G級版です。
「……さて」
なんだかんだで生き残ることができたら、やることは一つ。
「飯、食うか」
狩ったものを現地で食す。ハンターの特権だ。
俺は今、この時のためにハンターをやっている。
俺の背後に鎮座するのは、突然現れた謎のモンスターだ。
見た目は、全身に骨を纏ったイカである。青黒い肌に青い体液。骨の山に倒れ込み、今もどくどくと体液を水に溶かしている。いつかの氷海で見た光景と同じく、水は絵の具を混ぜられたかのように、青く染まりつつあった。
「こいつが、淆瘴啖をここに引きずり込んだのかぁ……」
氷海に現れた淆瘴啖は、そのまま溺死したと思われた。
しかし今こうして、この古代林の底で横たわっている。この龍のブレスを浴びて焼け爛れたその体は、酷くやせ細っているが――左目を穿つ小さな柄は、何よりの証拠である。奴が淆瘴啖たる所以だ。
この龍が、淆瘴啖をここへ連れてきた。海中を潜行してきたのだろうか。それとも、淆瘴啖が生きていたのだから、海面を泳いでいたのか。詳しいことは分からない。ただ、淆瘴啖が生きたままここへ連れられたという事実だけがそこにある。
「……にしても、よく仕留められたな」
俺が会った時には、既に片腕がなかった。淆瘴啖に喰い千切られたのだろう。となると、この地下空間でお互いに消耗していたのだろうか。
転んでもただでは起きぬ。実に、淆瘴啖らしい。
「ふふっ……。どうだ淆瘴啖、最後に生き残ったのは俺だぞ。ようやく、じっくり食わしてもらうぞ」
イカと淆瘴啖のフルコースだ。はてさて、どんな味がするのやら。
「こいつは……ちょっと、生で食うのは憚られるかなぁ」
青い体液が滴るそれは、絶妙に食欲がそそられなかった。
イカといえば、あの眩しい白身が魅力的だが、こいつは斑点模様がついた青黒い肉だ。生臭さも相まって、これをそのまま口に入れるのはどうも憚られる。
とはいえだ。ここで食べなければ、次のチャンスはないかもしれない。冒険してみる価値はある――ように思う。
「……うぇっ、三日間置いた魚の肝にお酢を振りかけたような匂いだ」
ほんの少しだけナイフで身を削って、鼻に近づけてみるとこれだ。
正直なところ匂いはあまり魅力的ではなかった。
問題の味は――――。
「まっっっっっっっ……!! ……ずぅ……ッッ!」
思わず顔が歪んだ。顔がしわくちゃになる、という奴だ。
酷いえぐみが飛び出してくる。舌の上で剣山を擦り付けられているような感じ。ヂリヂリする苦味と辛味が、俺の脳を酷く締め付ける。
正直に言って、めちゃくちゃマズい。
「これは……生食しちゃダメな奴だな」
淆瘴啖のえぐみにも近い気がする。これも、龍属性による影響なのだろうか。
「焼いたらどうかな……火種火種」
火種を探そう――とポーチの中を探ってみるが、水が浸みこんでしまっていた。
トレッドに渡したおにぎりは、バナナの葉になめしたフルフルの皮を加工したもので覆って、しっかり浸水対策をしていた。しかし他のものはそうでもない。怪鳥の火炎液も、この乱闘の中で水に溶けてしまったようだ。
「……ん? あの骨……」
骨の残骸の中に、一際目立つ藍色があった。光沢放つ藍色に、勇ましい緋色のライン。この骨を、俺は見たことがある。
ついさっきまで生きていたあの古龍が振るっていた、炎を生み出す野生の剣だ。
「ディノバルドの尾骨……こいつはありがたい」
斬竜の骨を寝かせ、剣斧を構える。
もちろん骨はイカの腕の傍に置き、剣斧を振る摩擦をそのまま火花として腕の肉に送る寸法だ。題して、イカの丸焼きだ。
当然、纏わりついていた骨は剥がしてある。トレッドが撃ち砕いてくれたからか、案外簡単に剥がれ落ちた。
「とうッ!」
ガリッと固い感触が腕に走る。同時に、強い熱気が俺の頬を撫でた。
火は出る。まるで
しかし、一度では火が着かなかった。だから俺は、何度も剣を振って火花を散らす。五回目か、六回目くらいだろうか。ようやく、イカの肉が燃え上がった。
