季節は、夏です(迫真)
カランと、グラスが鳴った。
大きな氷が、まるで氷海の氷塊のように浮いたこのグラス。味わい豊かなボコボコーラを滴らせたそれが、落ち着いた店の雰囲気の中で静かに木霊する。
ドンドルマの路地裏。そこに位置する、小振りなパブ。居酒屋と言ってもいいかもしれない。そう思わせるほど、粋なメニューが並ぶ風情ある店だった。
酒、ドリンク、肉、魚、つまみ。
何でもござれと言わんが如く立ち並ぶその圧巻なメニュープレートに、俺は舌を巻いた。初めて入った日のことを、未だによく覚えている。それもそのはず、この店はユクモ村から直接仕入れている品も多くあり、相応に品数も多岐に渡るのである。
「どうよ、産地直送のボコボコーラ。美味いっしょ?」
「……お前のそのうざったい軽口さえなければ最高だ」
ぐいっと飲み込めば、激しい気泡が俺の口内で暴れ回る。その一つ一つが勢いよく弾け、その度に喉を、その奥に潜む神経を刺激する。泡が弾ける度に爽やかな味わいを残していき、それが非常に心地良かった。
溢れる甘みもまた際立っており、激しい炭酸によくマッチしている。流石はドリンク屋の人気ナンバーワン商品だ。その人気ぶりも頷ける。
それと一緒に口に入れる、刺身のようなもの。お通しとして出されたそれは、柔らかく、芳醇な脂身を持ち、同時に何とも不思議な滑らかさを持ち合わせていた。
そっと口に入れると、サラリと溶ける。滴る脂はまるで上滑液を思わせるような滑らかな口どけで、濃厚な肉の甘みを口の中で広げていった。口内で石鹸を塗りたくるような、そんな勢い。だがその石鹸に、旨味がある。そんなイメージだろうか。
一体何の肉なのかは分からないが、その食感や味は魚の刺身に近かった。魚肉ではないのだろうが、淡泊な味わいやとろけるような口どけは、まさに魚のそれだ。ボコボコーラにはあまり合わないものの、単体として見てもかなり美味い。これも、ユクモ村から産地直送を経てやってきた食材なのかもしれない。
「……大体、お前が作ったものじゃないだろ、イズモ」
「まぁそうだけど。でも一緒にドンドルマまで来たしね?」
そう言っては、俺の横の席に座る彼――イズモは悪戯っぽく笑った。
ユクモ村とドンドルマ。この二つの集落は、実は驚くほど近場にある。何と、陸路でも一日あれば到着してしまう程近いのだ。噂には聞いていたが、イズモがそれを利用して度々ドンドルマに訪れているあたり、その噂は真実なのだろう。
「……んで、どったの? シグが悩みなんて珍しい。それも、オレに相談するなんてねっ」
「うるせぇな……。こちとら本気で悩んでんだぞ……」
「折角居酒屋の席までとったんだしさ、ゆっくり話しなよ。……まぁ、所詮はカウンター席だけど」
目の前では、筋骨隆々の男が何やら細かな作業をしていた。このパブのマスターらしい彼は、その見た目とは正反対の、何やら繊細な作業を続けている。見たところ、他の客に出す品のようだが。
ふと、彼と目が合った。濃密に髭を生やした彫りの深い彼が、ニコッと笑う。自分のことは気にせず話せ、とでも言うように。
「……あのさ、最近新しい友人が出来たんだ。ネコ好きの」
「お、シグに友達? やったじゃん! それでそれで? 男? 女?」
「……女」
「ヒュゥ! とうとう新しい女に手を出す気になったのかぁ? 心の整理に時間掛け過ぎだろー!」
「うるせぇ、そんなんじゃない。問題はそれじゃなくて、そいつから持ち掛けられた相談なんだよ」
「……は?」
早くも興味をなくしたように、イズモから枯れた声が漏れる。
そんな彼の様子も気にせず、俺はその件について話し始めた。つい先日友好関係を結んだ相手、あのベリオXシリーズに身を包んだ少女、ルーシャとの。
◆ ◆ ◆
「――ねぇ、シガレット」
「……お、えっと、何だっけ。しゃ……シャーベットさん?」
「そうそう、キンキンに冷えた爽やかな甘味~……って誰よそれ! ルーシャよ、ルーシャ! ……確かに、ベリオ装備は氷っぽいけどさぁ」
