モンハン飯   作:しばりんぐ

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あけましておめでとうございます。
(投稿日1/6)





渡らぬ先にストトントン

 

 年末の慌ただしさを抜けたこの市場都市、バルバレ。

 今年最後の卸売りという謳い文句で各地から客を集めたこの町は、最後の最後に一年の中で最高の買い物客数を叩き出した。そんな圧倒的な賑わいの中、とうとう年越しを迎えている。

 年貢の納め時と言わんばかりに商人たちは店をたたみ、バルバレはまるで火が消えたかのように静かな年末を迎えた。まぁ、たった一日だけなのだが。

 日が一番に顔を出す頃には一転、まるで彩鳥が吠え合うような喧噪を再び生み出していている。

 これがバルバレ流年越しの仕方。俺がここに住み始めてから迎えた第一の年越しは、中々慌ただしいものだった。

 

「本当に慌ただしかったぜ」

「……旦那さん、鬼気迫る表情で買い物してたにゃあ」

「そりゃあ人の群れがやってきたからな、欲しいものが次々と消えるし……まぁ、早い者勝ちって奴だ」

 

 今年最高の買い物客数。それが何を意味するか。

 非常にたくさんの人間が訪れることでバルバレにある、本来なら余るくらいの量の商品が売り切れるという非常事態が発生するのだ。

 年末に食べる物といえば?

 今年最後の晩餐、年越し蕎麦、様々なつまみ、そしておせち料理──ユクモ地方での伝統とされるこの特徴的な品々は、勿論このバルバレにも流通している──などなど。

 その量、そのバリエーションともに非常に多岐に渡るのだ。それを突如金獅子の如く乱入してきた、どこのケルビの骨とも分からない買い物客が買い漁ってしまったのならば、あとは言わずもがなだろう。

 

「大体な、俺の頑張りのおかげで年末に美味い飯食えたんだぞ。少しは感謝してくれよな」

「にゃ……感謝はしてるにゃあ」

 

 行き交う人込みにアタフタしながらも、イルルは俺にそう言ってくる。が、相も変わらず、人の多いこの往来では会話もままならない。

 年を越えた今、このバルバレでは新年大売出しと謳いさらに客を集めようとしているのだ。年末ほどではないとはいえ、客の数は十分多い。うっかりしているとイルルとはぐれかねないな。

 

「よっこいしょ」

「にゃ、にゃんっ!? ふ、ふにゃ……」

 

 まぁそういうわけで、危なっかしい彼女を軽く抱きかかえる。こうすれば逸れることはないだろう。一方の彼女は少し驚いたような素振りを見せたものの、とりわけ乱れることもなく、その両の肉球で俺の服をつまんでくる。

 これで歩く速度を考える必要はなくなった訳で、俺は脚の筋肉にもうひと押し力を込めた。買い物客は非常に多い。ならば、なるべく早く目的の店に行き、お目当ての商品を手に入れたいというのが人の(さが)だろう。

 

「……だ、旦那さんは何処に向かってるんだにゃ?」

「雑貨屋だ、大通りにあるあの店。ちょっと欲しい具材があってな」

「今夜のご飯? それも狩りに行かずにとは珍しいにゃ」

「いや、明日の朝食用だ。……狩りは、そうだなぁ」

 

 年越しの時期は、このバルバレのような市場から移動に携わる竜車、船などがごった返しになる。そのためギルドの情報、管理もまた複雑化するため、クエストなど依頼の対応が遅れることがよく起こるのだ。そうなれば当然起こるのは、クエスト数の減少。

 まぁ、そもそも年明けシーズンに依頼してくる人間はそう多くないのだが。いるとすれば、余程の暇人か、相当切羽詰まった人間かの二択だろう。平凡な価値観の持ち主ならば年末くらい身を休めたいと考えるはず。

 

「依頼少ないし、かと言って探索に行くのもアレだし」

「……未知の樹海かにゃ」

 

 確かにクエストがなくとも未知の樹海に探索に行けば、自由に狩猟地で採集に勤しむことが出来る。あれは依頼に応えるのではない自主的な行動のため、ギルドに報告さえすればいくらでも探索を行えるのだ。

