提督と加賀   作:913

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二十二話

「……あー、日本っていいわ」

 

加賀とビスマルクの護衛という名の追跡を振り切り、提督は悠々街に繰り出していた。

彼は、自分が狙われていることなど毛程も感じていない。兎に角、無防備且つ余裕綽々なところがある。

 

足に踏みしめる日本の土―――というか、アスファルト。

 

二航戦や木曾や鈴谷をわざわざ招いて二週間に渡って繰り広げられた演習も殆ど完全な勝利で終わり、提督や艦娘たちには各鎮守府日替わりで一日の休暇が与えられていた。

 

「ん?」

 

ふと目を路地に向ければ、群がる大人と中学生くらいの餓鬼。

持ち前の俗物的な野次馬根性で、彼は軍服のままフラフラと向かう。

 

人混みに流されながらもゆらゆらと入っていくと、一人の美女が無表情なままに焦っていた。

 

雪のように白い髪、燃えるような紅い眼に映える黒いセーラー服めいたワンピースと、騎士鎧のようなゴツいブーツ。

そして、目を惹くサイトポニー。

 

「あッ!」

 

深海棲艦め、化け物めと叫ばれ、石を投げられている彼女に駆け寄り、手を引いた。

紅玉の目が驚きに見開かれ、ゴツいブーツがガシャリガシャリとぎこちない音を立てて追従する。

 

どこかのドラマの逃避行のような光景に、今まで彼女を囲んでいた暴徒たちは一瞬呆気にとられた。

 

そして。

 

「追え!」

 

ガシャリガシャリと言うけたたましい音は、目立つ。音まるだしの追跡など、彼等からすれば簡単に見えた。

 

「こっち」

 

いつどこで把握したかわからないほどの迷いのなさで、提督は歩行する度にガシャリガシャリと五月蝿い彼女を小路地に押し込み、更に逃げたところで留まる。

隠れた小路地の角から顔を出して暴徒と共が過ぎ去ったことを確認し、提督は自重気味にガシャリガシャリとブーツを鳴らす彼女を引っ張り出した。

 

「危なかったね」

 

「……」

 

何処かで見たことのあるジト目をはち切れんばかりの歓喜を湛えた眼差しでジーッとこちらを見てくる彼女を、提督は暫し呆然と見つめた。

 

どこがとは言わないが、実際豊満である。ロケットなんちゃらとはこのことであろう。

 

そこまで考え、提督は冷静に現状を俯瞰した。

 

実際豊満な何やらを持った美人を、小路地という名の暗がりに半ば無理矢理連れ込む。

これを人は、誘拐未遂或いは強姦未遂と呼ぶ。

 

「……あの、俺のこと憶えてる?」

 

ここで、助けてもらったんだけど。

 

ナンパの定型文の如き言い訳を紡ぐべくそう続けようとして、提督は思わず押し黙る。

 

彼女の紅玉の瞳からは、ポロポロと水滴が零れ落ちていた。

 

「ずっと」

 

「はい?」

 

「ずっと、憶えていました」

 

涙声のままに漏れた声は聴き取りにくく、その感情だけがナマに伝わる。

相変わらずの流暢な日本語には、無限の寂寥と恋慕がこもっていた。

 

無論、提督にその恋慕の情はわからない。彼にはただ、圧倒的な寂寥感と愛らしさがダイレクトに伝わっている。

 

異形の生を身に宿した美女と、異能の力を身に宿した男。

片方はそれに気づき、もう片方はそれに気づかず、二人は『泣き止んだから取り敢えず』と言った感じで小路地から出た。

 

「アルビニズムの人だからって、何が悪いってわけでもないのにな……」

 

「……」

 

先天性色素欠乏症、通称アルビノ。元から発症率の低いこの症状は、『深海棲艦と似ている』というただそれだけの理由で迫害の対象となっていた。

彼等彼女等が何をした訳でもない。ただ、似ているだけである。

 

深海棲艦が揚陸してきたり海岸から砲撃をしてきたりして直接的な被害を被った地域でなら、百歩譲ってもわからなくもない。僅かとは言え似てる点があるならば、怯んでしまう気持ちもわからなくもないのだ。

 

しかし、直接的な被害を被っていない内陸部でもより苛烈に迫害の対象となるのは、どうか。

何もされていない訳ではないだろう。しかし、何の罪もない人を『似ている』という理由だけで蔑視するのは、如何なものか。

 

彼は、アルビノの迫害を知ってから私財を投じて積極的に彼等彼女等を比島に誘致してきていた。

比島に住む人々には、アルビノに関して差別的な思考を持つものが少ない。

 

何せ本土から隔離されている上に、実質的な最高権力者である提督が『アルビノは何も悪くないよ』と言っている。

周りに流される日本人の気質を巧いこと利用し、彼は比島を駆け込み寺のように運営していた。

 

「あの時は、どうもありがとう」

 

「いえ」

 

サイドポニーテール、デフォルトジト目、あと実際豊満である胸部装甲に、細身ながら肉づきのいい太腿。

 

加賀にどことなく似ている彼女は、口調までどことなく似ていた。

 

「もしよければ、名前。教えてもらってもいい?」

 

「…………」

 

相変わらずの無意識的にナンパめいた単語選択で、提督は命の恩人の名を問うた。

沈黙が紅玉の眼が暫く泳ぎ、握られた手に力が籠もる。

 

一秒、二秒。

 

