モンハン飯   作:しばりんぐ

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 シグ視点、イルル視点で少し交互してます。





画餅充飢

 

 

「オラァこのクソグラサン野郎がァ!! 開けろゴラァ! ぶっ殺すぞ!!」

 

 ガシャンと悲鳴を上げるシャッター。あのイルルが通っていた雑貨屋は、夜が明けた今になっても沈黙を保っている。そんな固く閉じた口を抉じ開けようと蹴りを入れるものの、ただ鉄が虚しく軋むだけだった。

 

「ちょ、ちょっとシグ! やめてくださいよ!」

「うるせぇな! あの野郎を引っ張りださなきゃならんだろ! 離せ!」

「いや待って! そのスラッシュアックスで何するつもり……ってちょ、属性解放!?」

「あの扉をぶち破る……。あのムカつくグラサンごと、目玉えぐってやるよ……ッ!」

 

 背のマグネットから取り外したスラッシュアックスを構えようとすると、後ろからトレッドが俺の腕を掴んでくる。珍しく彼も焦った様子で、俺を抑え込もうと嫌な汗を垂らしていた。

 ハンターと言えど、彼はガンナーだ。剣士の俺からしたら、大した力ではない。振りほどけない訳ではない───

 

「離せ……離せクソ!」

「離しませんよ……今はその機じゃないんですよ……っ!」

 

 それがどうもこうも、中々離れない。俺の右手に対し彼は両手だから、というのもあるかもしれないが、それでも彼の椀力は俺の予想以上のものだった。ライトボウガンを使っている奴に、ここまでの腕力があるものなのか。

 

「落ち着いてください! そんなことをしても余計騒ぎが大きくなるだけです! 少し冷静になって!」

「冷静になんかいられるか……ッ! 離せよハゲ!」

「ハ───あ?」

 

 ドッっと、何かが鳴った。

 それは火薬の香りを振り撒くもので、擦り付けたような鼻につく香りを残している。先から出る煙は、まるでたばこの残り香のように、静かに空に溶けていって。

 片手が離れたかと思いきや、何かが俺の胸を撃ち抜いたような、そんな気がした。

 

「……てめ……撃ちやがっ……」

 

 突然、体中が重くなる。意識が体を抜けて、煙と共に空に舞い上がってしまいそうな。糸が切れた人形のような感覚が、俺に襲い掛かってきた。

 一方で、離した手で小さな銃を握っていたトレッド。あのか細い目を薄く開けては、物凄い形相で俺を睨んでいる。

 

「言っていいことと悪いことがあるんですよクソ野郎。気にしてること言いやがって……眠っとけダボが」

 

 真っ暗闇になる景色。倒れる体。捨て台詞のようなトレッドの声が、俺の耳を穿っていった。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 イルル。

 どうしたんだ? そんな、俺の腹の上に乗って来て。

 甘えたいのか? よしよし、相変わらず甘えん坊だなぁお前。

 

 お前のほっぺの毛……ほんとにもふもふしてんなぁ。でも、風呂入ると分かるけど、ほんとは結構小顔なんだよなぁ。

 ん? 背中? 撫でてほしいの? ほいほい。

 心地いい? そっかぁ。……相変わらず良い毛並みしてんなぁ。

 今日は……もうこのまま昼寝でもしてようか。うん、そうだな。

 ん? そりゃもちろん、俺の上で寝てたいならそうしてていいぞ。

 ───やっぱりお前、あったかいなぁ。

 

 

 

 

 

「……旦那さん、旦那さぁん……」

 

 ふと、懐かしい光景が目の奥で広がっていた。

 紅葉も散り行く秋の空。秋も終わりかけていたけれど、その日は妙に暖かくて。だから、庭のハンモックで読書していた旦那さんのお腹に飛び乗って。そうして甘えるボクを、旦那さんは優しく受け入れてくれたのにゃ。

 

 ───あの後はお昼寝をして、夕方の前には起きて、おやつでも作ったにゃあ。ホイップクリームにカスタードクリーム。それをさくっとした生地に包んだおやつ。

 旦那さんは、シュークリームと呼んでいたにゃ。焼き目が綺麗な生地に包丁を入れて、器とフタのように分離させた旦那さん。その中に、たっぷりとカスタードクリームを入れてたにゃ。半分埋めたその横に、今度は真っ白なホイップクリームを注ぎ込んで。

