【完結】ヤンデレの女の子に死ぬほど愛されて眠れない兄になって死にたくなってきた   作:食卓塩准将

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第玖病「そんなの、お兄ちゃんじゃない」

 吐くものを全て吐き出して、次に起こした行動はコンビニに行きながらスマホの連絡先を開く事だった。

 コンビニへ行く理由は、スーパーで買い物ができなかったから。渚は俺がスーパーで買い物をして帰ってくると信じている。

 今からスーパーに戻るのは遅いから、せめてコンビニで買える食材だけでも調達しないといけない。そうしないと、渚が心配してしまう。何があったのかを聞かれたら、答えないでいられる自信が無い。そうして話してしまえば、渚の負担にもなってしまう。それは俺の望むところではない。

 

 もう一つ、連絡先を開く理由は悠に連絡をするためだ。

 今さっき、咲夜から言われた事を俺は悠に言わなきゃいけない。言って、それで……それで、どうしようとか全く何も思い浮かばない。

 でも、黙っているわけにはいかないだろ。ちゃんと伝えないと、裏切れと言われた事を、金曜日……詰まり明後日に全てが終わると。

 

 コール音は、いつものように3回目に到達する前に悠の肉声に変わった。

 2日振りに聴く友人の『もしもし』という声に、小さく安堵した。

 

「こんな時間にごめん、今大丈夫か?」

「問題ないよ。……心配かけてごめんね」

「良いって……」

 

 どう、話を切り出せば良いか分からない。分からないけど、でも延々と沈黙するばかりじゃ埒が明かない。言わなきゃ。

 

「悠、俺さ……さっき」

「咲夜に、持ち掛けられたんでしょ?」

「え……なんで、知って」

「さっき、本人から連絡がきたんだ。ごめんね、嫌な思いを凄くしたと思う、ごめん」

 

 やめてくれ。なんで悠が謝らないといけないんだ。何も悠は悪くないのに。

 本当に謝るべきは俺の方だというのに、更に続けて悠はこう言った。

 

「縁、君は咲夜の言うとおりにするべきだ」

「な、何言ってんだ! そんな事出来るわけがないだろ!」

「いいや、そうしないといけない。もう学園は完全に咲夜の意のままになった。僕とのつながりがある限り、園芸部に対する悪感情は続く。だから君が、君は……」

 

 スマホ越しでも悠の声が震えているのが分かる。悠だって本当はこんな事望んじゃない。言いたくないはずなんだ。

 なのに、それを口にしないといけない。それはつまり、悠にも最早完全に打つ手がないという事。

 俺は、心のどこかでまだ可能性を信じていたのかもしれない。ありのままを伝える事で、悠にしか思いつかない逆転の作戦が出てくるんじゃないかと。

 でも、実際はそんな事なかった。悠はもうとっくに心が折れていて、限界を迎えていた。なのにまた俺は、そんな悠に期待して……。

 

 悠に、悠が一番言いたくない言葉を言わせてしまった。

 

「僕は、せめて君の言葉で、終わりたい」

 

「だから頼む、僕を裏切ってくれ、縁」

 

「君と友達になれて、本当に幸せだった。ありがとうございました」

 

「さようなら」

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

「おかえりなさい、お兄ちゃん。ちょっと遅かったね」

「……うん、ただいま。帰る途中に悠と電話してて。少し時間食っちゃった、悪いな」

「ううん、別に良いけど……悠さんと何かあった?」

「ううん、大丈夫。ケガのせいでもう少し学園には行けないってさ」

「そっか……でも、きっと大丈夫だよ。来週にはまた皆で部室に集まって───」

「渚」

「ん、な、なに?」

「今日、俺が料理当番だったけど代わってもらえないかな?」

「いいけど……本当に何かあった?」

「大丈夫。食材、これだけしか買えなかったけど、あとはあるもので作ってね」

「うん……」

 

 半ば無理やり渚に押し付ける形になって、俺は2階の自室に戻っていく。

 

「お兄ちゃん、ご飯は食べないの……?」

「うん。色々疲れが溜まってるのかな。ちょっと寒いから、部屋で寝てるね」

「寒いって……風邪ひいたの? お薬持っていくよ?」

「大丈夫だから、な?」

「お兄ちゃん……」

 

