【完結】ヤンデレの女の子に死ぬほど愛されて眠れない兄になって死にたくなってきた 作:食卓塩准将
不完全こそ、主人公に求められる要素である
いや、知らないけど
それに気づいたのは、放課後、部活動の時間も終わり全生徒が帰ろうとする時だった。
この日は運悪く英語の小テストで引っかかり、俺は放課後部活動も行けず補習を受けていた。
ようやっと終わったのと、下校を促すチャイムが鳴り響いたのが同時。 教師は『明日の補習は免れたな』と笑いながら出て行き、言い返す言葉を想起する気力も枯れ果てた俺は、特に急ぐでもなくゆっくりと帰り支度をした。
とはいえ、たかが帰り支度程度で1時間もかかるわけもなし、5,6分で終わった作業は俺を離席させるのに十分な理由を与え、程なく俺は教室を出る。
廊下の窓から差し込む赤黄色の光が、俺に1日の終わりを粛々と告げる。 相変わらず綾小路咲夜の動向が気にかかる日々が続くが、今日も悪い日ではなかったと、夕焼けを見て思った。
たまには友達や妹と関わらず一人で帰るのも悪くない。 孤独は寂しいが、普段隣に居てくれる人がいるからこそ感じる一人きりの瞬間は、そう悪く無いものだ。
「って、多分咲夜はこう言うとこを突いてきたんだろうなぁ」
以前、咲夜に自分の好みを的確に言い当てられた事を思い出す。 ささやかな事に幸せや価値を感じる、あいつは俺を指してそう言った。 言われて反論が浮かぶどころか、確かにその通りだと納得もした。 今俺が一人で帰る時間を楽しんでる事からも、それは証明されている。
とは言っても、それを出会ってから1日程度の人間に見透かされるのは今でも驚き。 綾小路家の人間は伊達じゃないって理由もあるだろうが、俺自身そういうのが分かりやすい人間なのかもしれない。
人の気配が完全に失せた廊下を過ぎて、階段を粛々と降り、静寂と若干の汗臭さを匂わせる昇降口に辿り着く。
自分の外靴がしまってある下駄箱まで行く途中、ふと、視線の左端に意識が向いた。
向いた先にあるのは掲示板、先日多くの生徒の耳目を集めていた例の張り紙があった。
「学内査問委員会、か……」
明後日行われる生徒会総会でその全貌が明らかになる、綾小路咲夜を中心に据えた新たな委員会。 以前に悠と話した時は俺自身そこまで危険視する程じゃないのでは、なんて思ったりしたけれど。
こうして刻々と時が近づいてくると、やはりどんな物になるのか、嫌でも気にしてしまう。 わざわざ学園を動かして新しく委員会を作るのだから、余程の理由があるのは間違いない、そしてそれは間違いなく、同じ綾小路家である悠にも影響を与えるだろう。
「……俺が、なんとかするしかないって?」
この前七宮神社で七宮伊織さんに相談に乗ってもらった際、彼女に言われた言葉が重くのしかかる。 このまま放って置くと、悠と咲夜のお家問題は第三者が見過ごせないレベルに発展して、そのうち巻き込まれると。 そして、『その時になってから』ではもう遅いのだ、とも。
だから悠と咲夜の両方と関わりを持つ俺が、という事なのだけど……正直言って、俺にそんなデカいこと出来る自信は無い。 皆無だ。 絶対に無理。
綾小路家がデカい家って事は今までの日々で既に充分なくらい分かりきっている。 それなのに一般市民である俺がそんな家どうしの争いに突っ込んでみろ、一瞬で潰される。 鯉が滝登りするんじゃない、蟻が滝登りするようなもんだ、岩肌に足を付ける暇もなく流されて終わる。
「はぁ……やめたやめた、もう終わり」
敢えて口にする事で思考をリセットさせる。 考えても仕方ない事を無理に考えたところで、先にあるのは不安と疲労だけだ。
止めていた足を進めて、下駄箱で靴を履き替える。 そうして後は出るだけになった時、俺はそれに気づいた。
・・・
「誰かのカバン?」
別のクラスの下駄箱の下に、丁寧に置かれたカバンがあった。
靴を見ても、どれも全部上履きで、中に生徒が残ってるとは思えない。 なら、誰かがカバンを置いて今も外で何かをしてるって事になる。 ―――こんな時間まで?
