モンハン飯   作:しばりんぐ

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ダンジョン飯完結おめでとうございます!





狩人飯道中 〜To live and eat as I please〜
沼地の山海鍋


「歩いてくるキノコってないのかな」

「……何を言ってるのにゃ?」

 

 沼地でキノコ狩りに勤しむ傍ら、俺はそう呟いた。

 その言葉に、狩りの相棒は辟易したような声で応える。

 

「いやさ、キノコ欲しいんだけどさ。自分で集めるのも……もちろん楽しいぞ? でもな、でも……」

「でも?」

「キノコからこっちに歩いてきてくれたら、それはそれで嬉しいなって」

 

 この人は何を言ってるのか。

 そんな表情で顔をいっぱいにするアイルー、イルル。

 雪のような毛並みを天眼ネコシリーズで包み込む、俺のオトモアイルーだ。大海のような青い瞳がクリクリとしていて可愛らしい、俺の人生のパートナーでもある。

 

「また旦那さんの妄言が始まったにゃ。もしくは世迷言にゃ」

「待て、人を気軽に狂人扱いするな」

 

 こんな顔をされるのは、もう何度目か分からない。

 おかしいな、俺は至って真面目に話しているというのに。

 

「あれかにゃ? それは……名付けるとしたら、歩きキノコって感じかにゃ?」

「おう、それは良いな。足が生えてるキノコな。その足も食えたりしてな」

「旦那さんのことだから、この足が美味いんだとか言いそうにゃ」

「そんなキノコがいたら、ぜひこちらにやってきて欲しいもんだぜ」

 

 今俺が沼地に出掛けているのは、逼迫した依頼だとか、街の危機だとか、そんな状況からは程遠い。

 沼地の採取ツアー。俺が欲しい素材のために、ギルドに申請してこの地に訪れているだけ。言ってしまえば、趣味の領域である。

 ハンターであれば、自前の武器の強化だとか、鎧の修繕とか、そんな理由で緊急性皆無の猟場へ赴くことも少なくない。まぁ、俺のように食材を求めて出向いてくる奴は、少数派なのだろうが――。

 なんて、物思いに耽りながら、本日の釣果をカゴに入れていく。

 

「アオキノコ、特産キノコ、毒テングダケ、ニトロダケ、マヒダケ、ドキドキノコ……」

「随分拾ったにゃ」

「こんだけあれば、十分な炊き出しができそうだ」

「ちょっと待つにゃ、これ全部入れる気にゃ?」

「今なら、何でも食べれそうな気がする」

 

 かの因縁のモンスターを仕留め、その素材を用いて作った新防具――淆瘴啖シリーズ。

 黒く染まった暗緑色の厚皮と、金色の鋭い棘を集めたそれは、フードとコートのような形で構成されていた。

 よくある男性向けのグリードシリーズは、いわゆる重装備であり俺には扱いにくかった。軽装を好む俺にとっては、かつて愛用していたネブラXシリーズのような物が着慣れている。そんな俺の相談に、加工屋は丁寧に応えてくれた。

 するとどうだろう。この装備を身に纏うようになってから、妙に腹が減るんだ。今の俺だったら、そのままのキノコだって、生肉だって、何でもペロリと食べられそうな気さえする。

 

「ボクは毒キノコもマヒダケも食べたくないにゃ……。毒でやられるのは勘弁にゃ」

「そうか……。ニトロダケは?」

「爆発しそうで怖いにゃ。今はいいにゃ」

「残念、旨いのに。なら、アオキノコと特産キノコと……ドキドキノコだけにしとくか」

「最後のが一番怖いのにゃ!」

 

 イルルが、如何にドキドキノコが怖いかを熱弁し始める。

 ドキドキノコといえば、食べれば一体何が起こるか分からないという、ある意味一番毒キノコらしいキノコだ。

 食べたら中毒になったという男の話もあれば、麻痺して動けなくなったという貴族の話もある。かと思えば、死に際に口にしたところ体が活性化し、奇跡的に生還できたハンターの話すらある。

 そのキノコの根付いた環境や、吸い上げた養分によって様々な効能を得るらしい。まるで夢のようなキノコだ。是非とも口にしたい。

 なんて思いながら、イルルの熱弁を妨げようとしたその時だった。

 ドスンと、背後に何か降りてきた。

 

「……あ?」

「……にゃ?」

 

