モンハン飯   作:しばりんぐ

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 安定の挿入話飯描写。ストーリーの弊害。





旨いものには神経を締めよ

 

 

「うおおおぉぉ!! なんだぁ!?」

「ほっほほ。こりゃあ、コダイオウイカじゃな!」

 

 まだバルバレで狩りを始めたばかりの頃――――。

 

 俺が釣り上げたのは、白く巨大な軟体生物だった。

 ギョロギョロとした瞳に、吸盤だらけの長い手足。その中でもとびきり長い二本が、俺の体に巻き付いてくる。防具にギリギリと、吸盤痕が刻みつけられていた。

 

「爺さん! 爺さんっ、これ何とかしてくれ!!」

 

 釣り場で獲物が掛かったと思いきや、出てきたのはコイツだった。

 完全に魚を想定していた俺は、度肝を抜かれる思いで今パニックに陥っている。傍にいた山菜ジイさんに助けを求める始末。

 

「いででで!! 何だコイツ!! 痛い!」

「ほっほ。動くなよ小僧」

 

 そう言いながら、山菜ジイさんは銛を出す。

 背中の籠を置いて、すっと構えた。俺もいるというのに、彼は構わず銛を構えた。

 

「ちょっ、待て! 早まるな爺さん!」

「どうどう、暴れるな若いの。お主を刺すつもりはないが、動くと保証できんぞ」

 

 俺に絡みついてうねるこの軟体生物。

 イカ。イカか。そういえば、タンジア鍋に入っているのを見たことがある。この足の形を見たことがある気がするが――本体はこんな姿なのか。知らなかった。

 なんて感心している場合じゃない! 爺さんが、爺さんの銛が――――。

 

「動くな、動くなよ……」

 

 その切っ先が眩い光を俺を照らす。

 山菜ジイさん――その眼光は、捕食者のそれだった。

 

 

 

「……大丈夫か、若いの」

「……あ、どうも……」

 

 すっかり意気消沈した俺に、爺さんは竹筒の水汲みを渡してきた。

 いただいたそれを一気に飲み干す。爽やかな水の香りが鼻を抜ける感じ。何というか、生きていることを実感する。

 

「ほっほほほ。アロイシリーズ、新調せねばならんの」

「あ……吸盤痕が酷いなこりゃ……。モンスターどころかあんな生き物にやられるなんて」

「駆け出しか? 若いの~」

「……駆け出しじゃあ、ないんだけど」

 

 言い訳がましくなるから、それ以上は何も言わないが。

 まだまだバルバレに来たばかりだ。右も左も分からない。駆け出しと言っても差し支えないだろう。事実、俺のハンターの活動歴はゼロだ。ゼロに書き換えられてしまったのだから。

 

「まぁ、苦労したじゃろうが……苦労の後の食事は、それはそれはたまらんじゃろて」

「……これは?」

「イカ刺しじゃ。旨いぞぉ」

 

 爺さんが見せてきたのは、あのイカの刺身だった。

 白く透き通るようなその色味には、どこか心が落ち着かされる。あの謎の生物が、まさかこんな美しい姿に変貌するとは。ぷるりとした質感が、光を反射して俺の心を揺れ動かしてくる。

 

「……食べていいのか?」

「主が釣らんと取れんかったからな。さぁ、食べなさい」

「じゃあ……。いただきます!」

 

 思わぬ形で飯にありつけたと、刺身を一切れ指で摘まむ。

 匂いを嗅いでみると、ほんのりレモンの香りがする。透き通った白の中に、薄い黄色がかかっていた。擦り下ろしたレモンがかかっているのか。

 口に含めば、レモンと潮のハーモニー。海の潮っ気が、十分な塩っ気を含んでくれる。

 

「あっ……海……」

 

 口の中に、磯が生まれた。

 ぷりぷりとした歯応えが、口の中で咲き誇る。

 何だろう、これは。噛む度に、じゅわっと甘みが広がってくる。潮の香りに引き寄せられるように、イカの甘みが溢れ出る。脂の甘さというか、砂糖や果物とは違う、動物性の肉特有の甘さだった。とろけるような、と例えてもいい。事実、噛む度にその甘さが溢れ、その度に歯応えある身がとろけていく。とはいえもちろん獣や竜の脂とは違う。何というか上品で、直情的ではないというか。少しひねったような、それでいて安直のような。例えるのが難しいが、この深みを醸し出す感じは、海産物特有のまろやかで贅沢な風味なのだ。