「おっしゃあ!」
あの青い体液が火に炙られ、まるで汗のようにその身に滴っていく。
直接燃え上がったその肉は、何と言うか、やはり食欲にまでは火を付けてはくれなかった。
「……青い煙が立っている……何だこれ」
取り敢えず携行していた鉄製の小瓶から、醤油、みりんを振り掛け、さらにスキットルに入れていた龍ノコハク酒を加える。スキットルは、ベルトに吊り下げていたものだ。酒は楽しむもよし、消毒にもよしと素晴らしい狩りのお供なのだ。
とにもかくにもそのような味付けをしてみたが、はてさて一体どうなるだろう。
「せいッ!」
火が通ってきたところで肉の一部を剣で一刀両断。それを切っ先に突き刺して、海水にサッと晒すことで消化する。ほんの一瞬、火が消えればそれでいい。
これにて、醤油の香りが染み渡ったイカの丸焼きの完成――とはならなかった。醤油の香りは一片たりともしない。生臭い香りが、ふんぞり返って漂っている。
「これは……」
嫌な予感しかしなかった。
それでも俺は、その身を齧る――――。
「――あああああぁぁぁぁぁッッ!!!!!!」
焼いて風味がより濃くなった、三日間置いた魚の肝にお酢を振りかけたような味がした。
◆ ◆ ◆
「イルルちゃん、ちょっと待って! 待ってぇ!」
「臭う、臭うのにゃ。生臭い煙の臭いがするにゃ……」
岩肌を掴みながら、ところどころから飛び出した骨へと脚をかけるハンターが一人。
金色の髪を一纏めにした、氷牙竜の鎧を身に纏った彼女は、どんどん先に駆け下りる小さな白い影に向けて、呼び止める声を掛け続けていた。
「ルーシャさん! きっとこの先にゃ! この先に旦那さんがいるにゃ!」
「分かった! 分かったから!! 待って! 私イルルちゃんほど早く降りれないから!」
ルーシャと呼ばれた少女は、半泣きの状態で必死に岩肌を這いずり回っている。
一方で、イルルと呼ばれたアイルーの少女もまた、懸命に両手足の爪を使って岩肌を滑り落ちる。
深く、底の見えない縦穴を、二人は下っていた。
「さっきまでの地響きはもうないにゃ……それでこの煙ってことは、旦那さんは勝ったのかにゃ」
「ふ、普通に考えればそういうことになるじゃないかしら……っ、あっ! この骨脆っ! ほんと無理!!」
脚を乗せた骨が崩れ落ち、ルーシャは半泣きで喚き散らす。
縦穴を下る無茶な行為に、彼女は困り果てている様子だった。
「ルーシャさん、もうちょっとにゃ! 底の方がうっすら見えてきたにゃ! ……あれは、炎……?」
「なんでこんな地下の底が燃え上がってんのよ~!!」
地下に見えるのは、うっすらと張られた水色。そしてくすんだ色の塊。燃え上がる、赤。
イルルは目を凝らして、その異様な風景を観察する。
「……水にゃ。底の方に、水が貯まってるにゃ」
「地底湖……ってことなの?」
崖を突き破るように聳えた巨大な骨に、ルーシャは降り立ってイルル同様底を見る。
彼女よりも視力が優れるルーシャは、交替するように底を見定めた。
「骨、ね。ここらと一緒。大量の骨が、水の上にまで浮かんでる。ううん、もしかして、積もってる……?」
「あの火は何にゃ?」
「……まるで、ブレスで燃やされた獲物のような……」
「一体何が……旦那さん!!」
抑えきれなくなったかのように、イルルは飛び出した。
骨から骨へ、跳び移りながら底の方へと駆けていく。
「まっ、待ってー! あわわわわ!」
ルーシャもまた、置いて行かないでと言わんばかりに慌てて次の骨へと足を掛ける。とはいえ、アイルーとの身体能力の差は歴然だ。あっという間に、距離が離されていく。
イルルは、とにかく下へ下へと駆け下りた。
シガレットが無事かどうか。それだけが、彼女の思考を支配していた。
「あれは何にゃ、長い何かが燃えてるにゃ……」
