【完結】ヤンデレの女の子に死ぬほど愛されて眠れない兄になって死にたくなってきた   作:食卓塩准将

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君の知らない物語-4

「おはようございます、伊織さん」

 

 約束の時間前に神社に着くと、今日も伊織さんは鳥居の下でオレを待ってくれていた。

 

「あ……おはよう、縁さん」

 

 そう返事するが、その声色にはやや元気が無い。

 昨日はそんな事無かったから、何かあったのだろうか。

 今もオレの顔を一瞬見たが、すぐに足元に視線を映して浮かない顔をしてる。

 

「伊織さん……、伊織さん?」

「え……あ、ごめんなさい。なに?」

「体調優れなかったりします? ちょっと疲れてそうな顔してるから」

「そんな顔、してる?」

「はい。あー、もしかしたら陽射しにやられました? 伊織さん今日も鳥居の下(ここ)で待ってたし。個人的には嬉しいけど、無理にここで待ってなくても」

「大丈夫、私がここに居るのは好きにやってる事──いえその、そうじゃなくて……とにかく、疲れてるとか、そういうのじゃ無いの。平気よ?」

 

 そう言って平然を装う伊織さんだが、今の少し慌てた話し方からして、間違いなく平気な筈は無い。

 絶対に何かある筈なんだが……分からない。かと言って下手に詮索するのも失礼な話だし、これ以上あれこれ根掘り葉掘り聞くわけにもいかない。

 仕方ないので、ここは伊織さんの言葉に納得する事にした。

 

「分かりました。けど伊織さん、もし何か問題とかあったら、普通に話してくださいね? オレ、伊織さんの力になりたいので」

 

 昨日オレに掛けてくれた言葉のおかげで、かなり心が救われた。そのお礼として、なんだってやるつもりでいる。昨日日付が変わるまでチラシのラフ案作りに勤しんだのも、その一環だ。

 オレの言葉を受けて、伊織さんはまた浮かない顔を見せたがそれも一瞬の事で、すぐ笑顔に切り替えた。

 

「……ありがとう」

「いえいえ」

 

 多少納得いかない部分はあるが、その程度の引っ掛かりは喉の奥に飲み込んで、胃の中に溶かしてしまおう。

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 鳥居の下での会話も終わり、オレ達はまず、昨日も会話したベンチに場所を移す。

 早速昨日作ったラフ案を伊織さんに見せて、その反応を待つ事にした。

 

「──」

 

 伊織さんは一枚一枚丁寧に見ている。その姿からは先程までの憂いさは無く、普段通り凛とした佇まいに戻っている。

 もしかしたら、さっきのは本当にオレの勘違いだったのかもしれない。

 

「──ふぅ、ありがとう」

 

 全てを見終わった伊織さんが、ほうっと息を吐いてオレを見て言った。

 

「どんなもんでしょう?」

「正直、驚いちゃった……。これ全部、昨日帰ってから作ったのよね? どれくらい掛かったの?」

「帰ったのが八時くらいで、日付が変わるくらいに終わったからざっと四時間位ですね。──あぁでも、途中結構休憩挟んでたから実際はも少し短いです」

「それでも凄いわ……こんなにたくさん、私じゃ思いつかないもの」

「昔取った杵柄……程立派なもんじゃ無いですが。半分は既に世に出てるモノをモデルとして参考にしたので、考えるより調べる方が時間掛かりましたよ」

 

 世の中、大抵のものは0から生み出すよりも、既にある物を自分なりに差別化していった方が良いもんだ。パクリとか盗用とかとは違ってね。

 

「それにしても……」

「まぁまぁ、それよりどうします? 今見た中でこれが良いっていうのがあれば、今日の夜に清書しますよ」

「ちょ、ちょっと待って……!」

 

 今度はさっきよりも食い入る様に、それぞれのデザインを見比べる伊織さん。その妙に必死そうな仕草が可愛くて、内心でほっこりする。

 そうしてまた数分ほど経った後、小さく『うーん』と唸ってから、かなり申し訳なさそうに言った。

 

「……家の人にも見せてから決めても良い?」

 

 顔が赤いのは恥ずかしいからか、または木陰とはいえ炎天下の外に居るからか。どちらにせよ、普段から巫女服着て凛とした女の子からそんな事言われたら駄目と言えるわけもない。

 と言うか、一晩経って明るい場所でくだけた口調の伊織さん見るとかなり印象変わるな。別人みたいだ。

 ──おっと、いけない。邪な事考えてないでちゃんと会話しないと。

 

「もちろん良いですよ。まぁ、人に見せられたモノじゃ無いですけど。要望とかあったらそれも聞いといてください」

「ええ。それじゃあ早速、渡しに行くわね。ちょっと待ってて」

 

 そう言って、パタパタと小石を弾ませながら伊織さんは一度社務所に戻った。

 その後、伊織さんが苦笑いを浮かべつつ『全部採用なんて言われて……』と帰ってきた時は流石に笑った。

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 ビラの方針も定まった(本当に全部採用する事になった)ので、まだお昼前だが塚本くんが来る前に書庫での作業に入る事とした。

 彼は凄い勢いで読み進める物だから、別に勝負事じゃ無いが少し対抗心みたいな物が芽生えてるので、スタートダッシュの差で負けない様に頑張るつもりだ。

 ……いや、趣旨が変わってる自覚は流石にある。それはそれとして、という事で。

 

