モンハン飯   作:しばりんぐ

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 ※ネコの手配上手発動!





美味との遭遇

 

 耳障りな金属音が、乾いたように青い空に響く。軋むように甲高い音を立てるそれは、かなり年季が入った人工物であることを訴えているかのようだ。その証拠のように所々剥がれ落ちていたり錆びていたり。

 超低温の波に揺られ、その度に聞くものを不安にさせるような音が響く。だが、余程良い素材が使われているのか、崩壊するような気配は全くなかった。

 

 ここは氷海。極寒の海に浮かぶ、巨大な氷の島。そこに、無造作に船が寄せられている。

 古龍、ダレン・モーランの素材を使い建造されたこの船は、軋むことはあってもその骨組みを崩すことはない。そういった安全性を保障されているが故に、この船は氷海に赴くハンターを運んでいるのだ。

 本日もベースキャンプごと乗せたこの船は、吹雪に荒れる氷海の巨氷に到着したのだった。

 

「さみ~~っ、こいつは骨身にしみるぅ」

「相変わらずにゃ。旦那さんも、ここも。……寒いにゃ?」

「……ベースキャンプはまだマシだからな。取り敢えず支給品支給品」

 

 数々の流氷を一望出来るこのベースキャンプ。ベッドやテントは船に乗せられているものの、支給品ボックスや納品ボックスは船の外に置かれている。そのため漁りに行くには、船から下りなければならないのだ。

 甲板から下りれば、もうそこは一面雪の絨毯。歩く度に、足裏に何とも形容し難い陥没感を感じる。この陥没感のせいで、雪の上を歩くのに体力を持って行かれるのだ。そのため人によっては、このような地での狩りは敬遠しがちだったりする。

 

「……取り敢えず地図と応急薬、あとペイントボール」

「相変わらず携帯食料は取らないのにゃ……」

「当たり前だろ」

 

 そう。イルルの言う通り、俺は基本的に支給品の携帯食料は口にしない。

 その理由は言わずもがな、不味いことこの上ないからである。味は名状し難いわ、触感はパサパサとして口触りが悪いわ、と全国のハンターさんも口を揃えて不味いと言うことで有名だ。挙句の果てには、噛まずに呑み込んでいる者もいるのだとか。

 

「こんなものでスタミナつけるよりは、こんがり肉をじっくり食った方が良い」

「にゃ……旦那さんらしい理由にゃあ」

「大体これは一体何を具材にしてんだ? もしや食用じゃない肉でも使ってんじゃないだろうな」

 

 流石の俺も嫌がるようなモンスターが使われているのかもしれない。例えば、成体のフルフルとか。

 幼体ならば全然いけるフルフルだが、成体になると全く食えなくなるのである。肉がかなり異常な脂に包まれているため、まるで加工屋の油を誤って飲んでしまったのかと、そう錯覚するほどの不味さなのだ。

 まぁ、流石のギルドもそんなことまではしないだろう。精々不味い合成食材とか、そんなところだと予想する。

 

「……よし、準備は出来たな。それでは早速コイツを飲もう」

「あ、それって」

「そう。俺が以前、三週間掛けて開発した美味いホットドリンク! ……の記念すべき試作品第一号だ」

「三週間……。この人ほんとに籠もりっぱなしだったにゃ。もはやハンターにあらず、にゃ」

 

 かのグラビモスを討伐する以前の話だ。俺は三週間という短くも長い時間を使い、寝食を惜しんで――いや、食は惜しんでいないが、とにかく必死に開発に取り組んだ。沢山のキッチンアイルーに調理のコツを聞き、ギルドの知り合いに頼んで良い調合機器を借り、様々な具材を試したのだ。

 そんな苦労を経て完成した、このホットドリンク。試作品とはいえ、自信は大いにある。きっと保温効果を保ちながら、美味い味を昇華させてくれるだろう。

 

「これで不味いホットドリンクとはおさらばだ。これが美味ければ今日のターゲットも一捻り出来るぞ、きっと」

「……にゃー。ティガレックスを一捻り……想像出来ないにゃ」

 