次第に見えるようになったのは、蛇竜種のように長い何かが燃える様子。
青黒い身と、それを燃やす炎。その横で、死んだように伏せる一人分の人影。
「……!! あれは……!!」
白い髪に、紫色の鎧。恐暴竜を思わせる質感に、黒い棘が連なった剣斧。
何度も見た後ろ姿が、彼女の脳裏に浮かんでは消えた。
そこに横たわるその背中は、間違いなく彼女が見続けてきた背中だった。
「だんっ……旦那さん!! 旦那さんっっ!!」
「えっ……シガレット!?」
イルルの悲鳴のような声に、ルーシャは素っ頓狂な声を上げた。
しかし、その先の答えを追求することはなかった。イルルの様子を見て、事態を何となく察したのだろう。
「……シガレット……。あんた、こんなところで……」
虚しそうにそう呟いて、降りる速度を緩める。
少しでも、二人だけの時間を作ってあげようと、彼女はゆっくり岩の突起に足を掛けた。
「旦那さん……!! やだっそんなのっ、そんなの嫌にゃ……!!」
跳び降りて、ようやく底の骨へと降りたイルルは、その碧い瞳に涙を浮かべながら伏せる影へと駆け寄った。
何度も見た背中。
何度も見た横顔。
左目を失い、全身を赤く染めた、変わり果てたシガレットの姿がそこにあった。
「うう、ううぅぅ……!! 旦那さん……! ボクを置いて行かないで……」
生気のない彼の頭を抱え、イルルは強く抱き締めた。
重いその頭を、彼女の柔らかな体毛で包み込む。彼女もまた、彼の白い髪に顔を埋め、零れる涙を拭った。
「旦那さん……旦那さん……っ」
それはまさに、今生の別れを惜しむ光景だった。
愛する者を失った悲しみが、この深き虚をマカ錬金壺のように浸していく――――。
「オロロロロ……」
「ぎにゃーっっ!! 何にゃー!? ゲロにゃー!!」
一転、ネコの悲鳴。
突然動かされた衝撃で彼の三半規管が悲鳴を上げ、結果胃の中に入っていた劇物を逆流させた。
要点をまとめると、シガレットはイルルの体に向けて吐瀉物を撒き散らした。
「にゃー!! うにゃー!! えっ、何これ!! 何これにゃ!!」
「イルル……今はちょっとだけ、そっとしといて……」
「旦那さん、生きてるのにゃ!? うにゃ……よかったっ。ボク、ボク……っ……うにゃ? すんすん……ぎにゃあーーっっ!! めちゃくちゃ臭いにゃ!! 三日間置いた魚の肝にお酢を振りかけたような臭いにゃー!!」
「うっ……声が頭に響く……オロロロ」
「ぎにゃー!!」
骸龍の血肉を逆流させたシガレットと、その吐瀉物を浴びせられたイルル。一人の呻き声ともう一人の甲高い叫び声が、この地下空間に反響する。
その阿鼻叫喚の図を上から見ていたルーシャは、静かに思うのだった。
あたしの心遣いを返せ、と。
◆ ◆ ◆
芳ばしい焼き加減。
醤油をベースとした味付けは、ゲソを焼くにはぴったしだ。
かじってみれば、その奥深い味わいが口の中に広がっていく。なんてことは、なかった。
独特のクセの強さが溢れ返る。肝の燻製というか、熟成というか、そんな味わいが近い。喉の奥から吐き気が込み上げてくるような味。甘いような、苦いような、ねっとりとした味が口内を支配する。醤油も、みりんも、龍ノコハク酒も。まるで機能していない。
ゲソ焼きとはまるで思えない、強烈な酸味が突如現れた。口の中を全て化学物質で塗り替えるような、恐ろしい酸味。ウメやレモンとは程遠い、舌を引き抜かれるような味わい。
目が開けていられない。
地獄のような苦しみ。
俺は今、俺は今――――。
「うわあああぁぁ!! やめてくれ――ッッ!!」
思わず叫んだその瞬間、俺の視界は一転した。
青と赤の布を重ね合わせた石造りの天井。
ぐつぐつと煮える鍋。石積みの棚に簡素なベッド。
間違えるわけがない。この独特な内装は、いつかの狩猟講習の際に利用した家屋とよく似ている。
そうだ、ベルナ村の家屋だ。
「……あ? 何だ、これ……」
「旦那さん!!」
