【完結】ヤンデレの女の子に死ぬほど愛されて眠れない兄になって死にたくなってきた   作:食卓塩准将

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元号が変わってやがる!!!


第陸病・ゴウマン

 結果だけを語れば、全て咲夜の思惑通りで事が終わった。 見事なものである、というしかない。

 学生というのは、その殆どが清廉潔白や完全無欠という概念からは程遠い存在である。

 誰かしら、どこかしら過ちや欠点があり、それらを周囲の人達による妥協や許容、または秘匿する事によって、集団生活が成り立っている。

 例えば、この前の園子や俺たちの行動がそれだった。 校則違反な時間帯であると分かっていながら、園子や俺たちは各々の思いから行けない事だと分かっていても、部活動を行った。

 

『褒められた行為ではないが迷惑が掛かるのは自分だけ、あるいは自分の迷惑を許してくれる存在だけ、だから悪いと分かっていても構わずに行う』

 

 字面や言い回しは多少異なっていても、このような考え方を持つ人は、あらゆる集団の中に居るだろう。

 善行を求められる世の中で、ほんのちょっぴりの悪が事態を良い方向に動かしている。

 だが、先述した通りそれは須らく妥協と許容によって成り立つものだ。

 もし、この中にそれらを許さない徹底的な正義の執行人が生まれた場合、集団はたちどころに機能を損なっていく。

 

 それが、綾小路咲夜の生み出した『査問委員会』だ。

 あらゆる委員会、部活動の所属員の日頃の行動や振舞いを監視し、校則や公序良俗に引っかかる者を全校生徒の前で晒し上げ、反論の余地すらなく潰す。

 当然、反論する権利は無い。 何故なら査問委員会が口にするのは、紛れもなく自分自身が任意に起こした行為ばかりなのだから。

 些細な悪すら許さない空間。 正論の極みを、咲夜はあの場で作り出したんだ。

 その上、咲夜の秀逸なところは、決して大衆を第三者に収まらせなかった所にある。 名前を上げられた生徒以外は『ああ、良かった』『自分たちには関係ないだろう』と安堵して終わるのが普通だ。 けど、咲夜は最後に、名前を上げられた生徒の処遇を、そういった者たち全員に委ねた。 『賛同の者は起立する事』で、自らも悪を裁く立場の人間であると、責任を負わせる事にした。

 

 こうなれば、残った生徒たちも安堵していられない。

 名前を上げられた生徒の中には自分の友人である者もいただろう。 あるいは関係はなくとも、クラスの席順だったりで物理的に距離が近い人もいたに違いない

 そんな『あーあ、ばれちゃったなお前』と笑い話で済ませようとしてた人らが、彼らの目の前で罰を与える側になる選択を求められてしまったのだから。

 当然抵抗感はある。 しかし、悪いのは間違いなく名前を上げられた人達、そして場所は全生徒が一か所に集まる講堂。 となれば、嫌でも起立するしか無い。

 

 そうなったら最後。 査問委員会の存在意義が明確になった瞬間が訪れる。

 微々たる悪が許容されず、清廉潔白であることを意識せざるを得ない学園。 まだ軽度ではあるが、今後幾らでも互いを警戒し監視し会う、そんな集団になってしまう可能性が生まれたわけだ。

 しかも、そういった仲でも起立しなかった生徒たちを『自分たちの敵となりうる存在』としてマークすることもできる。 一切合切無駄がない、完璧な手腕だった。

 

 とどめに言えば、そんな大それた動きを、曲がりなりにも咲夜の動向を警戒していた悠の目を完全に掻い潜って完遂しきった事。 これも大きい。

 

 つまり───、

 

「今回は、どうしようもない位に僕の負けだ。 ごめんね皆」

 

 園芸部の部室で全員が集まって開口一番、悠が頭を下げながらそう言った。

 

「ま、待ってください! そんな事しなくていいですから」

 

 慌てて悠の頭を上げようとするのは園子。 綾瀬と渚もそれに続く。

 

「そうそう、私達誰も悠君が悪いなんて思ってないよ? 考えすぎだって」

「というより、幾ら綾小路先輩でも、あんな漫画みたいな事現実でやるなんて想像できないですって」

 

 各々の言葉で悠を励まそうとしているが、きっと悠が謝っているのはそこではない。

 

「うん、ありがとう……でも、きっとこれから咲夜は今まで以上に露骨なアクションを園芸部に対して起こすに違いないから、本当にごめん」

「あ……そっか、全校生徒の前であんな事出来ちゃうんだもんね。 もう昨日みたいにこそこそ私たちを潰そうなんてしないで、堂々とみんなの前で私たちに廃部勧告する可能性もあるって事か」

