【完結】ヤンデレの女の子に死ぬほど愛されて眠れない兄になって死にたくなってきた 作:食卓塩准将
このままどんどん終わりまで突き進んでいきますね
『園芸部と査問委員会は密接な関係にある』
この噂は、呆れてしまうほどに早く、学園内を駆け抜けた。
噂は人々の間で熟成されて、真実になり、生徒たちはその真実を疑う事なく、晴れて俺たちは査問委員会に気に入られている連中になってしまった。
その結果。
「……くそがよ」
教室にある悠のロッカーに大量に入っていた
昨日、ロボ研の部長にブン殴られた悠は打ち所が悪く、頭を強く打ち付けて脳震盪を起こしてしまった。その上額からも出血が出た事で、今日は1日休みだった。
綾瀬も、解決したとはいえあんな事があった上に悠の事も重なり気が滅入ったのだろう。今日は休むと連絡が来ている。
援交を捏造した男やロボ研の部長は、即刻停学になったと幹谷先生からは知らされた。
だけど、俺がそれでスッキリしたかと言えば当然そんなわけがない。
たとえロボ研の2人が停学になろうが、昨日ロボ研部長が言い放った言葉が消え去る事は無いのだから。
今日、純然たる被害者である2人が休んだ事について、心配する様子を見せた奴は殆どいなかった。
俺や悠と日頃接する機会があるクラスの男子数人と、綾瀬が日頃仲良くしてる女子生徒が何人か、それ以外はみんな腫物を扱うように、むしろ居なくて良かったとでも言うような雰囲気さえ漂わせながら、今日1日を過ごしていた。
そして、極め付けは俺がさっき捨てた紙屑。
これは教室の悠のロッカーの中に入ってた物だ。
紙にはメッセージが書かれてあり、だがしかし、それらに何が書かれていたかを明かすかに語る気は全くない。
語れば不快感を抑えるのに一苦労するのが目に見えるから。
つまり、そう言う文言がたくさんあったと言うことだ。
今時、SNSでいくらでも好き勝手に言えるのにもかかわらず。こうして古臭いやり方をわざわざ選ぶ連中の愚昧さに心底ため息が出てくる。
これら全て、綾小路咲夜が描いた絵の通りの展開だったとしたならば。
もう、完全に手詰まりのような物だ。
たったの1日で園芸部は学園全体から疎まれる存在になった。そのくせ、下手に加害でもした物ならば、ロボ研のような末路が待っている。でも査問委員会や綾小路咲夜に対するヘイトは溜まっていく一方で。
そんな状況の中で『何をするかわからない』咲夜に恨みをぶつけるのではなく、以前から存在を知っている、いわば『人となりを知っている』綾小路家の悠に向けて、密かに悪感情をぶつけようとする気運が非常に高まっている。
昨日まで、全くそんな気持ちを持って居なかった奴らが。
ただの言葉で、瞬く間に害をなす存在に変わった。
反吐が出る、こんな事をした奴らを今すぐ暴いて、その顔に同じ文言を書き込んで街中を一周させてやりたい。
だけど、それを実行する事に何の今もない事は火を見るより明らかな事で、仮にそんな事してしまえば、悠の汚名が注がれるどころか逆に園芸部員全員が本当に危険視されるだけだ。
それに、ここまで延々と不特定多数に向けた悪感情を発露してきた俺だが、現状を生み出してしまった原因は俺にもある……いや、俺が一番の原因だと言ってもしょうがない。
誰も言ってくることは無いが、そもそもこんな噂が立ってしまったのは、綾小路咲夜が俺の話を受けて事態を知り、頼んでも居ないのに解決に向けて査問委員会を使ったからだ。
つまり、俺が昨日の朝、ヒステリックな頭で咲夜に突っ掛かったりなんてしなければ……犯人が見つかるのは時間が掛かったかもしれないけど、悠が殴られることも、園芸部が学園内のヘイトを買うことも無かったんだ。
だから、原因は俺にある。
きっと悠はこうなる可能性も視野に入れて、俺を止めていたんだ。俺がもう少し聞く耳を持てば、こうなるって説明してくれたんだ。
俺が、全部台無しにしてしまった。
「……っ」
そう考えるだけで、叫び出したくなる程の激情が心の内から湧き上がってくる。
でも、それを僅かでも外に出す資格なんて俺には無い。何とかしなくちゃいけないんだ。起こしてしまった事の補償を立てないといけない、嘆く事も怒る事も、一切合切現場の俺にそんな資格は無い。
でも、だからと言って、そこまで分かって居たからって、じゃあ俺に何ができる? 何を変えられる?
