モンハン飯   作:しばりんぐ

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 後日談(白)。





白い魚は尾びれも白い

 

 

「イルル、そっちはどうだ?」

「にゃー、良い感じにゃあ」

 

 一連の騒動があって一週間ほど経ったある日。俺の傷も順調に回復しつつあり、狩りにはいけないものの、元気に毎日を過ごしていた。

 自由気ままに起きて、好きなものを作っては食い、最愛のパートナーとまったり過ごす。こんな時間がずっと続けばいいのに、なんて思ってしまうくらい穏やかな毎日だ。

 

 ───あの一週間前が、嘘のようだ。おちゃらけた太刀の男と斬り合ったことなんて、夢だったんじゃないかとさえ感じてしまう。けれど、今も俺の体中を覆う包帯やガーゼが、それが夢ではないことを静かに主張する。そして、心に大きな傷を負ってしまったイルルも同様に。

 

「にゃあー、旦那さん。こんな感じでいいかにゃ?」

「おう。上手く盛り合わせたなぁ。完璧じゃん」

「にゃ、にゃあ……えへへ」

 

 大きな弁当箱に、唐揚げやエビフライ、ポテトサラダにコロッケなど、様々な食材を詰めていたイルル。秋の終わりにしては妙に暖かい風に尻尾を揺らしながらも、彼女は照れくさそうに微笑んだ。

 イルルは、当の事件の渦中にいた。悪い人間たちに連れていかれ、その悪意に晒されて、心に大きな傷を負ってしまったのだ。人間のことが好き、なんて言っていた彼女にはあまりにも酷なその仕打ち。それが彼女を蝕んで、結果彼女は暗闇と一人の時間を酷く怯えるようになってしまった。昔の、悪夢に(うな)されては涙を流していた頃のような、弱々しい姿だった。

 そんな彼女に、少しでも心を休ませてあげたくて。俺は二人でピクニックに行くことを提案した。ピクニックといっても山に行ったりする訳ではなく、ただドンドルマの大きな公園に行ってそこでまったり弁当を食べようというものなのだが。

 

「にゃー、あとはおにぎりにゃ?」

「そうだな、おにぎりだな。イルルは何個くらい食べれそう?」

「にゃ……に、二個くらい?」

「じゃ、三個な」

「ふにゃっ!?」

 

 ぴょんこぴょんこと抗議するイルルを放っておいて、俺は袖を捲っては腰巻のエプロンの紐を締める。

 ただでさえあの事件で食が細くなってしまったんだ。なるべく、たくさん食べてもらいたい。

 そういえば二個という言葉で思い出したが、ニコにも謝らなきゃいけなかったんだっけ。でも今はイルルの精神状態も不安定だし、もう少し後でもいいだろうか。それに、彼にしてみれば俺は最低最悪な人間でしかないし、俺もまだ心の準備ができていないし───

 話が逸れた。今はこの目の前の魚を捌くこと。それに集中しよう。

 

「にゃ、スネークサーモンなんて珍しいにゃ」

「そうか? 市場でよく見るだろ?」

「うにゃ。そうじゃなくて、有り触れてるから旦那さんあんまり買わないのにゃ」

「あー……それは、確かに」

 

 スネークサーモンとは、まるで蛇のように長い体をもつサーモンである。安直も良いところな名前のそれは、するりと長く、優美な橙色が美しい。とはいえ、特に高級というほど値がつく訳でもなく、多くの人に慕われる庶民のお供となっている。

 そんなスネークサーモンは、捌き方が少々特殊であることも有名だ。サシミウオなどの一般的な魚とは少々異なるその捌き方に、調理を避けてしまう人も多い。それ故、丸々一匹よりも、切り身に加工されたものの方がよく売れてしまう。俺が今捌こうとしているものも、不人気故に売れ残ってしまったありのままの個体である。

 

「さーて、捌くかぁ」

「……にゃ? 旦那さん、そんなとこに包丁を入れるのにゃ?」

 

 そう首を傾げるイルルの疑問ももっともだろう。何故なら、俺は包丁を、ひっくり返しては腹を見せるスネークサーモンの、その肛門へとあてがっているのだから。

 