「そう、ですね……昨日の件は向こうにも責められる箇所があるからまだ分かりませんが、今後の私たちの行動次第で、幾らでも足元をすくってくるかもって事はあり得ますね……」

 

 悠の言葉で一気に事態の深刻さを理解し、表情が暗くなる綾瀬と園子。 渚も俺に不安げな顔を向ける。

 

「お兄ちゃん、これからどうなっちゃうんだろ……?」

「……学園のイニシアチブは、だいぶ咲夜側に偏っちゃったと思う。 学内にも咲夜側の人間が多くいると思うし、少なくとも、今までより校則を強く意識しないと、だね」

 

 だけど、それ自体は特別大変な事でもない。

 

「俺たちは基本的にはみんな、責められるような事はしていない。 昨日の件だけが特別だっただけだしね。 悠が咲夜と家柄の問題を抱えてるのは確かに気になるけど、あくまでも咲夜の率いる査問委員会が『生徒の行動』を査問するっていうなら、今まで通りに過ごしているだけで───、責められる隙を作らないだけでいいさ。 な、悠?」

「そう、だ……ね。 うん、さっき名前を上げられた生徒たちはみんな、確かに責められるだけの行動をとっていた人達がほとんどだった。 なら少なくとも、皆に関しては、普段通りで問題は無い筈、だよ」

 

 普段の悠らしからぬ、思い切り歯切れの悪い言葉だった。 事実を述べるというよりも、そうであって欲しいと希望を述べるのに近い、そんな言葉。

 いや、希望的観測なのは、俺もそうなのかもしれない。

 

「いつも通りに、とは言うけど、咲夜が自分の身内を使って俺達に害をなすとも分からない。 自己防衛意識は持っておくべきかもな」

「なんか、たった少しの間で一気に色々変わっちゃった感じね……」

 

 綾瀬がほとほと困ったようにそう呟いた直後、部室の扉が勢いよく開かれた。 同時に室内に響く声。 誰のかなんて言うまでもない。

 

「あら、思ったよりも活気づいてるのね。 沈み切った顔を見に来たのに、つまらない」

 

 件の渦中に位置する人物、綾小路咲夜だ。

 

「想像してたよりシラケた部室ね、一瞬物置小屋かと思ったわ。 それにしたって物置小屋より狭いけど」

「あ、綾小路さん。 いったい何の」

「庶民がなれなれしく私の名前を呼ばないでくれる?」

「───っ!」

 

 高圧的極まりない言動で園子を一蹴する咲夜。 たった一人でここまで来たようだが、まさか本当に俺たちの様子を見たいだけでここまで来たというのか? 

 

「なら、僕が聞くよ。 何の用だい咲夜。 君がここにわざわざ足を運ぶ理由なんて、今は無い筈だろう」

「悠……ふん、さっきの講堂で見せてくれた表情はとても良かったわ。 その礼を言いに来た。 とかどうかしら?」

「……言ってくれるじゃないか。 よっぽど暇なんだね」

「ふん、言ってなさい。 普段ならうっとおしいだけのアンタの言い回しが今はとっても聴いてて心地いいわよ」

 

 完全に上から目線で、昨日まではまだ悠の言葉に心を動かしていた咲夜が、平然とあしらっている。

 そのまま、部室をぐるりと見渡し、俺達を見据え、咲夜は本題であるかのように言った。

 

「あんた達想像力に乏しい庶民たちでも、これでわかったでしょ? 綾小路家……いいえ、私がその気になったら、どんな事が出来るのかって事が」

 

 その、確かな実績ありきで堂々と語る様に、流石に返す言葉を持つ人間はこの場に居なかった。 咲夜の独壇場は続く。

 

「あんた達が今まで仲良しこよししていたそこの男にはあんな事出来ない。 そうして、これからも私のやりたいようにこの学園は動いていくわ。 つまり……」

 

 一瞬、敢えて間を置きながら、咲夜は口角を上げて、邪悪めいた笑顔を浮かべて言い切った。

 

「身の振り方、考えた方が良いわよ。 今後もそこの生まれだけ中途半端に恵まれた男についていくか、それとも……ま、そこは自分で考えなさいな。 いいたいのはそれだけ、これ以上こんな場所に居たらかび臭くなるわ」

 

 散々好き勝手に言って、咲夜は本当に部室を出て行った。

 嵐の前の静寂ならぬ、嵐の後の静寂に、残った俺たちは包まれる。 かけるべき言葉がすぐに出ない俺達に先んじて、悠が力のない笑顔に弱々しい声で言った。

 

