※ハズレ回
「にゃあーっ……」
往来を通る人々。
にぎやかな町並み。
高らかに笑う、若い女の人たち。
「あれ、何にゃ……」
そんな女の人たちが手に握るのは、何やら太いストローが突き刺さったビンだったにゃ。
その中には、やや薄茶色に濁った不思議な飲料に、黒いつぶつぶがたくさん。あんな飲み物、見たことないにゃ。
「きゃはは! ね、これ美味しいでしょ?」
「うん、美味しい! 何これ、つぶつぶー!」
「流行りのやつよね、これ! 月刊『狩りに生きる』でも紹介されてたわ」
「最近じゃ、女性のハンターもよく飲んでるそうよ。そろそろ食事メニューにも登録されるんじゃないかって噂!」
きゃいきゃいと、女の人たちは楽しそう。
ひとしきり笑って、またストローに口をつける。すると、あの黒いつぶつぶがすぽぽぽ! と音を立てて吸い込まれていった。
何だろう、あれ。凄く、凄く不思議な食べ物にゃ。
「あー、おいし~!!」
我が家のポストを確認しに、庭へ乗り出したボク。それだというのに、ポスト越しに見えたあの人たちの会話に、必死に聞き耳を立ててしまった。でも、結局その
「――――ってことがあったにゃ」
「ふーん……何だそれ」
特に手紙は届いてない。トレッドから何か来てないかと旦那さんに頼まれたものの、収穫はなしだったにゃ。
けど、それよりも!
さっき見た食べ物のことが気になってしょうがないにゃ。そんな胸の声の命じるままに、旦那さんに投げかけてみた。
「黒いつぶつぶ……? そんなもん市販であったかな」
旦那さんは、ギルドからもらってきた大量の依頼書とにらめっこしていたにゃ。
たぶん、この前逃がしてしまった古龍だと思う。あれの情報がないか、ここ最近いつも探してるのにゃ。
一応、何か目ぼしい情報があった? って聞いてみると、彼は「龍歴院がー……」と口にするものの、どうもまだ曖昧な感じだった。あんな神出鬼没な古龍なんだから、探すのも大変にゃ、きっと。
「だー! ダメだ! 全然分からん!」
「にゃ……」
「龍歴院の管轄内でそれらしき飛影あり? 只今返信文書待ち……だってさ! くそう!」
「にゃあー。あんな子、滅多にいないんだから見つけるのも大変にゃ、きっと」
「傷痕を照らし合わせれば同一個体かは分かる。けど、尻尾も掴めなければ全くの無意味だよ」
「あの子、尻尾斬っちゃったからもうないにゃ」
「どうせ生えてくるだろ。掴み直してやる」
この前のヴォルガノスを狩る前から、この人はずっとこんな感じにゃ。
お腹の欲求と金欠に悩まされたら狩りに行って、それ以外はこうやってギルドから情報を待っている。それだけ、旦那さんはあのモンスターを食べたいのかな。それとも、やっぱり淆瘴啖を食べるために――――。
「……そういえば旦那さん、あの古龍の素材、どうしたのにゃ?」
「ん?」
「お師匠さんが渡してくれたやつにゃ。尻尾まであったけど」
「あー……そういや返してないな。あーあ、これ使って調理器具でも作れればいいのに。そしたらすぐにでも氷海に行ってバーベキューだ」
「にゃ……」
相変わらずにゃ。
相変わらずぶれないにゃ、この人。
「……で、イルルの話は何だっけ。なんか、変わった食べ物見つけたんだろ?」
