モンハン飯   作:しばりんぐ

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今回は前後編スタイル!





孤独は食事のパートナー

 

 

 騒がしい狩人たちの声。

 グラスとグラスを打ち付ける音が響き、それに伴い勇ましい男たちが大きな笑い声を上げた。同時に漂ってくる、食材の濃厚な香り。そしてそのグラスの中身であるアルコールの匂いが、豪快に俺の鼻を刺激する。そんな喧噪を、鎮めようとするかのように鳴り響く大銅鑼の轟音。

 ここはバルバレギルドの集会所。バルバレ一大きな建物だ。

 

「おい聞いてくれよ! この前イャンクックが――」

「何だそんなの、俺なんかなァ――」

「私の話も聞いてよ! 前のクエストでリオレウス様が――」

「フルフルたん可愛いよおおぉぉぉ!」

 

 とまぁこんな感じに、ここには様々な依頼、仕事、そして我の強いハンターが訪れる。集会所、という名は伊達ではないのだ。

 ハンターをやろうとする人間なんて、かなりの変人か、相当酷な出自があるかの二択。だからまぁあんな風に馬鹿騒ぎするような奴らが集まりやすい。

 ハンターという人種は、基本騒がしいのだ。

 

「……はぁ」

 

 小さなため息が耳に届いた。

 テーブルの向かいに座っている、あの女ハンター。漂う雰囲気は、恐らく後者だ。

 大剣にジンオウUシリーズで身を包む彼女は、寡黙そうにシモフリトマトを挟んだマスターベーグルを食べている。周りの喧騒には一切混じろうとせず、ただ黙々と狩りに向けて英気を養っているようだ。

 少し橙の掛かった金の髪に、鋭く光る翡翠色の瞳。端正な顔立ちだが、その瞳の印象のせいか、やや気難しそうな印象だ。その装備や佇まいから、彼女はそこらのハンターとは違う、実力者だということが窺える。

 装備から察するに、ジンオウガ亜種を制したんだろう。だからあの強そうな雰囲気も納得だ。きっと彼女も、モンスターに故郷を潰されたとか、そんなクチだろう。

 

「……別に何でも良いか」

 

 俺とて折角バルバレギルドに来たのだから、たまにはここの飯を食べたくなるってもんだ。

 ――というわけで、早速注文したピンクキャビア入りヘブンブレッドに齧り付く。

 そこらの小麦とは比較にならない濃厚なパンの香りに、ピンクキャビアの鮮やかな旨みとほどよい苦み。口の中で広がるそのコクのある珍味を、パンはじっくりと包み込んでいく。 

 さて、このピンクキャビアの味だけで楽しむのも悪くないが、何とここの各テーブルには氷海オイスターソースが置かれていることも忘れてはならない。

 実はこれ、なかなかの高級調味料だ。相当羽振りが良いのか、ギルドでは各々が好きな量掛けて良いこととなっている。つまりこれを掛ければ、またまた違う味を楽しむことが出来るのだ。そんな素晴らしい助っ人を使わないでいることが出来るだろうか? いや、出来ない。

 

「ってことで、俺もいただきましょうかね!」

 

 空きビンに詰められた薄い黄色のそれが、キャビアの桃色に光を差した。そんな海の芸術を一度(ひとたび)口の中で味に昇華させると、俺は言いようのない幸福感に包まれる。

 まるで長年閉じ続けていた貝が、その身に宿した真珠を解き放つように。貝のクセのある旨みがキャビアの苦味を助長させ、より食べ応えのあるモノへ変えていく。その大人向けの、まるで海のように深い旨みが堪らない。

 ――自分でも気付かぬうちに、俺は眼を閉じて味を楽しんでいた。それを認知するまで、外からの騒音は一切遮断して、ただ真摯に味に向き合っていたのだ。

 

「美味い……」

 

 実のところ、俺はこの組み合わせが好きだ。何なら、ここで食べることの出来る飯で一番好きだったりする。何といっても味の調和が素晴らしいのだ。キャビアの濃厚な味を、氷海オイスターソースの独特の風味を、ヘブンブレッドが優しく受け止める。