「……くやしいけど、今回ばかりは咲夜の言う通りかな。 皆、さっきは普段通りに生活すれば問題ないって言ったけど、訂正するよ。 僕と距離を取っ」

「そんなことはしませんよ」

 

 悠の言葉を途中で遮ったのは、俺ではなく園子の方だ。

 

「安心してください、どんな事を言われたって、私は綾小路君を切り離すなんてことは絶対しませんから。 それは皆さんも同じはずだと思います。 ……ね?」

 

 優しい口調だが、確たる自信をもって俺達に顔を向ける園子。 当然、それに否と答えるはずもなく。

 

「そういう事。 部長に先言われたけど、変な事言うもんじゃない」

「ねっ。 今まで一緒にやってきたのに、ここであっさり手のひら返せる様な人、そういないわよ」

「私は……綾小路先輩とはあまり一緒に居た事ないですけど、先輩とあの人なら、先輩の方がずっと信用できます。 お兄ちゃんをずっと助けてくれてたし」

 

 俺たちの言葉に、悠は僅かに間を開けたが、やがて恥ずかしそうに頭を掻きながら、

 

「まいったな……こういう事言われるの無いから、ちょっとうまい返しが出てこないや。 でも、ありがとう。 本当にありがとう」

 

 はにかみながら、そう言った。

 

 ‣‣‣

 納得はしたけど、くれぐれも今後は咲夜に近づかないように。

 そう忠告して、咲夜の話は終わった。

 そこからは何時もの園芸部の時間が始まり、久方ぶりに穏やかな気持ちで放課後を迎えた。

 

 明日は園子が家族との予定があるという事で、残念ながら部活は無しだ。

 それならそれで、俺も金曜の安売りでスーパーでの主婦たちとの食材をめぐる争いにいち早く参戦するばかりだ。

 学生らしく友人たちと遊ぶっていうのも選択肢にはあるが、明日は俺が夕飯当番なのでそうもいかない。

 

 それはそれとして、今俺は渚の作ってくれた夕飯を頂いてから、自分の部屋にいる。時刻は既に22時を過ぎて、いい加減就寝も考える必要がある時間だ。

 そんな俺の右手には、スマホが握られていて、画面には悠の電話番号が表示されている。あと指を一回たたけば、アイツに電話が出来る状態である。

 今日、一応納得はしたが、悠は一度俺達を突き離す言葉を口にした。穏やかな言い方ではあったが、そういう事を口にするって言うのはそれだけアイツの心に積み重なっているんだ、疲労が。

 

「よし」

 

 景気つけにそう一言漏らして、俺は悠に電話を掛けた。

 コール音が一回、二回、三回。こんな遅い時間にもかかわらず、いつもと同じように、悠は3コール以内で俺の電話に出た。

 

「こんばんわ、どうかした? 珍しいじゃないか」

「ごめんな遅い時間に。ちょっとさ、気になって」

「大丈夫だよ、僕も眠れなかったからいいタイミングだった。それで気になる事って?」

「結構ストレス掛かってるんじゃないかって。ここ最近、俺達かなり咲夜に振り回されてるし、お前はその中でも一番被害受けてんじゃないかなってさ」

 

 こういう時に取り繕っても何にもならないので、単刀直入に本題をぶつけた。悠はやや間を開けたが、やがて『いつものように』朗らかな声で、

 

「そういうことか。ありがとう心配してくれて。嬉しいよ。でも大丈夫さ、彼女の身勝手な行動は今回に始まった事じゃないし、綾小路家は咲夜に限らず誰もかれも癖の強すぎる人達ばかりだからね……。だから大丈夫さ」

 

 苦笑いを途中はさみつつ、悠は言った。普段ならそれで納得して終わる所だろうけど、今日はそうもいかない。

 

「悠。俺の……頸城縁の過去は、とっくに調べてるだろ?」

「え? う、うん。まぁ、そこそこは……勝手に詮索して悪いとは思ってるけど」

「そこは別にいいよ、問題ない。でもそれなら分かるよな? 頸城縁の死ぬ間際の環境が」

「……ま、うん。そうだね、キャパオーバーな精神的苦痛に満ちた状況だったと思ってるよ」

「そう、だからさ。なんとなくわかるんだよ、無理はし始めてるんだって事が。お前さっき、2回『大丈夫だ』って口にしたよな? 追い詰められかけてる奴ってさ、そういう風に大丈夫だって言いがちなんだよな。『きついけど平気』でも『なんとか行けそう』でもなく、ただただ『大丈夫』ってだけ」

