提督と加賀 作:913
(……提督、変、ね)
提督が、変だった。自分の身体を触るとき、彼はいつも何か変な声を漏らしていたのに、今回はそれがない。
それに、敬語だった。
(お、かしっ、い……)
思考が途切れる程の快感が、断続的に身体を襲う。
静電気が脳髄で発生しているように、加賀は身体を跳ねさせては沈み、跳ねさせては沈む。
その度に柔らかな胸がクッション材のように身体を支えていた。
好きな人に触れられている。
それが女としての快楽の一片も知らない加賀の身体を、敏感な物に変えていた。
(う、で、を)
いやらしい、女の動き。
男を欲する、雌の動き。
女の部分をしきりに強調するように、自分はそうしている。
その自覚があるだけに、加賀は胸をクッション材にするのを止め、今まで顔を隠すのに使っていた腕を立てた。
肘で体重を支え、全身で感じてしまうが故に生じた律動を強制的に止める。
「腕もしなきゃいけないよ」
肩までをゴツゴツとした男の指が触れ、撫でる。それだけでも身体を支えていた肘が揺れるのは防げなかったのに、直接触られてはもはや加賀に抵抗の術はなかった。
「ぁ、く……」
胸が、再び背中の紐を解いた水着に着地する。
脚や臀部、何よりも感じやすい背中を丹念に摩られ、加賀の意識はもう既に限界に近かったのだ。
それが、この腕の塗り込みで壊れた。
「――――っぁ」
柔らかな二の腕を摩られ、優しく撫でられる。
それだけで、加賀の脳髄を甘い痺れが満たした。
身体を丹念に触られ、撫でられ、優しく揉みほぐされる。
好きな人からのそれが、加賀に初めての感覚を与えていた。
丹念に身体を触られ、限りなく優しく愛撫を受けるのが、こんなにも喜悦を受けることだと、彼女は知っていない。
艦娘の身体は人と違うのか、どうなのか。
少なくとも、とくん、とくん、と。お腹の深いところが疼いている。
「てぃ、と、く……」
「何?」
「わ、わた、し……を」
使って欲しい。雄の獣欲を慰める為の雌として、壊れるまで使って欲しい。
そう言おうとして、加賀の脳髄は再び凄まじい刺激を受けた。
視界が白と黒にまたたき、暗転する。
「ぃ、やぁ……」
パレオからはみ出た肉に、提督は撫でるようにして日焼け止めを塗っていく。
心身ともにおかしくなる程の快楽に言語中枢神経系を麻痺させられながら、加賀は必死で身をくねらせた。
痴態を見せたくない。凛とした、如何に清楚な女で、居たい。
「……加賀さん、動かないで」
必死に身を捩っていた身体が腰を大きな掌で抑えつけられたことで、加賀は抵抗を止める。
止めると言うよりも、まったく身体に力が入らなかったのだ。
その雌としての肢体を僅かに痙攣させるだけの存在になった加賀は、そのまま身体を揉まれ続ける。
唇を噛み締めて艶っぽい声を我慢してはいたものの、それでも時々我慢が切れて声が漏れた。
その度に、目を必死に瞑って耳まで真っ赤に染め上げる姿は、男の嗜虐心を如何にもそそる。
(加賀さん、何で今こんなに色気があるんだ)
むわりと、噎せ返りそうになりそうな程の雌の匂い。
肌が白く、程よく肉の付いた背中が日焼け止めと汗でぬらりと光り、それもまた絶妙に淫靡である。
信仰のような気持ちを抱けたからこそ耐えられているが、今となってはその信仰心よりも男心を擽るような加賀の艶声と柔らかさによる男のしての本能が勝りつつあった。
(もっと触りたい)
最初から何も文句も言わず、途中からは抵抗もない。
少し心配になってしまう程に、加賀は従順に身体を差し出している。
背中から腰にかけての細くなっていく傾斜と、腰から臀部、太腿にかけての丘のような隆起。
提督がわかったのは、加賀の身体で無駄なところはない、ということくらいであった。
お尻から太腿にかけて絞り込むように手をスライドさせ、柔らかさの元凶たる脂肪と肉を撫でる。
一度触れば病みつきになるほどの張りと柔らかさ。
このまま自分の物にしてしまいたい。
再びそのような気持ちにならなかったといえば嘘になる。
「終わったよ」
「っぁ……」
怯えたように、残念がるように、濡れた琥珀の瞳が振り向いた。
これだけ酷い目に合わされたのに、まだそんな瞳で見てくる。
(虐められたいのか、この娘)
日焼け止めを塗る作業とはなんの関係もなく、片手で加賀のむっちりとした尻を鷲掴む。
乱暴に、乱雑に、でも傷がつかないように。
もう片手は、人差し指で背骨をつーっとなだらかに下らせる。
「――――っ!?」
ビクン、と。未だかつてないほどに大きな痙攣が加賀を襲った。
安心していたところに、一番敏感な部分を触られ、女としての部分も鷲掴みにされて、背骨が反る。
もはや意志など関係なく、背骨が折れるのではないかと思われる程に―――それこそ海老のように背を反らし、加賀の意識はショートした。
「……加賀さーん」
白い背中に汗をかいて、加賀はばったりと倒れている。
先程まで自分の左手にあったゴム鞠のような弾力のある安産型の尻を思い出して何回か空中で手を掴んだり離したりすると、提督は思わずため息をついた。