「肛門から上の中骨が太くて、たくさん詰まってるんだ。逆にその下は少ないし。もう割り切って落としちまった方がやりやすい」

「にゃあ……そ、そうかにゃ」

 

 すぱっと切れた断面は、薄い橙色を刺した白身、なんて表現の似合う淡い色をしていた。サーモンには様々な種類があるが、こんな淡泊そうな見た目のサーモンはまた珍しい。

 なんて考えつつも、今度は胴へと手を伸ばす。細長いそれを左手で掴みつつ、前ヒレの付け根より後ろへと刃を当てた。そのまま刃を下ろしては、この細長い体を三等分する。

 

「さて、味付けはどうしようかな。醤油漬け……は間違いないんだけど、何かもう少しアクセント欲しいなぁ」

「にゃー……柑橘系とか? レモンみたいな」

「おぉ、いいねそれ。確かボックスにポッケレモン入れてたような気がする」

「にゃ、じゃあボクそれ作るにゃっ」

 

 とてとてとボックスの方へ向かっては、そこからレモンを取り出して、味付けのための小鉢などを取り揃えてくるイルル。相変わらずの器量の良さに感心しつつも、その嬉しそうな様子に思わず頬を綻ばせてしまった。

 

「……な、何にゃ?」

「ん! 何でもないよ」

 

 もうちょっと眺めていたい気もいたが、今は目の前のことに集中する。

 前ヒレより前、つまり頭とのつながりが断たれたその断面からは、どろんと内臓が零れ落ちていた。それを包丁でまな板に抑えつつ、中に詰まった臓器を引きずり出していく。

 とろんとこぼれたそれらを避けつつ、今度は頭側に残った臓器を包丁でえぐり取る。仕上げに歯ブラシを通しては不要なものをある程度取り除いて、ひとまず下処理は完了だ。

 

「さて、頭はよけといて……残りを捌こうかな」

「にゃ? 頭はいいのにゃ?」

「ほら、見てみろよ。中身すっかすかだぜ。これは明日の朝汁にしよう。いい出汁がとれそうだし」

「にゃあ、な、なるほど……」

「それより、醤油の方はどうだ? できた?」

「にゃ、ばっちりにゃ!」

 

 尻尾部分の骨に沿わせるように包丁を入れては、右側の身、左側の身、そして太い骨の残る真ん中の身へと、三枚おろしで切り分ける。

 そんな作業をしながらイルルの方へと目をやれば、彼女は得意気な様子で小鉢を俺に見せてきた。澄んだ醤油の色の中に浮いた爽やかな果汁。それが醤油の甘い香りを清々しく彩っている。これなら、このスネークサーモンにもよく合いそうだ。

 

「うんうん、いいね。じゃ、イルルはおにぎりの準備してくれるか?」

「にゃ、ボクでいいのにゃ?」

「何か、女の子が握った方がおにぎりが美味しくなるとか、そんな話聞いたことあってな」

「にゃ? なにそれ……。でも、ボクが握ったら毛がついちゃうにゃ」

「じゃ、その辺の清潔な手袋使っていいからさ。ほら、あの生地の薄い奴」

「みゃあ……さっきの話、何だったのにゃ」

「あんなの迷信だろきっと。それより、俺はイルルが握ってくれたおにぎりを食べたいな」

「にゃっ……が、頑張るにゃっ!」

 

 ピンセットで残った骨をとる傍らにそう囁いてみれば、彼女は強く意気込んだ。そうしてせっせと手袋をしては米を掻き集め始める。相変わらず可愛い奴だ。

 一方で俺は胴の腹を裂いて、中に残った血合いを取り除く。不快な感触を残すものがなくなれば、それも尾の部分同様三枚卸しで骨身を分けた。

 

「じゃ、俺はこれを小さめに乱切りしてはこの醤油につけてくな」

「にゃー、じゃ、ボクはそれをおにぎりの中に入れればいいにゃね。よーし、やるにゃあーっ!」

 

 ぶつ切りにしたそれに、縦横無尽を刻むが如く包丁を入れる。そうしてできた小さな塊を醤油に落としては、ぐりぐりと箸で捻じ込んだ。表面に箸で穴を空けては味の染み込みを促しつつ、また別の塊に包丁を入れる。