「ルーシャ、か……悪い。で、何だ?」
「あのさ、この前のこと覚えてるよね? 私が連れ帰ったメラルー……クゥちゃんのことなんだけどさ」
「クゥちゃんって名付けたのか、可愛いじゃん」
「でしょ? もうほんといい子なんだよ! 毎日頑張って仕事してくれるし、私のことも癒してくれる!」
「……つまり、互いのネコ自慢しようぜ的なそんなノリか? よし分かった、ウチはな」
「あぁ、違う違う。そうじゃなくて、何て言うか、悩みを聞いてほしいの」
「……は? 悩み?」
「そう。えっとね、こういうこと聞いてくれるの、分かってくれるのはシガレットくらいしか思いつかなくて……」
「分かった、聞こう。ネコ絡み、だな?」
「……っ! ありがと、シガレット! 貴方ならそう言ってくれると思ったわ!」
「いいってことよ。で? 何だ?」
「最近、クゥちゃんがちょっと臭うの」
「…………あん?」
「何かね、ちょっと臭うの! お風呂嫌いな子だから頻繁にお風呂に入れられてないけど、でも入れてるの。それでもちょっと臭うの!」
「え、えーっと? つまり、ネコのにおい相談?」
「そう!」
「はぁ……何でまたそんな……。くさい感じ?」
「くさいっていうより、独特な感じ? こう、むわっとくるような。何でかな、暑くなってきたからかなぁ?」
「もう夏だもんな、少なからず影響してるのかも。……何か変わった仕草とか、癖とかあるか? そういうのって、結構関係するやもしれん」
「うーん……どうだろ。至って普通のネコって感じなんだけどなぁ」
「あの時の石灰か何かも、ちゃんと洗ったんだろ?」
「もちろん! ……えと、あとは……最近毛繕いしてるのが多いかなぁ」
「……うん? 毛繕い?」
「うん、毛繕い」
「……もしかして、それじゃね?」
「……え?」
◆ ◆ ◆
「……つまり、どういうことなんだ? オレにはさっぱりなんだけど」
「アイルーの体温調節を知ってるか?」
「え? えーっと……?」
粗く説明しながら、それとなくイズモに聞いてみた。アイルーら獣人の体温調節の方法。今回の話のミソは、そこにある。
彼は見当も付かないといった顔で、困ったように眉を曲げてみせた。彼はオトモを雇わないハンターだ。こういった事情にはあまり詳しくないのかもしれない。
「アイルーたちはさ、自分の体舐めて、唾液の気化熱で体温下げるんだよ。夏場では特に」
「それって……つまり」
「あぁ。舐めまくるからにおいがするってわけよ」
役に立つかどうか分からない雑学を前に、イズモは少し感心したかのような声を上げた。納得したのか、軽く舌を巻いては感嘆の言葉を漏らしている。
冬よりよく洗っているのに、夏の方がネコが臭う。案外、よくある話題なのかもしれない。ルーシャの話がそうであったように。
「……あれ? 謎が判明したからにはそれで問題解決じゃん? 何でオレに相談なんか?」
「最近、イルルがちょっと……」
◆ ◆ ◆
原生林。本日もまたジメジメとした熱気に包まれたその世界は、入るもの拒まずと言うように風を鳴らした。所狭しと木々が立ち並び、巨大な滝壺は怒号を上げる。
桃色の鳥が飛び交い、巨大な昆虫が羽音を奏で、どこか森の奥からは何か獣のような声が響き渡り――――。
原生林は、本日も
「……なぁ、何でここに来たんだよ」
「臭いが原因なんでしょ? だったら、良い匂いを用意すりゃいい話ってね」
何かの討伐依頼をドンドルマに置かれたクエストボードから受け取って、俺をも巻き込んでこの原生林まで運んできた彼、イズモは屈託のない笑みを浮かべた。水に浸る大地を踏み鳴らしては、興味深そうに辺りを見渡している。
元々彼は、ユクモ地方で活動するハンターだ。ここらバルバレ―ドンドルマが管理する狩場には縁がないらしい。故に初めて見るため、興味が絶えないのだとか。
「良い匂い、ねぇ。ババコンガでも探してんのか?」
