モンハン飯   作:しばりんぐ

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後編です。





漁夫の利狙う魚と漁夫

 千刃竜、セルレギオス。

 

 その声の主――大型客船を襲った張本人は。

 荒れる海に濡れる甲板の上へ舞い降りたのは。

 金の刃を幾重にも巻いた、鋭い手足を持つ鳥のような姿をした飛竜の名は、それだった。

 

 何故こんな所にいるのか。これが最初に感じた疑問だ。そもそもこの飛竜は、今まで調査こそされど、狩猟依頼を出されることはそうそうなかったのだ。それは本種の戦闘能力も起因しているが、一番の理由は生息域にある。

 

「……ここは海上だぞ。何で森からこんなところまで飛んできたんだよ」

「うぅ、迷惑過ぎるにゃ」

 

 獲物を測るようなその眼。目の前で構える人間を威嚇するように口を開くこの飛竜は、本来未知の樹海の奥地に住まい、そこから出ることは滅多にないのである。

 それが、今ここにいるということは。コイツが余程変わった個体なのか、それともコイツの住処で何かあったのか。

 

「ギィィ……」

 

 ただ戦う、というよりは、疲弊を癒すため仕方なく獲物を狩る。そう主張するように、弱々しくも意志の強い声で千刃竜は唸った。消え入りそうなくらい弱々しい音色で。

 見れば、奴の体は何処(どこ)彼処(かしこ)も傷だらけだった。両翼の爪は欠け、身体を覆う鱗は何枚も剥がれ落ちている。まるで焼けたように爛れたその体は、激戦を繰り広げた証でもあるようだ。

 唯一綺麗なのは、頭から伸びる刀角。雷光を反射させるそれだけは傷一つなく、飛竜としての矜持を表しているようにも見える。

 

「とにかく、ローストイャンクックの恨みだオラァッ!」

 

 負傷個体。一体何があったかは知らないが、船を守って戦わなければならないというこの状況なら、却って好都合だ。

 修理し直したテオ=スパーダ。腰から引き抜いたそれを、鳥脚のように細く堅牢なその脚に打ち付ける。剣は弾き返されることなく、そのまま脚の皮膚を裂いた。斬撃を覆うように舞う橙色の粉塵に、疲弊しながらも危機を察したのか。セルレギオスは傷だらけの体に鞭打って、勢いよく船を蹴る。

 

「うおっと、待ちやがれてめっ!」

 

 その鋭い翼をはためかすことで巨体を浮かし、千刃竜は風に乗るように船から飛び立った。甲板から大きく距離を離し、上空から船を――剣を構える俺たちを見定める。

 憎々し気に唸り声を上げながら、その削られた鱗を撒き散らし、何とか俺たちを仕留めようと画策しているようだが。

 残念ながら、もう余裕をもって撒き散らせるほど健常な鱗は残ってないようだ。音を立てて砕ける刃鱗は、虚しくも甲板に傷をつけるだけだった。

 

「無駄無駄! さっさと降りてこいクソ肉!」

「にゃ……いつも以上の気迫だにゃ。……み? にゃあっ! 旦那さん、あれ!」

 

 威嚇し返すように剣を振り回す俺に、呆れた声を漏らすイルルだったがーーセルレギオスが浮かぶ空の向こうを見ては、驚いたような声を上げる。

 そんな彼女が指差す先には、奇妙な色をした水平線が映っていた。青く鋭い光を放つ渦が、大きく波をうねらしている。光が走るそれは、自らをただの自然現象ではないと力強く主張しているようにも見えた。

 

「……何か、いる?」

「にゃあ、何……あれ……」

 

 苛烈に走る青い光。それだけでもかなり不自然な光景なのに、その横をぼんやりとした薄赤い光が漂っている。ここからかなりの距離があるというのに、その光が相当の大きさであることは一目瞭然だ。

 一体何が起きているのか。異常事態なのは、突然飛来したこのセルレギオスだけではなさそうだ。

 

「……ッ! っと、危ねぇな!」

 

 映るその景色に目を奪われていたその瞬間、千の鱗が鋭い脚を向けて滑空する。空気ごと斬り裂かんと飛ぶその姿は、まるで大量の刀剣が降り注いでいるようだった。

 危うく巻き込まれかけたそれを飛び避け、同時に荒々しく甲板に着地した奴の背後に回り込んだ。そうして晒された隙を突くように、斬り上げと斬り下ろしを織り交ぜる。

 

