提督と加賀   作:913

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四十一話

長く、しなやかな脚が自分の脚に絡んでいた。

ちょっと異常なまでに美しい顔が胸板に添えられ、静かな寝息が服越しに擽る。

 

肋骨辺りに弾力と柔軟さに富んだ二つの果実が押し付けられ、左手を加賀の白魚の指が掴んでいた。

 

ほとんど全方位が、柔らかい。そして、殺人的な程にいい匂いが自分の身体の周りを漂っている。

 

何度引き離しても別な形で、更に密着してくる加賀に諦めを抱きながら、提督は法華経を口ずさみながら必死に欲情を堪えていた。

 

「…………ん、ぅ」

 

やっと起きた。

結局何度引き離しても引っ付いてきて、その場を離れようとしたら袖をきゅっ、と掴まれるという苦行を終えて、提督は眠い瞼を擦って加賀を引き離そうとする。

 

起きているなら引き離せる。と言うより、加賀がこうもしつこく引っ付いて絡みついてくるのは、確実に自分を認識していないことが原因なのだから。

 

「…………起き抜けが、一番眠い」

 

何だかんだで乱れた服を糺しながら、加賀は左手でしっかりと提督の袖を掴んだままに右手でごしごしと眉を擦った。

何故左手に掴んでいる物を離さないのか、と言うことを問い質したい提督の思いは他所に、彼は加賀に眠たげな声で同意を返す。

 

「同意するよ。本当に」

 

「……?」

 

左を向き、加賀はいつも通りのジト目を大きく開いた。

自分が下敷きにしていたのは、寝不足気味の提督。

起きて直ぐ、それも側に居て、同じベットに寝ている。

 

「……ぇ、え?」

 

「最初に言っておくけど、俺は加賀さんに何もしてないから。つまり、綺麗なままだから安心しなさい」

 

「きれ……」

 

そこでようやく意識と記憶が接合されたのか、加賀は今言われていることの意味と、そこに至るまでの経緯をほぼ完璧に思い出し、悟った。

 

自分は寝る準備を済ませた上で鎮守府内の見回りをしていたら、提督の私室を通り過ぎたのである。

扉を開いて覗いてみた部屋の人気の無さが寂しくて寂しくて、提督の残り香が無きにしもあらずな布団に潜り込み、恐らくそのまま自分は寝た。

 

そして驚異的な運で以って今夜提督が帰ってきたのだろう。深夜に帰ってきた提督は何とか着替えて、ベットに殆ど倒れ込むようにして寝入ってしまったのではなかろうか。

 

だから、このようなことになっている。

 

不運でもあり幸運でもあるが、こうなってしまった。

 

「……提督」

 

「はい」

 

「本当にすみませんでした」

 

「あ、はい」

 

「今日の仕事は私がやっておきます。提督は一日掛けて体力を戻してください」

 

『やってしまった』と言う後悔からくる謎の威圧感を帯びた真摯な謝罪からの、有無を言わさぬ休養依頼。

 

それに思わず頷いてしまった提督は、珍しくニーソックスを履いていない生脚状態の加賀をボケー、と見送った。

 

そして、加賀。

 

彼女は提督の私室を出るや否や、ふらふらと揺れながら自室に帰り着き、鏡の前で髪を整えていた赤城を華麗にスルーして自分の布団に潜り込む。

 

心臓が爆発しそうな程に早鐘を打ち、顔から火が出そうなほど熱を持っている。そのみっともない感情を努めて表に出さないようにして提督の前を辞した加賀は、その反動だとでも言うかのように自室の布団の中で感情を爆発させていた。

 

(……尻の軽い女だと、思われたのではないかしら)

 

男の寝室に潜り込んで、その寝所で寝る。

恥じらいや慎みというものがない、男好きの女であるかのように、見られたのではないか。

 

提督の好みの女性像がわからない為、彼の好みが大和撫子的な女性像であろうと取り敢えず予想を立てていた加賀は泣きそうになり、それでも好きな男の人と紛いなりにも一夜を共に出来たことに対する嬉しさもあり、内面の悲嘆と歓喜の食い合いとで変なことになっていた。

 

「加賀さん、昨夜はお楽しみでしたか?」

 

「…………赤城さんは、提督が帰ってきたことを知っていたの?」

 

「午前零時に帰ってきたので、一応は」

 

午前零時に帰ってきた。

自分が寝たのは午後十一時くらいで、いつもの自分ならば午前一時くらいまで起きている。

赤城もそれを知っているし、よりによってこの日に、しかも他人の寝床で早寝してしまうなど想像もしていなかったのだろう。

 

