提督と加賀   作:913

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十話

「…………」

 

「…………」

 

提督と加賀は、無言で船に乗っていた。

船が船に乗るという珍妙な事態が起きているが、互いにそんなことを気にしている暇と余裕はない。

 

「…………あの」

 

「……何かな?」

 

やっとこさ彼が確保し、危険となる深海棲艦の泊地や発生地点を潰して回っただけあり、このフィリピンから本国へと続く航路は安全である。

 

泊地と発生地点の違いは、ダンジョンとポップ地点の違いだと考えてくれれば良い。

泊地は統率された深海棲艦が支配している基地であり、発生地点は深海棲艦が生まれる場所であった。

 

泊地から発生地点へと定期的に深海棲艦の一艦隊が向かい、その数を増やしながら泊地に帰還していったという報告もある。

 

つまりは、そういうことなのだ。

 

「赤城さんが、ごめんなさい」

 

「いやもう、仕方ないでしょ」

 

部屋どり間違えちゃいましたー、と直前に言われれば、最早抵抗する術はない。

例えそれが、家族用と言うべき二人部屋に二人が押し込まれているという現状を生み出していようと、仕方がないことなのである。

 

「……でもまあ、一人部屋に二人っていうのよりはマシだよね」

 

「…………」

 

質問に答えることなく、加賀は無言でパタパタと布団を整えはじめた。

正直、別部屋であった方が心理的な緊張を加味すれば楽に暮らせる。だが、二人部屋ならば確実に提督を守ることができた。

 

無論、すごく恥ずかしくて緊張する。しかし、合理性だけで考えるならばこれはこれでありだった。

 

「……」

 

「……」

 

暫く寝台を背に二人揃って体育座りをし、提督と加賀はテレビの視聴に勤しむ。

会話に困るという事もあったし、互いに好きあっているがゆえに完全な様子見状態に入っていることもあった。

 

何より二人が二人共、片割れの隣に居られるだけで充分に幸せを感じられたのである。

 

チラリチラリと互いに向けられる視線を痛い程に感じつつ、二人はひたすら様子見に徹した。

テレビの内容は頭に入れている。頭に入れているが、それよりも気になるものが隣にあった。

 

「あの」

 

「なあ」

 

チラ見合戦と化した様子見状態に耐え兼ね、同時に声をかけてまた沈黙。

赤城の狙いもどこへやら、二人は変なところで息があってしまっている。

 

要は、互いに臆病で不器用だった。

 

「加賀さん、何?」

 

「提督こそ、私に何か用があって?」

 

黙る。

もうどうしようとないほど、この二人は恋愛に対して臆病だった。

 

提督は好き嫌いがハッキリとしていて、なおかつその好悪の情を表に出すタイプの彼女が黙々と秘書官として働き、時に自分のことを気遣ってくれていることから嫌われていないことがわかる。

 

加賀は不器用で無愛想な自分を秘書官から解任しないことからも嫌われていないことを認識していた。

勿論、彼女が得難い戦力であるから気を遣って秘書官を解任していないということも考えられるが、角を立てないように秘書官を日替わり制にするという方法もある。

 

故に、彼が秘書官としての自分を疎んでいるという可能性は低かった。

 

嫌われていないことはわかるが、憎からず思われていることもわからないし、好きだと思われていることなどはもっとわからない。

この中途半端で、一歩踏み出さなくともある程度いい感じでいられる。

そんな曖昧さが、二人の立ち位置と距離にはあった。

 

「風呂、できたな」

 

ピロピロと鳴るアラームが二人部屋に響き、沈黙のときの終わりを告げる。

都合の良いタイミングとは言い難かったが、何にしてもありがたいのは確かだった。

 

「先にどうぞ」

 

「じゃあ、いただこうかな」

 

担いできたバックから予め出していたバスタオルと寝巻き一式を出し、提督は素直に加賀の言葉に従う。

押し問答をしてもどうにもならないし、どうにもならないことを続けても場の空気が悪くなるだけでどうにもならない。

 

その程度は、加賀の心理の機微に疎い彼にも理解できた。

 

「…………」

 

加賀は、提督が風呂に入っている間に無言を貫きながら思考を巡らす。

彼女は、サラシを巻いた上に艤装の一部である弓道着めいた服を着て、袴スカートを巻き、ニーソックスを履いていた。

 

そして寝る時は、基本的にその窮屈さからサラシを外す。つまり所謂ノーブラになっていた。

 

提督が外面から見たバストサイズの数値とはブラジャーを付けていることが前提としてあり、サラシでぐるぐるに縛っているのは完全に想定外だったのである。

具体的に言えば、五センチ未満の誤差があった。

 

