我が名は
ドドドド……!!
激しい音を立てて、噴き上がる溶岩。
この地底火山の奥深くで、粘度をもった激しい炎が噴き上がっていた。
その奥には、溶岩を優雅に泳ぐ黒い影。
溶岩を泳ぐモンスターといえば?
白ければ、多分グラビモスだろう。黒かったら、その亜種かもしれない。
けれど、今目の前にいるそいつは違った。本来なら、ここには生息していないはずのモンスター――――。
「ちょ……っ、飛び出してくるよ!!」
「うにゃっ……っっ!!」
「うおっ……!!」
それは、溶岩の海から飛び出した。
そう、まるで水を跳ねる魚のように。海から飛び出すガノトトスのように。
黒い体に、二本の脚。飛竜骨格のように見えて、翼はなくヒレがある。顔は古代魚さながらの魚のような風貌をしており、溶岩を溢す口からは小さな歯がずらりと並んでいた。
――――溶岩竜、ヴォルガノス。今、目の前にいるモンスターの名だ。
それが、跳ねる。跳ねて、這いずるように突進を繰り出してくる。
「うおおおおぉぉぉ!!」
「わああぁぁぁっっ!!」
俺はイルルを抱えて猛ダッシュ。
一方の彼女――――ルーシャもまた、猟虫を抱えながら全力疾走していた。
「何で! 何でここにこんなモンスターがいるのよ!」
「依頼書見たときは書き間違いかと思ってたけど……マジじゃん!? マジでヴォルガノスじゃん!?」
「うにゃっ、ドリフトしてまた突っ込んでくるにゃ!!」
「くっそぉ……誰かガンランス! ガンランス持ってきて!」
「持ってきても使えないでしょ! アンタもあたしも!」
俺たちを器用に捕捉して、猛スピードで岩を滑る溶岩竜。その巨体をギリギリまで引き付けて、俺たちは左右それぞれに身を投げた。
何とか直撃を回避しつつも、熱い地面に肌がじゅっと焼ける。相変わらず、ここは過酷な環境だ。
「……にゃ。突然、地底火山に迷い込んだヴォルガノスが発見されたから、生態系が狂う前に狩猟して欲しい……にゃんて。何か凄い依頼がきたにゃあ」
「あたし、ヴォルガノス見るのは初めて。素材しか見たことないかも」
「実は俺も初見だ。……けれど、こいつ――――」
何とも魚らしいシルエット。
表面の黒い甲殻は、どこか岩を彷彿とさせる。溶岩が冷えて固まっているのだろうか? 溶岩から飛び出したばかりの時は、もう少し赤い色だったようにも見えた。
体格からして、おそらく魚竜種だろう。そして、溶岩を自由に泳ぎ回るという体質。なかなかに強力なモンスターなのだろうが、それ以上に、それ以上に――――。
「……美味しそうだよな」
「は?」
「にゃあ……」
呆れるイルルと、かつてないほど変な顔をするルーシャ。
けれど、今はそれにいちいち構っていられない。
あれは外来種扱いだ。所謂、駆除の対象だ。
だったら、俺が食べても問題ないな!
