キッチンに明かりがついていた。
消し忘れかしら? そう思い、パジャマ姿のルイズはトイレを後回しにして、キッチンを覗き込む。
コモンマジックのライトの効果を持つマジックアイテムの如き、蛍光灯の白い光の下に人影は無い。
が、流し台の横のスペースで存在を主張するどんぶりがひとつ。
片づけ忘れかしら? そう思い近づいてみると、なんだかおいしそうな匂いがした。
しかし覗き込んだ瞬間、ルイズの身の毛がよだつ。
これは、あれではないか。
日本が誇るTHE・ゲテモノ。
糸を引く臭い豆。
――納豆。
そう、日本で暮らし始めてしばらくして、才人と義父母がおいしそうに食べていた。
外国人の口には合わないかもしれないけれど試しにどうぞと言われ、ルイズも納豆を口にした。
――ぬっちゃぬちゃとした食感はまさしく地獄の沼。
ルイズは泣いた。
大慌てで水を三杯もおかわりして、息を切らせて泣いた。
あれ以来、ルイズは納豆を口にしていない。
才人がどんなにおいしそうに食べていても、キスする時に臭うしねばねばしそうだからやめて欲しいと思うだけの存在。
その納豆がなぜどんぶりいっぱいに!?
だがやや冷静になってみれば、どんぶりの端から白米が覗いていた。
これはあれか、カツ丼や鰻丼のような、納豆丼?
こんな時間にこんなものがあるということは、きっと才人の夜食だろう。
明日はテストがあるというので、徹夜で勉強しているはずだ。
それで、小腹が空いて、余っていた冷凍ご飯を電子レンジで温め、納豆をかけたに違いない。
ルイズの想像は概ね正しい。
だがどうだろう? この納豆、なんだか黄色い。
黒いのも混じっているが、こちらは醤油だろう。
黄色いのは……カレー? いや、カレーの匂いはしない。
それに妙にボリュームがあるというか、汁っぽいというか。
納豆ってもっとこう、豆と豆を粘液で結んでいる感じだったはずだ。
でもシチューとスープの中間のような、微妙な汁加減になっている。
卵だろうか。黄身っぽい色合いに見えなくもない。白身も含めれば、これくらいトロトロになるかも。
――ゴクリ。
つばを飲み込んで、ルイズは驚いた。
自分は今、この納豆に食欲を刺激されている。
馬鹿な、納豆なんかに?
ハッと、丼の隣に置かれたスプーンを見つける。
いやいやありえない。納豆なんて二度と口にしないと始祖ブリミルに誓ったじゃないか!
だが、そんなルイズの脳裏にあの日の出来事が蘇る!!
ウォシュレットだ。
あの奇怪な装置を忌避し続けていたというのに、ある日、紙が無いがため仕方なく使った。
結果はどうだ?
天国だよ!
おかげで数日ほどトイレに行く回数が激増してしまった。
今でもトイレはウォシュレットこそジャスティスと信じ、愛用している。
なんとかハルケギニアに普及しようと思い、魔法学院に持ち込んで教師コルベールに再現を注文までした。
試作品が近々完成するはずだ。
つまり。
最悪な出会いをしようとも、勇気を持って踏み出せば新しい世界が拓けるのではないか?
ウォシュレ……才人を召喚したあの日のように!
という訳で、スプーンを手に取り一口パクリ。
……うん。
どれ、もう一口。
……うんうん。
さらにもう一口。
……うんうんうん!
「やるじゃない」
我知らず賞賛を述べる。
無意識の言葉だからこそ、まさしく心からの本音であろう。
納豆――日本の食文化。まさかこれほどの威力を秘していようとは。
盛られた白米にかけられた納豆と卵が織り成す黄金色。
まさしくこれこそ黄金の国ジパング。
いや、むしろ。
黄金山脈ZIPANGU!!
感動しながらもう一口。
さらに一口。
もっと一口。
たくさん一口。
「ルイズ?」
そこへ才人がやってきて、ルイズはハッとして振り返る。
耳を澄ませばトイレの方から水の流れる音がしていた。
そうか、夜食に納豆ご飯を作って、食べる前にトイレに行っていたところに自分がきたのか。
それはいいんだ別に。なんら恥ずかしいことではない。
問題はルイズがつまみ食いしちゃってる点。しかも大嫌いと公言していた納豆をだ。
「い、いただいてます」
いただきます、って食事の前に言うんだよと教わっていたルイズは、食事中ということもあって妙なアレンジを加えた。
才人はちょっぴり呆れながらも、優しい笑みで近づいてきた。
「なんだよ、ルイズも腹減ってんのか?」
「いや、まあ、ちょっと味見を」
「味見~? もう三分の一くらい食べちゃってるじゃん。納豆ご飯」
「だ、だって、おいしそうだったんだもん。なによ、文句あるの?」
普通は文句あるだろう。
でも今回、才人はむしろ嬉しく思っていた。
だって納豆だぜ? 外国人が嫌う日本食の代表格だぜ?
それをこんなおいしそうにいただかれてしまっては、嬉しいじゃないか日本人として!
「そっか。卵と混ぜれば、あんまりネバネバしないもんな。食べやすくなるか」
「そ、そうよ。私は卵を食べていたの。納豆じゃないわ」
妙な意地を張ってしまうルイズだが、卵をプラスされた納豆の食感は実にすばらしいものだった。
意地っ張りなルイズ。
でもそこがまたとびっきり可愛くって。
「ったく。だからって俺の夜食、勝手に食べるなよ」
「悪かったわよ。お詫びに、わ、私が食べさせて上げるわ!」
と、ルイズはスプーンで納豆かけご飯をすくい上げた。
「ほら、あーんして」
照れているのか、眼を閉じてスプーンを突き出してくる。
納豆ご飯なんだからさ、卵を入れてるとはいえ、汁が床にたら~りこぼれちゃうじゃないか。
困った子だ。困った子だなぁ。これはお仕置きしなくっちゃなぁ。
「じゃ、食べさせてもらおっかな」
と、才人はルイズの手前までうんと近づいて、おいしくいただいちゃうのだった。
その可憐な唇についた、納豆かけご飯を。
ぎょっとして身をすくめるルイズ。
スプーンが床に落ちて甲高い音を立て、開いた眼前には才人の顔がアップであって。
まだ口の中に残っていた納豆ご飯の味わいを、互いの舌を使って交換し合う。
なんとも締まらないキスシーンではあったが、まあ、こんなキスもあっていいんじゃないかな。
後日。
納豆の出た食後に、ルイズはふとしたきっかけで才人とキスしようとした。
でも「口、洗ってからにしてくれ」と言われてへこんじゃったんだ。
レモン食べてからキスすればいいんじゃないかな。