「にゃ、そうにゃ。不思議な食べ物……ていうか飲み物? にゃ。薄茶色の液体に、黒いつぶつぶが入ってたのにゃ」
「……何か、想像出来ないんだけど。何? 泥水?」
「ち、違うと思うにゃ。……色合い的に、たぶんミルクティーなんじゃないかにゃあって」
「ふーん。ミルクティーか……」
薄茶色の液体。
でも粘り気はなさそうで、さらさらっとしてた。
それにあのまろやかな甘い香り。ボクの鼻が正しければ、あれは間違いなくミルクティーなのにゃ。
「すると問題は、黒いつぶつぶの方だな」
「にゃ……アレに関しては、全く見当もつかないにゃ」
「もう一度聞くけど、そのつぶつぶは小さな玉だったんだよな?」
「うにゃ。ボクの肉球よりちっちゃな、黒い玉にゃ。それがたくさん、たくさん入ってたのにゃ」
「固そうか? それとも柔らかそうか? 黒豆……なんてことはないよな?」
「にゃ、違うにゃ。何て言うか、ぷよぷよしてて、弾力性があるっていうか。ストローで吸うと、すぽぽ! っていい音がしてたにゃ」
「……うーん……心当たりは、ないこともない……かも」
「ほ、ほんとにゃ?」
「地底洞窟で、それらしきものを見たことがある」
「にゃ!? 地底洞窟で!?」
「あぁ、時期にもよるがあそこにたくさん転がってるぞ」
「たくさんにゃ!?」
「……今の時期はどうも違うような気がするけど、あそこ火山地帯だし、季節はあんまり影響ないかも。この前から溶岩が引いてるし、しばらくは
「にゃ……?」
「その例の飲み物、最近の流行りなんだよな?」
「にゃ、お姉さんたちはそう言ってたにゃ」
「じゃ、可能性はあるな。つっても、大きさが少し引っ掛かるけど」
「?? 大きさにゃ?」
「……まぁ、このまま根詰めててもしょうがない。ちょうどいいや。狩りに行くか!」
「にゃ!」
そう言って、旦那さんは書類を部屋の隅においやった。
狩りにゃ。それも、ボクが食べたいって思ったものにゃ。流石旦那さんなのにゃ。
寝室にあるアイテムボックスから、狩り用の天眼ネコシリーズを引っ張り出す。旦那さんも、自前の防具を早速装着していたにゃ。ミヅハ真の頬当てが、相変わらずカッコイイのにゃ!
◆ ◆ ◆
「……旦那さん?」
「しっ。静かに……」
岩陰に隠れた旦那さん。
地底火山の採取ツアー。
しばらく探索したところで、彼はボクをゆっくり岩陰に引き寄せた。
「……お目当ての奴だ」
「にゃっ……」
先日の光景とは打って変わり、随分と涼しくなったこの地底世界。近隣の火山が活発化すると、その溶岩がここまで流れてくるのにゃ。その影響で、この前はヴォルガノスまでやってきてしまった。
それが今では、溶岩のよの字もないにゃ。静かで、涼し気で、少しひんやりとすら感じるにゃ。
そんな、武骨な地底の中で、真っ赤な何かが闊歩していた。
鮮血のような赤に染まった体。
下顎から伸びた、大きな牙。
太い手足に、丸みを帯びた白い尻尾。
「……テツカブラ、にゃ?」
「あぁ、そうだ」
テツカブラ。別名、鬼蛙。
いつか、ボクがまだ旦那さんと一緒に活動し始めたばかりの頃に、一緒に狩りに行ったことのある両生種のモンスター。