「さぁ、狩るぞ!」
「にゃあ!」
イルルを下ろし、猛進。イルルも四つ足で駆け出して、ブーメランをずらりと構えた。
ルーシャは置いてきぼりな様子でぽかんとしていたが、まぁ問題ないだろう。とりあえず、頭部に一撃を叩き込む。
先程塗りたくった『重撃の刃薬』。盾と擦り合わせて着火させた結果、テオ=エンブレムには緑色の炎のようなもやがかかっていた。斬れ味が一時的に鈍くなるが、その分刀身の表面積が付着物によって広がって、微量だが大きくなる。その分重くもなって、俺の左腕にはずっしりとした感覚が走った。溶岩竜の頭部を殴る感触も、それはそれは重かった。
「旦那さん、噛み付き来るにゃ!」
「おうよ!」
すかさず出した右手の盾で、奴の牙を弾き返す。その分俺も後退するが、その隙はイルルが埋めた。
二丁のブーメランを投げ入れて、ヴォルガノスの胴を裂く。とはいえその甲殻は固く、ろくな傷は入らなかった。
「イルル、タックルだ!」
「うにゃっ!」
今度はネコが煩わしくなったのか。ヴォルガノスは、ガノトトスを彷彿とさせる動きで身をよじらせた。側面の敵を打ち払う技、タックルだ。
それにイルルは慌てて武器を構えるものの――突如割り込んできた虫に、溶岩竜は怯ませられた。
「うにゃ、イリス……!」
「あ? あ、ルーシャの虫か!」
ひゅんひゅんと、風を斬るように飛ぶその甲虫。ヴォルガノスの頭に向けて回転しながら突っ込んでは、体を掻い潜るようにして何度も殴打を加えた。
背後から、しゃらんと鈴が鳴るような音が響く。虫笛を巧みに使う、ルーシャの姿がそこにあった。
「イルルちゃん、大丈夫!?」
「にゃ、助かりましたにゃ!」
「ありがとな、ルーシャ!」
「気にしないで! 可愛いアイルーを守るのが、あたしの信条だからさっ!!」
そう言いながら、ルーシャは駆け出した。駆け出して、その勢いを利用しながら跳躍。熱風が吹くこの空間も物ともせずに、ヴォルガノスに向けて肉迫した。
縦回転。根を重力に乗せた縦回転。それに奴は、仰け反るように悲鳴を上げた。
「……シガレット、本気? こいつ、食べるの?」
「え? うん」
「……そういえば、この人ラージャンをスープにしてたっけ。アカムトルムも、ステーキにするとか言ってたよね……」
すっと立ち上がったルーシャは、どこか冷えた視線を投げかけてきた。ここは地底火山なのに、彼女の視線は凍土のようだ。
「ルーシャさん、いつものことにゃ。気にしちゃダメにゃ」
「イルルちゃん……苦労してるのね。今からでも、あたしのとこ来ていいからね」
「おい、勝手に俺の相棒を口説くなよ」
隙だらけの奴の頭に向けて肉迫。数回殴打を重ね、右手の盾で殴り付けた。
重撃の刃薬は、確かに乗せてはいるけれど――それでも、奴の頭を砕くのは簡単ではなさそうだ。
「旦那さん、援護するにゃ!」
「あたしは後ろを取るわ! おいで、イリス!」
「ぴゅいっ!」
奴の猛攻をすり抜ける傍ら、俺はしつこくその大きな頭を殴打する。
一方のイルルは死角に回り込み、ブーメランを投擲。先程ので学んだのか、今度は近づきすぎることなくある程度の距離を保っていた。
ルーシャは背後に回り、根先の刃を叩き付ける。そのまま薙ぎ払うように飛燕斬りを放ち、ヴォルガノスの脚を薙いだ。同時に跳び出すイリスが、数回同じ箇所へ突進する。主とよく息が合った、ナイスコンビネーションだ。
ヴォルガノスは、唸る。
きっと、自分を取り囲むハンターの姿に困惑しているんだろう。
新天地を目指して溶岩に乗り、そのまま流れに流れて辿り着いたこの場所で、自分より小さい存在に襲われる。それが、奴にはよく理解出来ないのかもしれない。
自分の周りに羽虫が寄ってきたら、どうするか。
俺ならきっと、鬱陶しいから振り払うだろう。全身をもって、その嫌な存在を追い払う。
こいつもきっと、同じような心境だ。
だと、すれば。
だとすれば、次にこいつがとる手って――――。
「……なんか、嫌な感じ……! 退却!」
ルーシャがそう溢し、勢いよく後ろに跳んだ。根を棒高跳びの要領で用い、背後へ高くジャンプする。そのまま、棍先から弾を放ち、その反動で溶岩竜との距離をさらに開けた。
「イルルちゃん、そこは危ないよ!!」
