【完結】ヤンデレの女の子に死ぬほど愛されて眠れない兄になって死にたくなってきた 作:食卓塩准将
それでは、どうぞ
「お兄ちゃん、起きて。朝だよ」
「ん……あぁおはよう」
渚に優しく肩を揺らされて、俺は目を覚ました。
咲夜、そして悠と衝突したあの日から時間が経ち、季節は10月を迎えた。
夏の残暑はとうに消え、秋が深まると共に太陽が昇るのもうんと遅くなり、布団から離れるのを躊躇いたくなる朝が多くなってきた。
「朝ごはん、まだだよな? 着替えたらすぐ行くから、お味噌汁の用意だけ先にお願いできる?」
「うん、分かった。二度寝はだめだよ?」
「寝ないって」
渚のからかいに笑って答えて、俺はベッドから立ち上がる。
ハンガーにかけた制服に袖を通しながら窓を眺めると、通路を歩く見知った人間の背中が見えた。
「……綾瀬、もう家を出てるのか」
時刻はまだ7時を過ぎたばかり。登校するには少し早過ぎる時間にも関わらず、綾瀬は学園に向かっている。
あの日、保健室での事があって以来、俺と綾瀬の間には薄い壁が一枚立っている様な感覚がある。
会話をしなくなったわけでは無い。教室では会話するし、部活の時間では他のメンバーと共に活動したり雑談したり、そこは変わらない。
だけど一緒に登下校したり、お昼食べたり、お喋りしたり、二人だけで何かをするって時間はすっかり無くなった。俺からそういう機会を持ち出そうとした時もあったが、色々理由をつけて断られてしまう。
あの日、渚が言った言葉が綾瀬に影響を与えているのは間違い無いが……。綾瀬に『避けられている』という、いままでに無い状況に、正直俺は戸惑っている。
せっかく、咲夜から俺たちの時間と居場所を守ったと言うのに。
「……はぁ」
ため息と共に、俺は止まっていた手を動かして着替えに戻る。
そう言えば咲夜についてだが、あの後律儀に俺との約束通り、査問委員会を即日に解体させ、恐怖政治による学園の統治は瞬く間になりを潜める事となった。
高圧的な態度はそのままに、しかし、学園を舞台にした悠とのお家騒動も取り敢えず収まった様に見える。
とは言え、転校してからすぐに査問委員会を立ち上げて、多くの生徒達に圧制を敷こうとした咲夜に対し、敵愾心を抱く奴は多い。咲夜でなければ今頃、間違いなくいじめに発展していただろう。
そうならないもう一つの理由に、咲夜が現在(これも律儀に約束を守り)園芸部に所属しているというのもある。
俺が咲夜と正面切って対峙し、最終的には園芸部に引き込んだわけだが、それで俺に対する変なイメージが付いてしまった。具体的には『園芸部、ひいてはその部員に危害を加えたら個人情報すっぱ抜いて脅す男』だと言う。
不本意な風評だと言いたいが、今回俺がした事を端的に言い表してるので否定もしきれない。
そのせいで俺に対しても警戒心を持つ人が出てしまった様にも見受けられるが、これについても最早『仕方ない事』として受け入れる事としている。
心配だった園子を含めた部員達とのコミュニケーションも、意外だが必要な場合以外の干渉は避けつつ、部員全体で会話する際にはある程度発言もするなど、まだ大きなトラブルは生じていない。
渚なんて、俺の知らないところで何かしやしないかヒヤヒヤしていたのだが、そんな俺の心配を逆に見透かして『何も変な事はしないよ』と釘を刺して来た。
強いて言うなら、悠だけは時折皮肉めいた言葉を咲夜に投げかけ、時に冷たく、時に売り言葉に買い言葉なレベルの言葉を返して小さな火花を散らしている事くらいだろう。
「お待たせ、朝は鮭のムニエルな。渚は引き続き味噌汁頼む」
「ありがとう、お兄ちゃん。あっ、襟が立ってるよ」
「マジ? あっホントだ。ごめんサンキュー」
「もう、だらしないんだから」
朝から渚に呆れられつつ、俺は朝食の用意を進める。
……あぁ、そう言えば悠についてだが。