噂はもう学園内を駆け巡って2周も3周もしている。
多くの生徒は園芸部員を査問委員会に並んで危険視している。
俺はまだ被害を受けて居ないが、今後は中等部にいる渚にだって、影響が出てくるだろう。
何度も自問自答してきた事をまた考えざるを得ない。
どうにもならないのに、どうにもならない事をどうにかならないかとどうしようもない立場で考える。
『真摯に過ごすしか無いと思います』
放課後の部室で、園子はそう言った。
『誠実に、私達は何も悪いところはないと、示していくより何もできないですよ』
きっと、そうなのだろう。
そうなのだろうけど。
『だから、縁くんもあまり気を詰めないでください。きっとあの2人もここに居たら、同じ事を言うはずです』
それは素直に胸にくる言葉で。
一緒に部室に居た渚も同意する言葉だった。
『また、しばらく園芸部は活動を止めましょう……皆さんと一緒に過ごさないのは、寂しいですけど。しばらくしたら、誤解も解けるはずですから。そうしたら、また皆一緒に、おしゃべりしましょう?』
リスクを鑑みた、これもまた正しい判断だと言える。
明日以降学園に戻ってくるだろう悠や綾瀬にとっても、今居心地の悪いこの学園にいる時間を少しでも減らそうという、園子なりの配慮もあるんだろう。
だけど、きっと、間違いなく。園子の願いは叶わない。胸の中で、そんな最悪な事を確信している自分がいる。
何故なら、この状況は非常に似ているのだ。
いや、なんなら完全に同じだとハッキリ明言した方が心持ちが良いかもしれない。
直接的な被害が無くとも、周囲から避けられ恐れられ、場合によっては理不尽に蔑まれる。
違いを挙げれば、俺1人が矢面に立っているか、園芸部員全員がそうかでしかない。
悠が実際に殴られてる分、もっと事態は酷いともいえる。
そして、頸城縁の顛末を知る自分だから分かる事が1つ。
たとえ、波風立たず静かに過ごしたとしても、周りの評価は変わらない。
頸城縁は、自身にまとわり付く噂を払拭するために何かアクションを取った事は無かった。だけど、それ以上悪く見られないために静かに過ごしていた。例外もあったけど。
だけど、頸城がどんなに静かに過ごそうと、衝突を避けようと、周囲の評価は何も変わる事が無かった。それと同じ未来が、これから先園芸部に起きるんじゃないかと言う危機感が絶えない。
何もしなければ悪化し続ける、何かしなければならない。焦りと不安が思考をグチャグチャにするけど、事を起こした張本人としての責任が、パニックになりそうな脳味噌を強制的に現実へ引き戻す。
園子のいじめを解決しようとした時も、渚や綾瀬達の病みを爆発させまいと四苦八苦した時も、前世の頸城縁の人生でも味わった事の無い事態を前に、いよいよもって袋小路の模様を呈してきた。
「……さむいな」
帰宅して夕飯も食べて、部屋で1人だけになってからふと、そんな言葉が自然と口に出た。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「あんた、ちょっと付き合いなさい」
翌日、綾瀬と悠は今日も学園を休んだ。悠は怪我の影響で、綾瀬はご両親が登校するのを止めてるらしい。無理もない話だ。