「にゃっ……!?」
身を屈めるように隙を晒すヴォルガノスに向けて、イルルは両手にもったブーメランで斬りかかるものの――ルーシャのその声に、急ブレーキをかけた。
それでも奴との距離は近い。もし奴が今尾を振り回せば、弾き飛ばされかねない距離だ。
「ルーシャ、何を――――」
「シガレット、あいつの動きをよく見て! 何か狙ってる!」
「何……っ?」
はっと見る。甲殻の奥の、奴の筋肉の動きを凝視する。
脚が、膨らんでいた。まるで力を込めているかのように、大きく膨らんでいる。身を屈め、脚を膨らませ、上半身をバネのように縮ませる。
まさか、まさかこいつ――――。
「にゃっ……跳ねたっ!?」
イルルが上げる驚きの声のように。ヴォルガノスは、何とその場で垂直跳びをした。
そのまま、空中で体を捩らせる。大柄なそれを振り抜いて、地上の俺たちに向けて落下を始めた。
「イリスッ! イルルちゃんを!」
「ひゅい!」
「ふみゃっ!?」
突然飛来した猟虫が、イルルの背中に張り付いて。
そのまま、飛翔。軽い彼女を持ち上げて、勢いよく飛び避けた。
一方の俺は、このまま転がっても生死が怪しいくらいだ。奴の体がでかすぎて、避け切れない。まさか、まさかこんな行動をしてくるだなんて。
「……ちっ、痛いけど、しょうがねぇ!」
ベルトに付けていた小タル爆弾を振りかざし。ぱっと目の前に投げ、それを迷いなく剣で振り抜いた。振り抜くと同時盾を構える。なるべく最小限のダメージで、俺は吹き飛んだ。
「ぐぁっ……!」
「旦那さん!!」
墜落するヴォルガノス。誰もいないところに勢いよく落ち、ビタンビタンと跳ね回る。まるでまな板の上の鯉のようだ。
焦げ痕を残す防具から黒い粉を振り払いつつ、何とか起き上がるものの――あと少し遅れてたら危なかったな。
「旦那さん、大丈夫にゃ!?」
「うん、何とか……。っておい、ルーシャ! 助けるなら俺も助けてくれよ!」
「イリスが運べるのはイルルちゃんで精一杯なの! それより、離れて! 今から隙を作るから!」
跳び上がったルーシャは、射撃の反動を今度は前進に利用した。そのまま棍を振り回し、仰向けになった奴の腹に斬り込みを入れる。
何度目かの斬撃が、奴の皮膚に埋まったら。彼女はそれを軸にして、再び真上へと跳び上がった。跳び上がり、今度は真下に目がけて落下する。縦回転する根を乗せて、無防備なその腹を打ち抜いた。
「ギュオッ……!」
ヴォルガノスの小さな悲鳴。そのままもつれて転がる体。
何とか起き上がるものの、ルーシャの姿を見失ってしまう。一体どこへいったのかと、キョロキョロとその頭を振り回す。
愛嬌たっぷりなその仕草だが――――残念ながら、奴がルーシャを捉えることはなかった。
何故なら彼女は、その頭の上に乗っていたのだから。
「はあっ!!」
高く掲げた根を掲げ、そのまま激しく振り回す。手首で器用に回転させ、溶岩竜の頭を激しく削った。少しずつ、その甲殻が剥がれていく。溶岩が固まったかのようなその黒い鎧に、小さな亀裂が走っていく。
「……ここだッ!」
「旦那さん!?」
その隙に、俺は走り出して。
そのまま滑り込むように奴の腹下を陣取って。
さっきのアイツを思い出せ。
全身を使って、真上に跳ねたアレを思い出せ。
あの嫌な攻撃を、コイツに返してやれ――――!!
「どりゃッッ!!」
跳躍。
右手の盾を構え、跳躍。
奴の腹下を殴り付けるように、俺はそのまま跳び上がる。
盾と甲殻が擦れ、勢いよく罅が入った。ルーシャのそれは頭を刻み、俺の一撃は腹下を砕く。
「――――まだまだッッ!!」
跳び上がった勢いで、奴の上をとった俺は。
空中で身を翻し、右の盾をもう一度振り抜いた。
奴の無防備な背中に向けて、再度それを叩き付けた。
「にゃっ……凄いにゃ……っ!!」
二度目のそれが、決定打になって。
全身に罅を走らせた奴の体が、とうとう砕けた。黒い鎧がバラバラに崩れ落ちて、奴のその下の鱗が露わになった。
まるで黄金魚のように、鮮やかな金色に染まっていた。
◆ ◆ ◆
「ふいー……よいしょっと」
「ちょ……急にキャンプ戻ったと思ったら、何持ってきてるの!?」
「え? 大剣にランスとハンマー」
「???」
「?? 何か変か?」
