【完結】ヤンデレの女の子に死ぬほど愛されて眠れない兄になって死にたくなってきた   作:食卓塩准将

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第2章『綾小路編』大詰めです
投稿に間隔が空いてすみません。
それでは、どぞどぞ


第拾壱病「ようこそ、庶民の世界へ」

 時間軸は2日前、縁の部屋に遡る。

 

「まずは、咲夜を知るべきだと思う!」

 

 それが渚の提案した解決手段だった。

 一瞬、呆気に取られるほど単純なもの過ぎて、それがどう解決に繋がるのか、縁には思い付かなかった。

 

「お兄ちゃんに酷い事した塚本って人も言ってたでしょ?」

「えっと、確かにそうだけど、それがどう解決に繋がるんだ……? 咲夜の性格なんて、もう俺達十分思い知らされてるんじゃ」

「本当? 本当にそう言える?」

 

 首を傾げて疑問をぶつける縁にグッと詰め寄る渚。不意に顔が近づいて縁はたじろぐが、渚は構わず言葉を続けた。

 

「私達が、ううん、お兄ちゃんが今咲夜に懐いているイメージは、全部悠さんから聴いた言葉と、学園での姿だけだよね?」

「まあ、そうだけど……」

「じゃあ、それ以外での咲夜がどういう人なのかは知ってる? 聞いた事ある?」

「それ以外でって……つまり?」

「学園以外での姿の事。家族とか、友達とか、私達に見せない姿がどんな物なのかって、誰も知らないままだよね」

「たしかに……たしかに、そうだ」

 

 今まで考えもしなかったが、縁が知っている咲夜の情報は大半が渚の言う通り、学園での振る舞いと悠からの伝聞に過ぎない。

 

「だから、咲夜がどんなものを好きだとか、嫌いだとか、そういう、私達が普段人と会話する時に必要な情報が何も分からないでいる……だから、お兄ちゃんも咲夜を相手にして何も言えないし、考えが浮かばないんだよ」

 

 それはまさに、コペルニクス的回転とでも言える発想だった。

 縁が咲夜を相手に『どうしようもない』と感じてるのは、本当に手段が無いからではなく咲夜という人間を知らないから。手段が『無い』のではなく、『見えていない』だけなのだという。

 

 唯一、咲夜の人となりを知るヒントになる事と言えば、夏休み最後の日に初めて出逢った時の姿くらいだろう。

 

「……っ!」

 

 そこまで考えついて、縁は気づいた。

 確かに、高飛車で自分以外を庶民と見下す態度こそ同じではあったが、あの日わずかな時間とは言え共に過ごした時の咲夜と、それ以降の咲夜の振る舞いには若干の違和感があった事に。

 

 学園に居る咲夜は、その行動全てが理にかなっていた。査問委員会を立ち上げてから今日まで一切の落ち度もなく、完璧と言えるようなその在り方に縁は勝ち目が無いと絶望していた。

 

 だが、夏休み最後の日に出会った咲夜は必ずしもそうでは無かった。

 お付きの黒服から逃げ出そうと大人を困らせ、偶然居合わせた自分に助けを強要し、見捨てられそうになったら弱々しく懇願する様な姿さえ見せた。

 その後も、特に計画性もなく行き当たりばったりに行動し、後先考えない言動で縁を翻弄し、最後は……街が夕焼けに染まる光景を見て心惹かれていた。

 

 その全てが、今学園で自分を狂わせている咲夜の姿と合致しない。

 まるで、学園に来てからの彼女は誰かの指示通りに動いているのでは無いか──、

 

 何故今までそう言った発想に辿り着かなかったのか。理由は単純で、咲夜を知る事は悠を裏切る事に繋がるという考えがあったからだ。

 だから、縁は無意識的に咲夜を考察しなかった。その結果、咲夜を前にした時も何を言えばいいのか、どう立ち回ればいいのかが分からず、言われるがまま、なすがままになっていた。

 

『 『分かる』と『理解する』は別ですよ。情報として頭に入ってるのと、実体験として体で覚えるのは、その後の行動に与える影響が全く違いますからね 』

 

 塚本が言った言葉。

 その通りだと認めてしまうのは縁にとっては癪だが、結局はそういうことだったのだと認めざるを得なかった。

 