どことなく自信を失ったような上目遣いで、アルビノめいた美女は口を開いた。

 

「土佐」

 

「随分と特徴的な名前だね」

 

「…………」

 

土佐と言うのは、少なくとも女性につけられるべき名前ではない。

 

恐らく偽名であろうが、提督は別にそこらへんを詳しく掘り返すことはしなかった。誰にだって聞かれたくないことはあるし、言いたくないこともある。

 

それに、別段本名を知らなければならない理由もなかった。

彼は、ただ単に『ねえ』などで会話を進めるのが難しいと判断したが故に聞いたに過ぎないのである。

 

「土佐さん、これ一応俺の端末の番号。繋がるかどうかはその時次第だけど、何かあったら力になるよ」

 

「……」

 

加賀めいた雰囲気を醸し出す土佐は無言でコクリと首肯した。

 

「身の回りに、気をつけて」

 

「それ、家の敏腕秘書にも言われたよ。初対面に等しい君にも言われるとなると、どうにも俺は不用心らしいな」

 

軽い口調で苦笑しながら返された提督の返事を受け、土佐の美貌に悲哀が浮かぶ。

 

切なさと、無情。己の失態で取り零した何かを悼み、悔やみ、耐えるような無念と、莫大な喪失感。

総てを喪ったような虚しさと悼切が、彼女の美貌を哀しげなものへと変えていた。

 

「ご、ごめん……」

 

これ以上無い程の悲しみの体に、流石の彼も焦りを見せる。

 

彼女が言った忠告は、彼としては耳にタコができるほどに聞いていたことだったから、正直聞き飽きていた。

故に軽くうんざりしながら流したのだが、そのことがここまで彼女を傷つけるとは思っていなかったのである。

 

軽く瞑目し、土下座の勢いで謝ろうとした、その時。

 

「提督!」

 

後ろから耳朶を打つ、聴き慣れた声。

何故か頬に血を付着させた加賀が、常日頃の怜悧さをかなぐり捨てた焦燥ぶりを表に出していた。

 

「加賀さん、その血―――」

 

「返り血です」

 

アッハイ、としか言いようのない断言に面食らいつつ、提督は一先ずポケットから出した黒いハンカチで加賀の頬を拭く。

拭かれた右頬が少し上がり、ジト目が三日月のように細まった。

 

(加賀さんの頬って柔っこいな、おい)

 

返り血という世紀末的不謹慎さを拭っているにも関わらずその柔らかさにときめく。

提督は、彼女のしとやな黒髪を撫でてて以来ずっとこんな感じな頭であった。

 

「提督、ここで何をしているのですか」

 

「いや、命の恩人に会ってさ。ほら―――」

提督が振り向き、加賀が背伸びして彼の肩あたりから顔を出す。

四本の視線集中した先には、何も存在していなかった。

 

「…………提督?」

 

「そんな目で俺を見るな。本当に居たんだって」

 

とうとう現実と妄想の区切りがつかなくなったか、可哀想に。

何よりも雄弁に語るジト目を受け、提督は必死に弁明をする。

 

本当に偶然命の恩人と会い、泣かせちゃったりしたものの二、三語話せたこと。

話したのちに携帯端末の番号を教えたこと。

 

かなりタイプな美女だったと口にした辺りで加賀のジト目がマヒャドを掛けたが如く極寒のシベリア気候と化し、提督の弁明は氷結の憂き目にあった。

 

「行きますよ」

 

「はい」

 

子供でも先導するかのように手を繋ぎ、引っ張っていく彼女に母性を感じる。

暢気にそんなことを考えつつ、提督は僅かに頬を染めながらも周囲への警戒を怠らない加賀を見つめながらふらふらと歩みを進めた。

 

「……提督は」

 

「うん?」

 

「提督は、私がこうしてないとどこかに行ってしまうから手を繋いでいるの。別にその恩人とやらへの対抗心からとかでは、断じてないわ」

 

白魚の指に割と長い指が絡まり、触れる。

本当にいちいち柔らかい、女を感じさせる肉感的な身体に、提督は感嘆の念を抱いた。

 

もう、加賀さんを一回でもだけたら死んでもいい。

 

夫になるであろう相手が死んだら、慰めてそのまま奪ってしまいたい。

 

本能に近い獣欲が、ほんのり頬を染めている女へと渇望を示す。

彼女は、やけに無防備なのだ。結果として事故が起こってしまっても仕方ないほどに美しく、騙されやすい。

 

(加賀さんの将来の夫は、この世で一番幸せ者だな……)

 

無言なところは、余計な相槌や喋りを要求されないぶん嬉しい。

無表情なところは、堪らない。

身体も実際豊満であるし、何より抱き枕にぴったりの柔らかさがある。

声は平坦ながら耳に刺さらず、違和感なく鳴り、他者を落ち着かせることもできた。

 

「……あー、憂鬱」

 

加賀が笑っているところなど見たことがないためそこは妄想で保管し、結婚したい俳優ランキング一位の男性と結婚しているところを思い浮かべ、提督は勝手に一人で鬱になっている。

だからこその、この発言だったのだが。

 

「……私と居るの、厭?」

 

不安そうな眼差しと、平坦な声色が提督へと向けられる。

彼は少し考え、慌てて否定した。

 

まだまだ互いの気持ちに気づくには、かなりの時間が必要だろう。

 

そんな感想をいだかせるほどに、この二人はお互いビビリで鈍かった。


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