モンハン飯   作:しばりんぐ

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イビルさんの二つ名導入欲しかったなー。





霜を履みて凍土へ至る

 

 

 その夜、凍土に最も近いこの村は、不穏な空気に包まれていた。村をすぐ出た先に、ギルドが狩猟に規制を設けるほどのモンスターがいる。その思いが、村民の意識をより凍て付かせていた。

 耳の中で反響するような音を立てる吹雪は、その勢いをより増して。時間に比例するように増える雪は、さらに背を伸ばしていく。

 ──誰も彼も家から出ようとしない、そんな夜だ。通りにも、路地裏にも、アイルー一匹すらいない。それが、俺にとっては都合が良かった。

 

「……何処に行くんだい?」

 

 誰にも気付かれない、そう思ってこの時間を選んだのだが、その思いは志半ばで消え去った。この村に設けられた小さな役場──ギルドの情報を整理するこの小さな施設の外で、俺を待っていた人物がいたからだ。

 雪を散らした黒い髪。白と紫を基調とした、如何にもユクモ風の装備。背中に長い太刀を背負った、若い男。あまり会いたくなかった奴が、そこにいた。

 

「……イズモ」

「こんな吹雪の中でお散歩~ってかぃ? ……そんなわけないよなぁ? そんな平和な理由なら、わざわざそんな装備引っ張り出して来ないもんねぇ?」

 

 わざとらしい口調で俺を冷やかす彼だったが、その瞳は何時もとは違った。これから起こり得るであろう事態に気付いた、覚悟を決めたような表情だった。

 そんな彼の顔を、目深に被ったフードの向こうから見ては、俺は呆れたように笑う。

 

「散歩だよ。ちょっと凍土まで、な」

「七星剣斧【開陽】、そしてネブラXシリーズ……。まだ持ってたんだね。わざわざそんな昔の装備出してまで、凍土へ散歩かよ?」

片手剣(デイズアイ)、置いて来ちまったからな。猟場に取りに行くんだ、それなりの装備を着込むもんだろ?」

 

 互いに引かない軽口の交わし合い。だが、お互い腹を探るまでもない。イズモも気付いているだろう。俺がわざわざ、この吹雪の夜に出てきた訳を。

 

「──何で敢えて昔の装備を使うんだ? タンジアギルドから離れた君がさ」

「やり残した……と言うべきかな」

「……やり残した?」

 

 雪が掛かるフードを少しずらし、足まで掛かるコートを揺らしながら、俺はもう一度イズモに向き直した。住民も、相棒のイルルさえも眠りについたこの時間。そんな中でも俺が来ることを見越していた、友人の誠意に応えるように。

 

「俺にとって、タンジアで最後に受けたあのクエストはまだ終わってないんだよ。この手でアイツを仕留めなきゃ……俺は────」

「……アイツとの戦闘はあまりに危険だって、ギルドがそう定めてるじゃん? わざわざ規約違反までしてそれを侵すのかい?」

 

 あの個体──隻眼のイビルジョーは、ただの個体ではない。普段よりもより黒ずんだその体に、他に類を見ない筋量、そして圧倒的密度の龍属性エネルギー。

 そう。分かりやすく言うならば、あのモンスターはギルドから二つ名を与えられるほどの危険度と認知されているのだ。

 

「シグがバルバレを──()いては大老殿を目指したのは、特別許可証の取得が目当てだったんだろ? アイツを狩猟するための……」

「そうだな。タンジアギルドが許可に渋る個体だからな。正式に狩るならハンターズギルドの最高機関、大老殿しか方法はないだろう」

「……だったら、今わざわざ行かなくてもいいじゃんかよ? どうしてそんな危険を冒してまで────」

「ハンターならさ、村に迫った危険を放置するわけには行かないだろ?」

 

 フード越しに村の外の、凍土の方へ目を向ける。

 するとそこから、吹雪に混じった竜の遠吠えが村へとやってきた。まるで竜と竜が争っているような、不穏な轟音だ。いつこの村も巻き込まれるか分からない。そう感じるのは、きっと俺だけじゃないだろう。

 しかし、そんな俺のもっともらしい言い訳も、付き合いの長いイズモには通じないようだ。

 