「何か思いついたって顔してる。うん、やっぱりお兄ちゃんはそうやって自信のある表情じゃないと落ち着かないよ」

 

 自分の中で一条の道が見え始めてきた縁を、笑顔で喜ぶ渚。

 今まで袋小路に陥っていたのに、まだ解決には程遠いとは言え、渚はこうもあっさりと心の重荷を取り外してくれる。その事実が縁の中に抑えきれない程の愛おしさを生み出した。

 無言で渚の後頭部に手を伸ばし、そのまま優しく渚の顔を自分の顔に近づけた。

 

「ひゃっ、ちょ、えぇ!?」

 

 互いの額がくっ付いて、唐突にゼロ距離になった2人の距離に慌てる渚。先程とは逆の構図になり、縁は渚の紅潮した体温を肌に感じつつ言った。

 

「ありがとう、渚。さっきも言ったけど、渚が俺の妹で本当に良かった」

「……お兄ちゃん」

「なんとなく、どうすれば良いか分かってきた。多分なんとかなると思う」

「……うん」

「ちょっとだけ、たまには、情けないお兄ちゃんになる時もあるけど。その時は、よかったらまた今日みたいに喝入れてくれると助かる」

 

 縁は、自分の兄はもうすぐ、いつも通りの兄に戻る。

 友達のために、自分の好きな世界を守るために、自分で出来る事以上の事を為そうとする人間になろうとしている。

 だが、今自分に語り掛けてくれる兄は、そんな強い部分を脱ぎ捨てた等身大の人間だ。

 学園の友達にも、園子にも、悠や綾瀬の様な親友にだって決して聴かせない言葉を口にしている。

 

「……うん」

 

 縁に少しでも力を与えたくて、そっと抱き締めながら、渚は兄の言葉に応えた。

 

「いつだって、お兄ちゃんの背中を押してあげる。だって、私はお兄ちゃんの妹だもん」

 

 親友や幼馴染の様に、隣に立つ事は出来なくても。

 兄の後ろを見る事は妹にしか出来ない事なのだから。

 

「……サンキュー」

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 時間軸はそこから数時間後、深夜の公園に移る。

 縁から依頼内容を聴いた塚本は、今まで縁に見せなかった困惑の表情を浮かべていた。

 

「えっと……何ですって?」

 

 あるいは、それすら一種のポーズだったかもしれないが。

 困ってる顔を見られただけで、縁の中に『勝った』と言う気持ちが湧いていた。

 それを決して面に出さない様に気を張りつつ、改めて縁は塚本に依頼内容を告げた。

 

「綾小路咲夜の全てを知りたい。アイツがどうしてここに来たのか、誰の指示で動いてるのか、趣味は何なのか、友達は何人いるのか、誰が好きなのか嫌いなのか……後はまぁ、絶対に知られたくないだろう恥ずかしい秘密とか沢山あれば最高」

「……なるほど」

 

 頭を抱えて自分が言われた言葉を現実だと飲み込む塚本。

 

「えっと、もっと何か、綾小路家の弱みとかそういう、交渉に有利になるものでは無く? 綾小路咲夜個人の情報を知りたいのですか?」

 

 念のため、自分はそう言った『より交渉に使える』情報も洗い出せると伝えるが、縁の言葉が変わるはずも無かった。

 

「そう。お前が俺に言ったじゃないか、理解しろって」

「確かに言いましたが……あぁ、覚えてたんですね」

「俺は綾小路咲夜を知りたい。アイツの全てを。だからそれを教えてくれ」

 

 別の意味に取られてもおかしくない言い方をする縁に、堪らず塚本は噴き出した。

 

「あっはっは! 貴方、河本綾瀬に聞かれたら人生詰むレベルの発言してるって自覚あります?」

 

 唐突に病んだら恐ろしい幼馴染を会話に出されるが、今だけはその恐怖を無視する。その代わりに、縁も同じく笑い返した。

 

「ははは! 詰むって言うならとっくに詰んでる。詰まりに詰まって吐き出した結果が今だよ」

「開き直りますか。きっと私達をこんな用途でご利用いただくお客様は貴方が初めてでしょうね」

「ああ、上等。相変わらずお前がどんな奴なのか知らないけど、金は払ったんだからちゃんと働いてくれよな」

 

 どこまでも引かずに言い返す縁に、塚本は満足した様に答える。

 