 そして鼻孔に、喉に広がっていくレモンの香り。擦り下ろすとこれだけ香りが増幅されるのか。果肉はもちろん皮も含まれているようで、酸味と香りが非常に高レベルでまとまっている。それでいて食感を邪魔することはない。味を引き締め、イカの甘みを引き立てる。何とも素晴らしい配役だった。

 

「……旨い。めっちゃ旨いぞこれ!」

「そうじゃろうそうじゃろう。自分が得た獲物は、それはそれは格別じゃろう」 

「いやほんとにすげぇよこれ! 爺さん、どうやってあのイカを捌いたんだ?」

「包丁で切り分けただけじゃよ。イカの解体の仕方はな……」

 

 山菜ジイさんは得意気な様子で語り出そうとしたが、生憎それは俺の聞きたい話ではなかった。

 何といえば、良いのだろうか。あの荒ぶるイカを、彼はどうやって無力化したのだろうか――――。

 

「あ、いや。そうじゃなくて……えっと、何と言えばいいのか。どうやって、捌けるようにしたんだ?」

「ん? 神経締めじゃよ。知らんのか?」

「初めて聞いた……神経締め?」

「神経を締める――魚介の新鮮さを保つためには欠かせない手段じゃて」

 

 うんうん、と頷きながら噛み締めるようにそう言う山菜ジイさん。

 神経締め、か。

 まだまだ俺の知らないことばかりだ。本当に、思い知らされる。

 

「……どうやって締めるんだ?」

「ほっほっほ。イカは簡単じゃよ。本当にシンプルじゃ」

「もったいぶらず教えてくれよ! 知りたい!」

「料理に興味があるのか? これはなかなか、見所ある若造に出会えたのう」

 

 山菜ジイさんは、そう感慨深そうに言ってから。

 先程俺に向けてきた、あの銛を取り出した。

 

「ならば、主に伝授しよう。イカを締めるには、ある場所を突けばいい」

「ある場所?」

「おうとも。簡単じゃ。知れば誰にでもできる。その肝心な部位というのはな――――

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「……こいつッッ……」

 

 金色の瞳が、俺を見る。

 骨に包まれた頭部が、余りにもでかい。口の占める範囲も、あまりにもでかい。

 口に体がおまけにように張り付いて、そこに骨を付け足したかのような、そんな姿だった。

 それにしても、こいつの姿は見たことがある。

 骨でできた双頭の龍、ではなかったのだ。

 

「……イカ、か?」

 

 あの双頭は、触腕か。

 貝殻を纏うように、骨を身につけているのか。ということは、コイツ自体は甲のような骨は持ち合わせていない?

 一体、何なんだコイツは。

 

「……チッ、マジで強そうだなコイツ……」

 

 黄土色に硬化した骨に、青黒い粘液質の肌。二本の触腕と、迸る龍の光。

 ただのイカではない。明らかに脅威となる古龍だ。

 

「俺が生きて帰るには……お前を、食うしかなさそうだッ!」

 

 骨を食うとなると、何も気持ちが盛り上がらなかった。

 だが、イカとなれば話が違う。いつか食べたコダイオウイカは旨かった。

 お前も――旨いだろ?

 

「さて……」

 

 改めて、剣斧を構えた。

 コイツと戦うために、グラバリダに新たなビンを装着させる。同時にその側面をナイフで裂いて、中身を刀身に浸透させた。最初から、剣鬼形態だ。

 このまま斬り込もう、とも思ったが。それよりも、まずは。

 

「……トレッドだろ? 俺を助けてくれたのは」

 

 光を呑み込む虚に向けて、そう声を掛けた。

 

「コイツはやべぇ。手を貸してくれるな!?」

 

 そう問い掛けると、背後から骨が割れる音が響く。

 高台から跳び降りてきたかのような、そんな音。

 

「……久しぶりですね、シグ」

「……お前、手紙くらい返せよな」

 

 そう悪態をつくも、彼はそれを無視して背中の獲物を取り出した。いつもより大きな獲物を展開するのだが――俺はそれ以上に、彼の異様な姿に目を奪われた。

 その肌はいつも以上に色白で、薄い瞳には淡い色の隈を湛えている。元々細身だったはずが、さらにやせ細っていた。顔の半分を血塗れにしている俺が言うのも何だが、久しぶりに会ったトレッドは、随分と変わり果てていた。

 

「お前……」

「シグ、左目が」

「あ、あぁ……いやお前、人の心配よりまず自分を気にしろよ……」

「……如何せん、資料探しに追われていましたので、ね」

 