「よくもまぁらしくもないことを易々と……。んで、本音は?」

「一刻も早く殺したい」

 

 息を吐くようにあっさりと。そうやって漏れた俺の本音に、イズモは困ったように溜息をついた。やっぱりと言わんばかりに頭を掻きながら、いつか会った時のように腰のポーチから紙の束を取り出し、俺に突き付けてくる。

 それは、何の変哲もない凍土の採取ツアーに関する書類だった。どこのギルドにも、どこの役場にも基盤として用意されているクエスト。駆け出しからベテランまでお世話になる採取クエストだ。

 

「……オレにはお前を止める権利がないから、これ以上は口を挿まない。だけど、せめてこれに印を押してきなよ。如何にアイツと言えど、密猟っちゃあ密猟になっちゃうからさ」

「え、まさか……わざわざ役場から盗んで来たのか?」

「スラムの盗人育ちが、こんなところで役立つなんて皮肉だよねぇ。ほら、早く押しな」

「違いない。……助かるよ」

 

 ギルドの管理を介さねば、狩猟地に出向いた狩りは密猟と見なされる。そのためモンスターを狩るには、ハンターとギルドそれぞれ印を押して互いに了承しなければならない。

 俺は俺が持つ、俺が狩りに行くという証明たる印を。ギルドはそれを認める印を。ただしそれは、今だけイズモの手にあるのだが。

 

「取り敢えずこれで書類上の正当性は用意できた。あとは……まぁ、上手いことやれよな」

「最悪、村の存在を天秤にかけるさ。"ルールを守って村が滅ぶのを黙って見ていました"……なんてシャレにならないし」

「それもそうだね。……ま、それも討伐隊が組まれるまでだから時間の問題かな。こんな吹雪だから、いつ到着できるかは知らないけどね」

 

 ギルドからの討伐隊。それが現れれば、俺の行動は異端以外何者でもなくなる。まぁ、こんな不正手段で正当性を得ている時点で問題だらけなのだが。

 とにかく、今このタイミングを逃す訳にはいかない。昼間こそ、古龍観測号に丸見えだったため戦うに戦えなかったが、今は違う。

 吹雪に包まれた深夜──これなら、ギルドの眼にも映らない。

 

「この紙は、こっそり戻しておくから心配するな。指紋対策もしっかりしてるしねっ!」

「……お前がこんな頼りになるとは思わなかったよ。んじゃ、行ってくる」

「いいってことよ。……だから、死ぬなよ」

 

 薄い手袋に包まれた両手を振りながら、イズモは俺を見送った。体にかかる雪も気にしないで、むしろこれから起こることばかりに気を掛けて。

 そんなどこか滑稽な協力者に感謝しながら、俺は再び歩き出す。前しか見えないように、フードをもっと深く被って。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 恐暴竜、イビルジョー。

 それは俗に言う古龍級生物であり、全生物にとっての危険そのものでもある。何といっても特徴的なのが、そのあまりある食欲だ。動き続けるためには何か食べなくてはならないのは、生物にとって当然とも言えることなのだが、奴だけは度が過ぎている。必要とする摂取量の桁が違うのだ。

 なお、これは通常種の話である。

 

「寒っ……」

 

 だが、この一面銀世界の中で佇むあの黒々しい個体は、今言ったような通常種とは一線画していると言えるだろう。

 

 アイツは、かつて水没林近くにあった俺の故郷を喰らい尽した、俺にとって最も因縁深いモンスターだ。あの左目に突き刺さった封龍剣【絶一門】が、何よりの証明となっている。あれは紛れもない、俺が奴に刺したもの。今より十年近く前の話だが。

 

 先程イズモにも指摘された通り、俺がバルバレに拠点を変えたのは、ゆくゆくは大老殿に属し、G級特別許可証を取得することが目的だった。タンジアギルドは奴を危険視するあまり、ハンターに狩猟制限を設ける──つまり奴の狩猟権を外部へ譲渡するという、頭の固いルールを作ってしまった。故に俺は、変えざるを得なかったのだ。

