零となのはと雪風は六課の食堂にて、少し遅い昼食を食べていた。
──こちらに来てから何も食べていなかった。
どうりで腹が減るわけだ、と零はパスタを口に運びながら思う。
彼の服装は青いジャージ。はやてに頼んで支給してもらったものだ。
良く考えれば、今まで自分は戦闘でぼろぼろになったパイロットスーツを着ていたわけだ。
とりあえず、服を買うまではこれで我慢。
彼の隣には、クロワッサンを黙々と食べる雪風。
体の小さな彼女はこの普通の椅子では両足が床につかない。
少し、座り心地が悪そうだった。
10分ほど前まで、零と雪風ははやて達と『ジャムのこと』『二人のこれからについて』『初歩的な魔法について』の話し合いをしていた。
特に自分が魔法で戦えるかどうかは、零にとって重要なことだった。
魔法の使えない状態でジャムが現れたら最悪だ。なすすべもなく殺られてしまう。
その件を伝えると『なら、今日からビシバシ鍛えてやる』とシグナムが答えた。
とりあえずこいつには教えて欲しくはないな、と零は思った。
そして二人は、はやてとの話し合いが終わった後、なのはに『良かったら、一緒にお昼食べませんか?』と突然言われた。
ついさっき、なのはは雪風にナイフを突きつけられたというのに『そんなこともう気にしてない』という感じだった。彼女なりの、雪風との和解の試みだったのかもしれない。
だが雪風はそんな彼女からツンと顔をそらした。『お前など知らない、あっち行け』と言わんばかりになのはを無視していた。
──まだ、雪風にとって、おれ以外との人間関係は、わずらわしいものでしかない。
零はそう気付いたが、なのはは零をメディカルルームから引っ張り出したように、雪風と零の手首を掴み、無理やり食堂まで連れていった。笑顔で。
零は最初から抵抗しなかったが、雪風はなのはの手から逃れようともがいていた。
それを見て零は思った。
──まだ雪風の中から不信感が消え去ったわけではない。
いや、そもそも『不信感』という言葉を使うこと自体、誤りがある。彼女は人間とは思考が違うのだ。
人間とも、人間にプログラムされたAIとも違う、ヒト的ではない知性。
ジャムに負けないためだけに生まれた、機械的で異質な存在。
それが戦闘知性体『雪風』だ。
そんな彼女と、人間と同じやり方で仲直りしようとしても、上手くはいかない。雪風が抵抗するのも仕方なかった。
だが食堂についた雪風は、何を食べるか、とメニューを見せられた時、一拍置いてからクロワッサンを指差した。
これには零も驚いた。
なのはは雪風の反応に目を丸くし、微笑んだ。
『雪風ちゃんはクロワッサンが好きなの?』と聞かれたが、零も雪風も無言だった。
──戦闘知性体だった彼女に、食べ物の好き嫌いなどわかるわけがない。
ただ単に、なのはと早く離れたくて、適当に目についたものを選んだのだろう。と零は理解したが、あえてその事は言わない。これ以上、なのはの心を逆撫でするのは得策ではないから。
──というか、いつの間に彼女は『雪風ちゃん』と呼ぶようになったのだ。
そんなわけで、零の前、テーブルの向かい側には、なのはが座り、零と同じくパスタを食べている。
二人とも何も喋らないので、零に念話──テレパシーのようなものを使って話かけてきてはいたが、彼は適当に受け流す。
零も雪風も部隊長室での話し合いの時、はやてから念話というものを教えてもらった。
零はあっさりとマスターしたが、雪風は一切使おうとせず、はやてを困らせていた。
食堂には零たち三人以外にも人はいたが、皆、雪風と零を見ると目付きが変わった。
雪風の美貌に、ほとんどの人間は目を釘付けにされる。
そのあまりの美しさに、嫉妬や羨望を通り越して恐怖を感じたのかもしれない。
しかし、部隊長室での一件が大きく影響を及ぼしている、と零は考えた。
──まだ、おれ達の疑いが晴れたわけではない。
恐らく、自分たちは八神はやてに危害を加えた者として認識されていることだろう。
