提督と加賀 作:913
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「加賀さん、加賀さん」
「……はい」
若干涙目な加賀に怯みつつ、提督は不器用に彼女の頭を撫でた。
こういう凹んでいる時にここぞとばかりにお触りするのはどうかと思うが、彼も男。触れる時には触りたい。
艶やかな髪である。癖っ毛だが、それが却って愛らしい。
好きになった者の弱みなのかもしれないが、彼にはそうとしか思えなかった。
「俺はまあ、ずっと君の側に居てあげるから、さ。ほら、求められる限りは」
「…………それは、その」
提督が提督でなくなって、この鎮守府にも居なくなって、どこかに小さな家を買って、そこに住む。
その平凡な風景に、自分も住んでいていいということなのだろうか。
自分が居て欲しいといえば、本当にいつまでも側に居てくれるのだろうか。
そんな加賀の期待とは裏腹に、提督は思い上がれるほど楽天的でもない。
「あ、ああ、提督として、だよ?」
癖っ毛を弄ったり、一房に括ったサイドテールを梳かしたりと、割りと加賀の髪を好き放題していた提督は、少し慌てたように両手を立てて弁明する。
初めから玉砕が確定している告白ができるほど、提督は強くはなかった。
「……わかっています」
自分の髪から離れた手を不満げに見つめ、加賀は少し視線を下げて頷く。
見た目と言動からすれば意外なことに、加賀は甘えたがりだった。
いつも背筋をピンと伸ばしたような凛々しさを保っているからこそ、好きな人には甘えたい。
提督は駆逐艦には撫でたり褒めたり、一緒に気軽に出かけてあげたり、抱き上げたりしている。
自分もそうされたい、と思わない日はなかったと言っていい。
上げた功績では、駆逐艦には負けていないつもりなのだ。少しくらい甘えさせてくれてもバチは当たらないという、自負もある。
撫でてくれとは、素直に言えない。甘えていいのは子供までという、極一般的な常識も持ち合わせているが故に、加賀は黙らざるを得なかった。
「……ど、どしたの」
じーっと、半円の―――逆さにした蒲鉾状のジト目が提督を貫く。
このジト目は得も言えぬ可愛さがあるから彼は好きだが、無言の威圧が付与されていては話は別。
若干、怯まざるを得なかった。
加賀も、特に何も言えない。今提督を見ているのは甘えたいからであり、褒めてほしいからである。
そのことを自分から言うには、可愛さの欠片も見当たらない鉄面皮をぶら下げた己の外見は相応しくないと感じていた。
傍から見て、内情を知っていればくだらないことだが、この二人の勘違いはこのような自己認識の齟齬から生ずることが非常に多い。
(な、何なんだろ)
提督として側に居てあげますよと言って、加賀はわかってますと返した。
それからひたすら不満が浮かぶジト目で見つめられ、今に至る。
(何様のつもりだ、ということかな)
居てあげる、とは思い上がっているということなのだろうか。
提督は表面上は加賀の上司だが、実働艦隊の殆どは加賀が掌握している。
どっちが上の立場かと問われれば、形式上は提督が上、実質的には加賀が上であろう。
「えー、加賀さんの提督で居ても、よろしいでしょうか」
「それは、今更」
「い、今更と言いますと?」
「初めて会ってから色々ありましたが、私が提督として仰ぐのはあなただけ、と言うことです」
無表情の中に確固たる意志を宿しながら、加賀は半歩前に踏み出した。
恋しい。触れて、愛して欲しい。
暫く会えなかった反動と言うものが、加賀の身体を動かしている。
それに、一緒に寝てしまったということもある。
それが結果的に、彼女にやけくそ気味の積極性を与えていた。
「提督、私はあなたの決められたことに、従います。気兼ねなく命令なさってください」
サイドテールがピコピコと動き、いつもは黒いシャム猫のような雰囲気のある加賀が犬のそれに変わる。
と言ってもオオカミ犬、というのか。シベリアンハスキーのような感じではあるが。
(忠誠心ってやつなのかな)
忠誠心は無償ではない。
要求するに値する人物と、要求するに値しない人物が居るのだ。
自分は恐らく、能力的にも性格的にも後者だろう。少なくとも、大本営のような戦略経営の才能もないし、戦術的な才能もないという自負がある。
忠誠心を要求するに値する人物に、ならなければならない。
「……俺に出来るのは、ビスマルクに座乗して前線に出たり、君たちが常に全力を出せるように補給を絶やさないくらいだけど、さ。
その忠誠心に相応しい男になれるように、頑張るよ」
「頑張って下さい。だけど」
私は認めている。
と言うよりも、私も認めている。と言った方が正しいか、と変なところで几帳面な加賀は自分が紡ぐ言葉を推敲した。
どうやら自分は言動からして勘違いされやすいという自覚が、彼女にも芽生え始めている。
沈黙すら勘違いの要因になるということも、わかる。
故に彼女は一つ一つ言葉を選んで喋り、その後に推敲して話す。
これもまた、提督の心理に緊張という名の負荷をかけさせていた。
(な、何で黙るんだろ)
気にしていない相手が数秒黙ろうが関係ないが、意識の八割を傾けている相手が沈黙すると過敏な程に反応する。
