提督と加賀   作:913

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三十二話

「―――では、提督は北条中将が必ず先頭に立たれると言うのですか?」

 

「そうだ」

 

扶桑の問い掛けに静かな声色で言葉を返し、那須隆治退役中将は頷いた。

 

「お言葉ですが、今の海軍でそれほどの気概を持つ者は居ないのではありませんか?」

 

「居るわよ、大和」

 

新造艦にすら断言される程に堕落した海軍の現状を脳裏に浮かべて悩みつつ、那須隆治退役中将は扶桑の言葉に驚きの色を隠せない大和を諭すような口調で説明を始めた。

 

「北条氏文中将閣下と、南部信光中将閣下と、私と。三提督と称された私たちは、功績と才能に差があれど一様にとある誓いを守ってきた。

否、一人がやってきたことに感化されてやり始めたと言うべきか」

 

「何を、ですか?」

 

「陣頭指揮、だ」

 

それは、まだ前期艦娘破棄令が出される前。アメリカの救援に赴くべくミッドウェー島へと侵攻した時の、こと。

 

「我らは、大本営に対して疑念を抱いていなかった。指示には従ったし、扶桑が指揮官を載せるタイプであることを知っても何ら思うところはなかった」

 

苦いような口調で、那須隆治退役中将は呟く。

 

「馬鹿なことだ」

 

ミッドウェー救援作戦。件の減らぬベット・国家の威信を賭けた作戦であり、前期型の艦娘が数多く沈んだ自滅戦。

その中盤は彼と南部中将の艦隊であり、北条中将は今となっては狂っているような『加賀、ビスマルク、赤城、蒼龍、飛龍、木曾、鈴谷、矢矧』という最強チームを基幹とした新造艦隊を率いて先鋒を形成していた。

 

この戦いの負け方は、非常に単純である。

 

進み過ぎ、艦娘たちの疲労を無視して進んだ結果、案の定負けた。これに尽きる。

 

「……我々は、うまく言い包められた。いや、従う他に選択肢を選択できるほどの勇気がなかった」

 

「提督……」

 

元々民間人である彼等は、『軍のことは専門家に』と言う気風が強かった。故に、態々危険な現場にでて行く北条中将を大本営の言う通り『ただの死にたがり』や『功績と名誉欲しさの目立ちたがり』程度にしか思っていなかったのである。

 

道中で、彼は何回か連絡を入れて撤退を進言した。

 

『無理がある』、と。

 

だが、大本営は通信回線を切ることでこれに報いる。

つまり、お前の進言など聴く価値無し、と間接的に言ったのだ。

 

しかし、事態は回線を切って二日後に急変する。

別働艦隊が本土に迫り、ミッドウェー方面でも敵泊地を分割攻略していた遠征艦隊に大攻勢が開始されたのだ。

 

大本営直属の第一・第二・第三艦隊の通信が途絶する中、大本営が回線を繋いだのは彼のところであった。

 

どうなっているのか。

何故報告しなかった。

艦隊を引っ返させろ。

 

身勝手過ぎる命令を投げた大本営に対し、彼は恐ろしく落ち着いた様子でこう返した。

 

『貴官等は、過去の専門家であっても未来の専門家ではないようですね』

 

『こうなるように何度も進言し、出兵にも反対しましたが、今更とやかく言うつもりはありません。一隻でも多くの味方を逃がすべく一瞬でも長く踏み止まって引き付けますので、一刻も速く退却命令を』

 

『味方艦を一隻でも多く逃がす。限界まで踏み止まって戦おう』

 

皮肉からはじまって令下の艦隊への訓示で終わった通信から一ヶ月後、最も後方に居た艦隊が帰ってきたのを皮切りに、幾ばくかの損害を出してはいたものの中盤を構成していた艦隊が戻り、そして。

 

主要なところでもビスマルクは御自慢の対射撃アーマー―――バリアとかシールドとか障壁とか言われているアレ―――を残り一割まで削り取られ、加賀は艦載機を半分まで撃ち減らされ、赤城は中破、蒼龍は大破。飛龍は小破し、木曾は魚雷発射管を全て破壊され、鈴谷は飛行甲板を完全に砕かれ、矢矧は砲と名の付く物を全てと魚雷発射管を一機残して全て破壊されてはいたが、轟沈はしていなかった。

 