 まるでモンスターを優しく受け止め、時には()(かご)にもなる落とし穴のようだ。

 

 

 

 

 

「「「うおおおおおっ!!」」」

 

 ――だが、何時までも飯を楽しんではいられない。

 熱くなった男たちが、腕相撲をし始めたのだった。それに伴いギャラリーが集まっていき、集会所は暑苦しい熱気に包まれる。ヘブンブレッドのような優しい包み方ではなく、ガララアジャラの囲み技を思わせるような不快な包み方。それが、俺を味覚の海から無理矢理引き上げた。

 

「……チッ」

 

 これだ。これだから集会所は嫌いなのだ。ここに来る奴らは、飯を楽しむという高尚な嗜好を持ち合わせていない。そういう点ではモンスターと大差ない連中ばかりだ。

 こんなところでゆっくり飯を食うなど、夢のまた夢。いっそのこと、ここの飯を不味くしてもらえれば、まだ俺も納得出来るのだが。しかし、世の中というのはうまく行かないもの。ここの飯は、俺が思わず足を運びたくなってしまうほど美味かったりする。

 

「……それでもやっぱり嫌だなぁ。食い終わったこの瞬間が最悪なんだ」

 

 思わず溜息が漏れ出たものの――それもまた、男たちの荒ぶる声に呑み込まれていった。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「相変わらずだね、君は。ここはやっぱり苦手なのかい?」

「……まぁな。慣れないもんだよ。バルバレに来てから結構長いんだけどな」

「ほっほほ。まぁそこは人の好みというものがあるからね。無理に適応しなくても良い」

 

 暇を持て余した俺は、何ともなしにギルドマスターに近付いてみた。

 顔馴染ではあるので、俺に気付くや否や、快く話しかけてくれるこの好々爺。小柄なご老体ではあるが、実はこのバルバレギルドのギルドマスターという超高等身分なお方だ。

 

「何か面白いクエスト来てない?」

「ふむ……そうだね。とある国の第三王女殿から――」

「パス。絶対めんどくさい奴だろそれ」

 

 とあるとか言っておいて、全然隠す気のないギルドマスターの呟きに、俺は思わず溜息をつく。

 第三王女といえば、訳の分からない我儘を振り撒く超絶迷惑なお方だということで有名だ。一体何時だっただろうか。雪遊びに行ってしまったなどという理由で、凍土に駆り出されたこともあった。まぁ、"あの頃"は色んな意味で嫌な思い出ばかりだ。思い出すのは止しておこう。

 ――何の因果か、あの時俺を苦しめた獄狼竜(モンスター)の装備を着込んでいる女が、今同じ空間にいるのだが。

 

「では、そうだねぇ……」

 

 取り敢えず受け流しておくと、彼はそれも全く気に留めず白い豊かな髭を擦り始める。

 丁度その時だった。優雅に髭を弄る彼の元へ、受付嬢が駆け寄ってきたのだ。それもらしくもない、非常に慌てた様子で。

 

「マ、マスター! 大変です! 救難信号です!」

「何っ、本当かい? 一体何処から?」

「ば、場所は原生林! 移動中の商隊が付近で、ゲネル・セルタスを目撃したそうです!」

 

 彼女の声が、集会所中に響き渡る。それに気付いたのか、馬鹿騒ぎしていたハンターたちも自ずから静まり、事の成り行きを見守り始めた。

 ゲネル・セルタス。現在確認されている中で最大の甲虫種。圧倒的な巨体と、凄まじい馬力を持つ虫だ。危険度もかなり高く、そこらで馬鹿騒ぎしていたハンターたちには太刀打ち出来ないのではないだろうか?