虚無な時間を過ごして放課後。昨日の園子のお達し通り部活をしない俺と渚は帰宅する事にしたが、俺は夕飯のおかずを買う為に、渚は洗濯物をしまうために、それぞれで帰ろうとしていた。
通学路から離れて、スーパーに続く道の途中にある坂道の手前まで歩いたところに、彼女は現れた。
この場合の「彼女」が誰かなんて言うまでもないが、あえて明言する。綾小路咲夜だ。
辺りを見回したが、査問委員会らしい生徒はおろか、お付きの護衛じみた大人の姿も見えなかった。
「誰もいないわよ。引き払わせたから」
俺の視線の動きから意図を察した咲夜が先んじて説明を挟んだ。
だから何だという話だが。
「何よ、そんなに警戒しなくたっていいじゃない。本当に誰もいないんだから」
「……今の俺たちがどんな状況になってるかくらい、知ってるんだろ?」
「話には聞いてるけど?」
「なら、当然俺が警戒するのも分かるだろ」
学園から離れているとはいえ、この辺りに生徒が歩く可能性はゼロじゃない。
ただでさえ癒着が疑われているのに、こうして面と向かっている姿を誰かに見られたら、とうとう言い逃れが出来なくなる。
「勝手な噂に随分悩まされているみたいね。アイツが追い詰められているのは爽快だけど、巻き込まれてるアンタ達にはさすがに少し同情するわ」
「……煽りたいだけならもういいか? 暇じゃないんだ」
「そんなこと言っていいのかしら?」
「どういう意味だよ」
「アンタの幼馴染の……名前忘れたけど、そいつに嫌がらせしていた奴を突き止めたのは誰だと思ってるの? 誰のおかげ?」
「……」
正論と認めたくはないが、反論できる余地がないのは確かだ。
何も義理を感じる必要なんてないが、咲夜が動いたから犯人が見つかったのは事実だし、それだけの影響力を持っている奴を今、邪険に扱ってしまえばどんな事態が待っているか予想できない俺じゃない。さすがに、もう分かった。
「分かったよ。どこに行けばいい」
「最初から素直に言うこと聞けばいいのよ」
勝ち誇ったようにそう言い放ってから、咲夜はおもむろにスマートフォンを取り出して誰かに連絡を取る。
するとどこからともなく、いかにも高級車然とした車両が姿を見せる。
慣れたしぐさで後部座席のドアを開けて奥の方に座ろうとして、途中こっちを振り返りながら、
「なにぼーっとしてるのよ、さっさと乗りなさい」
乗れというのか、俺の人生で一生乗る機会もなさそうな高級車に。
「誰もいないって言ってたじゃないか」
「いなくても呼べば来るのよ」
さも当然だと言わんばかりの態度に、とうとう返す言葉もなくなり、俺もすごすごと車に入っていった。
「この街に引っ越してからのあいつの話を聞いた時、耳を疑ったわ」
どこに向かってるのかも分からないまま発進する車内で、咲夜が窓を見ながら言った。
「あの偏屈な奴が信じられないくらい穏やかな性格になってて、頭でも打って人格変わったのかと思ったくらいよ」
「……」
「なによ、つれないわね」
「こんな話をするために俺を誘ったのか?」
「そうだけど?」
「……そうかい」
咲夜の意図が読めない。わざわざこんな話をするためだけに、俺に接触を図るような単純な人間なのだろうか?