「ギィアッ!?」

 

 懐から繰り出された二重の斬撃に、セルレギオスは悲鳴を上げた。

 やはり相当弱っているらしい。思うように動かない自らの体を見ては、苦々しく目元を引き攣らしている。獲物を得るためにこの船に襲い掛かったというのに、それすらも一人の人間に阻まれてしまうこの状況を呪うような、そんな瞳だ。

 

「……にゃあ、この飛竜、一体何があったのにゃ……?」

「分からん、そしてどうでもいい! さっさと果てろ!」

 

 こんな隙を見せられたら即座に爆弾を起爆、といきたいところだが、今回はそうもいかない。お生憎様、今回は海上。それも、船の上だ。大タル爆弾で引火どころか甲板が吹っ飛ばされるなんてことが起きたら、まさに本末転倒。セルレギオスの思うツボだろう。

 というわけで、今は大人しく斬りかかった方が得策というべきか。その考えを肯定するように、突進に威力を上乗せした片手剣が唸り、イルルの持つ王ネコ剣ゴロゴロが吠えた。

 

「ギュアゥ……」

 

 一方のセルレギオスといえば、斬撃に対する反応もあまり見せようとしない。

 というよりは、反応を示すことが出来るほど体力も残っていないようだ。やや半開きに瞬くその瞳は、意識が半ば混濁しているようだった。

 そんな奴の頭に付着した、俺の片手剣――テオ=スパーダから溢れる粉塵は、まるで星の瞬きのように徐々に光を赤らめていく。

 

「にゃっ……これならどうにゃ!」

 

 そんなセルレギオスの顔に向けて、イルルは懐から大きなブーメランを取り出した。

 巨大ブーメランの術。より巨大なブーメランを取り出し、より苛烈な遠距離攻撃を繰り出すネコの技。王ネコ剣ゴロゴロの光を受けたそのブーメランは、空を覆う雷雲の光も享受したかのように電光を帯びていく。

 

「ギィイッ!」

 

 その軌跡は、確実にセルレギオスの額を射抜いた。その威力と衝撃に、流石の奴も耐え切れなかったのか、大きく仰け反ってその苦痛さを体で表現する。

 だが、それだけでは終わらない。その衝撃が火打石になったかの如く、ブーメランから伸びた電光が粉塵の尻を蹴った。

 青い電光が伝ったのは緋色の揺らめき。

 その青が加わることで、赤の世界に色が差す。

 赤から橙へ。橙から黄へ。黄から白へ。

 

「ギッ――ピイイィィッ!?」

 

 瞬間、セルレギオスを覆っていた粉塵は一斉にその身を弾けさせた。苛烈な衝撃波へとその身を変貌させたそれは、真っ先に奴の脳を揺らし、その刀角に罅を入れる。光を反射し、金色に染まったその角に、一筋の亀裂が走ったのだ。

 その思いもしなかったであろう衝撃によろめいたセルレギオスだが、気丈にも倒れることを拒み、右脚を軸に体を支え直した。

 

「しぶといな。……なら、これならどうだ!」

 

 体を支えることに集中し過ぎるあまり、がら空きとなったその頭。

 俺はその隙を射抜くように、自らの体を奴の懐に忍び込ませる。そうして、甲板を蹴り上げるその両脚で、まるでばねのように身を屈めた。

 

「はぁっ!!」

 

 その力を解放するように、俺は奴の頭の真下で甲板を踏み抜いた。それと同時に、この右手の盾を鈍い感覚が走る。まるで剣に盾を打ち付けたような、そんな感覚。

 

 テオ=スパーダの分厚い盾と、セルレギオスの剣のような頭がぶつかり合う。起こった現象を表現するならこれが最も分かりやすいだろう。その衝撃音があまりにも強烈で、同時に大気を鳴らした破裂音は掻き消されてしまった。セルレギオスの刀角を根元から折り砕く、何とも空虚な破裂音が。

 

「にゃ、あ、危ないにゃ!」

 

 驚きのあまり飛び退いたイルルの足元を、突き刺すように刀角が射抜く。

 そう、罅の入ったその刀角は、今俺の繰り出した【昇竜撃】によってとうとう破壊されてしまったのだ。根元から綺麗に折れたそれは、正に重力に乗った刀剣のように甲板を斬り裂いていく。一体どれほどの斬れ味を、折れてもなお内包しているのだろうか。

