モンハン飯   作:しばりんぐ

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 注意喚起! 空気と化した覇竜!





雨後春筍

 

 風を撫でる音が、温い熱を纏った。大地を殴打するような地響きは、その熱を旋風のように巻き上げる。その度に、飛行船の接合部は嫌な悲鳴を上げては軋んでいた。

 ギルドが支給した高速飛空船。それがまるで真っ赤な絨毯のようなこの火山地帯を駆け抜けていく。目指すは溶岩島。地底火山をも超えた、火山地帯の深奥だ。

 

「あっつー……」

 

 身に纏わりつくその熱を払うように両の手で宙を仰いでみても、その不快感は全く解消されない。どころか船が進む度に、その熱の量は増えつつあるようにも感じられる。

 不意に膨れ上がった地表。同時に聳え立つ、一本の火柱。否応なしに主張を続けるその暑さに、俺は溜息を吐いた。

 

「何が溶岩島だよ、どこだよそれ……。吐きそう」

「だらしないわね。ここら一帯の存亡が懸かってるのよ、そんな調子でどうすんの」

「いやー、でもこれ、暑すぎでしょ。私の装備も溶けそう……」

 

 俺が仰向けに甲板に寝そべれば、その向かい側ではうつ伏せるように腹を這わす白い鎧。薄い金の髪を一つに束ねた少女、ルーシャが苦しそうにうめき声を上げる。

 一方の橙染みた髪を下ろした少女は、やれやれと言わんばかりに首を振った。対照的な黒い鎧に大剣を乗せたその少女。彼女、ヒリエッタは同乗者の様子に呆れ一色に染まっている。

 飛空船に乗ったハンター。それは俺───シガレットを含め三人だった。全員がドンドルマで活動するハンターであり、それも大老殿への立ち入りが許可されるG級ハンターである。

 

「ルーシャ、アンタの装備は火に弱いもんね。もっと別の着て来たらいいのに」

「うぅ……上位装備のひよっこに言われたくないやーい……」

「そうだヒリエッタ、お前大丈夫なのかよ? それで覇竜の相手はちょっときついんじゃね?」

「一応、剛鎧玉で強化はしてるけど……ま、サポートに徹するわ。それに覇竜、見てみたいし」

 

 少しむすっとした顔でそう言っては、ヒリエッタはそっぽを向いた。その様子は、少し不満そうだ。ルーシャも軽口を言えども、ヒリエッタの様子を少し気に掛けているようでもある。そんな二人の様子を見ながら、俺も小さく溜めた息を吐いた。

 覇竜───アカムトルムといえば、黒き神とも呼ばれる超大型モンスターだ。飛竜種でありながら古龍に迫る力をもち、その全身を覆う黒く強靭な鱗と棘は見る者を戦慄させる。古文書にも名を馳せた、強大なモンスターなのだ。

 それが、今回のメインターゲット。俺たちが目指す溶岩島に居座っている、目に見える脅威───そして未知の味である。

 この度、ドンドルマギルドはタンジアギルドと連合し、覇竜の討伐隊を火山に派遣した。大多数のその部隊はそれ相応の犠牲をあげながらも、覇竜をこの溶岩島まで撤退させることに成功したのだ。とはいえ、奴を討伐した訳ではない。彼らでも奴を仕留めることは叶わず、辛くもこの溶岩島に後退させることしか出来なかった。だが、それでいい。ここから攻めるのは、俺たちハンターの仕事なのだから。

 

「ハンターさん! もうすぐ溶岩島上空だ! そろそろパラシュートの準備をしてくれ!」

 

 そんな飛空船技師の声が飛び、同乗した女性陣二人はいそいそと準備に取り掛かった。

 安全な区域ならまだしも、溶岩地帯のど真ん中であるここでは飛空船を直接陸に繋げることは出来ない。狩場に降りるには、パラシュートでハンター自身が降りるしかないのだ。上位、もしくはG級と位置付けられた危険度を有するモンスターと相見えるには、この方法が最も合理的である。そうギルドに判断されていた。

 

「さて、ここでいっちょ腹ごしらえといこうじゃないか」

「……は?」

「……へ?」

 

