提督と加賀 作:913
「うちの鎮守府って、ひょっとして豊かな方なのかな」
魔王城を思わせる複雑怪奇な要塞めいた艦橋と、艦娘がつけているデフォルメされた砲とは比べ物にならないほど巨大な砲塔。
全長251メートルという世界でも屈指の巨体を誇る戦艦ビスマルクの甲板で、三人の男女は机の上に置かれた色とりどりの料理を摘んでいた。
「Admiral、それは今更というものよ?」
「あ、そうなの?」
「他の鎮守府では燃料弾薬等の資材を用意するだけで精一杯、ということが多々あります」
円形のテーブルの三方を囲むようにして会食に勤しむ三人は、豪華客船の船上パーティーに招かれた客ではない。
人類を守る為に生まれたということになっている艦娘と、その艦娘を強化・運用することのできる提督と呼ばれる男である。
烏のような濡れ羽の髪を括ったサイドテールが愛らしさを、琥珀の目が怜悧さを感じさせる加賀は、嘗て南雲機動部隊の中核を為した精鋭・一航戦の片割れ。
黄金を溶かしたような見事な金髪を流したロングの髪と少しつり気味の碧眼が気の強そうな印象を与えるビスマルクは、敵から嬲り殺しの如く四百発の砲弾を叩き込まれて尚撃沈されることなく自沈した、誇り高きドイツ第三帝国最強の戦艦。
黒髪にどこか温和そうな眼差し、採点すれば七十点と言ったような風貌に頬の向かい傷が歴戦の味を出させている男は、北条某。階級は中将。公的には世界屈指の戦略眼を持つ名将ということになっている、天然物の補給の巧者であった。
「へぇ……まあ、一人で鎮守府回すのは難しいもんね。わかるよ」
「補給に関しては貴方が一人でやっているのではなくて?」
「そりゃまあ、それくらいしかやることないからね。あと、飯は旨い方がいいし。でも、イマイチ有り難くない感じが凄い」
世は太陽などの自然エネルギーを活かした自律型の無人機全盛期。大規模な補給線を構築するなどという思想は一世紀ほど前に忘れ去られ、有人兵器は性能を重視した一部の大兵器のみ。
つまり、暴走したらまずい兵器に人が乗り込み、大抵は無人機。これが現代の対人戦争だと言える。
故に、補給はほとんど不要だった。その気になれば何時でも基地に帰れるし、そもそも大国同士での戦争がないから有人の大兵器に出番がなかったのである。
「補給は大事なことよ、Admiral。現に、バルバロッサ作戦で充分な補給があれば我が第三帝国も憎きソビエトを斃せていたもの」
補給線をズタズタにしてもあまり応えた様子のない敵を干殺しにしたその手腕は褒められてしかるべきだが、哀しいかな。この国にとっての名将は寡兵で雲霞の如き大軍を撃破・翻弄する手腕に優れた者。
加えてこの世は今、前述したように無人機を操る戦術シュミレーションの成績が評価の過半を占める時代だった。
彼のような『補給線を切って、干乾びたところを大軍で潰そうぜ』というソビエトめいた思考は『狡い』『汚い』『時間の無駄』という有り難い評価を頂戴することになる。
「いつも加賀さんは『補給は大事』って言ってくれてるけど、兎に角地味だよね、兵站。他の鎮守府がぶん投げる気もわかる気がする」
「でも、ぶん投げた鎮守府の末路は壊滅でしょう?」
ベーコンをふんだんに使った石窯ピザに半熟卵を載せたビスマルク風ピザを一切れ咀嚼し、貴族の令嬢を思わせる優雅さで彼女は昼からワインを飲んでいる提督に問いを投げた。
嘗て突出して進撃し続け、『好き勝手動いても途切れない』という驚異的な兵站運営の手腕の有り難みを実感しただけに、戦術的な眼しか持たない彼女の補給線への執着は根強い。
本国ドイツに帰った際に『世界屈指の名将の指揮を受けた艦娘として、学ぶべき戦略・戦術はありましたか?』と聞かれて、彼女は『そんな物よりも兵站が凄まじい』と答えている。
このようなこともあり、提督が輸送船と速吸ら補給艦を運用し、適切な場所と予想される進路にドシドシ物資を運ぶ姿は、寧ろ友邦ドイツで大きく評価されていた。