 雷鳴と、不可解なスパークの振動が伝わる中。

 海が何かで荒れるような音を立てる中。

 そんな中で、その刀角の持ち主であるセルレギオスは痛みを振り払おうと頭を震わせる。未だ滞空し続けている俺になど、全く眼も向けずに。

 

「お背中いただきッ!」

 

 まるで殴ってくださいとでも言わんばかりに剥き出しにされたその背中。その剥がれた皮膚を撃ち抜かんと、俺は再び右腕に力を込めた。

 重力に捕まり、急速に落下するこの体。その重力をも上乗せした右手の盾は、千刃ごと奴の体を打ち砕く。鈍い音が雷鳴に負けじと鳴り響く。同時に、かなりの質量のものが横転した音も轟いた。

 

 地に伏せ、先程以上に剥き出しにされたその背中。ここぞとばかりに俺は剥ぎ取りナイフを取り出して、がら空きになったそれへ飛び乗った。

 突然背中に何か張り付く感覚に怖気が差したのか、セルレギオスは渾身の力で暴れ出す。

 

「ふ、振り落とされたら海に真っ逆さまにゃ! 気を付けて旦那さん!」

 

 心配と焦りを含んだ声を上げるイルル。息を整えようと隙を晒すその背中から、彼女に応えようと顔を上げた。その瞬間、俺の視界に突飛なものが映り込む。

 

「大丈夫、そんなヘマは――は?」

 

 言葉にするなら、青い光だ。

 スパークとプラズマを足して二で割ったかのようなそれは、耳障りな音を立てながら宙を駆けて、一直線に、隙を晒したセルレギオスへと飛び付いた。

 

「ピイィィッ!?」

 

 直後、凄まじい電撃が走る。まるで落雷の衝撃を思わせるそれは、全身を覆うその千刃を無慈悲に焼いた。その体質故、普段から電気を苦手としているセルレギオスだ。痛みを我慢することなど出来なかったのだろう。そう思わずにはいられないほど激しく、大きくその身を仰け反らした。

 普段ならば、それは大きな隙となる。狩猟に当たって逃さずにはいられない絶好のチャンスだ。

 だが、今はどうか? 背中に人間が張り付いている状態で、その身を大きく仰け反らしたら。そうなると当然、背中に張り付いた人間は。

 

「うおっ……嘘だろ……ッ!?」

「だ、旦那さーんっ!!」

 

 手に持っていたナイフは一直線に海へと落ちた。いや、ナイフだけじゃない。放り出された俺の体も、海に落ちるまでものの数秒もない。

 命綱も何もないこの状況、荒れた海に落とされたとなった暁には、俺は。

 

 

 

 

 

「うにゃっ……が、頑張って旦那さん……! い、今、上げる……からぁっ……!」

 

 全身で鈍い水の音を感じる。そう身構えていたが、その瞬間は訪れなかった。

 代わりに感じたのは、虚を掴んでいた筈の右腕を包む柔らかいもの。そう、まるでネコの手のような。

 

「……イルル……お前……」

「にゃっ……にゃああぁっ!」

 

 その小さな腕で。その小さな体で。甲板の端という落下と紙一重な位置で、俺の右手を何とか掴んだらしいイルル。彼女は、何とか俺を引き上げようと懸命にその身を奮わせていた。

 一人の人間の重さは、アイルーの体重の数倍を軽く超える。彼女も巻き込まれて落ちるのは、最早時間の問題だ。そんな、無謀とも言える彼女の行動に、俺の命は何とか繋ぎ止められていたのだった。

 

「イルル……ッ! そんな、無茶だ! それより後ろ、狙われるぞ!」

「そんなこと言うならっ……早く左手で身を……にゃ、支えてほしいにゃ……っ!」

 

 何とか振り絞ったようなその声に、いよいよ彼女にも限界が近いことが察せられる。そんな促しに応じるまま、幾度と空を掴んだ俺の左手は、筋を軋ませながらも何とか甲板を握り締めたのだった。

 両手で体を支え、何とか上半身を甲板に乗り上げさせる。イルルは安心したように力を抜き、濡れる甲板に尻餅をついた。その表情を染めていたのは途轍もない脱力感、そして心の底からの安堵感だろうか。