アレだけの喧嘩をしたにも関わらず、結局翌週からはすっかり元通りの関係に戻れてしまった。
月曜日に教室で顔を合わせた時、周囲のクラスメイト達が一気に鎮まって俺らの動向を伺ったのにはビビったが、それ以上に俺も悠も、殴られた場所に絆創膏やらこぶやらが出来てて、それがなんか面白くてお互い同時に笑ってしまった。
『はははは! せっかくの良い顔も台無しだな!』
『縁の方は前より男前になったんじゃないかな、ははは!』
そんな風に笑いながらまた会話出来る事に、俺は内心凄く安心したし、嬉しく思った。
ところがだ、このやり取りを見てクラスの一部の人間があらぬ疑惑を立てる様になってしまった。
『ねぇ、やっぱあの二人って……』
『うん、この前『好きだー!』て告白してたもんね、集会で』
『きゃ──! お金持ちの中性的美少年×庶民の親友きた!』
……とまぁ、男同士の強い感情のぶつかり合いをすぐにBL認定し出す趣味の悪い連中からは、もっぱら『素材』とされてしまっている。
この事について、俺は当然否定しているが、悠は積極的に鎮静させようとはしていない。それどころかむしろ面白がっている節さえ見える。
死の恐怖や咲夜に脅されてた時とは異なる種類の悩みの種になりつつあるが、コレについては死の危険は無いので、風化を待って耐える事に決めた。
「──よし、じゃあ行こうか渚」
「うん、行ってきまーす」
朝食を食べ終えて片付けも済ませた俺達は、今日も並んで登校する。
普段と何も変わらない。けれど、何かが変わりかけている様に感じる通学路を歩きながら、俺達兄妹は今日も一日を始めていく。
「それじゃ、また放課後に」
「うん、またね!」
別々の昇降口から校舎に向かう俺達。
もはやルーティンと化して、目をつぶっても外靴と上履きを履き替えられる様な気さえしながら、俺は慣れきった足取りで教室に到着する。
中にはすでに教室に居て、女子生徒と談笑する綾瀬の姿があった。悠はまだ居ない。
一瞬、綾瀬と目があったが、俺はうまくリアクション出来ず固まったのに対して、綾瀬は挨拶代わりなのか小さく頷き、そのままさらっと会話を再開していた。
やはり、ここでも俺と綾瀬の間に何か壁を感じてしまう。
「ねぇねぇ、野々原くん」
自分の席に着くと、女子生徒から声を掛けられた。
「野々原くんと河本さんって、前より会話しなくなったよね」
人が気にしてることをアッサリと突いてからに。
「まぁ、そうかな? あまり気にしたことないけど」
「うそー、だって前まで『付き合ってるの?』てくらいつるんでたじゃん、綾小路くんもいたけどさ」
「まぁー、三人で何かするってのは多かったかもな」
「多かったよー、一時は三角関係!? とか噂なってたし」
「誰だよそんなの言った奴……まぁとにかく、別にそっちが邪推する様な事は何もないから」
綾瀬も聞こえる範囲内でこういう話はあまりしたくないので、さっさと切り上げようとしたが、そうはうまく行かなかった。
「それじゃあさ、野々原くんって河本さんとも綾小路くんとも付き合ってないんだよね?」
「何故そこでサラッと悠の名前を出す? ──ってそうじゃなくて、付き合ってないよ、それが?」
「そうなんだ、じゃあさじゃあさ、駅前に新しく出来たカフェあるんだけど、あたしらと今日行かない?」
えぇ、そういう展開に話繋げるの!?
「すごいおっきいパフェがあってさ、人数が四人以上じゃないと頼めないの。だから綾小路くんも一緒に行かない? どうかな?」
「あー、そうだな……悠にも聞かないとだし、この場で即決は」
「綾小路くんならきっと野々原くんが誘えば即OKだよ、ね、行こうよー」
思ったより強引な誘いに面食らうが、断るにもこちらの理由が弱い……。今この場ではOKを言いつつ、裏で悠に断る様連絡を入れてみるか?
いや、それで悠がダメになったとしても別のメンバーを加えて俺含めた四人で行くって未来もありあるし……、そもそも断る必要もないのか?