 生地の中をクリームが敷き詰めてしまったら、最後に切り分けた生地を被せて、完成にゃ。隙間から溢れ出てくるクリームが、何だか魅力的だったのにゃ。

 

「……あのカスタードクリームも、旦那さんが作ってくれたんだっけ」

 

 ぱくっと食べてみると、サクサクとした生地が歯を擦る。その直後に、とろーっとクリームが口の中に流れてくるの。ホイップの柔らかい香りが、カスタードのコクのある甘みが、生地の食感と混ざり合う。そのハーモニーは何とも言えず、ついつい食べ進めてしまうの。

 ほっぺたが落ちちゃうなんていう言葉があるけれど、思わずほっぺを手で押さえちゃうような、そんな美味しさに満ちていたにゃあ。特に、ボクはあのカスタードが好き。主張の強い甘さと香り、あとに残る口どけ。どこをとっても、最高なのにゃ。

 

 ───やっぱり、旦那さんとまったり過ごす時間は幸せにゃ。一緒にご飯を食べてる時が、大好きなの。一人で食べてる時より美味しいなんて、錯覚しちゃうくらいに。

 旦那さんが、一緒にいてくれるからかな。旦那さんはいつも明るくて、優しくて、とってもあったかくて。一緒にいてくれるだけで、ボクもとってもあったかい気持ちになれるのにゃ。とっても、とっても───

 

 

 

 

 

「……にゃ」

 

 だけど、今はとっても暗い。とても寒いし、凄く───怖いのにゃ。

 あの温かい部屋はここにはなくて、優しい旦那さんもいない。狭く、暗く、無機質で。廃工房のようなここは、外の光が全く入ってこなくて。ただ、いくつかのロウソクの漂う光と、男の人の話し声や笑い声が時折聞こえてくるだけだった。

 凄く心細いのにゃ。一人ぼっちで、押し潰されてしまいそう。

 

「……なんだ、全然食べてないじゃないか」

 

 そこに投げかけられた、聞き覚えのある声。ボクが足しげく通っていた雑貨屋の店主さんが、いつの間にかボクの前に立っていた。

 彼が見ていたのは、ボクの前に置かれたお皿。お肉や野菜が盛り付けられた、小振りなお皿。

 

「食べなきゃ体によくないんだぞ。ちゃんと食べなきゃダメだろう?」

「…………」

「全く、急にふてぶてしくなっちゃって。おじさんのこと、嫌いになっちゃったのかい?」

 

 そう言っては、急にボクの首に手を入れてくる。首輪と武骨な腕に挟まれて、ボクの喉はきゅっと鳴った。

 突然のことで反射的に両手の爪が走ったけど、今日の店主さんは手にレザーのアームガードを付けていて。それに傷を入れることはできても、店主さんの腕に爪は届かなかった。

 

「にゃっ……離して! 触らないで……っ」

「おーおー、やっと口聞いてくれたねぇ」

 

 にんまりと笑った店主さんは、そのままボクの胸の毛をまさぐり始める。手荒く、雑に、ボクの毛並みを掻き乱すその手。気持ち悪くてたまらない。でも首を掴む手はとっても強くて、ボクは逃げようにも逃げれなかった。

 

「いやぁ……やだぁ……ひあぁ……」

「うんうん、やっぱり君は上質だよ。こりゃいい三味線ができそうだ」

 

 ようやく離してもらって、ボクは慌てて後ろに跳んだ。少しでも、この人から離れたい。そんな思いがボクの頭の中を埋める。

 一方の彼は、そんなボクも気に留めず、満足そうに掌を開閉させていた。ボクの体を無遠慮に触る、あの厭らしい手を。

 

「毛が細かくて、その下の肌も張りがある。やっぱり俺の目星は間違ってなかったね。きっと君は高く売れるよ」

「嫌にゃあ……聞きたくない……」

「その毛を全部とって、皮を剥いでなめしたら……どんな音がするんだろうな?」

「いやぁ……なんで、なんで……」

「ん? どうしたんだい?」

「……なんで、アイルーで……」

 

 どうして、ボクなんだろう。どうして、アイルーを使うんだろう。

 他にも、もっともっと良い素材はたくさんあるはずなのに。この人は、どうしてボクを選んだの───

 そんな疑問に答えるように、彼は小さく溜息をついた。荒くモヒカンを搔きながら、呼吸を整えて、ボクの方を見た。シャドウアイ越しの目が、じっとボクを見据えている。

 