 そう言っては取り出した、小振りな鍋。

 まるでパラシュートの代わりのように、船に取り付けられたボックスから抜き取ったそれを掲げ上げると、パラシュートを背に乗せていた彼女たちは間の抜けた声を漏らした。

 その鍋に入っていたのは、ごろりと肉の塊がいくつも入ったスープ。黒く染まった肉がこんがりと焼け、されど火山の熱に負けない鋭い空気を放つその様相は、どこか料理らしくない雰囲気を漂わせている。その不可思議な光景に、ヒリエッタは首を傾げた。

 

「何これ……冷気?」

「おう。クーラーミートって奴だな」

「クーラーミートでスープ? 何それ、熱が中和されないのー?」

「実はこれ、冷製スープなんだよ。冷麺的な、あっさりとした奴。麺は入ってないけど」

「入ってないんかーい。それじゃあただの冷えたスープじゃんよぉ」

「ところがどっこい、体はすっきり冷えるぜ。クーラードリンクの代わりになるくらいに」

「へぇ……食べて体も冷やせるって訳ね」

 

 興味を惹かれた彼女たちは、それぞれ受け取ったフォークで鍋をつつき始めた。ちゃっかりパラシュートの準備を終えつつ、そわそわと。

 そのスープに浮かぶ黒い肉。それにフォークを突き刺しては、不思議そうに見つめている彼女たち。何の肉かと尋ねられれば答えたくなってしまうが、それをすぐバラしてしまうのも面白くない。そう判断した俺は、沈黙で食べるように催促した。

 

「あむ……固い肉ね。結構匂いが強いというか、クセがあるというか。割と筋張ってる感じ?」

「脂はそんなに多くないんだねぇ。とりわけ旨い訳でもないけど、まぁ悪くないみたいな」

「肉質は牛肉のももに近い感じがしたけど、こっちの肉はクセが強いよな。さして美味い訳でもなく、ただただ固いし。顎が疲れるよ」

「あ、でも寒冷効果はあるみたい。何か喉がキンキンに冷えてきたぁ……」

 

 呑み込むごとに、ひんやりとしたものが胃に落ちる。そうして出来上がりつつある耐熱感覚を感じながら、俺はもう一つ肉をかじった。

 感触は分厚いステーキのように固く、しかしそれほど脂が出る訳でもない。噛めば噛むほど顎は疲れるが、脂がたくさん染み出るといった期待に応える様子も見られなかった。さして美味い肉ではない。これがこの肉に対する感想である。

 

「これ何の肉よ?」

「ラージャン」

「は?」

「いや、だからラージャンだって」

 

 つい先日現れた、遺跡平原の脅威。金獅子ラージャン、それがこの肉の正体だ。

 奇しくも、その存在はこの状況の立役者でもあった。クエストに関しても、そして料理に関しても。

 そもそもこのクエスト───アカムトルムの討伐は、俺にとっての緊急クエストに相当する。つまり、これをこなせば俺の昇格が認められるのだ。それも、バルバレに渡ってきた到達目標である『G級特別許可証』を取得できるランクの昇格だ。これを逃さない手はない。

 

「この前出てた奴かぁ。そういえばシガレット、狩りにいってたもんねぇ」

「お前との勝負のすぐ後に、な。まぁおかげでこうして覇竜討伐を許可してもらえたんだから、上々だけど」

「……それでそのラージャンも、今や鍋の中って訳ね。もうツッコむ気力も湧かないわ」

 

 呆れ気味のヒリエッタの言葉。それにルーシャも同調する。

 先日の闘技大会に加え、金獅子ラージャンの討伐。その事実は、俺の実力を大老殿に知らしめるいい機会だった。こうして、俺の昇格のチャンスが与えられるくらいなのだから、その効果はさぞかし大きかったのだろう。

 また一つ肉をかじりながら、俺はゆったりと甲板から外を見た。

 燃え上がる大地。ここで繰り広げられるであろう決戦を掌握すれば、俺の到達点は果たされる。それはすなわち、目標に迫る手段を得ることになる。そう考えると、自然と笑みが零れ落ちるのだ。

 ───いよいよ、合法的に淆瘴啖(アイツ)と戦うことが認められる。アイツを喰うことができる───

 

「……あ?」

 

 満足気に笑みを溢していた、その時だった。

 不意に、赤黒い景色の中に何かが浮かび上がった。それはまるで、いつかカレーにしたサボテンのようにびっしりと棘を生やした何か。黒い大地に溶け込むような、漆黒の塊。されど、爛々と輝かせる二つの光が、自らを火山ではないことを主張している。あれは、あれはもしや───