 だが、そうだといって「では探索に行こう」とはならない。年末とは、忙しい時期である、と同時に家族とゆっくり過ごす時期でもある。それは人間でもアイルーでも変わらない。

 つまり何が言いたいのかというと、竜車を動かすアイルーも本来なら休んでいたいのだ。

 

「言いたいことは分かるよな?」

「にゃあ。つまりお金にゃ?」

「あぁ、この時期はかなりぼったくられるぞ」

 

 この休みたい時期だというのに。家族と共に年末年始を過ごしたいというのに。

 そんな今この時に業務に駆り出され、労働を強いられるとなれば、如何に温厚なアイルーといえど黙ってはいない。さながら牙獣種のように吠え、恐ろしい勢いでアプトノスを走らせるだろう。そして、ハンターから恐ろしい額を吸い取っていく。

 

「……ま、とにかく。この時期は大人しく買い物してようぜ」

「にゃ、分かったにゃ。……ボクもあったかい部屋で休んでいたいし、賛成にゃ」

 

 まふまふと口元を動かすイルルに同意を貰った上で、俺は集会所へと続く大通りで仁王立つ、目的の雑貨屋へと辿り着いた。その店の前では黒く焼けた大柄の女性が、これまたよく響く声で客を集めている。

 彼女はこの店の看板娘――ではなく、女手一つで店を繁盛させた凄腕の商い屋。今日もまた、張りのある声をバルバレ内に響かせている。

 

「おっす女将さん。精が出るな」

「おや? シグの坊主じゃないか、よく来たね! ……ん、イルルちゃんも一緒かい?」

「にゃ、こんにちはにゃ!」

 

 そんな彼女に向けて声を掛けてみれば、彼女は嬉しそうにその大きな口を横に伸ばした。

 日差しの強い地域で暮らしてきた事がよく分かる、その大きな手。それでイルルの頭を一通り撫でてから、今度はじっと俺を見る。大海のような青に染まった大きな瞳に、俺の顔が映り込むくらいじっと。

 

「買い物かい? 何が欲しいか言ってごらん」

「えーっとだな……薬草と、げどく草をくれ」

 

 薬草とげどく草。普段ならばまだまだ駆けだしのハンターたちが買い求める、最も底辺とも言える治癒用品。上位、もしくはG級ともなれば単体でお世話になることはほとんどないであろうその草を、俺は今欲している。

 それを聞き間違いだと思ったのか雑貨屋の主は不思議そうに耳を穿り、目をパチクリさせたものの――確認するように、その唇を震わせた。

 

「そ、そんなものでいいのかい? ほらもっと、回復薬とか解毒薬とか」

「いや、いいんだ。あ、あと雪山草とか霜降り草とかも入荷してる?」

 

 商売が繁盛するこの時期だ。ある程度成熟した商人たちはいつ、どのタイミングにどれくらい幅を利かせた商品を入荷させれば儲かるかを把握するようになる。そしてそのタイミングこそ今この時であり、ましてや彼女はこのバルバレでもトップレベルの腕を持つ商人だ。いつもなら店頭に置かないような商品も、きっと扱っているだろう。

 

「ま、まぁあることにはあるけどね……。ちょっと待っておくれよ!」

「おぅ。助かるよ」

 

 やや納得いかないような表情を見せながらも、彼女は店の奥へ潜っていった。俺の予想通り、この店は普段置いていない雪山草と霜降り草を扱っていたようで、計画通りにことが進んでいるのを実感してか、俺の口角は静かに上がり出す。

 そんな俺を肩の上でじっと見ていたイルルは、不思議そうに首を傾げた。彼女としても、何故俺が今更になって薬草などを求めるのかが分からないようで、どうしたものかとその口を震わせる。

 

「旦那さん……草なんて買って、どうするのにゃ?」

「――粥を作るんだよ。七草の粥をな」

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「……随分まぁ、集まったにゃあ」

「えーっと……薬草、げどく草。雪山草に霜降り草。落陽草からネンチャク草、そしてトウガラシ。こんだけあれば充分だろ」

 

 そんなこんなで買い物を終えた俺たちは、陽が沈んだ事で瞬く間に底冷えする街路から逃れてきた。要は帰宅し、早速調理に取り掛かっているという訳だ。

 我がボロ屋の台所。老朽化故に多く残る隙間から冷たい風が入り込むこの場所で、俺は数々の薬草たちを広げてはその鮮やかさに唸っていた。

 