「そりゃなんでって、アイルーの皮が凄く良い音を出すんだよ」

「……音?」

「もしかして、三味線は狩猟笛の一種とでも勘違いしてたのかい? おじさんたちが用意するのは武器じゃないよ。楽器。芸術品さ」

「……芸術……品?」

「そうさ。三味線っていうのはね、元々はユクモ地方からかなり南に行った島国の楽器だったのさ」

 

 店主さんは、おもむろに楽器について語り出す。さも、自分の武勇を語るかのような口振りで。思い出すように、それでいて、誇らしげに。

 彼の話はこうだった。

 元々は、小型の蛇竜種の皮を使っていたその楽器。時代の流れと共に島から流れ、とうとうユクモ地方にまで流通するようになった。しかし湿度の違いがあり、ユクモ地方では蛇皮が痛みやすいという難点が生まれてしまう。そのため皮自体を変える必要があったそうなのにゃ。

 

「んで、雷狼竜とか迅竜とかの皮を試すこともあったそうだけど、毛が太くて皮も厚い。大型モンスターの素材は強靭過ぎて、音色という面では不十分だった訳さ」

「……どうして、それでアイルーなのにゃ!? ネコの皮じゃなくたって……!」

「おう。ファンゴやケルビでもいいんじゃないかって実験はされたそうだぜ? でもな、それじゃ良い響きは出ないんだよ。肝心なのは、胴体全部ってとこだね」

「……胴体、全部?」

「大きな生き物だとな、厚みに変化のないところ一部しか使えない。それじゃダメなのさ。胴体全部を使用できて、なおかつ小柄で、さらに言えば大型モンスターほど入手が困難じゃないもの……」

「それで……アイルー、にゃ?」

「そう。アイルーがベスト。この業界じゃ、これが常識だぜ」

「そんな……そんなの……あんまりだよ……」

 

 思わず、吐き気がした。ボクたちアイルーのことを、そんな風に見ている人たちがいるだなんて。まるで───まるで、モンスターの素材のような、そんな扱いなんじゃないか。

 

「酷い……酷いにゃ! こんなこと……っ!」

「酷い? 何がだ? 君らの毛皮を使うことがか? それの何が酷いんだ?」

「だって、らって! まるでボクらを道具のように……素材のように……!」

 

 涙ながらにそう訴える。心の底から湧いた怒りを、彼にぶつけた。

 ───けれど、返ってきたのは、さも不思議そうな声。シャドウアイを被ったその顔は、ボクの訴えを気にも留めていなかった。

 

「───だって? 君が貰ったその防具だって、同じことだろ?」

 

 響いた店主さんの声に、ボクは思わず固まって。頭を埋めてた罵倒の言葉も、全部真っ白になっちゃって。

 恐る恐る、ボクは自分の身を覆う防具へと目をやった。白と黒で彩られたこの防具は、旦那さんが仕留めたというキリン亜種からできている。あの子の皮や体毛、角を使ってできている───

 

「俺たち人間はな、他者を食って生きてくんだよ。使えるものは全部使う。モンスターも、全部ね」

「……でも……それでも、どうして……」

 

 頭が、思考が追い付かない。店主さんの言葉に、ついていけない。

 ボクがしていることは、店主さんと何も違わないの? 店主さんがボクを楽器にしようとしているかのように、ボクもモンスターの素材を武器や防具をしていたの?

 でも、でも。そこは一緒じゃなくて。ボクはアイルーで、あの子たちはモンスターで、だからボクらを素材にするなんてことは───

 

「……イルルちゃん、何か勘違いしてないかい?」

「……にゃ?」

 

 頭がぐるぐるになっていくボクに向けて、彼は訝しむような目で言葉を投げかける。

 一体何のことだろう。

 そんなことを思いながら、彼に目を向けるボクと───吐き捨てるような、彼の言葉。

 

「お前らアイルーは、人間じゃない」

 

 店主さんの冷たい一言が、静かにボクの心をえぐる。触れないようにしていたことを。ボクがそっと、まるで鍋のフタをしめるかのように隠していたものを、無理矢理抉じ開けられたかのような。そんな感覚がどっと襲い掛かってくる。

 

「まるで人間のような口振りじゃないか、ネコ畜生の癖によ。人に並ぼうなんて、烏滸がましいぞ? 分かったら、大人しくご飯食べてようね」

 

