提督と加賀   作:913

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十九話

「あちらも、やっているようですね」

 

さっさと戦地である横浜から直掩機を引き連れて去っている途中で、加賀は懐中時計を静かに見つめた。

 

『最大殊勲賞、おめでとう。よければ、これを受け取ってほしいんだけど』

 

遠い記憶の中に鮮やかに残る、その少し緊張したような相貌と、困ったような声色。

 

この時計は、彼から貰ったものだった。

 

(……提督)

 

一瞥の後にまるで懐かしき思い出を網膜に焼き付けるように目を瞑り、加賀は再び時計に目をやる。

 

もうすぐ、約束の時間だった。

 

「あ、加賀さん!何をしてるんですか?」

 

時間通り。

 

ある種の達成感を得た加賀は、通過点に過ぎないとの認識をしながらもこくりと頷いた。

 

彼女は、裏表の激しい性格である。

尤も、というよりは激情家であるが故に常人よりも感情の量が多く、感情の量が多いが故に好意と嫌悪に絶大な差が生まれる、と言った方が正しかった。

 

つまり性格からして有り得ないが、提督が彼女を手籠めにしようとして、挙動不審ながら人気のない場所へ誘き出そうとすれば、加賀はあっさりと騙されるだろう。

なんの疑いも抱かずにとことこと歩いて向かい、艤装を出す気もなく、周りの様子も探ることなく押し倒されて手籠めにされることは間違いがない。

 

一方で、一度敵意を抱いた者には全く油断をしなかった。行動一つ一つに疑いを抱き、片っ端から洗い直し、その上に自らの感情というフィルターを通さず明度の高い判断を下す。

その後に、考えうる限り対策と言える手を打つだろう。

 

「ま、まさか、内乱ですか?飛龍びっくり!」

飛龍、蒼龍、飛鷹、隼鷹、五十鈴、陽炎、黒潮、不知火。

 

対潜・対空警戒に優れた第二航空戦隊が、スービック港湾から発した貨物船から離れて加賀の停泊地点へと集った。

 

「やめなさい、わざとらしい」

 

ペロッと舌を出して軽く詫びた彼女の艤装は、艦載機に至るまで最精鋭で固めた完全武装。

所謂、『いつでもやれる』体勢である。

二航戦は、一般艦艇による輸送隊の護衛任務に従事していた。

つまり、全体の編成としては練度六十を超えている五航戦を育成枠として、一航戦を決戦兵力として鎮守府に留め、 二航戦を輸送作戦に従事させることによって何の違和感もなく遊兵化させる。

 

いつか来るであろう『不審』の為に。迅速に、的確に仇なす者を討つ為に。

 

こんな『完璧な』奇襲劇に、裏がないなどあるはずが無かった。

 

「大方、予想通りです。あ計画の通りに手続きを」

 

「はいはーい」

 

あくまでも、『輸送作戦』。その轍は外さない。

 

「陽炎ちゃん、黒潮ちゃん、不知火ちゃんは五十鈴さんの指揮下に入って対潜警戒を。飛鷹さん、隼鷹さんは対空警戒を引き続きお願いします。

飛鷹さんは貨物船に『横浜二敵キタリ、飛龍・蒼龍ハコレヲ友軍ト共二迎撃セントス』と電報を。隼鷹さんは三十分後に停泊先を変更する旨を横浜鎮守府に伝えてください」

 

「了解。気をつけてね」

 

「あんま心配はしてないけどさ。叩けるだけ叩いて無茶せずに帰ってきてよ」

 

戦闘指揮官でしかない飛龍の穴埋め役である蒼龍が細かな指示を出し、練度が共に七十を越している飛鷹・隼鷹の軽空母二人に後を託す。

 

飛鷹が蒼龍と頷き合い、隼鷹と飛龍が杯を煽る様なジェスチャーをした後に航路を変更した。

 

横浜鎮守府を再建するための貨物船は横浜に直接では揚陸するのではなく、焼津港から陸路で運び込むことに変更する旨は、既に手配してある。

 

「一隻残らず水底へ沈めます」

 

「了解。艦載機は?」

 

「あなたは艦攻、蒼龍は艦爆。私は索敵と艦戦を。索敵機が周囲を二重偵察し終え次第、第一攻撃隊を編成。敵艦を叩き始めます」

 

優しげな蒼龍の瞳と、茶目っ気のある飛龍の瞳から甘さが消え、冷徹なまでの戦闘倫理が顔を出す。

 

「物を介さぬ獣には、徹底した鞭を。痛みで躾け、黙らせることです」

 

無言で頷いた二人の顔に、先程までの日常の顔はない。

ただ、敵を討つ為に極限までに磨き上げられた名刀の如き気配が、彼女たちの身体には漂っていた。

 

「慢心せず、気を抜かず、固まり過ぎず。それが出来れば一・二航戦は無敵です」

 

告げられた二人が、無言で頷く。

自分たちは、勝ってきた。百戦して無敗、欠落した艦船はなし。

 