 現時点ではその目的にこそ到達出来ていないが、俺にとってはそれはあくまでも手段であり、本来の目的はあのイビルジョーの討伐である。段階を飛ばしてしまったが、これはこれで好都合かもしれない。

 奴が現れた。ギルドも情報が錯綜しており、規制が追い付いていない。

 ──狩るなら、今だ。

 

「久々のスラッシュアックスだな。……だけど、やっぱり馴染み深いね」

 

 当時の俺はギルドマスターや"あいつ"の制止を振り切って奴に挑み、見事に返り討ちに遭った。幸い大怪我だけで済んだものの、当然その単独行為はギルドの懲罰対象で。

 結果、俺のギルドカードは初期化された。今までの狩猟履歴も、ハンターランクも全て抹消されたのだ。制度的に、俺の行動を制限するために。

 

「剣も斧も……いけるな、よし」

 

 そんな失った経歴の中で使っていたのがこの剣斧──七星剣斧【開陽】。あれからこっそり持っていたこの武器。この時のために、持ち続けていた武器。

 守りをかなぐり捨てて、ひたすら攻める。それがスラッシュアックスだ。

 当時の俺は、そんな謳い文句に惹かれてこの武器を手にした。

 その時こそ、いつかグラビモスのシチューを作った時に漏らした、命に対する感謝などまるで考えなかった俺だ。トレッドの言っていた、モンスターを殺すことしか考えてなかった、俺だ。

 

 あの時、モガの村で会った村長の顔が不意に過ぎった。彼はあの時何を言いかけていたのか、今ならはっきり分かる気がする。

 そう。きっと、彼が言いかけていた言葉は────。

 

 ────復讐だ。

 

 

 

 

 

 

「“淆瘴啖(ましょうたん)”イビルジョー……」

 

 四肢を消し飛ばされた氷牙竜。その血肉を食い漁る奴──淆瘴啖と目が合った。

 黒紫のコートを浮かし、俺は背中の大斧を突き付ける。一方の奴は、頬張っていた内臓をごくんと呑み込んで、ゆっくり俺の方に向き直した。

 そんな奴の背後には、悍ましいくらいの死体の山が築かれている。昼間に俺たちが相対したボルボロス亜種は勿論、骨が剥き出しになったギギネブラ、そして長い身を引き千切られたアグナコトル亜種まで。

 

「まさに死屍累々ってか? 一体どれだけ命を積めば気が済むんだか」

「グゥルルル……」

 

 薄く透き通るような刃。その白に、おどろおどろしい紅が溶け込んでくる。光を失った左目からは、赤黒い血液が垂れ続け、爛々と光る右目は血走りながらも俺を見据えていた。

 黒と緑と紫を混ぜ合わしたようなその体には、古いのも新しいのもごちゃ混ぜにした傷が並び、そこから我先にと血が溢れている。ドス黒く、龍属性を纏った不気味な色だ。

 

「──やっと、見つけた。やっとお前と戦える」

 

 ずっと待っていたこの瞬間に、俺の心は静かに震え始めた。タンジアにいた頃から──いや、タンジアから離れても、ずっとコイツを殺すことだけは忘れなかったのだ。村を、民を、家族を。全て喰らったコイツを仕留めるまで、俺は。

 

 瞬間、俺の目に飛び込んできたのは、奴のその狂気的な口。俺の殺意も復讐心も、奴には全く届いていない。奴にとっては、俺もただの飯でしかないのだろうか。

 そんな忌々しい口を(くぐ)り抜け、そのままがら空きの腹へと(もぐ)り込んだ。筋張った腹が俺へと迫り、垂れる鮮血が降り掛かる。──それを振り払うように、俺は斧を大きく振り回した。

 

「はっ! ……チィ、肉が重いな」

 

 右、左、右と振り回したところで、斧を振る手を止める。鈍い感触をそのままに、今度は横へステップし、その腹の下から退避した。見れば、腹の虫ならぬ腹の下の虫を押し潰そうと地団太を踏む奴の姿が。超質量のそれに踏み付けられたら一体どうなるか────想像するのも容易い。

 大きく地を踏み付けた瞬間、再び大地に亀裂が走った。氷が割れ、岩が隆起するその衝撃波。危うく足をとられそうになる。

 

