お久しぶりでございます。
魚遊釜中
竿が唸った。
それに伴い、竿の先の糸が張り上がる。ピンと張ったそれは、その先にただならぬ何かを掴んだかのように。厳かで確かな重みを咥えたのだった。
要は、獲物がかかったのだ。
「おっ、きたきたきたァッ!」
ここは旧砂漠。その中央砂漠に面した小さな洞窟だ。その奥には小さな泉が湧き立ち、魚たちの楽園となっている。
そんな泉に垂らした俺の釣竿は、何か大きな獲物を捉えたのだった。映る魚影はとても大きく、傍で髭を揺らすイルルと同等か、それ以上である。
勢いよく竿がしなり、その影は己の全体重を乗せてきた。俺はそれに負けじと腰を少し落とす。体勢をやや後方に反らせながら、生身の右脚を前に出し、重い左脚を後ろに出した。両足を開いてその体重に拮抗する。覇竜製の厳つい義足が静かに軋んだ。
「にゃっ。あの影……ドス大食いマグロだにゃ!」
「はっはぁ! こりゃ大当たりだなオラァ!」
ぴょんこぴょんことイルルが跳ねる。ドス大食いマグロも、吊り上げられまいと跳ねる跳ねる。
しかし、所詮は魚の足掻き。ガノトトスやチャナガブルさえ引き上げる、鍛えられた俺の釣り技術の前には、あえなく吊り上げられるしかなかったようだ。
屈折された光ではない、ありのままの光を浴びて輝くその鱗。艶めかしく輝くその光沢が、何とも美しい。照り付けるようなその輝きの奥には、一体どのような脂が眠っているのだろうか。そう考えれば思わず涎が溢れてきてしまうほど、魅惑に満ちたマグロだった。
「あーうまそ。とれたてマグロはそのまま食うのがいいらしいなぁ。食っちまおうかなぁ」
「にゃっ? そのままって……刺身どころか、捌かずに食べるのにゃ?」
「おうよ。このままがぶりといただくのがハンター流らしいぜ。ドス大食いマグロの踊り喰いってな。イルルも食うか?」
「にゃっ、にゃー……。ボクは遠慮しとくにゃ。全部食べちゃっていいにゃ……」
「なら遠慮なく。いただきます」
がぶりゅっと音を立てて。張りのあるその腹を、勢いよく引き裂いて。
まだ生きたままの大食いマグロは、その痛み故か大きく体をバタつかせた。それを両手の指で押さえつけ、それでもなお顎の力は一切抜くことはない。その歯の隙間から鮮血が溢れ出し、そして肉厚な身が飛び込んでくる。
マグロ特有の濃厚な赤身。柔らかく、されど弾力性があり。軽く噛んでは歯が押し返されてしまいそうな、そんな食感だ。その肉を噛んでいくごとに、血と、その奥にある別の肉がどんどん現れる。まるで終わりの見えない食材だ。イルルより大きなその体。流石はドス大食いマグロである。
味に関しては、活け作りも同然であるため鮮度抜群である。
甘い。脂が甘い。溢れる血と肉が、脂によって混ぜられていく。醤油のような辛めの味付けがない代わりに、マグロ本来の味が広がってくる。甘い。何といっても甘い。マグロって、こんなに甘かったのか。
噛めば噛むほど、その旨みは広がってくる。肉の深部に行く度に、その濃厚な風味はさらに増していく。溢れる血潮を、とろみある脂を、張りのあるその肉を。もっと食べたい。どんどん食べたい。もっと、もっと、その身の奥を───
「───っがッ!? いってッ!?」
「にゃっ!? 旦那さん、どうしたのにゃ!?」
突然、痛みに襲われた。どんどん、どんどん奥へと顎を動かしていたのに。その次の噛んだのは、あの歯応えある肉ではない。何か固い───そう、まるで金属のような、そんな固さをもった何かだった。旨い肉とは程遠い、歯を打ち鳴らすような、固い固い何か。
それは何かと、えぐれた肉の内部に指を突っ込んだ。柔らかく温かいその肉の奥で、何か異質な感触が指先に伝わる。細く、小さな何か。まるで人工物のような、奇妙な物体。
「これは───」
「……にゃ? 何かの、部品かにゃ?」
それは、小さな金属品だった。薄く紫を差したような銀。それで全身を覆ったそれは、鋭い刃のようなものを先端から左右にそれぞれ伸ばしている。しかしそこには斬れ味はない。鈍重なそれは、まるで鉱石を砕くために加工されたかのようだ。そして、それを支える小さなその身。俺の掌で収まるサイズのそれは、さながら柄のような形をしていた。