 

「───伏せろッ!」

 

 そう言うが早いか、船が大きく揺れた。

 まるで旋風のような、竜巻のような。急激に乱れた気流が筒のように撃ち放たれ、この船を穿つ。その光景は、俺にはそう見えた。

 突然の衝撃に、甲板の上の二人は悲鳴を上げる。それにも飽き足らず、二人を揺らす甲板はいよいよ傾き始めた。見上げれば、飛空船の要である気球部分に大きな穴が開いている。否、あの旋風でその身を大きく引き裂いていた。

 

「……墜ちる」

「嘘、待って! ぱ、パラシュー……ぅあっ!」

「くうっ、いきなり何なのよ!」

「まさか、アカムトルム!? こっちはまだ飛んでるのに! 冗談じゃないよぉー!」

「……そういえば、師匠が言ってたわ。覇竜って、船とか撃墜する事例が多いらしいって。まさかこの身で体験することになるとは思わなかったけど!」

 

 悪態づきながらも、着々とパラシュートを着こなしていた二人は、落下に対する準備を始めていた。飛空船技師も、この事態に慌てつつ重い舵をとっている。俺もパラシュートの準備をしなければ。そう思った、その時だ。

 ───アレが、ない? 

 先程まであったはずのそれ。みなで楽しんでいたはずのそれが、無くなっていた。確かに俺の目の前にあったはずなのに。先程まで、みんなで食べていたはずなのに。

 

「……あ」

 

 ふと、外を見た。すると、それは確かにあった。弧を描きながら、宙を漂っている。中に貯めた具材を、この大地にばらまくようにして飛んでいる。

 ───俺が丹精込めて作った、金獅子ひんやりスープが、落ちていく。

 

「……あんのトカゲェ……やってくれるじゃんかよ……!」

 

 パラシュートは───いらない。

 気付けば、高度を下げた飛空船はアカムトルムの目と鼻の先まで地に寄せられていた。甲板に立つ俺たちのすぐ傍に、奴がいる。俺の作ったスープを台無しにした奴が、すぐ傍にいる。パラシュートなど、必要なかった。

 

「───てめぇを代わりに喰ってやろうか……ッッ!!」

 

 甲板を蹴った左脚。そのスプリングで、俺の体は宙に浮く。同時に肉薄する奴のその頭に向けて、俺は剣を二本振りかざした。

 紅蓮に染まるその双剣が、火山に新たな火種をもたらした。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「なぁ、トレッド! あのモンスターがここに来てるって、マジなのか!?」

「マジです。機密事項ですが、ね。君とは契約関係に当たるから教えましたが、流布は厳禁ですよ。したら殺しますからね、デクの棒が」

「……容赦ない暴言なことで。相当心に余裕がないみたいだねぇ」

「何分、モガの村民に悟られる前に事を終えねばなりませんので」

 

 潮風香る山岳部。切り立った崖が海を囲うようなこの場所で、イズモは困ったように首を振った。

 そんな彼の目の前には、金色の装飾が為された宝銃の手入れをする人物が一人。フロギィの皮を贅沢に使ったテンガロンハットを目深に被った男性、もといトレッドだ。

 

「大体なんで君はここにいるんです?」

「拠点に戻ろうと船に乗ってきたからだけど? モガの村は中継地としての役目もあるし、乗り継ぎにきただけさぁ。何となく船に乗りたくなる時って、ないかい!?」

「じゃなくて。君がわざわざ件のモンスターに対峙する理由はないはずですが?」

「いや別に一緒に狩りに行くつもりはないけど?」

「……はぁ?」

 

 イズモの率直な言葉に、トレッドは眉を潜ませる。

 この場にいながら何を言っているんだコイツは。トレッドの心中は、まさにそれだ。何食わぬ顔で村と島を隔てる門に背を乗せるイズモの様子に、トレッドは思わず銃を手入れする手を止めた。

 