「ウンコヤローには用はない。何か最近ここのババコンガの情勢が不穏って噂も聞いたけど、まぁ関係ないね!」
「……じゃあ一体何だ? 皆目見当つかないんだが」
「ふっふーん。いやまさかね? さっき食べたアレが……この装備の元となったアレがね? この地方にまで来てるなんてね? 流石のオレも驚いたよ」
そう言っては、装備披露でもするかのように両手を仰がせ、着込んだそれをまじまじと俺に見せつけてきた。
紫色を基調とした毛皮素材に、白とも薄紫とも言えない透き通った色の材質。赤や黄色の装飾が入り混じり、その統一感は一種の芸術品を思わせる。如何にもユクモ風の、気丈で風情ある装備。
「何だっけ……ミツネシリーズだったか?」
「それのS版! 動きやすいし高性能だよっ! 格好良いだろ?」
「……いっそのこと狐の面も被れば? その方が格好良いぞ」
「むっ、オレの顔に何か文句あるのかよー!」
プンスカという表現を余すことなく活用した怒り方。それを振り上げては不満を垂れる彼の横を通りながら、適当に返事を飛ばす。原生林奥の、エリア3に向かいながら、そっと。
「冗談だ。何で恋人が出来ないのか不思議な顔がそこにある」
「……おっ……ま、まぁね。オ、オレイケメンだし?」
「声震えてんぞ」
「う、うるせぇやい!」
エリア3は、高台に囲まれた泉の空間だ。紅蓮の花びらが天から舞い降り、麗水で滴るこのエリアを優しく彩る。いつ見ても風流な光景だった。
一方、その花と同じように照れては顔を赤くするイズモ。怒ったり、照れたりと
「……オレは彼女作れないんじゃなくて作らないんだよっ」
「いない人間はみんなそう言うよな」
「オ、オレは違うぞっ!? オレはヴェルドにいた頃から――」
「シッ、何かいる……」
このエリアの奥。飛竜の巣へと続く絶壁の前。桃色と紫色を贅沢に纏った影が、微かに動いた。
気配を悟られる前に気配を消す。狩りの鉄則だ。
喋ることに夢中になっているイズモの言葉を妨げてでも、その鉄則を優先する。掌で無理やり閉じた彼の口から、微かに鼻息が漏れた。
「アレか? イズモ」
閉じさせられては開けられない口の代わりに、彼は頭を大きく縦に振る。
花弁のような頭部。狐を思わせる、澄ましたような形の良い顔。優美な背びれに、豊満な体毛。他の海竜種より、陸上慣れしているかのような体躯に、俺は思わず生唾を飲んだ。
アレがイズモの言っていた、彼の装備の基となったモンスター、タマミツネ。つまり、あの居酒屋で食べたそれの生きた姿、となるのだろうか。
「ふはっ……シグ、アイツは感覚が鋭い。奇襲は多分無理だと思うよ」
「……みたいだな。目が合った」
はっと振り向いたタマミツネ。その宝石のような瞳が、一心に俺たちを見た。見慣れないモノがいる、とでも言わんばかりに眉間を
海竜種の中ではとりわけ大きいわけでもなく、小さいわけでもない。とはいっても、その足取りは修羅場を潜り抜けた者たちのそれだ。このモンスターの強さというものを、垣間見せられる。
「ホオオォォォォォッ!」
吠えた。奴が、その甲高くしゃがれたような声で、吠えた。咆哮がこのエリアを飛び交い、旋風が舞う。
――その旋風に乗って、香りがやってきた。柔らかな甘みを思わせる、澄んだ香り。仄かに香るそれは、俺の鼻孔を優しく撫でる。
花のような、蜜のような、自然らしさ溢れる良い香り。市販の香水のような合成臭さが全くない、鼻に優しい香りだった。
「おぉ……良い香り……」
「でしょ? コイツを使えば、何とかなるんじゃねっ?」
「可能性あるな……。よし、狩るか!」
「よしきた!」
タマミツネとの距離を埋めるよう、走り出す。俺は盾のベルトを締めながら。イズモは太刀の柄を握りながら。
同時に奴も動き出す。迫り来る俺たちを迎え撃とうと、その体躯を持ち上げた。かと思えば、猛然と突進を繰り出し始める。その四肢で大地を力強く搔きあげて――。
いや、走っていない。滑っている。――滑っている?