旦那さんごと、爆弾でどかんとしてしまった嫌な記憶が蘇る――――。
「……で、でも旦那さん。テツカブラ、さっきも見なかったにゃ?」
「さっきもいたな」
「あれはスルーしてたにゃ。何でこの子は?」
「さっきの奴、喉が黒かったんだ」
「にゃ?」
「オスの蛙は、繁殖期に喉が黒くなる。地底火山は、しばらく干熔が続く。気候も安定する。案の定、あいつらは繁殖期に入ってる」
「にゃ? 繁殖期?」
「あいつを見てみな。あれの喉は黒いか?」
「……黒く、ないにゃ。ってことは」
「あぁ、あれは雌だろう。間違いない」
この岩陰の奥を闊歩している子。確かに、喉は黒くない。尻尾同様、白い色に染まっているにゃ。
それよりも、あの大きさが気になるところだけど――――。
「予想通りだ。このチャンスを逃すまいと、奴らは今繁殖期に入っている。地底火山の風物詩だな。……ということは、あの個体の痕跡を探せばもしかすると」
「……もしかすると?」
「如何せん小さすぎるかもしれないが……まぁ、試してみる価値はあるだろう。たぶん」
小さすぎる。
旦那さんの言った通りにゃ。
目の前の個体は、他のテツカブラよりも一回り、二回りは小さい。旦那さんとそう、体格が変わらないのにゃ。
「さ、行くぞ! あいつの痕跡が欲しい!」
「うにゃ!」
駆け出すにゃ。そのまま、のっそのっそと歩くあの子まで急接近にゃ。
本当に小さい。極小個体って奴かにゃ? いつか、こんな風に小さな鳥竜種を狩って鳥団子スープにしたような気がするにゃ。こういう個体、時々いるんだにゃ。
でも、こんな小さいならきっと楽勝にゃ! テツカブラはその強靭なアゴで地中の岩を捲り上げるけど、こんな小さいならきっと。きっと――――。
はっと、ボクたちに気付いたテツカブラ。
その小さな顎を、大地に打ち付けて。
次の瞬間、目を見張るほどの巨大な壁が聳え立つ。通常個体と大差ないほど、大きな岩。
「うにゃ!?」
「うおっ!?」
それに気を取られた瞬間、岩の影からテツカブラが飛び出してきた。
「イルル!」
「みゅっ!」
いち早く気付いた旦那さんが、ボクを突き飛ばして庇ってくれたにゃ。そのまま、彼は右手の盾――というか鍋で、あの太い牙を抑えつけた。体格にそれほど差がないためか、通常個体のように吹き飛ばされずに踏み止まったけれど。
ぐぐぐ、と旦那さんの体が持ち上がる。
「……え、ちょっ……」
続いて、暴投。盾を噛んだまま首を振り回し、旦那さんを真上へと放り投げた。
「おわぁーーっ!?」
「だ、旦那さーーーんっっ!!」
宙を舞う旦那さん。体格に見合わず怪力のテツカブラ。その目の前に残されたボク――――。
「うわああ!! 旦那さんに何するにゃー!!」
とにかくブーメランを並べた。旦那さんから気を逸らせようと、精一杯挑発しようと。
すると、上から、旦那さんの声が飛んでくる。
「イルル! あのブーメランを使え! そいつをそこへ留めてくれ!」
「にゃっ!?」
「さっき調合した奴だ! マヒダケの!」
「にゃ、にゃあ!!」
はっと思い出し、ポーチから取り出したそれ。マヒダケをみじん切りにして煎じた汁に浸したもの。お手製の麻痺ブーメラン! 計五本にゃ!