閃きよりと長考によって思考を醸成させる加賀は、今回に限らず度々黙った。
と言っても、今回の加賀の沈黙は五秒に満たない。
閃きの人というより熟考の人である彼女の思考時間としては、短い方であろう。
「私は、認めています。実数はわかりませんが、皆も認めているものが多かろうと、思います」
如何にも加賀らしい真面目で、誤報をなくして勘違いによる摩擦を減らそうと言う感覚が如実に出ていた。
「そうかね?」
「ええ」
ビスマルクもそうだし、木曾もそうだ。矢矧もそうだろう。
口に出すのは自分を含まずにこれら三人くらいだが、他の艦娘も忠誠心に薄い者は少ない。
絶無、と言っても良いかもしれなかった。
別にカリスマ性があるわけではなく、容姿が優れているわけでもない彼が慕われている理由はただ一つ、実績である。
一隻も沈めることなく、過重な労働を強いることなく、無理をしない戦いを繰り返して、彼は海域を解放してきたのだ。
この実績が、艦娘たちに慕われる原因となっている。
単純な話、自分と同一個体や仲間を沈められた挙句に功績を挙げられていない提督と、一隻も沈めずに最上の功績を挙げている提督のどちらがよいと問われれば、後者だろうという話だった。
「ほんとに?」
「本当です」
琥珀の視線が、提督を射す。
誠実さと親愛が見えるような気がするその瞳には、加賀の滅多に見せない感情があられていた。
提督は琥珀の瞳に圧されるように何となく黙る。
可愛いというのか。綺麗というのか。神が作ったような美貌に見つめられては、動悸を抑えることなど出来ようもない。
が、ここで目をそらしたら損なのだ。こんな美人と顔つき合わせて見つめ合えるなど、もはや一生ないと言っていいだろう。
(加賀さん、大事にされるといいな)
こんな美人と結婚できるならば、自分ならば絹に包むようにして大事にする。大事にして、幸せにしてやりたいと、そう思う。
愛しているから、身を退く。少なくとも艦娘という
存在を盾にしてきた自分に、一緒になる資格はない。
加賀とは、上司と部下でいい。
「……」
そんなことを考えつつ、提督は加賀を見続ける。
眼福だし、何よりも好きな人の顔を見ることがたまらなく幸せだった。
その内、加賀はぷいっと横を向く。
頬が、僅かに赤かった。
(……返事しなかったから、怒っちゃったのかな)
だが、怒らせてみたい。
すすっと加賀が向いた方向に移動し、また顔を見る。
暫くして、更に顔を赤くした加賀がそっぽを向き、提督が追う。
それをしばらく繰り返し、加賀は遂に窓の方向を向いた。
壁を盾にして、回り込まれないようにしたのである。
(おぉ、怒っていらっしゃる)
窓に、赤面した加賀が映っていた。
となれば、その映っている加賀を見つめる他に選択肢は無い。
ジーっと、質の悪いストーカーの様に加賀の怒りに燃えて赤面している美貌を、提督はひたすら凝視した。
加賀はずっと目を合わせていると怒るというのが、提督が得た今までの経験である。
「…………ぅ」
遂に、加賀は耳まで真っ赤にして俯いた。
怒っているところ悪いが、凄まじく可愛い。
真面目に話してくれていたのに途中からストーカーまがいのセクハラに切り替えて有耶無耶にしてしまった己に戦慄しながら、提督は目に焼き付けるようにして赤面しながら俯いている加賀を見つめている。
可愛い。可愛いのだ。
こんな光景を見ると、上司と部下でいいと言う痩せ我慢が消え去ってきてしまう。
罪作りな女め、と。提督は加賀を理不尽に責めた。
その一瞬後には己の煩悩の所為だと自戒するあたり、ほとほと無害な男ではあるのだが、その自己認識の強固さが加賀の内面の認識をするに際しては邪魔と言って良い。
「……ていとく」
「…………はい、何でございましょうか」
いつも話す時は目を合わせてくる加賀が俯いていることに怒りの深さや何やらを感じ、提督は怯んだ。
実際のところ、加賀は提督が熱心に見つめてくることに対する恥ずかしさに耐え切れずに視線を逸し、それを何回か続けた挙句に逃げ切ろうとし、それに失敗して盛大に爆死したに過ぎない。
故に加賀は、提督に対して怒っていない。
彼女は原因が自分のあがり症と経験不足にあることを知っていたからである。
爆死の原因が、『窓に映った自分を見つめられ、その見つめている提督を自分も見ることができる』ということだったにせよ、それで提督を責める気はなかった。
ただ、真意は知りたい。
「何で、私を、その」
今、見続けてくれたのか。
根暗で無愛想で人付き合いの下手な、可愛くない自分を嫌がりもせずに見てくれたのか。
加賀が問いたいのはその辺りだったはずだが、提督はそこまで加賀の心を読めるわけではない。
故に、彼としては素直に理由を述べるしか術がなかった。
「い、いや、加賀さんは美人だなーってさ」
「提督は、優しいのね」
毎回言われているような褒め言葉を、リップサービスだと感じつつも喜んでしまう。
実際にはそんなことは全然ないのだが、加賀はそんな自分が情けなく思えていた。
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