他艦艇もまさに満身創痍といった言葉がぴったりな幽鬼の如きやられっぷりであったが、喪失艦が一隻も出なかった辺りに彼は北条氏文の凄みを感じている。

一隻も失わせない為に立てられたであろう作戦、低速且つ故障揃いの艦艇を一隻も落伍させない艦隊運動の巧妙さ、芸術的とすらいえる砲火の一点集中運用。

 

そして、それを容れて束ねる統御の才。

 

「艦隊の損傷率は六割だが、彼の艦隊は損失率ゼロで帰還した。大本営は歓迎よりもどうにか敗戦の責任を誰かに擦り付けようとすることに心を砕いていたが、彼が傑物であることに変わりはない。

頬の向かい傷もその時に出来たのだろうな。あれ以来彼の旗艦であるビスマルクは損傷という損傷をしていないわけであるし」

 

「ですがその時は佐官だった筈。将官となって名誉と地位を手に入れたこと、更には基地と方面軍を指揮していることから考えても、今更前線に出てくるということはわからないのではありませんか?」

 

「彼は『何故陣頭に立つのか』と聞いたとき、言った。『自分の命令・責任において戦わせておきながら己だけのうのうと後方にいるわけにはいかない』、と」

 

静けさに包まれた樺太泊地で、那須隆治退役中将は両手の組み合わせながら厳かに舌を動かす。

 

「彼には動かないでもらいたい。が、そういうわけにもいくまい。そう言った場合は、こちらも潜在的な同志だからと言って手加減することはできない。旗艦を沈める気で砲火を集中。これを退けよう」

 

最も危険なのは、彼の名将のブレインたる加賀である。

次点では旗艦であり、優秀な戦術家でもある最強の矛・ビスマルク。その次は命令を全体に行き渡らせるため神経というべき矢矧だろうか。

 

全員集合とまではいかないし、航空戦力も充分とは言えないだが、日本の危機を幾度となく救ってきた巨人は矛と自由且つ機敏な四肢を振り回して襲ってくる。

 

「これは諸君らの望む敵ではないだろうが、どうか私に力を貸して欲しい」

 

「それは今更ですよ、提督」

 

「すでに退役されていた提督にご出馬願ったのは私たちです。どこまでもお伴致します」

 

にこやかに、されどどこかに悲壮と儚さを込めて頷く扶桑と大和を見て、男はわずかに軍帽を引く。

 

照れているような、泣いているような。それらの弱さを彼女らに見せ無いように覆い隠すような一動作だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方、敵からも味方からも危険視されているこの男は、酒を傾けながら私室の三面通信機の真ん中の面に加賀との回線を繋いだ。

 

「加賀さん、聞いてくれよ」

 

『……いいけれど』

 

矢矧と言うほとほと裏方仕事に適正のある実務家がそれはそれは形式的粉飾を一片も施さない―――つまり、甚だ日本らしくなく読みやすい報告書を上げてくれているために艦隊の調子・練度は彼の頭に入っており、その矢矧ら元配下たちとコミュニケーションをとっているビスマルクからも士気と戦意の高揚ぶりは知らされている。

 

一方で、加賀は決して暇ではない。督戦・練成・遠征・事務の全てを行っている為にてんてこ舞いであり、提督四人分くらいの効率で提督十人分の仕事をこなしていた。

 

「……あ、今暇?」

 

『相談に応ずる時間なら作れているつもりだけれど』

 

遠征に行っていて、離れている。

話し掛けるにも一手間二手間掛かり、側にビスマルクが居るのに相談は自分にされている現状に、加賀は心で小躍りする程の嬉しさを感じていた。

 

普通ならば『ただでさえ仕事が多いのに愚痴など聞いていられるか』と言う怒りを抱いても無理はないところであることを考えれば、彼女の恋慕の深さはやはりどこか常軌では測れないところがある。

 

「大本営はさ、君たちの間で同士討ちしろって言ってるんだよ?」

 

『はい』

 

「俺が折角ない頭使って戦わないように考えたのに、艦隊決戦で勝つことに意味があるんだと」

 

『愚者は面子に、智者は実に拘ります。賢者はどちらも取りますから、貴方は智者に留まって賢者ではありません。が、愚者ではないというのは喜ばしいと思います』

 

遂には存在そのものを無視するようになった加賀は、自分が考えたようないやらしい作戦を聴き、首肯した。

 

『貴方の発案ですか?』

 

