モンハン飯   作:しばりんぐ

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 しばらく一話完結詐欺になります。





睡眼朦朧

 

 

 ニコは、とても臆病なアイルーだったにゃ。モンスターどころか人間にすら怯え、チコ村から出ることができない。いつも砂浜で空を見上げて、流れゆく雲を眺める毎日を過ごしている。それが、ニコというアイルーだった。

 でも、彼は変わったの。一人のハンターさんと出会った、その時から。

 

 我らの団ハンターさん。

 バルバレやドンドルマを中心に各地を飛び回るキャラバン隊の専属ハンターにして、両ギルドから厚い信頼を寄せられるハンター、その人にゃ。何でも、シナト村に伝わる古龍の討伐に成功し、ドンドルマの復興にも尽力した上に、襲来したクシャルダオラやオオナズチの撃退にも貢献したらしい。

 ドンドルマギルドの最大戦力のうちの、三本の指に入る人材と言っても過言ではないと思う。それと同時に、その人に雇われるということは、オトモアイルーからしたら最高級の名誉でもあるのにゃ。

 そんな人にニコは勇気付けられ、ついには雇われることとなったらしい。父親の形見という武者ネコ装備を身に纏い、今日も今日とてハンターさんと共に狩りにいく。覇竜をも打ち破ったという我らの団ハンターさんに憧れるその姿は、かつての臆病な姿など見る影もないにゃ。管理人さんをはじめとしたチコ村のアイルーたちにも認められ、さらには女の子からの評判も良いみたい。

 

 

 

 

「───なんか、知らない間に凄い奴になってたんだなぁ」

 

 カーペットの掃除をする旦那さんは、ボクのこの説明を聞いて感嘆の声を上げていた。ブラシに絡まる白い毛を集めては、驚きの色で顔を染める旦那さん。彼にそうさせるのはその毛の量か、それともボクの話か。

 一方、その毛を受け取ってはゴミ袋に詰めていたボクは、困惑の意を込めて耳を垂れさせる。ドンドルマの自宅の窓には、秋の終わりを感じさせる風が小さく唸っていた。

 

「うにゃ……あの子も狩りで忙しくて、あんまり会う機会はなかったけど。でも、会った時はおしゃべりしてたにゃ。でも、でも……まさか突然、あんなこと言われるなんて」

 

 目を伏せながら、行き場のない思いを溜息に乗せて吐き出す。そんなことをしても、その思いは一向に晴れないけれど。それでも、吐き出さずにはいられなかったのにゃ。

 ふっと、頭に触れる温もり。旦那さんがボクの頭を撫でながら、優しく微笑んでいた。

 

「確かに突然だったよな。イルルのように、パッと逃げちゃう気持ちも分かるよ。つか、あの時どうして即座に告白になっちゃったんだ?」

「い、一応少しは会話はしたのにゃ……」

 

 ───イルルさん、久しぶりニャ。

 ───凄いモンスターと戦ったって聞いて心配してたけど、元気そうで何よりニャァ。

 ───ニャ? 僕は、この通りピンピンしてるのニャ。これでも強くなったのニャよ?

 ───ニャ、心配は、するニャ。だって、だって僕は、僕は……!

 

「……で、『イルルさんが好きニャ! 付き合ってくださいニャ!』ってなった訳かぁ」

「にゃあ……そ、そうにゃ」

 

 気恥ずかしさが勝ってしまって、ボクの視界をボクの肉球が埋めた。相変わらず旦那さんは優しく頭を撫でてくれるけど、ボクは顔を上げれなかった。

 まさか。あんなタイミングでいきなり告白されるなんて。どうすればいいか、分かんなかったにゃ。器もスプーンも放り投げて、思わず逃げ出してしまったにゃ。

 

「……ニコは、本当にイルルが好きなんだろうなぁ」

「……にゃ?」

「好きな相手のことはさ、ついつい考えちまうもんなんだよ。今何してるのかな、とか、元気でいるのかな、とか。中々会えない相手のことなら尚更な」

「にゃあ……」

「だから、ニコはイルルが心配だったんだと思う。淆瘴啖とか、この前の謎の古龍とか、こっちもこっちで波乱万丈だからなぁ」

「……それで、告白にゃ?」

「イルルと一緒にいたかったのかもな。そんでゆくゆくは一緒に我らの団に行こう、とかさ」

 

