりと顔を離した。

 

「それじゃあ、しょうがないなあ。……もう、本当にお兄ちゃんは、妹の事が大好きなんだからっ」

 

 そういって、はにかんだ渚の顔がどんな風だったのかは──永遠に俺の胸の内にだけしまっておくことにする。

 ただ、俺は当然のように、渚に返した。

 

「当たり前だろ、妹なんだから」

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

「今日は、別々に登校したい?」

 

 翌日。朝食も終えて『いつも通り』に朝の登校を迎えた俺に、渚はそう言った。

 

「うん。今日だけは、お兄ちゃんが出た後に、行きたいなーって。良いでしょ?」

「反対する理由はないけど、どうして?」

 

 今まで、渚の方から別々に登校したいなんて言った事なかった。それが急にどうして、と疑問に思っていると、頬をフグみたいに膨らせながら、不満げに渚は言った。

 

「……もう、こういう時は変に鈍いんだから。昨日思いっきり振られてちょっと気まずいから、気持ちがちゃんと落ち着くまで一人でいたいの!」

「──あー、そういう……なるほど、確かに」

 

 それを言われるとぐうの音も出ない、思わず条件反射に頷きかけたが、余計な頭が回ってしまう。

 

「あれ、でも朝は一緒に食べたじゃんか。それなのに登校だけは別が良いのか?」

「~~もう! それとこれとは別なの! お兄ちゃんそういう心の機微に疎いと綾瀬さんと仲直りしてもまたすぐ喧嘩しちゃうよ? それもきっとお兄ちゃんの有責で!」

「……はい、分かりました」

 

 今度こそもうぐうの音も出ない。

 

「分かったら、先に行く! でも帰りは一緒に帰ろうね、お兄ちゃん!」

「りょうかい。それじゃあ、行ってきます」

「うん、行ってらっしゃい。お兄ちゃん」

「……悪くないな」

「もう、余計な事言わないでっ」

 

 今までになかった、登校を妹に見送られるって感覚に、まんざらでもない感覚を抱きつつ、俺は家を出た。

 今年の春、俺と渚はお互いの胸に燻っていた想いを否定という形でぶつけ合った。

 そして昨日、また俺たちはお互いの中で育んだ気持ちを、今度はとけ合わせた。

 恋人には、なれない。だけど、世界で唯一無二の兄と妹になれた。

 

 ヤンデレ化におびえて生きてきた自分が、一番危険視していた渚とそうなれた事に、形容しがたい気持ちを覚える。

 そんな心地に半ば酔いつつ、今までと同じように、だけど確かに違う今日を、俺は学園に向けて歩く。

 

 最後に残った俺のすべきこと。

 つまり、綾瀬との決着をつけるために。

 

「……いや、決着なんて仰々しいもんじゃないって」

 

 自分の考えに自分で突っ込みを入れる。

 そう、大した話じゃない。ただ単に、昨日できなかった『証明』を、今度こそする。それだけだ。

 俺の想いを、渚にしたように、今度は綾瀬にぶつける。

 そこにはもう、ヤンデレにおびえるなんて思考は一切介在してない。

 

「ふふ、そう思うと、ホント変な話だよな」

 

 あんなにヤンデレCDに怯えきっていたハズの俺が、今は自分から女の子に告白しようと決意してるなんて。

 春頃の俺が見たらきっと、間違いなく、呆れ果ててこういってただろう。

 

『死にたくなってきた』 ってね。

 

 

 

 

 ──to be continued

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 お兄ちゃんの背中を見送って、ドアのガラス越しにも映らなくなったのが分かってから、あたしはポツリと、決して誰にも聴こえないように呟いた。

 

「……ごめんね、お兄ちゃん」

 

 あんなに、嘘をついたことを怒ったのに。

 あれからずっと、お兄ちゃんはあたしに嘘を言わないように気を使ってきてくれたのに。

 

「嘘をつくのって、本当に、良い気持ちじゃないね」

 

 もう誰の耳にも届かない懺悔を玄関で漏らしながら、あたしはスマートフォンの画面に目を向けた。

 そこに表示された新着のメッセ―ジを見て、満足したあたしは、踵を返してリビングへと戻っていく。

 今日の()()をしないといけないから。

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 渚がリビングのテーブルに置いたスマートフォンのSNSにはこう映ってあった。

 

『綾瀬さん、今日、夕方にお話しできませんか?』

『学校を休んで』

『私、今日はずっと家にいますので』

『16時くらいに。待ってますね』

 

 

 

『わかった』

 




次回、第3章最終話です。お楽しみください。
感想待ってます。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。