「さて、それじゃあ早速手をつけましょうか伊織さん」

「……」

「──伊織さん?」

「え、あぁ、うん……そうね、塚本さんに負けない様に頑張らないと……」

 

 そう言って無理に笑ってみせているが、見てる側としては逆に不安になる。

 先程までは調子が戻ってたのに、書庫に来てからはまた最初の様な浮かない姿になってしまった。

 いや、それ以上だ。心なしか心ここに在らずって感じで、何かに怯えている子どもの様な印象がある。

 やっぱり、昨日あの後何かあったんじゃ無いだろうか。さっきは自重したけど、また根掘り葉掘り聞きたくなる。

 だけど仮に聞いても、また『何でもない』と返されて終わるんだろうな。

 

「……伊織さん」

「ん……何?」

「今日は、オレの方が一冊でも多く読破しますからね」

「ふふっ、私だって負けないから」

 

 瑠衣や堀内も、かつてのオレを見てこんな風にもどかしい想いをしていたのかな。

 そんな風に考えると、無性に申し訳なくなって伊織さんにこれ以上何も言えなくなってしまった。

 

 

 ──そうして今日もまた、黙々と読み進める時間が始まる。

 昨日までと違うのは、読んだ物をジャンル分けするのと、読むスピード位だ。と言ってもまぁ、塚本くんの神速ばりの速読には到底及ばないけど。

 お昼になり、持参してたコンビニのサンドイッチを食べつつ、いつもの様に伊織さんと読んだ内容について談笑する。

 そうして休憩もそこそこ、作業再開しようと思ったら所に、塚本くんが姿を見せた。

 

「こんにちは……おや、お二人とも既に始めておられる。早く無いですか?」

「ん、あぁ塚本くん来たか。今日もよろしく」

「今、お茶運んできますね」

「お構いなく……いえ、暑いのでせっかくだから頂きますね、ありがとうございます」

 

 伊織さんが一度書庫から離れて、ものの数分で麦茶を持ってきた。

 

「はい、どうぞ」

「夏と麦茶……定番の組み合わせですが、クリスマスやハロウィンの様に形骸化してズレた商法と違って嫌味が無くて良いですよね」

「拗ねた喜び方してるなぁ……」

 

 わざわざ敵を作る様な方向に攻めなくても良いだろうに。

 やっぱり色々変わってる奴だなぁと思っている所に、視界の隅から麦茶の入ったグラスを持つ伊織さんの手が映った。

 

「はい、貴方も飲んで」

「ああ、オレの分も用意してくれたんですね、助かります」

「ううん、もっと早く持ってくればよかったわ。ごめんね」

「滅相もないですよ」

 

「……ん?」

 

 頂いた麦茶をぐびり、と一口飲む。

 氷も入って冷えた麦茶は、期待通りの冷たさと美味さを味覚に与えてから、勢いよく喉を通っていった。……って、あれ? この麦茶、後味がちょっと違う。

 

「なんか、ほのかな甘さを感じます」

「あ、気づいた? 実は少しだけ砂糖を混ぜてるの」

「砂糖を? 初めて聞きますよ、麦茶に砂糖は」

「あまり知られてないみたいだけど、濃い麦茶に砂糖を入れると美味しいのよ? 実際、そうでしょ?」

「はい、これは驚いた」

 

「…………んん??」

 

 麦茶に砂糖か。その発想は無かったな。

 外国だと緑茶に砂糖入れて飲む人も居るらしいが、感覚的にはそれと同じなのだろうか。それにしたってこれは美味しい、早速オレも帰宅したら家の麦茶でマネしたい。

 

「ありがとうございます、お陰で知見が広がりました」

「そんな、大袈裟よ、このくらい。……おかわりいる?」

「はい、是非」

 

「──いやいやいやいや、ちょっと待ちましょうよ二人とも」

 

『え、何(だ)?』

 

 急に塚本くんが声を大にして話し始めるものだから、二人して驚く。

 『反応まで揃っちゃってまぁ』なんて呟きながら、彼は言った。

 

「距離感、近くなってませんか?」

『──っ!』

 

 言われてハッとした。

 確かに、昨日と今日でオレと伊織さんのやり取りは明らかに変わっている。当事者だからそれを受け入れていたが、側から見たら急な展開で困惑するのも当然の話だ。

 オレも伊織さんも、第三者に言われて初めて互いに恥ずかしくなり、磁石みたいに距離を取ったが、時既に遅しという奴だ。

 塚本くんは眉毛を片方吊り上げて、まるで鬼の首でも取ったかの様な勢いで畳み掛けてくる。

 

「え、どういう事ですかこれ、昨日自転車の鍵取りに戻ってから何が起きたんですか? 何をしたんですか? ナニをシたんですか? ハグしたんですか? キスしたんですか?」

「落ち着け! キスなんてしてねえよ!」

「『なんて』!? じゃあハグまではしたって事なんですか!?」

「な、だ、揚げ足取りするなよ!」

 

 確かにハグと取れるやり取りをしたのは間違い無い。伊織さんに至っては羞恥心で顔が()(だこ)の様だ、忍びない。

 しかし、そんなのお構い無しとばかりに塚本くんは捲し立て続ける。

 

「揚げ足の一つ二つも取りたくなりますよ、夜道を一人で帰らせといて自分は夜の神社で巫女さんと仲睦まじくしてたと聞けば。誰だって怒るでしょう? 違いますか?」

「う……それを言われると──っておいコラ、何ニヤつくの我慢してんだお前」

 