 本日は、氷海に現れたティガレックスがターゲット。

 奴は食い物を求めては、様々な場所を転々とする習性を持つ。そのため今こそ氷海に来ているものの、また勝手にどこかへ行ってしまうだろう。故に今回のクエストは特に急を要するものではない。ただの娯楽人の余興に応えるだけの、至ってつまらないクエストだった。

 とはいえ、そのおかげでこうして試作品を試すことが出来る訳だが。

 

「よーっし! いっただきまーす!」

 

 ほんのり橙色を帯びたそのホットドリンクを、一気に口に流し込む。

 すると、口の中で三日間ハチミツに浸すことで苦味を緩和した苦虫と、しょうゆに近い味付けされたドリンクがトウガラシの辛みをアクセントに華を開き、その鮮やかな味を立てるように、ギィギエキスの出汁が風味を深めていく――――。

 

「……?」

 

 ――ことはなかった。

 そんな幸福の象徴とも言える旨みとは正反対の、ただ不味さという不味さを追求したような味が、口いっぱいに広がっていた。何というか、薬品臭い味だった。

 

「――――ッ!? げほっげほっ! な、何だこれ!? 馬鹿か!? 馬鹿なのかッ!?」

「にゃ!? だ、旦那さんどうしたのにゃ!? しっかりするにゃ!」

 

 噎せ返るようにそれを吐き出そうとするが、一気に飲んでしまったため、大半は胃の中に消えて行ってしまった。

 とんだミスをしたものだ。何ということか、同じ赤色だから、ホットドリンクと間違えてしまったのだ。あの液体を飲んでしまったのだ。

 

「うぇ……これやばい、やばい奴これ……ちょ、マジで駄目だこれ……」

 

 思い返せば、今日の俺は朝寝坊をやらかした。寝坊してしまうと、この船の出港時間に間に合わず、狩りに行くことが出来ない。そのため俺はあまり確認せずにボックスからアイテムをポーチに詰め込み、大慌てで出発したのだった。

 その結果がこれである。

 

「だ、旦那さん……だ、大丈夫かにゃ……?」

「……イ、イルル……。すまん……」

 

 心配そうに、俺の足元で様子を窺っているイルル。

 しかし彼女の心配虚しく、俺の意識はだんだん薄れていった。まるで、深い眠りに誘われるように。ドスバギィの涎を浴びせられた時のように。

 

「……だ、旦那さん!? 旦那さん! 旦那さーんっ!!」

 

 間違いない、俺が……俺が飲んだのは――――。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「にゃ……だ、旦那さん……」

 

 何ということか。

 イルルの目の前でホットドリンクを一気飲みしたシガレットは、弱々しく狼狽えながらも、ばったりと倒れ込んでしまった。まるで気を失ったかのように。襲い来る眠気に呑み込まれたかのように。

 そんな驚愕の事態に、イルルは彼がホットドリンクの調合を失敗したのかと考えたが。

 ふと鼻につくような奇妙な臭いが、彼の飲み干した瓶から漂っていることに気付いた。ホットドリンクのようなトウガラシの香りでない、明らかに薬品を思わせるような科学的な異臭。

 そんな瓶を恐る恐る手に取った彼女は、ゆっくり鼻を近づけて――――。

 

「……にゃ、これ……捕獲用麻酔薬にゃ。旦那さん間違えて飲んだのにゃ?」

 

 モンスターを捕獲する時に用いられる薬品。素材玉と合わせ捕獲用麻酔玉にする、もしくは弾丸と調合することで麻酔弾へと変貌するこの液体。真紅に染まったこの液体。

 そう、ホットドリンクと捕獲用麻酔薬の色合いは、ほとんど同じなのだ。故に、寝坊した彼は色だけで判断し、麻酔薬の方をポーチに詰めた。その結果がこれである。

 

「……それにしても旦那さんが間違えるなんて……珍しいにゃ」

 

 今まで長く彼のオトモをしていたイルルだからこそ、彼がこのようなミスをするところを見るのは新鮮だった。余程慌てていたのか、それとも疲れていたのか。

 