「もちろんです。正直馬鹿みたいに簡単な依頼で申し訳なさすら感じますが、彼女の全てをお伝え致します」

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 そうした過程を経て、俺は今日を迎えた。

 壇上で俺を見下す敵に、底辺から見据えて俺は立っている。

 

「なんで、なんでそんなこと知ってるのよ! 変態!!!」

 

 そう叫んでいるのは、先ほど俺に本日の下着を言い当てられた咲夜だ。

 こちらの『予想通り』に、咲夜はほんの数分前までの勝ち誇った様子から一転、半狂乱になりながら俺を睨んでいる。

 そんな咲夜をみながら、俺は更に咲夜の焦りを加速させるべく追い打ちをかけた。

 

「そんな怖い顔するなよ。昨日だって真っ黒でキレッキレなの履いて俺の頭踏んづけてたのに。あそこで俺が顔を上げてたら丸見えだったんだぞお前?」

「な、なんで、みみみみ、見てたの!?」

 

 もう少ししたら憤死するんじゃないかと思うほど、顔面を真っ赤に紅潮させている。

 周りの生徒たち──今日やっと登校してきて、何も事情を知らないでいる綾瀬──も俺から距離を取り、何が起きているのか、何が起きようとしているのかを呆然と見守るしかできないでいる。

 つまり、今この瞬間、この場を動かしているのは俺だ。

 畳みかけろ、咲夜にまともな思考をさせる余裕を与えるな。口を動かしていけ。

 

「下着の色の話が嫌なら、初めておねしょした時については良いのか? もしくは最後におねしょした時についてなら? でもまぁ、最近ってなるとほんのい──」

「あぁぁぁああぁぁ!! 黙りなさいよ────!!!」

 

 とうとう我慢できなくなり、咲夜は壇上から降りて俺の前まで駆け寄ってきた。

 途中、何度か転びそうになりながらも何とか姿勢を保ち、マイク越しではない生の声で、俺に怒りをぶつける。

 

「どこで知ったの、なんで知ってるの、なんのつもりなの!?」

「調べたんだよ、お前がここに来る前にやった事と同じ事をしたんだ」

「調べたって……まさか」

 

 やはり自分が同じ事をしただけあって、俺の発言の意味をすぐに理解した咲夜だった。

 

「金については夏休みにお前から貰った金をそのまま全部渡したよ。もっともお釣りが来るレベルらしかったけど、その代わりにお前の下着事情とか余計な事も知っちまったがな」

 

 聞いた直後は『余計な事まで教えやがって』と思ったが、こうして咲夜の思考を大いに乱す事が出来たのなら、結果オーライといえる。

 

「アンタ、何がしたいのよ……」

「何がしたい? それを今更聞くのか? 俺の望みなんて、昨日散々お前にお願いしたじゃないか」

「──っ!」

 

 納得と驚愕、それら二つがない交ぜになって、咲夜は言葉を失った。

 たかが庶民の俺が、昨日まで憔悴して狼狽して、咲夜に頭を下げる事しか出来なかった人間が、自分のプライベートや知られたくない事を徹底的に明け透けに、全生徒の前で公開しようとするなんて展開は考えもしなかっただろう。

 

「俺はちゃんと昨日お願いしたんだぜ、やめてくれって。でもお前は断った。ならこうするしかないじゃないか」

「だ、だからって、こんな事するなんて信じられない、意味わかんない……」

「そうかもな。でも」

「でも、何よ」

 

 万感の意を込めて、俺は言った。

 

「ようやく、お前をここまで引き摺り下ろせた」

「はぁ? どう言う意味よ、それ」

「学園に来てから、お前はずっと完璧だった。何をやっても何を言っても、誰もお前に文句を言えない。学園全てがお前を肯定してるかの様に、何もかもがお前の都合通りに動いてた……俺達もな」

「……っ」

 

 咲夜の言葉が止まる。

 なら、言いたい事をこのまま言わせてもらおう。

 

「そのお前をやっと焦らせた。やっと困惑させられた、やっと動揺させた、やっと、やっと、やっとやっとやっと……貴族と言ってはばからないお前を、俺と同じ目線にまで引き摺り下ろせた!」

 

 今、俺の目の前に居るのは完璧な綾小路咲夜じゃない。

 8月最後の日、俺と一緒に街を回った、あの傍若無人で我儘な綾小路咲夜だ。

 