慢心はない。戦い、勝ち。それによって引き起こされた疲労の蓄積もない。

 

護衛任務に従事したあとは決まったことではないものの一日二日はぐっすりと朝寝坊でき、艦載機の妖精さんたちもたっぷりと疲労を抜くことができる。

 

慢心も、蓄積疲労による破綻も、ない。一つ一つ足元を固め、堅実に歩めばまず負けはなかった。

 

「また、勝ちを積み上げます。続きなさい」

 

尊敬する先輩の静かな檄を、後輩二人は静かに、されど確実に受け止める。

 

偵察機が帰ってくるまでの時間が、やけにもどかしく思われた。

 

「ビス丸、大丈夫かなぁ……」

 

念の為に直掩機を展開し終えた飛龍の目線が砲火と飛沫の上がる横浜鎮守府付近に向き、一つポツリとこぼす。

ビス丸だのビス子だのと言われているが、彼女の実力は本物だ。提督から『ビス子キタル』との電報をもらった時、古参の艦娘たちの喜びようが尋常では無かったことからもその人望と、背中を預けるに足る実力の一端が読み取れる。

 

だがしかし、敵は航空母艦が四隻、戦艦が六隻、重巡が十隻、軽巡が十五隻、駆逐が二十二隻。しかも戦艦の内の一隻は姫級だと言う。

加賀の索敵機から情報は受け取っていたものの、改めて考えると凄まじい戦力だった。

 

駆逐艦は全て、確認されている三種類の中で最も強力な個体である二級。それのElite。

軽巡はツ級と呼ばれる驚異的な雷撃能力を持った個体であり、重巡も最強の個体であるネ級のElite。

戦艦の練度こそElite・Flagship・Flagship改とバラバラなものの、姫がついていて統率面でも隙がない。

更には航空母艦もFlagshipを四隻というから、横浜鎮守府が相手にしている太平洋に巣食う深海棲艦側の最強編成だと言ってもよいだろう。

 

「大丈夫かなぁ……」

 

「大丈夫でしょう」

 

珍しく断言するような加賀の口振りに驚きつつ、飛龍は一つ頷いた。

加賀が大丈夫だと言うならば、大丈夫。盲信するわけではないが、これまでの経歴と信頼が不思議とそう思わせる。

 

こちらへと帰還してくる偵察機を遠目に観察しながら、飛龍は矢筒から静かに一矢を引き抜いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

中破・大破が量産され、小破でない者は居ないとすら言える。

指揮系統が摩滅しているような現状は、そんな惨状を生み出していた。

 

直線的に進行し、砲撃するときに脚を遅滞させて狙いをつける。

思わず目を覆いたくなる程の低練度と、経験不足。そんな新人の艦娘を敵戦艦の砲撃を茶褐色の手袋に付いた鉄十字の紋様が彫刻された手甲で彼方に弾き落としつつ、ビスマルクは残存艦隊の収集に励んでいた。

 

見捨ててしまえば楽は楽だが、彼女の性格的に無理がある。

 

「脚を止めない!」

 

最大戦速に近い速さで航行しながら、驚くべき正確さでビシバシと敵に初撃を命中させていくビスマルクは、大なり小なり損傷した艦娘を無理矢理立たせ、引っ張るように距離を取った。

 

彼女は本来、戦艦にあるまじきインファイターであり、顔つき合わせた至近距離で本来の力を発揮する。

だが、遠距離でもやれないことはなかった。

 

「損傷した艦を内側に、戦闘に耐えうる艦で紡錘陣を!」

 

機関部をやられて航行が不可能になった艦を一々陸上に揚げ終え、戦うに足る戦力を従える。

最早損傷していない艦艇の方が少ない以上、小破よりの中破艦や小破艦に紡錘陣の内部に収容して面に対する砲火力を高める以上に策はない。

 

単艦で叩けないこともないが、それでは市街地を囮にせざるを得なくなる。

最早、指揮権云々をぐちぐち論じている場合ではない。

 

「先頭は私が。装甲の厚い戦艦が前面に立って敵の砲撃を防ぎ、敵戦艦に砲火を集中。砲身が焼けつくまで撃って撃って撃ちまくりなさい!」

 

「了解した」

 

殆ど唯一の無傷の艦である長門が全艦を代表して命令を受け取り、腕を軽く振って命令への帰属を促す。

彼女もまた、前期型。ビスマルクが所属していた泊地ALの秘書官を務める勇将であった。

 

「Feuer!」

 

水上で僅かなもたつきを見せながらも陣形が整い、集中すべき火力を保持した艦艇が全面に出てきた瞬間、ビスマルクは後ろに眼が付いているかの如く素早く司令を下す。

 

稼働可能な戦艦四隻が突出したビスマルクを中央の尖鋭とし、鏃のように二隻ずつを持って翼となった。

内部には重軽傷を負った駆逐艦・軽巡洋艦が庇われるように配置され、重巡洋艦が横腹を護る。

 