 荒れる息を整えながらも、何とか彼女に礼を言おうと顎を動かした瞬間だった。そんな暇も与えないと言わんばかりに、船が大きく揺れたのだ。まるで人間の何倍も巨大な何かが乗り上げたような、そんな揺れ。

 

「グゥルルル……」

 

 身を竦ましかねない重低音。圧倒的な質量。力強い肢体。俺が認知したものはそれだった。

 海のように青い甲殻。厳つい顔つきに無骨な角。薄く光を帯びたその背中は美しく、長く強靭な体は勇ましい。王者の風格とでも言えばいいのだろうか。流石は大海の王者にして、種を代表した名を与えられただけはある。

 海竜、ラギアクルス。突然の乱入者、そして先程の横槍をした張本人だろう。

 

「にゃ……何、何にゃこの状況……!」

「そうか、孤島地方の海域だもんな。コイツが現れるのだって何ら不思議じゃない、か……」

 

 凍り付きそうになるほど鋭いその瞳は、鎌首を(もたげ)げながら甲板全体を見回し、底を尽きそうな体力を振り絞って威嚇するセルレギオスを見定めた。

 セルレギオスは、畏怖の込めた色を瞳に燈しながらも、懸命に雄叫びを上げる。直撃した雷球によって新たに刻まれたその生傷故か、まるで慟哭のような声で。

 

「……旦那さん、もしかして……あの飛竜が怪我していたのは」

「あぁ、十中八九ラギアクルスと戦っていたんだろう。……だけど、少し腑に落ちないな」

 

 遭遇時から目立っていたセルレギオスの火傷。今し方ラギアクルスに刻まれた傷を見る限り、奴らが先程から争っていたことは間違いないだろう。大方、相性の悪いセルレギオスが分の悪い展開に持ち込まれ、スタミナ回復のために目に付いたこの船を襲ったとか、そんなところだろうが。

 だが、それでも腑に落ちない部分がある。それはラギアクルスの損傷具合だ。

 

「角も、爪も……ところどころ欠けて、胸の甲殻にも罅が入ってるにゃ。随分激しい戦いだったみたいにゃね……」

「それはそうだけどよ……少し変じゃないか?」

 

 にゃ、と不思議そうにイルルは俺を見た。

 一体何が変なのか。全く見当がついていないらしいが、ラギアクルスの甲殻をよく見れば分かるはずだ。

 角は片側のものが見事に折れ、その根元が露わになっている。爪や甲殻も砕けた部分があり大きな負荷を掛けられたことは明白だ。巨大な尾はより一層損傷が激しく、辛うじて骨と皮で繋いでいるくらいだ。

 だが、これらはセルレギオスとの戦闘で生まれた傷であるとするならば妥当なものだろう。俺が感じた違和感は、これらの傷に隠れたーーされどその全身に広まった、大きなものだった。

 

「にゃ……あれ? 右側が……」

「分かった? そう、それだよ。打撲の痕だ」

 

 イルルが気付いたように首を傾げた。彼女の視線の先で唸り声を上げる海竜。その右半身こそ、俺の感じた違和感の正体だった。

 

 打撲痕。

 

 一部だけではない、右半身を満遍なく覆うようにそれは広がっている。腫れ上がっている部分もあれば、内出血したように青い染みが出来ている部分もある。下半身側に至っては血腫が出来ているほどで。

 とてもではないが、セルレギオスの体格で付けれるような傷とは思い難い。では、一体何故このような怪我をしたのだろう。

 巨大な物に体当たりしたのだろうか。それとも、巨大な者に体当たりされたのか。

 

「ゴアアアァァァァッ!」

 

 詮索するなとでも言わんばかりに、ラギアクルスはその大きな顎を開いた。開いた顎が震えるように、そこから爆音が撃ち出される。海竜の強烈な咆哮は海を打ち、空を穿った。

 その咆哮音の反響が収まり切る前に、奴は再び喉を光らせる。雷光を凝縮したような、青く鋭い光が奴の喉からじわじわと漏れ始める。

 

「にゃっ! 眩しいにゃあ……!」

 

 ラギアクルスはその長い首を振り回し、口内に貯めた雷光を解き放った。直後目を射抜くような光と共に、再び雷球がセルレギオスへと迫る。またもや、新たな火傷を刻んでしまうのか。