「何その素な感じ。え? これあたしがおかしいの?」
「旦那さん……わざわざそんな武器まで持参して、何する気なのにゃ?」
「そんなの、ヴォルガノスを解体するために決まってんじゃん!」
外殻を失って眩しい金色の鱗を露わにしたヴォルガノス。
二人にその亡骸を守ってもらう傍ら、俺はキャンプへ、この三本の武器を取りに戻っていた。
一つ、長く重い刀身がシンボル――バスターソード。
一つ、シンプルで武骨なランス――アイアンランス。
一つ、木の色と香りが素晴らしい――ユクモノ木槌。
「……どう使うのよ、それ」
「こうするッ!」
うつ伏せるように転がるヴォルガノスに駆け上がり、その頭にランスを突き立てた。巨大な槍が頭蓋を貫き、奥まで沈み込む。
「うわっ……」
「んー……まだ浅いな。ハンマーとってくれ」
「え?」
「ランス埋めるから。ハンマーとって」
「は……?」
「うにゃ……にゃ、お、重いにゃ……」
唖然とするルーシャに対し、イルルはぱっと動いてくれた。流石は相棒、俺のことをよく分かってくれている。
けれど、ハンター用のハンマーはアイルーには重すぎる。折角頑張ってくれたイルルだが、その重い木材の塊は持ち上がらなかった。
アイルーが苦しむ姿を見て、ルーシャの魂がようやく帰ってくる。はっと気付いて、イルルの代わりにその木製ハンマーを持ち上げた。
「……埋めるって……どうするの?」
「岩までランスが食い込めばいい。これはただの杭みたいなもんだから」
受け取ったハンマーを握り、振り被る。そのまま渾身の力で、飛び出たランスの柄を打ち付けた。一回、二回、三回と。地底火山に、甲高い音が響く。
「……む、感触が変わった。上手く刺さったみたいだ。よし、次は大剣持って上がってくれ、ルーシャ」
「……え?」
「この先の工程は一人じゃ難しいからな。今日は狩りに同行してくれて感謝してる」
「違う! そんなことのために同行したんじゃないから!」
「イルル、もうちょっと待ってな。ヴォルガノス、美味しく捌くからな」
「うにゃ~。待ってるにゃ」
「いや待って! イルルちゃん、なんでそんな自然体なの!?」
「いいから早く。熱で肉が劣化する」
「……あーもう、しょうがないなぁ!」
嫌々上がってきてくれたルーシャに、次にかける言葉。彼女と獲物を交換しながら、俺はこの次の行程を口にする。
「今から俺が、この大剣をこいつに叩き込むから。そしたらルーシャは、刃の背をハンマーで殴ってほしい」
「はい?」
「肉が重すぎるから、一太刀じゃ斬れないんだ。釘打ちの要領でどんどん肉を斬る補助をしてほしい」
「……帰りたい」
狙いは、背骨のすぐ隣だ。要は三枚おろし。背の横を綺麗に刈り取って、左右の身と背骨に切り分ける。サシミウオなら包丁でぱぱっと出来るのだが、ヴォルガノスとなるとそうはいかないだろう。如何せんでかすぎる。けれど、綺麗に身を剥ごうとするならば、やはり解体手段にもこだわりたいのだ。
とにもかくにも、大剣を構える。大きな剣は剣斧で慣れているが、中にビンの制御装置を搭載しているアレとは異なり、大剣は内部まで高密度。まさに質量の塊だ。非常に重いために、構えは同じでも違和感は大きかった。
けれど、戦う訳じゃない。動かない相手に、じっくり狙いを定めればいいだけだ。慣れていなくても、そう難しいことではなかった。どすりと、鈍い感触が腕を走る。
「……よし。まぁいいだろ。じゃあルーシャ! 俺はこの剣を操作するから、とにかく殴ってくれ!」
「うぅぅ……何でこんなことになっちゃったのかな……」
「早く! 肉が劣化する!」
「はぁーっ、やればいいんでしょ、やれば! こんのっ!!」
肉を裂くバスターソードに、ルーシャの振り被る槌が迫る。
ランスとは違う、これまた小気味良い音がこの地下空間に響いた。
「そう、その調子! どんどんこい!」
「やってやるわよ! はぁっ!!」
入射角に気をつけながら、俺は大剣の柄を必死に操った。少しでも気を抜けば、途端に刃がずれてしまいそうだ。思ったより難しい。これがこの捌き方の感想だった。
とはいえ、不可能ではない。やけくそになったルーシャの連打も、大剣を確実に肉の中に埋めてくれる。順調だ。ヴォルガノスの解体は、非常に順調だ!