「ゴアアァッ!」

「……うっぜぇ!」

 

 そんなうざったい衝撃は、跳んで避けるに限る。そう判断した俺は、隆起し始める岩を軸に飛び上った。そうして、重力に身を任せながら斧を振る。

 振り下ろす瞬間、握りを作動させてモードを変えた。それと同時に、秘められたビンから赤い光が(ほとばし)り、斧が音を立てて流れ始める。

 

「ギュアッ!?」

 

 表皮の傷をさらに抉ったその一撃に、奴は身を捩らせながら足を(もつ)らせた。俺から一歩離れるように立ち直した奴。そんな奴の血と、ビンのエネルギーで身を染める剣斧。

 先程まで斧だったそれは、今は剣の形へと姿を変えていた。

 

「どうだ筋肉ダルマ。この“味”は覚えてるだろ? 美味かっただろ?」

「グルゥ……グラアアァァ!」

「……ま、味は味でも斬れ味の方だけど」

 

 挑発するように剣を持ち直した俺に向けて、奴は唸る。その唸り声は怒号へと変わり──筋肉の塊とも言えるその体は、まるで一つの砲弾のように身を固めた。そう、タックルだ。

 砲弾という例えの通り、その威力は凄まじい。それこそ、そこらの岩なら簡単に粉砕してしまうほどだ。

 だが、如何に奴が巨大でその力が強大と言っても、何処かに必ず隙がある。この瞬間、この場合ならば、奴の隙は──その両脚の隙間だ。

 

「ここだっ!」

 

 荒れ狂う砲弾が、俺の真上を通り抜ける。その砲弾に向けて、光る刀身がざっくりと斬り込みを入れた。強烈なタックルを、奴の脚の隙間に立つことで避けた、ただそれだけである。ただ少し、刃を添えただけであって────。

 それが引き金となった。小さな体が自分の口に入らない、そんな苛々を募らせた奴がとうとう激昂したのだった。

 

「ヴォオオオオアァァァァァッ!!」

「……ッ!?」

 

 肉が弾けた。そう表現すればいいのだろうか。

 光を放つ龍属性エネルギーが、奴の体を引き千切るように溢れだしたのだ。頭頂部だけではない。全身の、その小さな傷の一つ一つから。

 爛々と光る右目。苦痛に悶えるその体。憤怒に燃えるその心。あのドス黒い体は、龍属性の赤黒い靄へと変わっていた。

 

「なっ……何だこいつ。滅茶苦茶悪化してる……のか?」

 

 まるで霧のように溢れるもの。雷のように、バチバチと音を立てるもの。溢れる龍属性は様相こそ様々だが、どれも竦まずにはいられない恐怖感を煽ってくる。

 まさか、まさか──変わったのは。強くなったのは、俺だけじゃないということか。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「さて、あとはこれを書類の山に戻してっと。奥の方に突っ込んどけば、発見も遅れるでしょ」

 

 シガレットが後にしたこの村。先程彼を呼び止めたイズモは、見えなくなった彼の姿を確認しては静かにそうぼやいていた。

 村の役場からこっそり採取ツアーに関する書類を盗み出したのは、他でもない彼だ。ギルドの許可なく狩猟地で狩りを行えば、それは密猟として扱われる。その対策として、せめて形の上でも正当性を用意しようとした、彼の強かな企みだった。

 

「ルール違反と密猟の、グレーゾーンだけどね……」

 

 書類の山へ返しておけば、役員が気付くことも遅れるだろう。ただでさえ情報の伝達に滞りが起きているこの事態にそんな細工を挿めば、結果この逸脱行為はうやむやになる。彼はそう考えたのだ。

 

「さーて、今のところ討伐隊が接近してるなんて情報もないし。細かい調整はあのギルドナイト様がやってくれるかなーっ」

 

 背伸びした彼のそんなぼやきは、ゆっくり吹雪へ溶け込んでいく。その寒さに身震いしながら、彼は役場の扉に手を掛けた。役場の外にも、中にも。誰もいないことを確認した彼は、こっそりとドアノブに手を掛け、その中へ入っていく。

 