 痛い所を突かれたと思ったが、発言者の口元が露骨にヒクヒクしているのをオレの目は見逃さなかった。

 間違いない、コイツ、ただオレと伊織さんをからかっている。

 

「お前さっきから怒ってるフリして楽しんでるだけだなさては!」

 

 オレがそう言った途端、まるでさっきまで仮面でも被ってたのかと言わんばかりに塚本くんの顔から表情が消えて、一切の温度も感じない真顔になった。

 

「そんなの当たり前じゃないですか。何を当然のことを今更」

「……っ、当たり前ってお前」

 

 思わず、激し過ぎる表情の変化に戸惑ってしまう。

 

「……ふぅ、やれやれ」

 

 そう小さくため息をこぼして、塚本くんはオレに近づく。

 まだ少し戸惑って硬直していると、顔をオレの右耳に寄せて、無表情な顔のままオレにしか聞こえない位の小声で言った。

 

「──結局、どこまでしたんですか?」

 

 ──ダボハゼ(大馬鹿)が。

 

「痛いっ! 小突く事は無いじゃないですかぁ!」

「うっせぇわ」

「──たんこぶなったらどうするんですか、もう」

 

 間髪入れずに頭頂部に軽くゲンコツをすると、塚本くんは素直に痛がり、ぶつくさと文句を言いながらもそれ以上追求する事はやめた。

 伊織さんが心配して冷やしタオルを持って来ようとしたのを、塚本くんが止める。その後手で小突かれた所をさすりながら、涙っぽいのを目元に浮かべつつ言った。

 

「それで、昨日いただいた連絡の中にあった相談したい事ってなんです?」

「あぁ、その事なんだが──」

 

 昨日伊織さんから聞いた話をかいつまんで説明した。

 全部説明した後、最後にオレがもうチラシ作成までほぼ終わった事を付け加えると、さっきまで元気に捲し立ててたのが嘘みたく静かに話を聞いてた塚本くんは、数瞬考える被りをした後にサラリと言った。

 

「今の時代なら、SNS使えば良いと思いますよ。七宮神社のアカウントを作って、神社と祭りの存在を不特定多数の人達にアピールすれば良いんです。下手に他の物に手を出して広告料掛かるよりも、SNSで無料に広めた方が楽ですよ」

「あー……なるほど、それがあったか」

 

 ちょっと前の世代に生きたオレじゃあ出来ない発想だった。

 確かに、目的はあくまでも不特定多数の人間に興味を持ってもらう事なんだから、実に適してる。

 

「神社マニアや愛好家と言うのは十分な位に居ます。その中で人気があって拡散力を持ってる人に見て貰えば、その手の人達は自ら宣伝役になってくれる筈ですよ。他にも有名な神社がアカウント作ってる事もあるので、それらと繋がりを持てばそこから広まるってストーリーラインもあります」

「じゃあ早速やろう、ね、伊織さん! ……伊織さん?」

 

 具体的なやり方まで提示してくれたんだから、後はその通りに動くだけだと思ったのだが、伊織さんは少し困った様子だった。

 

「実はその──そう言ったインターネットについては、少し……いえかなり疎くてですね……何より、持ってないんです私、スマートフォンの類を」

「……あっ」

 

 恐らく、昨日話していた“俗世に汚されないため”って奴だろう。親の方針で携帯型の通信端末を持っていないのだ。

 しょっちゅう巫女服着てて、スマートフォンを取り出す姿が一切見られなかったから“もしかしたら”とは思ってたが……。

 いきなり出鼻を挫かれた形になったが、意外にも塚本くんは『そうですか』と軽く流して、続けて言った。

 

「じゃあ、パソコンはあります? ノーパソだと尚都合が良いです。流石にそれ位はあると踏んでますが……どうでしょう?」

「それなら大丈夫です、少し型が古い物ですけど」

「問題無いです、お手数ですが持ってきて貰えますか?」

「はい!」

 

 再びパタパタと書庫から出て行く伊織さん。なんか使いっ走りみたいで申し訳ないが、どこに何があるのか分かるのは彼女だけなので物理的に仕方ない。

 

「今どき、全くインターネットに触れない10代の女子というのも居るんですね」

「神職だからかなぁ……いや、多分ここが他より厳格なんだろうね」

「神聖な巫女が現代社会に穢されないため……とかの理由なら、むしろどんな物が穢れなのかある程度見せなきゃ、仮に触れたりしたら一気に染まってしまいそうなモノですが……」

「その辺の話はオレらがどうのこうの言えないしな……難しい所だ」

 

 居ない間に二人でデリケートな話をしてたら、またすぐにノートパソコンを抱えて伊織さんが戻ってきた。はい、デリケートな話題お終い。

 

「ありがとうございます、それじゃあ今日は読むよりネット関係(こっち)を先にやった方が良いですよね」

「すみません……お願いします!」

「オレもバズる? 言い方あってる? ……なやり方は知らないから、一任します」

「はい、任されました。……あぁそうそう、因みに七宮神社はホームページ作ってますか? ──って、それこそ自分で調べてみます」

 

 そう言って慣れた仕草でキーボードを叩くと、ノーパソの画面に七宮神社のホームページと思われるウェブサイトが出た。良かった、ちゃんとホームページはあったんだ……と安心したオレ達だったが、中身を見ていくと塚本くんの顔はみるみる渋い表情になっていった。