 

「みんな、聞いたかい? 早速高速飛空船を用意する。是非ここにいる上位ハンターに討伐に向かってもらいたい。誰か名乗り出る者は――」

「行くわ」

 

 ギルドマスターが、何時ものお道化た様子ではなく、眉間に皺を寄せた表情で集会所内を見渡した。そうして狩人を募ろうと声を上げると、早くもそれに乗り掛かった人物が一人。若い少女の声だった。

 

「……ふむ、ヒリエッタくんか。よし分かった。あと三人、誰かいるかな?」

 

 ギルドマスターが呼んだ、ヒリエッタという少女。

 彼女は先程から微かにチラついていた、ジンオウUシリーズに身を包むあの少女だった。よくよく見れば、背負う大剣は煌剣リオレウス。青い刀身に幾つもの鋭い棘の付いた武骨な大剣だ。つまり彼女はジンオウガ亜種だけでなく、リオレウス亜種まで制したということになる。

 一方、ギルドマスターの掛け声に、さらに二人の男が名乗り上げた。それも少女の様子を気にしながら。見た目の印象をまとめると、ランスを背負った背の高い男に、弓を抱える小太りの男。

 

「じゃ、じゃあ俺たちも行くぜ!」

「おう、甲虫種なら楽勝だな!」

 

 彼らもマスターの知る上位ハンターだったのか、マスターは頷いて二人の同行をあっさりと認めた。

 己の武勇を見せびらかそうとするかのように佇むグラビドシリーズのランサーと、バサルシリーズの弓使い。普段から共に狩りをしているのか、二人は仲良さげな様子で少女に近付いて何やら話しかけ始めた。つまるところ、ナンパだろうか。

 

「それじゃあ、あと一人……。シグくん、行ってくれるかい?」

「……は?」

 

 ギルドマスターが残る一枠に俺を名指しする。同時に集まる、俺への視線。ギルド中の、いくつもの瞳。

 その面倒ごとに俺が思わず顔を顰めると、偶然ながらもランスを担ぐ男が口を(すぼ)めた。だが、マスターは厳しい表情で彼を諌め始める。

 

「おいおい、マスター。俺たち三人だけで充分だろ?」

「いけないよ、これは人の命が懸かった緊急要するクエストだ。だったらより確実に狩猟を成功させないとね。だから、ここは君たち四人で狩りに行ってもらうよ」

 

 焦っているのだろうか。俺の意見も全く聞かずに依頼書に印を押し始める受付嬢たちに、静かに頷くギルドマスター。つまるところ、俺の逃げ場が封鎖されたのだった。

 少女は至って無表情。二人組の男は明らかに不満そうな顔をして俺を睨む。一方の俺はというと、溜息をつくしかない。

 

 ――また(・・)か。

 女一人に雄二人。俺はぼっちでお邪魔虫。こんなシチュエーション、度々あったなぁと。漏れ出た溜息は、淡くも集会所の喧噪に掻き消されてしまった。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「なぁお嬢さん、お堅いなぁ~。緊張してるのかい?」

「俺たちがついてるから大丈夫だよ!」

「……別に緊張なんてしてないわ」

 

 飛空船が、雲を切り裂いて飛んで行く。

 本来翼を持たない人間は、飛ぶことなど敵わない。しかし人間には、翼の代わりに知恵がある。その知恵を用いて作られたこの飛空船は、人を飛竜のように飛ばすことの出来る、まさに叡智の結晶なのだ。そんな空の旅は本来とても清々しいものであるのだが。

 

「……はぁ~」

 

 俺はというと、ただいま絶賛落胆中だ。

 もう先程までの流れから分かるように、俺は完全にハブられていた。同行する彼らにとっては、ヒリエッタという少女をナンパしたいがために名乗り上げたのであろうから、そこに加わった俺が邪魔で仕方ないらしい。明らかに俺を遠ざける形で、ひたすら少女に話し掛けている。

 一方の少女はというと、さも面倒臭そうに彼らの質問を受け流していた。容姿が整った女性ハンターはこのようによくナンパを受けるらしく、それから逃れるのがなかなか大変なのだとか。

 

「ハンター歴何年なの?」

「別にどうでも良いでしょ」

「ギルドカード交換しない?」

「……悪いけど今日は持ってきてないの」

 