 穏やかに、諭すようにそう言う旦那さん。優しい瞳で、ボクの目をじっと見てくれる。

 ───きっと、きっと旦那さんはボクのためを想って言ってくれてるんだと思う。普通のアイルーとして考えたら、凄いことだもの。将来の相手が見つかると同時に、凄い職場も紹介してくれる。きっと、俗に言う玉の輿ってやつなんだと思う。

 でも、それは普通のアイルーだったらの話にゃ。ボクの気も知らないでボクに語り掛けてくれる旦那さんには、申し訳ないけれど少し苛々が募ってしまう。

 

「やったじゃん。今夜は赤飯でも炊くか」

「うにゃ……ボクは……」

「おめでたいことだなぁ。大出世だし、将来も安泰するじゃん。俺は嬉しいよ。他に食いたいものはあるか?」

「にゃ、違うにゃ。違うにゃ、旦那さん……。ボクは……」

「ん? あ、そっか。まずニコに謝らないとだもんな。返事も何もしないまま帰ってきちまったもんな」

「にゃ、それもあるけど、あるけど……その……」

「大丈夫、俺も一緒に行くよ。謝罪の内容も考えないとなぁ。……またネコまんまでも作って持って行くか? それとも───」

 

「───ボクの話を聞いてにゃっ!!」

 

 思わず、大声を出してしまった。

 気付いた時には喉が震えた後で、あっと口に手を当てたけれど、もう遅い。突然の大声に、驚いたかのように目を見開く旦那さんの姿が、目の前にあったのにゃ。

 彼の言葉を遮ってしまった手前、このまま黙り込むことはできない。そう思っては、ボクは続きとなる言葉を繋げ始めた。

 

「……ボク、ボクね。違うの、そうじゃないの。ニコのことは好きだけど、でもそれは、友達としてなのにゃ。彼には申し訳ないけれど、付き合いたいとか、そういうのじゃないのにゃ……」

「……えっ」

「好きな人は、別の人……なのにゃ」

「……へぇ。もっといい相手がいるのか?」

「う、うにゃあ……それは……」

 

 核心に迫るように、ずいっと旦那さんの顔が迫る。より近くなったその紅い両目に、ボクは思わずたじろいでしまう。でも、そんなボクの様子を見ては、旦那さんは静かに目を伏せた。そのまま、ボクから距離をとる。

 

「まー、その相手ってのがどういう奴かは知らないけど……よく考えた方がいいかもよ」

「……にゃ?」

「一時、凄く熱を上げる時ってあるじゃん。あーいうのって、冷めるのも早いんだよ。相手のことをよく知りもしない癖に全部肯定的に捉えちゃって、あとあと現実が見えてきて……ってね。で、その後がめんどくさいんだよなぁ。それよか、互いのことをじっくり知った上で付き合った方がいいと俺は思うけどね」

 

 どこか懐かしむような目で、そこに少しの後悔の色を添えて。旦那さんは、諭しの色を露わにした口振りでボクにそう語りかけた。

 彼がどんな経験をしてきたのかは、ボクには分からないけれど。でも、旦那さんの言葉は暗にボクの言葉を否定するもので。想いを反芻するうちに、ボクの瞳には涙が滲んできたのにゃ。

 

「ふにゃっ……うにゃあぁん……」

「えっ……おい、どうした。悪い、言い過ぎたか」

「にゃっにゃあぁ……どうせ……」

「あん?」

「ろうせぇ……」

「……ろうせ?」

「───ろうしぇっ! らんなしゃんには、ボクの気持ちはわかんにゃいのにゃあっっっ!!!!」

 

 涙と一緒に堰が切れたように、感情が溢れ出した。それを止めるのはもう不可能で、ボクは顔がぐちゃぐちゃになるのも、呂律が回らなくなるのも止められない。

 ───愛憎がごちゃまぜになった気持ちが、止まらない。

 

「ボクがろぉしてこんらになやんでるのとか、ほんとにすきにゃのにぃ、らんなさんはいつもいっつもむとんちゃくだし! はぐらかして、あしらって、しょれで今ににゃってわけわかんにゃいこと言いらして! らんなさんは……いつも、いちゅもぉ!」