「うぉわッ!? 何だコイツ!」
「コイツは別名『泡狐竜』って言ってな、泡を使うんだ!」
「泡っ!?」
「泡を飛ばしたり、石鹸みたいにヌルヌルしたり……面白いぞ!」
イズモの言葉の通り、奴は全身に泡を纏っていた。紫色の体毛に覆われた尾を振り撒いては、泡をどんどん沸き立たせる。まるで石鹸を擦ったかのように溢れ出る無数の泡は、この幻想的な世界を眩く彩っていく。
かと思いきや、タマミツネは大きく口を開けた。その口から飛び出たのは、またもや泡。人間のサイズを悠に超えた、巨大な泡。
「やべっ……」
地面と平行線を描くように、横へ大きく跳んだ。迫り来るそれを何とか躱し、ふぅっと小さく息を吐く。
全く見たことのない攻撃方法だ。他の海竜種とは似ても似つかないその動きに、俺は冷や汗を垂らした。
泡狐竜、タマミツネ。初めて会った奴は、俺の想像を遥かに超えたモンスターだったのだ。
「大丈夫かい? あのデカい尻尾、アレが危険だ。尻尾動かしたら注意してね!」
「尻尾……? 良い感じにもふもふしてるアレか、了解」
彼が言うのが速いか、奴はその尾を大きく引き絞る。まるで力でも溜めるようなその動作に、俺は警戒を込めて盾を構えた。
瞬間、奴の体が動き出す。長い身体を横に滑らせては、その尾を振り回す大技。生物の運動性能を超越したようなその動きが、俺たちに襲い掛かってきた。
「チィ……なんじゃそら!」
「シグ、滑んなよぉ!」
その長大な尾と盾が触れる瞬間。そのあまりある衝撃を察した俺は、瞬時に後ろに飛ぶ。そうして何とか躱したその隙を縫うように、回転切り上げを、奴のその頭に打ち当てた。
所詮は片手剣の軽い一撃。奴は我関せずと言わんばかりに、これといった反応を示さない。
それと同時に、気付いていなかった。あの尾を踏み台にして跳んだイズモが、上からお前を狙っていることに。
「隙ありぃ!」
「フォオゥッ!?」
鋭い光が閃き、奴の首筋を走るように斬り裂いた。水に滴るこの空間に、雷の激しい光が灯る。
イズモが背負うは鬼哭斬破刀・真打。鋭利な電撃を纏う、優秀な太刀だ。その如何にもユクモ風なデザインが、彼の装備に驚くほどよく合っていた。
そんな彼が、宙を舞う。上空から、その太刀を振るい続ける。怯んだ奴の傷口を抉るように。
「シグ、大回転斬りいくかんな!」
「先に言ってくれて助かるぜ!」
横に大きく切り結ばれたそれは、円を描くようにタマミツネを苦しめた。舞い飛ぶ鱗が、静かに水に落ちていく。
それをも払うように宙を薙いだ太刀は、白い蒸気で覆われていた。イズモが練ったらしいその気が、太刀の鋭さをより洗練させる。高速で振られたそれは摩擦によって蒸気を生んで、その刀身を静かに唸らせた。俺の斬撃より一層煌びやかな光が、原生林に咲いていた。
だが、美しいだけでは終わらない。同様に華やかな泡狐竜が、大きく息を吸ったのだ。見れば奴は怒り心頭。薄いヒレを真っ赤に充血させ、怒気を込めた咆哮を撃ち放つ。
「フォオオオオオォォォォッ!!」
「うわっ、耳がっ……!」
「チッ、鬱陶しいわ!」
瞬時に起動した高級耳栓。それが俺の耳を覆い隠し、その鋭い咆哮から守ってくれた。
こちらの動きが妨げられなければ、奴の咆哮などただの隙晒しにしかならない。喉を震わすことに夢中な奴に昇竜撃を当てるのは、今の状況なら朝飯前だった。
撃ち当てられた、緋色の盾。古龍の骨を埋め込んだその重厚な盾に、奴の花弁が花を咲かせる。下顎を無理矢理押し上げられ、奴は自分の舌を噛んだようだ。口から鮮血が漏れ溢れ、泡狐竜は呻き声を上げた。
「おっ、シグナイス! さっすがぁ!」
鳴り止んだそれに気付いては、イズモは再び駆け上がる。
隙を晒した泡狐竜のその前脚を踏み付け、またもや奴の上をとった。縦横無尽に走る太刀が、タマミツネに襲い掛かる。
「……ッ、イズモ! 待て!」
「あぇ? ――あがっ!?」
流石に二度目をやすやすと受け続ける奴ではなかったか。
イズモの大回転斬りと同時に、奴は宙を舞った。自慢の尾を振り上げるようなその一撃は、俺とイズモをまとめて打ち上げる。その突然の衝撃に、防具が悲痛な声を上げた。