 はわはわとする伊織さんには聞こえない程の小声で『ぇ、0年代でもこんなの見ないぞ?』なんて呟く始末。

 それもそのはず、ホームページはあるが、神社の概要やら歴史やら、ある意味一番参拝客呼び込むために必要なアクセスすら無かったのだから。

 これではただ作った、と言うだけで何の意味もない。仮にアカウントを作ってこのページへのリンクを貼った所で、どんなに神社愛が強い人も拡散しようが無いだろう。

 

「──何度もすみません、またお願いが」

 

 ホームページを隅々まで見終わる頃(実に1.6分程)には、いつになくマジな声色の塚本くんが出来上がっていた。

 

「は、はい……なんでしょうか?」

「この神社の歴史を綴った書物などあれば……ありったけ持ってきていただけませんか?」

「え……それは良いですけど、結構古い物もあるので、読めるか分からないのもあったりしますが──」

「構いません、読めます。読めないのは地球外言語か小学生が遊びで作ったオリジナル言語位なのでお構いなく」

「は、はい……探してくるので、待っててください」

「よろしくです」

 

 大言壮語も良いところ、と切り捨てられないプレッシャーを放ちながら、塚本くんは画面を見続けてポツリと言った。

 

「“情報”に携わる人間として、この杜撰な情報管理は耐えかねる……」

「キャラ変わってんぞー、てかマジで何者なの君」

 

 ──取り敢えず、この後はもうオレだけが読む作業をするって認識でいた方が良さそうだ。

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 ページを捲る音、タイピングする音、行ったり来たりの足音。

 セミの合唱を背景にして三者三様の音を立てながら、時間は緩やかに過ぎていく。

 オレ達の頭上で爛々と輝いていた太陽も、夕焼け色に衣替えしながら地球の裏側に隠れようとしていた。

 

「──よし、こんな感じですかね」

 

 歴史書を読みつつホームページの改装をしてた塚本くんが、達成感に満ち溢れた声でそう言った。

 

「どうでしょう、確認願います」

「はい……わぁ、凄いです! 全然違う」

 

 恐る恐る画面を覗き、すぐに驚きと喜びで顔を綻ばせる伊織さん。オレも気になったので、今読んでた手記を閉じて画面を見た。

 

「おー、全然違う」

「二人して同じ反応ですか、ふふ」

 

 だって全然違うんだもん。

 画用紙に神社の名前だけ貼り付けた様に雑だったホーム画面は、今や荘厳なフォントで綴られた“七宮神社”の元、概要、由来、沿革、歴史、当然アクセスも──全ての項目がしっかりと設けられている。もはや完全に別物だ。

 

「ありがとうございます、これ位立派なら、皆も喜ぶと思います」

「なら何よりです、後はSNSのアカウントを作ってリンクを貼ったり、祭りの告知をするだけなんですが……うん、時刻も丁度良いですね」

 

 塚本くんはノーパソに表示されてる時刻を確認して、次にオレを見て言った。

 

「そちらはどんな塩梅でしょうか? そろそろ五時になりますし、片付けもするんでしたよね?」

「今読んでるのが終われば、今日は終わりにしようと思う」

「ちなみに、めぼしい情報はありましたか?」

「うーん、無かったよ。そろそろ当たりたいんだけどな」

「無かったですか? ……確かに、全体の半分以上読み進めたし、そろそろ見つかってもおかしく無いですが」

 

 どうもオレは運が悪い様で、全く目当ての記録が見つからない。

 

「──それで塚本さん、アカウントはどう作れば良いんでしょうか?」

「ん? ──あぁ、それについてもやりますよ、任せてください。それに伴って必要な物があってですね」

 

 そう言って、塚本くんはカメラを持つジェスチャーをした。

 

「ホームページやアカウントのサムネイル……顔の代わりになる画像ですね。それに使う写真を撮りたいんです。やっぱり神社の広告なのに写真が無いと締まらないですから」

「言われてみりゃ確かに。それさえあれば後は完璧ってわけだ」

「はい。カメラが無ければスマートフォンで撮った写真データをパソコンに送れば良いだけですし、すぐに取り掛かりたいのですが」

「カメラは……あります、大丈夫です。すぐ持ってきますね」

 

 聞けば、過去に神社にカメラを寄進した人が居たらしい。

 種類などはよく分からないが、名前を調べたら中古でもそこそこの値が張る上質なカメラだった。

 『これなら何の問題もありませんね』と満足げにシャッターを切る塚本くんの姿は、側からみれば完璧にカメラ少年にしか映らないだろう。

 

 遠近様々なアングルで神社の至る所を写真に収めた塚本くんは、これで終わりかと思ってたオレ達に最後、予想外な事を要求し出した。

 

「伊織さんの写真も載せたい!?」

「はい、建物だけではやはり親しみが生まれにくいです。七宮さん程の美人ならモデル顔負け、しかも巫女。SNSには建物だけで良いですが、ホームページには人が必要なんですよ」

「そうは言ってもなぁ……」

 

 伊織さんにとってはいきなりな要求だ。確かに彼女の容姿はそんじょそこらのミスコン優勝者すら霞むレベルだが、それと本人の意思は話が別だろう。

 こればかりは無理だと思ったが、伊織さんの口から出た言葉は意外な物だった。

 