 だったら、何も怖がる事なんてない。

 俺は咲夜を右手の人差し指で差しながら、堂々と言い放った。

 

「ようこそ綾小路咲夜、庶民の世界へ。せいぜいこれから僅かな時間を楽しんでくれ」

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 塚本から貰った情報は、どれもこれも今回の事態を解決させる──つまり綾小路家を黙らせる価値のある──物ではなかった。

 もっとも、それは当然の話。俺が調べたのは綾小路家じゃなく、あくまでも咲夜本人の情報なのだから。

 今回の事態の裏に綾小路家全体のお家争いがある以上、いかに個人の情報を探ったとしても、綾小路家そのものを止める事なんて出来やしない。

 

 とは言え、仮に綾小路家の弱みになる情報を俺が手に入れたとしても、それで形勢逆転なんて無理な話だ。

 俺程度の人間がそんな情報を拡散しようとしても、簡単にもみ消されて終わるのがオチ。綾小路財閥とか、綾小路重工とか、大きい組織全体を相手にしても、金も人の数も時間も余裕も全部勝っている向こうが簡単に無かった事にして終わるだけだ。

 

 では何故、俺があくまでも綾小路咲夜個人の情報だけを知ろうとしたのか。

 渚から咲夜を理解する事が解決の糸口になると言われたから。それは間違いない。

 だけど同時にもう一つ、俺は大きな思い違いをしていた事に気づいた。

 事態の裏に潜むのは綾小路家だが、今この学園に居て動いているのは、あくまでも咲夜だけだ。

 つまり、俺が相手をするべきなのは綾小路家という強大な組織ではなく、あくまでも綾小路咲夜個人。一人の人間でしかない。

 

 綾小路咲夜を相手にする=綾小路家という図式になる事は間違いない。

 だけど、ここでカギとなるのはこの街に来たのが権謀術数に長けた人間ではなく、中学一年生の咲夜だという事。

 

 自分を貴族だと誇り、

 一般人を庶民と括って見下し、

 悠を毛嫌いし、

 自分の思い通りに行かないと気が済まない。そんな傍若無人を絵にかいたような人間。

 

 だけど、

 俺にとってお気に入りの風景だった、夕焼けに染まる街並みを見て、奇麗だと言ってくれた。

 

 そういう、誰かと何かを共感出来る感性を持つ女の子。

 それが、綾小路咲夜なのだ。

 

 ならば、生まれが一般人の家庭だろうと大金持ちの一族だろうと、生きている限り恥ずかしい過去が絶対にある。

 つまり俺が咲夜を止めたいと思うのなら、そういう咲夜にとって『他人に知られたくない秘密』を全て牛耳り、それを盾に強請れば良いだけの話だったのだ! 

 

 

「お前の事は全部調べた。下着の種類とかおもらしとか以外にも、初恋の相手だとか、金と権利でごまかした失敗だとか、人に聞かれたくない事は全部知ってる。やろうと思えば今すぐ全部ぶち撒けても良いんだぜ」

「な、なによそれ……信じられない、最低」

「最低で結構。誰に何と言われようと、こうしてお前を引き摺り下ろせたなら大成功だ」

 

 俺のやっている事は確かに最低の部類だ。

 一人の少女の過去を隅々まで調べて、恥ずかしい過去を公衆の面前で晒上げ、自分の言う事を聞かせようとする。それが最低の行いと言わずに何というか。

 だが、そこまでやったからこそ、今この瞬間がある。

 壇上で全てを見下して、完全に勝ち誇っていた咲夜を驚かせ、困惑させ、焦らせ、壇上から俺の目の前まで来させた。

 

 この街に来てからずっと、俺達の上に居続けた存在を、同じ地平まで引き摺り下ろさせたのだ。

 驚いてるだろう。

 焦っているだろう。

 自分の置かれている状況が信じられないだろう。

 

 それ等は全て、普通に生きてる俺達にとっては特別でもないモノで、でも金持ちであるお前にとっては極限まで無縁の概念だったに違いない。

 

『ようこそ、庶民の世界へ』

 

 普通なら口にした瞬間に恥ずかしさで死にたくなる様なこの言葉が、今この状況に限っては、この言葉は咲夜の心を揺らがせる一言になった。

 