 ──そんな彼の姿を物陰からこっそり見つめていた一匹の影。彼の独り言を聞いていた影は、意を決するように小さな鳴き声を上げた。

 そして、雪の同化するのではと思う程白いその体を、凍土へと続く道へと走らせ始めたのだった。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「ハァ、ハァ……。こんのッ!」

 

 勢いよく振り上げた斧。疲労を拭いきれないその一撃は、奴の頭を斬り裂いた。震える俺の手に、武器と武器がぶつかり合うような感触が伝わってくる。どうやら、龍のオーラに包まれた頭部の、その左目に当たったようだ。

 ただでさえ抉られていたその左眼孔を、釘打つように再び抉られたのなら、その痛みは絶するものだろう。悲鳴を上げて顔を仰け反らした奴の姿が、それを如実に物語っている。

 

「グァウウゥゥ……」

「ハァ……しぶといな。さっさと死ねよ豚野郎……」

 

 互いに、疲労困憊と言った状態だ。いや、空きっ腹とでも言うべきか。霞む視界に発破をかけながら、俺は奴に切っ先を向けて柄を握り締めるが──どこか力が入らない。

 一方それは奴も同じのようで、あの溢れさせていた龍属性オーラは今や(しぼ)むように鎮まっていた。その様子に、俺は少し安心する。

 ──何故なら、あのオーラには絶対触れてはいけないと分かったからだ。

 

「……ッ! 痛むな畜生……」

 

 奴のブレスを直撃した左脚。それが、何よりの証明だ。ボロボロの焼け爛れ、半壊しかけた左下半身の装備。あのブレスを受けただけでこの体たらくなんて、何とも情けない。

 まぁ、元より強酸性の唾液をもったイビルジョーだ。きっと、それも混ざり込んだ吐息だったのだろう。だから、直撃した装備を溶かしてしまった。

 

「──と思うんだが……変だな。妙に体が怠い……」

 

 まるで毒に蝕まれているような、そんな感覚だ。見る見るうちに体力が減少していくのが分かる。視界が霞む。手に力が入らない。体が重い────。

 

「……ッ! 不意打ちかよおい!」

「グルルァ!」

 

 そんな俺に向けて、奴は涎で溢れる牙を向けた。疲労していながらも、凄まじい速度で迫り来るそれに、俺は思わず武器を落として跳び避ける。着地もとれず、無様な格好で転がって奴から距離を離した。

 一方のイビルジョーも、左側面(死角)に逃げられた獲物を見失ったようで、困ったような声を上げている。

 

「スタミナの減りがマズいな。……コイツを飲むか」

 

 幸か不幸か、武器を落としたことによって両手が自由になったのだ。今なら、ポーチの中身も探ることが出来る。

 そう感じた俺は、瞬時にポーチに手を突っ込み、ビンに包まれた黄色の飲料──強走薬グレートを取り出した。

 

「……ごくっ」

 

 即座に流し込んだそれは、一気に口の中に浸透していく。自ら調合した俺流強走薬グレート。爽やかな酸味と、微量の炭酸を付け足した逸品だ。

 そもそも強走薬グレートとは、こんがり肉と狂走エキスを調合することで出来るスタミナ増強ドリンクだ。その味は、狂走エキスのクセの強い酸味がとろけ、その中に肉の旨みが染み込んだもの。

 とにかく、変な味とも言っていいだろう。

 

「グゥアァッ!」

「むっ……」

 

 ようやく俺に気付いたイビルジョーは、その凶悪な顎を地面に擦らせ──凍土の氷をそのまま、氷弾として撃ってきた。巨岩ならぬその巨氷は、凍て付く風を身に纏い、その身をさらに鋭くさせる。

 その氷のように鋭い炭酸を喉で感じながら、俺は身を反らしてそれを躱す。ひと手間増やした調合は、微妙な味の強走薬グレートに変革を(もたら)した。

 

「うざってぇ! どけよこのゴーヤがッ!」

 