わざとではないが、雪風がはやてに危害を加えたのは事実。しばらくはこの冷たい視線に耐えることになりそうだった。
零は雪風がクロワッサンを食べるのを見て、微笑む。
──フェアリィにいた時は、こんな風に雪風と一緒に食事するなど考えもつかなかった。
零は雪風の姿をじっくりと見つめた。
零自身、ここまで美しい少女は見たことがない。その美しさには威圧感すらある。絶世の美少女というやつだ。
敵を殺すための殺戮兵器であった雪風が、こんな美しい少女になるとは皮肉なものだ。
彼女自身、驚いたことだろう。
そこで零はある疑念が自身の内側に渦巻いていることに気付き、背筋を凍らせた。
──自分がこの世界に来た要因は、しごく簡単だ。『超空間通路を壊したこと』
自分は地球とフェアリィ星を繋いでいた『超空間通路』を破壊した。
何しろ『超空間』だ。その崩壊の中心にいれば、異世界に飛ばされても不思議ではない。
だが『雪風がユニゾンデバイスになった要因』それは、全く不明なのだ。超空間通路うんぬんでは、説明できない。
──だとすれば、今、自分の隣にいる雪風は、まさか─────いや、それはないな。
零は、その疑惑を自ら否定した。
なのはにナイフを突きつけた事件は、雪風の思考パターンからすれば起きて当然の出来事だし、自分が彼女の思考を予想できたからこそ解決できたことだ。
はやてとの話し合いでも雪風は、ジャムの情報を何としてでも手に入れる、という気迫を醸し出していた。
はやてが『ジャムに関する情報は今んところないで』と言えば『ならばあなた方には探す義務がある。それができないなら、私は六課も管理局も潰す』と言い放ったほどだ。
零は、その言葉に刺激されたシグナムが、雪風に殺気を込めた視線を送っていたのを思い出す。
──雪風の内面は変わっていない──
彼女は、間違いなく雪風だ。
ジャムに対する異常なまでの執着心と、このおれに寄せる信頼からして、それは確実。零は自身に強く言い聞かせた。
そんな彼の思考を知ってか知らずか、雪風はふと零を見上げ、仔犬のように首をかしげた。
白銀の髪が揺れる。
──今のところ、雪風は安定している。
ジャムという目標がいないにもかかわらず不安定になっていないというのは、ある意味希少な状態だ。
そしてジャムを目の前にすれば、彼女はその可憐な身体に秘められた野獣のごとき闘争本能をむき出しにすることであろう。
──まさしく、荒ぶる女神
零はふと、雪風のトレイに載せられた残り二つのクロワッサンを見た。三日月形にきつく曲がった、ふわふわのクロワッサンだった。
見ようによってその形は、ジャムのタイプⅠに見えなくもなかった。
ジャムのように直線的ではないが、三日月形のところなどそっくりだ。
──ひょっとしたら、雪風がクロワッサンを選んだのは、それがジャム戦闘機に似ているからなのかもしれないな。
『ジャムなんか食べてやる』と。
零は、そんな自身の思い付きを鼻で笑った。
一方、なのははパスタを食べながら思案に暮れていた。
『雪風と仲良くなるにはどうしたら良いのか』と
話し合いの後、すぐにはやては『深井零と雪風は様子を見て、六課の協力者になる』ということを上に報告した。
実力のほどもわかっていないのだから当然だが、二人はまだ正式な民間協力者ではないのだ。
しかし、戦闘機のパイロットといえば、なのはの知っている限りエリートしかなれない職業。
しかも特殊部隊所属。エリート中のエリートだ。頭は悪くないだろうし、要領も良いはず。
実際、零は念話を一回でマスターした。きっと魔法をすぐに習得するだろう。
そして、常に音速の世界を生きているのだ。戦闘機乗りの反射神経と判断力は常人の比ではない。戦闘においても優秀な魔導師になるであろう。その点では、心配はない。
ちなみに、異星体ジャムのこと、それと戦っていたフェアリィ空軍のこともまとめて報告した。
報告書を読んだ上層部は、さぞかし驚くことだろう。