「伸び切った兵站線をつかれたことは幸いにしてありませんが、それに近いことをされて前線部隊が壊滅するのは茶飯事です」
「何で学ばないんだろ」
「馬鹿だからでしょう」
相変わらず嫌いな物に対してはドラアイスの如く冷たく、辛辣に過ぎる加賀の評価に提督は首を傾げる。
馬鹿が馬鹿やってたらこの国はとうに滅んでいるのだから、一概に馬鹿と言い切ることはできまいと言うのが、彼の思案するところだった。
「正面切って戦ったら勝てているから、とかじゃない?」
「…………かもな」
フランス産のワインに舌鼓を打っていたビスマルクは、嘗て自分が陥っていた錯誤を口にする。
正面切って戦ったら勝てると言うのは、言い訳として有りがちだった。
裏返せば『正面切って戦わねば勝てない』ということに目を向けないことがかなりあるのである。
まあ、実際正規教育を受けたものは正面切っての戦いに強いから、本当にわからなくもないのだが。
「それはわからなくもないけど、俺はそもそも正面切って戦いたくないんだよね」
「極めて妥当な考えです」
「私も正面切っての戦いに憧れはあるけど、確実な勝ちを拾っていくべきと言う理性はあるわ」
同僚に聞かれれば一笑にふされる言葉に肯定が返ってきたことに満足しつつ、提督は手元のワインを飲んだ。
深みのある味と、芳醇な酸味。最高級のフランスワインだけあって、それは舌が歓呼の雄叫びを上げる。
「ワイン、旨いな」
「やっぱりワインはフランスよね……」
無言でコクコク飲んでいる加賀に代わり、相変わらずの無邪気さと気品のない混ぜになった独特の雰囲気を纏ったビスマルクが応えた。
傍から見たら完璧に飲酒運転であろうが、彼女にとっては戦艦ビスマルクを動かすことは自分が歩くことと同義である。
つまり、酩酊ないしは泥酔しない限りは運航に支障は来さなかった。
「それにしても、何でまた急に演習だったのかね。近場に居た二航戦はともかく、木曾とか鈴谷とか神通とかも呼べってのはイマイチ解せん」
「戦力の把握ではないでしょうか。敵味方の戦力を正確に把握することこそが、戦いの第一歩ですから」
ビスマルクのまなじりがピクリと動き、彼女は気ぜわしげにワイングラスを回して中の赤紫の液体を撹拌する。
自分に対して含まれた意味と、提督に対して含まれた意味。
これが大きく違うことが、聡い彼女には解っていた。
「大規模な作戦でもあるのかしら?」
「わかりません。ですが、備えておいて損は無いと考えます」
探りを入れ、返ってきたのは巧みな言葉。
決して棒読みではないが感情の起伏を感じさせない平坦な発声は、人をすぐ信じる質な彼から本意を隠すには充分なものであろう。
となれば。
「なら、そろそろ私は水面警戒に戻ろうかしら」
「折角のワイン、飲んでかないのか?」
「一応これも私の一部な訳だから、喰らったら意外とキツいのよ」
少し不審気に問いを投げる提督に、戦艦そのものと言う完全に展開した状態となった己の艤装をヒールで叩き、身を翻す。
いつ何処でも、比島鎮守府の領海内に入らなければ危機は去らない。
蒼龍・飛龍が木曾や鈴谷、神通からなる護衛艦隊に守られて一足先に帰ったのはなぜだろうかと思っていたが、道理で。
聞かされてから妙に得心といった己の不明さを恥じつつ、ビスマルクは食事会場となっている甲板を後にした。
彼女の本国は、守りに徹していることもあって基本的にこのような内輪揉めが起きない。
故にビスマルクが『本国』と言うものに疑心を抱くという心得を持っていないのは当然だが、此処は日本。
(慣らしておくべき、ということね)
そんな風に独りごちつつ、彼女は帽子についたレーダーで海中・海面を探り始めた。
その頃。
「行っちゃったよ」
「仕事熱心なのは良いことです」
内心を悟れる妖怪が居たならば、『どの口が言うか』というところだろう。
腹黒いと言うわけではないが、二重人格を思わせる内面の適宜な豹変こそ彼女の強さの源であった。
「私も少し中座します」
「じゃあ、俺も」
三人が三人とも中座した末に向かった先は、管制室、私室、通信室。