「だって一般ハンターじゃ即時撤退が原則じゃん。オレ戦えないよ」

「……あぁ、そうでした。君がルールをしっかり把握してると、何か調子狂いますねぇ」

「何だよその言い草。オレ、いつも超真面目じゃん?」

「ハゲタカ野郎がよく言いますよ……。一回そのへらず口に徹甲榴弾撃ち込んでやりましょうか」

「ちょ、待って! 落ち着け! 天下のギルドナイト様が武器を人に向けてどうすんだよっ!」

「ギルドナイトだからこそ、ですよ。殺しは僕の専売特許ってお忘れですか?」

 

 慌てふためくイズモの様子に、辛辣な笑みを溢すトレッド。冗談じゃないと言わんばかりのその表情を見ては、彼はふぅっと小さく息を吐いた。

 もちろん、引き金を引くつもりなど毛頭ない。そもそも、引き金に指もかけていない。そう言いながら銃を下ろすトレッドに、イズモは冷や汗を静かに垂らす。今は緩みつつあるものの、かつての契約関係を思い出した彼は、笑う膝をそっと崩した。

 腰を地に落とすイズモの様子を横目に、トレッドは銃を地に置いて調合用の風呂敷を広げる。さも、何事もなかったかのように。

 

「……君が相当な悪徳ギルドナイトってことはよく思い出したよ。権力もった逸脱者って一番性質悪いよなぁ」

「人聞き悪いですね。僕は僕の目的のために少々色々やってるだけで、至って普通のギルドナイトですよ」

「はっ、普通……ねぇ。そんな君があのモンスターの相手させられるのは、何というか滑稽じゃん。大体、残りの標的は見つかったのかぃ? 君の目的の方の、さ」

「……いいえ。足取りは掴めつつあるんですが、追い付けてはいませんね」

 

 並べたいくつもの魚類たち。カクサンデメキンやハレツアロワナといった爆発性質をもった魚類たちの肉を磨り潰しながら、トレッドは低く暗い声でそう答えた。心なしか、魚を磨り潰すその手に力がこもる。顔を覆う前髪が、彼の表情に影を落とす。

 そんな彼の様子に、イズモはかつてのトレッドの姿を想起した。初めて会った、その時の。

 

 ───数々の窃盗事件。その犯人が、君ですね。

 

 そう話しかけてきたのは、トレッドの方だった。まだイズモがユクモの地で駆け出し始めたばかりの頃。培ってきた盗みの技術で生計を立てていた、その時に。

 ギルドナイト。それはこの世界の法の番人だ。統治者であるギルドの犬であり、忠実な手足。その役目はハンターの指揮、国や自治体同士の外交、交渉など現実的なものもいくつかある。しかしそれをも超えて都市伝説として流れていたのは、ハンターを狩るためのハンターであるという噂。そんな当事者である人物が、目の前に現れたのだ。

 

 ───君の技術には利用価値がある。僕と組みませんか?

 

 自分を殺しに来た。そう身構えた彼に言い放ったトレッドの言葉は、予想外という言葉すら生易しい。そんな思わぬ展開にイズモが狼狽したのは、言うまでもないだろう。

 ───トレッドの話はこうだった。

 彼には、殺したい人間がいる。その情報収集にあたってイズモの窃盗技術は重宝するため、イズモをここで殺すのは惜しい。自分の管理下に置くことで命の保証をする代わりに、その技術を利用させてもらえないか、と。

 

「───復讐、ねぇ」

「えぇ、復讐です。至って合理的な行動原理ですよ」

「シグといい、トレッドといい、何で身近な人間はこうも復讐好きなのかなぁ……」

「……シグ。シグですか……」

 

 トレッドの憂うようなその言葉。それを聞いたトレッドは、静かに目を伏せた。調合を止めた手を、微かに震わせながら。

 

「僕は、シグの見解に理解ができません。下らない理由付けですよ、合理性を求め妥協してしまっている」

「……えぇっと? 何の話?」

「あんな心持ちで為せる程度なんですかね、彼は。実に下らない……」

 

 右手に残っていたハレツアロワナ。冷凍保存されたそれを、トレッドは力のこもった手指で握り潰した。破片となった鱗が宙に舞い、調合する筈だったその材料が地に墜ちる。

 幸か不幸か、それは冷凍品。爆発こそしなかったものの、氷の破片でトレッドの右掌には薄い傷がついていた。

 

「彼の傷は、そんな軽いものなんでしょうか。心の底から殺したいと思ったなら、そんな妥協はしないはず。シグには、そんな覚悟も無かったということなんですかね……」

「……君は何の話をしてるんだ?」

 