 彼女は慣れているのか、巧みに彼らの質問を避けていく。その全く揺るがない態度に、男たちはもどかしそうに顔を歪めた。

 その様は、見物している俺からすれば「ざまあみろ」としか言いようがない。可笑しくて顔が歪みそうだ。まぁ、バレないように顔を逸らしているのだが。吹き出さないように気を付けようっと。

 

「ハンターさんよ! そろそろ原生林上空だ、パラシュートの準備をしてくれ!」

 

 そんな俺たちに、船を動かす竜人がそう声を掛けてきた。

 上位クエストは、強力なモンスターの影響で何が起こるか分からない。故に猟場には、近場でない限り、飛空船を使うこととなっている。ということは当然、ハンターはパラシュートなどを用いて降り立たねばならないのだ。

 そんな訳でせっせとパラシュートの準備をしていると、弓を背負ったあの小太りの男が俺に話し掛けて来た。

 

「おい、そこの白髪」

「……あ? 何だよ?」

「ゲネルが来るなら当然アルセルタスも来るだろ? 俺たち三人でゲネルの相手するから、お前アルセルタス引き付けておけよ」

「は? 何だそれ……って、おい!」

 

 早口にそう俺に言いつけると、奴は返事も待たずに背を向けて、ランス男の方へ戻っていく。一方の彼は、まるでドスを利かせるように静かに俺を睨んでいた。

 ――別に同行するくらいで、そんなに邪険にしなくても良いのにな。

 そんな思いを何とか胸の中で押し留め、俺は静かに降りる準備を再開したのだった。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「さてと……」

 

 今日は随分と気流の機嫌が悪いようで、一斉に飛び出した俺たち四人はそれぞれ別の場所に流されてしまった。

 俺が到着したのは、ベースキャンプ下にある水が豊かに湧き出るエリア。青く澄んだ水に包まれた、深い森の中だ。そんな水辺ではズワロボスが、穏やかな様子で水浴びをしている。

 

「……あ、いた」

 

 エリアの上空を、穏やかに飛んでいる大きな虫。まるで角のように発達した巨大な甲殻が特徴的な甲虫、アルセルタスだ。

 

 ――アルセルタスか。

 そういえば随分前に、あいつを単体で狩猟するクエストを受注したなぁ。それも、依頼主はあの酔狂な美食家と名乗る謎のご老体。あのアルセルタスを煮込んで食べようとしたものの、結果は泣き寝入りせずにはいられなかった、とか。

 俺としては調理法に問題があると思うんだよな。あんなデカい虫を丸々鍋に入れて煮込んだところで、美味しくなる訳ないだろう? 試したことはないが、あれはアルセルタスが不味かったのではなく、調理法がマズかったというわけだ。

 

「……いや、待てよ?」

 

 それならば、今ここで試してしまうのはどうだろうか。

 いっそのこと今試してしまえば、俺の理論を手取り早く証明することも出来るし、あの美食家爺に伝えることも出来る。小太り弓使いの命令通りになるのは少し癪だが、全体で見れば安全面の向上にも貢献できるだろう。そして一番大事なこと、つまり俺が美味い物を食べることが出来る。

 うん、いまいちモチベーションを持てないクエストだったが、そうと決まれば話は違う。早速あいつを料理してやろう。勿論二重の意味で。

 

「……うーん、調理法はどうしようかな…」

 

 そう決めたものの、ただ煮込むのでは彼の二の舞になるだろうな。それよりももっと良い調理法が必要だ。

 

「ブオォッ!!」

 

 丁度その時だった。自分たちの縄張りを飛ぶアルセルタスを追い払おうとしたのか、ズワロポスが不機嫌そうな声を上げた。アルセルタスは特に敵対する素振りを見せないものの、少し警戒はしているようだ。それにしてもうるさいな、このズワロポス。

 ――ズワロポス? 待てよ。ズワロポスといえば?