 そう言って、彼はずいっとボクに皿を押し付ける。そこに乗せられたお肉は、バラバラに解体されたお肉。原型も何も残っておらず、ただ肉ということだけが分かるような、そんな無残な姿だった。

 それを焦点の定まらない眼で見るボクに、店主さんは思い出したかのに口を開く。立ち去ろうと踵を返していた足を、すっと止めながら。

 

「あっ、そうそう。君の解体人だけどね、明日こっちに到着するみたいだ。わざわざユクモ地方からこっちに来てくれてねぇ……。いよいよ、明日だよ。楽しみだなぁ!」

 

 明日。

 明日は何の日?

 ドンドルマの、何でもない一日。休日でも祝日でもなくて、当たり障りのないただの一日。

 何かの行事もある訳でもないし、みんながそれぞれの生き方をする、いつも通りの一日。

 ───旦那さんが言っていた、超高級お食事券の日。

 

「……にゃぁ……」

 

 ───こほん、まぁ、なんだ。こいつが使える日は丁度五日後だ。その日は、何があっても俺は狩りに行かないし他の予定も入れないからな。ラオシャンロンが空飛んできても、俺は絶対この日はアリーナに行くからな!

 

 確か、旦那さんはそう言っていたにゃ。何があってもアリーナに行くって、彼は豪語していたにゃ。だったら、もう───

 器を満たすお肉を見つめる瞳からは、ほろりと涙が零れてくる。大粒のそれが、ボクの頬の毛並みを重く湿らせた。

 あの甘いカスタードクリームが懐かしい。そんなことを思いながら、ボクは静かに目を伏せたのだった。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「……あれ、シグ。目を覚ましたんですか?」

「おう、トレッド。……悪いな手間かけて。もう落ち着いたよ」

 

 熱せられた鍋が淡い香りを放っている。真っ白になったそこで泳ぐバニラビーンズ。その様子を眺めながら、俺はボウルの中身を無心に掻き回していた。

 そこへ声をかけてきた人物。先程俺に何らかの弾を撃ち込んできた男───トレッドだった。

 

「一応、対人用に調合した睡眠弾なので負荷は軽いと思いますが……どうです?」

「何が対人用だよ全く……でも、この通り料理できるくらいには何ともない」

 

 鮮やかな黄色が目を差すその光景。とろりとしたそれがボウルの中央で渦を描き、端には白い色を塗りたくっていく。そこから溢れる、チココーンスターチの爽やかな香り。砂糖を練り込んだ、濃厚な卵の香り。

 

「……何作ってるんですか?」

「……カスタードクリーム」

「……何で今?」

「……イルルが、これ好きだから……」

 

 ───いつか作ってあげたシュークリーム。それを頬張る彼女の姿が、脳裏に浮かぶ。

 もしかしたら、イルルはお腹が空いているかもしれない。

 好きなものも食べれず、ひもじい思いをしているかもしれない。

 家に帰ってきたら、好きなものを食べさせてやりたい。

 我慢させてきてしまったんだから、目一杯甘やかしてあげたい。

 そんな思いで俺は鍋を掻き回していたが、一方のトレッドは、憐れむような視線を俺に投げかけてきた。その顔には、「これは悪手だったか」とでも書いているかのような───

 

「……ま、まぁ落ち着いてくれるならいいんですけどね。あのまま騒ぎになっては色々あれなので」

「だな。まだあのモヒカンが犯人って決まった訳じゃないし。仮にそうだったとしても、騒ぎを起こしたら警戒されるし、下手したら逃げられちまう」

「……驚いた。随分冷静ですね……」

 

 少し感心するような口振りだった。そんな言葉を漏らしながら、トレッドは部屋のソファーへと腰かける。少し癇に障るものの、今はそんなことにいちいち反応していられない。

 

「今は穏便に行動するのが吉、でしょうね。犯行グループの目につくような行動は避けるべきです。……で、他に何か収穫はありそうですか?」

「ヒリエッタやルーシャも情報収集してくれてるけど……今んとこ目ぼしいものはないな。畜生……」

 

 彼女たちも、それぞれの生活があるというのに。親身になって、イルルのことを案じてくれている。ドンドルマの路地を駆け回って、彼女のことを探してくれている。

 それでも、現状はあまり進展していないと言ってもいい。トレッドがあのシャミセンとかいう楽器を持って来てくれた日から、既に一日が経過していた。

 

