モンハン飯   作:しばりんぐ

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 サブタイの元ネタは、「伏せる牛に芥」ということわざ。今回はイルルちゃん視点で。





伏せる鮟鱇にタレ

 

 

「ふにゃああ……いい湯だにゃあ」

「お、気に入ったか?」

 

 秋香る景色、落ちる紅葉。

 バルバレでもドンドルマでも見られない景色が、ボクの視界を彩っていく。どこか静かで、どこか和やかで。流れゆく時間に、何だか体も心も(とろ)けてしまいそう。思わず声が漏れてしまうくらい気持ちが良い。

 

「アイルーって、意外と温泉好きなんだよな。結構嫌いそうなのに」

「んー、それはネコによると思うにゃ」

 

 ボクの横には、そんな率直な感想を溢す旦那さんがいる。小ぶりのタオルは丁寧に畳んでは、それをその白い髪に乗せて――と思ったら、ボクの頭に乗せてきたにゃ。タオルから染み出るお湯で、頭の毛がゆっくり温められていくのが分かる。何だか変な感じ。

 そんな旦那さんは、ボクの言葉を聞いては「そんなもんか」と興味無さ気な返事を飛ばした。

 

「……でも、こんなに良い湯なら大体の子は好きかもしれないにゃね」

「かもな、ユクモの湯は名泉だ。それこそこの前の鍋風呂なんかとは大違いだな」

 

 そう遠い目で語る旦那さん。彼の言う通り、以前ボクたちはバルバレで巨大な鍋を用いた露天風呂を楽しんだの。

 とはいっても、ただ水を温めただけのお風呂だからそんなにいいものでもなく、砂漠が近いから砂が入り込んできてて散々だったにゃ。あれなら、大体のアイルーは拒否するだろうなぁ。

 

「にゃ……」

 

 ボクの横に座る旦那さん。あの時と同じ、湯浴(ゆあ)み姿の旦那さん。上半身には何も付けず、直接湯に触れている。俗に言う、裸ってやつにゃ。

 あの時も思ったけれど、旦那さんの体は古傷だらけなの。随分古い傷みたいだけど、何だか棘の山が喰い込んだような、痛々しい傷が胸にも背中にも伸びているのにゃ。

 そう。まるで、巨大な顎に噛み千切られたような――――。

 

「旦那さん……」

「ん、どうした?」

 

 そっとその傷痕に触れてみるけれど、旦那さんは特に気にするような素振りもない。ボクと知り合う前からハンターをやっていたそうだから、傷があるのも不思議じゃないんだけど。

 そんなことを考えながら、その傷痕を肉球で(さす)り続ける。すると旦那さんは、少し擽ったそうな声を漏らした。

 

「ちょ、やめろって。くすぐったいよ」

「あ……ごめんにゃさい、つい」

 

 その声でハッとなって、急いで手を引っ込めたけれど、今度は旦那さんがお返しと言ってはボクの顎を撫でてきた。こしょこしょと、何だか変な感じ。今は全身がお湯に濡れているし、余計に変な感触がするにゃ。

 

「……何かさ、濡れて毛が張り付いてるからか知らんけど、イルルの体がガリガリに見えるな」

「え、そうかにゃ?」

 

 そう言ってはボクの体をそぉっと撫でる旦那さん。

 そんな彼が言う通り、お湯に浸かってるせいで体が濡れて、確かに全身の毛がべったり張り付いている。そのせいか、ボリュームも若干失われているかもしれない。

 

「もっと食わなきゃダメだぞ」

「た、食べてるにゃ。いつもお腹一杯にゃ」

 

 ボクのお腹を突っつきながら旦那さんはそう言うけど、彼との生活は本当に毎日満足いくまで食べさせてもらってる。前のご主人のところではご飯抜きとかあったから、なおのことそう思うのにゃ。

 

「お前結構小食だからなぁ。もっと……そう、チャナガブルくらい大きく食わなきゃな」

「にゃ? ……ちゃな?」

「チャナガブル。大口開けた食いしん坊なモンスターさ」

 

 そう言っては、旦那さんは突然立ち上がった。ざぶざぶとお湯を掻き分けながら歩き出すあたり、別の場所に行こうとしてるのかな。

 思えばさっきまでお腹辺りまでしか浸かれない浅い場所にいたから、そう思うのも納得だにゃ。

 旦那さんが動くなら、もちろんボクもついていくにゃ。そう意気込んで、彼のいるところまで踏み込んで――。

 

「……にゃあっ!?」

 

 突然地面がなくなった。お湯の底の石を蹴り進んでいたはずなのに、唐突に床が消えてしまったのだ。力を込めたボクの脚はお湯の中を空回り、ボクの体を狂わせる。

 掴めない水。蹴る場のない脚。沈む体。

 もしかして、ここで深くなってるの?