 氷を避けたその反動を、口内を刺激する炭酸と特製の旨みを。溢れるその活力を利用して、俺は前へと脚を動かす。

 口内から喉へ。喉から胃へ。胃から全身へ。

 そうして回り行く強走薬グレートの力が、俺の体に火をつけた。狂走エキスの濃い味を逆手に取った、酸味を生かした味へと調整したこの喉越し。隠し味にポッケレモンを投入したおかげで、後味の悪い酸味は風味豊かに、そして果実感のある爽やかさを秘めている。

 

「ゴアアァッ!」

 

 全力で走る俺を撃退しようと、奴はその極太の尾を振り回し始めた。風を斬るその様は何とも威圧的で、思わず身が竦んでしまいそうだ。

 だが、止まらない。全身を駆け巡る酸味が、そして肉の旨みが俺の尻を蹴り上げているのだから。

 自ら魂を込めて焼き上げたこんがり肉。それをまず包丁でブロック状に切り分け、スライスと細切りを重ねがけ、ようやく細かくなったそれを今度は包丁の背で細かく刻む。そうして出来上がった自家製挽肉をじっくり煮込み、溶かし、抽出する。まるで濾過(ろか)をするかのような作業の果てに出来上がったのがこの強走薬グレートだ。肉の栄養素が十分に溶け込み、酸味に絡んだ一品である。

 この旨みが、この活力があれば、奴の尾などどうということはない。振り回されるそれをスライディングで躱し、地に墜ちた斧を掴み直し──お留守となったその細い脚を斬り上げるなんて造作もないことだ。

 

「オラオラオラァッ!」

 

 そんな隙だらけの脚に向けて、ここぞとばかりにぶん回しを叩き込む。強走効果が全身を駆け巡る今、スタミナなど俺には知ったことではない。いくらでもこの重い斧を振り回せる──そんな気がした。

 

「グゥオゥッ!?」

 

 三度目だったか、四度目だったか。傷を抉るその連撃に、イビルジョーはとうとう踏ん張り切れず倒れ込んだ。超重量が音を立てて崩れ、凍土の氷に大きな罅を入れる。

 最も脆弱な腹を露わにした奴。俺に向けて、弱点を剥き出しにしたイビルジョー。

 これ以上のチャンスなど、他にあるだろうか。

 

「たんと食いな、このクソデブ野郎……!」

 

 そんな腹に向けて、俺は右脚を踏み込んだ。そうして腰を捻り、それを軸に斧を薙ぎ払う。俺の周囲を一掃するかのようなその軌跡は、ざっくりと奴の腹を斬り裂いた。

 勿論、それで攻撃の手を休めるつもりはない。遠心力で大きく唸る斧の柄を回すように握り、再び変形させる。流れるように形を変えた剣は、溢れ出るビンの力のままに走り出し────。

 まるでバツを描くように斬り結ばれたその斬撃が、横一文字にさらなる文字を増やしていく。

 

「コイツで最後だ……ッ!」

 

 ざっくりと斬り開かれたその腹の傷に、今度は切っ先をそのまま突き刺した。ずぶりと、肉を抉る感触が手に伝わってくる。まるで肉を料理しやすいように加工しているかのような、そんな感触だ。料理用の肉より、固く重いという前置きが付くが。

 そんな肉の中で、俺は属性ビンを解放させた。ビンから漏れ出る凄まじいエネルギーが剣を伝い、イビルジョーの肉を焼いていく。剣は小刻みに震え、肉からは赤黒い鮮血が飛び出し始めた。

 

「──喰らいやがれッ!」

 

 とうとう弾けたその光。ビンは破裂するようにその身を引き千切り、切っ先へと集まったエネルギーは集束を経て破裂し、奴の腹に大きな穴を開けた。

 スラッシュアックスの奥の手、『属性解放突き』。

 その様を言葉にするならば、赤い光の爆発とでも言うべきだろうか。

 

「……くぅ……ッ!」

 

 その反動には流石に堪える。痺れる両腕に耐えるまま、俺はその反動に押し切られ、大きく後退した。爆発に吹き飛ばされたと言っても過言ではないかもしれない。

 だが、俺は渾身の一撃を奴に与えた。かつてないほどの痛手を奴に負わせたのだ。

 奴の腹には大きな風穴が空き、ドス黒く染まった血が川のように流れ出している。奴が痛みのあまり悲鳴を上げた。もう一歩だ。もう一歩で、アイツに止めを刺すことができる。いよいよ、コイツを殺すことができる。