「思えばオトモを始めて数ヶ月……こんな旦那さんは初めてにゃ。……ふふ、初めて会った時とは逆にゃあ」

 

 初めて彼らが出会った時は、構図が全くの逆だった。眠るシガレットをイルルが見守る今とは逆で、気を失ったイルルをシガレットが看病していたのである。

 ――そう、それは数ヶ月前の出来事だった。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「にゃ~……また駄目だったにゃ……」

 

 何の因果か、舞台は同じく氷海。その中の一角にある、木々が群生するエリア。そこで悲しそうに佇むアイルーの姿があった。

 全身が雪のように白い滑らかな毛並み。異物が入り込まないよう、細い毛並みで豊満に満たされた耳。ふさふさとした、大きな尻尾。そう、彼女はハンターにスカウトされることを狙ってこの危険地帯に顔を出す、俗にいうノラオトモなのだ。

 そんな彼女から漏れる、憂いに満ちた溜息。それが、彼女が中々スカウトされないという厳しい現実を物語っていた。

 

「うぅ……挫けそうにゃ……」

 

 

 

 

 ――何だよ、ぶんどりかよ……。そんなトレンドのネコに用はねぇよ!

 

 ――私、回復トレンドを探してるの。だから……ごめんね?

 

 ――時代はビーストだぜ? ぶんどりとかどこに需要があるんだよ。

 

 ――ホップ! ステップ!! ジャンプ!!!

 

 ――役立たずの穀潰しは要らん。

 

 

 

 

「……にゃあ」

 

 通りすがるハンターたちの心ない言葉。彼らとしては何気なく、平然と口にしたのかもしれない。しかしそれが如何に彼女の心を傷つけたか、彼らには分かるのだろうか?

 そう、まだ名のないこのアイルーのトレンドはぶんどり。ブーメランの扱いに優れるそのトレンドだが、その真骨頂はぶんどりだ。文字通り、モンスターから素材をぶんどることが出来るのだ。

 そう聞くと、非常に良い働きをしてくれそうな気がするが、問題は他のトレンドにある。

 回復笛を巧みに使い、ハンターを癒す回復トレンド。

 強走咆哮でモンスターからスタミナを奪い、それをハンターに還元させるビーストトレンド。

 さらにはハンターの踏み台となり、立体空間を活用させるジャンプトレンドという存在。

 オトモアイルーのトレンドは、正に激戦区なのだ。そのため、ぶんどりというトレンドも、このような眩しい存在を前にかき消されてしまうのが現実である。

 

「……ボクはもしかしてオトモに向いてないのかにゃあ? 人間と仲良くしたいけど……こっち(・・・)では中々雇用されないにゃあ……」

 

 大きな瞳に涙を滲ませる彼女は、哀しそうにそう呟くと、強まる吹雪から身を隠すように木々の奥の洞窟を見据えた。頬を濡らす涙がゆっくりと凍っていく。気温は確実に下がっていた。

 

「……取り敢えず洞窟の中に入ろう。寒いにゃ」

 

 

 

 

 

 

 氷海上部のエリア。ここは広い洞窟で占められた薄暗いエリアだった。

 外で吹き荒れる吹雪の脅威に晒されることはないが、寒さは変わらない。どころか、壁や天井まで凍り付いているせいで、心なしか外よりも寒いのではないか。そう感じるハンターも少なくない。

 

「にゃー……相変わらず寂しいところだにゃ」

 

 そんな冷たい空間に脚を踏み入れるアイルーは、まるで慣れているかのような口調でそう呟いた。

 彼女はここで、ハンターを探し始めて随分と経つ。そのため、氷海の地形や構造は熟知しているのだ。

 

「何か食べれる物はあるかにゃ?」

 

 この洞窟に、吹雪を逃れ訪れるモンスターは多い。それこそ、洞窟奥に繋がっているザボアザギルの巣からは、一日に何匹ものスクアギルが流れ込んでくるのだ。そのため彼女は自分でも狩ることの出来る小型モンスターを求め、洞窟深くに身を沈めていった。

 誤算だったのは、本日はいつもとは違う何かもまた、この洞窟に入り込んでいたこと。彼女はそれを痛感することとなる。

 