「あんた、あいつとどうやって友達なんて関係になれたの?」
「色々あったんだよ」
「その色々が何なのかを聞いてるんだけど」
「なんでそんな事を聞きたいんだよ。何が狙いなんだ?」
「質問に質問で返すわけ? でもまぁ、そうね。確かに話の趣旨はそこには無いわけだし、どう友達になれたかはこの際どうでもいいとして」
いったんそこで間を作ってから、咲夜は視線を窓から俺に向け直し、にたっとした笑みを浮かべながら言った。
「あんたにとって、あいつはどんな奴なの?」
「どんな奴って……お前がさっき言った通りだよ、友達だ」
「それは知ってるわよ。聞きたいのは程度について。どれくらい大事に思ってるの?」
ますます意図が分からない。だけどここで話を濁したり、ごまかしたりしたところで何かが好転するわけでもない。
咲夜は意味のない事をする人間じゃないだろう。そこは悠と同じはず。
それにここは咲夜のテリトリーもいいところだ。それなら素直に答えた方が自分のためにもなるだろう。
「親友だよ。あいつがどう思ってるかは知らないけど、俺はあいつを親友だと思ってる」
「理由は?」
「理由って……息が合うとか、一緒にいて楽しいとか、俺にはない価値観を持ってるとか、そういう物の積み重ねだよ。普通のことだろ?」
「…………そうね」
今度は打って変わって歯切れの悪い返事を見せた。何か癇に障るところでもあったのかと警戒するが、伺う間もなく話を続けてくる。
「あいつの内面が好きになったっていうわけ? 綾小路家だからってわけじゃなく」
「自慢じゃないけど綾小路家がどんな一族なのかって事すらこの前までちゃんと分かっていなかったんだ。金持ちだったからどうこうとかはなかったよ」
これも本当の話。金持ちの坊ちゃんだという事くらいは分かっていたが、それが理由で交友関係を築こうと考えた事はない。
これも俺にとっては特に面白みのある話ではないと感じていたが、咲夜はここに食らいついてきた。
「この前までって言ったけど、それっていつからの話?」
いつから。それを明確にするというならば答えは1つ。
園芸部に園子しかいなかった時、去年園子が園芸部の顧問に性的暴行をされかけたにもかかわらず、学園の名誉のために当時学園を牛耳っていた校長に口封じをされて廃部まで追い込まれていた時だ。
園子をいじめる連中や、園子がかつての顧問を誘惑していたという諸々の誤解を解くために、あの時初めて悠に『綾小路家』としての権力を頼った。俺が綾小路家の恩恵を強く受けたのは、あの時が最初だった。
「ふぅん。やっぱりそういう事ね」
俺の話を受けて、咲夜は何かを納得したかのように頷いてから、
「じゃあやっぱり、あんたが発端なわけか」
「は?」
俺が発端? 何を言ってるんだ。
「鳩が豆鉄砲って言葉があるけど、どういう表情か今のあんたを見てるとよく分かる。アタシの言ってる意味、分かってないでしょ?」
「……」
沈黙をもってそれに返すしかない。肯定と受け取った咲夜が言葉を続ける。
「何もかものよ。アタシがここに来たのも、あんたの大好きなアイツが辛い目に遭ってるのも、全部あんたが原因ってコト」
「はぁ!?」
車内に俺の動揺する声がこだまする。
だって、本当に意味が分からない。それじゃまるで、俺のせいで今学園や園芸部、綾瀬や悠が苦しんでいるみたいじゃないか。
なんでそうなる。学園が閉塞的になっているのも、悠が追い詰められているのも、根本的には咲夜が転校して査問委員会なんてものを作ったからじゃないか。それが俺のせいだって?
「責任転嫁も大概にしろよ」
動揺がそのまま怒りに転じていく。
ここしばらくずっと心の中にたまり続けてきた、理不尽な物事に対する不満やストレスが、次々と膨れ上がっていく。
咲夜の起源を損なって逆に立場が悪くなる可能性を恐れて言葉を選んでいたが、あっという間に我慢ができなくなってしまった。
「お前が査問委員会なんてふざけた物を作って、みんなを理不尽に支配しようとしてるのが原因だろ……、俺達は普通に過ごしてたのに、それを横からいきなり出てきて全部ぶっ壊しといて、俺が原因だって? 冗談じゃねえ、お前がみんなを苦しめてるんだろ!」
「被害者面が上手ね」
「てめぇ……っ!」
出来ることなら、今すぐその顔面がぐちゃぐちゃになるまで叩きのめしたい。
だがいくら怒っているからと言っても、この場でそれが出来ると思うほど理性は消えちゃいなかった。
仮に一発でも咲夜に手を出せば、間違いなく俺の人生は今日で終わる。いや、俺だけじゃなく皆にも波及するだろう。
すでに怒鳴り声を上げてしまっているが、これ以上は本当にだめだ。
「被害者面って言ったな、じゃあ俺が加害者だって言うなら理由を言えよ、説明してみろ」
「えぇ。そのつもりだから……いったん深呼吸でもしたら?」
どこまでも余裕を崩さずに、咲夜は上から目線で居続けている。
言う通りにするのも心底癪に障るけど、これから咲夜が口にする言葉を聞くにあたっては、今の精神状態じゃままならないのは間違いない。
深い呼吸の繰り返しを機械的に無機質に繰り返し、強制的に落ち着かせてから、俺は咲夜に話を促した。
「アタシに、こんな面白みのない地方都市まで行くよう話が出たのは、6月の中旬。本当急に決まったんだから」
6月と言えば、時期的には園子の問題が解決して、俺たちが園芸部に入った辺りだ。何故そんな頃に急に決まった?