 一方でイルルは醤油を充分に浸した身を箸で持ち上げては、それを大事に米で包んだ。白く温かいその米たちは、スネークサーモンの欠片を優しく抱き締めては、その身に滴る醤油をゆっくり吸い上げていく。

 

「あ、そういえば高菜もあったなぁ。あの漬け込んだ奴」

「にゃ? あの大きな葉っぱのやつにゃ?」

「そうそう。あれ、海苔の代わりに巻いてみるか。爽やかな風味になりそうだし」

 

 捌き終えた包丁を流しに置いては、俺は両手を洗い、アイスボックスへと投げ入れた。そこから取り出した高菜の葉。ユクモ地方で採れた、細かく刻む前のそれで、イルルが握ってくれたおにぎりを包み込む。純白を深い緑が覆い、香りがより層を増した。

 そんなこんなでできたおにぎりを一個、また一個と増やしていっては、弁当箱に詰めていって。気付いた時には、箱一杯に米の山が築かれていた。

 

「おぉ……八個もできたのか。随分作ったなぁ」

「にゃ、随分たくさんあるにゃ……。食べ切れるかにゃあ?」

「無理だったら夕飯にしようぜ。とにかく、これにて弁当の準備も完了だ。さぁ、行こうか」

「うにゃあっ」

 

 おにぎりと、おかず。箱二つに収まったその弁当箱を重ねては、風呂敷に包む。それを丁寧に鞄に下ろしては、傾かないようにゆっくり持ち上げた。

 一方のイルルは、壁のボードに取り付けられた鍵を持ち出してきてくれる。俺は弁当を落とさないように集中し、彼女に扉を閉めることを全て任した。

 天気はよく、気温もこの時期にしては温かい。絶好のピクニック日和になりそうだ。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 ドンドルマの西部にあるこの公園は、控えめな湖と芝生、そして小規模の林といった自然の風景を残している点が特徴的だ。大都市に居ながら、自然を楽しめる。そんなコンセプトの下、設計されたようだった。

 その公園を縦横無尽に区切った歩道は、湖脇の小さな小屋へと繋がっていて。日差しを浴びては柔らかな熱をもったその木製の座席に、俺たちは腰かけた。

 

「にゃー、今日はほんとにいい天気にゃ。湖もキラキラしてるにゃ」

「ほんとだな。たまにはこうやってピクニックに出てみるのもいいもんだな」

「にゃ。猟場じゃないから、落ち着いて食べれるのにゃ」

 

 弁当を広げては、それを一つ膝の上に置いて。もう一つはイルルの足の間に置いて。そうして二人で分け合っては、秋の陽気を楽しみながら箸を振るう。

 

「早速おにぎり食べよっと。いただきまーす」

「にゃ、いただきますにゃ!」

 

 ぱくっとそれを口に入れるイルル。俺も負けじと、それを大きく頬張った。

 カリッと音を立てる高菜は、じっくり漬け込んだだけあって爽やかな香りを振り撒いてくる。まるで浅漬けのような、甘みと酸味を混ぜ合わせたその味は、高菜らしいカリカリとした食感をより引き立てていた。

 その奥には、醤油の香りをよく含んだウマイ米が飛び出してくる。高菜の旨みと醤油の甘み、そしてそこに潜んだポッケレモンの酸味による属性の混入。それによって彩られたその米を噛んでいると、思わず旨い旨いと叫んでしまいそうだ。

 そうやってじっくり食べ進めていると、おにぎり深奥に眠った主が現れる。自らを囲っていた米を失って、外の光に気付いては奴は目を覚ましたのだった。あの醤油漬けスネークサーモンが。

 

「にゃあ……鮭……いや、蛇? うにゃ? 鮭にゃ?」

「……なんか、二つを足して二で割ったような味だよな、これ」

 

 ぷにゅっとした食感のそれは、間違いなく魚の刺身のそれだ。新鮮で張りがあって、艶がある。そんな柔らかい食感である。

 しかし、味はといえば鮭のような気もするが、鮭らしくもないものだった。どちらかといえば、フレークにしたような鮭の味に近いだろうか。一般的によく食べるような、鮭の刺身の濃厚な甘みとは、少々異なる気がする。いや、むしろ味としてはガララアジャラの肉に近い。淡泊で、しっとりしていて、主張の控えたあの旨み。それ自体が強くないがために、他の味と上手く調和するあの旨み。