 

 

 

 

「……おかしいにゃ。いつもならいるモンスターがいないにゃ……」

 

 洞窟内を蔓延るスクアギルは、一匹も見当たらなかった。我が物顔でうろつく彼らのはずが、今日はまるで、何かから逃げるかのように洞窟を後にしていたのである。

 

「……しょうがないにゃ。この際ブナハブラでもいいにゃ」

 

 洞窟内を飛び交うブナハブラ。大型の虫である彼らは、普段から洞窟の天井に止まり、獲物が現れるのを待っている。味は不味く、力を加えると四散してしまう程脆いため、あまり食用には向かないのだが、

 

「にゃあ。背に腹は抱えられないのにゃ!」

 

 このアイルーは自らの空腹とにらめっこし、件のブナハブラを捕らえようと天井に顔を向けた。そうして映りこむ凍り付いた天井。飛び交うブナハブラ。

 ――口しかない顔を向ける、白い飛竜。

 

「……にゃっ!?」

 

 彼女がそう反応した時には、その飛竜は覆い被さるように彼女に向けて落ちてきた。

 慌てて跳んだ彼女は、押し潰されずに済んだのだが、着地までは考えてなかったのか、転がるように地面を滑っていく。

 

「にゃ、一体何が……?」

 

 獲物を見失ったためか、その飛竜は不思議そうに首を傾げ、しきりに鼻を動かし始めた。まるで臭いを確かめるようなその行為。

 そして、静かにアイルーの方へとその首を向ける。無い眼の代わりに鼻か、それとも他の何かの手段で、腰を地に着ける彼女の位置を探り当てていた。

 

「……にゃ、何このモンスター……」

 

 見るからに醜悪なその容貌に、アイルーは恐怖に震えた。今まで氷海でスカウト待ちをしてきた彼女だが、この飛竜――フルフルは見たことがなかったのだろう。

 一方のフルフルは開かずの瞳でアイルーを見定め、凄まじい咆哮を上げた。まるで人間の断末魔を思わせるような不気味なその声は、洞窟内で反響し、その迫力の余り彼女の全身の毛を逆立たせた。

 フルフルは、ただでさえ奇妙なその頭を、さらに奇妙な動きで首を伸ばしてアイルーに近付ける。そこに付いた不気味な口が、まるで彼女を喰わんと開き切ったその時。

 

「はっ……!」

 

 彼女の中の危機感が、恐怖心に打ち勝った。

 寸でのところで跳び避けたアイルーは、フルフルの足元を潜り抜けるように走り、迫り来る牙から慌てて離れる。そんな彼女の肩は、大きく震えていた。

 一方の飛竜は、またもや獲物がいなくなったことで、困ったように鼻を唸らせ始める。

 

「にゃあ……」

 

 アイルーとは比較にならない大きな体。鋭い牙に不気味な皮。戦っても勝ち目がないことに、彼女はとっくに気付いていた。

 だから彼女は、とにかく足に力を込める。

 

「三十六計逃げるに如かず、にゃ!」

 

 距離を開けたまま、一目散にアイルーは飛び出した。飛竜に背を向けて、四つの手足に力を込めて。

 不意に、何かが弾ける音が響く。

 懸命に走る彼女の背後から、洞窟内を照らす何かが駆け寄ってきた。目に痛い光を放つそれは、耳障りな音を立てながら、駆けるアイルーへと勢いよく飛びかかる。

 

「……にゃっ――――にゃあああぁぁぁぁぁぁっ!!?」

 

 直後、洞窟内に凄まじい閃光が走り、大気を焦がすようなスパークが暴れ出した。そんな異常現象の真っただ中にいる彼女は。

 

「……にゃ、にゃあ……」

 

 何かが抜けるような音と共に、体毛を焦がしながら倒れ込んだ。全身に重い負荷を負った彼女は、まるで力をなくしたように動かない。そう、彼女はフルフルの放った電気の塊を当てられた。その強烈な電圧に彼女の神経は麻痺状態に陥り、満足に動くことも敵わないのだった。