その形自体は、見覚えがある。主に火山や高山でとれる希少な鉱石。それを採取するために欠かせないあの道具。それに、この物体の姿は酷似していた。
「まさか、これ、フエールピッケルか?」
「にゃっ、えっ!? こ、これがかにゃ!?」
フエールピッケル。
それは、平たく言えば未知の物質である。一体何で出来ているか、一体誰が作ったのか。それすら未だに分かっていない、謎の物体。しかし、その名の通り『物を増やす』力があると言われている。その方法は謎に包まれており、ある人は調合することによってできると言うが、またある人は錬金でなければならないという。つまり、科学的な実証はまるで出来ていないのだ。
古代技術の結晶だとか、竜人族の秘術などと謳われているが、依然として何も分かっていないこのフエールピッケル。そんな希少なものが、まさかマグロから出てくるとは。何でも食べると言われているドス大食いマグロだが、こんな物まで食べているとは誰が想像しただろうか。流石の俺も驚きを隠せない。
「……ま、損はないよな。有り難くもらっとこう。何かに使えるかもしれないし」
「……マグロに、フエールピッケル。何だか、変な縁だにゃあ」
少し憂いを利かせた瞳を伏せて、イルルは尾を左右に軽く振った。
そんな彼女を横目に、マグロを平らげる。残った部分を土に還しながら、出てきたピッケルはイルルに手渡しておいた。
「旦那さん、顔が血塗れにゃ。洗った方がいいにゃ」
「だよな。ちょっと泉で洗ってくるわ」
「にゃあー。全く、相変わらずマイペースな旦那さんだにゃ」
「いいだろ別に。良い腹ごしらえになったしよ。これで狩猟再開ってもんよ」
「ターゲットは、ちゃんと覚えてるにゃあ?」
「当たり前じゃん? そのために、コイツを買ったんだからな」
肌を冷やす麗水。それで顔を濡らしつつ、俺は背中に背負ったそれをチラつかせた。その黒光りする巨大な物体を前に、イルルはまた呆れたような溜息をつく。フエールピッケルをポーチにしまうその仕草も、どこか哀愁を感じさせるような、そんな印象を抱かされた。
◆ ◆ ◆
「おっさん、この鍋、いくらだ?」
旧砂漠へ赴く、前日のことである。
俺の身の丈近くある、巨大な鍋。黒光りするその鍋を前に、俺はそう言った。
それに対し、俺にその値を聞かれた男───薄茶色のモヒカン頭とシャドウアイで顔を作ったその男は、意気揚々と言葉を返す。
「おう、それは一万五千ゼニーだぜ」
「は? 一万五千!? そんなにすんのか!?」
「何たって、砕竜の重殻を加工した特注品だぜ? 耐久性に優れ、熱伝導率も良い。そして何よりこの大きさ! むしろ、この値段でも安いくらいだ」
「むむむ……確かに、確かにそうだが」
その店は、最近イルルが通い始めたという雑貨屋だった。ドンドルマの下町近くに位置する小さな店。その品揃えは、日常品からハンターのお供まで幅広い物が揃っていた。回復薬といったメジャーなアイテムはもちろん、この巨大鍋という特注品すら。様々な珍しい品が揃っている。
それにしても、一万五千ゼニーもするとは。そんな金があれば、防具を一つ注文することができるだろう。ただでさえ淆瘴啖の戦いを経て装備を買い替えたのだ。そんな俺に、その出費は大きかった。しかし、相応にその鍋の魅力も大きいのである。
「にゃあ……旦那さん、こんな鍋、どうするのにゃ?」
「バッカお前。明日から砂漠へ狩りにいくだろ? アレを喰うなら、この鍋がピッタシって分かるだろ?」
「にゃ、にゃー。相変わらずなのにゃ……」
「ん? なら、買ってくれるのか?」
雑貨屋を営むには似合わない、そのガタイのいい体。それを震わせながら、店主の男は嬉しそうに笑った。
「いや、待て。もう少し……何とかならないか?」
「おいおい、これは適正価格だぜ」
「……ほんとにそうか? 砕竜の重殻、売却額は四千五百ゼニーだろ?」
「むっ。……か、加工にお金がかかってんだよ」
「いや、それを差し引いても高いよな? 三千! それだけまけてくれたら買おう!」