「なっ……なんだよ急に、何キレてるんだよ……」

「うっしゃいにゃ! いちゅもボクがろんな想いでいると思ってるのにゃあ……」

「はぁ……知るかよ! 人の考えてることなんざ分かる訳ないだろバカ!」

「うにゃあ! バカってゆったにゃ! バカってゆう方がバカなのにゃ! バカー!」

「あーもう! お前なんだよこっちは気遣ってんのに! 何突然キレてるんだよ!? 意味分かんねぇよ!」

「ほらにゃー! ろうせ、ろうせ分かってにゃいって分かってたにゃあ!」

 

 ボクの感情の荒波に刺激されて、旦那さんの心も大荒れにゃ。感情は激しさを増していくのに、そんな旦那さんの様子をどこか冷静に眺めてしまう。でも、それでも心の激流は止まらない。目に映る旦那さんも荒れて、それがまるで大きな波と波がぶつかるように、互いの気持ちをどんどん荒らしていってしまうのにゃ。

 

「何に怒ってるんだよ!? 赤飯が嫌なのか!? 奮発して寿司の方がいいのか!?」

「らんなさんはぁ、らんなさんはぁ……! いっちゅもご飯のことばっかりにゃあ! もっと、もっとぉ! ボクのことを見てほしいのにゃあっ!」

 

 ───あんなに、察して欲しいと思っていたのに。

 旦那さんの要望の通り、ボクの口からつい本音が零れ落ちてしまったにゃ。あっと気付いた時には、もう遅い。心はこんなに荒れているのに、感覚だけは不気味なくらい冷静で。そのまま旦那さんを見ることができなくなって。

 

「……はぁ? 見てるだろ、いつも」

「違う、違うのにゃあ……そうじゃなくて、そうじゃなくてぇ……!」

「……違うって言われても……どういうことだよ?」

「も、もう! し、知らないにゃあ!!」

「あっ、おい! 待てよ、イルルッ!」

 

 肝心なところでいつも頭がいっぱいになっちゃうところ。ボクの悪い癖。

 この前のニコの時も、そして旦那さんの前でも。ボクは脱兎の如く逃げてしまったのにゃ。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「はぁ……やってしまったのにゃ……。どうしよう……」

 

 とぼとぼと、ドンドルマの路地を歩く。

 旦那さんを大いに困惑させて、ボクもボクで頭がいっぱいになっちゃって。どうしようもなく家を飛び出してしまったけれど、このままじゃ旦那さんのところに帰ることもできない。問題を先送りにしてしまっただけなのにゃ。

 

「みゃあ……でも、旦那さんに謝らなくちゃにゃあ……」

 

 いっぱい、いっぱい。旦那さんに酷いことを言ってしまったにゃ。絶対に、旦那さんにしっかり謝らなきゃいけないのにゃ。

 でも、今は。今はその勇気がないのにゃ───

 

「おや? イルルちゃんじゃないか。今日は一人かい?」

「にゃっ?」

 

 突然、後ろから声をかけられた。それにびっくりして、思わず尻尾を膨らましてしまったにゃ。

 ───けれど、その声は聞き覚えのある声で。恐る恐る振り返ると、そこには見覚えのあるシャドウアイ。モヒカンと筋肉質な体を携えた、顔なじみのおじさんが立っていたにゃ。いつかの、ブラキディオス製の鍋を買ったお店の店主さんだったのにゃ。

 

「あの兄ちゃんはいない……みたいだな。それに、どうしたんだい? 目がとっても赤いぞ」

「うにゃ、うにゃあ……」

 

 しゃがみこんで、そっとそのシャドウアイをずらして。そうしてボクの顔を覗き込んでは、優しい声でそう尋ねてくれる店主さん。その声に安心してしまったからかな。また、涙が溢れてきたのにゃ。

 

 

 

 

 

 

「───落ち着いたかい?」

 

 路地を抜けて、少し開けた十字路の隅。そこに置かれたベンチで、ボクは店主さんのハンカチを借りては顔を拭っていた。ボクが足しげく通うそのお店のおじさんは、いつもと変わらない優しい笑顔でボクの話を聞いてくれたのだった。

 ニコのこと。

 旦那さんのこと。

 ───ついさっき、旦那さんと喧嘩して、家を飛び出してきてしまったこと。

 