 白い柔皮。

 血走るように全身を覆う血管。

 ブヨブヨとした皮膜に、一対の白い足。

 不気味に伸縮するその頭は、今まさに俺が求めていたものを体現しているかのようだった。

 その存在が、目のない顔で俺を見る。

 

「にゃあっ!」

 

 イルルがひしっと俺に飛びついてきた。

 無理もない。彼女にとっては苦手なモンスターだったはずだ。

 

「ふ、ふるふる……フルフルにゃー!」

 

 フルフル。

 またの名を、奇怪竜。

 飛竜に属するとは思えないその奇怪な見た目は、言ってしまえば口だけある顔が伸び縮みする化け物だ。

 

「どうどう、俺たちに気付いてはいるが、興奮している様子はない。おそらく、空腹ではないだろう。散歩中か、それとも寝床を目指しているのかな……」

「お、襲われないにゃ?」

「今のところは、な」

 

 忙しなく鼻を動かす――鼻があるかどうかは知らない――フルフルだが、こちらに向けて威嚇する様子はない。

 狩りを終えて満腹になっているのだろうか? いずれにせよ、俺たちには興味なさそうだ。

 

「……なぁ、イルル」

「な、何にゃ、旦那さん」

 

 左右に揺れるフルフルの頭部を見ながら、俺は思ったことを口にする。

 

「こいつこそ、まさに歩きキノコじゃないか」

「……にゃ?」

 

 この人は何を言ってるんだろう。

 イルルの顔に、そう書いてあった。

 

「だってこいつさ」

 

 思わず指差した先にある、フルフルの頭部。

 目がなく、鼻の位置も分からない。

 ただ伸び縮みする首の先に、横に裂けた口が付いている。

 それ以外は、何もない。丸みを帯びた頭部のみ。

 伸びたそれはまるで頭部が丸みを帯びたかさ、首が石付きのようにも見えた。

 その姿は、まるで。まるで――。

 

「キノコみたいじゃん。ご立派なやつ」

「にゃ、言われてみれば……?」

「でかいキノコが歩いてら。まさに歩きキノコだ」

「き、キノコ……なのかにゃ」

「ま、どっちかというとキノコって言うよりもろ男の――」

「やめるにゃっ、それ以上は言っちゃダメにゃ!」

 

 慌てて俺の言葉を遮るイルル。

 赤面した顔をそっぽに向かせては、尻尾を左右にふりふりと揺らす。

 泡狐竜を思わせる白く豊かな毛並みが、俺の視界を埋め尽くしてきた。

 何を今更照れているのかと、俺が呆れようとした時――今度は、反対側の地面が大きく盛り上がった。

 

「何だ……ッ!?」

 

 フルフルの真正面。

 俺とイルルを中心として、歩きキノコと相対するように現れる者。

 青い甲殻に、それが背負う摩耗した骨。

 長く鋭い鋏と、その巨体を支える複数の脚。

 甲高い声を上げながら、両手を振り広げて威嚇するそいつは、まさに蟹だった。

 

「ショウグンギザミ! こいつの縄張りかここは!」

「にゃっ! この子は怒ってる! 怒ってるにゃ!」

 

 俺やイルル程度では、大して気にも留めなかったらしい。人間やアイルーは、自然界では上位に君臨する。もちろん、小さい者の序列として。

 おそらく、ふらりと現れたフルフルに、危機感を抱いたのだろう。ショウグンギザミは、唸り声を上げながらフルフルを睨み続けている。

 

「……若いな。まだギザミになりたてか、どうかって感じだ」

「にゃ? どういうことにゃ?」

「出世魚みたいなもんだよ。ギルドはガミザミかギザミか、体格で判別する」

「にゃ……確かに、モンスターリストで見るのよりは少し小さい気がするにゃ」

 

 言うなれば、ガミザミ以上ギザミ未満といったところだろうか。

 その小柄な体躯は、まだ脱皮を多く繰り返していない証である。そしてそれを悟られぬよう、必死に体を大きく見せている。

 今にも攻撃を仕掛ける。あまりにも、分かりやすかった。

 

「……来るぞ!」

「にゃっ!」

 

 両手の爪を、激しく擦らせる鎌蟹。

 これは、大きく跳躍して獲物に飛び掛かる合図だ。彼はフルフルを排除しようと躍起になっている。その間にいる俺たちにはお構いなしに。

 とにかく、イルルを抱き上げては、即座に横に跳んだ。

 その直後、ショウグンギザミが勢いよく跳ねる。

 

