提督と加賀   作:913

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四十五話

「心理スカウター?」

 

「そうです。見た対象の言葉に込められた心理を1ミクロンのズレもなく把握できる優れものですよ!」

 

明石から受け取ったブツを、赤城は訝しげに抓んだ。

片眼鏡と言うべきそれは、なんの変哲もない、ように見える。

 

だが、説明を聴くに何やら凄い性能を持っている、らしい。

 

1ミクロンの云々というあたりに明石の自信家としての一面と、この片眼鏡に対する信頼が伺えた。

 

だが、普段は具体的な単位を引用しないことを加味すれば、どうか。

 

(案外、自信がないのかもしれませんね)

 

だからわざと虚勢を張っているのだ、と赤城は思わないでもなかった。

だが、致命的な欠陥を持つ品を世に出そうとするほど、明石のプライドは低俗ではない。

 

本人の言葉から滲み出る不安を、常の行動を観察した上での推論で打ち消し、赤城は無造作にそれを付けた。

 

「こうすればいいと?」

 

「そうです!」

 

――――そうです!

 

木霊のように、赤城の耳に明石の声が響く。

不快になるほどの大きさではないが、突如としてこのような怪奇現象に襲われたならば、自分ならば座禅でも組むだろう。

 

加賀ならばビビって提督の部屋に逃げようとした挙句に入るか入るまいかと扉の前で右往左往し、提督ならば寝る。

その程度には、怖かった。なにせ、いきなり幻聴がするのだ。

 

「実はそれ、二つで一つでして」

 

――――提督と加賀さん用の特注です

 

心の声を聴いて、赤城はなるほどと頷く。

これを付ければ、あの思春期をこじらせたように怯み、接近、怯みを繰り返す二人の仲も進展せざるを得ない。

 

それにこれは、他にも様々な用途で貴重な補佐用具して使えそうだった。

 

「なるほど、提督と加賀さん用ですか」

 

読み取った心の声が正しいかどうかの確認も込めて、赤城は態々口に出して問う。

 

明石は、自分の発明品については過不足なく、用途から対象者に至るまで全てを細かく説明してくれる良心を持ち合わせている。

黙っていても対象者が誰なのかはわかっていたはずだが、今は性能をチェックすることが大事だった。

 

「あ、試験動作はどうやら上々ですね」

 

――――正直、駆逐艦達に試してみても同じことを繰り返すだけで困っていたんですけど……

 

それはそうだと、赤城は思う。

あの頃の子供に、裏表はない。思ったことがぺろりと口に出てしまい、困るような年頃なのだから。

 

「なるほど、ではもう一ついただけますか?」

 

「話が早いですね」

 

――――やっぱり交渉の窓口に赤城さんを選んで正解でした

 

素直に加賀に渡していたら、使うか使うまいか三日三晩悩み、結局『提督が私を嫌っていて、それでも秘書艦として据え置きにしてくださっているのだとしたら』などとネガティブ方向に思考が向き、結局お蔵入りになったことだろう。

 

提督でも基本的にはコミュニケーションが苦手なネガティブということは共通している為、同じ様な期間を同じ様に悩んで、同じ様な結論に達しただろうと考えられた。

 

となると、赤城は自分の役割を把握できる。

 

謂わば、自分の役割はパイプを繋ぐことなのだ。

親しい人にはころっと騙される加賀と、基本的には騙されやすい提督をうまいことだまくらかしてこの片眼鏡を付けさせる。

 

提督にはプレゼントとして渡し、『しばらくは付けていてください』と頼めば付けてくれるだろうし、加賀には『提督とお揃いですよ』と囁やけばいそいそと付け始めることに疑いはない。

 

だが、だ。

 

果たしてそのような手法であの二人の面倒くさい関係をむりやり整理して良いのだろうか。

 

そんなことを考えつつ、赤城は珍しく朝御飯を食べることを忘れて考え込んでいた。

 

「あ、先輩。御飯食べないの?」

 

片眼鏡は、外している。

それ故に声の後に心の声は伝わってこないが、全くその必要が無いほどに心配気な気持ちに溢れた声音が、赤城の耳朶を打った。

 

「瑞鶴さんですか」

 

「そ、そうだけど……どうしたの?」

 

――――片眼鏡……って、何で?

明石さんも付けてたらしいし、流行ってるのかな?

 

つくづく優れものである。

 

赤城は、今更ながらこの片眼鏡の性能に対してそのような確信を抱いた。

人の言葉に含められた心の声を聴けるならば、己が見ていない過去の出来事すら拾えるということ。

 

現に今、明石が駆逐艦に対して行っていた性能チェックを誰かが見て、それを瑞鶴に話したということがわかっている。

 

物証だけのこの状況に推論を混ぜるならば、伝えた存在は恐らくは翔鶴ではない。

翔鶴ならば、『翔鶴ねえに』という主語がつくはずなのだ。

 

ならば、対潜警戒に向かう都合上駆逐艦に近い軽空母の内の誰かが、瑞鶴にこの事を喋ったのだろう。

 

瑞鳳か飛鷹あたりか、と。赤城は適当にアテを付けた。

 

「瑞鶴さん、少しを手を貸してください」

 

首を傾げる瑞鶴に片眼鏡を渡しながら、赤城は事情を説明する。

瑞鶴の表情が訝しげなものから楽しげなものへと変わるまで、数秒とかからなかった。

 