俺みたいに補習を受けていたとは思えないし、もう部活してた生徒の気配もないから、後考えられるのはどっかの委員会の生徒がまだ何かしてるって事位か?
疑問の答えは、すぐに明らかとなった。校庭の花壇に、よく知る人の後ろ姿があったからだ。
「あ、あれ? 園子?」
「よ、縁君!?」
俺もたいがい驚いたが、それ以上に驚いてる様子で、柏木園子が俺を見て言った。
「ど、どうしてまだ学校にいるんですか」
「いや、補習を受けてたから今やっと帰ろうとして……園子は何で、というか何してたのさ」
「わ、私は、その……えっと……」
大変答えるのを苦しそうに、うんうんとひとしきりうなってから、最後に搾り取ったみたいな声で、
「そ、その……部活、です。 学園の花壇に新しい花を植えていました……」
「はい? いや、ちょっと待て待て、こんな時間まで残って何かやるなんて昨日まで聞いてないって。 渚達は? もしかして園子一人でやってるんじゃ」
「ええっと、私一人でやれる簡単な内容でしたので……皆さんには特に説明していないです」
「なんでさ、こんな時間まで残ってやる作業が簡単なわけないだろうに。 俺も手伝うって」
「いえ、実はもう帰ろうと思ってたので大丈夫です。 さすがに私だって一日で全部やろうなんて思っていませんよ、今週中にできればいい位ですから、ありがとうございます」
「そ、そっか……もう帰るっていうなら、まあ……。 でも明日からは」
「お気持ちはとてもうれしいですけど、これに関しては私が先生に勝手に取り付けた約束なので、皆さんの下校時間を煩わせてしまうわけにはいきません。 気にしないでください、私結構こういうの得意なんですよ?」
終始、笑顔でそう言いながら、結局俺の申し出を断ったまま、園子は帰っていった。
・・・
「……」
帰宅後、渚が作ってくれた夕飯を口にしながら、俺は先ほどの事を脳内で反芻していた。
よく味のしみた肉じゃがのジャガイモを咀嚼し、次いで炊き立ての白米を口の中に駆け込み、味覚を楽しんでから大根の味噌汁を飲み込む。 どれも俺が作るより何倍も美味しく、大変に満足と多幸感を与えてくれるモノではあるが、やはり園子の事が気にかかって純粋に食だけを楽しめない。
「お兄ちゃん、何かあったの? さっきからちょっと難しい顔してるけど……美味しくなかった?」
「ん……実は」
素直に口にしようとした刹那、自分が『渚の作った料理を口にしながら他の女の事を考えていた』事を馬鹿正直に口にしようとしていた事を自覚し、舌を噛み切る勢いで押し留めた。
最近、少し関係性が一新されたからと言って、少し油断しすぎじゃないだろうか? 以前より危機管理が覚束なくなっている自覚がある。
かと言って、ここで嘘をつくような事もあり得ない。
となれば、この後に俺が口にするべき言葉は。
「……そういう顔してる?」
「うん。 悩み事抱えてる時の顔してる」
「流石。 よく見てるんだな……確かに色々悩み事はあるよ。 後期が始まってから、どうも周りの環境が穏やかじゃ無くなってるのもあるし、人間関係とかにも色々影響出始めるんじゃないかって……」
「思ってたより、すごく深い事に悩んでるんだね……」
「最近はね、特に。 どうせ大して頭が回る人間でも無いのに、前より考える事が増えてきた気がするよ。 今日もちょっと気に掛かることがあったし……」
ここまでは、本当の事を話す。 嘘は何一つ混じっちゃいない。 気に掛かることが増えたことも、今日また一つ増えたことも全部事実だからだ。
そして、本題はこっから。
「渚は綾小路咲夜と距離が近いだろ? それも結構心配なんだぜ?」
「うぇ、わ、私?」
これも、また事実。
学年は違うとはいえ渚が咲夜と物理的な距離で近い事は、間違いなく俺の懸案事項の中でも最右翼だ。
誤魔化すのともまた違う、俺が気になっていた事をこの機会に聞いてみることにした。
「今の所、変なことされたり、言われたりしてないか? ―――あ、いや、変な事は散々言ってるとは思うけど」
「ええっとね……確かに、本当にあの綾小路さんのイトコなのかなって位に凄い強気な性格してるけど、私はまだ、何かされたりって事は無いかな。 あ、でも」
「でも?」
「一回だけ向こうから話しかけて来て―――『あんたとアイツ、髪の色以外特に似てないわね、本当に兄妹なの?』って言われたよ。 勿論はいって答えたけど、あとはそれだけ」
「……うーん、そっか」