ビスマルクは警戒に、加賀は私的な連絡手段を使いに、提督は分艦隊の司令官たちに連絡をしに中座したのである。
『はい提督、何ですか?』
「第三分艦隊に繋いでくれ」
『了解しました』
比島に構えた鎮守府とは別な、ボルネオ島の補給基地。そこの司令官であり、通信の中継をする役割を担っている大淀に提督は一先ず通信を入れた。
大本営にも、大淀は居る。ボルネオ島にも、大淀は居る。
違いは眼鏡の弦の色くらいであろうが、能力はかなり違っていた。
この大淀は、謀略とか駆け引きとかが苦手な代わりに管理能力に秀でる。
大本営の大淀は、この大淀が苦手なことに優れる。
任された職掌に適応する形でこうなったのであろうが、なんとも雰囲気が違っていた。
具体的に言えば、主席の女学生と敏腕のオーエルくらいには違っていた。
『何だ?』
「木曾、今いいか?」
『まあな。退屈じゃないけど、暇ではあるぞ』
木曾には雷巡全てと軽巡数隻、二水戦などの水雷戦隊―――即ち、夜戦火力を豊富に保有する戦闘集団を指揮下に置いている。
常に直卒の艦隊は二水戦ら護衛の任を免除された戦闘集団だけだが、船団護衛に割り振られる駆逐隊なども彼女の管轄であることを加味すれば、木曾は最大の数を持つ部隊の司令官であると言えた。
「加賀さんが艦艇配置を変えたんだけど……確か、君は参謀資格持ってたよな?」
『ああ。それ程練成したわけでもないけどな』
「なら、これを見て『どこからの敵を想定しているか』ってのは、わかるか?」
通信用のホログラムに映し出された木曾の秀麗な顔が曇り、眼帯をつけていない方の眼が僅かに閉じられる。
顔の良い奴は何をやっても格好いい。
そんな世の無常をヒシヒシと感じながら、提督はホログラムを見続けた。
『北方……台湾のあたりと、トラック・ラバウルの辺りだな。西部戦線は叩いたから、本土への北方航路を護るってとこか、或いは―――』
「腹を割って話そう。俺と君の仲じゃないか」
言葉を濁そうとした木曾の台詞を遮り、信頼していることを強調して真実を求める。
自分のできることとできないことを明確に分けた、如何にも彼らしい言一手だった。
『……本土への警戒だろう』
「そうか」
僅かな嬉しさのようなものを見せた木曾の男前な相貌から目を逸らし、提督は少し考え込む。
彼としては、本国とことを構えたくはない。正直なところ、彼は生き残る為の戦力をこれ以上磨り減らす訳にはいかないと考えていた。
だからこそ、集中して運用する為に自らが育てた練度の高い艦娘に大本営への移籍を奨めたのである。
『純粋に軍事的な面で言うなら、加賀はことを構える気はないと思うぞ。あれは強かな戦略家だ。完全に潰す気なら演習で大勝する必要は無かった』
「うーむ」
『やっぱ、歪な力関係を正常な枠にそのまま当て嵌めようとしたら歪むもんだろう?
つまり、この演習で示したのはそういうことじゃないのか?』
制海権の拡張には貢献する。指示もある程度聞くが、介入は許さない。
見棄てられたことは忘れていない。だが、必要に応じて協力程度はしてやってもいい。
だいたいが、そんなところであろう。
「なるほど」
『俺が口を出すことじゃないかもしれないが、加賀はあれで心配性な奴だ。何を選ぼうがお前に心理的な負担が掛かるからって黙ってんだろ』
「まあ、そこのところは気にしてないさ。でも、責任取るときに何やってたかくらいは知ってなきゃダメだろ?」
『そんなことにはさせないさ』
不敵な笑みを浮かべる男前な木曾を見て少し笑い返し、提督は改めて部下に恵まれたことに感謝した。
自分が勝手に庇い、勝手に孤立した。その責任は己が取るべきだが、それを何とかしようとしていれている。
「わかった。これからも頼りにさせてもらうぞ、木曾」
『俺が出来ることなら何だってやってやるよ』
身も心もイケメンな木曾が安心させるような微笑を浮かべ、やけに板についた海軍式の敬礼を行う。
返しとばかりに答礼を行い、ホログラムは溶けるように霧へと還った。