 

「おっと、大丈夫か?」

「ふにゅ……旦那しゃん……」

 

 危うく湯船に全身を落とすところだったボクを、旦那さんは優しく掬い上げてくれた。

 彼の大きくて逞しい腕が、軽々とボクを抱き上げる。お湯で一杯になったはずの視界に、古傷だらけのその胸が迫っていた。

 

「ここ深くなってるんだよな。すまん、言えばよかった」

「みぃ、旦那さんが抱っこしてくれるなら大丈夫にゃ」

 

 旦那さんがボクに触れる手は優しくて、でもちょっとぎこちなくて。大切にされてるって感じがするの。そのぎこちなさに、ボクは思わず安心してしまう。旦那さんの大きな手に触れてもらえるの、大好きなのにゃ。

 旦那さんは旦那さんで、少し変な顔をしたものの、落ち着いたように腰を降ろしてボクを抱え直した。湯からはみ出た旦那さんの肩にもたれながら、ボクはこの温もりを楽しむ。温かくて、幸せにゃ。

 

「……そうそう、そのチャナガブルって奴な。こんな感じに深い水の底にいるんだよ」

「にゃ? 水棲モンスターなのにゃ?」

「あぁ、一応海竜種なんだとさ。見た感じただの魚だけど」

 

 海竜種といえば、このユクモ村へ続く海路で現れたモンスターも、その一つだった気がする。

 あんな嵐で荒れた海の中でも、自在に泳げるのが海竜種。そのちゃななんとかってモンスターも、凄いやつなのかもしれないにゃ。

 

「そいつな、滅茶苦茶美味いんだよ。可食部多いし味も凄く良いし、もう最高なんだ。……あっ、涎が。食べたくなってきたな」

「だ、旦那さんらしい評価にゃあ。……でも、水の中に籠りっぱなしなら手の出しようがなくないかにゃ?」

「ところがどっこい、実は良い手があるんだなーこれが。……何だと思う?」

 

 素朴な疑問をそのまま口にしてみれば、旦那さんらしい無茶ぶりが唐突に返ってきたにゃ。そもそもそのモンスターが何かすら分からないボクには、どうすればいいかなんて分かんないのに。

 でも、彼が言うなら本当に何か手段があるんだろう。水に籠りっぱなしの魚のようなモンスター。案外、アプローチはあまり変わってなかったりするのかにゃ?

 

「にゃあ、餌で釣るとか?」

「御名答、流石だな。そう、目には目を、歯には歯を。そして、餌には餌を……だ」

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 旦那さんが言っていた言葉。それは、まさに言葉の通りだった。

 ここは水没林。高い湿度と豊満な水に満たされたこの密林は、淡い雨に満たされている。旦那さんが言うには、相も変わらず今日も雨らしい。

 そんな水没林の岸、薄く濁った水の底。そこへ向けて、旦那さんはとあるものを放り投げた。丁寧に、釣り針の先に括って。

 

「ククク……そこにいるのは分かってんぜぇ魚ちゃん!」

「……千里眼の薬、がぶ飲みしてたもんにゃあ」

 

 意気揚々と釣竿を握る旦那さん。そんな彼が先程投げたのは、餌には餌をという言葉が指していたのは、何と釣りカエルだったのにゃ。

 たった一匹の、小さな小さな生き物。ハンターが武器に活用できるほどの強靭さをもっているわけでもなく、とりわけ美味しいわけでもないそれ。それでも、餌にするならこれが最適解だって、旦那さんは笑顔で語っていた。

 

「……ほんとに釣れるのにゃ?」

「シッ、静かに……」

 