 降り掛かる刃。

 鋏とも鎌とも呼べるそれは、フルフルの外皮を容易く引き裂いた。

 思わぬ挑戦者にフルフルは驚くが、それも束の間、恐ろしい形相で咆哮する。

 沼地に、女性の叫び声を何倍も悍ましくしたような声が響き渡った。

 

「うにゃっ、怖いにゃあ!」

「相変わらずすげぇ声だな……ッ!」

 

 浮き出た血管がさらに赤みを増す。

 それが身体中から顔へ、フルフルの口周りへと充血が迸っていき――終いには、青白い電光へと変貌した。

 

「伏せろ!」

 

 その電光はまっすぐ、自らを挟み込むショウグンギザミへと放たれた。

 ゼロ距離でそのブレスを浴び、将軍の名に似付かわしくない悲鳴が響く。引き裂かれるような、焼き付けるような。雷属性特有の衝撃は、容易く青い甲殻を破るのだった。

 

「ひえっ、恐ろしいな……」

「ボクたちの防具、どっちも雷は苦手にゃ! おっかないにゃあ〜!」

 

 そう、俺もイルルも、雷を苦手とするモンスターの素材を使った防具を着用している。

 そしてショウグンギザミ。彼もまた、雷を苦手とするモンスターである。

 

「フルフルが動く……ッ!」

 

 首を大きくしならせ、その鋏へと齧り付く。

 雷を浴びて傷んだ甲殻に、鋭い牙の山が襲い掛かった。

 

「にゃっ、このままじゃ!」

 

 メキメキと音を立てるその様子に、イルルは思わず声を上げるが――今は静かに見守った。

 俺たちは採取ツアーに来ているだけだ。無闇に戦いを繰り広げたり、目に付く者全てに襲い掛かったりするわけではない。

 確かに、気になったものは味を確かめずにはいられない。そんな時期もあったものだが――今は、生態系での自分の立ち位置を考えたい。あの淆瘴啖との戦いを経た今は、そう思う。

 なりふり構わずというのは、得てして自分を追い込むものだ。

 

「これは、フルフルの勝ちにゃ?」

「まぁしょうがないな。相性が悪い」

 

 フルフルの牙が、とうとう鋭い鋏を断ち切った。

 自身の腕ごと削ぎ落とされ、ショウグンギザミは悲鳴を上げる。

 体制を崩した相手を逃すことなく、フルフルはその身を生かしてのし掛かった。そして、蟹の頭へと喰らい付く。

 まさに、縄張りが奪われる瞬間だった。まだガミザミに毛が生えた程度のギザミでは、飛竜には到底敵わない。暴れていた青い手足は、次第に小刻みに震え、最後には動かなくなった。

 勝利したフルフルは、興味を無くしたように口を離し、沼地の奥地へと歩き出す。もし奴が空腹だったら、そのままギザミを食い散らかしていただろう。

 

「……歩きキノコの勝ちだな」

 

 沼地を、生ぬるい風が撫でる。

 ここに残ったのは、俺とイルルと、崩れ落ちた新鮮な蟹の肉だけだった。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「……これでよし、と」

 

 ふう、と吐息を添えながら、俺はナイフをまた板に置いた。

 そのナイフの横には、薄く切られたキノコが立ち並ぶ。

 石付きを取り、かさに対して垂直に薄く切り分けていくこの調理作業。相変わらず、心が落ち着くもんだ。

 

「旦那さん、とても綺麗にゃ。キノコの飾り盛りにゃ!」

「キノコは縦に繊維が走ってるからな。上から薄切りにするとやりやすい。折角だから、今日はキノコ鍋にしようか。沼地もなんだかんだ冷えるしな」

 

 アオキノコ、特産キノコをざっと十個ほどだろうか。

 薄く切り分けたそれらを、鍋へと入れていく。

 さらさらと、薄いキノコが舞い降りる光景は、何とも表現し難い魅力がある。まるで、緩やかに舞う秋雨のような。鍋に降り積もるキノコを見ていると、思わず心が躍ってしまう。

 

「さて、と……次はコイツを」

 

 鍋底のキノコを少し端に寄せつつ、その空いた隙間に薬草やげどく草を敷いていく。

 今回は手持ちの野菜がない。その野菜代わりだ。

 とはいえ、薬草は霞ヶ草のように青々とした葉野菜に近く、げどく草は大根のような根菜である。その葉と、白い根の部分をいちょう切りして入れれば、これらは立派な野菜に見える。