 見れば分かる。こいつはろくに寝てないし、食べてもいない。不健康そのものだ。それほどまでに、例の人探しに熱中していたのか。

 そんな彼が構えるのは、いつもお馴染みのライトボウガン――ではなかった。

 くすんだ銀色は、まるで鋼鉄のよう。長い銃身の根元には、レンコンのような丸いパーツを備えたその姿。彼の身長ほどもあるその銃は、間違いなくヘビィボウガンだ。

 

「お前、ヘビィも使うのか?」

「こういう時だけですけど、ね」

 

 彼がポーチから取り出したのは、弾が十二発、円状に連なった奇妙なパーツ。それを、彼は半分に折り畳んで露わにしたレンコンの後部に押し当てた。

 ボタンを押し込むと、ガシュッという音が響き、あの円状の弾が全て装填される。

 

「スピードローダーというのは、便利なものですね」

「あん?」

「コルム=ダオラ用に特注開発されたのですが、あらかじめ用意しておくことで素早いリロードが可能になるんです。さ、やりましょうか」

 

 そう言って、彼は『コルム=ダオラ』と称した重弩を構える。

 見たことのある質感だ。以前俺が使っていた義足とよく似ている。ダオラと言うだけあって、おそらく鋼龍由来の武器なのだろう。

 なんていう、俺の捻りのない考えを掻き消す発砲音。腰を落として、両脚を広げて。前転と共に銃を構えた彼は、恐ろしい勢いで連射を始める。撃つ度にあのレンコンは回転速度を速め、鋭く穿つような弾を撒き散らす。彼が引き金を振るう速度も、数撃つ度にさらに速まっていく。

 

「注意は引きます。シグは、回り込んで隙を狙ってください!」

「……分かった!」

 

 撃ち切ったレンコンから空になった薬莢を落とし、トレッドは新たなローダーを注ぎ込んでいく。

 そんな彼を狙って、あの骨の龍――もといイカはその隻腕を振るうが、彼は驚いたことに走り出した。ヘビィボウガンを抱えているというのに、彼は構うことなく走り出した。

 

 あんな力があったのか、なんて今更ながらに思う。長い付き合いのはずなのに。この前アイツの腕を簡単には振るえなかったのは、もしやあれが理由だろうか。

 

「相変わらずすげぇな、あいつ……!」

 

 隻腕を振るうイカ。その腕を軽々と避けて、再び連射を始めるトレッド。

 あの骨の鎧に軽々と穴を空ける感じからして、彼が放っているのは貫通弾か。通常弾では弾かれてしまうだろう。貫通弾と言えど骨に穴を空けるので手一杯のようだが、奴の気を引くには十分だった。

 その隙を突いて、俺は斧を振り下ろす。奴の顔を縦一文字に大きく薙ぐ。

 薙いだ瞬間感じる、強烈な生臭さ。

 

「うっ……何だ!? くっさ……ッ!」

 

 青黒い息が漏れていた。奴の口から、悪臭を帯びたガスが漏れていた。

 

「シグッ! 上から来ます!」

「っ! くそっ!」

 

 奴の頭部を覆う骨が、震える。

 慌てて背後に転がると、その骨が勢いよく水面を打ち鳴らした。イカの頭突きとは随分滑稽な光景だが、あまりの質量にその威力は笑えない。直撃していたら、全身が粉砕骨折だ。

 なんて思いながら転がった瞬間だった。

 俺の体が、急激に重くなる。

 

「ん……なっ!? 何だこりゃ!?」

 

 俺の鎧に、骨がこびりついていた。まるで接着剤でも纏ったかのように、鎧に大量の骨が纏わりついている。

 そのあまりの重さに、俺は満足に動けない。

 あのイカは、そんな俺をじっと見つめた。

 

「うげっ……!」

 

 奴の隻腕が、赤黒い光を帯びる。

 その先端から迸る、黒々しい龍のオーラ。

 

「シグッ! 動かないで!」

「うわっ!」

 

 瞬間、響くトレッドの声。同時に轟く発砲音。

 直後に、俺にへばりついた骨が崩れ落ちた。トレッドが撃ち抜いたのだろう。一部残った骨には、貫通弾特有の捻じったような弾痕が残されている。

 

「いきなり撃つなよ! 怖いだろ!」

「うるさいですね……感謝してもらいたいもんです!」

 

 そう言いながら彼は前転し、再びボウガンを構えて引き金を引く。

 彼が冗談めいた悪態や罵倒もせずにそう言うのは、目の前の古龍がそれだけ危険だという証。俺も改めて斧を構え、奴の隙を伺った。

 