「わ、分かりました! やります!」

「え!? 本気で!?」

 

 両手をぎゅっと握り、意を決した伊織さんは、既に緊張で声を震わせつつ言う。

 

「えぇ。貴方も塚本さんも、頑張ってくれてるのに私だけ何もしないのは駄目よ……やってみる」

「既に語尾が弱々しいのだけど」

「──っ、塚本さん、お願いします!」

 

 出た唾は戻らねえ、とばかりに事を進める伊織さん。無駄に漢らしい事しなくても……。

 

「はーい、では行きますよー」

「お……お願いします!」

 

 塚本くんの指示で本殿を背景に、手には大幣(おおぬき)を持ってカメラの前に立つ。

 そのまま何枚か写真を撮っていくが、なかなか終わらない。

 アングルや夕焼けの明るさも、素人目には問題ない様に感じるが、何枚撮っても塚本くんは満足しない。

 

「うーん」

「何が問題なってるんだ?」

「見てもらえれば分かります、どぞ」

「? おう……、あーなるほど」

「ど、どうしましたか?」

 

 カメラのディスプレイに映った、先程撮った写真のデータを見てすぐに理由が分かった。

 

「硬すぎる、表情が」

「そうなんですよね……笑顔も引き攣ってて」

「うぅ……すみません」

「ああいや、伊織さんは慣れてないから仕方ないですよ」

 

 申し訳なさで沈みそうな伊織さんをフォローしつつ、果てどうしたものかと考える。と言っても答えはすぐに出たが、

 こればかりは仕方ないし、今回は建物の写真だけでも良いじゃない。そう提案しようとした矢先、塚本くんはまた突拍子も無い提案を、今度はオレに対して言ってきた。

 

「そうだ! 次は君がカメラやってみてください!」

「はぁ!? オレはど素人だぞ、かえって酷くなるだけだって」

「設定はもうしてるから、壊しでもしない限り撮れますよ、とにかくほら、持って持って、手放しますよ」

「あ、ちょ、分かった分かりましたから!」

 

 無理矢理押し付けてくる物だから、否応なしに受け取らざるを得ない。

 一体何を狙っての行動なのか分からないが、やれと言われてやるしか無いので、観念してカメラを持つ。

 

「じゃあ、と、撮りますよ」

「お、お願い……」

 

 レンズを向けて、しっかりと範囲内に被写体が収まる様にして、シャッターボタンを押す──その直前、

 

「あー……ちょっと待ってください。そのヘンテコな姿勢で撮るのはやめた方が」

「え……そんな変?」

「はい、光線でも撃つ気です?」

 

 言われて気づいたが、確かにオレは今、我が国が誇る某世界的特撮ヒーローが必殺技を出す直前の様な、前のめりの姿勢でカメラを構えてた。

 側から見りゃあ、だいぶへんてこりんだったろう……。

 

「君まで緊張してどうするんですか……」

「め、面目ねぇ……」

 

 羞恥心で今度はオレが沈みたくなった。

 こりゃ、いよいよ持って建物の写真だけで──そう思った時、

 

「──ふふ、あはは!」

 

 伊織さんが口元を抑えながら笑った。

 なんとか小さい笑いで済ませようとしてるが、大笑いしたいのを全身で我慢してるのが丸分かりだ。

 なるほど、余程彼女から見てもオレの姿勢はおかしかったんだろう。

 

 そうか、そうか。

 

「……」

「よ、縁さん! ワザとその姿勢なるのはやめて──あははは! ごめんなさい! 抑えられない、ははははは!」

「どうせなら腹が捩れるまで笑っちゃえ」

「も、もう! いじわるしないで──〜〜っ!」

 

 少しの間、神社には巫女さんの快活な笑い声がセミに負けじと鳴り響いた。

 

 

「さて、緊張は解けましたかね?」

「……もう、本当に強引なんだから」

 

 伊織さんはちょっとむくれつつも、すぐに『でも、そうね』と言葉を続けた。

 

「緊張は解けたみたい。肩も軽いわ。ありがとう」

「いえいえ、緊張解けたのはオレもですよ。それじゃあ──行きますよ?」

「えぇ、お願いね」

 

 今度こそ、オレは自然な格好でカメラを構える。

 レンズの先に映る伊織さんも、先程とは比べ物にならない位、柔らかい笑顔をオレに向けた。

 夕焼けに染まる彼女の顔は、まるでそれ自体が幻の様に神秘的で。

 それが現実のものだと証明するために、オレはシャッターボタンを押した。

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 その後、無事に何枚か写真を撮って、一番良かった物を採用した塚本くんはあっという間にSNS用のアカウントも作り、やる事を迅速に終えた。

 残る時間は片付けに回して、今日は取り出す物が多かったので終わったのは七時前だった。

 

「結局、手記については新しい情報無かったけど、残りの数も減ってますし、時間の問題ですね」

「……うん、そうね」

「次は明後日になるんですよね?」

 

 片付け中に伊織さんから言われた事で、明日は祭りの屋台やら、祭りで披露する奉納演舞の練習で一日使いたいとの事なので、オレはチラシを配る事に集中する事にした。

 

「それじゃあ、また明後日会いましょう」

「えぇ、……またね」

 