 ちなみに、げどく草の解毒成分はこの根の部分に集中しているらしい。見た目も良い。美味そうだ。

 

「旦那さん、こっちも切れたにゃ」

「おう。切るの大変だっただろ。悪いな」

 

 イルルがせっせと手入れしていた物を受け取った。

 青い甲殻が、ひび割れてしまっているが――それは紛れもない蟹のものである。

 

「とっても固かったにゃ。そのまま入れるのじゃダメなのにゃ?」

「切り口から出る出汁がミソだ。それに、この方が身に火が早く通る」

 

 輪切り状に切られた、ショウグンギザミの鋏。

 そして、剥いた足を数本。

 開いた腹部の甲殻も少々。

 その中身は、青い甲殻とは裏腹に透き通った白身であった。そして何とも瑞々しい。

 

「……じゅるり」

「……ちょっと味見してみるにゃ?」

「確かに興味はあるが……ガミザミは毒を吐くからな。一応、加熱した方が良さそうだ。そしてその付け合わせにげどく草。完璧だ。俺も随分賢くなったもんだなぁ、うんうん」

「そもそも、賢い人は毒のあるものは食べないと思うにゃ」

 

 イルルのやれやれと言わんばかりの声は無視して、蟹の身を鍋に入れていく。もちろん、殻は付けたまま。出汁のためではあるが、こちらの方が風情があって旨そうにも見える。

 さて、そんなこんなで鍋が出来上がった。

 キノコの薄切りの山。

 薬草とげどく草の深き森。

 そして鎌蟹による、青く透き通る海。

 名付けて『沼地の山海鍋』だ。

 

「あとは味付けをして……」

 

 その山海に、水と酒を注ぐ。

 さらに塩、みりん、そして醤油――最後は隠し味にロックラック製ホットドリンクを少々。

 何を隠そう、ロックラック製ホットドリンクは醤油味である。多少の癖はあるが、鎌蟹の甲殻から滲むであろう出汁とは相性抜群なのではなかろうか。

 

「さて、火にかけるぞ!」

 

 ベースキャンプを照らす焚き火を、三本の棒で作った三角錐で取り囲む。

 俗に言うトライポッドと呼ばれるそれ。その頂点には、鎖が取り付けられており、それが静かに焚き火に向けて垂れ下がっていた。

 鎖の先に、山海鍋を括り付ける。

 この鍋は、蓋に仕掛けがあるため、蓋に鍋を固定できるのだ。つまり、鎖にぶら下げても中身を溢すことなく宙吊りにできる。なんという便利な鍋だ。いや、ダッチオーブンと言った方が分かりやすいだろうか。

 

「とりあえずは強火だ」

「にゃー、楽しみにゃ」

 

 ごうごうと燃える焚き火に、鍋をとにかく近付けた。

 ひとまず煮立つまでは静かに待つ。俺とイルルは、そっと腰を下ろした。

 

「……にゃあ、ちょっと安心したにゃ」

 

 束の間の静寂に、イルルが小さくそう溢す。

 

「何がだ?」

 

 そう問い返すと、彼女はポーチから肉片を取り出した。

 白く弾力性のあるそれが、沼地の曇り空をうっすらと映す。

 

「フルフルの皮にゃ。鋏に付いてたやつ、てっきり鍋に入れたがると思ってたにゃ」

「そりゃあフルフルの味には興味あるよ。何せ奴の肉は絶対に市場に流通しないからな。火竜や角竜は時々見掛けるが、フルフルだけは一度もない。食べてみたいとは思う」

「……でも、あれにゃ? 人間には食べられないって話にゃ?」

「らしいな。毒があるのか、それともめちゃくちゃ不味いのか。興味が尽きないね」

 

 このブヨブヨとした皮は、湯引きすれば食べれるだろうか――。

 確かに、これを目にした時はそう考えた。湯引きして細く切れば、麺のようになるのではないか。それを鍋に入れれば、大層華やかなものになるとさえ思ったが。

 

「……どうせなら、フルフルのあれを食べたいね」

「あれ?」

「霜降りってやつさ」

 

 フルフルには、霜降りと呼ばれる部位が存在する。

 果たしてそれがどんな味なのか――誰に聞いても、知らないという答えしか得られなかった。

 食べた者がいないのか、それとも食べてなお生きている者がいないのか。はたまた、食べた事実を隠しているのか。

 しかし、秘密とは甘いものだ。未知というのは、非常に食欲をそそるものなのだ。

 