「……うん、良い色だな。中々彩豊かになるかもしれん」

「確かに色は綺麗なんだけど……にゃあ」

 

 深く取り込むような緑に染まった薬草。

 まるで雪の様に、降り積もらんとする白を帯びた雪山草。

 粘つきを残しながらも、白玉を彷彿とさせる透き通った色を持つネンチャク草。

 また、赤みを帯びたトウガラシも鮮やかなものとなっている。これを草と判断するかは微妙なところだが、少しピリッとしたアクセントを用意したいという俺の粋な計らいの結果、投入することとなった。

 そして、辛味が苦手なイルルはそれが御不満なようで、何度かそのトウガラシを見てはどうしようかと溜息を吐いている。

 

「そんな心配すんな。量は少なくするし、ピリッと美味しくするだけだから」

「量……旦那さんの基準は当てにならないにゃ」

「何だよ、つれないな」

 

 俺が普段盛り付ける量がそんなに気に入らないのか。彼女は不満そうにそう言っては小さく鼻を鳴らした。俺としては、小食な彼女はもう少し肉を付ける必要があるという考慮なのだが――彼女としては余計なお世話だったりするかもしれないな。

 まぁそれはいいとして、早速調理に取り掛かろう。確か、調理に当たっての作法のようなものがあった気がする。

 

「取り敢えず、礼式通りにやらないとな……」

「……? 包丁としゃもじ? わざわざ両手に持って……どうするのにゃ?」

「こうするのさ!」

 

 右手にしゃもじを。左手に包丁を。

 立てたしゃもじと包丁の背を、まな板の上で転がる様々な薬草に小気味良いリズムで打ち付ける。まな板としゃもじに板挟みにされた霜降り草はその繊維を(ほぐ)し、包丁に打ち付けられたげどく草は茎と葉を粗く分離させた。固いものが打ち合う音が鳴り響き、その音が層を重ねるごとにまな板の上の葉草はその層を崩していく。

 

「七草げどく~、凍土の竜がユクモの国に~渡らぬ先にストトントン~」

「な、どうしたのにゃ旦那さん……。すっごい変な歌……というよりは音痴?」

「失礼な奴だなお前」

 

 七草粥といえばこの曲。それを何となく口ずさんでみれば、イルルからは最早嘆きとも言えるような、如何ともし難い憂いが漏れた。マイルドな発言とは到底離れた彼女の言葉。流石の俺も、心に剥ぎ取りナイフを突き付けられたように少し痛い。

 

「これはな、ユクモ村の知り合いが教えてくれた歌なんだよ。あっちの方はこう歌いながら七草を砕くらしい」

「……なるほどにゃ。そういえば聞いたことあるにゃ。知り合いで口ずさんでいた子がいたにゃ」

 

 バルバレに流れる前だ。ユクモ村在住の同業者が、この歌を口ずさみながら粥を作ってくれたのがそもそもの始まりだった。あの時は狩猟地で適当に混ぜ合わせた具材だったが――。

 イルルはイルルで、アイルー間でのネットワークのようなものがあるのだろう。実際、ネコ用ユクモシリーズを身に付けたアイルーを時折見かけることもある。彼らも彼らで様々な土地を渡り、己の郷土の技を広めているのかもしれない。

 

「伝統なんだとさ。礼儀というか何というか、こうやって調理するのが大事らしい」

「……旦那さんの歌はむしろ失礼なんじゃないかにゃ?」

「おまっ……ッ! ……じゃあ、そこまで言うならお前が歌ってくれよ」

 

 俺の歌唱力へのダメ出しを緩めないイルル。我ながら自信があったそれを、さながら砕竜の如く粉々に打ち砕いた容赦のない一言に、俺は思わず歯を食い縛った。

 そんな彼女はというと、俺の促しに応え意気揚々と歌い出す。楽しそうな様子で歌う彼女の声色は高らかで、そうかと思えばどこか和やかで。ネコだからといって馬鹿に出来ない歌唱力。俺の想像していたもの以上に綺麗で、透き通っていた。

 悔しいが、とても上手だった。

 