半分閉ざされた視界の向こうから、可愛らしい声が響く。
はっと振り向けば、そこには飛び込んでくるイルルの姿があった。
「うおわっ! イルルかっ、あでっ、いででで!!」
「みゅわっ、はみゃっ! ご、ごめんなさいにゃ……っ」
包帯だらけの体が痛む。イルルは慌てて俺から離れ、申し訳なさそうに上目遣いでこちらを見てきた。
「……旦那さん、だ、大丈夫にゃ?」
「うん……だっ、大丈夫。心配かけたな、イルル」
伸ばした手に、イルルは愛おしそうに頬ずりをする。ふわふわとした柔らかな毛並みがくすぐったい。同時にとても温かくて、俺の頬は思わず綻んだ。
天井には、ランタンがゆらゆらと揺れていた。隙間から入り込む風を受けて、静かに軋んでいる。
悪夢か。さっきまで俺が見ていたのは、悪夢だろうか。
いや、違う。夢のはずなのに、あれは確かに味がした。あの味を、俺は知っている――――。
なんて、まどろみのような思考に嵌まりそうな時だった。
不意に、外から響く騒がしい声が耳に届く。
「……外、騒がしいな」
「旦那さん、ずっと眠ってたから……。外では、今宴会状態なのにゃ」
室内外は、布一枚だけで隔てられている。
それ故、外の喧噪がしっかり耳に届いてきた。
「宴会?」
「行方不明のハンター……イズモさんが帰ってきて、旦那さんが例の古龍を仕留めてくれたから研究も再開できるって、みんな大はしゃぎにゃ」
「例の古龍……」
「旦那さんが食べて、お腹壊してたあのイカさんにゃ。龍歴院の人たちは……何て言ってたかにゃ。おす……と、なんとかにゃ」
イカ。
恐ろしく巨大な、イカ。
食べたら、食べてはいけないような味がした、イカ。
「お酢……確かに、三日間置いた魚の肝にお酢を振りかけたような味だった」
「臭いも凄かったにゃ。旦那さん、やっぱり古龍は食べない方がいいにゃ。オオナズチといい、旦那さん古龍食べるとお腹壊すのにゃ。やっぱり人間じゃ分解できないのにゃ」
「いやいやいや。キリンという反例もある。俺はまだまだ味の探求がしたいぞ。残りの肉はどうなった? それに、淆瘴啖の亡骸も……」
「どちらも龍歴院が回収してるにゃ。研究のため、だそうけど。一部の素材や部位は、討伐者として旦那さんに提供されるみたいにゃ」
「そうか……。淆瘴啖の可食部が欲しいな。最優先で」
「あの生き物に可食部なんてあるのかにゃ」
「あるさ。調理法も、確立してある」
「にゃあ……」
何となく察しがついたのか、イルルは微妙な顔をして髭をしなだらせた。
「……にしても、俺ずっと寝込んでたのか?」
「にゃ。あの地底湖から持ち上げるの大変だったにゃ。飛行船を穴の上まで手配して、下ろしたロープに括りつけて持ち上げたのにゃ」
「おいおい嘘だろ。よく生きてたな俺」
「古龍が暴れてたから、飛竜がみんな島から逃げてたのが幸運だったにゃあ」
「……いろいろ、苦労かけたな」
そう言うと、彼女は途端に瞳に涙を溜めた。
堰き止められない。そんな様子で、耐えられなくなったように飛び付いてくる。
「旦那さん……本当に死んじゃったかと思ったのにゃ! すごく怖かったんだから……っ!」
「ごめんな。俺はこの通り、大丈夫だからよ」
「ううぅ~……。ボクを、一人にしないで……っ」
「うん。悪かった。それに、ありがとうな」
腕の中で震えるイルルを抱き締めると、随分と心が温かくなる。
柔らかくて、ふわふわしてて、温かいイルル。また無茶をして、こいつを悲しませてしまったようだ。
「旦那さん、目が……」
「……そうだったな」
不安そうに彼女が見るのは、俺の顔の左半分。
淆瘴啖に左目を潰され、その後も何度も攻撃を受けた。視力は戻らないだろう。包帯に包まれた左目の奥は、鉛のように固まった感触がした。
思い返してみれば、今回の狩りは本当に危険だった。今更ながら、自分が生きているかどうかさえ不安になってくる。
なんて思っていた時だ。彼女が、俺の胸に耳を寄せてきた。