「殺してやる……絶対に許さないんだから、アンタの家族も周りの奴も全員、今すぐ殺してやるんだから!!」

 

 仮にも査問委員会を設立した立場でありながら、暴力的な発言を一切の躊躇なく言い放つ咲夜。

 普通ならその発言に戦々恐々して然るべきだが、この程度の展開を予想しないでここに立っている俺ではない。

 むしろ、これは既に咲夜がそこまで追い詰められていると言う証左なのだ。

 俺がどこまでの情報を握っているか、それを測ろうとしない──出来ないのが咲夜なのだ。

 

「殺せるものなら殺してみろよ、ただしその場合、お前は取り消しのつかない事になるけどな」

「どう言う意味よそれ!」

「今から30分後に、俺が知った情報を全てテキストに起こしたデータを、メールサービスを使って無差別に送信するように設定した。お嬢様は予約送信って知ってるか? 便利だよなあ」

「な、なんて事、してんのよ……」

「俺を殺せば予約送信を削除出来なくなる。俺の家族や友人を人質にしようと、俺は予約送信を止めない。絶対にお前の知られたくない全てを世界中にばら撒いてやる」

 

 政治家や芸人の不祥事は大喜びで取り上げても、それらが属する政党や事務所までは決して相手にしない。マスコミや野次馬ってのはそういうものだ。組織そのものを相手にしなくとも、そこに属する人間のスキャンダルには嬉々として食いつこうとする。

 同じ事が今回についても言える。綾小路財閥や、綾小路家に属する組織の情報を手にしても、もみ消される可能性は大きいが、綾小路家のお嬢さんのスキャンダルならば、一気に話が変わる。

 咲夜の恥ずべき部分をマスコミが取り上げ、世界に振りまく事になる。後から火消しに回ろうと、一度拡散した個人の情報が消えさる事は決してない。

 

「い、意味が分かんない……なんでそこまでやるのよ」

「ずっと言ってるだろ。土下座までして頼んだのに、お前が悠や俺達に対する行為を全く止めようとしないからだ」

 

 もう少し、追い詰める。

 

「あぁ、後昨日俺を乱暴に踏みつけてくれた姿は、園子にちゃんと録画してもらってる。その映像もちゃんとばら撒くからよろしくな」

 

 その為に、昨日は園子について来てもらってた。

 同じ役割を仮に渚や綾瀬に任せたら、きっと失敗する。園子にしか頼めない事だった。

 今日までのありとあらゆる出来事が、全て自分に帰って来ている事を思い知らされた咲夜。

 こちらを睨む眼光こそ変わらないが、言葉には明らかに力が無くなり始めていた。

 

「狂ってる、狂ってわよアンタ……今してる事も、昨日の事だって、普通そこまでやらないじゃない。諦めるじゃない。無理だって思う筈よ」

 

 敢えて返さずに、咲夜のいうがままにさせる。

 

「それなのに、なんでこんな酷い事を平然と思い付くのよ、実行出来るのよ、アンタ狂ってる、絶対におかしい!」

 

 咲夜の言葉に力が戻っていく。

 

「何がアンタをそうさせるのよ! あんな奴の為にここまでやるなんて馬鹿じゃないの!? 信じられない!!」

 

 もう、言葉は充分だ。

 俺がどうしてここまでやるかなんて、もう何度も答えたはずなのに、まだ咲夜は分かっていなかった。

 いや、分かっていないのではなく──、

 

「やっぱり、無理な話か」

「──え?」

 

 呟く様に吐き捨てた言葉に、咲夜は一瞬だけ張り詰めてた気を緩め──その瞬間に、俺は咲夜に駆け寄り手を伸ばし、胸元を掴んで眼前まで引き寄せた。

 

 さぁ、ここからが最終局面だ。

 

「俺が狂ってるだと!? どの口でそれを言うんだよ!」

「っ!?」

 

 目の前の咲夜に、怒声を浴びせる。

 不良じみた行動だが、だからこそ俺の剣幕に査問委員会の生徒はおろか、教員達も止められずにいる。

 