 別れの言葉もそこそこ、今日も長い階段を隣にいる少年と一緒に降る。

 七時を迎えても、流石は夏。踏み外したらコロコロ転がる石段も問題ない。

 それにしたって、今日も含めてここに来て六日か。初めてこの階段を登った時はまさかこんな事になるとは思いもしなかった。

 

「……ん?」

 

 そもそも、何で俺はここに足を運ぶ事になったんだっけか。

 

「──どうしました? また忘れ物ですか?」

 

 隣に並んで歩く──知らない少年が俺に問い掛ける。

 そう言えばこの少年とも、いつから俺は会ってるんだ? こんな風に並んで歩く様な関係では無い筈だ。

 

「誰かな、君」

「──はい? 暑さで気が触れましたか?」

 

 あんまりな言い方にムッとしたが、瞬間、自分の発言の方がおかしい事に気づいた。

 そりゃそうだ、さっきまで一緒に伊織さんのために頑張ってたのに、急にマジな初見相手にする様な態度と発言されたら、誰でも『お前は何を言ってるんだ?』となる。

 

「大丈夫ですか?」

「あ……あぁ、ちょっとボケてみた。滑ったな」

「ドド滑りです、悲惨ですね」

「そこまで言うなよ……ごめん」

「や、構いませんよ。ギャグが滑るのは誰でも一度は通る道です」

 

 咄嗟の嘘で誤魔化すが、オレは内心かなり焦っている。

 

 今、本当にたった今まで、オレは本気で伊織さんや塚本くんの事を忘れていた。

 まるで息を吸って吐く様な自然さで、この数日間を忘却していたんだ。

 決してド忘れなんかで説明できる物じゃ無い、朝の様に頭痛が生じたわけでも無い、明らかにおかしい。異常だ。

 

 その後、帰宅して自分の症状を調べたが、完全に一致する項目は無く、かと言って近しいのはどれも甚大な病ばかり。

 いよいよ持って病院に行く必要があるのではと考えつつも、自分の状況を鑑みたらかえって面倒な事になるのでは、と言う恐れもある。

 結局、野々原縁の意識を取り戻す手掛かり探しや、伊織さんの祭りの手伝いもあるのに、他に時間を使ってられないという思いが勝り、結局もう数日様子を見ようという結論で無理矢理自分を納得させて、この日は寝た。

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 翌日、七宮神社では朝から演舞用の舞台設営が始まっていた。

 伊織は祭りの日に、この舞台で奉納演舞を披露する。そのための練習は以前から行っていたが、ここ数日は頸城縁と出会い、彼と行動する時間を優先した事で疎かになっていた。

 

 実のところ、彼女が諸事情で異性の男子と行動してる事を、彼女の家族は黙認していた。最初はいかがなものかと思ったが、遠目から見た少年からは伊織に対して邪な事を考えてる気配が無かったからだ。

 祭りを盛り上げるために人肌脱ごうとしてる話を聞いて、ほぼ心配は無くなったものの、流石に残り一週間を切ってる状況で演舞の練習が皆無と言うのは不味い。

 そのため伊織に苦言を呈した事が、今日一日練習に励む事になった理由である。

 

「──ふぅ、一度休憩ね」

 

 演舞に用いる特別な大幣を掛け台に置き、伊織は部屋の隅で正座しながら息を整えていた。

 久しぶりに神事に集中している気がして、伊織はこの数日間がどれだけ頸城縁との時間に溢れていたのかを思い知った。

 

「出会ってまだ、一週間も経っていない、のよね」

 

 毎日会っているからか、体感では既に何ヶ月も経っているような気さえする。

 それだけ彼と過ごす時間が濃いという事なのだろうが、特別な事はしていない筈なのに不思議なものだ、と小さく笑う。

 そう言えば、彼と出会ってからはよく笑う様にもなった。今もこうして、そばに居なくても思い出すだけで顔が綻ぶ位だ。それまでの日々が自分がこんなに頻繁に笑う様な事など、果たして有っただろうか? 

 

 ──早く会いたい、そんな気持ちを口にしないが心の隅で転がしながら、伊織は演舞の練習を再開する。

 

 通常、人間の集中力は通常は四五分。訓練すれば二時間程度まで伸びるというのが定説だが、伊織のそれは常人や訓練した人を遥かに凌駕していた。

 今までの遅れを取り戻すためか、もしくは集中する事で今日という日を早く終わらせたいからか、はたまたその両方か──気づけば伊織は滝の様な汗を流しながら時刻が十八時を迎えようとしてる事に気づいた。

 このタイミングで集中が途切れたのは、ここ数日間でこの時間帯が一つの区切りになっていたからだろうか。とにかく、体力も流石に限界に近い状態で空腹と喉の渇きもある。今日はここまでにしようと伊織は決めた。

 

「……でも、その前に」

 

 伊織は最後に御身体の前に行き、意識を再度集中させる。

 こうして自分の全てを神に向ける事で、伊織は昔から彼女にしか聞こえない『神の声』を聴く事が出来た。

 歴代の巫女が皆この神の声を聴けるわけでは無いらしいが、伊織は幼い頃からハッキリと神の声を聴く事が出来て、それ故に家族にも巫女として強い期待を向けられていた。

 

 かつては神の声を聴ける事が周囲から見て異質に映るとは分からず、無邪気に話した結果、周囲の同年代の子どもやその親から避けられる想いをした事もあった。

 しかし、彼女はそれを悔やんだ事は無く、今日までひたすら神を信仰し続けて来た。

 たとえ周りからどう思われようと、現代社会から切り離されていようと、こうして意識を全て神に集中すれば、神は自分に語り掛けてくれるのだから──。

 