 

「……垂皮油?」

 

 そうだ。コイツからは、薬にも使われるほど良質な油を採れるのだ。つまり、上手くコイツを使えば、油を使った料理が出来る。

 

「……油かぁ。丸焼き? いや、違うな。油炒め……フライ、唐揚げ……」

 

 熱々としたその物体は、じゅわじゅわと油の気泡で音を奏で、魅惑的な色と香りを放っている。ひとつ口にしてみれば、サックリとした衣に包まれた肉厚な味が口一杯に広がっていく――――。

 

「……唐揚げッ!!」

 

 瞬間俺は懐から閃光玉を取り出して、アルセルタスに向けて投げ付けた。

 一瞬の静寂と共にその身を弾けさせ、辺りを強烈な光で包むこの道具。これは直接的にモンスターを傷付ける道具ではないが、空を飛ぶモンスターを叩き落とすには非常に有用なアイテムだ。事実、強烈な光で平衡感覚を狂わせたアルセルタスは、頼りない声を上げながら墜落していた。大きな水飛沫が、虫に合わせて湧き上がる。

 

「よし、アルセルタスの……唐揚げだッ! 今日の晩餐はそれに決めた!」

 

 もがく奴に向かって走り、腰に備えた火属性の片手剣――イフリートマロウを抜き放つ。まるで炎を無理矢理固めたようなその刀身は、溢れんばかりの高熱を帯びている。さながら、素材となったリオレウスの吐息のようだった。

 セルタス種は熱に弱い。属性的にいえば、火属性や雷属性を弱点とする。つまりこの武器は、奴らに好相性という訳だ。そんな片手剣に勢いよく斬り付けられ、訳も分からないままアルセルタスは悲鳴を上げた。

 

「おぉ、熱が甲殻を溶かすからサクサク斬れるな。……これは斬り過ぎると調理し辛くなりそうだし注意しないと」

 

 突然の外敵に、アルセルタスは混乱する。しながらも、その発達した両腕を振るって俺を追い払おうとした。俺は転がって離れつつ、爆薬の準備。手っ取り早く片付けるなら、この戦法が一番だ。

 鼻息荒く、俺をその複眼で睨むアルセルタス。奴に向けて、左手のイフリートマロウを挑発するように振り回すと、奴はその挑発に乗り始める。短気な奴だ。

 カサコソと、昆虫らしい動きで急接近。その両腕を大きく振り被るもんだから、いつも以上に大きく見えた。

 

「おっと危ない!」

 

 そうして振り回される腕を右手の盾で受け流し、俺はすれ違うように奴の背後に回り込む。

 己の後ろに回り込まれれば、自然と振り返ってしまうものだ。アルセルタスもその例外でなく、慌ててこちらを振り向いてきた。一方の俺は、既に準備した爆薬を振り被る。

 

「そらっ!」

 

 瞬間、原生林に爆音が響く。それに伴うように、水が大きく弾け飛んだ。その轟音と衝撃に、辺りで鳴いていた鳥たちは飛び立ち、ズワロポスは驚いたように爆風から顔を逸らす。

 そして爆心地となったアルセルタスは――――。

 

「……あれ?」

 

 爆風をモロに浴びた直後だというのに。

 なんと彼は、健気にも背中の羽を唸らせていた。

 

「おぉ? ……まさか、フェロモンか?」

 

 臭いはしない。しかし、空気中を微かに漂う何かが感じられる。それも、セルタス種の雌がいる時に発せられる特徴的な違和感だ。つまりこれは。

 

「なるほど、奥さんに呼ばれたんだな……っ! くそっ、逃がすか!」

 

 勢いよく突進をかます奴。その切っ先を転がり避けて、閃光玉を構えたものの――残念ながら、あの速度のまま逃げられた。

 羽音が徐々に遠ざかっていく。見上げれば、崖を昇っては小さくなっていく奴の姿があった。

 

「……ちぇ、逃げられた」

 

 仕方がないので片手剣と閃光玉を収め、飛び行く奴をじっと見つめる。

 フェロモンによって呼ばれたということは、おそらくあの崖の上にゲネル・セルタスがいるということだ。つまり、俺も奴を追って崖を登れば良い訳だが。

 

「……崖登り、めんどくさいなぁ。先に油の準備でもするか」

 