「いってぇ! こんにゃろ!」
「すっげぇ動きしやがんなぁアイツ……って、へ?」
悪態をつきながら身を起こす――はずが、するりと滑る。腕がすっぽ抜けたように、支えが消えた。同時に転がる、俺の体。上手く立てない。体が滑る。
見れば、俺の全身は泡だらけだった。防具もマントも、義足でさえも。全身に泡が纏わり付き、身体の自由を奪っている。転ぶ勢いが収まらず、そのまま滑るように動き出した。
「うおおぉ!? な、なんだぁ!?」
「あっはははは! 何だシグそれ、全身泡塗れじゃんかよぉ!」
「う、うるせぇ! 何でお前は無事なんだよ!」
「この装備のおかげさぁ、おっと! ほらシグ、来るぜ!」
「ちっくしょ……! こんな時に……ッ!」
鎌首を上げるタマミツネ。再び口内に何かを燈し始める。
先程の泡とは比較にならない、高密度の何か。もはや泡という範疇を超えた、強烈な水流。それが奴の喉の奥から込み上げていた。
その様は、孤島で見かけたガノトトスを彷彿とさせる。少し違うのは、奴の方がより柔軟で、その長い首を自由に振り回していること。
「って、薙ぎ払いッ!?」
「シグ、背中借りるよ!」
「は? ちょっお前嘘だろ、へぶッ!」
突然、イズモが俺の背中を踏んだ。と、思えばそのまま跳躍。突然の上からの衝撃に、俺の体は地面に押し付けられる。
泡が割れ、水面が弾けて。まるでハンマーの振り下ろしのように全身が水に叩き付けられ、俺の視界はものの見事に水没した。鼻に水が入ったのか、ツーンと鈍い痛みが響く。
一方のイズモといえば、俺を土台に再び天高く跳躍していた。
薙ぎ払われた水流を、イズモは高く跳ぶことで、俺は水に沈んで躱す。そんな俺を犠牲に、前者の奴は、三度目の滞空気刃斬りを撃ち放った。ブレスの隙を晒す奴の、その喉に。
「キィィエェッ!?」
「しゃあ! 手応えあり!」
とうとう血飛沫に染まったその太刀を振りかざし、イズモは雄叫びを上げる。真っ赤な鮮血で滴るそれは、まるで妖刀だ。その悍ましい威圧感に、タマミツネは戦慄したのか、首から血を
――いや、戦慄じゃない。戦意だった。
後方に飛ぶと共に、再びあの泡を作りだす。人間大のそれを勢いよく飛ばし、イズモの視界を覆い隠した。
「イズモッ!」
「大丈夫! この装備の前には、こんな泡無駄無駄ぁ!」
「違う、尻尾だ!」
「ほっ?」
その泡は、ただの布石。囮でしかない。奴の本命は、その自慢の尾だった。
奴を覆う泡が紫色の光を帯び始める。そうかと思えば跳躍。泡による推進力に回転力を加えたそれは、乱回転しながらかつ確実に、泡を振り払うイズモへと襲い掛かる。ラギアクルスもかくやという凄まじいまでの乱回転に、イズモは。
「そぉい!」
「はっ??」
刃を、さながら地面を撫でるように構え、尾が触れる瞬間それを振り下ろした。さながら、カウンターのように。奴の呼吸に合わせるように。
桜の花びらが舞い上がった気がした。いや、そんな可愛いものじゃない。舞い上がったのは、もっと生々しいもの。そう、尾だ。その突然の斬撃に、紫に染まる極太の尾が、何と宙を舞う。同時に舞い散る大量の泡と水が、このエリアに淡い雨を滴らせた。
◆ ◆ ◆
「イルル! 風呂入るぞ!」
「にゃ、にゃっ!? と、突然何にゃ!?」
後処理を全てイズモに押し付け、早々とネコタクで帰還した俺は、自室のソファーの上でせっせと毛繕いをしていたイルルに開口一番そう言った。
何事かと驚くイルルの両脇を掴み、そのまま庭まで運んでいく。軽い彼女を庭に置いたたらいに押し込めて、温かいお湯で隙間を埋めた。状況に頭が追い付いていないイルルは、ただただキョロキョロと忙しなく首を動かすだけだった。
「ふにゃ……あったかい。って、違うにゃ! 何にゃ急に!」
「新しい石鹸を作ったんだ。……石鹸つってもまだ固まってないから、半固体みたいな奴だけど」
「な、何でボクに!?」
「お前が良い匂いになったら俺が嬉しいからだ」
「い、一方的にゃ……!」