 (かす)れるような旦那さんの声が、ボクの口を塞ぐ。何かの気配に気付いたかのようなその雰囲気に、思わずボクが息が呑んだその瞬間。

 そう、丁度その瞬間、水没林の薄濁った水が大きくうねった。まるで巨大な何かが動いたような、そんな不自然な動きで。

 

「にゃっ? にゃ、何……?」

「……きた。きたきたきたきた……!」

 

 動揺するボクと、まるで獣のように口角を吊り上げる旦那さん。これから一体何が起こるのか、薄々と感じつつあったボクだけど。旦那さんの視線の先の光景が、その嫌な予感を確信へと変えた。

 黒と紫が混じったような、ブヨブヨの皮膚。その皮膚には奇妙な模様が連なっていて、少し気味が悪い。そして、一番に目を引くもの――まるで提灯のような、淡い光を放つ丸い球。それが、その皮膚の上をゆったり漂っていたのにゃ。

 

「な、何あれ? 提灯……にゃ?」

「よっしゃあ! かかったァ!」

 

 そんなボクの戸惑いを掻き消すように、旦那さんが大きく吠える。それと同時に旦那さんの持つ釣竿は勢いよくしなり、弛んでいた筈の糸が千切れんばかりに伸びた。その余りある勢いに、糸の先の存在がどれだけ大きいかを知らせてくれる。今一瞬見えただけでも、大柄なモンスターが食い付いたのは間違いないにゃ。

 それは、かなりの負荷が掛かるはずなのだけれど。

 

「うらァ! 大人しくしろォッ!」

 

 鬼気迫る勢いで、旦那さんは両脚を地面に喰い込ませた。糸の先のモンスターに負けまいと、腕を引く。

 両脚、腰、肩、腕。

 旦那さんの体の節々が悲鳴を上げる。だけど、旦那さんはその体を休ませることはなかった。どころか、とうとうその両腕を高く振り上げた。

 

「……とった!」

「にゃっ!? ……にゃにゃにゃっ!?」

 

 そう言うが早いか、旦那さんは嬉々とした表情で釣竿を放り投げる。それと同時に、先程まで水底で糸を引っ張っていたはずの気配が消え、ボクたちの上に突然影が差した。

 一体何かと見上げれば、ボクの視界に映ったのは――魚のような姿をした何かが宙を舞う姿だったのにゃ。

 

「にゃっ……こ、これは!?」

「チャナガブル、コイツのことだよ!」

 

 薄く輝く提灯。紫交じりの分厚い皮。

 とても海竜種とは思えない豊満な体形に、そこから伸びた小さな手足。旦那さんが言っていたチャナなんとかとは、ボクの想像とはかなりかけ離れた姿をしていた。あの嵐の海で出会ったモンスターはもっとスタイリッシュだったけど、海竜種は海竜種でもここまで掛け離れてるんだにゃあ。

 

「何ボサボサしてんだ、仕留めるぞ!」

「にゃっ……にゃにゃ!」

 

 勢いよく地面に打ち付けられたその海竜は、まるで魚のようにビッタンビッタン体を跳ねさせる。

 鰓呼吸しているのか、肺呼吸しているのか。それすら全く分からないその歪な皮膚に、ボクは抜き放ったレウスネコブレイドを打ち付けた。旦那さんも同じく、新片手剣『デイズアイ』を引き抜く。どちらも火竜の息吹を塗り固めたような一品にゃ。見るからに火に弱そうなこのモンスターには、ピッタシにゃ。

 斬撃が皮膚を裂き、溢れ出る息吹にその肉は焼け、モンスターは苦しそうな声を上げる。突然の急襲に混乱しているようだけど、ただされるがままではないようだ。慌てた様子で、その巨体をひっくり返した。

 

「ハッ! 馬鹿が!」

 

 空を掻いていたその四肢を地面に縫い付けたと思いきや、縫い付けるどころかその脚は地面に潜り込んでいく。いや、四肢だけじゃない。その鈍重そうな体まで。

 呻くモンスター。身じろぎする巨体。その体を包み込む、幾重にも重なったネット。

 もしかして、これは。

 

「旦那さん、いつの間に落とし穴なんて仕掛けてたのにゃ!?」

「竿を仕掛ける直前さ、張っといて正解だったな」

 