 どこか薬品のような匂いを残すハンカチから顔を上げながら、店主さんを見上げた。心配そうにボクの背中を擦ってくれる店主さんの手。その武骨な手が、ボクの気持ちを優しくほぐしてくれたのにゃ。

 

「そんなことがあったんだ。……大変だったね」

「うにゃ……旦那さんに、とても迷惑をかけてしまったのにゃ……」

「……まぁ、喧嘩なんて、誰しもあるもんよ。おじさんだって、昔は喧嘩ばっかしてたしなぁ。折が合わないってことは、何も異常なことじゃないんだよ」

「……そういうものなのかにゃあ?」

 

 涙も枯れてしまったかのように止まって、ようやくボクはハンカチを顔から離すことができた。濡れてしまったそれを快く受け取ってくれた店主のおじさんは、困ったように微笑んでいる。旦那さんだけじゃなくて、この人まで困らせてしまうなんて。ボクは本当に罰当たりなのにゃ。

 

「それより、こんな路地で一人だと危ないよ。最近、物騒な噂とかもあるんだから」

「うにゃ……そうなのにゃ? でも、今は店主さんがいてくれてるから大丈夫ですにゃ」

 

 店主さんの困った様子は、ボクの心配からなっているのかな。それは旦那さんと喧嘩したことか、それともその噂というものに関することか。

 そのどっちなのかは分からなかったけれど、どちらにせよボクは有り難かったのにゃ。胸の内を話せて、またそれを聞いてくれる人がいるっていうのは、とても大きいのにゃ。

 

「……で、これからどうするんだい?」

「にゃ……旦那さんに、謝るにゃ」

「……今すぐ、できる?」

「…………にゃあ……」

 

 これからを考えると、どうも胸が苦しくなってしまう。店主さんは優しくボクの様子を窺ってくれるけど、どうしても、今すぐは行動できそうにないにゃ。

 旦那さんは怒るかな。呆れるかな。ボクのこと、嫌いになってしまったかな。相変わらず人の気持ちには無頓着だから、ボクが何に怒っているかもよく分かってない様子だったにゃ。きっと、きっと今行っても───

 

「……じゃあさ、少し気分転換しようぜ」

「……にゃ?」

「この路地の奥の方にさ、出店が結構並んでるんだ。そこで何か食って気持ち切り替えて、その後あの兄ちゃんのとこに行こうじゃないか」

 

 そう言って立ち上がる店主さん。その武骨な腕が指差す通りは、ボクもまだ足の踏み入れたことのない狭い路地だった。でもその奥には赤い提灯のようなものがいくつか浮いていて、店主さんの言うように出店が並んでいるようにも見えた。

 どうせ、ここで立ち往生していてもしょうがないにゃ。それよりは、店主さんの言う通り気分転換してみるのもいいかもしれない。

 

「とりあえず、おじさんは少し飲み物買ってくるよ。その間にどうするか決めといてくれ」

「にゃっ……」

 

 未だベンチに腰掛けるボクの返事もまたず、店主さんは出店の方へ歩き出した。通りの入り口あたりに位置する小さなコーヒーハウス。「ビーンズレター」と書かれた看板を掲げたそのお店の前で、店主さんは立ち止まる。

 

「……そうにゃ、手紙……」

 

 ふと、チコ村で書いていた手紙のことを思い出した。旦那さんに見られそうになって、慌てて隠した手紙。旦那さんが海小屋を後にしてから、何とか書き続けた手紙。

 それでも、完成はしなかったけど。だけれど、ボクの気持ちは書いたのにゃ。未完成だけど、文章で伝えた方が、ボクが言葉にするよりもずっとずっといいかもしれない。

 

 ───そうしよう。今は少し気分転換して、その後はちゃんと旦那さんに謝ろう。そして、自分の気持ちをちゃんと旦那さんに伝えるのにゃ。

 

「……店主さん、ごめんなさいにゃ! ボクもいきますにゃ」

「おっと、座ってていいのに。イルルちゃんはこれでよかった?」

「にゃ、抹茶ラテにゃー! ボク、これ好きですにゃ。有り難うございますにゃあ」

 