 攻撃手段は、主にあの触腕だ。

 隻腕となったそれも、骨を纏った超質量であることには変わりない。それを鞭のように振るうのだから、危険極まりない存在だ。

 だが、根元はどうだ。先端は激しく振り回されているが、根元は骨の大地から顔を出しているだけで大きく動く気配はない。トレッドに気を取られている今、あの根元はまさに隙だらけだった。

 

「そこだッ!!」

 

 全体重を乗せた、斧の振り回し。

 周囲を薙ぐその一閃が、骨を砕いて中の身を引き裂いた。

 

 イカは吠える。吠えて、痛みに耐えられなくなったように横転した。頭部が沈み、その頂点が露わになる。

 

「……っ、何かありそうだなッ!」

 

 あれだけ丈夫な骨で纏っているのに、その頭頂部は執拗に隠していた。本性を表す前から、今戦っていた時でさえも。

 あの頂点には何があるのか? 俺は気になって、斧を剣に変えて走り出す。龍属性の軌跡が、奴の背中の骨を焼いた。

 

「シグッ! 上から見ていた時に気づきましたっ! 奴の頭頂部には色の異なる部位がありますっ、もしかしたら急所かも!」

「あったっ! これだな!」

 

 黄土色の骨の海に沈む、玉虫色の甲殻。いや、奴の身が剥き出しの部分か? どちらにせよ、じっくりと考えている暇はなさそうだ。

 俺は剣斧の勢いをそのままに脚を踏み切った。大きく跳躍し、そのまま切っ先を下に向ける。属性エネルギーを高めつつあったその刃を、深く奴の急所――と思われる部位――に向けて突き刺した。

 

「うおっ、暴れんな!」

 

 それが効いたのか、奴は悲鳴を上げてその身を仰け反らせる。

 俺はとにかくグリップを握り続け、属性解放の手を止めなかった。溢れ出る光が炸裂するまで、とにかく剣を突き刺し続ける――――。

 直後、奴の周囲が激しい光を放った。

 この光は、拡散弾のものだ。トレッドが、奴の周囲を拡散弾で覆い尽くしている。

 

「シグっ! そのまま離さないで!」

「助かるッ! オラァッ! 喰らえこのイカッ!」

 

 溜めに溜めた龍のオーラは、そのまま奴の内部で炸裂する。

 俺が吹き飛ばされたのはその反動か、それとも痛みのあまり海老反りになった奴の剛力のせいか。

 骨の山を転がりながら奴を見定めると、トレッドの放つ弾幕がその身を削る光景が目に入ってきた。

 

「いってぇ! どうだトレッド! 効いてるか!?」

「……どうでしょう……奴の隻腕が、骨の底へ沈みました。これは……」

 

 本当だ。体勢を立て直す奴のあの腕が、どこにも見当たらない。一体どこに消えてしまったのか。

 なんて、辺りを見渡したその時だった。

 突如、骨の山が弾け飛ぶ。同時に引き上げられる奴の腕。骨を撒き散らしながら現れたそれは、赤と青の甲殻を纏っていた。

 

「――あれは!」

「ディノバルドの……尻尾!?」

 

 骨に擦られ炎を灯すそれは、まるで大剣のよう。

 力強く振り被られ、炎の軌跡をこの地下空間に走らせる。

 

「うおおっっ!」

 

 慌てて転がって避けるものの、若干の熱を浴びてしまった。あれは間違いない。ディノバルドの火炎そのものだ。奴は尾骨を利用して、発火現象を起こしているのだ。

 

「あちち……クソ、この頬当てはもうダメだな」

 

 淆瘴啖の涎で損傷していたこの頬当ては、もはや形を成せなくなるほど溶けていた。

 仕方なく乱雑に引き剥がし、改めて剣斧を構える。

 息がしやすい。生臭い海の香りが、より感じやすくなった。

 

「トレッド! 無事か!」

 

 炎の壁の向こうへと声を張り上げる。返事のように返ってきたのは、耳を劈く炸裂音と硝煙の香り。

 トレッドは炎の壁をくぐり抜け、冷静に重弩を構え直していた。再び鳴り響く連射音に、斬竜の亡骸が激しく火花を散らす。

 

「所詮は劣化した骨ですね。燼紛が多少残っているといえど、何発か撃ち込めば壊れそうです。シグは構わず、本体に攻撃を!」

「おう!」

 