「『バランスが崩れたから、それを直しに行きなさい』それが理由だったわ。正直、どうでも良かったんだけど、話の中心にアイツが居たから気が乗ったのよ」
「待ってくれ、バランスって何についてのバランスなんだ。そこから──―」
そこまで言いかけて、俺は前に悠から聞いた話を思い出した。
何についての話かと言えば、俺達の通う良舟学園が出来た経緯についてだ。
この学園は綾小路家が設立に関わっており、悠の父親と咲夜の父親が特に深く関与していたらしい。元々この2人は対立が深く、この学園を建てるにあたってもかなりの衝突があった。
つまり、この学園は前々から綾小路家の権力闘争の場でもあったという事。
つまり、ここで言う『バランス』が指す意味は、
「お前達側の人間だった校長が追放されて、学園内で悠側の立場が上がったから、お前が送り出されたのか?」
「言い方は気に入らないけど、概ねそんな所よ」
「でもおかしいだろ、いくらお前らの親が学園の設立に関わってたからって、ただの学園だぞ? 園子が襲われた事実を隠蔽した事もそうだ、あの学園はそんなに大事な所なのか?」
「……その辺の面倒な話は知ってるか。じゃあ、幾らか説明が楽になるわね」
そこで一旦間を開け、咲夜は自分が今から話そうとしてる事を頭の中で整理させつつも、面倒くさそうにしながら言った。
「確かに、本当ならあんな学園どうでも良いのよ。誰が何をしようと、何が起きようと、隠蔽だったりアタシが送られたりなんて事、あり得ない事なんだから」
あり得ない。そう断言する咲夜。
だがしかし、現実として、園子の事件は隠蔽されたし、咲夜はこの街に来た。じゃあ何が綾小路家をそこまで動かしている?
「それでもお父様や、アイツの家があんな風に躍起になってるのは、その先にある利権が絡んでるから」
「利権って……なんの」
「この街の再開発についてよ」
「!?」
つまり、咲夜の言う事はこうだ。
この街一帯は、綾小路重工を中心にした再開発計画の中心であり、その事業のリーダーを誰が務めるかで綾小路家同士の対立があった。
利権争いは最終的に悠と咲夜の親同士の1対1にまでなった。しかし、決着が着く前に綾小路家とは無関係な理由で、世界的な大不況が起こり、この街の再開発計画は一旦凍結する事になってしまった。
それでも、既に工事が始まってしまった建物については止めるわけにもいかず、そう言った中途半端な状況で建てられた内の1つに、俺達の通う学園があった。
計画は凍結こそしたが、天下の綾小路家がいつまでも不況に頭を抱え続けるワケも無い。むしろ時が経った事で計画の規模は拡大した。
綾小路重工に留まらず、綾小路が携わってるあらゆる企業を集約させた、ある意味王国の様な地方都市にする、そんな構想まで出来ているらしい。
正直、そこまで来ると最早スケールがデカ過ぎて話についていけないが、つまりは近年再び利権争いが再開したという事だ。
その渦中に、かつての再開発計画の賜物である、良舟学園がなってしまった。
学園の運営を成功させ、街の発展に繋げる事が出来れば、この街全体の価値が高まっていく。すなわち、学園を掌握する事が、最終的には計画の主導者になり、莫大な利権を得る為の足掛かりになるわけだ。
そんな大人達の都合に、俺達は振り回されている。
「そして、ちょっと前まではお父様に従ってる男が学園の校長をしていた。つまり、あそこの実権はお父様が握ってたの。利権争いって言えば対等な立場だった様にも聞こえるけど、実質は先が見えた争いだったわけね」
それが覆りそうになったのが、今年の5月から6月に掛けてに起きた、とある出来事だった。
つまり、俺達が校長の隠蔽を暴いて、園子のいじめを解決した事。これによって咲夜側の人間が学園から消え去り、利権争いの場に立っている悠が残るのみになった。パワーバランスが崩壊したのである。