 

「まぁ、高菜は思い付きだったけど。でも、鮭の味が控えめだから潰し合わなくて良い感じだな」

「にゃあ。ちょっと酸っぱいのが、また美味しいのにゃ~」

 

 はぐはぐとおにぎりを食べては、幸せそうに頬を綻ばせるイルル。そんな様子を眺めながら、俺はぱくぱくとおかずに手を付ける。

 コロッケは衣がややパサパサとしており、揚げたての時の活気はすっかり消沈してしまっている。エビフライも同様で、やや湿ったような食感が口に残った。その分、エビの張りのある食感は際立っているが。お弁当といえば揚げ物がよく採用されるものの、味の良さでいえばその選択にはやや疑問が残るかもしれない。

 

「旦那さん、唐揚げにゃ」

「お、センキュ―」

 

 なんて考えながら頬張っていると、イルルがおもむろに唐揚げを突き出してきた。日光を浴びて輝く脂。それに身を染めた肉の塊を、俺はそのまま咥え込んで。

 もしゃもしゃとしたその食感は、唐揚げとしては何だか頼りない。やはり弁当は、握り立てのおにぎりに限る。なんて思いながら、また一つおにぎりを口に放り込んだ。

 高菜の酸味がよく映えたその一品を味わいながら、俺はふと彼女に言葉を投げかける。頭によぎった、過去の情景を。

 

「……そういえば、ふと思い出したんだけどさ」

「にゃ? なぁに?」

「ルーシャがこの前変なこと言ってたんだよ。闘技大会のあれはどうたらこうたら、なんて」

「……にゃ」

「いやぁ、あれって何だったんだろうなって。イルルは、当事者だったから何か分かるか?」

 

 本当に、単純な疑問を投げかけた。俺は、そのつもりだった。

 ルーシャが俺に発破をかけた時に、意味深に呟いたその言葉。過去に彼女と闘技大会で手合わせした時に関する、その言葉。それが一体何のことを意味するのかが分からず、俺は何気ない気持ちでイルルに尋ねてみたのだが。

 当の彼女は、何か考え込むようにその白い尾を揺らした。困ったと言わんばかりに、その尾を左右に振っている。

 

「……イルル?」

「にゃ……言わなきゃ、ダメにゃ?」

「え? なんだそれ……なんかまずいこと聞いちまった?」

「うにゃ、そうじゃないけど……にゃー。言うにゃ。いつかは言わなきゃだめだもん」

 

 そう言って、イルルは一度箸を置いて。そんな改まった姿を前に、俺も思わず箸を置いてしまう。そのまま、彼女が話し始めるのをじっと待った。

 数拍置いて、口を開いたイルル。その言葉の真相を、彼女は口にした。

 

「ルーシャさんと旦那さんが戦うのに、ボクを賭けた話……覚えてるにゃ?」

「え? あぁ、まぁ。あいつもそこまでするかって、あの時は思ったなぁ」

「そ、それで……旦那さんはボクに聞いたにゃ。どうしてお前も応じたんだって」

「……そうだっけ?」

「そうにゃ。たぶん、ルーシャさんが言ってるのはそのことにゃ」

 

 まるで話が見えなくて、俺は思わず首を傾げてしまう。その様子にイルルは耳を少し垂れさせて、しかしもう一度俺の目をじっと見て。その細い髭を揺らしながら、その先の言葉を繋いでくれた。

 

「ボクがあの話に応じたのはね、もちろん旦那さんが勝つって信じてたにゃ。でも、旦那さんが本気になってくれるかどうか、知りたかった……だと思う」

「……本気に、なる?」

「旦那さんにどう思われてるのか、知りたかったにゃ。……わがままな理由で、ごめんなさいにゃ……」

「……はぁー、なるほど」

 

 聞いてみれば、それは随分とシンプルで。ただ、相手が自分のことをどう思っているかを知りたい気持ち。

 人の考えなんて、簡単には分からないから。それでも、何とかしてその心に触れたくて。そうして大胆にも実行に移すその姿は、何だかとても女の子らしく見えた。人とか、アイルーとか。そんな区切りなんて関係なしに。