「……~凍土の竜がにゃ~」

「可愛いな、畜生……」

 

 可愛らしい彼女の様子に少し声を漏らしてしまったが、彼女は気付くことなく歌い続けている。

 そんな彼女の歌声の下、七草を綺麗に細かく砕いた俺は米の用意だけを済まし、早々に切り上げた。米は五穀豊穣米。これもまたユクモ地方でよく用いられる、風味豊かな米。それも雑穀入りだ。

 豊穣の象徴とも言えるほどの豊かな質と量を誇るこの米は、ユクモ地方産のこの粥に最も相応しいと俺は確信している。

 

「んにゃ? お米は炊かないのにゃ?」

「あぁ、それは明日の朝やるのさ。これもまた礼儀作法よ」

「……相変わらずのこだわり具合にゃあ」

 

 

 

 

 

 結局その日は適当に後片付けを済ませ、早々に床に就いた。イルルの口ずさんでいた歌が耳に残っていたからか。はたまた昔の友人のことを思い出したからか。

 俺は夢を見た。

 夢の中で俺は、彼と共にリオレイアと交戦していたのだ。青く澄み渡った空と、どこまでも広がっているように見える大海。そんな双蒼に囲まれた孤島の、海水が我が物顔で寝そべる広いエリア。

 雌火竜との激闘の最中、彼の大振りな太刀捌きが俺を転ばして、そのまま女王の巨大な尾が俺を弾き飛ばす。

 嫌な目覚めだった。

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

「……ふにゃ、にゃあ……。旦那さん、おはようにゃあ……」

「おー……おはようイルル」

 

 早朝。

 煌めく朝日が砂丘に反射して。黄金色に輝く大砂漠が熱を貯め始め、それに伴うようにバルバレも少しずつ体温を上げていく。そんな清々しい朝の中。寝汗が目立つ寝間着のままに、俺は台所で鍋とにらめっこを続けていた。

 そんな俺の背後からは、覚束ない足取りのイルルが目を擦りながら歩いてくる。ようやく目を覚ましたらしい彼女は、開き切ってない瞳で俺の寝間着を見て、不思議そうに首を傾げた。

 

「……みゃ? 旦那さん、どうしたのにゃ? この時期に珍しい寝汗にゃ」

「気にすんな、ちょっと変な夢見ただけだ」

 

 昔の俺の思い出が、わざわざ夢の中でぶり返してくるとは。そう叫びたいほど、リアリティのある夢を見せられたものだ。あの時リオレイアのサマーソルトをモロに喰らってしまった俺は、肋骨を何本か持ってかれてしまったものだ。

 本当に、あのユクモハンターと関わるとロクなことがないな。いや、彼がいなければ俺は今この粥を作っていないのだから、多少のミスも御愛嬌、か。

 

「さて」

 

 そんな彼が教えてくれた作り方。早くから起きたのは米の下拵えとも言える準備があるからだ。一合分の五穀豊穣米を水につけ、三十分ほど寝かす。この工程はあってもなくても良いのだが、あればやはり味は変わると彼は語っていた。

 まぁ、彼が料理した時はクエストの真っ最中だったため、あえなく飛ばすことになったのだが。つまりこの工程ありきの七草粥は、これが初というわけだ。

 

「この米を土鍋にかけて温めるとするかねぇ」

 

 水に浸けたそれを土鍋に移し、囲炉裏に火をつける。まずは沸騰させてから。それが米の味をよく引き出す秘訣なのだとか。

 まぁそんなわけで、火打石で芽生えた火炎に、炭と木材をどんどん投入していく。強火で沸騰させるにはそれなりの量が必要だろう。こんな時に燃石炭でもあればと思ってしまうあたり、随分狩猟飯が染み付いたものだと思う。まぁ、アレの火力は尋常でないためこんな狭い家で使うのは御法度だが。

 

「旦那さん、沸いたにゃ」

「お、ほんとだ。じゃあ蓋をして……二十分程度かな。少し火を弱めるか」

「弱火でじっくり、にゃ?」

「そんな感じそんな感じ」

 

 土鍋の上に蓋を置いて、囲炉裏の火を調節する。一見ただの細かな作業だが、これが粥の味を大きく変えてしまうこともあるため、油断ならない作業だ。また、鍋で土鍋の中を完全に塞いでしまっては内部で蒸気が滞留してしまうこともある。少し傾けるなどの考慮も必要だ。