 やるせなく頭を掻きながら、取り敢えず一番近くにいるズワロポスに向けて、俺は再びイフリートマロウを抜いた。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「……よし、こんなもんで良いかな」

 

 それから十数分。

 特に問題なく垂皮油を入手できた俺は、早速ベースキャンプに戻り調理の準備をしていた。薬味成分溢れる、澄んだ油だ。美しいくらい上質な油だ。

 それを大鍋に注ぎ、軽く蓋を閉めることで一時的に保管しておく。これでひとまず、油の用意は出来た。出来たものの、肝心のアルセルタス自体はまだ入手出来ていない。早く獲りに行かなければ。

 

「……あの腕と身の部分、それと羽か。その辺を揚げてみようかな?」

 

 鋭く発達したその両腕は太く肉厚で、きっと豊富な栄養分が含まれているに違いない。あの身の中にも肉が詰まっているだろうし、薄い羽はきっと煎餅のようにパリパリとして美味しいのだろう。

 いかんな。想像しただけだというのに、口の中でどんどん涎が溢れてくる。その勢いはロアルドロスの水ブレスにも対抗出来るほどだ。もちろん、比喩だけど。

 

 ――――その時だった。

 想像しては口角が上がっていくのを抑えられない俺の耳に、何やら騒がしいネコの声が聞こえてくる。それと同時に、何かを走らせるような荒々しい音も。

 その音の発生源――キャンプの入り口に視線を滑らせてみれば、あの小太りの弓使いがネコタクで運ばれてくる姿が映り込んできた。

 

「力尽きたのか? おい、しっかりしろ!」

 

 その男は気を失っているようで、俺の声に反論することはない。ただ体中をボロボロにし、死んだように眠っている。

 それにしても、彼は動機こそアレだがギルドマスターが同行を許可した上位ハンターだ。つまりある程度の実力を備えているはず。そんな彼を下したゲネル・セルタスは、もしや相当強いのか。それとも、彼自身がただ弱いだけなのか。

 

「……仕方ない。アルセルタスのついでに救援に行くか」

 

 彼らの失態でクエスト失敗と判断されては堪らない。それで強制退却させられたのならば、俺のアルセルタス実食が月迅竜のように月隠れしてしまう。

 後は熱するだけの油に。その油を静かに寝かす大鍋に。そしてただただその身に掛かった負荷のまま、気を失っている小太りハンターに背を向けて、俺は再び狩猟地に向けて歩き出した。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「……近い。やっぱあの崖の上か」

 

 再び、ベースキャンプから飛び降りて。

 先程の水源に降り立った俺は、アルセルタスを追うように奴が越えた崖を駆け上っていく。方向から察するに、恐らくこの先にいるのだろう。微かに漂ってくる虫特有の酸っぱい刺激臭が、俺の予想を確信に変えていた。

 

「うわ、いた!」

 

 長い崖を登り終える。そうして、こっそりと目線だけで様子を窺えば、その高台の状況をあっさりと確認することが出来た。

 息苦しそうに盾を構えるあのランサー。ただ静かに敵を見ながら、大剣の柄に手を添えるヒリエッタという女ハンター。エリアを飛び交うあの美味しそうなアルセルタスに、暴れ狂う女王、ゲネル・セルタス。

 

「アイツ……何か」

 

 そのゲネル・セルタスの様子が、明らかにおかしかった。何故か口から黒い吐息が漏れている。

 まさか、あのゲネル・セルタス――――。

 

「……っ!! お前来るのがおせぇんだよ! 相棒が力尽きただろうが!」

 

 サッと崖から飛び出した俺に気付いたのか、ランサーは怒りに満ちた声で俺に怒鳴りつけてきた。あのゲネル・セルタスの脅威を感じ取っているのか、その口調には全く余裕がない。それと同時に、注意力もかなり散漫した様子だった。

 

「俺に何か言う暇があるなら、ガードに徹した方が良いぞ……って、前! 前!!」

「何――ぐあっ!?」

 