──そんな風に悩んでるところに、後ろから別の声が掛かってきた。
「縁、今日はスーパーの買い出しの日じゃなかった?」
「──え」
「河本さん?」
そう、綾瀬が割って入ってきたのだ。先程まで会話してたクラスメイトとの会話を終えて。あるいは、俺が女子から放課後に誘われているのを聞いて……?
何にせよ、これは願ってもない助け舟だ。
「ごめん、そうなんだよ。俺んち妹と二人暮らしだからさ。今日は月曜だから俺が買い出し当番なんだ……悪いけど、無理そうかな」
「そっかー、分かった。妹さんと仲良いもんね野々原くん。しょうがないか。じゃあまたの機会にね!」
「うん、ありがとう」
思ったよりアッサリと納得してもらい、ほっと胸を撫で下ろした矢先、
「縁、ちょっと来て?」
「ん……おう」
綾瀬に小声で呼ばれて、教室から少し離れた廊下の角まで出る。
「うかつに喋りすぎよ。渚ちゃんも居るんだから、もう少し考えないとダメじゃない」
「あ、あぁ……そうだな。すまない」
「とにかく、あなたは最近良くも悪くも注目されてるんだから、もっと気を引きしめないとダメなんだから。分かった?」
「分かった、さっきは本当にありがとう。助かったよ」
「……どういたしまして」
俺が礼を言うと少し照れ臭そうにそう答える綾瀬。
「それに、綾瀬とこうして二人で喋るの、やけに久しぶりって感じで嬉しかった、サンキューな」
前よりぎこちないが、また二人だけの会話が出来て安心した。
「──もう、戻るわよ」
返事はそっけなかったが。
「ねぇねぇ、野々原くん」
「うおっ」
教室に戻るや否や、また先ほどの生徒に声を掛けられた。
綾瀬はもう普段通りの雰囲気で、最初に会話してた相手とまたお喋りを楽しんでいる。
「二人って付き合ってないんだよね?」
「……そうだよ?」
「でも、さっきの河本さんの反応、やきもち焼いてる彼女さんみたいだったよ?」
「えっと……そんな事無いんじゃないかな?」
「そう? ……まあ、良いけどさ。じゃあ野々原くんは?
「俺? なにが?」
「だから、野々原くんは河本さんのこと好きなの?」
「──っ」
俺が綾瀬をどう思っているか。
今の俺が、綾瀬に対してどんな気持ちを持っているか。
過去の俺は、綾瀬に対して好意を抱いてたと思う。けど、今の俺は誰かに対して恋愛感情を持つ事を自制している。
それは、その先にある惨劇を回避するだ。綾瀬、渚、園子、それぞれと恋仲になった先にある未来を、
だから、その未来を避ける第一手として俺は『誰とも付き合わない、恋愛関係にならない』事を決めた。
『デレが生じなければ病みもしない』そう言う根拠の下今日まで生きて、生き延びてきた俺だったが。
じゃあ、だからと言って、誰の事も好きにならないままで俺はいるのか。そんな疑問がふっと湧いてしまった。
恋愛関係にならなくても、誰かを好きになっているんじゃないのか。ましてや、うっすらとは言え好意を持ってた綾瀬について俺はどう思ってるんだ?