それを、落ちる旦那さんを迎え撃とうとしていたテツカブラに叩き付ける。前脚、後足。ぱっと尻尾を踏んで跳躍し、反対側の後足へ。三本の手足に痛みが走り、テツカブラはようやくボクを見た。ちょこまかとするネコを憎々しげに睨んで、再び跳び出そうとする。
「させないにゃ!」
それより早く、膨らんだ右前脚にブーメランを突き刺した。空中からの投擲だったけど、見事にヒット。深々と、外皮の奥に突き刺さる。
四肢に麻痺性の毒液が回り、この子はようやく動きを止めた。諤々と顎を震わしながら、その場で痙攣をし始める。
「ナイスだ、イルル!」
「にゃ、旦那さん!」
ようやく落ちてきた旦那さん。毎度便利な千年包丁を、両手で逆手に構えながら、テツカブラ目掛けて刃を下ろす。
――テオ=エンブレムじゃなくて包丁を持ってきてるあたり、仕留める気ではないのにゃね。
「とうっ!」
振り下ろされたその刃は、テツカブラの目の隣にある鼓膜――の、となりにある黒い線状の部分を引き裂いた。それが刺激になったのか、そこから黄色の粘液が染み出し始める。
「よっしゃ、上手く耳後腺に入ったぜ! カワズの油が大量だ!」
「にゃ、あれカワズの油にゃ!?」
「そそ! さ、痕跡回収だ!」
さっと、その武骨な体躯によじ登り、旦那さんは剥ぎ取りナイフで器用に油を掬い上げた。それをそのまま、ビンへと落とす。透明なビンは、あっという間に黄色の粘液に満たされた。
ずるりずるりと、どろりどろりと、不思議な液体が落ちていくにゃ。
「……何か、鼻水みたいにゃ」
「思ったけどやめてくれ! 食欲が削がれる!」
◆ ◆ ◆
「……ここだな」
「にゃ、やっと見つけたにゃ……」
旦那さん曰く、カワズの油の臭いは、個体によって微妙に異なるらしいにゃ。
個体差があるからこそ、臭いの判別さえ出来れば特定の個体の足取りも掴めるらしいにゃ。そんなの、食に対してのみ嗅覚がアイルーを凌ぐ旦那さんにしか出来なさそうな芸当――なんて思ったけれど。
彼は確かに、あのテツカブラの巣を割り出した。
「あー、臭かったぁ……」
「お疲れさまにゃ、旦那さん……」
地底洞窟のエリア8。そこに流れる水の元を辿っていくうちに、小さな亀裂を見つけたの。あのテツカブラくらいしか入れなさそうな、小さな隙間。
その奥に、小さな水たまりがあった。それを見つけて旦那さんは顔を綻ばせたのだから、きっとここにあの黒いつぶつぶの正体があるに違いない――――。
「イルルー、もふもふさせてー」
「にゃー!?」
突然ひょいっと持ち上げられて、もふもふをかまそうとする旦那さん。それを、ボクは両手の肉球で断固拒否。
「ダメにゃー! 狩りの途中にゃ、そんなのダメにゃー!」
「うぐっ、イルルさん爪! 爪立ってる!」
本当に、いきなりにゃこの人。
ボクに対する態度、本当に変わらないにゃこの人。
折角勇気を出して全部曝け出したのに、もしかして全く通じてないのにゃ、とすら感じてしまう。
「いててて……」
「全くもう……。お、おうち帰ってからにゃ」
「え?」
「……で、旦那さん? 本当に、こんなところにあの流行りの飲み物があるのにゃ?」
「ん、あぁ……正確には、例の黒いつぶつぶだ」
旦那さんはゆっくり歩き出し、水たまりへと駆け寄った。そうして、腕の防具を外し、ぽちゃんと水の中に手を入れる。
「黒いつぶつぶ。すぽぽ、となる不思議な物体。思うにそれは、非常に弾力性があるんじゃないだろうか」
「にゃ?」
「つまりだ。水分の中に浸されてなお膨らみ、弾力性をもって不思議な食感をもたらす食べ物。一つ一つが小さく指先ほどもない小さな小粒――――」
そう言いながら、旦那さんは腕を持ち上げた。
水底に溜まった何かを掬い上げるように、優しく掌を返しながら。
「間違いない。その物体の正体は、これだ」
「にゃ……そ、それは……!!」
「サイズが少し気になってたんだが、流行りというだけあって極小個体もしっかり生息していた。安心したぜ」
「もしかして、もしかしてそれは、あのテツカブラの――――」
「そうだ。テツカブラの……『卵』だよ」