◆ ◆ ◆
「……良い感じだな。おつかれさん」
「はぁ、はぁ……何か、狩りするより疲れたわ……」
背骨の両サイドの肉に斬り込みを入れ、それをそのまま尾びれの根元まで突き通す。そんな作業の果てに、ルーシャはようやく解放されたとぼやいた。
ヴォルガノスは、首元から三枚に枝分かれした姿へと変貌していた。サイドに広がった肉は、まるで奴に翼が生えたかのようにさえ見える。
「さーて、最後に仕上げっと」
腰に携えた千年包丁を取り出して、その太い背骨を削る。
仕上げだ。肉、骨、肉と三方向に分かれたこの獲物の、真ん中の骨を抜き取るのだ。頭蓋と背骨の接続部分に刃をあてがって、何度も何度も押し引きする。ガリガリと、骨の欠片が陽炎に溶けた。
「そうかにゃ、分かったにゃ。わざわざ縦に捌いたのは、上手く肉と骨を分けるためにゃ?」
「正解だ。巨体過ぎて、横にしたまま三枚おろしは骨が折れるからな」
「……そのために、そんなランスや大剣まで持ってきたっていうの?」
「そうだけど?」
「…………」
「流石旦那さんだにゃ。用意がいいにゃ~」
「イルルちゃん、目を覚まして! あなただいぶ毒されてるからっ!」
「失礼な奴……っと。ほっ」
パキっと、軽快な音が響く。
削られた骨は見事に外れ、大きな音を立てながら地に落ちた。今度はそれを、尾びれに回って引きずり出す。そうすることで、ヴォルガノスは完全に肉の塊へと変貌するのだ。
「全く、相変わらずキーキーうるさいなぁ。ちゃんと肉は分けてやるからそうカリカリすんなって」
「違う! 別に欲しくないし!」
「うにゃ……」
威嚇するネコのようにうがーっと吠えるルーシャだが、おどおどするイルルをはっと見てはバツが悪そうに頭を掻く。
「……はぁ。こんなふざけた奴がイルルちゃんを助け出したとは思えないわ……」
「あん?」
「イルルちゃんも、ほんとにこんな奴でいいの? 今でもウチは大歓迎よ」
「にゃあ~。有り難いお話だけど……ボクは旦那さんの傍にいたいにゃ」
「うっ……」
イルルの全幅の信頼を溶かしこんだ瞳に、ルーシャは目を背けた。
分かり切っていた答えだろうに。失礼な上にしつこい。
「……そういえばお前、あの後だいぶ事情聴取されてたよな? あの事件の後始末、結構聞いてるか?」
「え? なんで?」
「いや、こっちがあまり知らされてないからさ」
「ふーん? トレッドさんからとか、聞いてないの?」
「あいつ何か知らんけど音信不通なんだ。手紙返してくれないし」
「えぇ……何か、キナ臭いわね」
「大方予想ついてるけど……今回は当たりだったんだろうなぁ」
「え? 当たり?」
「いや、こっちの話」
「うにゃー、本当に、ボクらあまり知らされてないのにゃ。あの人たち、どうなったのにゃ?」
話がずれるのを察知したのか、イルルがそう口を挟んだ。
「え-っとね、みんな逮捕されたよ。彼らの処遇は、トレッドさんに一任するって」
「うわ。ガチじゃん」
「??? ガチ?」
「にゃ、それで……?」
「あぁ、えーっと、でもね? あの……三味線? っていうのは、結構権力者だったり文化人だったりする人が愛用しているらしいの」
「……そういえば、トレッドも言ってたな。王家の人間とかも実はコレクションしてたんだろ?」
「うん……。だから、あの事件は表沙汰にはしにくいんだって」
「うにゃ……俗に言う、裏のビジネスって奴だにゃ……」
イルルが、哀しそうに目を伏せる。
俺は骨を抜き終えて、手を拭いつつ彼女の傍まで近づいた。そうして、そっと頭を撫でる。天眼のウィッグの感触が、ふわりふわりと指に絡んできた。
「にゃ……旦那さん」
きゅっと、肉球が俺の腰巻を摘まむ。
「……シガレットは、さ」
「あん?」
一瞬の沈黙。それを、ルーシャが破った。
「シガレットは、アスマと知り合いなの?」
「は?」
「だって、何か喋ってたじゃない。向こうは、アンタのことを知ってるみたいだったけど」
「……そうだっけ?」
「そうだよ! 何か、会ったことがあるって話だったじゃん!」