 唐突に手を止めたと思えば、影ある表情で顔を満たすトレッド。まるで堰が切れたかのように言葉を並べる彼の姿に、イズモは少し違和感を覚えた。その声のトーンも相まって、より不穏な雰囲気を感じさせられる。

 それに少し戸惑いながらも言葉を返すイズモ。そんな彼の言葉に投げ返したトレッドの言葉は、これまた突拍子のないものだった。

 

「───僕は、楽しかった」

「へ?」

「追い求めていた獲物をやっと狩れた時、本当に楽しかった。切り裂かれた己の腹を見て、そこに詰まった糞尿を喉に流し込まれ。そうして窒息死する奴の姿は本当に滑稽だった。痛快だった! 心の閉め切った窓が開いたような、そんな感覚がした……!」

 

 縛り付けられた四肢。麻酔を入れ込まれ、痛みを感じなくなった体。そんな腹を引き裂いて、中のモノを抜き出されたあの表情。

 脳裏に浮かぶその光景を瞼の裏で映しては、トレッドは恍惚の表情でそう言った。流れるように。溢れる思いを止められないかのように。

 そんな彼の姿を見ては、イズモは少し後ずさった。彼も、そして今ここにいないシガレットもその現場に立ち会っている。粛清という名の、とても正気とは思えないその光景を思い出しては、イズモは喉奥から込み上げてくる何かを必死に押し留めた。

 

「……失礼。シグには少し失望しました。彼は、僕の良き理解者だと思っていたんですがねぇ」

「うっ……結局、何が言いたいの? シグがどうしたんだよ? 折り合いをつけたとか、そんなとこ?」

「心を入れ替えた、そうですよ。僕に言わせれば、妥協としか思えませんけどね」

「……君は、ぶれないなぁ。そんなに奴らがまだ憎い?」

「───ようやく見つかった体が、上半身だけだった時の気持ち」

「へ?」

「爪痕が喰い込んで、凍結した何かで皮膚が覆われて。そうして食い千切られたように残っていた上半身。行方不明になって、必死になって凍土を回って。やっとのことで見つけたモノがそれだった時、僕がどう思ったか。君には分かりますか?」

 

 全く笑っていない瞳で。開いているのか、閉じているのかも分からないくらい細まった瞼のその奥で、爛々と輝くその眼光。

 それを前にして言葉を失ったイズモ。そんな彼を見ては、トレッドは薄く笑った。吐き捨てるような、淡い響きを乗せながら。

 

「僕は、ただ殺してやりたいと思いました。……“リン”が受けた以上の苦痛をただ味わわせたい。それだけです」

「……あぁ、そうか。それが君のギルドナイトとしての動機だったね……。何と言うか、シグとそう変わらない感じの」

「えぇ。ただ主犯が人間だった、という点を除いて、ね。やはり僕には、シグのようには割り切れません」

「人間とモンスターじゃ行動原理が違うからしょうがないよ。欲望を満たす、といってもそれは生きるためか快楽のためかで全く違うもんね」

 

 どこか達観したかのような口振りでそう繋げるイズモの言葉に、無言を返すトレッド。そのまま、慣れた手付きで調合用風呂敷へと手を掛ける。

 全種類の徹甲榴弾と拡散弾を調合し終えたトレッドは、それらを懐のポーチへと潜り込ませた。その中からレベル1の徹甲榴弾だけを取り出し、彼の持つ銃の中へと装填する。煌びやかな装飾が為された銃が軽やかな機械音を放ち、少しだけ重さを変えた。

 一方で、丁度崖下の森から甲高い鳥の鳴き声が響く。見下ろせば、鳥の群れが勢いよく羽ばたく姿が目に入った。その様子は、まるで何かから逃げるかのよう。その一言に尽きる。

 

「……あと、二人」

「お、おい! トレッド!」

「君はさっさと村へ戻ってくださいね。アレは手っ取り早く海の方へ追いやります」

 

 ───今は、目の前のことに集中しよう。目の前のアイツを、(けしか)けることだけを考えよう。

 そう思うや否や、トレッドは崖に向けて踏み出した。足場を無くした体をそのままに、宙へと身を落としていく。崖の先々に生えた木々に掴まっては、その速度を落としながら。

 そうして瘴気溢れる森へと溶けたトレッドの姿を見ては、イズモは困ったように溜息を吐いた。いつかの、雪に塗れた村の中でシガレットと向かい合っていた時と同じような、重くやるせなさを含んだ溜息を。