意外なことに、咲夜は渚に対しても大したアクションを起こさないでいた。 ひょっとしたら綾小路咲夜は俺が警戒してるだけで、何もやらかす事なんて考えちゃいないのかもしれない。 もっとも、あの態度や発言からして俺たちを低く見てるのは間違いないけども、少なくともこの学園内では、悠と目立つ対立をする気がないのでは、ないだろうか。
勿論、学内査問委員会なる不穏な響きを持った委員会を創設した事については留意しているつもりだ。 けれどそれだって、咲夜が『誰かの作った委員会や部活に入るなんてやだ』みたいな駄々をこねて生み出した、名前だけの委員会って可能性も十分に考えられる。
咲夜の転校は俺にとっても悠にとっても、電撃的な出来事だった。 その驚きや焦りから、俺や悠はもしかして、必要以上に疑心を働かしてるだけかもしれない。 少なくとも、咲夜が転校して来て少し経った今、それくらいの事を考えられるだけの余裕は出てきた。
希望的観測過ぎるか?
悲しい事にそう言われたら余り反論出来ない。
一度、いや明日、悠に話してみよう。 最近の悠はそれまでの笑顔が薄れて、暗い表情が目立つようになってきている、原因は間違いなく咲夜なのだろうから、少しでも心の負担を軽くしてやりたい。
「分かった。 教えてくれてありがとうね、渚。 それと」
「ん、なに?」
「咲夜に『本当に兄妹か』って聞かれて、『はい』って答えてくれて、ありがとう」
硬直する時間。
俺が急に何を言い出したのか、発言の意味を具に理解出来なかった渚が、白米を掴んだ箸を口元に止めて俺の目をポカンと見る。
しかし、それは一瞬の事。 すぐに俺の言葉の意図する事を噛み締めた渚は動き出す。
止まっていた箸を動かし、
咀嚼し、
味噌汁で飲み込んで、
軽く息を吐いてから、一言。
「―――当たり前の事言っただけだよ、お兄ちゃん」
・・・
「ねえ、綾瀬」
翌日のお昼休み。 一緒に食べる約束をした悠が一瞬席を離れている間に、俺はこんな事を幼馴染に聴いてみた。
「園芸部に居て、楽しい?」
「……急に、どうしたの」
唐突な質問に、当然綾瀬の顔も怪訝なものになる。 が、すぐに答えてくれた。
「……楽しいわよ? 前よりあなたと話す時間が増えたし、綾小路君とも話す機会が増えて、どんな人か分かるようになったし、園子も、今まで会ったこと無いタイプで面白いし―――」
「ちょっと待ってお前園子と呼び捨てしあう仲になってんの?」
「え、そこに引っかかるの? うぅん、呼び捨ては私だけで、向こうは名前にさん付け。 別に今更さん付けしなくても良いのにね」
「そっか……そうなのか……」
綾瀬は大したことない様に語ってみせるが、俺にとっては到底信じられない事だ。
だってそうだろう、前世で聴いたCDの中じゃ、『河本綾瀬』が『柏木園子』を呼び捨てにする位の関係なんてあり得なかったのだから。
どちらかが、どちらかを殺す。 それだけの関係だった。 園子はともかく、綾瀬においては確か『ブスは死ね』と連呼しながら殺したと語っていた。
そんな2人と同じパーソナルを持つ綾瀬と園子が、この世界では友人として接し合い、あまつさえ同じ部活で毎日顔を合わせているのだ。 改めて、自分が置かれてる状況が既にヤンデレCDのシチュエーションとかけ離れた物になった事を自覚させられる。
「……そういう事もあるんだな」
ふと、綾瀬との会話の最中ではあるが、ヤンデレCDの2人にも、この世界の2人の様な関係が築かれる可能性があったのかを考えてしまった。
もっとも、それは完全に無駄な事ではあるが。
この世界とは異なり、あれはどこまで行っても創作の世界。 それ以上の可能性が無い完結され切った物語だ。 どこまで考えても、
あるいは、俺が認識してるこの世界こそが、その
「それで、どうしてそんな事聞いてきたの?」
「んー、色々あってね」
「えぇなにその色々って。 誤魔化しすぎて気になるわよ」
「まあ、その、ね。 一番の理由は純粋に気になったから」
「ふぅん、じゃあ逆に聞いちゃうけどあなた自身、園芸部をどう思ってるの?」
「俺?」
問いを返されて、俺は考える。 あまり深く考えずに答えるとすれば簡単、「居心地のいい場所」で済む。 それは嘘じゃ無いし、なんの誤魔化しもない。
だけどそれは、1人の部員としての意見だ。 綾瀬が求めているのはそれもあるが、『園芸部を残した人間』としての意見だろう。 それなら、安直な答えに落ち着くわけにはいかない。
複雑な事情が絡まって、最終的に俺達の居場所になった園芸部。 学期の後半に集ったから、夏休み以外まだ目立った活動はしてないけど、それでも、放課後に集まってコミュニケーションを取る場所が出来た。
そんな空間を、俺はどう思っている?