 心配させてしまったのは間違いないけども、だけど、これが精いっぱいの空元気だった。

 部屋に入って、電気を付けて、荷物を降ろして着替えたら、電気を消してベッドに横になる。

 本当だったら今日の授業の復習だとか、明日の予習だとか、やらなきゃいけない事が幾つもあるのに、もう何もできなかった。

 

 だから眠ってしまおうと思ったのに、口の中に残った胃酸の臭いとか、咲夜や塚本や悠の言葉が延々と頭の中で繰り返し再生されるばかり。

 それに、タオルケットや布団を被っているのに全身の寒さが消えない。寒くて、身体が震えてそれも眠気を遠ざける。

 

「……本当に、どうすればいいんだ」

 

 咲夜は、悠を裏切って自分の味方になれと言った。

 悠は、咲夜の言う通りにしてくれと言った。

 塚本は、他の選択肢があると言っている。

 

 悠を裏切らないと、園芸部が廃部にされる。廃部にされてその先は、学園からの追放だろう。

 だけど裏切れば、悠を除く皆はこの先平穏な日々を過ごせる。

 悠1人の犠牲で全てが解決するのなら、悠がそれを良しとしているのなら、俺は悠を裏切っても良いんじゃないだろうか。

 

 ──―そんな考えがほんの僅かでも脳裏をよぎった事実に、俺は心底怖気が走った。

 

 そんな結末を避ける為に、今まで頭を悩ませてきたんだ。だから例え、どれだけ困難な道だとしても俺は別の手段を見つけなきゃいけない。それは塚本も言っている事だ。俺を苦悩させてる原因の一つでもあるアイツの言葉の通りになるのは、心底不本意ではあるが。

 じゃあ改めて考えろ、塚本の言う『他の選択肢』とは何だ? 

 悠を裏切る事無く、園芸部を守り、咲夜の支配を止める方法? 

 はは、なんだよそれ。馬鹿じゃないのか。そんなの、あるわけ無いじゃないか。どうしてそんな都合の良い、魔法みたいな手段があるっていうんだ。

 

 無理だ。綾小路咲夜を、あの孤高で、容赦の無い、徹底的なまでに物を進める少女に使えるカードが無い。情報が無い、知識が無い。

 無い、無い、無い。何も無い。何も無いのに参考になる事例も類書も文献も無い。俺1人で全部どうにかしないといけない。

 

「だから、それが無理だって言ってるんだろうが……っ!!!」

 

 もうどうしたって悠を裏切る選択肢しか見えて来ない。そんなのあり得ないのに、絶対にいけないのに、でもそれしか道が見えない。

 

「嫌だ、それだけは本当に、本当に嫌だ……」

 

 身体の寒さが、また一層酷くなった気がする。自分を抱き締めるように身体を丸くしても、何も変わらない。

 

「寒い、寒い寒い寒い寒い寒い……なんでこんなに寒いんだよ、なんでっ!」

 

 余りにも寒過ぎて、咲夜の事よりもそっちについての苛立ちが強くなる。ぶっ殺したくなるくらい寒さが消えない。

 

 ……いや、ちょっと待て。

 今俺、なんて言った? 

『ぶっ殺したくなるくらい』って言ったか? 

 

「いや、流石に……駄目だろう」

 

 まるで、たまたま歩いてた道の上に転がってる石ころに意識が向いたかの様に。

『ぶっ殺したくなる』という言葉がヤケに引っ掛かった。

 そう、例えば、咲夜を殺してしまったらどうなる? 

 咲夜を殺せば、咲夜の傀儡でしかない査問委員会は実質解散になる。咲夜が死ねば俺達の学園を舞台にした綾小路家の権力闘争も、無理やり終わるしかないだろう。

 

 だが、そんなの現実的な考えとは到底言えない。咲夜は常に周りに護衛の人を付けているだろう。外では当然、学園でも見えないところで配備させてるに違いない。

 そんな咲夜に手を出すチャンスなんて──―、

 

「いや、あるわ」

 

 俺にはあった。

 咲夜はどういうわけか、普段『庶民』と見下して歯牙にも掛けないでいる一般生徒達と比べて、俺に対しては変にコミュニケーションを図ろうとしている節がある。今日だってわざわざ一人で俺に声をかけて来た。『呼べば来る』とは言え、最初は一人だけだった。俺に対してはそう言う行動を取るんだ。

 

 それが何故なのか分からないし、もしかしたらそれはとても大事なポイントの様な気もするが、今からまた新しい事を0から考える余裕なんて俺には無い。

 とにかく、頼めば一人で俺の前に現れてくれる可能性は大きいわけで、それが大事なんだ。

 