「……それにしても、不快な楽器だなぁこれ。アイルーを使うなんて……」

「まぁ、ユクモ地方の著名人にはこの楽器の奏者って人も多いですからね。芸術品としての価値も高いですし、ギルドも見て見ぬふりをしているというのが現実ですよ」

 

 憂うようにそう話すトレッド。どうやら、以前からユクモ地方では流通されていた楽器のようだ。しかし、俺が知らなかった話でもある。ひょっとすると、アイルーが使われているという事実は、流布されていないのかもしれない。そんなことを考えながら、俺は手に持っていたボウルを台に置き、鍋を熱する火の元を断った。

 卵の凝固を抑えるグラニュー糖。白い雪を降らす薄力粉。さらに、先程鍋で熱していたベルナミルクとバニラビーンズをボウルに投入する。白と黄色が混ぜ返ったそれに向けて、仕上げと言わんばかりに混ぜる手に力を込めた。

 

「……で、これからどうします?」

「…………」

「ここで料理してるだけじゃ、始まりませんからね。どうやって、イルルちゃんを探すか。何か策はありますか?」

「……良い案があったら、こんな悠長に料理してる訳ないだろが」

 

 正直なところ、この料理は気を紛らわせる以外の何者でもない。何もせず座っているだけじゃ、気が狂ってしまいそうなのだ。頭がおかしくなりそうなのだ。

 吐き捨てるようにそう返し、今度は鍋にザルを乗せる。そのザルに向けてボウルを傾けては、混ぜ返したその中身を再び鍋の世界へと追い返した。ザルによって濾し出され、より純度の高い素がとろりと滑り落ちる。

 そんな俺の目に映るように、トレッドはとん、と何かをテーブルの上に置いた。それは、淡い光を放つ円柱状の何か。そう、まるで虫かごのような───

 

「……何だ、それ?」

「シグ。痕跡です」

「あ?」

「よりイルルちゃんに繋がる匂いが残ったもの。そんな痕跡を探すんです」

「……痕跡? それで、どうやってイルルにまで辿り着くんだよ」

「そのための、これですよ。『導蟲』と言うんですけどね。この子たちは匂いを覚えると、それに関連するものに反応するよう訓練されているんです」

「へぇ……それはまた……ただの蟲じゃん」

「いやいや。これ、ギルドの最先端技術ですよ。精度は抜群。匂いを嗅がせればちょちょいのちょいです」

「……ってことは、部屋にあるイルルのものを嗅がせたら───」

「はい。きっと、イルルちゃんに辿り着けるはずです」

「あぁぁ! お前ほんとに最高だ! もう親友だわ! マジで!」

「ですから、シグ。すぐに持って来てくれませんか?」

「あ、スルー? でもいいや! 分かった! 待ってろ! その間お前は鍋を頼む! 中火で、こげつかないように掻き回しておいてくれ!」

「えっ」

 

 無理矢理ヘラを押し付けて、俺は寝室の方へと飛び込んだ。

 イルルが使っていた部屋着。ブラシ。爪切りばさみ。武器に防具。そして、いつもお昼寝に使っていた座布団など、様々なものを掻き集めてくる。それを担いではリビングのソファーの上に投げ出した。

 一方で、おっかなびっくり鍋を掻き回すトレッド。彼らしくないどこかへっぴり腰の様子に苦笑しながら、俺は彼に声をかけた。

 

「すまねぇ。持ってきた! 変わるから、匂いの方を頼む!」

「あ、わ、は、はい……。これすっごく焦げやすそうで怖いですね……」

 

 ヘラを受け取って、鍋へと刺す。とろりと、ヘラに絡まってくるそれは、何とも重い。濃厚な甘みがそのまま質量をもったかのような、そんな感触だった。

 そんな鍋を横目にしながら、俺はトレッドの様子を窺った。円柱状の箱を開けては、細かな蟲を外へと飛ばすトレッド。蟲たちは淡い光を放ちながら、イルルの道具の匂いを探っているが───

 

「……何か、妙にくすんだ色してんな」

「…………あれ?」

「……おいおい、ここまで期待させといてもしかしてって奴……? 流石に冗談だろ?」

「……君たち、どれだけ仲良しなんですか」

「は?」

「どうやら、君の匂いも強すぎて蟲たちは混乱してるみたいですね……」

「……は?」

 