「……えっと──」
女子生徒が投げかけた爆弾級の問いについて、どう答えたのかを、俺は思い出す事が出来なかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
お昼になり、気分転換に今日は中庭で食べる事にした。悠は惣菜パンを買いに行ったが、俺は弁当を持参してるので先に向かった。
中等部校舎と高等部校舎を繋ぐ連絡通路の下にある中庭では、俺の様に昼食をとる生徒のためにテーブルや椅子が用意されてあり、中等部と高等部の生徒達が入り混じっている。
こうして見ると、綾小路家が関わってるだけあって豪華な造りをしているなぁ、と今更ながら思いつつ、俺は空いていたスペースの椅子に座り、悠を待つ事にした。
「──何してるのよ、あんた」
「おっ」
そんな俺に声を掛けてきたのが、意外や意外、咲夜だった。
周りには誰もおらず、一人だけで中庭まで来た様だ。
「──ぼっちか」
「え、なに? 煽った? 今煽ったわよね? いきなり喧嘩売ってる?」
思ったより率直な発言すぎてダメだったのか、結構な剣幕で睨み付けられる。
すかさず発言を撤回して平謝りをする。
「──ふん、そもそもアタシが庶民達と食事するのが筋違いって物よ。なんで生活レベルを落とさなきゃいけないわけ?」
「ま、まあまあ……落ち着けって」
「落ち着いてるわよ! それにぼっちなのはアンタもじゃない。一人で四人席占めてるの恥ずかしく無いのかしら」
「俺は違うぞ、後で悠が来るのを待ってるだけ」
「……あぁそう」
露骨に不機嫌な態度を見せる咲夜だが、もしかして、
「良かったら一緒に食べるか? 俺は構わないぞ」
「だ、誰がアンタなんかと!」
「あれ、てっきり知ってる奴が見つかったから声を掛けてきたのだとばかり」
「ちちち、違うわよ! それに、アイツとも一緒に食べるなんて冗談じゃないわ!」
「そんな事言うなよ。それに庶民と食べるのが嫌なら尚更、同じ貴族の人間と」
「分かって言ってるでしょ!?」
打てば響く楽器の様に、素直に反応を返してくるのが面白いと思える様になった。
少し前まではむしろトラウマになりそうだったのを考えると、我ながら驚く事でもある。
「でもさ、実際園芸部で頻繁に顔を見る様になって、どう思った? 相変わらずアイツは無条件に嫌いか?」
「嫌いよ、相変わらず生意気な態度が本当に気に入らないわ」
「そっか……」
やはり、両者の間にある溝はまだ深いのか。
「でもまぁ、思ったよりも違うところはあったと言えるわね」
「ん? というと」
「笑うじゃない、アイツ。アンタと話す時以外も結構。それが一番驚いた事かしらね」
「そっか……」
「アンタが、アイツをそういう風に変えたのかしらね」
そう言いながら(話しながらさり気なく俺と反対側の椅子に座り向き合う形になりつつ)、咲夜が続けて言う。
「アンタの言う『友情』て言うのがアイツを変えたのか知らないけど。よくやったわよ」
「俺的にはその友情が、二人の間にも芽生える事を期待してるんだがな」
「ないない、無いわよ。馬鹿じゃないの。死んだって無理」
「辛辣な事」
そう言って、いったん互いに間を空ける。
なんだかんだ言って俺達が二人だけで会話する機会は少なく、しかも殆どが健全な状況では無かった。今こうして平和な空気感で会話してるのが珍しいくらいだ。
「まぁ、でもさ」
「でも、何?」
「友情ってのがどこまで続くのか、どこまでが友情なのか分からなくなる時ってのは、あるよ」
「え? 急になに言ってるのよ」
「いや、さ。この前の悠との喧嘩もそうだけど、今までお互いに理解しあってると思ってたら、実はそうでも無いんじゃないのかみたいな事は、たまにあるんだよ。そう言う時に友情て何だろうって思っちゃう時あるんだ」
「何よそれ、アタシに偉そうに友情語った人間のいう言葉?」
「本当な、面目ない」