 そう言っては、旦那さんは穴に仕込んでいた大タル爆弾を露わにし、一斉に火をつけた。燃える切っ先がタルの膜を突き破り、中の火薬を叩き起こしたのにゃ。

 それを見るや否や、ボクは思わず目と耳を塞いだ。もちろんそれは、爆破による閃光と爆音から身を守るため。

 

「にゃ……!」

 

 次に見えたのは、勢いよく飛び上る旦那さんの姿だった。爆音も爆風も物ともせず、まるで翼のように剣を舞わせ、風を斬るように肉を裂いていたのにゃ。

 爆風で焼け爛れたその皮膚から(ほとばし)るのは、真っ赤に染まった鮮血。その苦痛のあまりか、大きな口からは悲鳴が飛び交っていた。

 

「よっしゃ、このまま――」

 

 その手応えに、思わず余裕を感じてしまったんだろう。旦那さんは嬉々とした顔でモンスターと向き直し、勢いよく斬りかかった。

 だけど、それは失策だったのにゃ。

 

「……にゃ、旦那さん! 危ないにゃ!」

 

 相当気が立っているのか、怒りに我を忘れているのか。チャナガブルは、奇妙な変身を遂げて暴れ出す。

 平たかったはずの背中から、鋭い棘が何十本も顔を出して。その針山のような体は、風船のように膨らんで。このチャナなんとかは、荒い鼻息を漏らしながら無理矢理ネットを引き千切り始めた。

 

「なっ――!」

 

 流石にそれは予想外だったんだろう。その異様な動きに、旦那さんが絶句したその瞬間に。

 突然、ボクたちの視界が白一色に塗り潰される。先程の爆破の閃光よりも強烈な、瞼を突き刺すような光。まるで、まるで旦那さんが愛用する閃光玉のような――。

 

「うわあああ! 目がぁ、目がああぁぁ!」

「何にゃ!? 何も見えないにゃ!」

 

 眼が見えない。目を開けられない。ただ、ネットを引き千切る音と、巨体が這いずる音が聞こえてくる。鋭い針をしならすような、不気味な音も。

 

「……うがっ!?」

「にゅっ!? 旦那さん!?」

 

 這いずる音が、横転する音に変わった。そう思うが早いか、旦那さんの悲鳴と何かの衝突音がボクの鼓膜に飛び込んでくる。

 一体何が起こってるの? 少し毛が逆立ちながらも、状況を探るために必死で耳を動かしたら、少し離れたところから、どぼんという音が。そう、謎の着水音が響いたのにゃ。

 

「がぼっ!? なっ、なっ……!?」

 

 水面を掻き乱す音。跳ねる雨音。もがく声。苦しそうな、旦那さんの声。

 うっすら光を取り戻し始めた目。霞む視界に、薄暗い水没林が顔を出してくる。その掠れる世界を必死に動かして、旦那さんの声がする方へ振り向いたら。

 

「……旦那さん!?」

「うぐっ……! い、息が――!」

 

 水面を掻き回していたのは、もがいていたのは。紛れもない、旦那さん自身。必死に両手で水を掻いて、必死に体を浮かせてる。でもその顔は凄く苦しそう。

 ――もしかして旦那さん、泳げないのにゃ?

 

「……にゃああ!?」

 

 ハッと振り向いた先には、大口開けたあのモンスターが。ボクを食べようとするかのようにその口を開け、鬼の形相で迫ってきていた。

 あまりの恐怖にボクは半狂乱になりながら、腰のポーチに潜ませていたこやし玉を投げつける。それも、怖い怖いその大きな口に。

 

「うわああん! どっか行けにゃああ!」

 

 流石にそれは効いたのかにゃ? 魚のようなアイツは苦しそうに仰け反って、ゆっくり方向を変えた。ボクたちと距離をとるように、別の沼を求めて這いずり去っていく。こやし玉の術が思いの他の効果を上げていたみたいだにゃ。

 そんなことよりも、旦那さん。旦那さんを助けなきゃ。

 

「にゃっ、旦那さん! 今行くにゃ!」

「ま、待てっ……がぶッ、イルル、お前……!」

 