 一対一になれば、華奢な咲夜を手に掛けるなんて事、俺でも簡単に出来るだろう。

 

「いや、待てって、だからそうじゃないだろ」

 

 無論、そこから犯行が発覚して捕まるまで、半日も持たないだろう。

 もし本当に咲夜を殺せば、俺はその日のうちに人生が終わる。

 渚や綾瀬は勿論、親にだってとんでもない迷惑を掛けてしまう事になる。ともすれば園芸部の存続にだって影響を及ぼす事になるかもしれないが、存続の危機は咲夜を殺さなくたって現在進行形で起きている。

 

 それに、咲夜を殺せば、悠が動きやすくなって、園芸部が無くならない様に上手く収めてくれる可能性だってあるわけだ。

 俺は犯罪者になるが、その代わりに悠を裏切らず、園芸部も皆も学園から追放される事も無くなる。

 

 もしかしたら、これは本当に良い考えなのかもしれない。

 何か致命的に間違ってる様な気もするけど、でも、咲夜の言う通りするでもなく何もせずに全員が終わるのでもなく、それこそ塚本が言う『俺にしか出来ない別のやり方』が、『咲夜を殺す』事になるんじゃないのか? 

 

 そうだ。きっとそうなんだ。

 

「でも、嫌だな」

 

 弱音を、寒さに震える唇をギュッとしめて黙らせる。

 嫌ならなんだ、また0から考えられるのか? 嫌だ、苦しいと嘆きながら答えのない答えを探す事をしたいのか? それが嫌なら黙っていろ。

 

 もうこれしか無いんだ。

 だから、もう考えるな。これ以上苦しむな。

 決めた事を、決めた通りに動けばそれで良いんだから。

 

 あぁ、それでも──

 

「泣かせる事になるのは、やっぱ嫌だな」

 

 心の中の一番奥にある本音を、無意識に口から溢した、その直後に。

 

「お兄ちゃん、起きてる?」

 

 ──渚の、声がした。

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 お兄ちゃんに何かが起きた事を、(アタシ)は帰って来たその姿を見てすぐに確信した。

 

 帰って来たのが遅かったからとか、スーパーに寄ったはずなのにコンビニの袋を手に持っていたからとか、そういう小さな理由からじゃない。

 血の気の引いた青白い頬、憔悴してふらつく立ち姿、そして何よりも、今まで何があったって決して光を失わなかったその瞳が、まるで真っ黒なペンキでも塗ったかの様に深く、暗く、黒く澱んでいた。

 

『あの日』を境にお兄ちゃんは私の知るお兄ちゃんでは無くなったけど、それでも、その瞳が曇る事なんて、私と喧嘩した時だって無かった。

 だから、放課後途中で別れたスーパーに寄ったお兄ちゃんがここまで打ちのめされる様な事が起きたと分かった。

 

『帰る途中に悠と電話してて。少し時間食っちゃった、悪いな』

 

 嘘だ。

 悠さんと電話したのは本当かもしれない。だけど、それだけで、お兄ちゃんが一番の親友と電話しただけで、そんな風になるはずが無い。

 正直、この時点で私は『誰に何をされたのか』察しがついたけど、それをお兄ちゃんは教えてくれる事もなく、話をはぐらかして部屋に入ってしまった。

 

 少し前までの私なら、これに対して『嘘をついてる』と思ったかもしれない。でも、今のお兄ちゃんを見てそんな気持ちにはなれなかった。

 だって、あんなに弱っているのに、お兄ちゃんは私を見たら笑顔でただいまって答えてくれた。弱々しいけど、私のために必死に笑顔になった。

 

 そんなお兄ちゃんに『嘘つき』なんて、言えるはずがない。

 

 代わりに感じたのは、何があったのかすぐに教えてくれない事に対する寂しさ。

 お兄ちゃんにとって、私は悩みを打ち明けてくれるだけの信頼感や頼り甲斐が無いんだと、如実に感じてしまう。

 でもそれだけじゃなくて、お兄ちゃんなりの優しさがあっての事だというのも分かってる。お兄ちゃんがあんなに苦しむ悩みを、妹の私に共有させたく無いから言わない。今のお兄ちゃんは『そういう人』なんだ。

 

 ──―だから、私から行かないと駄目だと決めた。

 