次元を操る未知の存在がいて、そんな相手と、魔法も使わずに戦っている組織がいたのだ。なのは自身、零の話を聞いた時は驚いた。
ジャムの存在に驚いたというのはもちろんだが、深井零が地球防衛軍の特殊部隊員とは思わなかったのだ。とても、地球を守ろうという使命に燃える軍人には思えない。
それにしても、ジャムか──
なのははジャムの存在を知った管理局の対応を予想した。
──しばらくすれば、対ジャムの部署ができるかもしれない。ジャムの情報を集めるための。
そうなれば当然、上は、ジャムとの交戦経験のある二人をその部隊に入れようとするだろう。これは確実。
だが、零と雪風はそうなる事を予想してか、なのは達に釘を刺した。
『ジャムに関する情報は、おれ達が知っている限り管理局に提供しよう。だが、あくまでおれ達は「この部隊」の民間協力者だ。他の部隊に協力するつもりはない』
なのはは零の言葉に疑問を持った。
──雪風ちゃんは『ジャムと戦いたい』と言っているのに、どうして戦える可能性の高い部署へ行こうとしないのかな──
六課にいたい、と言ってくれたのは嬉しかったが、合点がいかない。
──深井さんと、雪風ちゃんと、お話すれば、その理由がわかるはず
だが、なのはの思惑とは裏腹に二人ともあまり喋らない。雪風に至ってはなのは達を邪険に扱っている節もあった。
これからしばらくの間、自分達と行動を共にするというのに、だ。
なのははそれも気がかりだった。
──お話しよう、雪風ちゃんと
彼女はそう思い立ち、二人を食事に誘ったが──この状況だ。会話の糸口さえ見つからない。
二人に教えたばかりの念話も使って、当たり障りの無い会話を試みたが、零は『そうか』とか『フムン』しか返事が来ない。雪風に至っては、何の反応もない有り様。
気まずくなり、なのはは内心ため息をついた。
「あ、深井さん」
「……なんだ?」
二人がパスタとクロワッサンを食べ終わった頃、唐突になのはが口を開いた。
「この後、一緒に訓練場へ来てほしいんですけど…」
「訓練場?」
「はい、深井さんは魔法を使った戦闘は見たことないんですよね?」
「ああ」
「だったら、ちょうど今は新人を教導している時間なんです。一度見ておいた方が良くないですか? 今後のためにも」なのはは少しだけ心配を含んだ声で言った。
なるほど、と零。
魔法で戦う、というのは零には想像できない。
話によれば、空を飛ぶのはもちろん、銃も使わずに射撃や砲撃もできるらしいが、話だけでは実感がわかなかった。
──あのシグナムとかいう見るからにSな女に、最初から最後までスパルタ教育を受けるのは気が進まない。
今のうちに、ある程度の技術を盗みとる必要がある。これは絶好の機会だ。
「わかった。案内してくれ」
彼の返答に、なのはは微笑んだ。
なのはと共に席を立つ。
「雪風、行くぞ……」
零が彼女を連れていこうと思ったとき、右腕に妙な抵抗を感じた。
見ると、すでに雪風は彼のジャージの右袖をぎゅっと掴んでいた。幼子のように。
その瞳は相変わらず感情が読み取れない色だが、彼の顔をじっと見つめている。
零は微笑み、空いた左手で彼女の頭をそっと撫でた。
雪風は拒まなかった。
零がなのはに案内された場所にあったのは、海のそばの無数の廃ビル。
海の近くに立てられた、というよりも、海の上に立てられた感じだった。
「…ここが訓練場か?」
「はい、六課の訓練シミュレータです。魔法を使って、こんな風に廃棄都市とか色々な場所を再現するんですよ。触れられる立体映像みたいなものです」なのはが少し誇らしげに説明した。
零は珍しく、ほう、と感嘆の声をもらす。
フェアリィにも立体映像はあったが、これほどのものは不可能だ。
ましてや、触れることができる立体映像なんて聞いたことがない。
──さすが魔法だな。
零は素直に感心した。
だが、新人の戦いを見るはずで来たのに、戦っている様子がない。
「……小休止なのかな? ほら、あそこにいるのが新人の子達です」
