提督と加賀   作:913

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五十二話

あいつ、あの美女とは違う女連れて歩いてやがる。

そんな視線に身を斬られながら、提督は三歩後ろをとことことついてくる加賀を振り返り、止まった。

 

黒いトレンチコートに青いスカートと、灰色の長靴下。

いつもの下駄と殆ど同じくらい身長を誤魔化せる上げ底の焦げ茶色のブーツを履いた、加賀。

 

おしゃれをしてきた彼女も、その途端止まる。

 

提督が振り向くと加賀が首を傾げ、後退すると後退する。

付かず離れずと言う、提督と加賀の距離感を表したかのような姿勢を赤城が見たならば、溜め息と共に首を横に振っていたに違いない。

 

加賀は己の立ち位置の幸福を余すところなく噛み締め、満足してしまうようなところがあった。

進みたいと言う気持ちはあるが、それで提督に嫌われてしまうのが、彼女は一番嫌なのである。

 

提督から歩み寄られれば、割と酷い扱いであろうが無抵抗で受け入れてしまうようなところがあるが、その将としての先制攻撃を好む性格とは裏腹に、彼女は積極性に欠けていた。

 

「提督、何か?」

 

「いや、話しづらいなー、と」

 

「…………ごめんなさい」

 

提督が指摘したのは、歩く位置。

加賀が自覚したのは、無愛想さ。

 

どちらも加賀が話し掛けられる頻度の少なさに多少なりとも影響を与えていたものの、この場合は『どちらも同じだから良い』と言えたものではない。

 

所謂いつものすれ違いが、買い出しに出てから僅か七分で浮き彫りになっている。

何だかんだでいつもそのすれ違いは解消されるものの、無いに越したことはないのだ。

 

提督は『隣で歩いてくれ』とは恥ずかしくて言えない。

加賀は歩く位置よりも先ず、自分の表情の乏しさに目が行く。

 

その辺りが、今回の勘違いの原因だった。

 

「……加賀さん」

 

暫く三歩空けたそのままに歩き続け、提督は少し寂しくなって振り向く。

そこには、僅かに寂しげな顔をした加賀がいた。

 

「……はい、提督」

 

「話しづらいから、話しづらいから、隣に来ない?」

 

大事なことなので二回言い、提督はなけなしの勇気を振り絞って自分の左隣へと誘う。

 

それを受けて無言のままに、加賀は俯き加減に頷いた。

 

頭一つ分小さい背丈が左に並び、双方無言のままに時が過ぎる。

 

加賀は隣に来ないかと言う誘いに対して喜びを内面で爆発させ、提督は抱きしめてから続く従順さに嗜虐心をそそられていた。

 

クールで凛とした、敏腕の秘書艦。人とは思えないほどに完成した美貌と、感情を良く映し出す琥珀の瞳。

 

反抗心が強いところを見せつけられ続けただけに、今垣間見えている従順さが愛おしい。

 

わん、と言いそうな雰囲気である。

 

(私が、提督の隣に)

 

流石に気分が高揚します、とは言い切れない。何せ動揺もしているし、変な臭いがしないか心配で仕方がない。

ちらりと視線が向けられる度に、加賀は心の中で過剰な反応を見せていた。

 

(気を遣って、くれたのかしら)

 

話しづらいということをポロッとこぼしてしまった提督が、その理由は本当のところ、自分の表情の鉄仮面ぶりに由来するということをを隠す為の理由付けとして、わざと隣に来るように言ってくれたのか。

 

それとも、本当に隣に来てくれないと話しにくいのか。

 

前者ならばその気遣いが、後者ならば自分と話したいと思ってくれていることが、加賀にはたまらなく嬉しかった。

 

(またぽわぽわしてるような気が、しなくもないな)

 

加賀の雰囲気が、その身体のように柔らかい。

そんなことを思った提督は、ものの見事に自爆した。

 

巧緻に過ぎる程に巧妙に、そして精緻に。

男という生物を虜にする為に作られたとしか思えない程に柔らかく、細く、程良い固さがある身体を、思い出してしまったのである。

 

身長が赤城より小さい為、その分だけ小さな肩。

 

血の通いが温かさと鼓動と共に感じられる、肩甲骨と背骨に沿って凹みがある背。

 

くびれに廻した腕が余る程に細く、折れそうな腰。

 

腕の中に包みこまれ、おずおずと見上げてきた時の薄い唇の色の鮮やかさまでが、くっきりと脳裏に浮かんできていた。

 

そして何故だが、眩暈すら襲ってきている。

 

「提督?」

 

少し見上げるように、加賀は急に足を止めた提督に横から声をかけた。

よく見ればハッキリと感情を映し出してくれていることがわかる琥珀の瞳には、不安と懸念がありありと浮かんでいる。

 

可愛い。

 