 お兄ちゃんが今何に苦しんでいるのか。

 お兄ちゃんはどうしたいのか。

 お兄ちゃんのために何が出来るのか。

 

 それを全部、お兄ちゃんから引き出す。

 そうしないと、きっと、これは確信だけど、お兄ちゃんは潰れてしまうから。

 

「ちょっと前の私でも、こんな風に思ったのかな」

 

 自問自答を言葉にして、私は私を振り返る。

 

 あの時、今のお兄ちゃんと初めて喧嘩をした時。

 

 私はお兄ちゃんの事を『お前なんてお兄ちゃんじゃない』って否定した。

 頸城縁(前世の自分)の意識と記憶が混じって、私の今まで知るお兄ちゃんと変わった事を受け入れられなくて、思わず口にした──してしまった。

 

 酷い事を言ってしまったと、あれから何度も何度も思い返しては自分に嫌悪感を抱いた。

 お兄ちゃんが『お兄ちゃん』であろうとして来た、心や努力を全て無為にしたのだから。

 

 そして、お兄ちゃんは、私に『自分を安心させてくれる存在なら誰でも良いんだろ』と言った。

 お兄ちゃんに対する気持ちは『恋』ではなくて、安心に対する『執着』、あるいは『依存』だと。

 

 そんな事ない、と今でも思う。

 でも、それを頭ごなしに否定出来る自信が、その時の私には無かった。

 

 

 もしあの時、綾瀬が間に入って私とお兄ちゃんの喧嘩を止めてくれなかったら、私達はあの日終わっていたと思う。

 

 綾瀬が居たから、私達兄妹は改めて家族として、兄妹としてお互いの在り方や価値観を尊重していこうと決めた。具体的なそう明言したわけじゃないし、どちらもわだかまりは残っていたけど。

 それでも、私はもう一度今のお兄ちゃんを『お兄ちゃん』として見ていこうと決めた。

 お兄ちゃんも私に真摯に向き合って、自分がどういう人間なのかを見せている。

 

 だから、誠実に在り続けてくれた今のお兄ちゃんに、『妹』の私は力になりたくなった。

 

 自問自答の答えは、決まった。

 

「ちょっと前の私なら、こうはならない」

 

 でも、

 

「今の私は、今のお兄ちゃんを助けたい」

 

 それに、私は知ってしまった。理解してしまったから。

 今年の6月。頸城縁さんの生まれて死んだ街にお兄ちゃんと一緒に行った時。

 頸城縁がどういう人間で、どんな考えや価値観を持つ人だったのかを。

 

 自分自身が嫌な思いをするのは構わないけど、自分の大事な人が苦しんでいる時は、自分の事の様に、自分の事以上に思い悩んで苦しんで、怒る人。

 大事な人を守るためなら、人を殺す事だって厭わない人。

 

 それが今のお兄ちゃんの半分(頸城縁という人)だ。

 

「今だってほっといたら、殺しちゃおうなんて考えるかもしれないもんね」

 

 頸城縁の時は、家族なんて居なかったかもしれない。

 でも、野々原縁には、私という妹がいる。

 

 だったら、私がお兄ちゃんを頸城縁の様にはさせないんだから! 

 

 そう決意して、私は階段を上がり、お兄ちゃんの部屋の扉を叩いた。

 

「お兄ちゃん、起きてる?」

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

「……あぁ、入って良いよ」

 

 少ししてから、部屋の中からそう返事が来た。

 ゆっくりと扉を開けて部屋に入ると、もう部屋の電気は消えていて、お兄ちゃんはベッドに居た。

 上半身だけ起こしてこっちを見ているお兄ちゃんの姿は、薄暗い部屋の中でも一際暗く見える。

 

「寝てたのに、ごめんね。お兄ちゃんと話がしたくて」

「いいよ、大丈夫」

「体調はどう? さっき寒いって言ってたから、体が温まるようにスープ作ったんだけど、降りて飲まない?」

「ん……今日は、もういいかな。明日は大変だから、早く寝ないと」

 

 だから、話を早々に終わらせたい。そんな言葉の意図を汲みながらも、私は言葉を続ける。

 ううん、続けるばかりじゃ話をはぐらかされて終わるだけだ。

 だから、もういきなり本題をぶつける事にした。

 