 言わんこっちゃない。俺の存在を意識し過ぎた彼は、突進してきたアルセルタスにガードを捲られ、そのままはね飛ばされた。

 アルセルタス最大の特徴とも言える、その固く大きい立派な角。そんな凶器に弾き飛ばされた彼は、その勢いのままに身を宙に投げ出していく。

 身動きがとれない無防備な彼に向けて。ゲネル・セルタスはその不気味な口から、これまた黒く濁った水流弾を撃ち放った。ロアルドロスとは比較にならない、圧倒的な激流の塊だ。

 

「……ヒュゥ。なんちゅーコンビネーションだ」

 

 腰に携えた小タル爆弾を手にとって。

 彼を撃ち抜かんとするその水の塊に、危ういタイミングながらもそれをぶつけた。瞬間に凄まじい破裂音を放ったそれは、その爆風によって水の動きをかき乱し――果てには塊そのものを四散させる。

 何とか彼に直撃するのだけは避けたものの、きっと彼ももう戦闘不能だろう。地面を力なく転がっていく様子が、それを如実に表していた。

 それにしても。

 

「狂竜ウイルスか。どうしてこんなところに……」

「やっぱりあれは狂竜ウイルスなのね、納得だわ」

 

 警戒しながら片手剣を抜刀する俺に対して、逆にその大剣を納刀した少女が話しかけてきた。余裕がある、という訳ではなさそうだが、焦った様子も見られない。冷静に頷く姿から、狩りに慣れていることが感じられる。

 まぁ、ジンオウガ亜種の狩猟を認められるほどの腕を持つ彼女だ。きっと、何度か狂竜ウイルスに遭遇しているのだろう。

 

「厄介だな。あれ色々と面倒なんだよな……」

「そうね、私たちにとっても危険だし、モンスターの動きも分かり辛くなるし」

「……それもそうなんだが、それよりも」

 

 俺にとって、最大の死活問題。

 それは、狂竜ウイルスに感染すると、その身の味を著しく劣化させてしまうことだ。一度感染してしまえば、そのウイルスがどんどん肉を蝕んでいき、終いにはとても食えたものじゃない肉となってしまう。ウイルス性腐肉症――俺はそう呼んでいる。

 今感染しているのは、ゲネル・セルタスだけ。幸いなことに、アルセルタスはまだ感染していない。ならば、感染する前にアルセルタスを狩猟して、さっさと実食するのが望ましいだろう。ゲネル・セルタスの方は残念ながらもう食べることは出来ないが、仕方ない。今回はアルセルタスの方に集中しよう。

 

「……よし、ヒリエッタだったか? 集中してあのデカブツを叩くぞ」

「分かったわ。……小蝿は無視する方向で?」

「あぁ、虫だけにな」

 

 作戦を提案すると、意外にも彼女はあっさり乗り掛かってくれた。何故か俺に冷ややかな視線を向けてくる、という条件付きだが。

 まぁ、そんなことはどうでも良い。なるべく早く、現状邪魔でしかないゲネル・セルタスを狩猟して――アルセルタスの実食だ!

 

 

 

 

 

~本日のレシピ~

 

『キャビアたっぷりヘブンブレッド』

 

・ヘブンブレッド     ……1個

・ピンクキャビア     ……90g

・氷海オイスターソース  ……お好みに

・氷海塩         ……適量

 

 




 

シガレットの行動が地雷ハンターのそれだということに書いた後に気付いた。


現在でも昆虫食文化は沢山ありますよね。セミ会のように蝉を食べるものや、海外ならG様の刺身とかあるのだとか。それとカミキリムシはかなり美味しいそうな。幼虫はトロとも比喩されるほど美味らしいですよ。それこそお米なんて米虫の幼虫や卵がしっかりついているんだから、お米文化は昆虫食文化といえる(暴論)
……という訳で、次回アルセルタス実食回。長くなり過ぎるので、今回は話を2つに分けました。1つにまとめたらきっと二万字超えて非常に不親切な話になるので。ただでさえアルちゃんゲテモノだというのに。

あれ? これは飯テロになのか? まぁ何にせよ次回で会いましょう~。

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