「……心臓の音がするにゃ」
「えっ……」
「旦那さんのこの音、大好き。とても安心するもん……」
俺の胸に頬を擦り付けながら、彼女は噛み締めるようにそう言った。
「ただの心臓の音だぞ」
「ボク、いつもこの音を聞きながら寝るのにゃ。ボクにとっては、幸せの象徴みたいなのにゃ」
「そういうもんか……」
俺からすれば、イルルの柔らかさとか温かさみたいなもんか。気持ちが満たされるような、そんなもの。
意外にも、飯の他にもそんなものがあるみたいだ。残念ながら、腹だけは満たされないが。
「……ま、悪くないよな」
「んにゃ?」
イルルの頬を軽く上へ向かせて、そのおでこに唇を埋める。
ふわふわとしていて、いい匂いがする。
「イルル」
「なぁに? 旦那さん」
「お前って……美味しそうだよな」
「にゃ……ひ、久しぶりに聞いたにゃそれ。ボクは食べ物じゃないにゃ~」
そう言いながら彼女は両手で俺の頬を押さえ、同じように額にまふまふとした口を当ててきた。
何だかくすぐったい感触だった。
「お返し、にゃ」
「……なんか、むず痒いな」
「えへへ……ボクもにゃ……」
何だか照れくさくなってきたところで、ふと横の気配に気づく。
イズモが、むしゃむしゃと何かを食べながら立っていた。
「うおっ!? お前いつの間に!!」
「……あ、いいよ続けて続けて」
「続けられるか!」
「い、イズモさんいつからそこに……」
「美味しそうのくだりからだよっ」
「…………うにゃ」
イルルは顔を真っ赤にしてしまい、俺の懐に潜り込んだ。
俺はといえば、無心に香ばしいものを食べているこいつにむかむかしてきたところだ。
「ヒリエッタといい、シグといい、みんなボロボロになってまでオレのことを……くぅ~!! 持つべきものは友っ!」
「うるせぇ糞野郎。今度こそ刻んでなますにしてやろうか……!!」
「怖い怖い! 助けた相手をいきなり殺そうとするのやめて! サイコパスなの君は!」
イズモがビクついて、手に持った香ばしいものを庇うように胸に隠す。
何だかどっかの誰かさんの顔がちらついたが、それはあえて掘り返さないようにした。
「……で、それは何だ。すげー良い匂いじゃんか」
「ピザ、って言うんだって。ニャンコックがたくさん焼いてくれてるよ」
「あのでかい奴がか! おおぅ……チーズの香ばしい匂い……たまらんな!」
「ベルナ村は今宴会状態さ! 何せ、ようやくオストガロアが討伐されたんだからな!」
「オストガロア……? それって、例のイカか?」
「そう、イカだったんだよ。驚きだよな。俺初めて見た時、頭二つある首長竜だと思ったもん!」
オストガロア――随分荘厳な名前がついたものだ。
骨を纏い、骨を使い、骨に擬態する狡猾な古龍。それでいて、恐ろしいほどの食欲と力を秘めていた。できるなら、二度と会いたくはない奴だ。食べるのも、正直なところもう御免である。
「もちろん、功労者は君だよ、シグ。院を代表して例を言うよ。ありがとね」
「院を勝手に代表するんじゃねぇよ。元はといえばお前が……あー、もういいや。それより、礼なんていい。俺にそのピザをくれ」
「あ、言い忘れてたけど胃の粘膜が痛んでるから、あと二日は龍歴院特性の薬膳料理しか食べれないってさ」
「は?」
我ながら、間の抜けた声が出た。
「シグ、オストガロアの肉食べたでしょ? 人間には毒性が強いみたいだよ。研究職たちは顔真っ青だ。医者も、何で生きてるか不思議って言ってたよ」
「マジで?」
「んで、それを整えるためにも薬膳……あ、古代林で獲れる薬草数種を使ったゼリーみたいな奴なんだけどね。それを経口摂取しろってさ」
「……ということは、そのピザは……」
「オレが代わりに食べとくねっ」
俗に言う、てへぺろの表情でピザを口に入れるイズモ。腹が立ったから布団を丸めてぶつけてやった。
薬膳だ? 薬草のゼリーだ?