「加賀さんならこうするかなーって思っただけ。まあ、実質は加賀さんのレプリカ作戦ってとこかな」

 

『他人の作戦癖を踏襲しているとはいえ、貴方はただの戦下手ではありません。私でもそう提案したでしょうから』

 

ホログラムと言うか、なんというか。周囲の懐かしい執務室の景色ごと映し出された加賀の顔が少し曇る。

顎に手を当てて何かを考えるその姿は、如何にも有能な印象があった。

 

「で、那須隆治退役中将が指揮を取った海戦を全て纏めて圧縮したデータをそちらに送ったんだけど、どうかな」

 

『……善く纏められています。貴方は常に主観を貫く頑固さに欠けますが、寧ろそれが明度と透度を高めていると言えるでしょう』

 

仮想敵がわかった瞬間から一応と言う形で纏めていた情報を抽出・圧縮したデータから、加賀に個癖を読み取ってもらうのが彼の目的であり、万が一の時の勝算だと言える。

 

その勝算を導くための問いは彼が玉石混交の情報の海から用意せねばならないが、加賀が解いてくれるならばその苦労は問題にはならない。

要は、目の前の敵と戦わせなら殆ど負けはないビスマルクの用兵の巧緻さを台無しにする不確定要素を減らす為の苦労だった。

 

『那須隆治退役中将は、敵を包囲する時には別働隊を以って繞回運動させる選択をします』

 

「それは、何だ。当たり前じゃないのか?」

 

『包囲に失敗したように見せかけ、別働隊を以ってこの任に当たらせるということです。これは一度も行われていませんが、見る限りでは彼は今回の戦いを誘発したように思われます。つまり、夜戦での攻撃に負けて退いた時の追撃行為が不徹底でした』

 

とっておきの罠に誘い込むために、一気に戦力を釣ろうとしていたのか。或いは殲滅を好まなかったのか。

 

「では、どうする?」

 

『泊地ALの一個艦隊か、貴方の直卒艦隊を、或いは大本営直卒艦隊を二個。他の鎮守府のものであれば四個艦隊を別働隊に対する邀撃部隊としてその場で編成。敵繞回部隊を砕き、逆包囲を試みればよいでしょう。まあ、先に挙げた二者以外に出来るとは思いませんが』

 

「その場で編成ってのは、無理があるだろう。戦いってのは相撲みたいに『組み合って、逃げて』ってのが出来ないんだからさ」

 

『それくらいしなければ騙せません。提督は敵をそれほど甘く見られますか?』

 

ぐうの音も出ない程に完璧にのされた提督は、わかりきったことを口にする。

 

「甘く見てはいない。だが、それじゃ防ぎようがないじゃないか」

 

『戦術レベルの勝利が戦略レベルの敗北を覆せないように、総司令官の無能は現場が如何に奮闘しようとそれを補えないのです』

 

「でも、戦略レベルでは勝ってるよね?」

 

『待つような忍耐と知恵があれば勝てます。つまり、有利なだけですね』

 

ダメか。

ダメです。

 

そういうことになった。

 

「と言うような感じで終わるわけにもダメじゃないかね。何とかならないかな?」

 

『なります』

 

「おお、どうやって?」

 

『総司令部が爆発事故で地上から消えます。各鎮守府司令官も地上から消えます。とっても残念なことです』

 

この時点で嫌な予感しかしなくなった提督の判断力は、極めて真っ当であると言えた。

何せ、いきなり敗因が爆発四散してこの世からサヨナラしているのである。

 

『そこで、序列的な証拠と権利を示しつつ泊地ALの南部中将と貴方とで指揮権を引き継ぎます。練度の低い部隊を盾にしてそこから各精鋭艦艇の主砲で攻撃すれば勝てるでしょう』

 

「それはできないな」

 

『知っています。だから無理だと言いました』

 

囲炉裏からドライアイスへ、そしてまた囲炉裏へ。

変遷の激しい加賀の雰囲気に目を白黒させながら、提督は軽くため息をついた。

 

「無理?」

 

『無理です』

 

「勝てない?」

 

『勝てません』

 

「奇跡とか?

起きちゃったり―――」

 

『ないです。そもそも戦う前から運任せにするあたり、貴方も理解しているのだと思うけれど?』

 

結果。現場の悪戦苦闘に期待する。

一応の忠告を得た後二時間ほど雑談し、加賀との回線は切れた。

 

 

 

 


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