咲夜が言うには『お父様はだいぶ焦っていた』。既にケリの着いていた争いが思いもよらないタイミングで急展開を迎えた事もそうだが、何よりも驚きだったのは悠についてだった。
悠は、綾小路家の人間で居ながらも、彼本人は権力争いを避ける穏健派の人間だと見られていたらしい。
利権争いに関わってこそいるが、中等部2年から良舟学園に在籍して4年間、1度も学園の掌握に動こうとしなかった。その事からも既に利権は諦めており、悠が学園に在籍してるのは親のせめてもの足掻きであると。
その悠が、よもや校長を直接追放し、学園の情勢を大きく塗り替えたのだ。
咲夜の父親が、動かないわけが無かった。
「──―とまぁ、ここまで一方的に話してきたけど……酷い顔ね、大丈夫?」
「……ちょっと待ってくれ、じゃあ、本当に……」
学園の情勢を大きく塗り替えたのは、悠だ。
だけど、悠がそんな風に動いたのは、彼本人の意思からでは無い。
俺が、協力を頼んだからだ。
悠は学園を支配しようなんて全く思って無かった。ただ平穏に、楽しく学生生活を過ごしたい、それが悠の望みだったはず。
そんな願いを、俺が壊したって事なのか?
「やり過ぎたのよ、アンタ」
咲夜が鋭く刺すような口調で、でも何処か同情するような色も含めて言った。
「最初にアイツの事を聞いて、真っ先に違和感を覚えたわ。だから調べさせたの、アタシの独断でね」
「調べた……?」
「情報屋ってのがいるのよ、それもとびきりのね。アタシはああいう連中嫌いだけど、それでも流石ね、お父様から貰った話に一切出てこない人間の話があったわ、それがアンタ」
「俺の話が、無かった?」
「えぇ。お父様は全く把握していなかった。おおかた、アイツが色々弄って隠してたんでしょうね。『親友』を守る為に」
「そんな……悠はそんな事一言も」
「言わないでしょ、意味が無いもの。アイツに『君の為に全て僕1人でやった事にしたよ』って言われて、納得するの?」
するわけがない、なんでそんな事をしたんだって、むしろ問い詰めるだろう。
「だからよ。まぁ結局追放はアイツのした事だから、裏にアンタが居ても居なくても変わらない。アタシもお父様にアンタの事を詳しく話したりしてないし。でも」
その後に続く咲夜の言葉を、俺は聞きたく無かった。
「でも、アンタが柏木園子の為に動こうとかしなかったら、アタシはこの街に来なかったし、アイツもアンタの幼なじみも嫌な思いをする事は無かった。今この状況を作り出したのは、その大元は──―」
「野々原縁、アンタなのよ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「長々と付き合わせたわね」
車はいつの間にか止まっていた。
俺は、いつそうしたのか知らないが、車から降りて、車内の咲夜を呆然としつつ見ていた。
「まぁでも、アタシがこんなに庶民に時間を使うなんて滅多にない事なんだから、ありがたく思いなさいよね。アンタが知りたかっただろう色々な事も教えてあげたんだから……」
「……」
「ちょっと、何か言いなさいよ。無視するワケ?」
「……俺は、どうすればよかったんだ」
「え?」
「園子の力になりたいと思った。俺1人じゃ無理だから、悠に力を貸してくれって頼んだ……そして今の時間を、園芸部って言う場所が出来たのに……」
咲夜に言ってもしょうがない事を、しょうがないと分かった上で、俺は言わずにはいられなかった。
「なのに、俺があの場所を作ったから、今こんなに苦しむ事になるなんて、じゃあ一体、俺はどうすれば良かったんだよ! 園子を見捨てれば良かったのか!? 何も知らないフリして避けて、今日まで生きていれば良かったのかよ!!」