「俺が狂ってるんだとしたら、そうさせたのはお前じゃねえか! 俺の大事な友達を、大事な空間を侵略して来たのは誰だ!?」

「ひっ……」

「お前だよな!? 自覚がない様なら教えてやるよ、お前なんだよ! お前が俺を狂わせたんだ、お前がこの状況を作ったんだ!」

「そ、そんなのって……言い掛かりじゃない」

「言い掛かりだと思うなら今の俺を止めてみせろよ、そう言えばお前らは『お金で買えないモノは無い』が信条なんだってなぁ? だったら買ってみせろ、俺の悠に対する友情を金で買ってみせろ」

「……」

「『金で買えないモノがある』って事を分からないから、お前は理解出来ないんだよ」

 

 そう言って、掴んでいた手を離す。

 俺に引きずられるままになっていた咲夜は、そのまま力なくその場に座り込んでしまった。

 見上げる側と見下す側が逆転した状況。見れば、咲夜の瞳には涙が浮かび出ていた。

 

「……分かんないわよ、分かるわけ無いじゃない」

 

 涙を拭わないまま、座り込んだまま、咲夜は言う。

 

「友達って何よ、こんな事出来るくらいの関係がお金も無いのに出来るなんて考えつくはずないでしょう……」

 

 

 友達を知らない。

 それが、塚本から聴いた中で一際俺の関心を引いた情報だった。

 

 それも仕方の無い話だろう。

 傍若無人で横暴、それでいて綾小路家のご令嬢。

 そんな彼女の友人になれる人間なんて、そうそういるはずもない。

 だから彼女は何度言われても、言葉だけじゃ理解出来なかった。実際に行動に移されて追い込まれて、初めて今この瞬間に咲夜は知ったのだ。

 

 たとえお金が絡まなくても、誰かのために動こうとする人間がいる。

 

 もし咲夜が俺達を庶民と見下さず、庶民の生態にほんの僅かでも関心を向けていれば、友達という概念を理解はせずとも、知識として頭に入ってたかもしれない。

 その場合、間違いなくこの状況を作り出す事は出来なかった。

 

 咲夜が友達を知らない人間だったから、俺達は苦しめられた。

 だけど、だからこそ俺は、今回の問題を収めるたった一つのやり方を見つけられた。

 

「悠……悠夜も、この街に来た頃は今のお前と同じだったよ」

「──え?」

 

 ここでその話が出てくるとは思わなかったのだろう、不意を突かれた様な気の抜けた声を咲夜はあげた。

 

「お前みたいに、俺達市民を『庶民』だなんだって見下して相手にしなくってさ。本当に酷い性格。俺達を果たして人間扱いしてるのかってくらい辛辣な言動だったよ」

「……それが、なんで友達になれたのよ」

「詳しく話すと長くなるから割愛するけど、まぁ結構衝突してさ、その中でお互いどういう人間で、どんな性格なのかを知ったんだ。そうしてるうちに嫌いだった所も気にならなくなって、気が付いたら友達になってた」

「……結局、なんなの」

「この話で言いたい事はつまり、気に入らない奴でも何回か付き合ってけば、嫌でも良いところが見えてくるって事。友達ってのはそういうさり気なく見えた良いところをお互いに知る所から生まれるんだと思うぜ」

「……なによそれ、意味わかんない」

 

 視線を床に伏せて、咲夜は今までで一番弱々しくそう呟いた。

 

 自分より性格の悪かった悠夜にさえ、俺みたいな友達が出来た。

 なのに、自分には友達が全くいない。

 それが彼女にとってどれだけのダメージなのかは、彼女自身にしか分からない。けれど彼女の尊厳に深く関わる話である事は間違いない。

 だからきっと、今から俺がいう言葉は咲夜に届くはずだ。

 

「3つ、俺の出す条件を飲めば、メールは送らないが、どうする?」

「……本当?」

「あぁ。本当だ、まず1つ目は、査問委員会を無くす事。どうだ」

「……それって、つまり」

「そう。お前の親達の利権争いはもうやめろって事だ」

 

 査問委員会は、咲夜がこの学園を牛耳るために──つまりは利権争いのために作られた委員会。それが無くなるという事は、この学園を舞台にした綾小路家の衝突が終わるという事。

 

「どうする? 査問委員会を無くすか、無くさないか、答えは?」

「……分かった、査問委員会は今日で終わりにする」

「俺達園芸部や悠に対する仕打ちも?」

「終わりよ。全部終わり」

「多数決取るか?」

「要らないわよ、そんなの……」

 