即ち、実際はもっとデカいのだ。

 

「……どうしようかしら」

 

何もつけないのは相当にはしたないが、窮屈で寝苦しいのも困る。緩めればサラシが弛んでしまって気持ちが悪い。

 

これといった解決策は、現在のところありはしない。直接今もつけている胸当てを付け、背に回して結ぶ紐で位置を固定するのも有りだが、通気性に難があった。

 

動く時はサラシが要る。動かない時はサラシが無い方が快適である。

 

「……………もう少し、扱いやすい感じな手頃さが良かったわ」

 

重いし、こういう時に扱いに困る。

彼もまた、大き過ぎるのも嫌だろう。

 

「加賀さん、どうぞ」

 

「はい」

 

背後から湯気を上げながら歩いてくる彼を見て、加賀は自分の分の寝巻き一式の中にサラシを隠し持ちながらその場を立った。

軽く鼻を突き抜けるようなリンスの臭いとすれ違い、加賀はドアをきっちりと閉めて脱い所に立つ。

 

開いていたとしても彼にドアから自分を除くようなことはしないだろうが、開けっ放しにしてそういう女だと思われるのも嫌だった。

 

「…………巻くしか、ないようね」

 

痴女になり切って迫れもしないくせに痴女扱いされるのだけは嫌だし、それは自分の柄ではない。

彼女が痴女になり切るには、第一に仕事以外で彼を目の前にした心の余裕と男性経験が必要不可欠であろう。

 

ニーソックスと袴スカートを、肩を見せるようにして服を脱ぎ、加賀は手慣れた様子でするするとサラシを解いた。

こぼれた胸を左腕で抑えながら、下着を脱いで自分用の脱衣籠に入れる。

 

流石に鎮守府に居る時と同じ感覚で脱いだ服一式を共同脱衣籠に入れる訳にはいかないし、何よりも乙女の心がそれを許さなかった。

 

カラカラと扉を開けて湯煙が仄かに残る湯室へ入り、壁に掛けられたシャワーを取る。

バルブを捻り、出てくるお湯に身体を濡らす。

 

「……ふぅ」

 

温い水が身体を包み、白いタイルが敷き詰められた床に脚を伝ってゆらりと広がった。

 

緊張という精神的な要因と自身の部位の重みという物理的な要因で凝った肩がほぐされ、ふやけるようにして忽ち軟らかさを取り戻す。

 

後期型の艦娘にはない、都合の良い疲労回復。一見すればいいことばかりなお湯をかければ肉体に溜まった疲労が抜けるというこのギミックは、初期型の艦娘が磨り潰されて行く原因でもあった。

 

精神的な疲労は、抜けはしない。肉体に蓄積した疲労が全快しようと、攻撃精度と回避能力は下がる。

 

「…………」

 

疲れて、疲れて、疲れ切って。戦果のみを求められ、襤褸でも捨てるように囮にされ、人というものが憎くなり。

何の落ち度も過失もない提督に八当たり、皮肉と毒を吐き続けた。

 

生傷が絶えることのなかった六人の艦娘からの疎外感に耐えながら、彼は何を思ったのだろう。

あの賑やかさと軽さは、その疎外感によって生み出されたのではなかったか。

 

(……わからない)

 

お湯を止め、身体を洗う。

寛ぐ為の湯船を満たすお湯と、提督と過ごす閉鎖空間。

 

この二つが、思い出したくもない地獄での出来事を脳裏に巡らせていた。

 

「…………」

 

バスタオルを胸から脚の付け根を過ぎたところまで巻いたまま湯船に浸かり、口元までを潜水させる。

水中で吐いた息がブクブクと水面に浮き上がり、空気となって還っていった。

 

この行動に、特に意味はない。この世に生まれてから十年もないという経験のなさから生まれたすこしばかりの子供っぽさが、彼女の無意識な行動に現れている。

 

鼻先でブクブクと音を立てている吐息に頓着せず、加賀は更に思考を深めた。

提督が新米だった自分の補佐をし、理解をするべく努力しながらも常に体調気遣ってくれたように、自分も彼を理解したい。

 

まあ、自分は戦の素人である提督が地獄で行えたその精一杯の努力と気遣いに対して『悪いに決まっているでしょう』とか、『そんなものよりも物資をいただきたいものです』というような毒を吐くことしかしてこなかったのだから、素っ気なく返されたり流されたりしても仕方ないのだが。

 

思考をまとめ、加賀は素早く湯船から上がった。

身体を拭い、サラシを巻いて下着を履き、寝間着となる白く柔らかな着物を手早く着る。

 