 ところが、奴は文字通り全身全霊でそれを避けた。砕けた両翼で宙を押し、痛んだ両脚で甲板を蹴って。乱気流に乗り上げるように、その光から身を躱したのだった。

 

「ギィィィッ!」

 

 そうして飛び上った奴は、まるで尾を軸にするかのように両脚を上げた。大気に脚を乗せるが如く。重力などないものとして。そうして振り上げられた両脚の爪は、天を駆ける雷光を反射させ、見る者を魅了するような幻想的な絵を創り出す。

 だが、その絵のインクはあっさりと流れ落ちた。

 

「イルル! 伏せろ!」

「にゃっ!」

 

 甲板に体を押し付けて。四肢を四つん這いにさせて。そうして身を伏せた俺たちの上を、凄まじい勢いの風が削いだ。まるで斬撃のように鋭いその風は、大気ごと甲板へ――甲板の上で唸るその海竜へと襲い掛かったのだ。

 軸にした尾を囲うように斬り吹いたその風は、一振りの刃と言っても過言ではない。そしてその風は、甲板の上を滑るように飛び、海竜の尾へと直撃した。

 

 皮が斬り裂かれる音と、骨が断ち切られる音。

 それが響いたと思えば、今度は何かが甲板に落下する音が響く。雨と海水で潤うその甲板に、鈍重な落水音が響く。

 

「……マジかよ。尻尾斬りやがったぞアイツ……」

「にゃっ……気を付けて旦那さん! ラギアクルスは怯んでないにゃ!」

 

 イルルの驚愕の声が漏れた。

 そう、彼女の言葉が示した通り、ラギアクルスは尻尾を切断されたというのに全く怯むことはなかったのだ。まるで平然と、風のように宙を舞うセルレギオスを睨み続けて機会を待っている。

 思えば、奴の尾は最も損傷が激しかった。それも肉はほとんど切り裂かれ、骨と皮で何とか繋ぎ止めているという状態。最早、感覚が麻痺し痛みも何も感じていなかったのかもしれない。

 

「ゴアアァッ!」

 

 ラギアクルスが、とうとう動き出した。

 体に纏わりついた雨と風、そして負荷を振り払うように宙で態勢を立て直すセルレギオス。そんな奴の翼に向けて、その長い首を撃ち放ったのだ。

 その巨大な頭部と鋭い牙、そして強靭な顎は、かつての水棲生物の頂点であったジャングルガビアルのものとは比較にならないほどの脅威を孕んでいる。そんな顎が、刃の翼を噛み砕いた。

 

「ピイイィッ!?」

 

 あまりある力に、セルレギオスは悲痛な声を上げた。その甲高い音に隠れるように、剣が折れる鈍い音が響き渡る。剣が折れ、堅が折れ、腱が折れて。

 噛み砕く勢いで顎に力を送るラギアクルスは、自身の口内が斬り刻まれていくことも全く気に留めず、むしろその顎を離すまいと目を爛々と輝かせた。

 セルレギオスの悲鳴は続く。もう自分は飛ぶことができないと悟ったような、絶望を孕んだ声だった。

 

「……ッ! イルル、下がるぞ! このままじゃ轢かれる!」

「にゃあっ!」

 

 顎を軋ませながら、その四肢の筋肉を強張らせる海竜の姿。それが目に入った時には叫んでいた。この海竜は、次に、走り出す、と。

 俺とイルルが甲板の端に身を逃避させたその瞬間。投げ出すように飛ばしたその身の背後を、強烈な風が吹き荒れる。野太い海竜の声と、飛竜の慟哭を飲み込むようなその風の音は、甲板を剥がしながら海へと流れ込んだのだった。

 

「にゃっ、まさか……引きずり込んだにゃ!?」

「俺らがセルレギオスにとっての餌なら、ラギアクルスにとってはアイツが餌ってか……!」

 

 身を起こし、荒れた甲板に目をやれば――あの二種類のモンスターの姿は既に海の中へ消えていた。

 目に入ったのは、剥がれ落ちた甲板と空けていく空。雷雲が去ったようにその色を薄めていき、その隙間を射抜くように光が差し込み始める。あれだけ降っていた嵐のような雨はもう一滴も落ちてこず、心地良い穏やかな潮風が肌を撫でた。