 

「……その愚直さが、いつか君を殺しそうだなぁ、トレッド……」

 

 異常極まる咆哮音が響く青い空に、彼の溜息は呑み込まれる。ただただ無情に流れる潮風だけがそこにあった。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「おっ、良い香り……」

 

 じゅうじゅうと、火に炙られてはその身を温める一枚肉。溢れ出る肉汁は煌びやかで、まるで大海のきらめきだ。しっとりと表面を塗りたくる濃厚な脂が、熱によって気化され、香りに変わる。強く、太く、逞しい。そんな香りだ。

 王道も王道。大きく切り取った一枚肉(リブロース)を、そのままフライパンで焼き上げる。先に塗りたくった牛脂ならぬ竜脂に、薄くスライスしたニンニクの香り。肉より先に入れたそれらの香りが、今焼けつつある一枚肉へと襲い掛かる。その光景は、溶岩島の光景よりも、それはそれは圧巻だった。

 ───覇竜、アカムトルムのステーキ。今作っているのはそれだ。

 

「まぁーだ話し合ってるのかねぇ……」

 

 ここは溶岩島───ではなく、ドンドルマのマイハウス。自室の一角を占め上げた、キッチンだ。その向かいにある庭では、二つの影が話を続けていた。

 一人、白い鎧に身を包んだ少女。薄い金髪をひとまとめにした線の細いその少女は、はにかんだような笑顔を見せていた。つい先日俺と激闘を繰り広げ、ついさっきまで俺と覇竜討伐に参加していた少女、ルーシャだ。

 そんな彼女が手を差し出すのは、彼女の腰程度の身長に収まった小柄な影。透き通るような淡い白色で全身を包んだその影には、三角の耳とふさふさの尻尾がついている。言わずもがな、俺のオトモのイルルである。

 

「あいつらが話し終わる前に焼き上げちゃうか!」

 

 そろそろ両面に焼き色がついたところだろうか。なんて見えない裏側の状態を想像しながら、俺はブレスワインの瓶を手に取った。それをそのまま口を傾け、燃え盛る大地へと降り注ぐ。その様は、まるで火山から噴き出た溶岩が大地に流れ落ちるよう。

 フランベと呼ばれるその手法は、いよいよ熱を最大限にまで引き上げた。ブレスワインの香りと共に、肉から凄まじいほどの煙が上がり始める。さながらケムリ玉を撒いたかのように。オオナズチの吐息のように。

 

「さて、蓋をして、と」

 

 そんな大地を覆う、分厚い壁。俗に言う鍋蓋をフライパンの上に乗せ、上記溢れる大地を密閉した。そんな世界で眠る覇竜肉。さぞかしその身を昂ぶらせるだろう。

 一方で話し込んでいた二人の影は、片方の影が消えることでその姿を変えた。イルルに軽く手を振っては、庭の扉に手を掛ける。軽い足取りで、ルーシャはその姿を町へと溶け込ませた。

 そんな彼女に名残惜しそうに手を振っていたイルルだが、ようやくルーシャの姿が見れなくなったところでこちらに向かってくる。その表情は、どこかすっきりとした様子で満ちていた。

 

「何だ、ルーシャの奴帰ったのか。折角だから食ってけばいいのに」

「目の前の光景は私には理解できないから、見なかったことにしとく……って言ってたにゃ」

「はぁ……? 何だそりゃ」

 

 丁度その時、フランベの火が消えた。それに気付いた俺は、蓋を下ろしては中の肉を箸で掴む。彼女の真意が分からず、首を傾げながらも。

 肉の感触は重く、中まで繊維が敷き詰まっている様を想像させる。そんな魅力的な一枚を、あらかじめ温めておいた皿へと移した。

 

「よし、あとはニンニクを乗せれば……完成だ!」

「にゃあ~! 何だか、すっごくいい香りにゃ! ……まさか覇竜のお肉まで用意するなんて、流石旦那さんだにゃ」

「ふっ、よせやい。そんなことより、食べようぜ!」

「賛成にゃっ!」

 