 相変わらずの精密な射撃により、奴の炎は封じられた。この隙に、俺は駆ける。赤い光を迸らせる奴のその頭に向けて、剣斧を引きずりながら走った。

 奴は、ディノバルドの骨が炎を発することを学習したのか? それをそのまま道具として、武器として使っているのか? 考えれば考えるほど奇妙な古龍だ。知能の高いモンスターは数多くいるが、こいつはその中でも特に危険な存在だろう。

 ――そしてそれだけ頭の良い生き物というのは、どんな味がするんだろうな。

 

「喰らえッ!」

 

 走る勢いをそのままに、腰を捻って遠心力を上乗せする。振り被った斧を奴の口元に叩き付けると、奴は鈍い悲鳴を上げた。

 先程のような青い(もや)は、もう出てこない。代わりに、滞留する龍のオーラが光を増しているかのように見えた。

 

「……こいつ」

 

 背後から、骨が砕ける音がした。トレッドの放った弾が、斬竜の亡骸と奴の腕を繋ぐ骨をバラバラに砕く。

 それに奴は唸り声を上げ、身を屈ませて――するとその瞬間、纏う龍のオーラがさらに一際大きくなった。

 

「トレッド、こいつ何か――――」

「シグっ! 気を付けて! この龍、再び腕を沈めています! 骨を出す気……」

「――骨……骨じゃ、ねぇッ!?」

 

 再び盛り上がる骨の山。それによって水流が乱れ、俺たちは姿勢を保つのに精一杯になる。

 次の瞬間だ。有り余るほどの巨体が引き上げられた。赤と、黒と、緑と紫を混ぜ返したような、そんな色。金色の牙が立ち並ぶそれが、隻腕によって持ち上げられる。

 

「……淆瘴啖ッ!?」

 

 先程水の底へと引きずり込まれたはずの、淆瘴啖。俺が仕留めるはずだった淆瘴啖が、今高く高く持ち上げられて――そのまま、俺に目掛けて叩き付けられた。

 

「うがっ……!」

 

 やせ細っているとはいえ、あの巨体だ。重さも相当なもので、骨の大地に穴を空けた。それによって激しい水しぶきが舞い上がり、俺は衝撃のあまり飛ばされる。

 骨の大地を転がる中、左手では剣斧の柄を握り続け、右手はとにかく骨を掴んだ。籠手越しに爪が剥がれるのが分かる。痛むが、それでも放す訳にはいかなかった。俺は泳げないから、落ちたらまさに一貫の終わりだ。

 

「シグ……生きてるんでしょうね!」

「ぐっ……ッッつぅ~! 生きてるよ! 何とかな!」

 

 左目の血も止まらない中、右の籠手の中にも血が滲むのを感じた。それでも何とか体勢を立て直し、もう一度剣斧を構える。握る拳に、鈍い痛みが走る。

 脚、無事だ。義足、問題なし。体はきついが、俺はまだ戦える。まだ、食える。

 

「トレッド! 俺はもう一度、あの隻腕の付け根を狙う! 援護頼む!」

「……今度ばかりはあの巨体を振り回されてますからね、さっきのようにはいきませんよ!」

「構わねぇ! やれるだけでいい!」

 

 そう叫んで、深く深呼吸して。

 グリップを捻り、再びビンを解放する。背後に回した剣斧から、強烈な負荷が伝わってくる。それをそのまま、加速のエネルギーへと換えて――俺は走り出した。

 沈黙した淆瘴啖は、もう既に息絶えてしまったのだろうか。ただ動かぬ肉塊として、俺たちを苦しめるように骨の大地を掻き鳴らす。舞い上がる骨の欠片は痛いが、俺はとにかく走り続けた。残った右目に当たらないことを祈るばかりだ。

 トレッドは、これまでにも増して重弩を激しく鳴らしている。甲高い射撃音が反響し、その度に奴の隻腕から青い血飛沫が舞うが、それでもこのイカは止まらない。俺たちを薙ぎ払おうと、淆瘴啖を振り回す。

 

「当たるかッ!」

 

 その巨体をくぐり抜け、俺は全身全霊を持って滾る剣を叩き付けた。澄んだ龍の光が、奴の青黒い肉をぶちぶちと引き裂いていく。

 

「らぁッ!」

 

 そのまま振り抜いた。

 重い肉を裂く手応えが腕に届く。切り裂いた。切り裂いたが、固い骨の感触までは届かない。

 

「ちっ……!」

 

 奴の腕を斬り落とすまでには至らなかった。

 先程斬りつけた箇所に、重ねるように叩き付けたというのに。

 

「……これでもか……ッ!」

「シグッ! 離れて!」

「うっ!?」

 