 

「にゃあ、とにかく一件落着にゃあ。良かったにゃあ……」

「……チッ、クソ飛竜を喰ってやろうと思ったのに。あの海蛇野郎……」

 

 横取りしやがって、と吐き捨てるように漏れた声に、イルルは呆れたような鳴き声を上げる。彼女の言う通り、何とかモンスターの襲撃から船を守ることは出来たのだ。その点に関しては、クエストのメインターゲット達成と言っても過言ではないだろう。

 しかし、肝心なローストイャンクックの代わりとなる飛竜の確保には失敗してしまった。こうなれば、少なくとも俺としてはクエスト失敗の烙印を押さざるを得ない。

 

「はぁ。全く、萎えるのもいいとこ……ん?」

「にゃ?」

 

 残っていたのは、捲れた甲板だけではなかった。ヒレのように薄い、されど締まっているその姿形。質の良い色と、弾力性に富んだその筋。切断面からは、肉厚な内部が露わになっている。

 セルレギオスが切断した、ラギアクルスの尻尾。陽の光を優雅に浴びているそれは、甲板の上で静かに佇んでいたのだった。

 

「……いいじゃん、いいもの残ってんじゃんかよ!」

 

 ローストイャンクックの代わりに。

 セルレギオスの代わりに。

 何とも面白い置き土産を残してくれたものだ。海竜の尻尾、それは俺も未開拓な味だ。

 

 余談だが、海竜の尻尾はササミのような味がするとか何とかで、孤島地方では食材として嗜まれているそうだ。モガの村には、漁師でありながらもラギアクルスを狩猟することが出来る屈強な集団がいるらしく、普通に出回っているのだとか。

 だが、一体どうするべきなのだろうか。目の前にあるというのに、俺はその尻尾を剥ぎ取れないでいた。まるでお預けを喰らった犬のような気分だ。

 

「……剥ぎ取りナイフ、海に落としちまったんだった。どうしよう……」

「にゃあ、ナイフだけで済んだだけまだ良かったと思うけど……」

 

 不満そうにそう呟いたイルル。確かに、俺を救ってくれた彼女にそう言われてしまえば、俺には反論の余地はないのだが。

 そんなどうしようもない気持ちを胸に、憂いを漂わす彼女の方へと振り返ればーー彼女の横に立つあるものが俺の視界を独占した。

 太陽の光を浴びて金色に輝くそれは、見る者を魅了して。いとも簡単に甲板を斬り裂くその斬れ味に、料理人は羨望して。

 そう、先程俺たちが砕いた千刃竜の刀角。それが未だ甲板に残っていたのだった。

 

「そうだ……コイツを使えば剥ぎ取れるじゃないか」

「にゃ……っ!? 剥き出しの素材を使うの……にゃっ!?」

 

 刀角の先端の斬れ味は、見ての通り非常に鋭い。しかし砕けた根元部分なら、斬れ味はほぼ皆無のようだ。そこを掴めば、全く問題なく剥ぎ取りナイフとして代用が可かもしれない。

 手にとって振るってみれば、斬れ味はやはり極上そのもの。肉厚なこの尻尾も、簡単に斬ることが出来るほどだった。

 血抜きをしながら尻尾の可食部分を剥ぎ取ろうと試行錯誤していると、甲板へと続く扉が乱暴に開かれた。そこから姿を現したのは、あの乗務員アイルー。どうやら随分と静かになったことに気付き、様子を見に来たようだ。

 

「ニャ、もしかして……ニャッ、ハンターさん! モンスターは……!?」

「無事撃退したよ、大分甲板は荒れちまったが」

 

 甲板が証明する激戦の爪痕に彼は驚愕しながらも、九死に一生を得たような声を漏らした。

 雲も流れ去り、晴天に晒されたこの甲板を満たす嵐の後の静けさ。その静けさを、船に乗り合わせた者達の安堵の声が塗り替えていく。

 そのはずだったが、そこに肉を剥ぐ音と、一人のハンターの突拍子のない一言が加わった。

 

「この船って厨房もついてたよな? 怪鳥の代わりにコイツを是非ローストしてくれないか?」

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「さぁさぁ、やっとこの時がきましたよ。待ちに待った実食タイムだ」