 店主さんの渡してくれた紙コップは、妙にひんやりしてて。そこからは甘く優しい抹茶の香りがして。旦那さんとユクモ村に行っていた時を思い出すような、そんな香りだったにゃ。

 

「どうする? 出店、行ってみる?」

「にゃあ。行きますにゃ。その後は、ちゃんと旦那さんに謝りにいきますにゃ!」

「そっかぁ。じゃあ、こっちこっち」

 

 店主さんに誘われるまま、ボクも足を踏み出した。そっと喉に流し込む抹茶ラテが、ボクの気持ちを後押しするにゃ。

 柔らかく、優しく広がる甘み。そこに残る、控えめな渋み。抹茶単体だったら、もっともっと、ボクがぎゅっと目を瞑るような渋みが溢れてくるにゃ。でも、これはラテにされてるからかとってもまろやかになっている。香りもどこか、抹茶とは違う上品さを残してて、何だか異文化交流を感じさせられる味だにゃあ。ひんやりした氷もまた甘さを引き立てるのにゃ。

 

「イルルちゃんは何を食べたい?」

「にゃ、何でも大丈夫……にゃ、しまったにゃ。財布……」

 

 うっかりしていたにゃ。家を飛び出してきたのだから、財布なんて持ってきている筈がなかったにゃ。

 財布がないことに気付いては青ざめる。そんなボクを、店主さんは快活そうに笑い飛ばした。

 

「いいよいいよ、今日はおじさんの奢りだから」

「にゃ、でも……」

「イルルちゃんはお得意さんだからね。おじさんの大事な大事なお客様ってな」

 

 そう言っては、店主さんはイカ焼きを渡してくれる。金網で炙り焼いたのがよく分かる表面に、甘い香りのするタレが滴っていた。小ぶりな体を輪切りのように切り込みを入れられて、さらには串を通されたその姿。立派なイカ焼きにゃ。

 

「にゃ……いいんですかにゃ?」

「たまにはこういうのもね。こっちだっていつもお世話になってるし。それにこれからもお世話になるつもりだからなぁ。さぁさぁ、食べな」

 

 そんな風に言われたら、断れないのにゃ。でも、店主さんがそう言ってくれるのなら───

 店主さんに促されるままに、ボクはイカをかじる。満足そうに頷く店主さんの様子を見ながら、イカを少しずつ口に入れていくのにゃ。

 甘辛く仕上げたタレは、炭火焼の香りによく合っている。一口食べて、鼻孔で香りを反芻することで、ボクは改めてそう感じたにゃ。イカ特有の弾力ある身に、輪切りされたその断面に。濃厚なタレがよく染みていて、とっても美味しいの。タレと身を、炭火で結びつけるように焼いたような、そんな味。この甘辛さがクセになるにゃ。

 

「こういうのはどうだい?」

「にゃあ、ベビーカステラにゃ!」

 

 それは小さくて、丸っこくて。外はさっくり焼けているけど、中はふんわり甘い香り。ほんのりとした砂糖の甘さが、口いっぱいに広がってくる。小さいから食べやすくて、一つ、また一つと口に運んでしまうのにゃ。このお手軽感が魅力なのにゃ。

 

「ほらー、たこ焼きもあるよ」

「にゃ~、いい香りだにゃ……」

 

 店主さんが見せてくれたのは、ソースの掛かった八つのかたまり。湯気のせいかな。何だかボヤボヤとしてよく見えないけど、香りはたこ焼きのそれなのにゃ。

 かじると、外はかりっとしてる。でも、そこからとろっとした中身が流れ出てくるのにゃ。とっても熱い。猫舌のボクには、とっても熱い───はずなんだけど、今日は何だか大丈夫にゃ。熱いんだけど、何だか舌が鈍いっていうか。このまま食べることができそうにゃ。

 そんなとろとろになった小麦粉に、ソースの旨みと鰹節の風味が絡まって。終いにはぷりっぷりのタコの足を取り込んで。カリッとした快音と、とろっとした味わいと、ぷりっとした食感が混ざり合う。凄い食べ物にゃ。

 

「熱かったかい? じゃあこれ、今度は冷たいやつ」

「にゃあ~、かき氷にゃ~。これはなに味にゃ……?」

「オレンジだぞ~」

「ふみゃあ~、オレンジにゃ~」

 