可愛い。

 

その二語を心で呟き、提督はサッと視線を逸らす。

加賀の身体を抱きしめて味わってしまってから、まだ一時間も経っていない。

 

これ以上見ていると、またやってしまいそうな気がしてならなかった。

 

「少し座っていい?」

 

「はい」

 

ベンチを指してそう言うと、加賀は嫌な顔一つせずにそれに従う。

急に足を止めた違和感から生じる不快感よりも、彼女にとっては遥かにその異常に対する心配のほうが大きかった。

 

「……」

 

「……」

 

座っても、何をするわけでもない。

 

心配なのか、時間を無駄にするのが嫌なのか。

ちらちらとこちらを見てくる加賀の真意を、提督は測りかねていた。

 

加賀の心と言えば、『提督、ごめんなさい。あなたが仕事終わりで疲れているのに私はビス子だけではなく自分も自分もと言う欲望からお買い物に付き合わせてしまって、このような事態を招いてしまいました。

ごめんなさいごめんなさいごめんなさい』と、止まりもしないし韻も踏まない怒涛の自己嫌悪と謝罪で埋め尽くされている。

 

止まりもしないし韻も踏まない怒涛の自己嫌悪を提督が知れたならば、加賀の動揺を瞬時に知り得ただろう。

 

そんな都合の良い道具はある。が、提督は持っていないし存在を知りもしなかった。

 

この男が今考えていることは、『加賀さんって四十代くらいのおっさんの後妻か、後家が似合うな』と言う極めて脳天気な妄想である。

 

眩暈は、暫くした後に収まってきていた。

 

「よーし、行こうか」

 

「あ……」

 

立ち上がろうとした提督の手を、加賀は咄嗟に掴む。

 

その後にちらりと視線を下げて繋いだ手を見て慌てて離し、一回怯みながら提督を見上げ、そーっと手を伸ばしてまた手を繋いだ。

 

(可愛い。でもまあ、やっぱり人は苦手なんだろうな)

 

一連の動作の初々しさに目を細め、提督は繋いだ手をしっかりと掴み直して加賀を立たせた。

 

「加賀さん、行こ?」

 

「……疲れては、いないのかしら」

 

「いや、少し座りたくなっただけだから大丈夫だよ」

 

(優しい嘘ね)

 

あまりにもあんまりな、優しい嘘。

元々嘘が下手なのは知っているが、今回はそれに輪を掛けて酷い。

 

少し座りたくなっただけ、と言うのは説得力に乏し過ぎる。

かと言って、このままでは自分が提督を心配し続けるということを、わかっていたのではないか。

 

だからこそ、嘘を付いた。

 

(愛して、いるのかしら)

 

普通、愛しているならば彼の身体を慮って鎮守府に帰るべきだろう。

だが、自分はそれを望んでいない。まだ一緒に出かけていたいと思っている。

 

自分の愛は、身勝手だ。

 

詰まるところ、側に居たい。側に居て、愛してほしい。自分はそれだけなのではないか。

 

「加賀さん?」

 

止まってしまった加賀の方へと、提督は振り向いた。

 

わざわざ着替えた私服の裾が、加賀の手に掴まれていたのである。

 

「……提督」

 

「うん?」

 

口を開けて、加賀は言葉に詰まったように閉じた。

事実として、彼女は言葉に詰まっている。

 

提督に己の貪婪さを伝えたくない。

提督に己の勝手さを伝えたくない。

 

醜い女だと、見られたくない。

 

加賀は、提督の裾を掴んでいない方の手を強く握り締めた。

 

自分を引き千切って殺してやりたい。あまりにも、醜悪にすぎるこの身体と心を、殺してやりたい。

 

側に居たいから、提督が気を遣ってくれたから。

だからこそ、提督の身を心配すべきではないのか。

 

恋する乙女の当然の欲求すらも突き詰めて考えてしまう、加賀の悪癖がよく出ていた。

 

「提と――――」

 

「とう」

 

びすっ、と。

加賀の形のいい頭蓋の上辺に提督のチョップが振り下ろされる。

 

痛くはない。が、咄嗟の反応で喰らった部位を両手で抑え、加賀はまたしても怯えたように提督を見上げた。

 

「加賀さん、考え過ぎ。俺は大丈夫なんだよ。だから大丈夫なの。いい?」

 

「ですが」

 

「ですがじゃない」

 

うだうだ考えるのは、加賀の悪癖。

大抵その結果、ろくでもない考えに行き着くことも含めて、である。

 

「行くぞ、加賀」

 

「……ぁ」

 

さんを、付けていない。

おそらく無意識だろうが、これで加賀は抵抗心を根こそぎ持っていかれた。

 

「返事は?」

 

「……はい」

 

満足げに頷き、提督は加賀の手を離す。

お互いに少し、名残惜しかった。


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