流星の如く赤い尾と白煙を引いて指定された敵戦艦のル級Flagship改に集中し、砲撃を防がんと展開されたバリアのような障壁をビスマルクの第一主砲『Anton』から放たれた徹甲弾がぶち抜き、主砲塔部分にあたる艤装ごと海底へともっていく。

 

第二主砲『Berta』、第三主砲『Cäsar』、第四主砲『Dora』が機関部・主砲塔・射撃管制装置を奪い取り、数多の艦娘を苦しめてきた艤装を単なる鉄片へと変貌させた。

 

夾叉の段階すら踏まぬ命中精度は、ドイツ第三帝国の科学力の粋を集めた光学測距儀と射撃計算機によるところが大きいであろう。

しかし、やはり動く敵に砲撃を加え続けた経験値がビスマルクの精密射撃を支えていた。

 

続く味方艦も射角を調整しながら次々に狙いをつけられた戦艦へと砲撃を開始し、脚の止まった敵を脚を止めずに撃ち抜いていく。

 

「ビスマルク、燃料は大丈夫か?」

 

「まだ半分近くあるけれど、何?」

 

「有るならば回避行動を取れ。貴艦もいつまでも無傷というわけにはいかないだろう」

 

「避けたら後ろに弾が行くじゃない」

 

「…………それもそうか」

 

苦虫を噛み潰したかのような顔で、長門は自らの短慮を悔やんだ。

ビスマルクが自ら先頭に立ったのは、何も指揮を取りやすいからではない。元々自分に砲撃を集中させ、味方艦の被害を抑えるつもりだったのである。

 

「被害が拡大したら、私が代わろう」

 

「そうはならんさ」

 

口角を上げ、肌に負けぬ程に白い歯が見える。

獰猛ながら貴品のある笑みは、同性である長門ですら一瞬眼が釘付けになるほどのものだった。

 

「敵砲撃、来ます!」

 

悲鳴のような声が上がり、心配そうな視線がビスマルクのしなやかな背中に向かう。

 

「さあ、かかってらっしゃい!」

 

放たれようとする砲弾の雨を相手に啖呵を切ったその姿には、いっそ堂々とした感すらあった。

 

戦艦棲姫、戦艦ル級Flagship改、戦艦ル級Flagship、戦艦ル級Elite。

 

一隻を第一斉射によって、一隻をビスマルク単艦によって撃沈された後に残された四隻が主砲四基八門をビスマルク目掛けて照準を合わせ、轟音と共に徹甲弾を撃ち出す。

 

戦艦棲姫は、練度五十の戦艦を一撃で撃沈させた実績を持つ強大極まりない主砲を持ち、ル級もその異名通りに火力に於いては一つ頭抜けた性能を持っていた。

 

その三十二発からなる一斉射撃を受けては、流石のビスマルクもただでは済まないであろう。

 

「上部障壁を解除、半径を二十五センチ縮小。正面の出力七十二,八パーセント上昇」

 

目視からなる威力洞察で必要とされる出力をザックリ割り出し、球体の如く展開された障壁の一部を解除し、縮小。余剰エネルギーと節約した分のエネルギーを正面に回す。

 

敵艦載機による攻撃を考慮に入れる必要がなく、なおかつ場数を踏んでいたからこそとしか言えない絶妙な障壁操作。

名人芸としか言えない『ギリギリ防げる程度の』障壁の展開で、彼女は戦艦棲姫の艤装から放たれた八発の徹甲弾と、それに続く二十四発を目と鼻の先のまで縮まった障壁で爆風すら届かせずに防ぎ切った。

 

艦娘と呼ばれる彼女たちは、生前纏っていた装甲の代わりに障壁のようなものを展開できる。

オートで展開されるそれは、本来操作できるものではない。自身の装甲値以上の防御力を叩き出すことは不可能だし、駆逐艦の砲撃でも量を喰らえば展開する為の内部エネルギーが尽きてダメージを喰らってしまう。

 

しかし、ビスマルクはその自前の装甲に加え、生前『四百発以上の砲弾をくらっても自沈するまで沈まなかった』という逸話からなる補正で更なる防御力を手にしていた。

 

だからこそ一回の防御で展開される障壁は硬く分厚く、エネルギーの消費も激しい。

が、彼女は『装甲の一部を切って別のところにつなげる』という狂ったような精密操作とオートの展開をマニュアルに戻すことで適切な量の障壁を展開・エネルギー消費を控えるという技能を身に着けたのである。

 

何回も使えるものではないが、相当に役に立つのは間違いがなかった。

 

「第二斉射、用意」

 

何の怯みも傷もなく、受け止めた時の苦悶もなく。ビスマルクは続く艦艇に号令を下す。

目標は、複縦陣を敷いて突っ込んでくる敵旗艦。

 

「目標、敵旗艦戦艦棲姫。Feuer!」

 


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