 ぬかるんだ地面を蹴って、ボクの体は宙を舞う。弧を描くように飛び、そのまま水へと流れ落ちて。

 そんな一瞬の中で、旦那さんが何か言っているのが聞こえた。でも、その声も、耳を掻き回すような水の音に飲まれていく。

 

 水中は、地上とはまた違う世界だった。奇妙な形をした魚が多種多様。少し濁った水は少々視界が悪いものの、何も見えないという訳でもない。見たことのない海藻や淡い地上の光、そしてもがく旦那さんもしっかり見えてるにゃ。

 

「旦那さん、ボクに掴まってにゃ!」

「うっ……けふ、すまん……」

 

 両手両足、肉球を掻き回して水を掻く。一生懸命、旦那さんのところに少しでも早く辿り着けるように。

 不意に、旦那さんの力ない手が触れた。冷え切った弱々しい手。何時もの旦那さんらしくない、覇気のない体。

 ――温泉の時は、旦那さんがボクを支えてくれたにゃ。だから、今度はボクが旦那さんを支えなきゃ。

 

「にゃああ! お、重いにゃ……! で、でも頑張るにゃ!」

「イルル……」

 

 ボクの体よりも大きい、旦那さんの体。アイルーが人間一人抱えるなんて、無茶だったのかもしれない。でも、旦那さんを捨ていくことなんてできないのだ。

 ファイトだにゃ、ボク。ここが正念場。背水の陣なのにゃ。

 水を背に、どころかむしろ水の中というツッコみは野暮だにゃ。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 何でもこなしてしまう旦那さん。出来ないことなんて何も無いんじゃないかって、そう感じるくらい旦那さんは何でもできる。今までボクは、ずっとそう感じてきたにゃ。

 だから、何とか岸に上がった旦那さんが、恥ずかしそうに「……泳げないんだ」って言った時。ボクは不思議にも、何だか親近感を抱いてしまった。

 何でもできると思っていた旦那さんにもできないことがあるんだって。旦那さんも超人じゃないんだって。

 

「……だから、今回はボクが旦那さんの代わりをしなきゃ、にゃあ」

 

 逆に、旦那さんは驚いていた。ボクが泳げるってことに。

 確かに、温泉では驚いて溺れかけてしまったから、そう思われるのは仕方がないのかもしれない。だけど、ここで少し思い出してもらいたいにゃ。

 ボクは元々、船の難破でチコ村に辿り着いていたことを。そう、こう見えて水には強かったりするんだにゃ。

 

「さぁ、ちゃ……チャナブルル! 勝負だにゃ!」

 

 忌々しそうに光る眼。水に溶ける泥を掻き回し、さっきのモンスターはゆったりと姿を現した。水に没したこのエリア。旦那さんが踏み入れない、深い水に満たされたここで、ボクは再び奴と対峙する。旦那さんが狩れないなら、ボクが狩らなきゃ。

 レウスネコブレイドとブーメランを構え、ボクは突撃した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――という感じで、無事狩猟出来たにゃ~」

「ニャニャニャ。なんと、そんなことが!」

 

 湯煙り溢れる岩場。漏れる木漏れ日に、風に靡く紅葉。硫黄のような、卵のような。そんな温泉独特の香りが鼻孔を擽る中、ボクは番台アイルーさんと談笑していた。

 話の内容は勿論、ちゃがなぶるの討伐、にゃ。

 

「まさかオトモアイルーだけでそんなことまでするなんて、あんまり聞きませんニャ」

「水中だとブーメランが思うように飛ばないから苦労したにゃあ」

 

 ボクは基本的にブーメランを使った戦闘を主軸としているから、水中という悪条件でしかない狩猟はもうコリゴリだにゃ。ブーメランは全然飛ばないし、動きにくいし。

 それでも、元々下位個体だったみたいで、そこまで苦労することはなかったけれど。

 

「……ところで、あのハンター様は泳げない癖に何故わざわざ狩りに行こうとしたんですかニャ?」

「最初は罠とかアイテムを駆使してハメるとか言ってたけど……思わぬ反撃に呼吸を乱されたようだにゃ」

 