「三千……だと? 馬鹿野郎それは大きく出過ぎだろ」
「いやいや、冷静に考えてみろよ。なぁイルル、お前が初めてこの店に来た時、この鍋はあったか?」
「にゃっ? ……あの時も、売ってたにゃ」
「だよなぁ。その時教えてもらって、俺はこの鍋のことを知ったんだもんな。で、それは、一体いつだったっけ?」
「にゃー、淆瘴啖と戦った後だから……一ヶ月くらい前?」
「……つまり。一ヶ月以上、誰にも買われず残ってるんだよな?」
そう俺が確認すると、店主の男は言葉を詰まらせた。
あれだけ巨大な鍋だ。見るからに、在庫一つの限定品だろう。店の規模から察するに、奥の倉庫にまだある、というのは考えにくい。何より、分かりやすい店主の反応から、この鍋は前から売れ残っているということが分かる。
「そもそも、これに用がある奴なんてそういなさそうだもんなぁ。並のハンターは使わないし、キッチンアイルーならもっと専門店とかで買うだろうし」
「うぐっ……。そ、そうじゃない物好きだっていないことはないだろう……?」
「わざわざこんな下町で、この鍋を買う奴なんかいるかっての」
ドンドルマの街は広い。広い街ならば、当然落差というものがある。
大老殿付近は、まさに中心区だ。様々な出店が並び、商業で日々潤っている。いつかの射的の辻商いが行なわれていたのも、そういった地区だ。
その反面、影も存在する。見上げれば大老殿が映るこの下町も、その一つである。表にはない活気があり、しかしそれは少し異質なもので。何というか、異様さとでも言うのだろうか。そんな雰囲気をもった街が広がっているのだ。
ドンドルマという大都市に住む人全員が、裕福な暮らしをしている訳ではない。この地区に住む人々は、こんな鍋を買う用も余裕もないはずである。
「ところがどうだ。今は俺がいる。だったら、多少値切ってでも売れる時に売っておくというのが、賢い選択じゃねぇかな?」
そんな俺の一言に、店主は小さく息を吐く。シャドウアイに覆われた目を伏せて、呼吸を整えた。
そうして、覚悟を決めたかのように喉を震わせる。俺の求める、その言葉で。
「……二千ゼニー。それ以上は無理だ」
「……まぁ、いいだろう。買うよ」
「くそぅ……。まいどありぃ……」
懐から一万三千ゼニーという重さが消えた。とても軽くなってしまったが、その代わりにとても重い、大きな鍋がやってきた。大きな出費だったが、後悔はしていない。
「店主さん、なんか、その、ごめんなさいにゃ……」
「いいってことよ……。それはそうと、兄ちゃん。そんな鍋で何しようってんだい」
何故か申し訳なさそうに謝るイルル。それに応えつつも苦笑いを浮かべた店主は、俺にそう聞いてきた。
この鍋を、わざわざ買ったその使い道。あえて多大な出費を重ねても手に入れたこれを、一体何に使おうというのか。
そんなこと、決まってるじゃないか。
「───蟹を茹でるんだよ」
◆ ◆ ◆
「うらアアアアァァァァッ!」
渾身の力で、右手を振り下ろす。
重力に掴まった体を、あえてそれを利用して叩き付けへと変えた。
昇竜撃の第二打。アッパーを繰り出した盾を、そのまま蟹の殻へ打ち付ける。
同時に、何かが砕ける音が響いた。テオ=エンブレムの盾ではない。奴───ダイミョウザザミが着込んだ、その殻。モノブロスの幼体の頭蓋骨であろうそれを、打ち砕いたのだ。
「にゃっ、ナイスヒットにゃ!」
背中の守りが無くなって、ダイミョウザザミは大きく転倒する。そうしてその小柄な体が露わになった。
ダイミョウザザミ───というには小さく、おそらく脱皮を多く繰り返したダイミョウザザミになる前のヤオザミ、と言った方が正しいかもしれない。それも、遺伝的な影響故か、大きくはなれなかった個体。ギルドの言い方を真似するならば、極小個体と言うべきか。
そんな小さなダイミョウザザミが、苦しそうに歩き出す。ドス大食いマグロから元気をもらった俺の猛攻に耐え切れず、傷だらけの節々から体液を漏らしていた。
「ふん、オアシスに逃げようって腹かな」
「にゃ、旦那さん。あっちって───」