「提督」

 

「…………ぉ!?」

 

風呂上りの魅力、と言うのか。火照って赤みがさした頬に、艶やかできめ細やかな肌。常とは違い括らず、サラリと流したしっとりと髪からチラリと除く色っぽいうなじ。

 

挙げれば切りがないが、割りとノーマルな性癖を持つ提督は着物だというのに我侭に自己主張する豊満な胸に思わず視線がいった。

悲しき男の性であるが、本当にわかりやすい男だと言える。

 

提督から向けられた視線は加賀の身体を太腿から上昇を開始して胸で止まり、うなじ辺りで再び停止して顔で止まった。

欲望に塗れた視線ではない為、加賀の敏感な『そういう物』に対するセンサーは発動しない。

 

もとよりそういう眼で見られることが多い為、軽く睨まねば街を歩くたびに絡まれ続けてしまう。

その為に特化されたスキルが、今完全に隙を突かれていた。

 

「あの。私、加賀です」

 

「いや、知ってる」

 

「……そう」

 

そして、彼女はこの視線を『誰だお前』のような意味を含むものだと受け取ったのである。

 

無論、ソファーを背もたれにしてテレビの視聴に勤しんでいた提督にそんな意図はない。

ただ単純且つ完全に目の前の女性の美しさに圧倒されたことによる、畏怖。

 

ちょっとありえないほどの美人だなと思い続けていたが、この一件で彼が抱いた印象は、『かなりありえないほどの美人』だった。

 

「……っ!?」

 

見惚れるを通り越して明らかにビビっている提督の隣に腰を下ろし、加賀は彼の顔を見て少し傷つく。

 

勇気を出して好きな人の隣に座ったら明らかに怯まれたのだから、その心理的な負傷は当然だった。

 

「……私、邪魔?」

 

「いやいやいやいや、そんなことは、断じて!」

 

断じて無いんだ!、と。

完全に余裕とかその他とかを全て吹き飛ばされた提督の狼狽っぷりは留まることを知らず、加賀の凹み具合も留まることを知らない。

 

なけなしの勇気を出し切り、体育座りで隣に座り続ける加賀と、シャンプーと加賀の匂いが合わさった殺人的ないい匂いから理性を守る為に距離を離したい提督。

 

暫しの間、二人の呼吸とテレビの音が部屋に響く。

 

「ちょっと中座」

 

彼は、遂に逃げた。

彼から言えば転進だが、傍から見たらただの逃げである。

 

そして加賀は、更に凹んだ。

少しでも好意が有る相手が隣に座ったならば、よっぽどのことがない限り中座などはしない。

少なくとも、彼女は自身はそうするであろうと思っている。

 

実際は彼女も緊張やら何やらのあまり中座してしまうだろうが、理論での行動と現実での行動に生じる差異がわからなかった。

 

「……飲む?」

 

「……いただきます」

 

外気を吸い、売店で酒を買ってきたであろう提督から発泡酒を受け取り、プルトップを引く。

提督は、色々考えた結果酒に逃げることにしたのだ。

 

無理矢理押し倒せば、物理的に首が飛ぶ。ただでさえ人間不信気味な加賀も傷つくだろうし、物理的に首が飛ばなくとも一点の穢れもない彼女が穢れてしまう。

 

理性を守る為には、対して強くもない酒を飲んで寝ることが一番のように、彼には思えた。

 

(…………美人だな)

 

早速一本を開け、二本目のプルトップを引きながら彼は凄まじい劣等感を覚える。

彼の初恋の相手は異常なほどの美人であり、美女だった。一瞬で釣り合わないと悟った男ですら虜にし、何度も諦めようとした男を離さない魅力がある。

 

どうしようもない。決して手に入らない華に惚れた瞬間に、彼の人生は色恋とは無縁のものだという事実が決定したのだ。

 

(美人だ)

 

弱い癖に短時間で大量に酒を飲んだことで酔いが回り、身体が僅かな浮遊感を得る。

心配そうにこちらを見つめる加賀を見て、それだけで彼の心は満たされていた。

 

最早欲しいとも思わない。隣にいて欲しいとも思わない。ただ、幸せになって欲しい。

戦いを義務付けられた時間を生き延び、恋をして、彼女自身が選んだ上等な男と結婚して、子供を授かって。その時に少しでも記憶に残れれば、それでいいだろう。

 

自分程度は、そうなっただけで果報に過ぎるというものだった。

 

再び酒を飲み、提督は加賀を僅かな寂寥感と共に見つめる。

 

彼の目には、首を傾げる加賀の姿がやけに可愛く写っていた。


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