 生徒達がざわめく。

 それもそうだ、この流れでアッサリと、悪名高い査問委員会が無くなる事に決定したのだから。

 自分の秘密と、家の事情。

 どちらを優先するかと言えば、咲夜は自分だった。咲夜の性格を知る事が出来たから取れた手段。まずはこれで、園芸部の危機は去った。

 

 だけど、まだこれで終わりじゃない。

 これでも充分求めていた結果だが、ここで終わってはいけないんだ。

 

 査問委員会がなくなってから残るのは、打ちのめされた咲夜と、咲夜に憎しみを抱く多くの生徒達。

 咲夜の権力は変わらないままだが、咲夜に対する恐怖感はみんなの心から消えている。

 

 そうなったらなにが起きると思う? 

 男の悠でさえ、綾小路家と言うだけで殴られたんだ。金と権力はあっても、非力な咲夜なら、もっと暴力的な事をされてもおかしくはない。

 直接的な被害は最初だけかもしれないが、その後も間接的な嫌がらせが咲夜に降り掛かる事は想像に難くない。

 

 無論、そんな状態になれば咲夜は簡単にこの学園を離れていくだろう。だけどそしたら、今度は新しい綾小路家の息がかかった人間がこの学園にやってくるだろう。

 咲夜とは違って、本当の意味で隙のない人間が来たら、それこそどうしようもなくなる。咲夜がこの学園に居続ける事が、これから先重要になるんだ。

 

 そうなると、咲夜にはここに残る理由が必要だ。

 その理由を、俺が提示する。

 

「条件2つ目、園芸部に入れ」

「分かったわ……って、はぁ!?」

 

 今度は別の意味で生徒達がざわつく。

 見てないが、恐らく綾瀬や渚も驚いているだろう。園子にだけは昨日既に話をして、納得して貰っている。

 

 ……もっとも、自分を苦しめた側の人間を迎え入れる事に納得してもらうのだから、それはそれで1つ条件を飲む事になったのだが。それはまた別の話。

 

「なんのつもりよ、私を園芸部に入れるなんて」

 

 今度ばかりは流石に素直にハイと答えない。

 まあそれもそうだ。自分が何をしてきたのかはよく分かってるだろう。明確に園芸部を潰そうとしてた人間を、部員として迎え入れる意味が分からないのは当然の話だ。

 

「理由は簡単だ。もうこれ以上お前と悠がチクチクいがみ合うのを見るのは嫌だから」

「だったら尚更じゃない、アタシとアイツを同じ部にするなんて矛盾してるわ」

「話は最後まで聞けよ。だから決めたんだ、お前らには『友達』になってもらう」

「は、はぁぁ!?」

 

 ある意味、今日1番信じられないというリアクションをしてきた。

 

「お前らは元々の性格が同じだから同族嫌悪じみた対立してたが、俺の友達の定義はさっきも言った通りだ。性格が近い分、だからこそ理解出来る価値観や感性、金持ち特有の常識とかあるだろう?」

「だけど、それでアイツと友達になれなんて……」

「それだけじゃない、俺もお前とはもっと仲良くなってみたいんだよ」

「えぇ!?」

 

 さっき以上に信じられないという顔をする咲夜。

 

「それこそ、本当に意味分からないわ! 何がしたいのよアンタ! アタシを追い詰めたと思ったら今度は友達になりたい!? 意味不明過ぎるわよ!」

「友達になるまでは言ってない、仲良くなりたいって言ってるんだ」

「それの何が違うのよ!」

「そのうち分かるよ。とにかくどうするんだ、部員になるか、ならないか?」

 

 突き詰められて、また視線を床に向ける咲夜。

 もどかしくなった俺は先ほどとは違いゆっくりと咲夜に近づき、手を差し伸べた。

 

「少なくとも、お前はあの日、俺が見せた街の景色を『悪くない』って言ってくれた」

「それは、言ったけど……」

「だから、少なくともその分はお前を嫌いになれない。俺の好きなものを分かってくれたから、俺もまた悠の時みたいに、これからお前を知りたいと思ってるんだ……本当だぜ?」

「……そう」

 

 ぶっきらぼうに答えてから、

 

「分かったわよ、その条件ものむわ」

 

 俺の手を掴み、立ち上がった。

 綾小路咲夜が園芸部の部員になった瞬間である。

 

「そういう事だ、みんな!」

 