これからどうしたい?
「これからも……この関係が続けばなって……そう思ってる」
「ふーん……この関係って言うと、具体的にはどんなの?」
「具体的に……そうだな、特に示し合せるわけでもなく、同じ場所に集まって、何か話したり、かと言って無理に会話をしなきゃって焦燥にかられる必要もなかったり、一緒にいて当たり前で、飽きる事がなくて……うぅん、なんか上手く言葉にできないわ」
「ふふ、でも、なんとなく言いたい事、伝わったかな」
綾瀬がそう微笑むのと同時に、席を離れていた悠が戻ってきた。
「何か面白そうな話をしてるね、遅れたけど混ぜてもらっても?」
「うん、勿論。 今ね、園芸部をどう思ってるかって話をしてたの。綾小路君はどう? 縁と一緒に存続を守った側として」
「僕の場合、殆ど自分の意思は挟まずに、縁に合わせた所が大きいから、最初は『こういう空間もありか』って意識の方が大きかったかな、実は」
「そうなんだ。 意外とドライだったのね」
「ああいや、それはあくまでも最初の話だよ」
聞いてて俺も思った事を綾瀬が口にすると、悠は軽く苦笑して顔の前で手を振り、あくまでも過去形の話だと言うのを強調してから、続けて言った。
「まだ園芸部に入って半年も経ってないけど、今はもう僕にとっては『貴重な時間を過ごせる場所』になってる。なにぶん家では色々重苦しい話ばかり出るし、学校では縁や河本さん以外、特に話す相手もいないからね」
大した事ない様に口にしてるが悠、それって実はかなり苦しい事だぞ。
「だからね、立場や人を選ばずに忌憚なく過ごせる空間っていうのは、とても好きだよ」
最後にそう締めると、悠の胸ポケットから小さく振動する音が鳴り出した、多分マナーモードの端末に着信が入ったのだろう。 取り出して画面を確認すると悠はため息ひとつしてから、
「ごめん2人とも、あと30分位で授業始まるけど、僕は少し呼ばれたから離れるよ。あ、仮に遅れるとしても5時限目の途中くらいには間に合うようにするから、先生にもそう伝えてくれるかな。じゃ、また後で」
矢継ぎ早にそう言い残して、教室を後にした。
「忙しそうね、綾小路君。 ここ最近は特に」
「やっぱり……口にしてないだけで、咲夜の転校で色々大変な状態なのかな」
「貴方は特に聴いてないの? 彼からは」
「聞いてない……たまに聞いても、今は大きな事は無いって返事が来るだけだ」
もちろん、それが本当なんて思ってはいない。
いないけど、必要以上に家の関係に介入するのにも、多少躊躇いがある。 自分が巻き込まれるのが嫌―――という気持ちが僅かながらあるのも確かだけど、それ以上に、俺が介入する事で更に面倒な事態になるかも、と言うのが一番怖い。
だけど、この前七宮さんに相談受けた時の事もあるし……かと言ってならどうアクションを起こせば良いのかも不明瞭なまま。
ああそれに、話が逸れてるが、今は園子の事もある。 6月までの自分の命に関わる悩み事とはだいぶ質が異なるものの、今俺の頭の中を埋め尽くしてる悩み事も、十分頭痛を引き起こすに足る物だと思う。