元々お風呂好きのイルルは、他のアイルーのように抵抗することはあまりないが、文句を抱かない訳ではなさそうだ。非難染みた目で俺をじっと睨んでくる。
そんな視線も意に介さず、俺はポーチからカラ骨を取り出した。中にお手製石鹸が詰まったカラ骨を。
「にゃ、ふやぁ……良い匂いにゃあ……。旦那さん旦那さん、これ何にゃ?」
「これはな、タマミツネっていう海竜種の素材を使ったんだ。花みたいに良い香りだろ?」
「これ、これ凄いにゃ! 何だか笑顔になっちゃう香りだにゃ~」
石鹸を完成させるなら、最低でも月単位で寝かせるのが望ましい。しかし俺の手にあるこれは、十分に固まらせるほど時間を与えてはいなかった。骨を裂いて中のモノを出すも、それは半固体状。トロトロと、まるで液体のよう。
それを徐に、イルルの首周りへと擦り付ける。お湯に濡れてべっとりと張り付くそれが、柔らかな泡に絡み始めた。わしゃわしゃと毛を掻く度に、泡がどんどん溢れだす。同時に舞い上がる、ふわりとした華やかな香り。
透き通るようで、撫でるようで。濃密な花の蜜を凝縮したようなその深い香りは、俺やイルルの鼻を縦横無尽にくすぐった。その美しさは、妖艶なる舞のそれだ。
「にゃ~、これたまんないにゃ。ふあぁ、幸せ……」
「鼻が良いアイルーには強すぎるかと思ったけど、杞憂だったかな」
「大丈夫にゃ! 全然おっけーだにゃ!」
イズモが何度も斬り裂いたタマミツネの首。その脂身を火にかけ、油が抽出され始めたら集めた灰と水を混ぜ合わせる。それができたら、濾過した灰汁と泡狐竜から獲れた泡立つ滑液を少しずつ加え、
落とした液体がまるでホットケーキのタネのように、後を残すようになれば、何か手頃な容器に詰め冷ませばいい。そうすることで、この泡狐竜石鹸は完成するのだ。
その石鹸をふんだんに使って全身を洗ったイルルは、何とも嗅ぎ心地の良い香りに包まれていた。抱き締めると柔らかな甘みのような匂いが広がり、とても心が安らぐ。
乾かした毛並みの触り心地も筆舌し難く、いつまでも
「にゃあ……旦那さん、くすぐったいにゃ」
「何かもう、イルルが可愛すぎてな……やばいこれ」
腕の中のイルルがにゃんと鳴く。そんな彼女の柔らかな毛並みに包まれ、俺はやっとやっと、息が詰まるような悩みから解放された。
そんな俺の意図を知らない彼女は、困ったように笑いながらも俺から離れようとはしない。心地よさそうに、俺の首筋に頭を摺り寄せる。もちろん、俺とて離す気はない。そっと力を込めて、彼女の小さな体を抱き寄せた。
豊満で上質な毛で覆われ、柔らかく温かい体を持ち、そこから放たれる和やかで艶やかな花を思わせる匂い。俺の腕の中で安らぐイルルは、何とも愛おしく、同時に――――。
「――美味そう」
「にゃ!? ひゃ、やぁ、やっぱ離してにゃーっ!」
~本日のレシピ~
『泡狐竜石鹸』
・泡狐竜の脂 ……300ml
・泡立つ滑液 ……300ml
・草木灰 ……150g
・水 ……150ml
ダン飯リスペクト。
実は、このミツネちゃん下位個体。弱い。
久しぶりにイズモさんを活躍させれて個人的には満足しています。エリアル太刀って結構楽しいんですが、プレイ動画は驚くほど上がってないんですよね。やっぱ火力は劣るのかなぁ。イッテンミツルギスタァールッッみたいで格好良いんですけどねぇ(´・ω・`)
ドンドルマとユクモ村の距離ですが、一日で行けることは確か。しかし移動手段は明らかではないようです。今回は陸路ということにしましたが、本当は飛空艇かも? 城塞都市ヴェルドはもっと遠そうですね……。
今回はネコテロ締めでした。話のネタは猫飼いさんから聞いた話。臭かったそうです。でも調べたら唾液の消臭効果とかあってうっそだろお前! これもうわかんねぇなぁ(悟り)。モンハン世界はやっぱり衛生面とかの課題は多そうだから、こういうネコ事情もあるのかもしれませんってことで落ち着けました。それとも、前日に餃子でも喰ったのかも(なげやり)
皇我リキさんによるルーシャさん。相変わらず可愛いイラストで、嬉しい限り……。
【挿絵表示】