「……うーん……残念だけど、記憶にないな」
アスマ。
イルルを狙った、解体者。
太刀を背負った、ユクモらしい雰囲気のあの男。
確かに、何故か親し気に話し掛けてきた。以前会ったことがあるような口振りだった。
「……もしかして、タンジア時代に会ったことがあったかな? それくらいしか、検討つかないね」
考えるだけ無駄だろう。俺は興味のない人間のことは全然覚えられない。
そんなことに頭を使うより、今は目の前の飯だ。
ぷるりとした白い肉が露わになったヴォルガノス。火山に住まうだけあって、熱に強い耐性があるようだが――やはり、捌くには早いことに越したことはない。イルルの頭から離した手で、剥ぎ取りナイフを掴む。
「覚えてないの? ほんとに? 全く?」
「タンジアの頃って、基本一人で狩りに行ってたしな。時々、誰かと組まなきゃいけなくなった時もあったけど、ほとんど別行動してたから。酷い奴は、キャンプに籠もってる奴もいたよ」
「えぇ……ほんと? それ」
「いつの間にか、俺と組めば楽に報酬を受け取れる、みたいな噂も立ってたらしい。俺、いちいち人の顔も名前も覚えないし、俺はモンスターさえ殺せれば何でも良かったから。都合が良かったんだろうな」
「旦那さん……」
だんっと、響く肉の音。ヴォルガノスの、脂がたっぷり乗った腹の肉が手に零れ落ちる。
「……アスマも、そんな関わりの中で会ってたのかも。それ以外に思い当たるところはないよ」
「ふーん……」
「ま、なんだ。とにかく俺が言いたいのは――――」
「……言いたいのは?」
「初めて食べるなら、とりあえず刺身でしょってことだ」
「……は?」
「はい、ルーシャ」
「は?」
「そんで、ほら。これイルルの分だ」
「わーい、有り難うにゃ旦那さん!」
切り分けた肉の塊から、さらに薄く肉を削ぎ落とす。先程まで脈打っていたその肉は、まるで透き通るように白い。手触りも滑らかで、きめ細かな色合いが特徴的だ。例えるなら、上質な白身の魚。あの淡泊ながらも深い肉によく似ている。
それを刺身同様、一口サイズに切り落として。それを二人にそれぞれ、小皿ごと手渡して。
快く受け取ってくれるイルルの傍ら、ルーシャは固まった。何故か思考停止してしまったようだ。
「……??」
「ルーシャ?」
「…………???」
「……何だコイツ。まぁいいや、食べようぜ」
「にゃー、いただきますにゃ!」
小皿に醤油を注いで、ビンに詰めたわさびをひとつまみ。白い肉を醤油に浸し、その白をひたすらに汚す。反面、醤油にはどっと脂が浮いた。キラキラと、溶岩の明かりを浴びて醤油が輝いた。
一口。そっと口に入れて、上下の歯を押し当てて。
瞬間、感じる。その柔らかさが、弾力性が。ちょっとやそっとじゃ噛み切れない、肉の繊維の細かさが。滑らかながらも程よい固さを残した、この肉の上質さが。
「うまっ! こりゃ旨い!」
こりこりと、噛む度に心地の良い音が響く。心地の良い感触が、顎を走る。
淡泊だ。白身の魚のように淡泊だ。
けれど、ジューシーだ。脂の乗った旨みは、とてもジューシーで味わい深い。何とも竜らしい旨みだ。
淡泊さと、ジューシーな味わいが同居している。こりこりと、噛む度に淡泊な風味が鼻を抜け、醤油の味を拡散させる。けれど、噛む度に脂が染み出して、それが醤油と絡み合うのだ。あの甘辛い味に、独特の深みを与えてくれる。とろりと、舌に纏わりつくような食感を。脂特有の、思わず舌なめずりしたくなる旨みを。
「にゃ……不思議にゃ。魚のような、お肉のような……」
「魚竜種は魚に近い味が多いけど、こいつは良い感じに中間って感じだな。魚比率のガノトトス、中間にヴォルガノス。……じゃ、ガレオスとかはどうなんだろう」
「今度試してみるにゃ?」
「それもいいな。今度砂漠に行ったらやってみるか」
ヴォルガノスは初めて見るモンスターだったが、これもまた旨い。最高だ。
次、次と肉を下ろす。待ち切れず、数枚薄く削ぎ落とす。