「お兄ちゃん、明日は大変だっていうけど、何かあるの?」

「え……いや、まぁ査問委員会の目もあるし、園子も言ってたよな、俺達が誠実に過ごせば学園の生徒も園芸部に対する疑念を解いてくれるって」

「言ってたね」

「だからさ、明日から早く登校して、少しでも模範生みたいな風に思われようと思ってねそれで」

「それでどうにもならないって、お兄ちゃん(頸城縁)が一番よく分かってるはずだよね?」

「──っ!」

 

 お兄ちゃんの肩が揺れたのが見えた。

 やっぱり、そうだ。

 こういう方向の話の進め方は、私にしか出来ない。

 

「だって、お兄ちゃんは……ううん、お兄ちゃんの中にいる頸城さんは、皆からの偏見に無反応だったから、最後は死んじゃったんだよね?」

「……そうだね」

「じゃあ、模範生になろうとして明日朝早く登校するなんて行為が無駄だってお兄ちゃんは私に言われなくてもわかるよね」

「……うん」

「だったら、お兄ちゃんは本当は、何をしようとして大変だって言ったの?」

「……」

 

 言葉が止まった。

 ここにきて、私の中にある最悪な予想は真実味を帯びた。

 本当にもう、しょうがないんだからお兄ちゃんは。

 

「ねえお兄ちゃん。今日、綾小路咲夜さんに何か言われたんでしょ?」

「あ……えっと」

「もう隠さなくていいんだよ、お兄ちゃん。何があったのか話して?」

「だけど……っ、えっと、でも話したってどうにも」

「なるかならないかは、話してからじゃないと分からないよ? それに、今のお兄ちゃんは自分だけで悩みを解決できないと思う。助けが必要だって自分でも思ってるんじゃないのかな」

「……巻き込みたくない」

「今更何言ってるの、お兄ちゃん。私も悠さんの事は知ってるし、私だって園芸部なんだよ? 何より家族なんだから。……もうとっくに巻き込まれてるし、もっと言えば綾小路咲夜の事はお兄ちゃん一人の問題じゃない、園芸部皆で立ち向かわなきゃいけない事だったと思う」

 

 きっと、お兄ちゃんは勘違いしていた。園芸部を今の形にしたのはお兄ちゃんだ。だからきっと、園芸部を守るのは自分一人に課せられた役割だと思っていた。

 そんなの、勘違いもいいところよ。お兄ちゃんは別に無敵のヒーローでもなければ、なんでも出来る超人でも無い。

 ただの、他の人より少しだけ行動力があって、でも普通に悩むし苦しむし、間違った考えや行動も取る。

 私や綾瀬と同じ普通の……私のお兄ちゃんだ。

 

 たった一人で園芸部を守るだけの技量、お兄ちゃんにはない。

 

 そういった勘違いを見透かして、綾小路咲夜はお兄ちゃんが一人の時に声をかけてきたに違いない。

 もう、今から園芸部皆で立ち向かうなんて事は出来ない状況だけれど、だったら、妹の私が今から出来る事をするしかない。

 一人か二人では、全然違うって事を、お兄ちゃんに教えてあげる。

 

「だから、話して? お兄ちゃんが今日言われた事を。今日まで、お兄ちゃんがどんなに苦しんで来たのか」

 

 ベッドに向かい、お兄ちゃんの横に座る。

 冷たい手を握って、言葉だけじゃなく思いも伝わるように言った。

 

「お兄ちゃんは今まで皆のために頑張ってきたんだから。お兄ちゃんのために頑張らせて」

「渚……」

 

 この日。

 私は初めて。

 

「……助けてくれ、もう、どうすればいいか分からないんだ」

 

 お兄ちゃんが涙を流して、人に助けを求める姿を見た。

 不安や恐怖を、恥も外聞も捨てて他の人に打ち明けるのは、勇気の必要な行為だと思う。

 それを、幼馴染の綾瀬や親友の悠さんではなく、自分で見せてくれた事に、場違いながらも嬉しさを感じてしまったのは、内緒の話だった。

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 お兄ちゃんの口から出てきた話は、私の想像の範疇を超えていた。

 

 神出鬼没の自称『情報屋』。

 学園全体を巻き込む綾小路家の争い。

 そして、あと2日後に迫る、園芸部存続を左右する咲夜の脅迫。

 

 そのどれもが、お兄ちゃんを追い詰めるのに十分すぎる問題だ。

 こんな事を内側に抱えていれば、お兄ちゃんが今の状態になるのは至極当然だといえる。

 

 というか、だんだん頭にきた。

 綾小路家の問題なんて私達には全く関係無いし、お兄ちゃんが柏木さんのために校長先生を追放させたのだって、元は隠ぺいした人達が悪いんじゃない! 