それでも考える事が嫌になったり、頭痛で現実逃避しない所は、自分という人間の美点なのか、欠点なのか。
「―――あれこれ考えてもしょうがないのか、それとも今は考え悩むべき時なのか、分かんねえなあ」
「……貴方も、結構ナーバスね。 なんか、最近は皆悩んでる所ばかり見てるかも……私も、この前までそうだったし」
「季節の変わり目だから、思考にもムラが出てるのかもな」
「5月病じゃなくて9月病? でも本当にそういうの、あるかもね」
すくなくとも、綾瀬とこうして話をする瞬間は、何の憂いも不安もなく、安らかなものでありたい。
なーんの解決にも繋がってないし、ヒントすら無いままだが、会話をするってのは大事だ。 お陰で少し動く気力が戻ってきた。 このままウダウダしててもしょうがない。 特にやるべき事も思い浮かばないが、だからこそ、
「ちょっと、顔洗ってくる。 頭切り替えてくよ」
「ん。 分かった」
・・・
有言実行、教室を後にして、自販機に向かう。学園の構造上、最寄りの自販機は中等部との連絡通路上にあるので、よく他学年や中等部の生徒の姿が見られるのだが。
「あら、庶民じゃない、久しぶりに顔を見るわね」
だからと言って、まさか、こうも偶然的な遭遇に見舞う羽目になるとは思ってなかった。
「言っておくけど、別に狙ってなんかないわよ。 たまたまなんだから」
「寧ろそうじゃないと困るよ」
下手な会話は避けよう。 軽い返事と共に俺はそのまま蛇口に手を伸ばそうとした。 けれどこの金髪お嬢様は、そんな俺の手を止めるに十分過ぎるワードを、簡単に叩き出してきた。
「そう言えばー、昨日、外で何を話してたの?」
「……なんで、君がその場面を見てるのか、物凄く気になるよ」
とぼけたり、否定する気は無いよ。 もうこいつは確信している。 下手にごまかして話をややこしくする方が疲れる。
「私はあんた達庶民とは違って忙しいの、ここ最近は特にね。 それで、たまたま昨日窓から外を見たら、あんたともう1人の女子生徒が何か話してたのを、視界に映しちゃったってワケ。 普段なら別に気にしないけど、その時は忙しさの中で別の刺激が欲しかったから変に頭に残っちゃった。 ……まぁ、それでも特段問い詰める気もなかったけれど、今こうして面と向かったら、改めて気になっちゃったからこの際聞いてみる事にしたの、分かった?」
「長い長い! たまたま目に映ったから気になったで良いだろその説明!」
「『気になった』だとまるで私が日頃からアンタの事意識してるみたくなるじゃない! たまたまよ! 偶然頭に残る様な環境と条件が揃ったってだけ!」
「……もう、それで良いです」
言動だけなら凄いその……ツン、嫌々々々、それは無い無いあり得ない、こいつとの境遇からツンから始まりデレで終わる4文字の言葉を連想するなど、なんの需要にもならない。
下手な事を考えずに、素直にこいつの言動だけを受け取るとしたら、つまり、こいつは
つまりは、何か裏を持ってないと言葉を口に出来ない。 みたいな?