 後はイルルが言った通り、弱火でじっくり米を潤わせていけば良い。弱火でじっくり――何とも食欲をそそる響きだな。

 

「うにゃ……旦那さん、膝乗っても良いにゃ?」

「ん、別に構わんが。どうしたんだよ……」

 

 共に鍋の様子を見守っていたイルルは、何やら俺の膝の上に座りたいらしい。眠気のせいか少し潤ませた瞳で、じっと俺の顔を見上げてくる。まぁ俺としても断る理由はないので一向に構わないのだが。

 そうしてすとんと、彼女は俺の上で腰を下ろした。彼女の小さな体は俺の脚の上ですっぽり収まり、それが心地いいのか、彼女は嬉しそうな声を一つ上げる。

 

「ふにゃあ……落ち着くにゃあ」

「……全く、お前も変な奴だよな」

 

 幸せそうに体を伸ばす彼女の柔らかな毛並みを軽く撫でると、彼女はネコらしく喉をゴロゴロと鳴らした。

 前々から分かっていたことだが、彼女は随分と甘えん坊な性格のようだ。まぁ、可愛らしいことこの上ないため俺としては別にいいのだけれど。

 あぁ、そうだ。そういえばこの前の話の答え、聞いてなかったな。折角二人でゆっくりできる時間なのだし、そろそろ彼女に答えを出してもらうべきか。

 

「――なぁ、イルル」

「……? 何にゃ?」

「お前さ、結局どうするんだ? ドンドルマ……行くのか、行かないのか」

 

 この前彼女に尋ねた、ドンドルマ出立の答え。考える時間を用意して、彼女の中で答えをはっきりさせるのを待っていたのだが、そろそろ彼女の答えを聞いておきたい。俺とてそろそろ出立を考えたいし、ギルドマスターに話も付けるなど、後の予定も詰まっているのだ。

 一方の彼女はそんな俺の言葉に少し体を硬直させたものの、一拍。短い深呼吸を置いて、口を開こうとした。

 そう、開こうとしただけであって開いたわけではない。

 ばちんという、やけに景気の良い音と共に弾けた一筋の火の粉と、同時に走った鈍い痛みが彼女の言葉を妨げたのだった。

 

「……っ!? あっつ!」

「にゃ、旦那さん、大丈夫かにゃ!?」

 

 何のことはない。

 燃える囲炉裏から薪が弾け、それが軽く俺の左手の甲を焼いただけなのだが。イルルはその突然の出来事に狼狽え、心配そうに俺の左手を抱え込む。

 火傷自体は別段大したことなく、そう気にする必要もないものなのだが。イルルは慌てて救急箱を取りに行こうとするこの始末。

 

「け、怪我にゃ! 回復笛……!? にゃ、傷薬……!?」

「大げさだなぁ。別にこれくらいどうってことないよ。唾付けときゃ治るだろ」

「うにゃ……むぅ」

 

 少し恥ずかしそうに、それでいてバツが悪そうな様子で彼女は俺の膝の上に戻り、あの時と同じように俺の傷口をそっと舐めた。俺がこの話を振った時と、同じように。

 今回はあの時よりも全然軽い傷であるため、そこまで気にする必要もないだろう。痛みもそれほどなく、むしろ彼女の舌の感触の方がくすぐったい。

 

「……旦那さんがボクに尋ねた時と同じだにゃあ」

「そうだな……。何でだろうな、火傷しやすい性質なのか……」

「ふにゃ……旦那さん」

 

 やたら優しい声で。やたら優しい表情で。

 改めるように俺を見上げた彼女は、少し照れるようにそわそわしながらも、じっと俺の瞳を見つめた。碧く大きいその瞳には、彼女がどんな答えを出すか、やや緊張している俺の顔が映り込んでいる。

 そんな瞳を、彼女は一度閉じて。そうしてもう一度俺を見つめ直してから、そっと口を開いた。

 

「ボクね、色々考えたけど……答えはシンプルだったにゃ」

「……というと?」

「ボクは、旦那さんと一緒にいたいにゃ。こうしてたいにゃ」

 