苦笑しながら答えつつ、俺の脳裡に浮かぶのはやはり綾瀬の事だった。
先程は久しぶりに会話が出来たが、結局その後何か変わったわけでもない。悠にも少し心配されたが、結局何をどうすれば良いのか分からないままだ。
「まぁ、とにかく、友情ってのは維持するのも築き上げるのも難しいってコト」
「それを友達のいないアタシに言ってどうするのよ……」
「あ、友達いない事自覚してるんだ」
「──っっ、違うわよ!!! 庶民の友達なんて要らないんだから!!」
「あ、ちょ、おい待てって──行っちゃった」
茹でたタコよりも真っ赤な顔になりながら、咲夜は走り去ってしまった。
最後、俺も余計な事を言ってしまったと反省はするが、咲夜も咲夜で自分に友達がいない事を自覚して、多分気にしているんだと思う。
それが良い意味での咲夜の変化に繋がれば良いなと、勝手に思ってしまうのは、相手が妹の渚と同年代だからだろうか。
「いっそ、渚と友達になってくれれば……いや、それはそれで後が怖いから無しか」
そんな事をぼやいてると、スマートフォンから微振動が伝わってきた。見ると、園子からの連絡が表示されていた。
『すみません、今日急用が入ったので、部活動は無しか、私抜きでお願いします!』
「あー……こりゃ、仕方ない」
こうなった場合、基本的には部活は無く放課後は解散になる。
それ自体に不平不満を述べる事は無いのだが──、
せっかく綾瀬とまた会話出来る機会が無くなったのが、嫌に口惜しく感じてしまう自分を自覚せざるを得なかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
──そして、放課後。
今日は部活が無い事もあり、急遽悠と渚の三人でゲームセンターに寄って帰る事になった。
ここしばらく、と言うか園芸部に入って以来、悠と帰りに道草を食う事は無かった。そこに渚も混じって帰るのだから、新鮮味がある。
とは言え、クラスから噂されてるのもあるので、校門前で集合するのでは無く、学園から少し離れたコンビニ前で合流という事にしている。
悠は教室の掃除当番だったので、俺が一人先行でコンビニ前で待つ事になった。
図らずもお昼と同じ状況になり、もしかしたらまた誰かに声を掛けられるんじゃないかと思っていたが、
「お久しぶりですね、野々原さん」
どうやら今日ばかりは、思った事が現実になる能力を手に入れている様だ。全く嬉しくも無いが。
「そんな見るからに嫌そうな顔しないでくださいよ。一緒に園芸部を救った仲でしょう?」
「マジで言ってるのか?」
「もちろん。冗談です」
そう言い放つ声の主は、塚本せんり。
咲夜と並び、一時期の俺に多大なストレスを与えてくれた人間だ。
もっとも塚本の言う通り……と認めたくは無いが、最終的に咲夜を止める事が出来たのは塚本からの情報のお陰なので、頭ごなしに拒否出来る立場に居ないのが非常にもどかしい。
「今日は何の様だ? というか、今日もスーツ姿か」
「似合うでしょ?」
そう言いながら、誇らしそうに自分の背格好を見せてくる。前にもスーツ姿は見たが、夜に街頭の明かりから見るのと、夕方とは言え太陽の昇ってる頃に見るのとでは、少し印象が違うものだ。
「別に、用は無かったんです。ですが偶然近くにに野々原さんが居たので、挨拶しようと思いましてね」
「そっか。まぁ、わざわざありがとう」
「まぁ、ありがとうだなんて、随分柔らかい対応をしてくれる様になったんですね」
驚きつつも嬉しそうに、塚本は口元に手を当ててカラカラと笑う。
「まぁな……お前には散々心を乱されたけど、結局最後はお前からの情報ありきで咲夜と戦えたし……今思えば、ヒントもくれてたしな」
咲夜を理解しろ、と言うのは渚から貰ったアドバイスだったが、実際はもっと早く、この塚本から言われていた言葉だった。
そう思えば、もしかして塚本は塚本なりに、最初から俺の味方になろうとしていたのだろうか?