 諦めかけたその時に、トレッドの声が響く。振り向こうとした瞬間、あの骨をいとも簡単に貫いた軌跡が走る。

 半分になった視界の端に映ったのは、伏せるように重弩を構えるトレッドの姿だった。さながら狙撃の体勢のような彼に言われるがまま、とにかく離脱しようと足腰に力を入れる。

 背後に跳んだ、その瞬間に。あの弾道が炸裂し、奴の腕を根元から引き裂いた。

 同時に落ちる、淆瘴啖の巨体。悲鳴を上げる奴の目の前に落ち、大量の骨を舞い上げた。

 

「やっ――――」

 

 喜んだのも束の間だった。俺たちの声を掻き消すかのように、凄まじい怒号が響く。大気が怒りに震えている。

 片腕を淆瘴啖に喰い千切られ、残ったもう片方の腕も俺たちに奪われて。凄まじい量の血飛沫を上げながら、それでも奴は俺たちを睨んだ。あの金色の瞳で、憎々しげに睨んだ。奴の骨を走る光が、どこか虹色を帯び始める――――。

 

「これは……」

「やっぱりだ。密度が濃くなっている。これって、もしかして……」

「龍属性の収束ですね。ブレス、でしょうか」

「おいおい嘘だろ。こんな高密度のブレスって、一体……」

 

 骨を走る光が、一心に集まっていく。奴の口元は光を集め始め、それが徐々に徐々に赤黒く染まり始めた。

 その様相は、さながら太陽か。

 まるで火球のようなそれを、奴は咥えるようにして俺たちに向けた。

 

「……退避っ!」

「これはやべぇ!!」

 

 俺とトレッドは直ちに離散した。離散して、骨の窪みへとダイブする。

 果たして、そんなことで逃れられるものなのか。

 そんな俺の疑問を掻き消すかのように、光の玉が放たれる――その直前だった。

 淆瘴啖が吠えた。

 

「えっ!?」

「なっ……!!」

 

 生きていた。淆瘴啖はまだ、生きていた。

 左目が潰れ、左脚を失っているというのに。口から大量の水を吐き――目の前で光を解き放とうとする骨の龍に向けて、牙を突き立てた。

 

「伏せろッ!」

 

 喉元――と言えばいいのかは不安だが、淆瘴啖は奴の喉元へと食らい付く。

 力の収束に躍起になっていたのだろう。死角からのその衝撃に、あのイカは思わず体を仰け反らせ――溜めた光をこの地下空間の上へと解き放った。

 波動が押し寄せる。空気が引き裂かれて、赤い赤い色が全てを塗り潰した。その轟音はもはや衝撃の塊となり、この骨の大地を吹き飛ばした。

 

 解き放たれたそれは、もはやブレスというレベルじゃない。グラビモスの熱線を極限まで太くしたような、超質量の波動そのものだった。それが宙を舞う骨全てを掻き消して、天井部分の地盤を融解させる。

 

「上からも来ます……っ!」

「俺……生きてるのかこれ……ッ!」

 

 崩れた地盤は、熱でボロボロに融けながらこの地底湖に降り注いだ。それを武器で弾こうとするものの、ブレスの衝撃で水面も波打ち、思うように踏ん張れない。

 まさに、永遠とも思える時間だった。いつ死んでもおかしくない――むしろ、自分が今生きているかどうかすらも自信が持てないほどの、恐ろしい時間だ。

 だが、それも永遠ではない。奴のブレスがか細くなっていくにつれ、大気を打ち鳴らすその怒号は次第に成りを潜めていった。

 

「……生きてる」

「生きて、ますね……」

 

 赤い光が途切れる。息がもたない、と言わんばかりに奴は滞留する光を弱らせる。ボロボロと、纏う骨のいくつかが音を立てて剥がれ落ちた。

 同時に、重い音が響く。至近距離からあの波動を浴びた淆瘴啖は、力なく牙を離し、ずるりと倒れ込んだ。あの波動をすぐ隣で浴びたのだ。恐らく奴は、今度こそ――――。

 

「……淆瘴啖」

 

 淆瘴啖は、うっすらと瞼を持ち上げた。残った右目で、俺を見た。

 口に残った古龍の肉を、呑み込む力もないらしい。ただ静かに、その瞳から光を手放した。そのまま、動くことはもうなかった。

 溶けて穴が空いた天井からは、夜明けを思わせる光が彼を優しく照らしていた。

 

「――シグっ、気を付けてください! 奴が潜ります!」

「何ッ!?」

 