 それなのに、全部お兄ちゃんが悪い事にして、ふざけてるとしか言えない。

 

 あと自称『情報屋』の塚本って人にも怒りが込み上げてくる。

 お兄ちゃんが一人の時にばっかり出てきて、お兄ちゃんに意味深な言葉を言って悩ませるだけ悩ませて居なくなるなんて、お兄ちゃんをオモチャか何かと勘違いしてるんじゃないの? 

 

 どれもこれもふざけた話ばっかりで、聞いてるうちに何回も殺意が湧いてきたけれど。

 そんな気持ちを一瞬で押し込めたのは、最後にお兄ちゃんが口にした言葉だった。

 

「だから、俺は明日咲夜を殺そうと思う」

 

 ああ、やっぱりだ。

 最悪の予想が、的中しちゃった。

 今のお兄ちゃんにとってその判断は無理もないけど、でも『良いよ』なんて言えるわけない。

 

「それが間違った答えだって、お兄ちゃんも自分で分かってるよね?」

「ああ、分かってる。分かってるけど、これしかない」

「どうして、そう思うの?」

「だって、それ以外に悠を裏切らずに事を収める方法がない」

「でも、それじゃあお兄ちゃんが捕まっちゃうよ? それはいいの?」

「俺は、それでも良いさ。皆がどうにかなるなら、それで」

「良いワケないでしょ!!」

 

 本当は大きな声なんて出したくないけど。

 でも、言わなきゃダメ。お兄ちゃん(頸城縁)に分かってもらうためにも、言わなきゃいけないんだ。

 

「その方法で一番楽になるのは、お兄ちゃんだよ。ううん、お兄ちゃんしか楽にならない、誰も救われないし、笑顔になんてなれない」

「……そんな事ないだろ、事態が収まれば、きっと」

「堀内さんと瑠衣さんの事、忘れたの!?」

「っ、あ……」

 

 6月に、私達が出会った『頸城縁のかつての友人』だった2人。

 2人は、頸城縁が自分達のために亡くなった事をずっと悔やんでいた。

 誰かのために身を呈して何かするのは凄い事だと思う。でもそれで死んじゃったら、あとに残る人は罪悪感に呑まれるばかりになると、私はあの日知った。

 

「それと同じ事をお兄ちゃんはやろうとしてるんだよ! なんでそれが分からないの? お兄ちゃんが咲夜を殺して全部解決? なるわけないでしょそんな事!」

「…………」

「私は泣くよ? 綾瀬だって悠さんだって、柏木さんだって泣く。それから先の人生、どんなに良い事が起きたって、お兄ちゃんの犠牲の上に成り立ってる人生なんて最悪なんだよ? それに気づいてよお兄ちゃん!」

 

 言葉は間違いなくお兄ちゃんの中に届いたはず。

 一切の反論もせずに、お兄ちゃんは私に言われた言葉の一つ一つをかみしめる様にうなだれる。

 少しして、ポツリとお兄ちゃんは言った。

 

「でも、じゃあ、どうすればいいんだ」

「それを、一緒に考えようよ」

「わかんねぇよ、思いつかねぇんだよ……何にも」

 

 涙が、ぽつぽつとこぼれる。

 

「もうどうしようもないんだよ、咲夜を止める言葉も手段も、俺にはない」

「そんな事ない」

「どうしてそう言い切れるんだよ!」

「だってお兄ちゃんは、お兄ちゃんだもん」

「は……?」

 

 お兄ちゃんは困惑している。

 けれどこんなの、何もおかしな言葉じゃない。

 今日までずっと、隣で見てきたから分かる。

 今のお兄ちゃんを見て、知って、理解したからこそ、

 妹の私はこう言える。

 

「『もうどうしようもない』なんて、お兄ちゃんはそんな事言わない。そんなのお兄ちゃんじゃないよ?」

 

 だから──、

 

「私達の園芸部を、お兄ちゃんの大事なものを、咲夜から取り戻そう! ──皆が揃ったままで!」

 

 その言葉を、お兄ちゃんが聞いた瞬間に。

 

「──ああ、そうだ。その通りだな。……ありがとう、渚。君が俺の妹でよかった」

 

 薄暗い部屋の中でもはっきりと分かる。

 お兄ちゃんの瞳に、光が戻った。

 

 

 

 ──to be continued

 


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