「………………」

「まあ、俺の経験だけで語ってもなんだけどさ。気になるんだよ、親友の事だしさ? もし本当にだいじょうぶなら、それで良いんだ」

「縁」

 

 こっ恥ずかしくなり自然と早口になる俺に、悠は言葉を続ける。

 

「君は、良い奴だね」

「おお? 急に変な事言うなよビックリするぜ」

「茶化すなよ、僕の本心なんだから。……だから、本心を言うね」

「……おう」

「辛いよ。正直、今までにない位に苦しい状況なんだ」

 

 ……やっぱりか。だと、思った。

 

「僕は咲夜の考える事は予測できる自信があったんだ。綾小路家には癖の強すぎる人間が多いのは事実だけど、咲夜はいくらか直情タイプだから。馬鹿っていう意味ではないけど、『こういう時はこうするだろう』というのが考えやすかった。でも」

「査問委員会は、予想の範疇になかった?」

「咲夜が自分の思うようになる空間を作るところまでは考え通りだったよ。だけど、今日みたいに『自分の判断の是非を他人に委ねる』なんて、考えもしなかった。彼女は本当に、自分の意思を貫く人間だったんだよ。それが、多数決なんて手段を取ったんだ。表情に出さないようにしてたけど、信じられなかったよ」

「言われてみれば確かにそうだったな。俺も数回しか直接話したこと無いけど、普段俺達を庶民って呼んで見下してるのに、その庶民に決めてもらうってのは違和感あるよな」

「成長したからなのか、誰か咲夜に吹聴しているのか分からないけど、もう僕の知ってる咲夜じゃない。ああ、こんなの言いたくないけど、皆には咲夜の言う通りにしてもらった方が良かったよ。咲夜の考えてる事から皆を守れる自信がないんだ」

「……」

 

 それは、間違いなく悠の心の底から出た弱音だった。

 悠が心労を抱いてる事は分かっていたけど、ここまでというのは分かっていなかった。今まで見た事もない悠の(さま)に、思わず言葉が止まってしまう。

 それを感じ取ってか、悠は一度呼吸を置いた。

 

「ごめん、いきなりそんな事言ったって困るよね。せっかく柏木さんや河本さん、渚ちゃんにも励ましてもらったっていうのに……たまにこういう風に悲観的になるんだ、僕の悪い癖だなあ」

「いや、そんなこと無いって……」

「ふふ、じゃあそろそろ時間も遅いから、寝るね」

「ああ、そうか……悪いな、電話出てくれてありがとう」

「こちらこそ。じゃあ、また明日ね」

 

 その言葉で、悠との通話は終わった。

 スマホを置いてから、俺はベッドに横になって天井を見ながらさっきまでの悠との会話を反芻する。

 

「自分から踏み込んどいてなにやってんだよ俺は……」

 

 悠を心配するように声をかけていながら、いざ悠が心を開いて素直な心境を述べてくれたというのに、俺は何一つ、あいつの心に届く言葉をかけてやれなかった。

 結局、俺も悠が自分で心配しているほど弱ってなんかいないと思っていたんだ。あいつの親友だというだけで分かった気になって、実際は全然あいつの心に寄り添えていなかった。

 悠はそんな俺を責める様な事はしなかった。優しいアイツの事だから、ほんとに責めるような気持ちは無いのだろうけど。俺の胸の中には苦々しいドロッとした物が溜まっていく。

 

「はぁ、くそ……」

 

 焦りが段々と自分を飲み込んでいくのを、この夜の俺はまだ自覚できていなかった。

 

 そして、夜が明け日が上り、今週最後の登校日である金曜が始まる。

 

 ‣‣‣

 ───この日から、事態は急変する。始まりは、綾瀬からだった。

「じゃ、またな」

「うん、お兄ちゃん」

 

 普段通り渚と登校して、昇降口前でわかれて教室についた途端、すぐにクラスの雰囲気がおかしい事に気づいた。

 原因は直ぐに分かった。クラスの奴らが教えてくれるよりも先に目についたからだ。俺は級友らへの挨拶をせずに、すぐさま渦中の人物へ声をかけた。

 

「綾瀬、これ、酷いな……」

「縁……うん。朝来たらもうこんなになってて」

 

 渦中の人物とは綾瀬の事であったが、騒ぎの原因は綾瀬本人ではなく、その机にあった。

 綾瀬の机は、中までびっしりと木工用のボンドのようなもので塗りたぐられて、もはや真っ当に使える状態ではなくなっていた。

 いったい誰がこんなことを、何故綾瀬がこんな目に、そんな怒りや思いは当然頭の中に湧き出てきたが、今はそれよりもさっさと机を取り換える必要がある。

 