「いつかフルフルの狩猟依頼に出会えた時に、やってみたいもんだな」

「にゃー。悪いことになる予感しかしないにゃ」

 

 呆れるように、イルルは耳を垂れさせた。

 

「ま、今回は運良くギザミの鋏が手に入ったんだ。コイツの味を教えてもらおう。ザザミは食べたことあるが、ギザミは初めてかもしれん。楽しみだぜ」

「夢の食べ比べにゃあ」

「ザザミは相当美味かったが、こちらはどんなもんか……っと。鍋が煮えてきたな」

 

 ふつふつと、蓋の隙間から気泡が漏れる。

 見れば、白い蒸気が沼地を染め始めていた。

 それと同時に、深い出汁の香りが鼻腔を優しく撫でてくる。

 

「おぉっ! これは良い香りだ!」

「にゃ! 旨いより甘い系にゃ! たっぷりふくよかな香りにゃー!」

 

 ダイミョウザザミは、歯応えばっちりの、深く旨い味わいだったことを覚えている。

 塩茹でというシンプルな調理法が、最もその旨みを引き出すのではないか。そんな、蟹らしさを追求した旨みだった。

 そこへ双璧をなすかのように、甘い香りを漂わせるショウグンギザミ。あのイカつい見た目からは想像できない、繊細な香りが俺たちを綻ばすのだった。

 

「さて、もうしばらく火を通そう。少し弱火で……」

 

 そう言いながら、トライポッドの鎖を手に掛ける。

 もう片方の手には厚手の手袋を付けて鍋を支え、蓋に引っ掛けた鎖を外した。そのまま、もう少し上の鎖へと鍋を付け直す。

 火から距離を空けられた鍋は、沸々と漏らす気泡の勢いを静めた。それでも、白い蒸気は絶え間なく漏れ続ける。

 

「にゃー、楽しみにゃ。ウキウキにゃ」

「もうしばらくの辛抱だな。今のうちに、酢のビンでも出しとくか」

 

 蟹といえば、酢でしょ。

 ユクモ村やタンジアの港で、イズモがそう言っていたのを思い出す。

 もしくは酢味噌、だろうか。俺は少し食べ慣れなかったが、イズモは好んで蟹を酢味噌に付けて食べていた。

 

「お、あったあった」

 

 ポーチの中から取り出したビンは、バルバレの市場で仕入れた酢で満たされている。

 鍋自体塩や醤油で味付けはしているが、こうしたアクセントも良いだろう。いわゆる『味変』というやつだ。

 

「そういえば、昔山菜ジイさんに怒られたことがあってな」

「山菜ジイさんにゃ?」

「あぁ。今と同じように鍋に甲殻付きのモンスターを入れたことがあるんだ。まぁ、甲殻種ならぬ、甲虫種だけど」

「む、虫……」

 

 山菜ジイさんといえば、猟場のベースキャンプをよく彷徨いている竜人の老人だ。

 親切にしてくれたかと思えば突然怒り出すと、ハンターたちからは疎まれていることも多い。しかし、料理に関しては人一倍こだわりがあり、同好の士には理解を示してくれるのだ。

 

「一体何を入れたのにゃ?」

「クンチュウだ」

「……えー」

 

 遺跡平原などを転がっている甲虫種、クンチュウ。

 丸みを帯びた甲殻が美しい、小型モンスターだ。

 それを俺は、鍋に丸ごと入れた。

 

「丸ごとにゃ!?」

「食べ方が分からなかったから、とりあえずな」

「あれをそのまま食べようとしたのにゃ!?」

 

 その時だった。

 山菜ジイさんが現れたのは。

 

「切り分けた方が旨いと、ジイさんが教えてくれたんだ。身に早く火が通るし、殻からは出汁が出るってな」

「にゃ、それさっきも聞いたようにゃ……」

「俺がイルルに、鋏を切ってくれって頼んだ時に同じこと言ったんだよ」

「にゃあー、そうだったにゃ」

 

 まだバルバレでの狩りを始めて、季節が移るにも満たない時期だったと思う。

 あのクンチュウスープは恐ろしく不味かったが、今となってはいい思い出だ。

 何より今の俺は、あの時とは違うから。

 この鍋の出来が、それを物語っているだろう。

 