 肉をそっと切れば、中から我先にと肉汁が溢れ出す。あの海のようなきらめきは、肉の繊維をより一層強調した。その細かな隙間という隙間に入り込んだ濃密な脂。それが切り裂かれる度に顔を出すのだ。

 同時に広がる、肉の強い香り。赤みを帯びた、強靭な肉の色。レア加減で焼けたそれらが、肉の切れ目から現れる。とうとう本性を現したかのような、そんなインパクトだ。

 

「おぉ……見ろよこの肉。火竜なんかとは訳が違うぞ。香りがダイレクトに俺の脳にブレスを吐いてきやがる……ッ!」

「凄いにゃ、重いにゃ……。中までぎっしりとお肉が詰まってるの、分かるにゃ……!」

 

 摘まんだそれらを見ていると、いよいよ食欲が抑えられない。俺もイルルも、涎を拭わずにはいられなかった。

 いただきます、とはっきり口にしては、その言葉の代わりのように肉を一つ、口に入れる。重く、大きなその肉が、瞬時に俺の口内を埋めた。まるで足りなかった最後のピースがはまったパズルのように、ピッタリと。

 

「……うっま……ッ!」

 

 噛めば噛むほど、強い感触が顎に伝わる。強靭な肉繊維は、生半可な力では噛み千切ることなどできやしない。ただただその弾力性に、歯が押し返されるだけだった。

 その肉の厚みに負けじと顎に力を入れると、あの脂が溢れ出す。匂いに変わって、海のようにきらめいて。先程まで見ること、そして嗅ぐことしかできなかったそれらが、俺の口の中で染み出した。とうとう、とうとうこの旨みを味わうことができる。そう思うだけで、悦びに打ちひしがれそうだった。

 適度な脂肪分を含んだそれは、噛む度にその旨さを降り注ぐ。それはもう、覇竜の吐息のように猛烈と。あの太い四肢が支えていた体の中で眠るこの肉は、火山という過酷な環境でじっくりとその身を円熟させていたのか。そう考えざるほど尋常ではない味だ。

 甘味も渋味も、苦味も酸味もそれらを全て取っ払った、ただ肉としての味を追求したようなその旨み。旨味という旨みをただただ求めたような、濃厚な味わい。霜降りが入り込んだ部分は芳醇で、繊維の絡まった部分は強い噛み応えがあり。そうして口の中で混ぜ合わさる度に、とろけるような味わいを残していく。

 まさに旨みのソニックブラスト。何という満足感。───これが覇竜肉か。

 

「……旦那さん、これの味付け、何にゃ?」

「あぁ……えっと、ただニンニクと塩胡椒を入れただけだよ」

「ほ、ほんとにゃ?」

「俺がお前に嘘ついたことあるかよ?」

「にゃあ、旦那さんが嘘ついたことのは……結構あるけど……でもこれ、凄いにゃ。それだけの味付けだとしても、凄く強い肉の味にゃ……!」

「ニンニクの香りや風味も混ざってて、こりゃ最高だな……」

 

 あらかじめ熱したニンニクが、凶悪なくらい味を擦り付けている。ニンニク特有の、鼻を抜けるようなあの香り。クセが強いながらもどこか爽やかで、肉の旨みを引き出す力強いそれが肉汁に混ざり込んでいた。

 その焼き揚がったニンニクを、肉と一緒に食べてみる。興味本位で行ったそれは、興味本位でやるべきではなかった。

 脳天に直撃する。肉の味が、ニンニクの味が。舌を通して、脳を狙い打っている。まるで神経を覇竜が潜行して、脳を突き破るが如く現れたかのような、そんな感覚だ。

 肉の脂がニンニクの味わいを、ニンニクの風味が肉の旨みを。互いに高め、互いに引き出すそのコラボレーションに、俺は唸る他なかった。

 

「美味しいにゃあ……。ルーシャさんも食べればよかったのに」

「だな、もったいないよな」

 

 何が目の前の光景が理解できない、だ。ただ美味い飯を作っているだけだというのに。それも覇竜の肉という、希少もいいところな食材だ。俺には、食べない方が理解できない。

 