 ──そう思って踏み出した、斧を振り上げた瞬間だった。

 

「ヴォオオオオオォォォォォォッッッ!!」

 

 かつてないほどの怒号。今までの咆哮とは段違いの、大気が震える衝撃波。それと共に、奴の体から龍属性エネルギーが溢れ始めた。

 まるで大気に絵の具を落としたかのように。空気の色が、徐々に赤黒く染められていく。

 呆然と、その光景が目に入った時にはもう遅かった。逃げられなかった。

 

「……ぐっ────ぐあああぁぁぁッ!?」

 

 溢れ出るそのエネルギーは超密度の光へと変わり、瞬時に膨張する衝撃波へと変貌する。先ほどのお返しと言わんばかりに、俺を巻き込んで炸裂したのだった。

 全身を龍属性の光が襲い、凄まじい勢いで防具が焼き壊されていく。露出した肌も爛れ、ものの数秒というその一瞬で俺は、地に墜ちる瞬間には既に満身創痍にされていた。

 

「グォ……」

 

 薄汚れた視界の中に、血と龍のオーラで原型を失う奴の姿が映り込んだ。やっと獲物が動かなくなった。そう言わんばかりの満足そうな声を漏らし、ゆっくり近づいてくる。そうして、その醜い口を裂けかねない勢いで開いた。一心に、俺に向けて。

 

 動け。このままじゃ、喰われちまうじゃないか。

 

 そんな忙しない脳の命令にも、身体はそっぽを向いてしまう。立ち上がる力すら、上手く入らない。

 

 やばい。マズい。動けない。立ち上がれない。逃げられない。

 まさか。まさか、そんな。

 

 俺は────ここで死ぬ?

 

 

 

 

 

 

 

 

「にゃあああああっっ!!」

 

 乾きゆく俺の耳に、聞き覚えのある鳴き声が飛び込んできた。

 いつも一緒にいたあの声。

 俺に温もりをくれたあの声。

 一緒にいると何だか落ち着く、彼女の声────。

 

「グゥオッ!?」

「だ、旦那さんから離れろにゃーっ!」

 

 ネコの鳴き声、それと共に響き渡る加速音。

 凄まじい勢いで飛び出した一匹のアイルーと、その手にもった王ネコ剣ゴロゴロが耳を劈くような音を立てる。

 スパークを纏ったその突進。俗に言う、ネコまっしぐらの術でイビルジョーを怯ませたそのアイルーは、庇うように俺の前に立った。

 

 凍土の雪と同化しそうな、白く透き通った毛並み。氷を固めたような小振りの角が付いたカチューシャと、黒い独特の衣装を身に纏ったその姿。震える足に喝を入れ、懸命に俺を守ろうとしてくれるそのアイルーは。

 

 

 ────紛れもない俺の相棒、イルルだったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

~本日のレシピ~

 

『シガレット流強走薬グレート』

 

・狂走エキス     ……95ml

・こんがり肉     ……60g

・ポッケレモン    ……1/2個

・その他炭酸成分等  ……適量

 

 






戦闘しながら飯テロを入れていくスタイル。


さて、とうとう狩猟解禁(?)となったモンスター、『淆瘴啖(ましょうたん)イビルジョー』。オリジナル二つ名モンスターとでも言いましょうか。
イメージとしては飢餓個体の悪化したものというか、全身に龍属性のオーラが溢れ出たような感じかな。当然全属性無効。濃過ぎる龍属性と強酸性ブレスによるもはや壊毒並の付加効果ブレス……というのが作者の妄想です←
()』とは混交の難解漢字版、渾淆より入り混じる様。『(しょう)』は溢れる龍の瘴気、『(たん)』はイビル様のBGMである健啖の悪魔より採用。我ながら変な名前である。
タイトルは、『霜を履みて堅氷至る』ということわざのもじりです。何かことがあると前兆が現れ、それに対して用心しなければならないという意味らしいですね。シガレットさん、用心してください(懇願)
ではまた次回。


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