 宣言通りシンプルな言葉。しかしそこに詰められた想いは重厚なその言葉。彼女には、彼女なりの思いや不安はあっただろう。だが、それを差し置いてでも彼女は俺について来てくれると、そう言った。

 どんな答えでも俺は彼女の意見を尊重しようとしていたが、やはりこの答えは嬉しいものだ。

 

「……そ、そうか。いや、うん。そう言ってくれると……何て言うか……嬉しい」

「……にゃあ」

 

 中々言葉がまとまらず、しどろもどろと話す俺。イルルはそんな俺を微笑ましそうに見つめては、嬉しそうに鳴き声を一つ上げた。

 それと同時に、背後で熱を享受し続ける土鍋から、カタカタと蓋が蠢く音が聞こえてくる。どうやら中身が十分に煮えたようで、グツグツと音を立てるその鍋からは、香ばしい炊飯の香りが漂ってきた。

 

「もうそろそろいいのかにゃ?」

「……あ、あぁ。えっと、あとは昨日崩した七草と塩を注ぎ足してっと」

 

 煮立ち、鮮やかな雑穀色を生み出すその豊穣米の中へ、昨夜調理した薬草やげどく草など七草を投入した。

 熱い湯気に当てられた草たちは、その葉脈を耐え切れなくなったかのように(しお)らせながら米の海に溺れていく。そうして雑穀と七草に彩られた土鍋の中は、質素で慎ましやかな世界を創り始めた。そんな世界に少し塩の雪を降らせ、仄かな白を重ねていく。

 

「じっくり掻き混ぜて、出来上がり」

「にゃあ、ボクには分かるにゃ。細かくなったトウガラシが隠れてるのが」

「ま、そう言うな。それほど辛くないから大丈夫だ」

 

 ヒゲをピンと立てながら、イルルはスンと鼻を鳴らした。丁寧に細かく刻んだトウガラシが混ざり込んでいることを見逃さなかったようで、この粥を食べることに少し尻込みしているらしい。

 だが、俺とて彼女の許容量を考えてトウガラシを投入したのだ。きっと、彼女が思っているほど辛くはなっていないだろうが。

 まぁ、一度ご賞味あれってな。取り敢えず二人分(よそ)っておこう。

 

「さぁ、新年腹の大掃除。食べようぜ」

「……んにゃ。じゃあ、いただきますにゃ……」

 

 薬草の緑。雑穀の赤紫。トウガラシの赤。雪山草の白。げどく草の青。

 様々な色が舞い降りたこの一杯は、光を帯びる豊穣米を様々な色が我こそはと彩り、非常に鮮やかな光を放っていた。心なしか、舞い上がる湯気も彩色に染まっているような。そんな錯覚が、俺を蝕んでいく。

 お椀に盛られたそれを、まずは一口。用意したレンゲで軽く掬ったそれは口内の半分も満たない量だが、味を確かめるには丁度良い。むしろ程よい空間があった方が、風味を楽しめるというものだ。

 そして肝心なお味はというと。

 

「……にゃ、そんなに辛くない……。優しい味にゃあ」

「……だな。さっぱりしてて朝食にいいよな」

 

 一口咀嚼すれば、歯茎に伝わる米の柔らかさ。もちっとした食感と共に広まる五穀豊穣米の味はというと、パラパラとした淡泊なココットライスとはまた違う、仄かで、それでいて豊かな甘みとコクが特徴的だ。塩を基盤としたシンプルな味と、微かに顔を出すトウガラシのピリッとした辛味が絡み合い、豊穣の象徴らしい層の厚い味を形成していく。

 そんな米に寄り添うように。細かく散布した七草は、それぞれの苦味や渋みを徐々に粥の中へ浸していった。

 駆け出しの頃よくお世話になったげどく草の純粋な苦味。青味のような味をゆっくりと米に混ぜ込む霜降り草。柔らかい甘みを控えめながらも滲ませる落陽草。米の感触とはまた違う、少しふやけたような噛み応えを残すネンチャク草。そして、香草の如く深い味わいを口内に染み渡らせる駆け出しハンターの友、薬草。様々な味わいが交差するとともに、塩で彩られたこの粥に味の色を差していった。

 