「……うん、もう良さそうだ」

 

 香りが深みを帯び出した。

 鍋を下ろし、蓋に手を掛ける。イルルと視線を合わし、頷き合った。

 

「いくぞ」

「にゃ!」

 

 蓋の留め具を外し、勢いよく蓋を取る。

 舞い上がる湯気。

 その湯気を覆い尽くす、甘い蟹の香り。そしてそこに深みを加えるキノコの香り。

 ぐつぐつと煮える鍋の中には、淡い色合いのキノコと、よく煮えた薬草たち、そして透き通る白から柔らかな赤へと変貌した蟹の身が躍っていた。

 美しい。その一言に尽きる。

 

「ショウグンギザミも、火を通すと赤くなるのにゃ」

「甲殻は意外にも青いままだ。青と赤のコントラストが美しいな」

「他の具材もよく煮えてるにゃ! 美味しそうにゃ〜」

 

 早速鍋をおたまで掬い、具材を器に盛り分ける。

 冷えた沼地の空気を、温かな湯気が塗り替えていく。そんな気さえした。

 

「さぁ、食べようか」

「にゃ! いただきますにゃ!」

「いただきます」

 

 箸で蟹をつつくと、簡単に殻からほぐれ落ちる。

 山菜ジイさんの言う通りだ。切り分けて入れると、驚くほど身によく火が通る。

 そして、溢れる出汁が素晴らしい。鍋のスープに、殻の旨みが溶け出しているのがよく分かる。煌めく脂の輪が美しいのだ。

 

「はふっ……ん!」

 

 熱々の身を口に含むと、まずその柔らかな歯触りに驚いた。

 弾力性と、噛むほど溢れる旨みが売りのザザミに対して、ギザミは柔らかで繊細な味わいだ。甘く、上品な仕上がりとも言える。少し力を加えるだけで簡単に解れる身から、脂の甘みと出汁の旨みが染み出してくる。

 

「うん、旨い」

「にゃー、ほくほくしゃわしゃわで、美味しいにゃ〜」

 

 鋏の肉は、よく使う部位だけに筋繊維が発達しているのだろう。

 細かく短い繊維がとにかくたくさん殻に押し込まれている――。

 そんな表現が似合うかもしれない。

 それが、口の中で解けて、深い甘みに変貌していく。何という幸せだろうか。

 

「にゃー、キノコも美味しいにゃ。鍋の出汁にもなってるかにゃ? この深みは、蟹さんだけじゃない気がするにゃ」

「確かに……。そうかもしれない」

 

 キノコの歯触りも、これまた楽しい。

 柔らかいが、簡単には噛み切れない弾力性。少しずつほぐれていくため、何度も咀嚼することができる。噛むのが楽しい。そして、染み込んだスープの旨みが溢れてくるのがまた楽しいのだ。

 というか、スープそのものがかなり旨い。それはそうだ。蟹とキノコをふんだんに使っているのだから。

 

「うん……こりゃあったまるな」

「にゃー、ぽかぽかしてきたにゃ」

 

 隠し味に入れた、ホットドリンクの効能だろうか。

 じんわりと、体が温まってきた気がする。このドリンクの醤油味も、鍋の旨さに一役買っていると思うと嬉しくなる。俺の予想通り、蟹との相性は抜群だった。これなら、沼地の寒さも怖くない。

 そして、その旨みをたっぷり吸った薬草類といえば。じゅわっと溢れるエキスに、俺は思わず口角を上げてしまう。げどく草の根は、蟹とキノコの出汁を吸ってまろやかな味わいとなっており、俺を容易く笑顔にさせる。ほろほろ崩れ、蟹の甘みを吸った出汁が溢れ出す。

 味がよく染みており、美味しくて、さらに体に良い。文句なし。

 

「あー、こりゃ良いな。今夜はこいつをゆっくり食べよう。イルルもまだ食うだろ?」

「にゃ! おかわりほしいにゃ」

 

 器に持った分が早くも空になってしまった。

 続くおかわりを、俺もイルルも喜んで盛り付けていく。

 夜の沼地は冷え込むが、この鍋があれば怖くない。

 ベースキャンプの火は、いつまでも絶えず俺たちを照らすのだった。

 

「……にしても」

「にゃ?」

「何も、変なこと起きないな。……ドキドキノコも、入れたのに」

「にゃ!?」

 