どろり、とそれが現れる。
半透明の膜に包まれた黒い色をした塊。小さなそれが、無数の塊となって水を滴らせているにゃ。
「これをミルクティーに沈めて飲むなんて、俺も考えもしなかったなぁ。負けてられないぜ」
「……うっ、なんか……にゃあ、なんかこれ……」
「しかしこれが流行るとは、世間ってよく分かんないな」
旦那さんは、剥ぎ取りナイフで膜を裂いて、卵をざっと手に取った。それをビン落とし、旦那さんは満足そうに頷く。
「極小個体の卵は小さい。産卵は出来ても、残念ながらこの卵は孵らないだろう。それに、この場所は溶岩が戻り次第また沈む。残念だけどな」
「にゃ……この子たち、みんな死んじゃうにゃ?」
「……だから、極小個体の卵を、せめてただ見放すのではなく、少しでも何かしてあげようとして、あの例の飲み物は生まれたのかもしれないな」
「……そう考えると、何だかにゃあ」
「仕方ない。この世は弱肉強食なんだから。さ、帰ろうぜ。帰って早速、ミルクティーに入れよう」
◆ ◆ ◆
ボウルに麗水を浸し、ザルに卵塊を乗せる。
ザルごと卵塊を水に沈め、一つ一つを手に取った。
「とにかく、しっかり洗わないとな」
「にゃ、塊もほぐすのにゃ?」
「おう。これじゃストローにも通らないだろうし」
卵は一つ一つがバラバラな訳じゃなくて、くっつき合って一つの塊みたいになってるにゃ。
それを旦那さんは、ほぐす。水に浸して、塊から卵を一つ一つ分けていく。
「蛙の卵は、それが産み付けられたところの水を吸って膨らむんだ。だから、この後は一旦火を通す。熱湯消毒だ」
「にゃあ……じゃ、鍋やっとこうかにゃ?」
「うん、頼んだ」
旦那さんの作業の傍ら、ボクは鍋を手に取るにゃ。
キッチンの鉄の輪にそれを置いて、固形燃料を棚から取り出す。怪鳥の火炎液とロウ、その他アルコールなどを混ぜて固めたドンドルマ印の固形燃料にゃ。それに火打石を擦らせて、火を付けて。鍋には桶から汲んだ水をそっと流した。
「にゃ~」
そんな作業を終えて、ふつふつと煮立ち始める水を見る。
テツカブラの卵を使った料理、なんて流石に初めてにゃ。どんな味になるんだろう。女の人たちが美味しいって叫ぶくらい、美味しいのかな。これを飲んだら、女の子らしくなれるのかな。
「よし! まぁ、こんなもんだろ」
「にゃ、終わったのにゃ?」
「おうよ。……お、鍋ももうそろそろ沸くな。じゃ、もう入れちゃうか」
そう言って、旦那さんはザルを持ち上げた。ボウルの水からざぱっと顔を出し、淡い水の色を振り撒くそれ。たくさんの、ぷるりとした塊に満たされたそれ。
それが、泡立つ熱湯の中に沈んでいくにゃ。泡と熱に持ち上げられ、あわあわと踊る卵たち。
「さて、あとミルクティーだが……よいしょっと」
「……ミルクティー、結構値が張るのにゃね」
ボクと同じくらいの大きさのタルを、旦那さんが持ち上げる。
市場で買ったミルクティー。特殊な薬草を使ったお茶とミルクをブレンドしたという、不思議な品にゃ。ベルナ村っていうところで飼われてる動物のミルクを使ってるから、まろやかさが特徴ってお店のおばちゃんが言ってたにゃ。
「ワイン樽にミルクティー詰めるか普通」
「凄く斬新だにゃ」
「ま、持って帰りやすくて助かるけど」
旦那さんはそう呟きながら、鍋の中身を掻き回す。つぶつぶがそれぞれほぐれていって、少しずつ白く変色してきった。
すると旦那さんは、ザルを持ち上げる。ざばっと湯を切って、そこに乗った卵たちを冷水にさっと浸した。
「さて、いよいよだな」
「いよいよにゃ……」
しっかり冷えたそれらを適量、スプーンでビンへと落とす。半透明の黒い塊がビン底を埋めたところに、ボクはミルクティーを流し込んだ。
とぷとぷと、薄茶色の液体が落ちていく。テツカブラの卵を、しっとりと覆い隠していく――――。
「…………」
「……にゃあ」
「……何か、これ、旨いのか……?」
「卵……沈まないにゃ……浮いてくるにゃ……」
卵が、沈まない。
プカプカと浮いてくる。たくさんの卵が、ミルクティーから浮かび上がってくる。
あれ?