「……そういえば、二人で何を話してたんだ? これが焼けるまで、随分と話し込んでいたよな?」

「にゃっ? にゃ、えっと……勝負には負けたからオトモにはできないけど、友達だよって話にゃ」

「……意外にあっさり引き下がるんだなぁ、アイツ。もっとねちっこいかと思ったけど」

 

 つい先日の闘技大会。イルルを賭けて行われたそれは、辛くも俺の勝利という形で幕を閉じた。運営すら予想外の狂竜化個体ということで、それはそれは混戦模様だったが、まぁ終わったことだしもういいだろう。

 問題なのは、彼女。美味しそうにステーキを頬張る彼女だ。ルーシャという友人を得て、その関係性に一悶着があったものの、結局元の形に落ち着いた。ここまではよい。しかし、気になることもある。

 

「大体よ、お前何でルーシャの誘いに応じたんだ? お前が断ればそれで終わりだったのに。……もしかして、俺よりルーシャの方が良いのか?」

「そ、そんなことないにゃ! ボクは旦那さんの傍じゃなきゃ嫌にゃ!」

「じゃあ何でだよ?」

「にゃ、そ、それは───」

 

 聞き取れないような声で、イルルは言葉を溶かした。まるで蒸発する竜脂の如く、そっと。

 何を言っているか分からない彼女の様子。だが、その真意を言葉にしたくないらしい。それだけは、はっきりと分かった。

 

「……ま、言いたくないなら無理して言わなくてもいいよ。それより肉食おうぜ」

「にゃっ……にぃ……」

 

 俺としては気を遣った上でのその言葉。しかしそれを聞いては、イルルは少し不満そうに顔を歪ませる。言いたいことはあるのに、気付いてほしいと言わんばかりのその表情。その様はまるで、「何か気付かない?」だとか「どこが変わったでしょー?」とか言っては無理難題を強要してくるアイツ(・・・)のようだ。

 ───とはいえそんな顔をされても、一体何を意図しているのかは一向に分からないのだが。まるで味付けのされていない豆腐を食べているような、そんな感覚さえしてくる。

 

「……でも」

「ん?」

「でもね……ボク、旦那さんが勝つって、信じてたから」

 

 ただ、その一言。何も加えていない豆腐の中に、そっと落とした醤油のような。そんな一言を前に、俺の箸は止まった。

 照れくさそうに、訴えかけるように。そうして静かに微笑む彼女の姿。加工も調味もしていないその一言に、体に擦り寄らせるようにして巻いた尻尾。

 嘘は吐かないイルルだ。ルーシャのオトモになりたかった訳ではないのだろう。何となくだが、そう感じた。

 

「……肉、冷めるぞ」

「にゃっ」

 

 皿に盛られた肉が、寂し気に香りを放つ。所在なさげな俺の意識は、その香りの方へ逃げた。思わず、右手の箸が伸びる。俺の視線は、横へとずれる。

 何か言いたげなイルルの様子。俺にはそれの意図が分からず、ただ食事を促すことしかできなかった。ただ肉を噛むことしかできなかった。

 ───一体コイツは、何を考えているんだろう?

 

 

 

~本日のレシピ~

 

『アカムステーキ』

 

・覇竜肉(リブロース) ……200g

・塩          ……小さじ2杯

・黒胡椒        ……小さじ1杯

・竜脂         ……30g

・ブレスワイン     ……適量

・モガモガーリック   ……1片

 

 






「まずウチさぁ……ちょっと、変わったんだけど……何か気付かない?」という超超高難度クエスト


イルルちゃんの内面が揺れ動いてます。シガレットはそんなこと、全く考えてないようですけどね。何か変わったとかそんな無理難題気付くわけないだろいい加減にしろ!(掌返し)
トレッドさんのバックヤード暴露回。どこまで書くべきかと物凄く悩みました。今回の更新が遅れたのはコイツのせいだ! 今までぼかしてきた幾つかの設定がこれまでに明らかになってきましたね。もうちょい、もうちょいで全部伏線回収できる……。あと、折角なので彼の御尊顔をば。

【挿絵表示】


覇竜との戦闘描写は一切なしという糞みたいな展開になってしまいました。飯テロ描写の方では大活躍してくれたと思っております。アカムさんとの戦いを描くと、2万字なんて軽々と超えるんだよなぁ……。
いつもより多い文字数、そして遅れた更新になってしまいました。申し訳ありません。
それでは、また次回の更新で会いましょう!

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