「知らないわよ」
心からの叫びを、慟哭を、しかし咲夜はコバエを払うかの如く切り捨てた。
「でも」
その後続く咲夜の言葉から逃げる力は、もう俺には無かった。
「今から出来る事は教えてあげる」
「今から、出来る……?」
「そう。アンタ、アイツを裏切りなさい」
「は……はぁ?」
もう、立ってるのさえ精一杯になってきた。
「アンタが、いいえ、園芸部が今どんな状況にあるかは知ってる。このままだと針のむしろ、苦しいままでしょう?」
「……」
「だから、アタシが助けてあげる。前も似た様な事アンタに言った覚えがあるけど、今度はちゃんと考えなさい。アタシが今学園でどんな事が出来るかを。その上で言うわ、アンタ達を、アタシが、助けてあげる。だから」
「アンタが、アイツを裏切りなさい。何でもいいわ、嘘でもでっち上げて査問委員会に報告するの。そうしたらアタシが直接アイツを退学にして、それでおしまい。くだらない噂も全部アタシがその場で否定してあげる、園芸部もアンタもみんな、平和になるのよ?」
「どう? 素敵な提案でしょ?」
「ふ、ふざけんな……、どこまで、どこまで人を馬鹿に」
「庶民に対してここまで提案してるのよ、何が不満なの?」
「不満も何も、そんなの余りにも残酷過ぎる……、俺に悠を裏切れだなんて、そんなの」
「じゃあアンタにこの後何が出来るっ言うのよ? 何も出来ないし、思いつきもしないでしょ?」
「それは……」
そうだ。
俺はもう、何も思いつかない。
『よかれ』と思って園子のいじめを解決して『今』に至った。
前世の人生でも『あいつのために』と接触を避けて、俺は幼なじみの少女を死なせている。
俺が『良い事だ』と考えて取る行動は全て、全部全部全部全部全部全部全部、裏返る。
悪くなる、駄目になる、否定される、否定する、自分で馬鹿だと否定して嫌悪する、今がそうであるように!
だから、何も思いつかない。考えちゃいけない。
でも、それでも、悠を裏切るなんて出来るはずがない!
「……本当に、アイツの事を大事に思ってるのね」
車内からどんな表情で咲夜がそう言ったのか、俺は知る由も無かった。だが、それが最後のキッカケになったのだろう。最後に咲夜はこう言った。
「じゃあ今週の金曜に、アタシがまた集会を開くわ。そこでアンタが何も言わなかったら、アタシが直接園芸部を潰してあげる。アンタ達全員が終わるのよ? これなら、アンタにとっても裏切る理由になるんじゃ無いかしら?」
じゃあ、くれぐれもよく考える事ね。そう言い残して咲夜は去っていった。
俺の家から少し離れた場所にある公園。時刻は18時を過ぎて、辺りには人の気配は無い。
──―もう、限界だった。
「──―っっっ!!」
近くの茂みに顔を埋めて、俺は胃の中の物を全て吐き出した。
目に涙が勝手に浮き出て、形容出来ない無言の悲鳴をあげながら、吐くものが無くなってもまだ吐き続ける。
どのくらいそうしていたのか、力が抜けて砂利の床にへたり込む俺の背中に、今最も聴きたくない人物の声が来た。
「だから言ったじゃないですか、軽率だって」
「……っ、塚本」
目尻の涙を急いでぬぐい、俺は塚本を睨んだ。
だがこうなる事を織り込み済みで現れたであろうこの人間は、当然のように俺の視線で怯む事もなく、スタスタと俺の目の前にまで歩み寄って、しゃがんで視線まで合わせてきた。
「色々と、彼女から聞いたと思います。最後の彼女の提案は想定外でしたね。何が彼女にあんな事言わせたのか気になりますが……まずはお疲れ様でした。吐くまで追い詰められるなんて、大変でしたね」
「……お前が、咲夜に、情報を与えたのか」
咲夜が独自に調べる為に頼った『情報屋』。