「綾瀬、机の中に貴重品とかは無かった?」

「うん、それは大丈夫。 先生にもさっき連絡したから机も取り換えてくれるから、平気だけど……」

 

 流石は綾瀬。さっさとやるべき事は済ませていたか。とはいえ、その表情からは困惑が見て取れる。

 それは当たり前だ、今まで綾瀬と一緒に居る中で、彼女がこんな露骨な悪意に見舞われた所なんて見た事ない。そのくらい初めての事なんだ、落ち着いてるように見えても、動揺はしてるはずだ。

 

「まずは良かった。通学路で何かされたりはしなかった?」

「それもないわ。教室に入るまでは特に何も。本当にいきなりこういう事になってて、ちょっと、びっくりしてる」

「びっくりして当たり前だよ、ちょっとどころじゃなくてかなり驚いてしかるべきだし、なんなら怒っても良いくらいだ」

「誰がやったのかも分からないし、流石に怒ったりはしないわよ。それに、前に貴方と渚ちゃんが喧嘩した時の方がずっとビックリだったから」

「っ……、んまあ、そりゃあ耐性が出来ててよかったよ」

 

 

 訂正。このタイミングでそんな事言えるのなら、思ったよりも綾瀬のメンタルは平気だ。

 ともかく、この後間もなくして先生方が机を持ってきて、綾瀬の言う通り特に問題もなく授業は進められることになった。

 当然、最初に誰がやったか心当たりある人を先生は尋ねたが、そこで素直に言う奴が最初からこんな事する訳もない。当たり前に犯人は分からず、かと言って永遠とその話題だけを引っ張るわけにも行かないので、それ以降先生方が深く突っ込むことは無かった。

 無かったのなら、自発的に動くしかない。

 

 お昼休みになってすぐ、俺はとある人物の元へと歩を進めていた。

 目当ての人物がいる教室について声をかけると、そいつは一瞬驚いた顔をしてから、不快そうに睨みつつ、渋々教室から出てきた。

 

「悪いな、本条」

「……何の用よ」

 

 

 そいつの名前は本条。ちょっと前に綾瀬との間に生じた人間関係のトラブルで俺を盛大に巻き込んでくれた女子生徒だ。

 こいつが散々やらかしてくれたおかげで俺は放課後、頭にバケツで水を浴びて部活に出向く羽目になったりしたのだが、その事はもういい。それより俺がここに来たのは、今回の件でこいつが関わってるのでは、と思ったからだ。

 

「今朝、あや……河本の机が誰かに荒らされた。聞いてるか?」

「あんたのクラスで何か騒ぎがあったのは聞いてるけど。そう、そんな事あったんだ、へぇ」

 

 しらを切っているようには見えない。けれどそれが本当であるか怪しいところだ。以前俺にやってくれた事を思えば演技の可能性も十分にある。

 単刀直入に言うとしよう、この手の相手に長々と時間を取るのは嫌だからな。

 

「やったのお前か?」

「はぁ!? 藪から棒に何言ってるわけ? そんなわけないでしょ? もしそれならこうしてあんたの話に付き合うわけないでしょ、バッカじゃないの!?」

 

 導火線に火が付いたように一気に捲し立てる本条の顔は、嘘偽りのない表情に見えた。

 心の底から心外だと、自分の無関与を主張する人間のソレだと分かる。

 

「……本当に何も知らないみたいだな」

「そう言ってんでしょ。もう河本と関わるのも嫌なわけ。でもいい気味だわ、どこのどいつがやったか知らないけど感謝したいわよ」

「……そっか。悪かったな急に疑って。んじゃ」

 

 それで本条との会話は終わった。

 僅かな時間ではあったが、彼女が今回の件に関わっていない事は理解した。綾瀬ともう関わりたくないと口にした時の本条は本気でうんざりしてる人間にしか出せない顔と声だった。よほどあの五寸釘がトラウマになっていたんだろう。

 となると完全にとは言わないにしても、最大候補が外れてしまった。犯人捜しは振り出しに戻るわけだが……。

 

「くそ、本当に誰も浮かびやしない」

 

 綾瀬が普段敵を作らない性格だから、こういう時に容疑者が出てこない。恨まれすぎて誰の犯行か分からないというのはよく聞く話だけど、逆の人間でも似たような状態に陥るモノなのか。

 とにかく、これ以上動き回っても意味がない。一度教室に戻って昼飯を取りながらゆっくり考えよう。

 