あれだけ愛している愛していると言っても、こうも無防備な誘惑を受けてしまえばその肢体を触ってしまう。
(加賀さんも悪い。無防備に過ぎる)
忠誠心故の信頼、というやつなのかもしれないが、赤城にやってもらえば良いのだ。
でも、触れて嬉しい。
自分に素直なこの男らしい感想を抱いて、提督は取り敢えず加賀の水着の紐を結ぶ。
そのままクールに去ろうとした時、後ろから鼓膜を溶かすような言葉が耳朶を打った。
「て、いと、く……」
去り行く恋人の名を呼ぶような甘い声音は、加賀が意識を失っていた間に何とか平静を保つことに成功した提督の理性をも甘く溶かした。
追い掛けようとして腰がくだけ、ぺたりと座るだけだった加賀の方に足を向け、手を差し出す。
おずおずと伸ばしてきた加賀の手は、驚くほどに熱かった。
「立てる?」
「……難しいわ」
流石に息も整え直した加賀は、今までの漏れる息に邪魔されるような声色ではなく、上擦っているものの限りなく普段に近いものである。
無理なのに、難しい、と言うところにも、いつものらしさが表れていた。
「じゃあ、テントで座ってなさい。俺は海に遊びに行くから」
「いやです」
子供の駄々のような返答を不覚にも可愛いと思ってしまった提督は、咄嗟に黙り込む。
その間にも、加賀は怒涛のラッシュを繰り出していた。
「一人で遊べるほど器用ではありません。それに―――」
「それに?」
「腰をくだけさせたのは提督なのですから、責任を取っていただきます」
この字面だけならばいつもの加賀であり、声音が如何にも弱々しい言葉は、提督の理性をガリガリと削った。
加賀のすぐ後ろには、ベッドがある。腰の砕けた女など、やすやすと彼は運べるだろう。
常の鉄面皮に似合わず、案外とねっとりとした責めに弱いこともわかっているから、この無力な状態をひたすら維持し続けることも可能だろう。
「条件がある」
「……はい」
水着姿故に剥き出しの両肩を、挟み込むようにキツく持つ。
そのままテントの幕に押し付け、提督は案の定全く抵抗できていない加賀の瞳を、強い視線で射抜いた。
「無防備なんだよ、お前。そこを直せ。何とかしろ。その内ホントに襲われるぞ」
「……それは、提督だから」
いつもの割りと軽い言葉遣いではなく、迫真の言葉である。
提督だから、と言う加賀の珍しい本音も、今の提督には言い訳か慢心か、或いは馬鹿にされているようにしかきこえなかった。
「上司は部下を襲わないわけじゃないの。わかる?」
「そうではなくて、その」
「言い訳をするな。俺も男なんだから、その内我慢できなくなるぞ」
「……別に、我慢していただかなくともいいのだけれど」
「男として見てないから?」
言ってて悲しくなるような現実を口にしながら、提督は加賀の肩を乱暴に離す。
「男だよ、俺は」
「……わかっています」
「なら、気をつけなさい」
思わずハッとするほど柔らかな掌を持ちながら、提督は若干強めに加賀の手を引く。
最近不況や戦局の硬直があいまってモラルの低下が見られているのに、こんな美人が無防備晒していたらその気がない者までその気になるだろう。
明日をもしれない身なら、少しでもいい思いをしたいと思うのだ。
「……誰にでも心を許しているわけではありません」
「それは知ってる」
「提督だからです」
「上司として認めてくれてありがと。でもだからと言って男にあんなお願いをしていいことにはならないよ」
右腕を掴んでいる加賀の手にこもる力が増し、肩をさらさらとした髪が擽っている。
「……ばか」
ボソリと、拗ねているような色が差した声音が鳴った。
加賀は、拗ねていた。こんなに『提督だから』と連呼したのだから、少しくらい自分の好意に気づいてくれても良いではないか。
好きでもない男に身体を触らせるとでも思っているのか。自分はそんなに安くない。
お高く止まっていたくはないが、貞操観念は強い方だという自覚がある。
そもそも、彼女が艦として生まれた時はそうだった。二夫にまみえずと言う気風があった。
今の女性は、伴侶とつがいになる前に何人か男と付き合い、場合によれば契りを交わすこともあると言う。
(提督も、そうなのかしら)
女漁りを、したのだろうか。
だから、あんなに自分の身体を揉んだり撫でたりするのが巧いのだろうか。
他の女の人と、契ったのだろうか。
そう考えた途端に、加賀の頭を強い嫉妬と怒りが走る。
自分のものでもないじゃないか、過去のことじゃないか、と。
諌めてくれる自分は片隅に居るが、所詮片隅。それ以上でもそれ以下でもない。
「提督は、塗るのが巧いのね」
「はい?」
突然何だとばかりに、提督は琥珀の瞳に嫉妬の大炎を宿らせた加賀を見た。
もっとも、彼には嫉妬とわかっているわけではない。単純に、『あ、キレてる』とわかる程度なものである。
「……何でもありません」
「いやいや、何でもなくはないでしょうに」
「何でもありません」
「あっはい」
いつの間にやら自分で歩き出した加賀を追って、提督も砂浜に一歩ずつ歩き出す。
まだ、海水浴ははじまったばかりであった。