このベルナ村の問題を解決したっていうのに、そんな俺が今、目の前のピザも食べることができないのか。
「……あんまりじゃねぇかよ……っ!」
俺は少し泣いた。
「シガレット、調子どう~? んっ、ベーコンとチーズうまっ!」
ルーシャが尋ねてくる。片手にピザを添えながら。
「シガレットさん。本当に助かった。ありがとう」
今回の依頼を説明してくれたあの赤髪のハンターが、握手を求めてきた。
もう片方の手に、チーズのとろけるピザを乗せながら。
「貴方のおかげで研究が進んだよ。無事戻ってきてくれて、よかったよかった。龍歴院の長として、礼を言うよ」
龍歴院の長を名乗る竜人の老婆が、深々と頭を下げる。
両手を重ねながらの、丁寧なお辞儀。その手とともに、ピザも一枚重ねている。
「ヒリエッタの傷も治ってきてるよ。ピザも食べれて嬉しそうだった。いやー、よかったよかった~」
鼻の下を伸ばしながら、そう報告しにきたイズモ。相変わらず、ピザをむしゃむしゃと食べている。
室内には、ピザの香ばしい匂いが立ち込めていた。
来る人来る人、ピザを持ちながら入ってくる。俺が食べられないのを知ってか知らないでか、悪気もなしにどいつもこいつも――――。
「……く」
「ん? シグどったの? 何て?」
「くそ……」
「くそ?」
「くそったれ――――ッッ!!!!」
「旦那さん、お口開けてにゃ」
「ん……」
木製のスプーンに乗った、ぷるんとしたゼリー。
イルルが、例の薬膳ゼリーを食べさせてくれる。俺の両手は爪が剥がれたとか何だとかで包帯だらけなので、彼女が甲斐甲斐しく世話をしてくれていた。
「あいつら言いたいだけ礼言って後腐れなく去ってくな……。悪気もなさそうだし余計に性質悪い」
「挨拶するようにみんなピザ食べてたにゃ。みんなチーズ好きにゃのね」
「もう日付越えてるはずなんだけど、未だに騒いでるしな。チーズ好きで、祭り好き。陽気な連中だよほんと」
「みんな嬉しそうなのは良いことにゃ。……旦那さんは、辛そうだけど」
「このゼリーすげぇ苦いもん……」
薬草と一口に言っても、様々な種類がある。
煎じて飲めば茶のように深い味わいを残すものもあれば、子どもの嫌がる苦薬を生み出すものもある。料理に入れて味が深まるものもある中で、今回出されたこの薬膳ゼリーは特に苦味が強いものだった。
見た目は、緑色を差した半透明の物体だ。数々の薬草を、液体になるまで煮込んで作ったのだろう。特産ゼンマイを使ったゼンマイ茶とも通じる苦味がある。古代林の薬草が主材料と聞いたが、そのゼンマイも含まれるのかもしれない。
「うげぇ……にがぁ……しぶぅ……」
干し柿、というものがある。
あれは渋柿を丁寧に長時間干すことで甘みを貯めた、高級な甘味だ。とろける果肉と濃縮された甘さがたまらない逸品である。一方で、干す前の渋柿はといえば、恐ろしいほどマズい。口の中がしぼむような味がする。食べた瞬間、まるで口の中に一枚の膜が張られて、それがじわじわと収縮していくような感覚。味はない。いや、味が感じ取れない。
この薬膳ゼリーは、それに近かった。
とてもじゃないが、旨くない。胃にも貯まらない。
「あと二日か……しんどいな」
「旦那さん、頑張ろうにゃ。二日なんて、すぐ終わるにゃ」
「……そういや、イルルはピザ食べないのか? みんな食べてるぞ」
「にゃあ……ボクは、旦那さんと一緒に食べたいから……。治ったら、一緒に食べようにゃ?」
「イルル……お前って奴は……!」
「そのためにも、今はこれを食べるにゃ。はい、あーん」
「うぐぅ……ッ!」
相棒の優しさに泣けてきた。
苦いけど、何だかどこかほんのり甘いような、そんな気がした。
「……長かった気がするけど、終わってみるとあっという間だったな」