「……えーと、提督が自室に行って二時間経っても加賀さんが帰ってこなかったので『そう』だと思ったんですが、違います?」

 

「…………」

 

深夜に男性が帰ってきた。

自室で好きな女性と鉢合わせになり、その好きな女性もその男性のことが好きである。

好きな女性は帰ってこなかった。このことから予想される情景は一つしかない。

 

それに対する沈黙に含まれた重さと後悔を、赤城は見逃さなかった。

 

「……え、もしかして、加賀さん寝てた、とかですか?」

 

「…………」

 

自分が想像した情景が起こらなかったとなると、加賀が即行で提督の寝床で寝ており、提督がそれに遠慮して床かソファーかで寝た、ということが考えられる。

 

「……一緒には、寝ました。たぶん」

 

「記憶は?」

 

「……ありません」

 

赤城がそのヘタレ可愛い答えから、ふと連想したのはつい数年前までのことだった。

提督という存在が持つモラルの平均値が今とは比べ物にならない程低く、その低さが普遍化していたあの時。

 

風評と上層部からの扱いによって人間というものが信じられなくなったこの鎮守府の艦娘たちは、基本的には何も悪いことをしていないはずの提督すら『人間だから』ということで一括にして警戒し、恐れ、決して寝姿などは見せなかった。

 

寝る時も二人か三人で眠り、決して熟睡はしない。

 

加賀は低血圧であり、朝に物凄く弱いことから、当時四人しかいなかった空母組の艦娘たちは加賀を囲むようにして寝た。

それほど彼の加賀に対する好意は隠そうとしても明白であり、他の三人にとっては阻害すべきものだったのである。

 

当時はその見目麗しさと戦争に対する絶望感や、真反対ながら勝利による高揚、適性があるからといって望まぬ戦いに駆り出されたという不満が艦娘に叩きつけられた時代だった。

 

いつそうなるかわからない、ということで加賀を一人にはさせなかったものだが、提督は今に至るまで一切そのようなことをしないでいる。

 

(提督は意志が強いのか、それともただ単に臆病なのか……何にせよ、面白い人ですね)

 

彼女にはどちらかは、わからない。

赤城の疑問に答えるならば、どちらも正しい、と言えた。

 

提督は変なところで意志が強い。そして、相当ビビりなところがある。

 

辞めたい辞めたいと言って、本気の九分目まで行って戻ってきてしまうのも、その意志の強さから発した責任感と不安感によるところが大きい。

 

無理矢理食べようとする者も居るし、据え膳に箸を伸ばせない提督のような人も居るのだ。

こんなことを言ったら加賀がムッとしそうなものだが、忠誠心の対象と反抗心の対象が同一でありながら異なっている彼女の気持ちが破断しないように、赤城はせっせと世話を焼いている。

 

本当に、加賀の内面には犬めいた忠誠心と狼めいた強烈な反抗心が共存共栄を計れている以上、彼女の『嫌いな物に対しては際限なく辛辣に、冷酷に、好きな物に対しては際限なく甘くなる』という特性が深く根付いていることに関して疑いようはない。

故に未だ、根本的な解決は計れないままだった。

 

「……少し恥ずかしさがマシになってきたので、ご飯を作りに行ってきます」

 

「行ってらっしゃい」

 

サラシを巻き、いつもの艤装を身に纏う。

物凄い動揺状態にあることは変わりないにせよ、加賀は真面目なところは変わらなかった。

 

せかせかと脚を動かして厨房へ踏み入り、自分専用となりつつある一角に立ってご飯を作る。

 

提督のご飯を作り、あたかも食堂でとってきたかのような挙措で渡す。

その事をひたすら繰り返してきただけに、加賀は多少の動揺をものともしないほどの技量を身に着けていた。

 

「……まあまあ、かしら」

 

少し味見をし、自分の分と提督の分とを器用に片手で持って提督の部屋と進む。

三回のノックのあと、加賀はドアの隙間から顔を出し、ごろりと寝転がっている提督をチラリと見た。

 

まだ、恥ずかしい。どういう形で一緒に寝ていたのかはわからないし、知るのが怖い気もする。

だが、どんな形であれ好きな男の人と一緒に寝てしまったということに変わりはない。

 

「はいは……」

 

「……ぁ」

 

上体を起こして応対しようとした提督と、入ってきた加賀。

目と目が合い、殆ど同時に左右に別れた。

 