「あ、いた!」

 

 教室に戻るや否や、綾瀬が俺のそばに駆け寄ってきた。手には自分の分のお弁当がある。まだ手を付けていないようだ。

 

「もう、どこ行ってたの? 休み時間になったらすぐに消えたから、また何かあったんじゃないかって心配したんだから」

「あ、あぁ……悪い」

 

 言いながら俺の腕を掴んで席まで引っ張る綾瀬。今日は一緒に食べる約束をしていないし、とっくに女友達と食べてると思っていたのだが、俺を待っていたようだ。

 少し驚いたりもしたが、わざわざ自分を待ってくれたというのは素直に嬉しい。

 悠は……どうやら居ないようだ。

 

「で、何処に行ってたの?」

 

 隠す必要はないが幾ばくかの躊躇いはある、以前人間関係の縺れがあった相手の話をする事と、何より今朝の件を綾瀬にぶり返させるのが悪いと思うからだ。

 とは言え、綾瀬を騙すだけの理由には到底なりえない。なりえないし、躊躇いがあるだけで聞かれたら素直に答えるつもりでいた。

 ので、素直に先ほどの事を俺は綾瀬に伝えた。

 

「そうなんだ……ごめんね、わざわざそんな事してもらっちゃって」

「勝手にやった事だし、結局ハズレだったからなぁ。……はぁ何なんだろうな一体」

「見つからないものはしょうがないわよ。先生たちも探してくれるっていうし、私も授業に問題は無いし、後は任せましょう?」

 

 ……意外というわけじゃないが、綾瀬が当人にしてはあまり今回の件に関心がないように感じた。

 確かに、犯人の目星はつかず、現状探そうとしても闇雲な行為にしかならないから、後は先生に任せるという綾瀬の発言は正しいが、それにしたって、全く気にもしてない様に見えるのは気のせいだろうか? 

 まるで自演した……いやあり得ないあり得ない。昨日の綾瀬にあんな事出来る瞬間は無かったし、あったとしても、綾瀬はそんな事する人間じゃない。

 仮定であってもそんな事を一瞬でも考えた自分を恥じつつ、俺はようやっと綾瀬とやや遅めの昼食を摂るのであった。

 

 それからも結局犯人が見つかることは無く、放課後を迎えてしまう。今日は昨日園子が言うように部活は無い。悠も早々に帰ってしまい、犯人を捜すにも手掛かりやあてはないまま。

 ハッキリ言って気に入らないけど、買い物をしなきゃいけないので俺も帰るしかない。

 帰り支度もそこそこに、カバンをもって教室を出たところに、廊下にいた綾瀬が声をかけてきた。

 

「あ、もう帰るの?」

「うん。スーパーの安売りに行こうと思ってる」

「そっか、今日はあなたが炊事係なんだ。えっと……じゃあ私も買い物手伝ってもいい?」

「えっでも大丈夫なのか? 他の人と予定とか、金曜日だし」

「うん、今日は夜に家族でご飯食べに行くから、家に帰る以外何もないし……ダメかな」

「いいや、助かるよ! 物によっては一人一個しか買えないのもあるし、一人で買い物するよりも綾瀬と居る方が楽しいしさ」

「そっか、ならよかった……ちょっと待っててね。すぐに私も帰る用意済ませるから!」

 

 そう言って綾瀬はパタパタと教室に戻っていった。

 ちょっと口を滑らせて渚が聞いたら睨んできそうなことも口にしてしまったが、まあ、これくらいは流石に大丈夫だろ……大丈夫だよな? 

 

 それから、途中渚と遭遇する、なんて怖い事もなく俺達は安売り目当てで普段より人の多いスーパー『ナイスボート』で買い物を済ませた。

 食材のほかにも、洗剤やらトイレットペーパーやら生活必需品も買ったので、二人とも両手が袋で塞がる状態で家に向かっている。当然綾瀬には軽い物が入った袋を持たせてる。

 無事に買い物を済ませた安堵感に加えて幾らかの疲労もあって、店を出て少しの間二人とも沈黙していたけど、綾瀬がふいに言葉を漏らした。

 

「あの、さ……」

「うん?」

「今日は、犯人捜ししてくれてありがとうね」

「お? いや、急にどうした」

「お昼の時はちゃんと言えてなかったから」

「そうだっけ?」

 

 それにしたって礼を言われることは無いと思う。見つけることが出来たなら話は別だけど分からずじまいなのだし。

 