 そんな彼女の下へ、フルフルはゆっくり首を動かした。逃げ回っていた獲物を仕留めることが出来たためか、満足そうな声を漏らして口を開く。

 

(……もう、ダメにゃ……)

 

 その口から滴る唾液なのか、彼女の涙なのか。いずれにせよ、何かによって彼女の頬は徐々に湿っていった。そんな絶望の淵で全て諦めた彼女は、静かに眼を閉じて――――。

 

 

 

 その瞬間だった。

 突如、火薬が弾ける音が鳴り響く。まるで大銅鑼のように洞窟が反響させるその轟音と、それに伴う衝撃波がフルフルを怯ませた。同時に何かが転がり込み、倒れるアイルーを巻き込んでいく。

 しかしその巻き込み方も、乱雑なそれではなかった。むしろ抱きかかえるように、庇うように。そんな優しい巻き込み方で、彼女をフルフルから遠ざけたのだった。

 

「……チッ! 何だこの状況は……!」

 

 忌々しそうにそう吐き捨てる、男の声。アイルーを抱きかかえる彼は、興奮するフルフルと憔悴し切ったアイルーを見比べて。即座に緑色の煙を放つ玉を、地面に投げつけたのだった。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 ――――何だろう?

 何か、温かい匂いが俺の鼻を(くすぐ)っている。

 

「……んが?」

「あ、旦那さん、起きたにゃ?」

 

 グラグラと揺れる視界と頭を押さえながら、匂いを頼りに目を覚ます。ずっと眠っていたのか、相当深く眠り込んだのか。何にせよ寝起き特有の不快な感覚が俺を支配していた。

 だが、それを我慢してでも起き上がる価値のある香り――すなわち飯の香りが漂っている。それだけで十分だった。俺が目を覚ますのには。 

 

「……うぇ」

「無理しちゃダメにゃ。はい、お水」

「あ、あぁ……。すまん……」

 

 まるで二日酔いのような感覚というか、俺ががぶ飲みした捕獲用麻酔薬の影響で非常に気分が悪い。

 イルルが出してくれた水がなかったら、危うくもリバースしていたところだ。

 

「あー……潤う……」

「大丈夫にゃ? 頭痛いとかは……」

「まぁ、大丈夫。それよりもそっちは?」

 

 嬉しそうに微笑むイルル。その横には、コトコトとフタを叩く鍋があった。

 俺が先程感じたあの香りを放つそれは、身に受ける熱を排出するように、フタとの隙間から白い湯気を上げていた。

 

「にゃ、ボク……頑張ってやってみたのにゃ」

「……イルルが?」

「にゃっ、何にゃ! その怪しむような目は! ボクだって……ずっと旦那さんを見てきたから。少しは出来るにゃあ……」

 

 少し力んだような様子でそう物申すイルルは、そっと鍋のフタを開けた。するとそこから、先程まで押し込められていた香りと湯気が一斉に舞い上がる。どこか氷海に似つかわしくない、不思議な雰囲気を描き出した。

 そんな鍋の中で湯に浸かっていたのは、緑の葉が球状に丸められたもの。

 

「……ロールキャベツか?」

「にゃあ。砲丸レタスしかなかったからロールレタスにゃ」

「……何だか懐かしいな」

 

 何の因果だろうか。初めて俺とイルルが会った時。この氷海でフルフル狩猟クエストに来ていたあの時だ。俺は傷だらけのこいつを見つけ、慌てて介抱したのだった。当時この地方での駆け出しだった俺にとっては、貴重なモドリ玉まで使って。あれ別料金のネコタクだから、後からどっとゼニー取られるんだよなぁ。

 そんなこんなで、俺は怪我した此奴に薬草と肉を混ぜたロールキャベツを振る舞ったのだが。

 

「立場は逆にゃ!」

「はは、確かにそうだ」

 

 情けないことに、今回は俺が介抱されていたようだ。それもご丁寧に、あの時のような料理まで用意して。まぁキャベツじゃなくてレタスだが。

 それにしても、イルルは一体どのような具材を入れたのだろうか?