 確かに、番台さんの言い分も最もだ。ボクがいなかったらどうするつもりだったんだろう。

 困ったような、それでいてどこか蔑んだような目線で、旦那さんを見る番台さん。その視線の先では、ゆっくり入浴して傷を癒す旦那さんの姿があって。

 と思いきや、そうではなかった。あったのは、よろず焼きセットで丁寧に何かを焼いている旦那さんの姿。入浴するどころか、いつものように料理に勤しんでいる姿だけがあったのにゃ。ここは集会浴場だというのに。

 それを認識するや否や、今度は温泉の香りの中に何処か香ばしい香りが混じり込んでくる。濃厚でコクのある香り。そう、まるで蒲焼のような――――。

 

「ちょ、ちょっと、ハンター様! 何してらっしゃるんですかニャ!」

「何、折角イルルが獲ってきてくれたんだ。飯にするのが筋ってもんだろ」

「流石にボクたちしかいないからって……旦那さん自由過ぎにゃ」

 

 そう、今この集会浴場を利用しているのは旦那さんとボクだけ。他のハンターさんはたまたま狩りに出かけているのか、それとも常駐していないのか。とにかく、ボク達しか客はいないのにゃ。

 それを良いことに、旦那さんはわざわざここにまでよろず焼きセットを持ち込んでは、あのちゃながるるの料理をし始めてしまう始末。温泉の香りが、ご飯の香りで上書きされていく。

 

「骨抜きした身を串に刺して、素焼きして……仕上げの味付け。完璧だ、チャナガブルの蒲焼だ!」

「お、温泉で料理とかご法度ですニャ! 今すぐしまってくださいニャ!」

「大丈夫だ、ドリンク屋にマタタビ十個で許可もらったから。おーい、ついでにバニーズ酒も持って来てくれ!」

「ニャッ! 了解でさァ!」

 

 声を荒げる番台さん。しかし、垣間見えた旦那さんとドリンク売りさんの黒い取引を前に、その小さな膝をガクンと落としてしまう。二人を見る目は、まるで裏切られたかのような絶望の色に染まっているにゃ。

 旦那さんの注文に元気よく答えたドリンク売りさんは、透明なグラスに入れられたそのバニーズ酒なるものを持ってきた。お酒の香りに、鼻がむず痒くなるにゃ。

 

「番台さん、こうなった旦那さんはてこでも動かないから……ごめんにゃ」

「ハァ……温泉が、風紀が……ニャア~」

 

 嘆く番台さん。その悲しそうな声も、じっくり焼き上げられる肉の音に飲み込まれていく。

 よろず焼きセットで焼き上げられるその肉は、ねっとりとした濃厚そうなタレに全身を濡らしていた。一種の照り焼きのようなその焼き方、香りも風味も閉じ込めてしまいそうにゃ。

 

「もういいだろ。番台さんも食うか?」

「……ニャ?」

 

 焼き上がったのを確認した旦那さんは、余分なタレを落としてしっかり落として、二本、ずいっとボクらに差し出してきた。ボクと、番台さんの分を。

 

「……いや、私が……? ハンター様が食べるんじゃないんですかニャ?」

「俺はゆっくり酒でも飲んで温泉入るとするよ。味見の分でもう食べたし、それはお前達が食べな」

「にゃ……旦那さん」

 

 そう言って、無理矢理ボクらに蒲焼を持たせたら、旦那さんはいそいそと温泉の方に行ってしまったにゃ。残されたボクらは、無言で顔を合わせる。

 旦那さんも、旦那さんなりに負い目を感じているのかもしれない。だから格好つけて番台さんに手渡したのかにゃ。相変わらず素直じゃない人だにゃ。

 

「イルルさん……ど、どうすればいいのですかニャ?」

「旦那さんがああ言うんだから、食べようにゃ。それが良いと思うにゃ」

 

 そんな彼がくれた蒲焼。あのモンスターらしい肉厚な身を贅沢に切り開き、骨を抜いたのであろうこの姿。

 串に刺さったその身は大きく、そして脂も十分に含んでいるみたい。かかっているタレの醤油やらみりんやらが含まれた濃厚な香りも相まって、もう辛抱できないにゃ!