 

「俺がイルルのことをどう思っているか。まぁ、これを見れば分かってくれるかな」

 

 そう言っては、ポケットに入れたままだったあれ(・・)を取り出した。くしゃくしゃに縮んだそれは、汗や埃を多く吸い込んでしまったようだ。原型も上手く留めておらず、ただくすんだ姿を掌に残している。

 

「……超高級お食事券……」

「期限切れだよ。もうただの紙切れさ」

「にゃ……ごめんなさい。ボクが、旦那さんに迷惑をかけたせいで……」

「気にすんな。どっちが大切か、ただそれだけの話さ」

 

 その紙切れをぎゅっと握り締めて。そのまま、ゴミ袋へと突っ込んだ。

 そうして、困惑した様子のイルルを抱き寄せて。そのおでこに、自らの額をくっつける。

 

「にゃっ……」

「最高級の食事より、イルルと一緒に食べる飯の方が……美味しいよ」

 

 俺なりの、精一杯の言葉。口下手だけど頑張ったんだ。気恥ずかしいけど、でも向き合ってみた。

 目をパチクリとさせては、俺の言葉を彼女は反芻する。一生懸命、俺の言葉を整理しているようだった。花が咲くような笑顔を見せてくれるには、もう少し時間がかかりそうだ。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「いやぁ、無事に釣れて良かったですよ」

 

 光の入らない薄暗い空間で、そう言葉を漏らすテンガロンハット。ドンドルマギルド地下に造られた狭苦しい牢屋で、手を背後で縛られた男に向けて彼────トレッドは、清々しげにそう語った。

 

「……釣れたァ?」

 

 自由を奪われているその男、アスマは訝しげに首を(もた)げる。

 

「えぇ、君が釣れて良かったです。色々と、策を張った甲斐がありました」

「何だァ? アンタ、俺のファンか何かかィ?」

 

 からかうようにそう言うアスマに、トレッドは無表情で金槌を振り下ろした。鋼鉄と頭蓋がぶつかり合う、けたたましい音が響く。

 

「ファン……そうですね、ファンかもしれませんね。君の斬り口にとても興味がありました。三味線に使われた、ネコ皮とか」

 

 目を見開いては呻き声を漏らすアスマの頭に、再び金槌を振り下ろして。しかし清々しい顔のトレッドは、語ることをやめない。もう片方の手で持った三味線を、呻く彼の目の前に置きながら。そのまま、言葉を繋げ続けた。

 

「本当に細かいところですが、人の癖なんてよく現れるもんですよ。こんな、刀の斬り口にまで、ね。君のは比較的分かりやすかった。大振りながらも繊細で、非常に正確な斬り口だ。まるで、細胞の隙間を縫うように、綺麗に断面を立っている」

「……あァ……?」

「……『彼女』の遺体に残った斬り口と、一致しましたよ」

「……彼女、だァ……?」

 

 頭から血を垂らしながら、アスマはゆっくりと首を上げる。そんな彼に向けて、トレッドは一枚の紙切れを取り出した。少女の姿を描き留めた、古い紙切れだった。

 

「この子に、見覚えはあるでしょう? 君たちが凍土で殺した子ですよ」

「…………」

「耳が聞こえないけど、素敵な音色を奏でる狩猟笛使いでした。筆談やジェスチャーでコミュニケーションをとるんです。忘れないと、思うんですが」

「……あァ、いたなぁそんなの……」

「そんなの……?」

 

 革靴の先が、アスマの顎を穿つ。そうして打ち上げられた彼の頭部を襲う、恐ろしいまでの殴打。まるで刀を鋳造するかのように、激しい乱打がこの牢屋を埋め尽くした。

 

「よくも、よくもリンを……あの子がどんな思いで、どんなに苦しんだか……」

「……ッ……」

「死ねよ……この腐れが……」

「……あぐ……ッ」

 

 先程までの清々しい顔はどこへやら。血走った眼で彼は激しく息を刻み、カランと金槌を掌から落とした。一方で、より一層血飛沫をあげるアスマは、灰色の床を赤黒く染めていく。絶え絶えの意識で、必死に痛みに耐えていた。

 

「……ふぅ、失礼。少々取り乱してしまいました」

 