 

「レタスとフルフルベビー、それと旦那さんの目を覚ますためにハチミツにニトロダケも入れたにゃ」

「……成程、元気ドリンコの調合具材か」

 

 目覚ましに最適ということで有名な元気ドリンコ。全国で三万人の方にご愛飲いただいているという元気ドリンコ。まさかその調合素材であるハチミツにニトロダケまで入れているとは。

 恐らくハチミツは、フルフルベビーをミンチ状にした時に混ぜ込んだのだろう。するとロールキャベツ、ならぬレタスの横で一緒に熱されているのがニトロダケか?

 

「……なぁ、爆破防止はしてあるのか?」

「大丈夫にゃ。ハチミツ染み込ませたにゃ!」

「あー……」

「水分に浸しておけば、胞子は炸裂しない。旦那さんが教えてくれたやつにゃ」

「そうそう。粘性のある水分ならなお良しってな」

 

 そのままニトロダケを熱した暁には、小タル爆弾程の被害を(もたら)してしまう。それを防ぐためにも、元気ドリンコにはハチミツが使われている。まぁ、いつも一緒に過ごしてきたイルルのことだ。そう心配する必要はないかもしれない。

 そんなイルルはというと、味を確認すると嬉しそうに尾を立てる。そうして、盛り付け皿を用意し始めた。

 

「長時間熱して味を染み込ませたからもう食べれるにゃ!」

「……俺って一体どれくらい寝てたんだ?」

「数えてないけど、かなり長かったにゃ。でもご飯作り始めたらこれにゃ。流石は旦那さん。ご飯の匂いで麻酔を克服するにゃんて」

 

 かなり長い時間。

 そんな彼女のニュアンスは、静かにクエスト失敗という事実を俺に突き付けていた。あろうことか、クエストに設けられた時間のほとんどを俺は睡眠に使ってしまったようだ。

 まぁ、そんなことはどうでも良い。今重要なのは、イルルが盛り付けているロールレタスなのだから。

 

「出来たにゃ!」

 

 彼女が丁寧に盛り付けたそれは、淡い緑色の巻かれた葉。そしてそれを彩る赤い切り身のキノコだ。熱い湯気を放つそれを箸で割いてみると、そこから肉汁を滴らせる白いミンチ状の肉が見えてきた。

 幼体なら美味なフルフル。それをミンチにしたことで、熱したレタスの葉に効率良く味を染み込ませ、深い葉の香りと溢れる肉の勢いのハーモニーを生み出している。その食欲揺るがす様相が、腹を強烈に打つ。

 

「おぉ。良いじゃないか」

「にゃあ~。旦那さんも早く食べようにゃ」

「あぁ、いただきます」

 

 普段は固い砲丸レタスだが、熱とお湯、さらに肉汁によって十分に柔らかくなっているようだ。

 それでフルフルベビーの肉を包み、そのまま口へ運び込む。アツアツのそれは猫舌のイルルには食べにくいだろうが、俺はそのまま口を閉じて十分に咀嚼(そしゃく)した。

 はじめに顔を出すのは、甘みに近い柔らかなレタスの旨み。しかし歯がレタスの層を斬り裂いていけばいくほど、そこからどんどん肉汁が溢れ出てくる。その奥に眠るフルフルベビーの淡泊な味わいが、主張し過ぎずにじっくりと染み出るのだ。そうしてミンチ状故に噛みやすい歯触りが口をなぞり、肉汁の割に(くど)くない味を形成していく。

 

「レタスにしても良いもんだな、若干食感が残っていて、それがまた歯触りが良くて旨い」

「でも、あの時の旦那さんほど美味しくはないにゃ」

 

 思わず感嘆した俺に対し、イルルはやや残念そうに溜息をついた。

 イルルの言う、あの時俺が作ったロールキャベツ。あれはポポの肉とハーブの様な風味の薬草、アオキノコを織り交ぜ、さらに幻獣バターと薄力粉のホワイトソースも加えたものだ。労力を考えれば、差が出るのもしょうがない。

 

「いや、それでも美味しいぞ。イルルが頑張って作ってくれたからな」

「……でも」

「つべこべ言うな!」

「ふもっ!?」

 