「にゃあ、雪山草……美味しいにゃ。苦味もほとんどないし……」

「雪山草は雪山の極寒の最中で育つからな、葉の中に旨みを閉じ込めてるらしい。……ん、うまっ」

 

 苦みや渋みとはまた違う、旨みに分類されるような味。粥の塩味によく合うその味は、五穀に混ぜ込められた雑穀を包み込むことで雑穀特有の後味の悪さを和らげ、逆に雑穀の食感を引き立てていた。噛むごとに溢れる旨みと、ポリポリとした噛み応えが実に堪らない。

 味もよく、健康にも良い。様々な具材を入れてこそのこの味。イルルからの辛味に対する不評もない、洗練された味を生み出すことが出来たと言っても過言ではないだろう。

 

「あー……身に浸みる。味も良し、健康にも良し。もう素晴らしい」

「色んな薬草入ってるからにゃあ。体には良さそうにゃ」

「七草は胃腸に負担があまり掛からないしな。濃い味が多い年末年始には丁度良い」

 

 友が語るには、七草粥はただの伝統文化などではなく、とても理に適った習慣であるらしい。

 何でも、様々な料理で疲れた胃腸を回復させるに丁度いいのだとか。おせち料理など味の濃い、胃腸に負担を掛ける料理との相性が抜群という、ユクモの心から生まれた一品……と、彼は鼻高々に語っていた。実際のところその話の信憑性は何とも言えないが、腹に良いことは確かであると、それだけは確信をもって言える。

 

「正に腹の大掃除だ、うんうん」

「……大掃除を語るなら、お腹でだけじゃなくてマイハウスもしようにゃあ」

 

 呆れたように溜息をついたイルルの視線の先には、中身が収まり切っていない収納ボックスや、雑にインナーが重ねられた布の山が鎮座している。

 彼らは年末の買い物の代償。買い物に明け暮れた故に、整理も掃除もされなかった負の遺産である。正直手を付ける気は竜のナミダほども湧かない。

 

「いい加減服くらい整理した方がいいにゃ。あとあと使うしにゃあ」

「む……まぁ、それもそうだが。……面倒臭いなぁ」

 

 呆れるイルルの正論を頭に打ち込まれ、俺は思わずその頭を両手で覆いたくなった。しかし、そんなことをしたところでこの目の前の現実は消え去らない。彼女の言う通り、いい加減インナーを整理しなければ、裸の上に鎧を着なければならなくなってしまうだろう。

 仕方ない。取り敢えず床に転がった邪魔な衣服だけでも集めておくことにしよう。

 そう決めた俺は、お椀とレンゲを手から降ろし、空いたその両手で荒れたインナーをそっと掴んだ。その瞬間、ふと彼が言っていたとある言葉が脳内をドスファンゴの如く駆け回る。雪に足跡を残すように、記憶の軌跡に声が走った。

「……あ」

「どうしたにゃ、旦那さん?」

「そういえば、放置した着衣にキノコが自生したのを見たことあるってあのユクモハンターが言ってたな……ふむ、となると」

「やめるにゃ、絶対にやめるにゃ」

 

 

 

 

 

~本日のレシピ~

 

『ユクモ流七草粥』

 

・五穀豊穣米        ……1合

・七草 ……・薬草     

      ・げどく草

      ・雪山草

      ・霜降り草

      ・落陽草

      ・ネンチャク草

      ・トウガラシ  ……計17g

・水            ……1000CC

・氷海塩          ……適宜

 

 






ということで、思いっきりの正月ネタ。


イベントを持ち出すのはどうなのか、と自分の中で考えたものですが投稿することに決めました。正直この時期に読まなかった方には何のこっちゃとなること不可避ですしお寿司。けどまぁ折角七草粥にするなら、この時期しかないと思いまして。
どうだったかなぁ? 即興で書き上げたから内容はちょっと……。オチも微妙ですし。うーん、やはりこういうネタには手を出さない方が賢明かもしれませんね。何にせよ、勉強になった回でした。
ではでは。


シガレットが歌ったあの歌については、現実世界にある七草の歌(やや呪文的?)を参考にしました。
『七草なずな、唐土の鳥が日本の国に渡らぬ先にストトントン』
栃木あたりで伝わっているのだとかそうでないのだとか。Google先生有り難うございました。

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