「それはありませんよー」
飄々とした声色で、塚本は俺の考察を否定する。
「何度も言う様に、貴方がどう動くか気になって、その中でちょっと所感を述べただけなのであの時は。こちらとしては咲夜に抗っても、呑み込まれても、その結果だけを知りたいだけでした」
どこまでが本気でそう言ってるのか、相変わらず俺には分からない。まるで精巧に作られたカカシを相手に会話してる様な気分だ。
けれど、それで良いのだと俺は思う事にした。この男を理解しようと言うのが、そもそもの間違いなのだと。
カカシに感じるのなら、きっとこの塚本せんりという人間は、カカシなのだろう。
「何でも良いよ。とにかく、まだ礼を言ってなかったし、後腐れあると嫌だから勝手に言わせてもらう。……ありがとう、助かりました」
「────」
塚本の言動や態度なんて無視してそう言った。
言われた塚本は、先程までの態度をピシャリと止めて、驚いた猫みたいに目を開いて固まってしまった。
いや、そこでフリーズするなよ。と言おうとした矢先、スマートフォンから着信の振動が鳴る。
急いで見ると、悠から『直接ゲーセンで合流にしてほしい』というメールが来た。
「……綾小路悠夜から、ですか?」
「そう。悪いけど、俺もう行かなきゃだから」
「分かりました、それでは──」
「次会う時は、もう少しとっつきやすい態度と言動で頼むわ。じゃあまた!」
たまには俺から一方的に消えても良いだろう。
そう思いつつ、俺は塚本に言葉をたたみかけて、そそくさとその場を後にした。
途中、渚に集合場所の変更を伝える事を忘れる俺では無かった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……じゃあまた、ですか」
珍しく自分より先に去った野々原縁の背中を見送った後に、塚本はコンビニ前から移動し始めた。
取り敢えず夕焼けがやけに目に染みるので、近くの裏路地に行こうと、コンビニの裏手から回ろうとした。
その、建物の裏で他人の目が無くなる僅かな瞬間に、
「──待ちなさい」
冷ややかなナイフの様な切れ味を持つ声……だけではない。実際に首元に感じる鋭利な刃物の感触が、塚本の動きを止めた。
誰かが、自分の後ろにいる。そしてその人物は、刃物で自分を脅している。
コンビニの裏手と言う、誰の目も通らないこの僅かな空間を逃さず、自分の背後を取る人間がどれだけ居るだろうかと、塚本は一瞬考え、そして……幾らでも居るか、と結論付けた。
「誰ですか? こんな物騒な事をして何がしたいんです?」
自分を、『塚本せんり』をわざわざ狙う人間ならば、それは普通の社会に属する人間ではない。ならば、余程社会の闇に詳しい人間が──そう考察したが、返ってきた言葉に面食らってしまった。
「お前が、お兄ちゃんを苦しめた『情報通』ね?」
「──なんと」
驚いた事に、それは裏社会の人間などでは無く、先ほど自身が会話した男の妹、野々原渚であった。
「──これはこれは、お初にお目にかかりま」
「喋らないで、お兄ちゃんを苦しめた奴の言葉なんて耳に入れたくもない」
「────」
首元により深く当てがわれる刃物の感触。
ここから少しでも押すか引けば、塚本の首から噴水の様に鮮血が飛び散る事になる。
そして恐るべき事に、渚の放つ殺気は本物だった。ここから一言でも口を開けば渚は自身を殺す。塚本はそう確信して、返事代わりに首を縦に振った。
意図を理解した渚は、怒りと怨念を圧縮して固めた様な声色で、塚本に言った。
「今回、最終的にはお前のおかげでお兄ちゃんは問題を解決する事が出来た。だからお前を今ここで殺す事だけは、止めてあげる。お兄ちゃんも、お前に対して許してる様だし」
だけど──そう言って一呼吸置いた後に、渚は塚本に宣言した。
「次、またお兄ちゃんの前に現れて、お兄ちゃんを苦しめる様な事をしてみなさい。その時は……お前をバラバラにして、ドブネズミの餌にしてやるから」
「──っ」
およそ、中学生の女子が口にする様な言葉とは思えないそれを耳にしつつ、塚本は平然とその言葉に首肯で応えた。
「話はそれだけ、それじゃあ、サヨウナラ」
最後にそう言って、渚はその場を離れていった。
後に残された塚本は、まだ首元に残る刃物の感触の残滓を味わいながら、数瞬までの渚の言動を振り返る。
彼女が居たから自分の背後に張っていたのかは知らないが、その行動力と圧力は、驚くべき物だった。