 勢いのままにロールレタスをイルルの口に突っ込んだ。瞬間イルルは驚いたように手足をジタバタさせたが、それも気に留めず話を続ける。

 

「俺がお前のためにロールキャベツを作った時は、お前のことを考えて作ったんだぞ。今回のお前はどうだ?」

 

 アツアツのロールレタスに奮闘するイルルは、慌てて水で口の中を冷やしながらも、涙目で答えを探り始めた。

 俺はあの時、コイツの傷を加味して薬草やらアオキノコやらを混ぜ込んだのだ。そんな工夫が、今回もあったじゃないか。

 

「……旦那さんのために、目が覚めるように……」

「そう、ハチミツとニトロダケを入れてくれたよな? いいか、こういうのを人情と言うんだ」

「……人情?」

「そう、人情は準最高のスパイスなんだよ」

 

 俺のために作ってくれたロールレタス。イルルが工夫を凝らして作ってくれたロールレタス。こんなに美味嬉(うまうれ)しいことなんて中々ないだろう。その人情が不思議と味に、それを感じる心に深みを増してくれるのだ。

 

「……ついでに最高のスパイスは?」

「空腹だな、これは譲れない」

 

 

 

 

 

「……しかし懐かしいな」

「ほんとにゃ。そういえば、ボクをスカウトしてくれたのもこんな感じだったにゃ」

 

 流れる氷河を見ながら何となくそう呟くと、イルルは嬉しそうにそう言っては、俺の膝に飛び乗ってきた。そんな彼女の顎をわしゃわしゃと撫でながら、彼女の言うその時を思い出す。

 

 ――――お前ぶんどりか? って事はモンスターの食ざ……素材集めるの得意だよな? よし、スカウト。

 

 思えば、あまり深く考えずスカウトしたものだ。まぁ治療を施したのもあってか、情がコイツに移ってしまったのかもしれない。その時のイルルの喜びようと言えばそれはそれは凄かったし、なかなかハンターにスカウトされず打ちひしがれていたことも、ここでスカウト活動始める前の事情も聞いたのだし。

 まぁ雇ってみれば、モンスターの素材をしっかりぶんどるわ、美味しいキノコとかを持ってくるわ。今では唯一無二の相棒だ。

 

「ボクに名前をくれたのもここだったにゃ」

「あー。そうだったな」

 

 数か月前の、氷海のベースキャンプ。そこで使ったあのキャベツ。

 あれはイルル村という農作物豊かな村で獲れたキャベツであり、その名もイルルキャベツというブランドものだったのだ。

 だからそこから取ったのだ。変な名前かもしれないが、当の本人が気に入っているようだからまぁ良いか。

 

「旦那さん……」

「ん?」

「こ、これからも、よろしくにゃ……!」

 

 恥ずかしそうに、それでいて確かめるように。そんな様子で、おずおずとそう告げてきたイルル。そんな彼女の可愛らしい頬を撫でながら、俺は真っ直ぐ頷き、その小さな手を握った。

 ――――氷海に鳴り響く、クエスト失敗の笛を背景に。

 

 

 

 

 ~本日のレシピ~

 

『ロールレタス(4個)』

 

・砲丸レタス     ……  4枚

・ニトロダケ     ……  1個

・フルフルベビー   ……150g

・卵         ……  1個

・氷海の海水     ……100ml

・ベルナミルク    ……150ml

・胡椒        ……  適量

 

 






まぁこんな感じに調理工程はほとんど飛ばしました。その代わりのようにぶち込んだシガレットとイルルの出会い編。ベルナミルクはベルナ村のムーファより。
イルル村はオリジナル要素(名前だけの登場)です。大体の狩場には近くの村を経由して行くらしいので、そんな感じの村があっても良いかな……と。
メイドインアビスに感化されてナナチという抜けられない沼に嵌まった今、これは熱烈なけも小説と化した。アイルー、というかイルルを愛でる描写はこれからもたくさん出てきます。ネコ好き集まれ。

【挿絵表示】

イルルちゃんこんな感じ。可愛い(装備は未来予想図だ!)

ではでは。



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