 しれっと混ぜたドキドキノコ。この薄切りキノコの山に溶け、その成分を鍋にしっかり溶かしていることだろう。

 食べたら何が起こるか分からない。そんな触れ込みだったのだが――。

 今のところ、俺もイルルも何も起きてない。

 

「おかしいな。下手したら毒や麻痺になったり、全身臭くなったりするのかなって思ってたんだけど」

「うにゃ……」

 

 俺の言葉に、イルルも自身の体を確認する。

 彼女もまた、特に何も起きていない。いつも通りのふわふわもふもふだ。

 

「そういえば、よろず焼きって最近流行ってるにゃ」

「あぁ、飯屋がやってるサービスだよな。素材持ち込んだら焼いて弁当にしてくれるっていう」

「あれのメニュー表見たことあるけど、そういえば書いてあったにゃ」

「……もしかして?」

「ドキドキノコにゃ」

 

 よろず焼きの公式メニューとして、ドキドキノコがある。

 つまり、ドキドキノコは食材として市場に認知されている。

 熱を通せば、奇妙な効果は現れない――ということだろうか。

 

「……ならば」

 

 ポーチから取り出した、もしものためのドキドキノコ。

 それを、生のまま齧ってみた。

 

「な、何してるにゃ旦那さん!」

「うおっ……!!」

 

 全身に電流のような感覚が駆け巡る。

 麻痺か、と思ったが痺れはない。むしろ体が活性化してる感覚さえある。

 ただ、その味わいは――。

 

「秘薬みたいだ」

「秘薬?」

「めちゃ不味い……」

 

 渋柿を煮詰めて固めたような、そんな味だった。

 舌に粘土を塗りたくられたような、奇妙な感覚が残る。

 

「良薬口に苦し、にゃ?」

「俺は体に良くてもまずいものより、旨くて体に良いもんが食べたいぜ」

「そんな都合のいいもの……あ、この鍋にゃ」

「本当だな。まさにこいつがそれだ」

 

 そう言いながら、蟹の身を酢に浸して口に入れた。

 酢をつけて、味変させた蟹の味わい。

 柔らかな出汁の甘みと、酢の酸味が交叉する。甘いのに、酸っぱい。いや、酸っぱいが追い上げ、口いっぱいに鋭い酸味が広がっていく。そうかと思えば、出汁の深みが――キノコと薬草の滋養成分が、蟹を包み込んでいくのだ。

 追従してくるその旨みが、酸味を優しく塗り替えていく。確かに、今ならイズモの言うことも分かる気がする。

 

「あぁ……旨い」

 

 旨い。

 旨くて、優しくて、体に良い。

 これこそが、良薬口に旨しだろうか――。

 

「ご馳走様でした」

 

 食べ終わりを、この一言で締める。

 命を戴くのは、いつだって尊い行為である。

 

 

 

 〜本日のレシピ〜

 

『沼地の山海鍋』

 

•ショウグンギザミ(脚、鋏、胴) ……800g

•アオキノコ           ……4個

•特産キノコ           ……4個

•ドキドキノコ          ……2個

•薬草              ……100g

•げどく草            ……50g

•水               ……1000ml

•黄金芋酒            ……大さじ3

•みりん             ……大さじ3

•ユクモしょうゆ         ……大さじ2

•ロックラック製ホットドリンク  ……半量

•塩               ……適量

⭐︎お好みで酢も付け合わせるもオススメ!

 




祝⭐︎ダンジョン飯完結&一月からアニメ放送!
最近ようやく読破しまして、これは書かねばと急にネタが湧いて書いた始末です。第一話であるサソリ鍋のオマージュとなってます。歩きキノコ、大サソリ、スライム…は再現が難しかった。フルフルの皮入れようと思ったけど断念しました。サソリといえばFにいましたが、やっぱり本家モンスターで再現したくてギザミを起用。ようやくザザミとギザミを書けました。
それはそうと、お久しぶりでございます。間が空きすぎましてしまい申し訳ないでした。
この章は番外編というか後日談というか、思い付いたご飯を書いていくスタイルにしていきたいなと思います。いくつか書きたいネタを貯めてきたので、少しずつ調理していきたいところ!話名も、料理の名前で統一していくつもりです。ちなみに章のサブタイトルは、「好きに生き、好きに食う」のフロム式英訳です。いやこれ合ってるのかな。まぁカッコいいからいいや。
それではみなさん、美味なる一年を!
とにかく食べて、元気を蓄えていきましょう。

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