提督は、知らなかったとはいえ加賀を抱き枕にしてしまったことに罪悪感があり、加賀は提督と寝てしまったことに顔から火が出そうな恥ずかしさがある。

 

「……どうも」

 

「……いえ」

 

渡してきた食事を卓袱台にまで運び、座布団に腰掛けて箸を持つ。

その正面の座布団に加賀がぽすん、と腰掛けた。

 

「加賀さん、ここで食べるの?」

 

「……いけない?」

 

「あ、いえ」

 

恥ずかしいけど、一緒に居たい。

ものすごく恥ずかしいけど、一緒に居たい。

 

いじましい程の恋慕が、加賀を微妙に積極的にしていた。

 

「…………」

 

「…………」

 

暫くの間、二人は互いをチラチラ見ながら無言で箸を動かしている。

これは会話の糸口を掴もうというのもあったし、何となく見てみたいから、というのもあった。

 

その五回目のチラ見の末、提督はあることに気がついた。

 

「……あの、提督。何か?」

 

胸を見つめられている。

幾ら機微に疎いところがある加賀でも、よく視線が突き刺さる部位に対するセンサーは鋭敏だった。

 

それが好きな人からの視線ならば咎める気にはならないが、より一層気になることも確かである。

 

「加賀さん、胸小さくなった?」

 

「…………それは、その」

 

寝ている時にパットを仕込んでいるとは思えないし、起きた時に感じたあの柔らかさと温かさは紛れもなく本物だと断言できた。

 

彼は、昨夜から今朝に掛けて加賀の実際豊満な胸部装甲に顔を突っ込むまで、女性の胸に顔を埋めた経験がない。しかしながら、あれはパットではないことくらいならば、わかる。

 

このセクハラでしかない問いを投げられ、加賀は真っ赤になって硬直した。

寝ている時に素のものを見られたことが、ここで確定したからである。

 

(将来的には見せることになるのだからセーフと、そう考えましょう)

 

いつまでもサラシで誤魔化せはしない。共同生活を営むことになれば、確実に見られる時が来る。

 

(……見せることに、なる)

 

自力でフォローしたつもりが思い切り自爆してしまった形になった加賀は、顔を更に真っ赤に染めた。

急激に体温が上がり、腕に艤装たる飛行甲板の輪郭が現れ、消える。

 

元々の艦艇としての特色が如実に現れ始めてしまう程に動揺しまくった加賀は、顔を俯かせながらもじもじとこぼした。

 

「その、サラシを」

 

「え?」

 

その疑問がポロリと出た形になるが、提督はこれを言ったあと相当後悔した。

その後悔も、このかなりの沈黙と聴き取りにくい加賀の小声で一瞬吹き飛ぶ。

 

「さ、サラシを……」

 

「サラシを?」

 

彼は聴き取りにくい言葉には、すぐさま聴き返してしまう質であった。

 

「……さ、サラシを巻いているので、小さくなっているの」

 

「な、なるほど」

 

湯気が出始め、艤装がチカチカと浮き出し始めた加賀の顔は、俯き気味なので全く見えない。

声と表情にあまり感情が出ない彼女が出そうともせずに艤装をチカチカと浮かせ始めてしまうというのは、怒っているか恥ずかしがっているかのどちらか。

 

それを読み取れた提督は、一先ずお茶を濁して口を閉じる。

 

(……よく考えなくとも、今のはセクハラだな)

 

ブラック世代の提督でありながら、セクハラ・無理強い・強権発動をしない主義である提督は、冗談混じりのセクハラならばともかく今回のようなストレートなセクハラをしたことはないと、多分思っている。

 

「加賀さん」

 

「……はい」

 

「俺、君にセクハラしてる?」

 

「私は気にしていません」

 

提督がブラック世代のアルアル三条を順守していたら加賀は提督のことを好きになっていなかったであろうが、完璧に熱を上げている今となってはそのアルアル三条を順守して欲しい気も、する。

 

故に加賀は時たま、フィギュアを作られたり、胸と足に関して視線によるセクハラを受けているが別に咎めることはなかった。

 

他の艦娘にセクハラめいたことをしたら、流石に寛容な加賀も嫉妬で折檻せざるを得なくなるのだが、自分の身体を触られるくらいならば普通に許してくれる程度には寛容だった。

 

「つまり、してるんだね?」

 

「セクハラとは受け手側の認識によって成立することが殆どなのだから、気にする必要はありません」

 

自分の身体ならばお触りオーケーという免罪符に耐え難い誘惑を感じながら、提督は思わずそっぽを向く。

 

美味しいはずの食べた料理の味が、全くわからなくなっていた。


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