 出されたかき氷は、ひんやりしてる───

 はずなのに。どこか、ぬるいような、温度が分からないような、そんな不思議な感覚だった。少しずつ、瞼が重くなってきたような、そんな気さえしてくるにゃ。

 しゃりしゃりとした氷の食感も、オレンジの爽やかな酸味も、かき氷特有の爽快感も。どこか上の空のような、そんな気がした。

 

 

 

 

 

「───にゃーん、あまいにゃ~」

 

 ふわっとしたそれは、とっても甘くて。そのくせ、舌に乗るとさらっと溶けちゃう。

 わたがし、と店主さんは呼んでいたにゃ。いつかのキャシーさんが食べていたものも、これだったような気がする。夢うつつのような頭を思い起こしてみたものの、いまいち明確なイメージは出てこなかったけど。

 旦那さんは、何を考えながらボクを諭そうとしたんだろう。キャシーさんは、どんな想いで旦那さんと一緒にいたんだろう。ベンチに腰掛けては、ふわふわとわたがしを見るけれど。そんなことをしても、一向に何も浮かんでこない。何も分からないのにゃ。

 

「イルルちゃーん、わたがしは美味しいかい?」

「はいにゃ~。あまくてふわふわで、おいしいのにゃ~」

 

 そんなボクの横に腰かける店主さん。相変わらずのシャドウアイに光を映しながら、口角をやんわり上げていた。

 そっとわたがしを舐めると、甘さが直接口の中に入ってくる。そのふわふわの通り、食感は口の中で霧散して。その代わりのように、飾り気のない甘さだけを残していく。少し甘ったるいのかもしれないけど、これはこれで美味しいのにゃ。心も、気持ちも、ふわふわしていくのにゃ。

 

「にしても、イルルちゃんは相変わらず綺麗な毛並みをしているねぇ」

「にゃー?」

「毛が細くて、きめ細かくて。本当に器量がいいねぇ」

「ふにゃあー」

「もし噂が本当なら、イルルちゃんは誘拐されちゃうかもしれないねぇ」

「にゃー。うわさにゃあ~」

「知らないのかい? アイルーが行方不明になってるっていう噂」

「ゆくえ……ふめい? ふにゃ~、はじめてきいたにゃ~」

「そっかぁ。まぁ所詮噂だしねぇ。あの兄ちゃんも触れなかったんだねぇ」

「うみゃあ、だんなさん……だんなしゃあぁん……」

 

 何だか、とっても瞼が重いにゃ。凄く、頭がぼーっとするにゃ。

 ───さっきまで。さっきまで、あんなに覚悟を決めていたのに。店主さんと少し気分転換してから、旦那さんのところに謝りにいくって、あんなに決意したのに。今はどうにもこうにも、身体が重いにゃ。頭が重いのにゃ。どうしてだろう。

 

「……そろそろ、か」

「ふにゃ~……?」

「そろそろ、効いてきたな」

「にゃー?」

 

 店主さんが、何かボソッと呟いた。だから、店主さんの方を振り向いて───

 

 不意に、何かが足を擦った。薄く鋭い何か。それが、ボクの右脚を撫でている。それは、店主さんの手から伸びた何か。その武骨な手で握られている、何か。

 

「……抹茶ラテだよ」

 

 ───何度か、狩りの中で見たことがある。ハンターさんが投げているのを、見たことがある。

 

「やっと、回ってきたみたいだな。……ラテに入れた、睡眠薬がよ」

「……にゃ……?」

 

 捕獲用投げナイフ。捕獲用麻酔液に浸された、鋭い刃物。店主さんが持っていたのは、ボクの足を裂いていたのは、それだった。あの麻酔特有の鼻に突く臭いが、やんわりとボクの鼻を撫でる。

 痛い、とは感じなかった。他の感覚も分からなかった。ただ、頭だけが重くなる。体が遠くに行ってしまうような、そんな気がした。

 目の前が暗くなって、路地の風の音も消えていく。足を擦るナイフも、もう何も分からない。

 ───そんな中、店主さんが溢した最後の言葉が、ボクの耳にこびりついた。

 

「……危ないって言ったろ? 誘拐されちゃうよ、ってさ」

 

 

 






 ……本日のレシピは、今回はお休みです。


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