「結局誰がやったんだろうな。あんなこと」

「うん」

「でもあれだな、意外と綾瀬は驚いたりしなかったんだな。俺も含めて周りの方が騒ぎにしてた印象あるぞ」

「……そう?」

「そうそう。犯人は分からないけど、綾瀬の毅然とした態度見てたら拍子抜けとか思ってるんじゃないか」

 

 この発言に関して、俺は一切の悪意を持ってはおらず。

()()に、綾瀬の心の強さを称賛しているつもりで口にしていた。

 だからこそ───、

 

「良かった……なら、結構私も演技が上手なのかな」

 

 足を止めて、袋を持つ両手をわずかに震えさせている綾瀬の姿を見るまで、()()()()()()()()()()()()()()()()気づいていなかった。

 言うまでもなく、疲労からくる行為ではない。

 綾瀬は我慢していたんだ。朝、自分の机があんな風にされているのを見てから、今の今まで。誰かも分からない犯人に付け入るスキを与えないために。気丈なふりをしていただけに過ぎなかった。

 

「ごめんね、急に止まったりして、ちょっと気が抜けちゃったかも」

「ちょっと休もうぜ。公園近いし」

「……うん、ありがとう」

 

 以前にも帰る途中によった、俺と綾瀬が初めて出会った公園に立ち寄り、ベンチに腰掛ける。

 

「幼馴染失格だね。ごめん」

「謝らないで、あなたは何も悪くないのに」

 

 綾瀬がわざわざ昼に俺を待っていたのは、不安を少しでも和らげようとしていたから。

 帰りを一緒に行こうと言い出したのも、以前から一緒に帰ることがある以上に、帰り道に何かされるんじゃないかという恐怖があったからだ。

 そんな綾瀬の心の状態を全く気づけないでいて、俺はすっかり綾瀬は平気でいるんだと思い込んでいたわけだ。

 昨日と同じだ。

 悠の心がどれだけ弱っているか分かってなかったのに続いて、綾瀬が怖がっている事に気づいていなかった。

 傲慢になっているんだとつくづく思い知らされる。思えば、夏休み前に渚と正面向いて言い合いをした時も、発端は渚の本意を思い違いしていた所にある。()()()()()()()()()()()()()()。悠にしても綾瀬にしても、友人だから幼馴染だからと、わかった気になっていた。

 思い違いもいいところだ。

 

「平気でいるんだと思ってた。怖かったんだよな」

「……怖かった。急にあんな事されるなんて思ってなかったし。他にも何かされるんじゃないかって」

「───っ」

 

 幸いにも今回は机への行為だけで終わったが、綾瀬の言うように犯人がすぐにでも本人に直接危害を加える可能性だってあった。俺だってそれを考えなかったわけじゃないが、綾瀬の心の心配よりも先に犯人を捜す方を優先した。

 結果、今目の前で今日一日ずっと気を張り詰めて弱った綾瀬がいる。

 俺がやるべきなのは、犯人捜しよりも綾瀬を安心させることだったのに、そこをはき違えてしまった。

 自己嫌悪を通り越して笑ってしまいそうになる。前世で似たような失敗をしたのに、生まれ変わっても同じ間違いをしているんだから。

 あの時(頸城縁)は距離を取ることで幼馴染を守れると思って死なせて、今回は犯人を捜そうと躍起になって……結果は異なるが、相手の心より自分の都合を優先した点においては何ら差異は無い。

 でも、だけれども、一度目と違って二度目の今回は反省が出来るだけの思考と、時間がある。頸城は彼女を死なせてしまったけど、俺はまだ間に合う。

 

 思考の切り替えの早さが、自分の長所だ。そう結論付けて俺は、綾瀬の手を握った。

 

「っ!」

 

 当然綾瀬は驚いている。だけど、手を振り払うような事は無かった。さっきまで袋を持っていた手は普段より熱っぽい。そして、僅かに震えていた。

 俺自身唐突な行為だと分かるし、普段なら渚に何かされるのが怖くて絶対にしないが、綾瀬は今この瞬間も怖がっている。

 俺の今後の不安で、今の綾瀬の安心を得られるのなら、安い物だ。……もっとも、こうした所で不安を払えるか分かったものでは無いが。

 

「やっぱり、ごめん。綾瀬は謝らなくていいっていうけど、俺は綾瀬より自分の正義感を優先してた。犯人見つけて綾瀬にかっこいい自分をさ、見せたいとか……思ってたんだと思う。恥ずかしい奴だな」

「縁……」

「俺もさ、最近ちょっと焦ったり考えがまとまらないんだ。綾小路咲夜が来てから、段々周りの環境が変わってきてるよな? そのせいにしたくないけど、前より自分の事ばかり考えるようになってきてるよ。今だって自分の愚痴をこぼしてさ、メンヘラみたいでやだね、はは……」