「先輩は、何でこれを加賀さん辺りに渡さないの?」

 

「まあ、色々あるんですよ」

 

――――加賀さんにとっては、このような形で気持ちを知ることができるのが良い事なのか、わかりませんし

 

前を歩く赤城の心の声を聴いて、瑞鶴は少し頭を傾げる。

生来単純な、詰まるところはさらりとしたようなところがある瑞鶴には、恐ろしく屈折した心理を持つ加賀の面倒くささがわからなかった。

 

「今わかったのですけれど、この片眼鏡。視界に発言者を入れていないと心の声を聴くことができないようですね」

 

赤城の背中に目はない。

片眼鏡を付けた状態の瑞鶴を視界に収めている内は心の声を聴くことができ、今は問うてきた真意が脳に刷り込まれるように入ってこなかったことを考えれば、どうやらそうらしかった。

 

「へぇー……不便ね」

 

そんなことはないだろうと、赤城は思う。

こんな平和な使われ方をされようとしているが、この片眼鏡はブラック鎮守府で使われれば相当な効果を発揮したであろう代物。

 

視界に収めている内だけとはいえ、腹黒く、そういうことしか考えないニンゲンに対しては、この片眼鏡は相当な効果を発揮する筈だった。

 

遅れてやってきた五航戦には、わからないだろうが。

 

「さあ、どうなるんでしょうか」

 

「ふふーん」

 

執務室の前の廊下で様子を伺うように角から顔を覗かせる。

ドアの前では、加賀と提督が丁度会ったところであった。

 

普段あまり会話が弾む二人ではないが、それは表面上でのこと。

内面では、どうなのか。その辺り、赤城も瑞鶴も気にならないといえば嘘になろう。

 

薄々、予想は付いているとはいえ。

 

「……提督」

 

――――顔が赤いわね。どこか体調が悪いのかしら。寝不足気味らしいけれど、私にできることなら何でもしてあげたいのだけれど

 

「お、おはよ」

 

――――相変わらず美人だな、この娘。正直、顔突き合わせるたびにそう思わせられる。心臓が保たんな

 

この時点で、赤城は半ば確信を持ってこの観察会が砂糖に塗れたものになることを確信した。

同時に、己の判断力を賞賛した。

 

彼女の腰には、苦味の強い珈琲を淹れた水筒がある。

 

「おはようございます」

 

――――この挨拶を交わせることが、とっても幸せだわ。あと何年で提督が他の人と結ばれるかはわからないけれど……このいつものことがとっても幸せだと、思い出すこともあるのでしょう

 

「うん」

 

――――加賀さんに挨拶を返してもらえるってのは、果報だなぁ。いつまで続くかは知らないけども、加賀さんも退役する時はするだろうし

 

赤城も瑞鶴も、これには僅かに頬を引き攣らせた。

何というか、酷い。思っていることの半分も口に出していないし、お互いがお互いのことを誤解した挙句にその積極性の無さもあいまって、お互い好意の欠片も感じさせない会話に留まっている。

 

表面を掘り返してみれば砂糖が間欠泉のように噴き出すが、肝心の表面が塩で固められているのだ。

 

「あちゃー」

 

「これは……」

 

瑞鶴は思わず目を閉じて額に手を当て、赤城も流石に目を逸らす。

恐らくこの二人の間には、三十年経っても何の進展も起こらない。

 

自信を持って、赤城はそれを断言できた。

 

現状を壊すことを恐れ、現状のちっぽけな幸せを噛み締めて満足してしまっている。

 

「もうこれ、駄目かもしれませんね」

 

「う、うん……」

 

どちらかが表面上の塩をかち割って内部を掘り進めようとしてくれれば解決するのだろうが、そんなことは起こり得ない。

 

そこまでの共通認識を抱かせてしまうこの二人とは何なのか、ということになるが、傍から見てやきもきするのは確定であった。

 

その後何も喋らず、いつものように加賀が扉を開け、提督が入る。

観察対象が執務室に入ってしまっては、この二人になしうることはごく限られたものだった。

 

「どうします?」

 

対象を取った時は敬語、呟く時はタメ。

加賀には完全に噛み付いてくる瑞鶴も、赤城に対して明確に問うたり、答えたりする時は流石に敬語に切り替えている。

 

加賀の警戒心の強さは、番犬のそれに近い。一歩でも踏み込めば吼え掛かり、怪しい気配があれば唸る。

 

反応に関しての表現は比喩だが、比喩だからこそ恐ろしい。

爆撃やら体術やらで瞬く間に制圧されることに疑いは無かった。

 

「上の裏から回りましょう」

 

無駄に綺麗な比島鎮守府では、汚い所というものがない。

無いようにしているし、その為に手間を惜しまないのが加賀である。

 

提督は割りと汚い感じに部屋を維持するが、そこには一切手を触れないあたり、加賀は『それはそれ、これはこれ』という割り切り方がサバサバとしていた。

 

「確か前に掃除したのは……三日前?」

 

「まだ綺麗でしょう。おそらく」

 

頬に人差し指をあてて記憶をまさぐり当てた瑞鶴に、赤城が多分に希望的要素が含まれた観測を述べる。

 

離れたドアからは、僅かな声が漏れるのみだった。


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