俺には、目の前のこいつがそうだと言う確信があった。
そして、案の定、塚本はあっさりと、
「はい、そうですよ」
そう、認めた。
「──―ふざけんなっ!!」
生まれて初めて、躊躇なく人の顔を殴った。
嘔吐でカラカラの体力をかき集めて、俺は塚本を殴り付けた。
きっとこうなる事すら分かっていただろう。俺が殴る事も、殴ったところで何も意味が無いと、俺自身分かった上でそうした事も。
そうだ、ここで塚本を殴ったところで、もっと言えば殺したって何も事態は変わらない! こいつが咲夜に情報を与えなかったとしても、きっと咲夜は査問委員会を立ち上げて今と何も変わらない状況を作っていた。
だから俺が塚本に怒りをぶつけるのは無駄な事、そうだと分かっていても、俺は塚本を殴らずにはいられなかった。
「お前が、お前のせいで、お前は……!」
自分でも何を言いたいのか纏まらない、フラフラと立ち上がり、殴られたまま床に倒れ込む塚本に近づく。
塚本はそんな俺を見て、変わらず薄っぺらな笑顔を貼り付けつつ言った。
「違いますよね。貴方が分不相応に柏木園子に干渉し、綾小路家の力に頼ったからですよね」
「うるせぇえええええ!!!」
昨日のロボ研の部長と同じように、馬乗りになって塚本の顔を殴打する。何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も何度も、塚本を殴って殴って殴り続けた。
だと言うのに塚本は、十数発も殴られたにしては余りにもケロッとした様子でいた。俺の拳だけが異様に熱い。
「地面殴ってどうするんですか」
その言葉にようやく、自分が殴り続けたのは顔ではなく砂利の地面だと言う事に気づいた。熱いのは切り傷で血が滲んだからだ。
「優しい人ですね。それに残念なくらいギリギリまで理性が残ってる。だから、殴りたくても殴れない」
「うるせえ」
「もう嫌でも理解しましたよね、貴方は今回の事態の、決してワキ役なんかじゃない。主役なんです。何も出来ないではなく、何かしないといけないんです」
「うるせえって言ってんだろ!」
馬乗りになるのも嫌になって、塚本から離れて立つ。
塚本はすぐに立ち上がって砂埃を払いつつ、俺の言葉なんて全く耳にいれずに言葉を続けた。
「月曜日に話した通りです。貴方しか居ないんですよ、だから綾小路咲夜も貴方に選択を与えた」
「じゃあ、俺が悠を裏切るのが正しいって言うのかよ! そしたらあいつはどうなると思ってんだ」
「終わるでしょう、退学というだけじゃなく、綾小路家の中でも彼の立場は消えると思います。家族からもはみ出し者にされて二度と貴方と会う事もないのでは?」
「そこまで分かってて俺に裏切ろって、よく言えるな」
「裏切れとは言ってませんよ、早とちりしすぎです。別に、綾小路咲夜が提示した条件を呑む以外にも選択肢はあるでしょう? そこは自分で考えてください」
「簡単に言うなよ、それが一番難しいからこうなってるんだろが」
「よく思い出してみてください。今日の咲夜との接触はヒントになってると思いますよ」
「分かるもんかよ、何なんだよお前は!」
最悪な提言はするが、ろくな助言はしない。
頼んでもないのに干渉するは癖に、その言動にはとことん無責任。
そのくせ、話す言葉に間違いがない。
「何度も言ってますよ?」
結局最後まで笑顔を絶やさずに、塚本は決まりきった言葉を返すばかりだった。
「ただの情報収集が好きな人間ですよ」
そう言って、またどっかに消えてった。
「うっ……」
散々叫んで怒鳴って、また気持ち悪くなって、俺は公衆トイレに入ってもう一回吐いた。
「さむい……寒いよ、渚」
まだ残暑の季節だというのに。
まるで真冬のように、身体が寒くて仕方がなかった。
──続く──
暴力はだめです