 

 綾瀬の不安を払おうと思ってるのに、口から出てきた言葉は何故か自分の愚痴。果てには自嘲の笑いまでしている。全く何をしてるのか心と脳みそが噛み合ってない。

 だけど、優しい綾瀬はそんな俺にあきれる事は無く、やや間を開けてから、くすっと笑いながら言った。

 

「そんな風にあなたが愚痴をこぼすの、新鮮かも」

「そっかな。ちょくちょく不甲斐なさを嘆く事ある気がするけど」

「ううん、そういう時とはちょっと違う、貴方が心の底で何を思ってて、何が出来なくて気に病んでるのとか、言わないでしょ? それに、私にかっこいい姿見せたかったなんて……ふふっ、男の子って感じ」

「ん……はぁ、そう言うなって。ああなんか一気に恥ずかしくなってきた」

「あはははっ!」

 

 朗らかに、陰りなく綾瀬が笑ってくれた。今日一日でようやくその笑顔を見られた気がする。思ってもない展開だったけど、何にせよ望んでいた表情を見られて良かった。

 

「いじけないでね。私嬉しいんだから。私と同じようにあなたも不安や焦りを持ってたんだって分かったし……何よりそれを私に話してくれたのが、嬉しい」

「話すさ。綾瀬か悠しかいないし、俺が愚痴零せる相手。渚の前だとお兄ちゃんしたくなるから、余計にさ」

「んー……、そこで綾小路君の名前が出てくるの面白くないなぁ」

「嘘は言いたくないからね。許せよ、野郎の親友なんだから」

「親友か……そうよね、なら仕方ないか」

 

 納得して、綾瀬は一度視線を空に向けた。

 そんな綾瀬の横顔を見てると、綾瀬がふいに俺の手を握り返して、俺に視線を戻した。

 

「綾小路君は彼女が転校してからずっと大変だし、査問委員会が出来たし、貴方が人並みに不安を抱えてるのが分かって、変な事言うけど安心した」

「そういう安心の仕方ってある?」

「あるわよ、『自分だけじゃないんだ』って分かるだけでも、それが貴方だったら猶更」

 

 苦しかったり大変な思いをしてるのは自分だけじゃない。という言葉が俺は嫌いだ。それは人を救う言葉ではなく、人に我慢を強いる言葉として使われるから。

 だけど、今綾瀬が俺に言ってくれた事でその認識が少しだけ変わった。

 他人から言われるのは我慢の強要でしかないが、自分の心から生まれるその言葉は、たとえ物事の解決にはつながらなくとも、確かに人を助ける力があるのだと。

 少なくとも今この瞬間、誰かの悪意にさらされ恐怖と不安を抱いていた綾瀬は、俺が焦りと不安を抱いてると分かり、僅かでも救いを得た。なら、それでいいだろう。

 そして、だからこそ敢えて問う。

 

「綾瀬、これから学園はどうなると思う?」

「……分からないわ。でも、たぶん前より居づらい環境になる気がする」

「だよな。……やだな」

「うん、すごく嫌」

 

 解決案が出るはずもない、明確化しない先の不安を口にして、少なくとも俺達は共に『それが嫌だ』と共有の想いを持っている。

 うん、本当に、それが分かっただけでも、何も変わってないのに少しだけマシになった。

 

「きっと犯人は見つかるよ」

「え?」

「咲夜や査問委員会は気に掛かるけど、でもそれと綾瀬の机に酷い事をした奴は話が別だ。先生達が見つけるし、見つからないなら、二人で犯人見つけてとっちめてやろう。な?」

 

 さっきより少しだけ握る力を強くして、綾瀬にニカっと笑ってみせる。

 綾瀬もまた、言葉は無くとも、同じように微笑んだ。

 

 あぁ、今日俺は犯人捜しなどせずに、最初からこういう言葉を言えばよかったんだ。

 それを何もかも手遅れになる前に気づけて、ちゃんと口に出来て、本当に良かった。

 

 ‣‣‣

 

 何も解決せず、何も変わらず。

 それでも、この時の俺達は確かな安心と、心の距離が近まったのを感じた。

 

 だけど、だからこそ。

 何も解決せず、何も変わってない『不安の種』は容赦なく根を張り、芽吹き、花を咲かせる。

 翌週、月曜日。

 

 この日までの出来事が全て序章であったと彼が理解する、野々原縁にとって地獄と同義になる一週間が、始まる。

 

 

 ──続く──


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