 声を荒げていたトレッドは、慣れた手つきでそのテンガロンハットを整えて。息を休めては、その見開いた目をいつものように細める。

 

「……君にも、特別なコースを用意してあります。リンが受けた屈辱以上の苦しみを、与えてあげましょう。苦しんで、泣き叫んで、そして死ね」

 

 そう言っては、トレッドは手元の資料へと手を伸ばした。

 それは、ハンターズギルドが所有するハンターの登録リスト。そして、その名簿に名を乗せたアスマの、ギルドカード。そこに描かれた情報に彼は満足げに目を通しては、湿ったような笑い声を漏らした。

 

「くっくく……君、ロックラックギルドに登録してたんですか。なぁんだ、案外近場にいたんですねぇ。いや、そりゃそうか。今回は、随分手間をかけたことをしてしまったなぁ」

 

 しゃがんで、アスマの頭へと体を寄せて。その髪の毛を掴んでは、トレッドは無理矢理彼の顔を上げさせる。血で湿った髪からは、滲むような色がトレッドの肌に差した。

 

「リンの体に残った傷と、君が捌いたアイルーの皮の斬り口。それが非常によく似ていたことから、僕はこの三味線を売り捌いている業者に目をつけました。君の情報は、なかなか出なかったですけど。でも、アイルーが行方不明になる噂を知れたのは幸運でしたよ、ほんと」

 

 もはや、痛みもろくに感じることができないのか。どこか不安定で、またどこか余裕そうで。眼球を揺らしては小さな呻き声を絞り出すアスマに向けて、トレッドは饒舌に語り続ける。

 

「だから、その噂から獲物が釣れるように、餌を撒いた。いやぁ、無事に釣れて良かった」

 

 嬉々として。彼の様子を表すなら、その言葉が最も適切だろう。何ともにこやかに、穏やかに、彼は頷いていた。満足そうに、微笑んでいた。

 

「君で、二人目です。あと一人。あと一人、リンが死んだあのクエストに同行した奴がいる。とうとう、今日でリーチがかかりましたよ」

 

 にこやかな笑みは、次第に狂気的な色を差していって。アスマの頭を荒く振りながら、彼は白い歯を露わにしながら笑う。どのように殺してやろうか。そう思案する、何とも悍ましい笑顔。

 そこへ、アスマが口を開いた。か細い声で、絶え絶えの息で。しかし、嘲笑うかのように。トレッドに向けて、口を開いた。

 

「……おし、ェて……やろう、か……?」

「……あ?」

 

 それに、トレッドは眉間に深い皺を刻んで。しかし、金槌へと伸びる手を留めては、アスマの言葉を待った。

 

「あの時、いたハンターの……最後の、一人……教えて、やろうかァ……?」

 

 この前殺した奴は、どれだけ痛めつけても吐かなかったこと。どれだけ屈辱的な目に遭わせても、守り抜いたもの。「知らない」と一点張りだったそれを、奴は今軽々と手放そうとしている。

 その事実を前に、トレッドはその細い目を大きく見開いた。そんな彼の変容を目にしては、アスマは小さく笑う。まるで大きな契約をする前に、しかし余裕そうに口角を上げる商人のような。そんな、貫禄のある笑みだった。

 

 ────アンタのよく知ってる奴だァよ。

 

 トレッドに向けて、アスマはそう囁いた。

 

 

 

~本日のレシピ~

 

『スネークサーモンおにぎり(一個あたり)』

 

・ウマイ米     ……100g

・モガ塩      ……0.5g

・スネークサーモン ……20g

・醤油       ……適量

・ポッケレモン   ……1/6個

・高菜(葉)    ……1枚

 






 後日談(黒)


 とりあえず、これにてイルル編は終了です。長くなりましたが、そろそろ完結のピースをハメにいきます。
 ただ、リアルの事情で色々と難儀しているので少しばかり更新が定期を維持できそうにありません。これまでのように二週間に一回更新とはならなくなりますが、頑張ってちまちま書いていくのでまた読んでいただければ幸いです。何か、鬱連続シーンを耐え抜いた皆様はあれですね、進撃の巨人で言うところの面構えが違うって感じに見えてきました。強い(確信)
 それでは、この辺で! 閲覧有り難うございましたー!

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