「おう。準備はもうできている。先回りするぞ」
閃光玉で奴の視界を白く塗り潰す。それに驚きの声を上げる奴を横目に、俺とイルルはそのまま奴の前を走った。
目指すは、旧砂漠エリア3にある小さなオアシス。盾蟹たちが好むその水辺である。
そんなオアシスへダイミョウザザミより先に入った俺は、奇妙な文様の砂を飛び越えた。そうして、その紋様をダイミョウザザミとで挿むように立ち、ポーチの捕獲用麻酔玉へと指を忍ばせる。
程なくして、奴が現れた。懸命にその形の良い脚を動かして、その砂の紋様へと踏み込んでいく。
「かかった!」
「かかったにゃ!」
小柄な体だが、確かな体重はあるようだ。その
そんな奴に向けて、麻酔玉を二個ほど投げつける。麻酔液を中に閉じ込めたその弾は、着弾の衝撃でその身を弾けさせ、中の液体を散布した。それが奴の体の傷に浸り、染み込んでいく。抵抗できない奴を、無慈悲に深い眠りへと陥れたのだった。
「……よし、捕獲完了。さぁ食べようか!」
「ダイミョウザザミの活け作り……ならぬ、活け鍋……かにゃ?」
「さっきのマグロもそうだけど、新鮮さはやっぱりでかいからな。茹でる直前まで生かして、そのままの状態で茹でて、食べる! 今日のメニューはこれで決まりだな……!」
俺の言葉に呆れつつも、イルルはダイミョウザザミの方へと近付いていった。漏れ出る体液をタオルで拭き、纏わりついた砂も払い始める。何だかんだ調理の準備を進めてくれるオトモの姿に少し頬を綻ばせつつ、俺は背中に背負っていた鍋を下ろした。
黒く光りつつも、藍色の光沢を残すそれ。その大きな口にオアシスの麗らかな水を含ませる。その広大な表面積に注がれた水は、あのダイミョウザザミを丸々呑み込んでくれそうなほど大きく、力強かった。
一方で焚火を作り、砂漠に光を燈す。太陽光とはまた違う温かみに、俺はほっと息が漏れた。
「あー、何気にこの蟹を調理するのは初めてかもしれん。楽しみだなぁ……」
「意外にゃあ。結構食べやすそうにゃのに」
「タンジアギルドでも、バルバレギルドでも扱ってないモンスターだから、な。っと、イルル。そこの鞄から塩取り出してくれ。でっかいビンに詰めてる奴」
「にゃ、これかにゃ?」
「お、それそれ」
他愛のない会話をしながら、ダイミョウザザミを綺麗にし終えたイルル。そんな彼女に、取ってもらうよう頼んだ塩を肉球から渡してもらう。両手に収まり切らないほど大きなビンに詰まったその塩は、ずっしりとした重さを有していた。その輝きは白く、そして何とも神々しい。
一方で火を浴び、沸き立ち始めるオアシスの水。砕竜の重殻の、耐熱性と熱伝導に優れたその鍋は、さほど時間をかけず水を沸かせ始めたのだった。なるほどどうして、いい品である。
「こりゃ、確かに一万五千ゼニーでも安かったかもしれないな。よし、イルル。フタを持っておいてくれるか?」
「にゃ、了解にゃ!」
塩を振りかけつつイルルにそう頼むと、彼女は快く応えてくれた。そうしてとてとてと鍋の方へ歩き出す彼女を横目に、俺はぐっすりと眠りこけるダイミョウザザミへと手を掛けた。そうして、その小さな体を持ち上げる。
「むっ。小さい癖に、結構重いな。それだけ中身を詰めてるんかね。こりゃ期待できそうだ」
「……にゃ、旦那さん。どうするのにゃ? 流石にこんなお湯の中入れたら、蟹さんも起きちゃうにゃ」
「そんなん、上からフタして盾で押さえつけるに決まってるだろ。でもまぁ、ただでさえ弱ってるからそんな心配しなくていいと思うけど」
なんて言いながら、沸き立つその灼熱の海に蟹の体を投入した。
瞬間。さっと、その甲殻の色を変える。突然の熱が襲い掛かり、厚い甲殻もたちまち熱く煮詰めていく。
そのあまりの熱さに、奴の意識は覚醒したようだった。しかし既にその身に抵抗する力はなく、静かに熱湯の中で沈んでいく。漏れ出た泡が、無念さを表しているような、そんな気がした。
「───ごめんな。お前の肉は、美味しく喰わせてもらうよ」
上から盾で抑える必要は、ないようだ。
イルルが静かにフタを閉める傍ら、俺は両の掌を合わせ、そっと目を伏せた。
◆ ◆ ◆