 ───考えてみれば。

 イルルの道具の多くは寝室に置いてあって、なおかつ俺もそこを毎日利用している訳で。装備を入れたボックスは共用しており、衣服に関してもいつもひっついていたから俺の匂いも付きまくる訳で。座布団も元々は俺の物であって、ブラシといった道具も大体俺が使ってイルルの毛並みを整えていた訳で。

 

「……つっかえねぇなぁその蟲」

「……いや、新大陸調査団の英知の結晶ですよ、一応。うーん、普通の関わり程度なら問題ないんですけど、どうやら君たちは過剰にくっつき過ぎなようですね……」

「うっ……うるせぇ! いちいち突っ込んでくんな! で!? 他にどうすりゃいいんだ!?」

「でしたら、最後に目撃された路地の方で匂いを探すしかないですね……」

「……また分からない、とかにならないか?」

「その時はシグがいなかったと聞いているので、多分大丈夫でしょう。アツアツですねぇほんと」

「もういい! やめて! それ以上言わないで!」

 

 思わず顔を覆いたくなる。しかし、覆ってしまったら鍋を見れなくなる。恥ずかしさに顔から火が出そうだったが、カスタードクリームのために俺は必死に耐えた。

 鍋で熱せられるクリームからは、ふつふつと気泡が湧いていた。ヘラを上げてみれば、とろりとろりと、糸を引くようにクリームが後を残していく。

 もう十分だろう。後は火を止めて少し掻き回して慣らしたら、冷やしてしまえばいい。

 なんて考えていた時に、勢いよく門が開けられる。このタイミングで都合よく現れたのは、長い金髪を後ろでまとめあげた少女。ルーシャだった。

 

「あー! 収穫が全然ないよー! もう、もうぅ!」

「ルーシャ、丁度良かった! コイツを頼む!」

「はっ、へっ? ちょ、何!?」

 

 そんな彼女にヘラを受け渡し、鍋の前へと押し出した。混乱する様子だったが、今はそう構っていられない。本当は最後までこのクリームの面倒を見たかったが───背に腹は代えられないのだ。

 

「いいか? 数分コイツを混ぜたら、鍋の外から氷結晶で冷やしてくれ! んで、ある程度温度を下げたらパックに詰めて、氷結晶ボックスに入れる。よろしくな!」

「は? ちょ、え、何? 何これ? どういう状況?」

「ボックスは棚の上にあるから! じゃ、俺たちは行ってくる! いくぞトレッド!」

「はいはい、そういきらないでくださいよ」

 

 トレッドは導蟲とかいう昆虫の箱を持って。俺はルーシャに仕上げを全て押し付けて。

 そうして、門を抜けては駆け出した。あの話にあった路地はそう遠くない。走れば数分もかからずに着くだろう。最後の手がかりとも言えるこの手段に希望を乗せて、俺は走る脚に力を込めた。

 背後から、「一体何なのよー!」と叫び声が聞こえてくるが───今は、無視だ。

 蟲だけにな!

 

 

 

 

 

~本日のレシピ~

 

『カスタードクリーム』

 

・丸鳥の卵(卵黄のみ)……1個

・砂糖        ……40g

・チココーンスターチ ……35g

・グラニュー糖    ……50g

・薄力粉       ……20g

・ベルナミルク    ……200cc

・バニラビーンズ   ……1/2本

 

 






 導蟲くん登場。


 感想返しでワールドモンスターは出さないと明記しましたが、少々訂正。相変わらず世界観重視なので新大陸のモンスターが出てくることは恐らくないと思いますが、こうやって輸出入で登場できそうな素材や道具などは少しずつ登場していくと思います。トレッドさんはギルドの人間なので、色々権力行使して導蟲分けてもらったんでしょうね……。

 今回はカスタードクリーム。甘くて美味しいよね。結構嫌いっていう人見てるけど。好み分かれるのかな? スイーツに関しては私全く知識がなくて、今回はなかなか難儀でしたけども。cotta column様の、よーちんママ様の投稿。勝手に参考にさせていただきました。
 それでは、次回の更新でまたお会いしましょう~。

 ……髪の細いトレッドさん。実は分け目の薄さを気にしていたの巻。
 あ、あと何となく絵描いてみますた。よかったら、どぞ。

【挿絵表示】



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