 はっと気づいた時には、骨の山へ沈み込む奴の姿が見えた。あれだけ巨大な生き物が、瞬く間に水中へと姿を消してしまう。

 いや、どう動いているかは分かる。奴が動く度に水流が発生し、骨の大地を掻き分けていくのだから。

 

「逃がしてたまるか……ッ!」

 

 こいつをこのまま逃がす訳にはいかない。ここまで追い詰めたんだ。俺とトレッドと、淆瘴啖で追い詰めたんだ。このまま食わず仕舞いなんてこと、認めてなるものか。

 

「……ッ! なっ!?」

 

 逃げる、ではなかった。

 奴は、体勢を立て直したのだった。

 

 再び浮上した骨の山。

 その奥に佇むイカの頭は、再びあの光を集め始める。

 虹色にも輝く骨と、収束していく赤黒い光。

 

「第二放射……っ!」

「嘘だろ……!!」

 

 あれだけのエネルギーを、こいつは再び集め始めていた。今あれを撃たれたら、逃げようがない。淆瘴啖はもういない。照準がずれることもないだろう。

 ブレスという範疇に収まらない、ただただ高密度の質量の塊。避ける術は、もうなかった。

 

「かくなる上は――」

「撃たれる前に狩る!!」

 

 トレッドは重弩のシリンダーを回転させ、再び硝煙を上げ始める。

 俺は、剣斧を振り被って再び走り出した。

 

 どうすればいい?

 このまま闇雲に攻撃して勝てるのだろうか。

 俺たちがどれだけ肉を抉っても、淆瘴啖が急所に喰らい付いても、奴はまだこうして力を溜め続けている。

 どうしたらいい。

 どうしたら、こいつを仕留められる。

 

 ――ならば、主に伝授しよう。イカを締めるには、ある場所を突けばいい。

 

 いつか聞いた、山菜ジイさんの声が脳裏をよぎった。

 

 ――おうとも。簡単じゃ。知れば誰にでもできる。

 

 あの時、俺を羽交い絞めにした巨大なイカをたやすく無力化した彼の技。たった一撃で、あのイカを食材へと変貌させたあの技。

 そうだ、確か"神経締め"だと言っていた。

 

 ――その肝心な部位というのはな――――

 

 思い出せ。

 彼が突いた場所を。

 思い出せ。

 イカの急所を。

 

「……そうだ」

 

 今は銛がない。奴もただのイカじゃない。

 今あるのは剣斧だけだ。奴は、恐るべき古龍だ。

 剣斧には、ビンがまだ十分残っている。奴は、触腕を奪われ肉を引き裂かれた手負いだ。

 

「思い出した……!」

 

 この方法なら、もしかしたら。

 アイツを止めることが、できるかもしれない。

 

 ――イカ・タコを締める時は?

 

「――――目と目の、間ァッッッ!!」

 

 骨を踏み付け、跳躍。溜まる光も無視して、奴の眼前へと迫る。

 そして、その金色の両目の真ん中に、俺は剣斧を突き刺した。

 

「らあああぁぁぁぁぁッッ!!」

 

 グリップを捻り、ビンエネルギーを全て解放する。渾身の、属性解放突きだ。

 奴の動きが、明らかに止まった。体中が硬直しているのが分かる。光の収束が、一瞬緩む。

 まだ、まだだ。

 神経締めは、神経を断つ行為だ。イカならば、目と目の間に神経が通っている。角度をつけて、分厚い肉の奥の神経を断ち切らなければならない。 

 もっと奥に。もっともっと奥に突き刺さなければ――――。

 

「……うあっ!?」

 

 奴が、突然暴れ出した。

 ダメだ。コダイオウイカのようにはいかない。奴の皮が分厚過ぎて、俺の力では神経を断ち切るとまではいかない。

 剣斧は深々と刺さっている。だが、それも刃の半ばまで。根元まで刺さらなければ、奴を止めることはできないだろう。

 

「放すか……っ、ぐっ!」

 

 力を込めた右手に、鋭い痛みが走る。

 

「あ"ッ!! しまっ――」

 

 その一瞬に、俺は奴に薙ぎ払われるままに跳ね飛ばされた。

 剣斧の柄が、遠くへ行ってしまう――――。

 

「――トレッド!! 柄だ! 柄を狙え!」

「っ!」

「剣斧を、根元まで突き刺せば奴を神経締めできる! 何とかできねぇか!」

「全く君っていうやつは――――」

 

 トレッドは、ポーチから新しい弾薬を取り出した。

 それを中折れした重弩へと装填。すぐさま構え直し、照準を奴に――奴の目元に刺さった剣斧へと向けた。

 