「にゃっ、むぅ。うみゅみゅ……」
「どうだー? 上手く喰えそうか?」
「だ、ダメにゃ。全然ダメなのにゃあ……!」
茹でること、十数分。十分に中まで熱したと判断し、フタを開けたところ、すっかり白くなったダイミョウザザミの姿があった。塩の香りを余すことなく取り入れたそれは、爽やかな仕上がりになっていた。
調理と言っても、行ったのは塩茹でなのだから。爽やかも何も素材そのものの味なのだが。とはいえ、ダイミョウザザミ自体の味を楽しむのならば、この方法が最適だろう。
そんなダイミョウザザミの脚と、イルルは懸命に格闘していた。何とかフォークを使ってその身をほじくり出そうとしているのだが、如何せん脚が細くフォークが入らない。柄の方を使ってもそれでも柄が太く、かえって身を奥に押してしまうようだった。
「……あっ、そうだ」
「にゃ?」
それでも頑張って、何とかして食べようと爪でぐりぐり殻をほじっているイルルだったが、俺の素っ頓狂な声でその試みを中断する。そうして、助けを乞うように俺の方を振り向いてきた。
そんな彼女に向けて、俺はあれを見せつける。先ほどマグロの腹から見つけた、あの物体を。
「これなら上手く取り出せるんじゃね?」
「にゃっ!? フエールピッケル!? まさかそれを使う気かにゃ!?」
「煮沸消毒すれば大丈夫だろ、たぶん」
「そ、そういう問題にゃ……? 流石に勿体ない、とかないのにゃ?」
「ない」
「そ、そうかにゃ……」
ピッケルの邪魔な突起の部分を指でへし折る傍ら、未だ燃え続けている火にもう一度鍋を乗せた。そうして、再び熱を灯させる。こんこんと湧き上がれば、その湯の中にピッケルを突っ込み、熱で不必要な菌を消毒。仕上がりは上々だ。
引き上げたそれを清潔な布で拭き、イルルに手渡す。その持ち慣れない感触に彼女は戸惑いながらも、ゆっくり甲殻の中に詰まった肉へと、それを捻じ込んだ。
「……どうだ?」
「……にゃ、とれやすい……」
くるっと巻いて、さっと引き抜いてみれば、そこにはピッケルに絡まった繊維状の肉があった。
紅白色が美しい、照り付けるように眩しい蟹肉。まるで細く細かい身を固めたかのようなその見た目は、触れれば簡単に崩れてしまいそうな、そんな危うさがある。しかし、それでも簡単にはほどけずに、力強くピッケルに絡みついていた。
「はい、旦那さん」
「ん?」
「旦那さんが頑張って仕留めたんだから、最初は旦那さんが食べるのにゃ」
「いいのか? 第一号をもらっても」
「にゃー、まだたくさん食べるとこあるし大丈夫にゃ。それより、食べてあげてにゃ。じゃないと蟹さんも報われないにゃ」
「……そうだな。じゃ、いただきます」
「にゃ。はい、あーん、にゃ」
目を伏せて、ダイミョウザザミへの感謝を述べつつ、俺はその肉を頬張った。
フタを開けた時にも感じた、爽やかな塩の香り。塩茹でとシンプルな調理法をそのまま享受したこの味は、何とも一途で、直情的だった。
蟹特有の、喉の奥に籠もるような旨み。噛んだ途端に現れる、風味とでも言うべきだろうか。塩の旨みと蟹自体の味を混ぜ合わせ、あっさりとした旨みを口いっぱいに広げていく。
その食感は柔らかく、細い肉の束をゆっくり崩していくかのようだった。噛めば噛むほど柔らかな抵抗を歯に返し、同時にその旨みをどんどん染み出していく。弾力、という言葉が相応しいだろう。そんな優しい食感が、この爽やかな味わいによく合っていた。
「……うん。すっげぇ旨い」
「ほんとにゃ? にゃー、楽しみにゃー!」
何とも優しい、ダイミョウザザミの味。
そんな俺の反応を見ては、嬉しそうにイルルもぱくっとそれを口にする。そうして広がっていくその旨みで、彼女は頬を綻ばせた。みゅぅっと、多幸感に満ちた声を上げる。
「いやほんと美味しいな。これは大当たりだよ。ザザミソと一緒に食うのも旨そうだ」
「にゃ、それは魅力的だにゃ。やってみたいにゃ~」
「よしよし、ちょっと待ってな」
脚とは別の、胴の部分。そこから、濃い灰色に染まった物体を掬い取る。
ザザミソ。別名、中腸線。つまり、ダイミョウザザミの内臓だ。