それも一重に、兄への愛ゆえの行動だとすれば……重過ぎる感情を向けられている野々原縁に、初めて心からの同情を禁じ得ない塚本であった。
「それにしても、次にあったら……ですか」
渚の言葉を反芻して、塚本はくっくと笑う。
なんて──なんて、無駄な脅しをした物だと。
刹那、塚本の正面に一人の男が姿を見せた。
自身と同じスーツ姿。しかしその男の表情には一切の感情が込められておらず、ただじっとこちらを見ている。
その男の口が開き、自身に言った。
「──時間だ」
「そう、ですか」
思ったより、早かったな。
そう思いながら塚本はスタスタと男の前まで歩みを進めて、最後目の前に立つと、笑顔で言った。
「それじゃあ、よろしくお願いします」
──なんて、無駄な脅しをした物だ。
──もう、会う機会なんて、二度と無いというのに。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『──昨夜23時頃、市内の○○ビル路地裏で銃声の様な音が──』
朝から物騒なニュースを垂れ流すテレビの音を背景に、俺は今日も朝食の用意を渚と続けていた。
今日は俺が味噌汁を、渚が主菜を務めている。
「そっち、どう?」
「待ってー……うん、大根に箸が刺さった。味噌入れるわ」
「はーい」
いつも通りのやり取りを交わしつつ、一旦コンロの火を止めて、味噌を溶かそうとした、その矢先に、
「あ、電話なってる」
渚が家の固定電話が鳴っている事を告げた。
早朝から、しかも家の電話に掛けてくる人間で思いつくのは僅かしか居ない。
「俺が出るから、渚は続けて。あ、味噌溶かすのだけ任せても良い?」
「うん、ありがとう!」
渚に任せて、俺が受話器を取った。
もしもし、と応えると案の定、受話器越しに予想通りの人物──すなわち、母親からの声が聞こえた。
「縁? ごめんね、朝早くから」
「母さん、大丈夫だよおはよう。そっちは今何時ごろ?」
「まだ夜中の3時……こっちはまだ暑いわ。そっちはどう?」
「結構冷え込んできたよ。それで、どうしたのこんな朝早くから」
親がこの時間に電話する事は今までに無かった。何か大きな問題でも、と最初思ったが声色からしてそうでは無い様だ。
「実はね、まだ確定じゃ無いんだけど、伝えなきゃいけない事があって」
「なにさ」
「昔、と言っても二、三年前まで近くにいた従姉妹の夢見ちゃん、もしかしたら来月頃にこっちに戻って来るかも知れないから、もし来たらお世話してあげて」
夢見ちゃん──小鳥遊夢見、母さんの言う通り三年前まで一緒に居た、従姉妹だ。
不慮の事故で両親が他界した後に、小鳥遊のご親戚に預かられたが、その子が戻って来るかも知れないと言う事だ。
まだ未確定ではあるが、一応先に伝えておこうと言う意味で電話をかけて来たらしい。
用件だけ伝え終えたら、一応俺たちの様子を心配しつつ、眠気が限界に達していた母親は電話を切った。
「──少しずつ、変わっていってるな」
夢見ちゃんが本当に戻って来たとしたら、果たして俺達にどんな変化が訪れるのだろうか。
元通りに戻った、悠との関係。
前より深まった、渚との関係。
噛み合わない、綾瀬との関係。
三者三様の在り方と、自身の立ち振る舞い。
徐々に変わろうとする環境を前に、俺も、今まで通りのやり方ではダメなのでは無いかと、自問しつつ、受話器を戻した。
自問しても、自答までには至らない。
答えの見えない、けれど放置するワケにもいかない自分を取り巻く環境。
死にたくなる……とまでは言わないが、
様々な物をそのままにしつつ、短い秋が終わり、冬が訪れようとしていた。
──END
細かい後書きは活動報告に回そうと思うので、ここでは端的に
1章と2章では、敢えて様々な雰囲気なテイストを変えてみました。
その上で、読者の皆様には違和感やその他諸々があったかも知れませんが、自分としてはある程度納得のいく持ち運びでした。
露骨に続きを匂わす幕引きですが、第三章があるとして、果たして完結まで何年かかるのやら(自分の更新履歴を振り返りつつ)。
三章は無いですが、番外編はあります。
1ヶ月以内に更新を目指すので、また気楽にお待ちいただければ!
それでは、さよならさよなら。
追記
これ(二章)書いて終わる間に、ヤンデレCDの会社が潰れて、その後最近になって18禁ASMRコンテンツとして復活して、もうなんかスゲーな世界と思いました。
生きてると面白い事が起きる物ですね。本作の縁くんはよく死にたくなりますが、皆さんは長く楽しく生きましょう
では、今度こそさよなら