「──ぇ」

 

 声が──声が、聴こえない。

 

「そ、んな……どうして?」

 

 集中が足りないからだろうか。

 体力が消耗してるからだろうか。

 違う、今までそんな理由で神の声が聴けないなんて事態は起きた事が無い。

 七宮伊織が、神の声を聴けないなんて現象がそもそも起こり得るはず無いのだ。なのに、そのあり得ない事が今自分の身に降りかかっている。

 

「神よ──何故……何故ですか!? どうして、急に……答えてください!」

 

 四つん這いになって神に答えを乞うても、語り掛ける言葉はここにあらず。

 あるのは、ただひたすらに無情な静寂のみ。

 

 ガタガタと、自分の中で何かが崩れていく音がする。

 今日まで、自分の人生を支えていたアイデンティティーが、たった今唐突に、理由も分からないまま消え去ったのだ。

 支柱を失った家屋は自らの自重で崩れ落ちるしか無い。それは人間同じだ。

 

 今まで、“神の声が聴こえた”から耐えられた自分の人生が、一気に自分自身を押し潰さんとしていた。

 

「嫌、嫌嫌嫌──嫌ぁぁぁぁ!!!」

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 不安で眠れないかと思っていたが、体は良くも悪くも正直で、今日もいつもと同じ時間に目が覚めた。

 起きてからすぐ、朝食もそこそこに出かける準備を始めた。

 チラシのデザインを清書しつつ、昨日塚本くんが撮影した神社の写真をメインビジュアルとして追加する。

 そうして改めて完成した配るチラシ全種類を、各三十枚ずつプリントして早速街に出かけた。

 

 SNSでの情報拡散はしたが、やはり地元周辺の人を招くにはアナログな方法も欠かせない。塚本くんもそう言ってたので、俺は今日中に全部捌く勢いで自転車を走らせた。

 野々原縁にとって馴染みの店、普段行かない場所、人の集まりそうな施設、とにかく思いつく所に直接当たり、どっかにチラシを貼ってもらえないか頼み込んだ。

 正直、結構な割合で断られる事が多いと覚悟して居たんだが──意外にもすんなりと受け取って、目の前で貼ってくれる人達ばかりでこっちが面食らってしまった。

 

 オレが生まれ育った瑞無の人間なら、果たしてどうだったろうか。迷惑そうに拒否する人は居ないかもしれないが、きっと受け取って数分もしない内にゴミ箱へ捨てる人の方が多いだろう。

 そう思ってしまうのは、オレがあの町の人間のほとんどを心底嫌っている故だろうか。

 ──やめよう、とにかくこの町の人達は皆やけに優しい人が多いって事は間違いないし、それで充分じゃないか。

 

 そんなわけで、思ったよりも進捗は悪く無くチラシ配りは順調に進んでいく。

 とは言っても、近いエリアに何枚も配っては勿体無いし拡散効果も薄い。町の隅から隅まで、出来るだけ滞り無くチラシを配りたいので、その辺を考えて行動したら、あっという間に時間は夕方に差し掛かっていた。

 

 果たして伊織さんは今、どうしているだろう。昨日は午前中、少し元気が無さそうだったが元気だろうか。

 最後に会ってからまだ二十四時間経っていないのに、何故か暫く会ってない様な気がするのは、ここ毎日ずっと会ってた反動だろうか。

 これじゃいかん、依存体質じゃ無いんだから。そう自分を内心で揶揄って、オレは残る二枚のうち片方を、大型書店の店主に渡した。

 

「──ふぅ、これで残るはとうとう一枚か」

 

 と言っても、今の店でこの辺りのめぼしい場所は尽きてしまったのだが。

 このエリアは最近開発が進んでおり、最新の大型ショッピングモールが初冬頃に出来る予定になってる。将来的には人がたくさん通る場所だが、今はまだそうじゃない。

 よりによって、残り一枚で配る先が見つからなくなるとは思わなかった。

 

「さて、どうしたら良いかな」

 

 どうせなら、さっきの店に二枚渡せば良かった。今からでも間に合うだろうか──そう思った矢先に、知ってる声が聞こえた。

 

「あれ……ヨスガじゃないか」

「え──っ!」

 

 名前を呼ぶ誰かの方へ顔を向けると、そこに居たのは、野々原縁のよく知る男だった。

 すなわち、綾小路悠。縁の親友で、大金持ちの綾小路家の生まれで──今のオレが一番会いたくない人間だった。

 

「あ、あぁ……まさかここで会えるとはな」

「本当だよ、どうして君がここに? ──あ、もしかして見に来てくれたの?」

「──?」

 

 野々原を装って会話するが、彼の言う事がよく分からない。見に来たってのは何を指してる? 