なのはが指差した方向を見ると、いた。6人。2人は立っていて、4人は座り込んでいる。
そのうち、地面に座り込んで休んでいる4人が新人だろう、と零は予想した。
零は、新人の足元に小さな白いもの──竜のような生物がいることにも気付いたが『妖精みたいなやつがいるのだ、ドラゴンがいてもおかしくない』と軽く受け流した。
立っている2人には見覚えがあった。シグナムとフェイト。あの2人が指導しているらしい。正直シグナムはこういった教導に参加するとは思っていなかった。
少し離れていたが、零の鍛え上げられた視力は全員の顔を判別できた。零は新人達の顔を注視する。
青髪のボーイッシュな女。
オレンジの髪をツインテールにまとめた女。
二人ともまだ20歳前後に見える。見るからに新人だった。
だが残りの2人を見て、零は我が目を疑った。
──まだ、子供じゃないか
4人のうち、2人は10歳そこそこにしか見えない。
赤い髪の少年と、淡いピンク髪の少女。
──地球で、あんな子供を戦場に出そうものなら国際法違反だ。
零は、まともだと思っていたなのはの人格を疑った。
──何を考えているんだ。高町なのは。
零はなのはを軽く睨み付けたが、彼女は気付かなかった。
零は苛立った、静かに。
零は雪風を連れてなのはから少し距離をとり、苛立ちにまみれた心を落ち着かせていた。
なのはは零の苛立ちに気付いている様子はなかった。
──落ち着け、ここは異世界だ。地球の常識など通用しないんだ。
この世界ではあの位の歳から戦場に出るのが普通なのかもしれない。
それならば、問題はない。あの子供達にも、なのはにも。
──それに、なぜおれが苛立つ必要がある?
自分の中に『正義感』とかいうバカバカしい感覚が芽生えたとでもいうのか?
冗談じゃない。この心は、自分のためだけにある。
自分は、他人の存在で心を煩わせるような愚行はしない。
──おれの心は、おれのものだ
余計に心が加熱されていくような気がした。
零は心を強制冷却するべく、空を見上げる。
イライラした時は空を見れば良い。その鮮やかな青に雑念が洗い流され、心がクールダウンする。そのことを彼は知っていた。
フェアリィのような緑ではないが、澄み渡った綺麗な青空だった。
なのはは、零の様子が何かおかしいことには気付いていた。だが、その理由は皆目見当がつかない。
シミュレータに驚いたのだろうか、それとも竜──フリードリヒの存在に驚いているのか。
とりあえず、動揺しているのは確かだった。
なのははチラリと零と雪風を見た。
零は空を見上げたまま微動だにしない。雪風はそんな彼に静かに寄り添っている。
彼の服がジャージでなければ、絵になるような光景だった。
唐突に、雪風が零の顔の高さまで浮かび上がる。ふわふわとした白いワンピースと、白銀の長い髪が風に泳ぐ。
何をするのだろう、と見ていると、雪風は零の頬を両手で包み込み、彼の顔をぐいっと自身へ向けさせた。
さすがの零も驚いている。
雪風の顔は、もう10センチ、いや5センチもないくらい彼の顔に近づいていた。
お互いに見つめ合っている。
──まさか……キス!? こんなところで!? いきなり!?
なのはは自身の想像に顔を赤くした。
あり得ない話ではない。二人の仲は、端から見てもかなり良好だ。
あの冷徹な雪風が抱きついたのだ。
雪風が零に恋愛感情を抱いていても不思議ではない、となのはは思った。
──でも、何もこんなところでしなくても!……どうしよう。ああ、このままだと雪風ちゃん、ドラマみたいに……ここから逃げ出したい。でも、見たい!──
気が動転し、普段は明晰な彼女の頭脳は、訳のわからない理論を叩き出していた。
しかし、雪風はそんな茹で上がった彼女を嘲笑うかのように、予想とは違う、ある言葉を口にした。
それは愛の言葉ではなく、なのは自身良く知っている言葉だった。
「ユニゾン・イン」
その呟きの後、零と雪風はまばゆい光に包まれた。