「旦那さん……。多分こんな注文するのは旦那さんが最初で最後だと思うにゃ」

 

 荒れた甲板。吹き荒れる潮風。晴れ渡る、何処までも澄んだ空。

 その開放感溢れる空間で、俺は右手に収まった“ローストラギアクルス”の香りを十分に享受した。あっさりとした淡泊な印象が目立つラギアクルスの尻尾に、濃厚なブレスワインのタレをたっぷりと掛けられたこのロースト。陸で生まれたワインと海で育まれた肉。その二つの味が混ざり合い、正に陸と海の共震を創り出している。

 

 横で呆れ返るイルルにも満足な返答が出来ないくらい、俺はこの肉に喰らい付こうとする自分を抑えることが出来なかった。そうして、思いのままに肉を噛み締める。

 

「んも、これは……ッ!」

 

 歯に伝わってくる、柔らかな内皮の感触。弾力を豊富に盛り込まれているその皮は、ただ噛み付いただけでは簡単に噛み千切れず、顎を引けば負けじとその伸縮性を露わにし始めた。ガーグァの鳥皮を感じさせるようなその感触は、皮に包まれた内部の肉も同時に感受させる。こってりとしたタレに彩られながらも、自らの象徴とも言えるあっさりとしたその味を感じさせるその風味。

 その何処か鶏肉に似通ったような食感も是非、いつまでも楽しんでいたいものだが――俺は次なるステップを求め、引き千切るようにその皮と肉を分離させた。そうして、程よい大きさに噛み切った肉を口の中に投げ入れる。

 上顎と下顎を存分に使ってその食感を楽しめば、いよいよ肉らしい噛み応えが顔を出してきた。それでいて、そっと口の中で解けていく感触が口内を満たしていく。

 ブレスワインの、アルコールを感じさせないこってりとしたタレが舌を覆い、その上から海竜の淡泊でありながらも芯の強いその味が舞い踊る。

 陸と海のハーモニー。大地と海が育んだその味は、双界の覇者と言っても過言ではないのかもしれない。

 

「……美味い、如何にも肉らしいこの味が堪らない。あー、達人ビール欲しいなぁ」

「無い物強請(ねだ)りにゃあ、ユクモ村に着くまで我慢してにゃ」

 

 漏れ出た俺の呟きに、イルルの溜息交じりの声が混ざり込む。それを潮風が静かな音を立てて海へと流していき、穏やかな波の音が上から塗り替えしていった。

 緩やかな波に揺られて。心地良い潮風に撫でられて。美しい青空に見守られて食べる飯は素晴らしいの一言だ。風味よいこの味も、船旅の中で食べてこそ、とも感じる。

 

 澄み渡る空のその先、遠海の方へ目をやれば、再びあの光が目に映った。

 嵐の中、憤怒に燃えるような緋色に染まっていたその光。それは、今は穏やかな、それでいてボンヤリとした光へと変わっている。

 この船からではその光が一体何なのかは分からないが、このローストラギアクルスを彩る脇役としては十分だ。青い海を静かに彩るその光は、咀嚼されるこの味の華も煌びやかに輝かせてくれる。

 

 陸と海の共震は、俺の心を海のように深い感動で震わしていた。ローストラギアクルスを完食するまで、ずっと。

 

 

 

 

 

~本日のレシピ~

 

『ローストラギアクルス』

 

・海竜の尻尾     ……250gほど

・ブレスワインのタレ ……たっぷりと

 

 




 

てなわけで後編終了です。はい、こんな展開になりましたぁー。
いやぁ、このままセルレギオス実食まで持ち込んでも全然いいんだけど、それだとあまりにも捻りがないかなぁ、となりまして。どうせ孤島地方の海を経由するなら私の大好きなアイツを登場させてしまおう、と前編を書く直前に思いつきました。けれどそのせいでうまくまとめ切れず、結局前編後編スタイルに。まぁ、クロスでラギアさん復活記念と言うことで!
正直復活ラギアさんはラギアクルスの皮を被った古龍級の化け物のような気もしないでもうわ何をするやめ(ry

こほん、まぁとにかくこれにて船旅は終了。次回からはやっとユクモ村に上陸ですね! 上陸っていうよりユクモ村に行くにはそこから陸路か空路使わなければですが。うん、きっとそこは省略します。
 
それでは、また次回で!


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