 

「あー、そこで頭にクエスチョンマーク浮かべるって事は違うのか。残念」

 

 本当に残念そうに、しかしそれすらも楽しそうな雰囲気で彼はオレ達の真横を指さす。その方向を見ると、近日オープンの立て看板がある、野外パーティーも出来そうなレストランがあった。

 

「僕が電話で言ったレストラン、あと二日後にで開く予定なんだ。ビアガーデンもする予定だよ」

「そっか──そりゃあ、凄いな」

 

 同じ家が金持ちの権力持ちでも、初瀬川じゃ比較対象にならないレベルだ。野々原は凄い奴を親友にしてるんだな、と改めて思う。

 

「──ん? 君、何持ってるの?」

「あ、ああ……これか」

 

 めざとくオレの手元にあるチラシを見つけて、何か聞いてくる綾小路。

 見られたものは仕方ないので、オレは適当に嘘を混ぜつつ、神社の祭りを盛り上げるために動いてる事を話した。

 全部聞くと綾小路は納得したのかしてないのか、

 

「ふーん……なるほど?」

 

 と意味深な答えを返すばかりだった。

 

「──っ」

 

 正直、オレはこいつが苦手だ。

 野々原をよく知る人間の一人だから、というだけではない。

 やはり生前の名残か、金持ちというだけで拒否感が果てしない。共有してる野々原の記憶や知識から見るに、彼が悪人では無いと分かっていても、一度染み付いた苦手意識は簡単に消えはしないものだ。

 

 だから可能ならさっさとこの場から離れたいのだが、それでは仮にここを切り抜けられたとしても、野々原の意識が目覚めた後に、人間関係の遺恨が残るかもしれない。

 野々原に迷惑を掛けるやり方は出来ないので、オレはとにかく綾小路から離れてくれる展開を待つしか無かった。

 

 しかし、そんなオレの気も知らずに彼は黙ってオレとチラシを交互に見るばかりだ。

 そうして何かを納得したのか、小さく頷くと、ようやく話し始めた。

 

「ねぇ、ヨスガ」

「な、なんだ?」

「僕は君に対して、中学二年生から付き合いがある親友としての距離感で接してるんだけど──もしかして、初めましての距離感の方が良かった?」

「な!?」

 

 あぁそうだった、彼は野々原も認めるレベルの、異常なまでに察しの良い人間だったのだ。

 しかも、頸城縁(オレ)についての知識もある。普通の人間ならともかくコイツなら、違和感から気づく事はあり得る話だ。

 答えは言ってないが、既にオレの反応で答えは得たとばかりに、綾小路は納得した表情を見せた。

 

「やっぱりか──ここ数日、電話越しでもおかしいと思ってたんだ。一体何がどうして、人格が入れ替わっちゃってるんだい?」

 

 こうなりゃ仕方ない、素直に話す以外の道は無いだろう。

 

「──自分でも、よく分からないんだ。野々原縁(コイツ)が熱出した時に家の階段で転んで、気がついたらオレがメインになってた。本当にそれだけで、何も分からない」

「ふーん……それで、君は何でまた神社の祭りを盛り上げるための手伝いなんかを?」

「偶然、オレみたいな状況になった人間の情報がある神社に……つまりチラシにある神社に行きついてな。何とか野々原縁の意識を起こす方法を探してて、その礼として……って感じだ」

「そっか、一応ヨスガの意識を起こすための行動は取ってたんだね。安心したよ。僕も早くヨスガに会いたいからね、出来るだけ早く起こしてくれると嬉しい」

「──あぁ、そうだな」

 

 そりゃ当然の話だが。

 今起きてるオレの事を蔑ろにされてる様で、少しムカついた。

 

「……くくっ、くくく」

 

 急に綾小路が笑い出す。伊織さんのそれとは違う、不気味な笑い方だ。

 

「……どうしたって言うんだ急に」

「あぁ、いや……同じ顔でもここまで変わるものだと思ったら少し面白くて、ごめんね」

「何のこと言ってるんだ?」

「君さ、僕の事嫌いだろ?」

 

 唐突に、人の心を覗いた様な事を言って来た。

 思わず、背筋がゾッとする。これは昨日の電話でも感じた感覚だった。

 

「厳密には、僕みたいな親が金持ちの権力者で、その七光を浴びてる子どもが、君は嫌いだよね? 頸城縁くん?」

「……だいたい知ってるっぽいな」

「まあね、何せ親友の前世なんて言うんだ、気になって調べもするさ。……まぁ、君が僕を嫌うのも納得だよ」

 

 そう言ってニヒルに笑いながら、綾小路は自分に手を差し出して来た。

 

「チラシ、くれないか?」

「……え?」

「表立って協力はしないけど、店で一番目立つところに貼るよ。それ位はしても、良いだろう?」

「あぁ……ありがとう」

 

 思わぬ協力に面食らいつつもオレは最後の一枚を綾小路に渡す。

 受け取った彼はまた少し黙ってから、意を決した様にして言った。

 

「──本当はさ、僕は君とも仲良くなって見たかったんだ」

「そう、なのか?」

「こう言うと君は怒るかもしれないけど、僕も君も、生まれ育った家庭と、家族の行いで自分の人生を決められた者同士で……君の事を調べてく内に、勝手にシンパシー感じたりしたからさ」

「──そっか」

 

 怒ったら……なんて、そんな事しないさ。

 むしろ、今も偏見と差別の色眼鏡で見続けてる自分が申し訳なくなる位だ。

 だから、オレも最後にこう言って返した。

 

「オレも──君の事はよく知らないし、確かに君みたいな育ちの人間は大嫌いだけど──」

 

 でも、

 

「君が良い奴だってのは、分かるよ」

 

 せめてもの謝罪の意を込めて、それだけは嘘偽りなく言った。

 『そっか』と笑う彼の笑顔は、初めて不気味さを感じない、綺麗な笑顔だった。

 

 ──続く。


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