 

「……じゃあ、い、いただきますニャ」

「いただくにゃ!」

 

 焼きたてアツアツのそれを少しずつ息で冷まして、思いのままに一口齧る。

 口に入れた瞬間、濃厚な香りとコクが一気に広がった。口から入り込んで、そのまま全身に広がっていくようなとても濃い風味。だけど、不思議にもあまりくどくもなく、飲み込みやすいこの(かぐわ)しさ。

 その風味を十分に漂わすこの身。固くもなく、柔らかすぎることもなく。若干の焦げ味が表面をパリパリとさせているけれど、その中身は十分柔らかい。脂をしっかり含んでいるためかにゃ? ふわふわとした食感がじっくりと口の中で溶けて、あのタレと混ざり合っていくにゃ。

 どちらかというと甘みのあるタレに、微量の塩っ気が含まれた身。それが混ざり合って、新たな旨みが生まれていく。もうこの組み合わせ、最高にゃ!

 

「美味しいにゃ~、魚はやっぱりいいのにゃ」

「……ニャ、不覚にも美味しいですニャ。外はパリパリ、中はジューシー。じっくり溶けるこの食感が堪りませんニャ」

 

 鉄の仮面で蒲焼を咀嚼していた筈の番台さんも、既に満面の笑顔。この番台さんをここまで変えてしまうだなんて、やっぱり旦那さんの料理は恐ろしいにゃ。

 旦那さんは旦那さんで、やることは終えたと言わんばかりに温泉でくつろいでいる。酒を片手に入浴するその姿は、紅葉も相まってどこか哀愁のようなものが漂っていた。

 

「あのハンター様、いつもあんな感じなんですかニャ? その、料理癖というか」

「……にゃ、ボクを雇ってくれた時からあんな感じだったにゃ。長くていいなら、その話をしようかにゃ?」

「……え、遠慮しときますニャ」

 

 旦那さんの背中と、悪戯っぽく微笑むボクの顔を比べるように見ては、番台さんは少し引き気味に首を振る。ボクはボクで少し話したかったけど、彼がそう言うならお預けかな。これはまたの機会に、にゃ。

 

「旦那さんったら、また格好つけたにゃあ」

「ニャ、あれは格好つけてたんですかニャ?」

「多分。あんまり語らないで蒲焼渡して、そそくさと離れていってしまうあたり、にゃ。きっとハードボイルドとかを狙ってるんだにゃ」

 

 そんな旦那さんの特徴を並べ挙げてみれば、番台さんは困ったように溜息をついた。

 その視線の先には、タレの香りを色濃く残すよろず焼きセット。浴場に放置されたそれが、未だに沈黙していた。

 

「後片付けが出来てない辺り、ハードボイルドとしては二重ペケニャ」

「……やっぱりあの人抜けてるのにゃ」

 

 

 

 

 

 

~本日のレシピ~

 

『チャナガブルの蒲焼』

 

・チャナガブル切り身   ……200g

・特製タレ        ……たっぷり

 

 






書いていて思ったこと。シガレットさんがただの阿保にしか見えない。


いやぁ、もう五月になってしまいましたね。2016年も既に三分の一を終えたのか、早いもんです。
さて、そんなこんなでチャナガブル回。コメントでもチャナガブルチャナガブル、ツイッターでもチャナガブルチャナガブル。これは書かなあかんパターンだと察して話を練ってました。まぁ安定のよく分からんオチなのですが。
シガレットはカナヅチ、はっきりわかんだね。ということで、この話を書くに当たってどうしようかと悩みましたが……結局ハメ失敗にイルルに助けてもらうという変な流れに落ち着きました。実はイルルちゃん、泳げるんです。本当はここでニャンタ―ぶりを書きたかったんですが、尺(文字数)の都合でカット……。というか、やはり水中狩りは無理があるとしか思えない。ブーメランなんて飛ばんやろ!

チャナガブルの調理法は色々悩んだのですが……結局シンプルに蒲焼に致しました。塩釜焼きにするかでかなり悩んだのですが、やはり体格的に厳しいかな……と。蒲焼食べたいです。

それでは後書きもこの辺で、ではでは。

皇我リキさんより、イラスト。ほのぼの肉焼きですかね。イルルちゃんの表情が素敵! 圧倒的感謝!

【挿絵表示】


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