「――無茶を言いますねッ!!」

 

 とりわけ重い火薬の音が響く。貫通弾よりもさらに重いそれが、鈍い音を立てて剣斧の柄へと着弾した。

 その衝撃で、剣斧が進む。だがその弾の真髄は、着弾したその後だった。

 

「徹甲榴弾……!!」

 

 続けざまに三発放ち、その全てが見事柄に着弾する。

 そして、突き刺さったその弾薬が、とうとう炸裂した。

 

 爆破の連鎖が、まるで金槌のように剣斧を打ち鳴らした。

 剣斧は深々と沈み込み、青い血液が勢いよく飛び出した。

 

「やった……!?」

「……いや!」

 

 奴は光の収束を――――止めなかった。

 まだ、まだ届いていない。剣斧の根元まで、あと少しだというのに。

 

「徹甲榴弾は……今ので……」

「……いや、十分だ!」

 

 あと一発。あと一発だけだ。

 とどめは刺し切れていない。しかし、今のが効いているのは確か。奴の動きが、格段に鈍くなっている。

 これなら、俺は近づける。

 

「神経締めは――――」

 

 走って、走って。

 骨の山を掻き鳴らして、俺は骨を撒き散らす奴の体を登り上がる。

 走る勢いをそのままに。疲労に襲われる体に鞭を打って。

 重い重いこの左脚を、俺は勢いよく振り上げた。

 

「――鮮度の維持に最適だッッ!!」

 

 覇竜の足が、鈍い音を立てる。

 重い肉の感触が、義足に伝わってくる。奴の太い神経を断ち切った感触が、義足を通して体全体に伝わってくる。

 奴の全身が、青黒い体がどんどん白くなっていく。

 剣斧が、その根元まで押し込まれていた。神経締め、完了だ。

 

「ぃやった!! 今度こそッ!」

 

 宙を舞いながらガッツポーズする俺に合わせるかのように、奴の金色の瞳は、力なく灰色に染まっていった。

 

 ――骨の龍が、まるで糸が切れたように崩れ落ちる。

 骨が、まるで奴を死に迎え入れるように、激しく舞い上がり、雨のように降り注ぐのだった。

 

 

 

 

 

~本日のレシピ~

 

『コダイオウイカのレモン刺し』

 

・コダイオウイカ(身) ……100g

・ポッケレモン     ……適量

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――そういえば、親父が言ってたな」

 

 動かなくなった古龍を背に、俺は淆瘴啖の亡骸へと歩み寄った。

 

「仕留めた獲物の口に食べ物を入れてやれば、そいつは死後の世界で食べ物には困らないって」

 

 力なく開いている淆瘴啖の顎を、俺は左手でぐっと押した。

 やせ細って軽くなった顎は、ゆっくりと閉まる。口の中では、あのイカの肉が静かに佇んでいる。

 旨いかどうかは分からないが、淆瘴啖のことだから、腹が満たせればいいだろう。

 

「……こっちでは喰えなかった分、向こうで存分に喰えよな……」

 

 淆瘴啖に、随分と振り回されたもんだ。

 俺の左脚に、さらには左目まで奪いやがって。

 でもまぁ、コイツの存在があったから、俺は今こうやって世界に満ち溢れている『旨い』を知ることができたんだよな。

 そう考えると、何だか感慨深くもなってくる――と、奴の右瞼を閉じさせながら感じていた。

 

 

 

「……で、それは何の真似だ? トレッド」

 

 背後から、金属が擦れ合う音が響く。

 振り向くと、随分と冷たい目をしたトレッドが俺を見ていた。

 

「さて、そろそろ本題の話をさせてもらいましょうか……」

 

 その手に握られていたのは、何度か目にしたものだった。あの地下工房で。いつかのサウナの中で。

 ――ギルドナイトとして初めて俺の前に現れた彼が、手にしていたもの。

 

「僕がここに来たのは、三日前」

「あん?」

「資料探しがようやく終わり、君が古代林に飛ぶという情報を仕入れたので、突貫で飛行船を用意しました」

「どうした? 急に……」

 

 彼の唐突な自分語りに、思わず首を傾げた時だった。

 困ったように、それでいて悲しそうに。震えるような声を振り絞って、彼はその先の言葉を繋ぐ。

 

「……完全に盲点でしたよ」

「あ?」

「まさか、最後の一人が――――君だったなんて、ね」

 

 そう言って、奴は躊躇なく引き金を引いた。

 この地下空間に、火薬の弾ける音が甲高く木霊した。

 

 

 

 






 閲覧有り難うございました。


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