 左手に持ってたマイクの電源を付けて、全生徒に宣言する。

 

「査問委員会はたった今終わらせた! 代わりに咲夜は俺達園芸部の後輩になった! 文句はねえな!?」

 

 生徒達がそれぞれ反応しているが、賛成も否定も求めては居ないので、俺は1番大事な事を全員に伝える事だけに集中する。

 

「こっから先、咲夜に変な事してみろ、その時は俺が園芸部の仲間に手を出した奴を徹底的に後悔させてやるからな! 分かったか!」

 

 かなり問題発言なのは間違い無いが、それによってこの瞬間から、咲夜に対するヘイトは大幅に減ったのは間違いない。

 全校生徒の前で昨夜を問い詰めて、査問委員会を終わらせた人間が、咲夜を身内に抱え込んで今度は守ると言う構図。

 一般生徒にとっても予想外の展開だが、同時に咲夜が今後変な事をしないための防波堤として、俺への信頼も生まれただろう。

 

 これによって、咲夜に被害を加えようとする奴らを牽制出来るようになった。

 

「それで、最後の条件はなんなの?」

「あぁ、最後の条件は……」

 

 査問委員会を無くした。

 園芸部に入れて危険の芽を摘んだ。

 それじゃあ最後に残っているのは当然。

 

「謝れ」

「え?」

「え? じゃない、謝れ。俺は勿論の事、園子や綾瀬、渚とそれに……学園に戻ってきたら、悠にもだ」

「ま、待ちなさいよ! 謝るだなんてそんな」

「は? 出来ないの? じゃあ良いけどあと5分くらいだからな送信まで」

 

 直接的なリスクを提示する事で、改めて状況を再認識させる。案の定効果テキメンだった。

 

「うぅぅ〜〜! 分かったわよぉ! 謝るわ! 謝るからもう許して!!」

 

 半ば自棄になって最後の条件も受け入れた咲夜。

 

「それじゃあ早速、俺に言っとこうか」

「うぅ……」

 

 悔しさと恥ずかしさに飲み込まれそうになりながら、しかしそれでも1度ハッキリと口にした以上、自分の発言を反故に出来ないのだろう。プライドの高い咲夜だからこそ、いかに屈辱的な事でもやると言った事はやるしか無い。

 

 すーはーすーはーと呼吸を整えた後、

 

「あぁもう、行くわよ、ちゃんと聞きなさい! アタシは──」

 

 恐らく人生で初めての謝罪を咲夜はするのだった。

 同時に、右手に持ったスマートフォンで予約送信を取り消す。

 

 綾小路咲夜が来てから始まった、学園を巻き込んでの騒動がやっと終わった瞬間であった。

 

 これで後は、残る問題もただ1つ。

 その問題にもすぐに向き合う事になるだろうと、俺は強く確信していた。

 

 ──バン! という音と共に、閉じられていた講堂の扉が開かれる。

 

 多くの生徒は変わらず査問委員会が無くなった事への喜びや、咲夜が謝罪の言葉を口にした事に湧き上がって気付いてなかったが、俺はちゃんとその扉を誰が開けたのかまで見ていた。

 

 扉を開けたその人物は、肩で息をしながら講堂の様子を見る。

 そいつの事だから、きっと何が起きたのかを察知したに違いない。

 そうして目敏く俺の姿を見つけて、そいつ──遅すぎる登場を果たした、綾小路悠が言った。

 

「縁、君は──お前は、自分が何やってるのか分かってるのか!!」

 

 今までに聴いた事も無い怒号。

 間違いなく、今の悠はキレている。

 

 まぁ良いさ。怒ってるなら都合が良い。

 俺も、コイツには言いたい事がある。

 

「何やってるかだって? 見りゃあー分かるだろ。当たり前の事をしたんだよ!」

 

 言いながら、俺も悠に向かって歩いていく

 

 あと2M、悠の右手がギュッと握られるのを見た。

 

 あと1M、俺の左手に力が籠ったのを悠は見ただろう。

 

 そして、距離がゼロに近くなったその瞬間。

 

「ふざけんな縁ぁああああ!」

「歯ァ食いしばれ金持ちボンボンがぁあああ!」

 

 互いに叫びながら、拳を振るった。

 

 

 

――to be continued

 

 

 




次回、第2章『綾小路編』最終回です。

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