ザザミソは、ダイミョウザザミから獲れる素材であり、時折市場でも流通する人々に慣れ親しまれた食材でもある。当然購入するには誰かがダイミョウザザミを仕留めなければならず、安定した供給がされている、とまではいかないが。故に、欲しい人間にとっては希少なものになり得る食材でもある。射的に挑戦した俺が、そうだったように。
「……うん、こりゃ旨いや」
「にゃー。どんな感じにゃ?」
「そりゃお前、自分で食ってみないと。はい、あーん」
「にゃあ。にゃーん!」
スプーンでザザミソを掬い、その上にほじった脚の肉を乗せる。そんな不思議な配色のそれを口にしては、イルルは幸せそうに尾を立たせた。髭が、ピンと張っていた。
俺も彼女に負けじと、また一つ口にする。
脚の肉とは対照的に、濃厚な旨みを示すのがこのザザミソだ。多少の生臭さを含むこの味わいだが、塩っ気を多く含んだ深みのある味でもある。先程とは打って変わり、ザザミソの濃厚な味わいが、脚の弾力性に富んだ食感に絡んでいく。舌に塗りつけるような強い旨み。それがまた、柔らかな肉によく合っているのだ。この組み合わせも堪らない。
「やべぇ……こりゃやめらんねぇや。旨すぎるだろ……」
「にゃあん。何て言うか、中毒性のある味だにゃ。うみゃ、美味しい……」
甘い、脚のあっさりとした味。
柔らかな肉の感触。
塩で彩られた、爽やかな風味。
柔らかいながらも歯応えのある、楽しい食感。
ザザミソと和えれば、味を一転。濃厚な旨みを携えて。
噛めば噛むほど、味わい深くなっていって。
あっさりとした塩味と、ザザミソの深い旨みがとてもよく合っている。
もっと。もっとこの味を楽しみたい。そう思えば思うほど、噛む力はどんどん強くなった。
もっと。もっと。もっと。
もっと食べたい。もっとこの旨さを味わっていたい。そう思って、新たなザザミソを口にして。それを、思いのまま頬張って。
「───ッあがッ!? いって……ッ!?」
「にゃ!? だ、旦那さん!?」
不意に、何かがこの快楽に横槍を入れた。まるでランスの突進で真横から轢かれたかのように、鋭い衝撃が走った。
何か、何かが。何かが歯に挟まっている。柔らかい肉の中に紛れて、俺の歯を阻害している。がりっと、固い固い何かが───
「……あ? 何じゃこれ」
「にゃ……これ、真珠かにゃ?」
黒い、黒い、小さな粒。
薄暗い色に染まったそれは、淡い光沢を控えめながらも浮かべているような、そんな色をしていた。俺の指先ほどもない、本当に小さなその塊。
そう。それは、イルルが言う通り、真珠のようなものだった。
ヤド真珠。ダイミョウザザミの体内で、時間を掛けて形成された物質。強度はあまり高くないが、希少価値のある宝石の一つと数えられる素材である。
───それと同時に、ある人が欲しいと言っていたものでもある。そもそもの、この極小ザザミを狩猟して欲しいと俺に依頼した、あの人が。
「……いけね。忘れてた」
「……にゃ?」
「これ、今回のメインターゲットだったわ」
「…………にゃ?」
~本日のレシピ~
『塩茹でダイミョウザザミ』
・ダイミョウザザミの上半身 ……1匹分
・盾蟹の小鋏 ……1対
・盾蟹の小脚 ……4本
・塩 ……たっぷりと
フエールピッケルって、何そのオーパーツ。
ドンドルマって、天王寺あたりなイメージを勝手に持ってたりします。あべのハルカスと新地とあいりん地区を混ぜ合わせたような、凄くごちゃごちゃとして混沌とした街並み。そういうのを、演出したい(力量不足)
活け作りとか、踊り食いとか。とっても魅力的だけど結構恐ろしいですよねぇ。オーストラリアのとある州ではこういうのは残虐な行為として禁止されているようです。でも、生きているものをいただく、ということを実感できる方法でもあると思います。いただきますって、大事にしなくてはいけませんね。
新たな起点は、とあるエピソードから始まります。その元ネタも、分かる人には分かるかもしれません。またじっくり執筆していきますので、ゆったりお待ちして頂ければ幸いです。感想・評価もお待ちしております。
それでは。