街で見たのは、全部全部沈んでたのに。
おかしいにゃ、何でだろう。
「……ま、何はともあれ完成だな。食べてみようか」
「にゃ……」
ビンを手にとって、太いストローを差し込んだ。ユクモ竹林の竹を薄く加工したそれは、ひんやりとした感触をボクの口にもたらしてくれる。
匂いは、至ってミルクティーなのにゃ。別段異臭はしない。臭いの面は問題ないけれど――――。
「……問題なのは味だな」
「にゃ」
「……よし!」
強く意気込んだ旦那さん。次の瞬間、彼は勢いよくストローを啜った。ずぞぞ、と中のミルクティーが勢いよく吸い込まれていく。
「にゃー! だ、旦那さん!」
「う……ミルクティー! 香りも味もミルクティー!」
底に沈んだストローは、底のミルクティーをどんどん吸い込んでいく。上に浮かんだ卵に届くのは、もう少し先――――。
なんて思っていたら。
じゅぽん、なんて音を立てて。
あの卵がストローに入り、瞬く間に旦那さんの口に飛び込んだ。
一瞬目を見開く旦那さん。ゆっくりと顎を動かして。冷や汗を、ぞわっと浮かび上がらせて。
「…………」
「……だ、旦那さん……?」
「…………」
「え、えっと……お味の方は……?」
数個の卵が、今旦那さんの口の中で弾けたはずにゃ。道行く女の人が美味しいと言ったあのつぶつぶが、旦那さんの舌を刺激したはずにゃ。
歪んでいく。旦那さんの顔が、苦しそうに歪んでいくにゃ。
「……こんな」
「にゃ?」
「こんなのが今流行りなのか!? まずい!! めちゃんこまずい!!」
「そ、そんなに!?」
「これのどこが旨いんだよ! ぶちゅっと割れたらにっがぁーい味が溢れ返ってくるぞ……すげぇ生っぽい肝みたいな味……うぇぇ……」
「うにゃ……そ、そこまでかにゃ……」
旦那さんはこれ以上飲もうとはせず、膝が崩れたように座り込む。何だか、悪いことしちゃったような気分にゃ。
「女はこういう味が好きなのか……? 意味分かんねぇ……」
「むむむ、もしかしたら、男女で好みが分かれる味かもにゃ! ボ、ボクも!!」
意を決して、ボクもストローを啜る。
「にゅっ……うみゅ……」
「ストロー、使いにくいか? これ使いなよ……」
「あ、ありがとにゃ旦那さん」
けれど、口の形があんまり合わず、上手く啜れなかった。
見かねた旦那さんがくれたスプーンで、再挑戦にゃ。さぁどうにゃ!