何か、引っかかるな。
「ちょっと? 質問に対する答えをまだ聞いてないけど?」
「ん、ああ、やっぱ聞くのかそれ」
さりげなく今ので会話が終わることを期待していたものの、そうはいかなかった。 しょうがないから話す事に。
「話してた相手は俺の部長だよ。 みんな帰った時間なのに残ってたから何してるんだって聞いてたんだ」
「部長……ふうん、じゃあアレが園芸部の……そういうことね。 あいつだったんだ」
何かを一人で納得する咲夜。 こいつの前で園芸部に絡んだ話をするのは正直避けたいが、状況がそれを許さない。 それより、ひとつ気になったことがある。
「園子の顔を知らなかったのか、お前」
「柏木園子の事はここに来る時軽く聞いてるわ。 顔? 知ってるわけないじゃない」
そっか、こいつは園子の顔はおろか、その存在をこの学園に来るまで知らないでいたのか。
自分の家族がその人生を潰しかけた人間を。 こいつは、俺の話を聞くまでろくに認知していなかったんだ。
「それで、何をしてたのよ。 あんたみたいに補習で居残りされてたわけじゃないんでしょう?」
「なんで俺が補習受けてたことは知ってんだよ……。 いつからか分かんないけど、学園の花壇の植え替え、らしい」
「そんなことやってたの? しかも一人で? 効率って言葉を知らないの? そもそも、どうしてあんたがそれを知らないのよ」
「誰にも言ってなかったんだよ。 昨日初めて知ったんだ。 俺もすぐに手伝うって言ったけど、もう今日は帰るからって……」
「手伝う? ……あっそう。 で、今日も放課後やるのよね? あんたはどうするつもりなの?」
「手伝うさ、あたりまえだろ。 だけど、また断られたらって思うと」
「馬鹿じゃないの」
俺の言葉をさえぎって、唐突に咲夜がそう言った。
「ば、馬鹿ってなんでだよ。 なにも変な事言ってないだろ」
「はぁ……あんたそういう所あるのね。 まあ、庶民の頭じゃ仕方ないか」
「だから、何言ってるんだよお前は。 いきなり好き放題言い始めて」
「手伝う」
「は?」
「『手伝う』って、あんたはさっきから口にしてるわよね」
その通りだが、だから何だというの―――、
いや、確かにちょっと待て? 言われて初めて、俺もこの言い方に引っかかりを覚えた。
だが、急に芽生えた『しこり』に対する答えが胸の内に生まれる前より早く、咲夜が核心を突いてきた。
「あんた達の部活動じゃないの? なんで『手伝う』のよ。 まるで第三者みたいじゃない。 当事者でしょあんたも。 断られたらどうするっていうの、そんなの無視して一緒にやればいいじゃない」
「結局」
「部活動、なんて口では言ってるけど、あんたはちっとも園芸部の為に動こうって気がないのよ。 ……どうせ庶民の考える事だから、『仲良く集まって過ごせる場所があればいい』程度にしか思ってないんじゃない?」
「それって」
「部活動としては、とっくに終わってるようなものよ」
・・・
「庶民相手に無駄な会話しすぎたわ。 まあ気にしなくてもいいんじゃない? どうせすぐにどうでもよくなるわよ。 じゃ」
そう言い残し、咲夜はとたとたと階段を下りて自分の教室に帰っていった。
俺はというと、咲夜に言われた言葉を延々頭の中で再生しながら、教室に向かっていた。
「完全論破された」
咲夜の言葉には、何一つ誤ったものがなかった。 どれもすべて、正しくその通りだった。
俺は、少なくとも俺に関しては、まさしく。 部活動を『集まる為の口実』程度にしか見ていなかったんだ。
『そんなことはない!』と激しく主張する心もある。 何なら心の主流派はそっちだ。 もし脳の判断が多数決制なら、咲夜の言葉も全く意に介さなかっただろう。
だが、あいにく俺の脳も心も国会ではなく、多数派に優勢なシステムでもない。 少数派の思考が、多数派を打ちのめす事がよくある、今回もそうだ。
「……畜生、悔しいな」
自分が、真剣に部活動をしようとしていた園子の力として相応しくなかったこと。
そんな自分の実態を、自分で気づく事が出来なかったこと。
そして、それを出会って間もない、親友の敵から指摘されてようやく気付けたこと。
何もかもが、悔しい。 自分がその程度の人間だったのかといやでも思い知らされた。
綾瀬に、逆に質問されたとき、答えるまで時間がかかったのも、答えが何となくあやふやだったのも、原因はそこにあったんだ。 俺には、真っ当な『園芸部員』としての視点が育まれていなかった、だから答えに窮したんだ。
「悔しい、けど!」
歩みを止めて、両頬をぱちりと叩き、自分に喝を入れる。 周りの生徒が驚いて俺を見るが、羞恥心なんてものは無い、頬の痛みも、鈍重になりかけた脳を覚ますのにちょうどよかった。
ここで自己嫌悪に染まって思考が止まるのは、少し前までの俺だ。
ほんとに、ほんっとに悔しいけど、でも俺は咲夜の指摘で自分の至らなさに気づいた。 気づけたのなら、後は行動すればいいだけの話じゃないか!