それを各々の小皿へと置いていった。俺の分、イルルの分、皿を手にしたまま固まってるルーシャの分。
「……あ」
「あ?」
「……あ、の……さ」
「あん?」
ぽちゃっと、醤油に浸された刺身。それが刺激になったのか、ルーシャはゆっくり口を開いた。
「……初めてなんでしょ? あのモンスター」
「? うん」
「それをいきなり……生で?」
「うん」
「危なくない?」
「……毒はなかったし。いけるだろ」
「いや、でも」
「それに生の方が、よりその味が分かる! 見ろこれ! 刺身最高だろ! すげぇ旨いぞ!」
「……ごめん、あたしは遠慮しとく」
「そうか……じゃ、お前の分はもらうな!」
偶然にも食べれる分が増えた。この幸運を噛み締め――いや、幸運よりも肉を噛み締める。
甲殻と肉を繋ぐ内皮は、特に強い歯応えがある。脂もよく乗っている。まるで鳥皮のような、顎を唸らせる食感が特徴的だ。肉も白身の魚のようで、よく締まった鳥肉のようでもある。甘い脂には、わさびよりも生姜の方が、案外合っているかもしれない。
「はっ! ……イルル、俺は重要なことに気づいてしまった」
「にゃ?」
「わざわざ薄く切ってちまちま食べるより、この大きな肉にかぶりついた方が満足感があるのでは……?」
「……にゃ?」
刺身という形式上、特に考えることなく薄く切ってしまった。
けれど、今はどうだろう。少ない肉を多くで分けるのではなく、あまるほどある肉を好きに食べることが出来る。ならば、わざわざ肉を薄く切らずに、好きに噛み千切るのも一興なのではないだろうか。
「ということで、これはこのままいただく」
「にゃっ、そんな大きいのを!? ワイルド過ぎるにゃ……」
「ねぇイルルちゃん、こいついつもこうなの?」
「いただきます!」
両手にやっと収まり切るほどの肉の塊。それをたっぷり醤油を滴らせ、一思いに噛む。
噛む。
噛む――――。
「…………」
「にゃ? 旦那さん?」
「………………か」
「……か?」
「……かっ、咬みきれなひ……」
「……にゃあ……」
「ねぇイルルちゃん、こいつほんといつもこうなの?」
刺身は切る。
何故なら、食べやすいから。
先人の知恵は、意地汚さを超えていたことを痛感した。
「うぐっ、うぎぎぎ……ッ!」
「ばかだにゃ……」
「馬鹿ね……」
「ぐっ、ぐおおぉぉ…………ッッッ!!」
固い。
噛み切れない。
刺身のように、すっとは食べられない。
口の中にも、口の外にも肉が続く。目の前を、鼻先を撫でるように、肉が舞う。生の肉が、凝縮される。
生肉の香りが、まるで未加工の魚のような香りが濃縮して、俺の鼻を貫いた。一直線に、貫いていた。
「……心なしか、なまぐさひ……」
「……旦那さん……」
「ほんと、救いようのない馬鹿だわ……」
~本日のレシピ~
『ヴォルガノスの刺身』
・ヴォルガノス ……1頭
・醤油 ……適量
・わさび ……お好みで
☆その他ネギや生姜、ポン酢ににんにくなどとも美味しくいただけます!
●解体道具
・バスターソード
・アイアンランス
・ユクモノ木槌
・千年包丁
ヴォルガノス旨い刺身。
ワールドのヴォルガノス。やべぇ。あれアグナコトルだよ。
今回は、和歌山県日高町スタイルの捌き方をモンハンらしく出来ないかな、と考えた結果生まれたお話です。あれはクエを捌くんですけど、見てみたら結構面白かったのでこれは是非ともモン飯でやりたいなぁって。youtubeとかにもあるんじゃないかな。某きまぐれな料理人がやってたと思います。
同時に、シガレットさんの過去のお話を少し。キャンプ籠もりはやめようね!
あとシガレットやイルルは強靭な内臓の持ち主だから大丈夫でしょうけど、たぶんルーシャが食べてたらお腹壊してたんだろうなぁ。ちゃんと火を通さないとダメよ。お姉さんとの約束よ。
あと刺身の塊、ほんとに噛み切れない。やってみたけど、きつかったでござる。でもサーモンブロックとかならワンチャン?とか未だに思ってます。やめとこうね!
それではでは!感想や評価お待ちしております~。