「イルル……悪いことは言わん、やめとけって……」
「うにゃ! ボクだって女の子にゃ! 流行りに乗りたいお年頃なのにゃ」
ミルクティーと卵がたっぷり乗ったスプーンを、思いきり噛む。ぎゅっと目を瞑りながら、口の中に入ったそれらをよく噛んだ。
まず甘いミルクティーの香り。
柔らかで、滑らかで、とっても品の良い香りにゃ。それがすうっと鼻を抜けていく。まろやかな甘みを乗せながら、喉の奥へ落ちていく。口から入れたはずなのに、鼻と喉が爽やかなのにゃ。トンネルが開通したかのような爽快感にゃ。
そんなミルクティーの風味に乗って、つぶつぶとした食感が舌に乗る。歯を当ててみたところ、ぶよぶよと程よい弾力味を感じた。
あの、女の人たちが美味しいと悶えたものにゃ。
流行りのものが似合う女の子になりたい。
そんなちょっとした思いを、旦那さんがここまで発展させてくれたけど。
その味は、この不思議なつぶつぶの味は――――。
「……っっ!! ~~~~……っ!! に、にっがいにゃあー!!!!」
「……ほら見たことか」
ぶちゅっと潰れた瞬間、ねっとりとした何かが溢れ出てきた。それが舌に絡みつくのにゃ。苦い苦い、生臭い味を塗りたくってくるのにゃ。
何にゃこれ!! 肝にゃ!? 脳みそにゃ!? 生臭くてべちょべちょしてて、苦くてどこか酸っぱいにゃ! しかもえぐ味が凄くて、嘔吐感が半端じゃない。ミルクティーの風味なんて、全部塗りたくられちゃうの。全部全部、この卵の苦味でいっぱいにゃ。苦い苦い! とっても苦いのにゃ!
ぷよぷよだったそれが、噛めば噛むほど混ざり合う。なんかドロドロした食感になってきたにゃ。まるで、鼻水を咀嚼しているような気分になってくるにゃ――――。
「にゃあぁ! これが流行りなのにゃ!? 信じられないにゃ!」
「お前これ、街の女が美味しそうに飲んでたんだろ? ほんとなのかよ?」
「ほ、ほんとにゃ! ほんとだけど……これは……うにゃぅ」
「あー待て待て! 無理に食うな! そんなことしてもしんどいだけだろ!」
せめて無駄にしないようにと食べようとしたけど、旦那さんに止められた。
えぐえぐと、気づけば涙まで出ていたにゃ。
「感謝無き食事に意味あらず! 無理に食うのは、命に対する冒涜だ。嫌いなものを無理に食べる必要はないよ」
「うにゃ……でも……」
「俺らの舌にはたまたま合わなかった。そこは悲しい。けれど認めよう。だったら、他の人に味わってもらえばいいじゃないか。これは今の流行りなんだろ?」
「にゃ……じゃあ……」
旦那さんはボクを膝に乗せて、得意気な顔で頷いた。
「あぁ! その、例の店に贈呈してやろうぜ! 向こうは食材が増える、俺らはその分の報奨がもらえる。完璧だろ?」
「にゃあ……!」
流石旦那さんだにゃ。そんな、完璧な解決方法を思い付くなんて。この卵には悪いけど、やっぱり二度と口にしたくない味だったから。
そう考えていると、ほっとしてきたにゃ。安心しきって、旦那さんにもたれかかる。流行りのものが似合う女の子にはなれなさそうだけど、こうやって旦那さんが優しくしてくれるなら、これはこれで満足なのにゃ――――。
「旦那さん……もふっていいにゃ~」
「何だよ全く。気まぐれなやつだなぁ……」
旦那さんが、両手でボクのほっぺをもふもふしてくれる。やっぱりボクは、こっちの方が好きにゃ。
ついでに、そのお店にこの卵を贈呈したら、ギルドに迷惑行為で注意されたのは別の話、にゃ。
~本日のレシピ~
『テツカブ卵のミルクティー』
・鬼蛙の卵塊 ……適量
・雲羊鹿ミルクティー ……200ml
不味い(確信)
流行りにのっかかってみました。タピオカ流行ってますよね。そんないいかあれ。イルルちゃんものっかかるの巻。カエルの卵みたいっていうネタに悪ノリした結果おぞましい食べ物が生まれてしまった。失礼致しました。
それはそうと、夏ですね!水着のイルルちゃんを描きました(一年前に)。水着なんていらないのに着せられて、かえって恥ずかしくなってるイルルちゃん。どうかお口直しに(?)
【挿絵表示】
それではでは!