そうと決まれば、もう足取りは軽かった。 駆け足で教室に戻り、席で待っていた綾瀬に声をかける。
「綾瀬―――」
・・・
放課後。 部活の時間中は目立ったアクションもなく、俺もあえて昨日の事を園子に話す事もせず、全員下校する時間になった。
宣言通り途中から戻ってきた悠や渚も含めて、全員さよならをしてから―――俺は、昨日園子と会った昇降口前に戻った。 そして案の定、そこには昨日と同じように園子が一人で植え替えをしていた。
「よう、良い夕日だな園子」
「―――っえ! 縁くん、どうして……今日は補習もないのに。 それにその恰好」
驚きと同時に、俺の格好にも指摘をする園子。 確かに、俺はさっきまで着てた制服ではなく、ジャージと軍手に、スコップを装備している。 完全に今から帰る学生の格好ではない。
「どうして、昨日私だけで良いって言ったのに」
「部員だからな。 部活をしに来たんですよ、部長」
「そんなことしなくていいんです、もう帰る時間なのに、縁君の家は渚さんもいるから早く帰らないと」
「―――大丈夫ですよ、柏木先輩」
俺より少し遅れて、渚も同じ格好で姿を見せた。
いや、ここまでくれば当然、渚だけじゃない。
「ごめんー、ちょっと着替えるのに時間かかっちゃった」
「どうやら順位的には僕が一番遅いみたいだね、失礼」
綾瀬に悠も、続々と現れた。
予想外な展開に、あっけにとられた園子。 そんな園子の肩に手を置いて、俺は言った。
「何を言っても帰んないからな。 今日のうちに出来るところまで、部員全員でやろう。 なんたって園芸部だからな」
「縁、くん」
「考えてみたら、ようやく園芸部らしい活動ね。 というより、こう言う事はもっと早く言ってくれないと」
「花の手入れは家の庭園で慣れてるから、任せてよ。 それと綾小路さんの言葉の焼き増しになるけど、こういうのはちゃんと部員に教えてほしかったかな」
言いながら、作業に移る二人。 園子はまだ硬直しながらも、ぽつぽつと口を動かして。
「私は……皆さんが居てくれさえしたら、それで十分だと思って……園芸部は私一人のワガママで残ってたようなものですから、みんなに疲れる様な事はさせたくないって……だから」
そう話す園子に返したのは、俺ではなく、俺の隣に立ち並んだ渚だった。
「そういう関係性は、ダメだと思います」
「渚さん……」
一瞬、横目で俺の事を見てから、渚は言葉を続けた。
「『ただ居てくれたらいい』『一緒にいるだけで十分』……そういう関係性は、いつかきっと、壊れます。 それもたぶん、取り返しのつかない様なカタチで。 だから、柏木先輩の考え方はいけない、と思います」
「私とお兄ちゃんが……そうでしたから」
そう言って、渚も作業に移った。
後に残った俺と園子。 さりげなく自分の恥ずかしい過去を暴露されて、俺も思わず苦み笑いをしてしまう。
「まあ、そういう事で。 俺ら全員、帰れって言われても帰んないので、よろしく」
「……本当に」
「ん?」
「本当に、縁君は、不思議な人です……初めて会った時からずっと、私の、一番欲しい物をくれます」
「そんなんじゃないよ。 実は今回に関しては、咲夜の言葉がなかったらこういう行動も起きなかったし」
「咲夜……綾小路君の従妹さん、のですか」
「うん。 園子の前で言うのもなんだが、俺自身『園芸部員』の自覚がなかった、園子はそれで良かったのかもしれないけど、俺が自分に納得できない。 だからま、今回は俺一人の考えじゃなくて……つまり、今まで園子の厚意に甘えてた、ごめん」
自己満足の域を出ない謝罪だが、そうだと自覚しても、謝るしかない。
「謝らないでください、縁さん。 私だって、最初から縁君たちの力を借りるなんて考えを思いつきもしなかった。 最初から、皆さんを信用していなかったんです」
「いや、それは違うだろ」
「同じです。 同じで、良いんです。 私も、縁君も。 お互い、足りないところがあった、それで良いんです」
「そっか……なら、後はお互いに補い合うだけだな」