イズモが行方不明になったという知らせが届き、その捜索願いが俺宛てに届けられた。
ヒリエッタとルーシャに助力を願い、数日かけてベルナ村まで飛んで。
古代林には、あのスパイスの権化、バルファルクが我が物顔で暴れ回っており。
そいつと交戦中にイズモの無事が発覚し、しかし淆瘴啖がこの地にいることが判明する。
夜に急襲を掛けて、バルファルクをようやく撃退するが、しかし地盤の崩落に巻き込まれて地下に落ちて。
その地下で、変わり果てた淆瘴啖を見た。生きる屍のようだった。
淆瘴啖をここまで引きずってきた張本人、オストガロアもまた、骸が這いずり回っているような姿をしていた。そこに現れたトレッドも、徘徊する死体を思わせるほどやせ細っていた。
「……今度こそ、マジで死ぬかと何度も思ったな」
バルファルクはやはり危険な古龍だ。淆瘴啖は言うまでもない。
オストガロアは一人では絶対に勝てなかったし、最後の最後には頼りになる仲間に命を狙われる始末。
「でも、俺はまだ……」
扇状に切り取られた一片のピザを頬張る。
甘いチーズが、一瞬でとろけた。
「旨い……」
釜戸で丁寧に丁寧に焼き上げられたそれは、とろける食感を表面の焼き目の中に閉じ込めている。
ぱりっとしたチーズのおこげは大変香ばしく、そして塩気が凝縮されているような気さえした。しょっぱさと甘さが、文字通りとろけていく。
「旨い……ってことは、俺は生きてるんだな」
チーズが乗った生地は、これまたモチモチしている。
小麦粉を練って作られた生地にチーズを満遍なく広げ、窯焼きしたもの。そう聞けば随分とシンプルな料理に聞こえてくるが――この味は、そんなシンプルさとは程遠い、複雑に絡み合った絶妙な旨さをしていた。
「あぁ……チーズ、たまんねぇ……」
その一口を呑み込み、満足感に酔いしれようとしたその時だった。
死角から、肉球パンチが飛んでくる。
「こらー! 旦那さん! まだ二日目にゃ! 一日早いにゃ!!」
「うげ! イルル!!」
ぽふんと頬を叩かれ、右手に持っていたピザが没収されてしまった。
「イルル、後生だ! ピザを、ピザを食わせてくれぇ……ッ!」
「あと一日……もうちょっとだから耐えてにゃ。薬膳ゼリーの時間にゃ」
「うわあああぁぁ!! 嫌だァ!!」
宴会はもはや祭りと化し、三日三晩続いている。
俺の苦しい薬膳ゼリー奮闘記も、三日間続いたのである。
~本日のレシピ~
『骨イカの丸焼き -ユクモ風味-』
・オストガロアの触腕 ……1本
・醤油 ……できるだけたくさん
・みりん ……できるだけたくさん
・龍ノコハク酒 ……スキットル1本分
・斬龍の尾骨(火種) ……1頭分
ゲソ焼き食いたい。
お祭り屋台メニューで頭一つ分抜けて旨いと感じるもの、ゲソ焼き。私はこれを食べないとお祭りに行った気がしません。最近作り方まで覚えたので今や家で一人作る始末。
さてさて、最終決戦の後日談①のお話でした。シガレットは竜ノ墓場から救い出されて、飛行船の移動時間含め三日間ほどは昏睡状態でした。そのままベルナ村の家屋に運び込まれて、一方でベルナ村では宴が開かれてる中、目を覚ましたという感じですね。一番頑張ったのに、ピザを満足に食べれないのが可哀想。
動物の生食は、基本的にNGです。シガレットの胃袋をもってしても、やはり古龍は格が違うのだ。この後無事ピザは食べられたそうですが、それは後日談②の方へ……。
先に宣言しておきますが、当作品「モンハン飯」は次話の後日談②をもって、完結となります。長い期間となってしまいましたが、長らくのご愛顧、ありがとうございました。最終話もよろしくお願い致します。更新は一週間後、3月27日です。RISEの翌日!
目指せ!総合評価5,000pt超え!!