「……はいっ!」
力強い返事とともに、園子がほほ笑む。
夕焼けに照らされたその笑顔は、普段よりもずっと、魅力的で惹かれるモノだった。
「お兄ちゃん? いつまで先輩の肩に手をのせてるの?」
「そろそろ二人とも動いていいんじゃない?」
「おっと、くわばらくわばら」
後方から聞こえる声に慌てて思考を戻し、俺たちはいそいそと作業に移った。
「……本当に、縁君は、不思議です」
作業しながら、園子が俺にしか聞こえない声量で言う。
「だから、今回に限っては別に俺の―――」
「ううん。 きっかけは違っても、縁君だから私にこの時間をくれるんです。 縁君しか、私にこんな想いをくれる人はいません」
「そ、そっか……ならよかった。 なんか、さすがに照れるな」
「もう……せっかく我慢しようって思ってるのに、こんな事されたら、私―――」
「そこまでよ、庶民ども!」
園子の言葉が終わりまで出る途中に遮られた。
その口調、その言い回し、もはやこの空間に現れた第三者が誰かなんて、考えるまでもない。
現に、その人物に一番近い人物―――綾小路悠が、普段聞かない厳しい口調でそいつに言った。
「いきなり現れて何の用だい―――咲夜」
「あ、庶民だけかと思ったらあんたもいたのね。 溶け込んでて気づかなかったわ」
綾小路、咲夜。
そばには、三年生から一年生まで、計8人程度の生徒が取り巻きとして立っていた。 まさかこいつらが、例の委員会のメンバーなのではないか?
「え……えっと、綾小路、さん」
部長としての責務からか、率先して園子が咲夜に話しかけた、声は若干震えている。 それもそうだろう、相手は自分の人生を破滅しかけた側の人間なのだから。
「私たちは、先生から許可を得て活動しています。 綾小路さんから、咎められることは何もしていません。 暗くなる前に帰りますから、気にしないで、ください」
「ふん……先生に許可を得ている、ね」
そう言ってから、咲夜は取り巻きの一人が手に持っていた一枚の紙を手に取り、それを見ながら言った。
「確かに、顧問からの許可は得ているわね。 でも、それはあくまで顧問の独断。 校長が直接了承したわけではない。 そうよね?」
「それは……はい」
「ましてや、日が沈みかけた遅い時間。 この辺りは目立った犯罪が少ないとはいえ、女子生徒が多い部活で、暗くなる直前まで活動。 当然帰る途中に日は沈むし、暗い道を帰ることになる」
「……」
咲夜の正論に、悠も反論できずにいる。 当然、俺も。
咲夜の言葉は続く。
「そもそもの話、部活動の時間に行えば良い事を、わざわざ遅くになってから活動する辺り、学園の運営にも真っ向から刃向かう非道徳的な行為とも取れるわね。 違う?」
「それは……運動部の邪魔になっちゃいけないからと、この時間に」
「それは部長であるあなたが他の部にあらかじめ周知して段取りをしていたら良かっただけの話でしょ。 職務怠慢を他人のせいにしてる時点で、意識の低さが露呈してるわね」
「おい綾小路、それは言い過ぎだろ」
「黙りなさい庶民、言われないと気づけなかったあんたは柏木園子以下の意識よ」
「―――っ!」
一瞬で説き伏せられた。 何もかも正論で、悔しさすら起きない。
全員、咲夜の勢いに呑まれていた。 場を完全に支配した事を悠々と感じて、咲夜は次に、致命的な言葉を口にした。
「―――以上の理由から、園芸部は学園の運営に不利益を生む存在と判断して、『学内査問委員会』は園芸部の廃止を宣告します」
希望的観測。
全く、その通りだった。
綾小路咲夜の『攻撃』は、とっくの前から始まっていた。
『だから、あなたしかいないんです。 あなただけが、悠さんと綾小路さん、両方と関わりを持って、しかも悪くない印象を持たれている。 事態を最悪な方向に行かせないためには、きっとあなたという存在がどう動くかで、決まるんだと思います』
伊織さんの言葉が、頭の中で重く鳴り響いた。
―――続く―――
年末までに更新もう一回したいですね