『魔法を信じますか?』
そんななのはの問いかけに対し、彼、深井零は呆けたような顔をした。
何を言っているんだ、こいつは、頭がどうかしているのか。 とでも思っているのかもしれない。
まあ、いきなりそんなことを初対面の人間に言われたら、誰だって戸惑うだろう。
そんな考えの彼女をよそに、彼は天井を仰ぎ見て、──こう言った。
「───おお、神よ。ここに不幸な娘がおります」
なのはは顔をひきつらせた。
『頭がどうかしているのか』
や
『大丈夫か、ちゃんと診てもらった方がいいぞ』
などといった言葉が投げ掛けられるのを、彼女は覚悟していた。
──だが、そんな言い方はないだろう。
なのははディバインバスターをぶちこみたくなる衝動を押さえ込み、笑顔のまま、魔法と時空管理局についての説明を始めた。
この時彼女は怒りのあまり気付かなかった。
零が必死に笑いを堪えていたことを。
零は、時空管理局とやらの正体が、そして今いる場所が、自分の予想とはまったく違っていたことに驚いた。
ここは『ミッドチルダ』という異世界。
それも、魔法───といっても発達した科学みたいな技術、が存在する世界だというのだ。
そして、時空管理局とは幾多もの次元世界を管理・統治する巨大組織。
今の零は次元漂流者と呼ばれる状態で、管理局に保護された立場にいる。
そう彼女は説明した。
零はそんな話を聞きながら、まだ19歳の少女、高町なのはの瞳を見ていた。
嘘をついている目ではなかった。
先ほど、彼が暴言『おお神よ』を言ったのは、別になのはをバカにしたかったわけではない。
高町なのは、彼女がジャムの手先という可能性があったからだ。
以前、フェアリィで彼は今の状況と似た体験をした。
ジャムにやられたはずのFAF基地『TAB-14』。
正確には、それに似せてジャムが作った謎の空間、『不可知戦域』
そこで、彼と雪風はジャムに捕らえられた。
ジャムは、タンパク質の光学異性体で人間のコピーを作り、零から雪風の情報を聞き出そうとしたのだ。
それはいわばジャムの兵器、対人用有機系兵器。
人間が機械知性体を作ったように、ジャムは人間を作り出した。
零は、光学異性体でできた食物は消化できず、死亡したフライトオフィサ、バーガディシュ少尉の肉を食べさせられた。
確かあの時も、目覚めたのは医務室のような場所で、看護婦が目の前にいた。
無論、その看護婦もジャムに作り出された人間。
今、それとほとんど同じシチュエーションの中、高町なのはは、いくらまともに見えても、ジャムのコピー人間である可能性が高い。
ジャムならこんな手の込んだことはしないだろうが、罠ということもあるかもしれない。
確かめる必要があった。
そこで、彼がとった手段。それは『悪口を言う』。
ジャムに作り出された人間、通称『ジャミーズ』はジャムの兵器である以上、例外はあるものの感情の起伏に乏しい。
悪口を言って何の反応もなければ、彼女はジャミーズ。怒るなどの反応を示せば、人間。あまりにもお粗末で、単純な検査だった。
零自身、安直な策だとは思った。
しかし現段階では身体のタンパク質やアミノ酸の構造を調べられないから、これが限度だ。
L型アミノ酸の光学異性体、D型アミノ酸で構成された肉や血は、普通の味ではない。光学異性体かどうかはそれで見分けることが可能だ。
しかしまさか彼女の肉を噛みちぎって確かめるわけにもいかない。
そして、零の悪口に、なのはは一瞬顔をひきつらせた。
あまりにも分かりやすい反応だった。
零はその反応に安堵した、同時に笑いが彼の中から込み上げてきた。
そして、彼女の話を聞いている今も、その笑いの感情が収まらない。
──とっさに言ったとはいえ、我ながらすごい悪口だった。
まったく、正直な奴だ、この高町なのはという女は。
零のその失礼な心境に気付いたのか、なのはが怪訝そうな顔で零を見つめる。
「あの、真面目に聞いてます?」
当然の反応だ。
「…いや、そんな突拍子もない話はさすがに信じられん」
零自身、魔法など信じられなかったが、これもジャミーズか人間かどうかの第二審査。
審査基準はさっきの質問の時と何ら変わりない。
そう答えると、彼女はムッとして椅子から立ち上がり
「わかりました!なら証拠を見せます!」と言い放った。
魔法とやらを実演してくれるらしい。
零は少しなめた心持ちでそれを見ていた。
だが、その態度は裏目に出ることになる。
「レイジングハート、セットアップ!」
<stand by ready set up!>
その叫びとともに、なのはの胸元の赤くて丸い宝石の付いた首飾りから声が発せられた。
そしてなのはがピンク色の球体に包まれていく。
その光景を見て、零の思考はフリーズ。
しばらく待ち、光の球体が収まると、彼女の服が白を基調とし、青のラインや赤の大きなリボンなどが付いた服に変わっていた。
スカートは前だけが短く動きやすい感じ。
髪型も左のサイドポニーからツインテールに変わり、兎の耳のようなリボンで纏められている。
さらに彼女の左手には赤くて丸い宝石に金色の三日月のような形の杖が握られていた。
零は呆然と彼女の変身を見ていた。
これが、魔法か。と
そんな彼に、なのはは得意顔で言った。
「どうです? まだ信じませんか?」
「……いや、信じるよ…」
これで信じない方がどうかしているだろう。
零は力無く答えた。
「それで、深井さんのいた世界はなんて名前ですか?」
零が混乱を整理している間に、なのはは先ほどの戦闘服──バリアジャケットと呼ばれるものから元の姿に戻っていた。
今度はこちらが説明する番か、彼は内心ため息をついた。
「…フェアリィ星だ。生まれは地球の、日本という島国だがな」
「え?」
なのはがキョトンとした顔になる。
なんだ、今度は。 どこか引っ掛かるところでもあったのか?
それとも、よく聞き取れなかったのか──
「あ、あの、私も、地球出身で、日本人なんですよ」
零がもう一回繰り返そうと口を開くよりも早く、なのはが言った。日本語で。
「…何だと?」
零も日本語で言った。久しぶりの日本語だった。
『タカマチ ナノハ』という名が、日本人のような名前だとは零自身、心のどこかで感じてはいた。
だが彼のいたフェアリィ空軍は、世界各国から人員の集まった多国籍軍。
あまりにも多くの人種が混在し、名前も多種多様。中には外国人なのに日本人のような名前を持つ者もいる。
──だが、まさか地球出身とは。
驚きながらも『帰れるかもしれない』という希望が、零の心を満たした。
──このミッドチルダと地球との間には、通路のようなものがあるのかもしれない──
零はそう考えた。
しかし、なのはの言葉がその事実を否定しようとする。
「でも、フェアリィ星ってどこの星なんですか? 地球は他の惑星に行けるほどの技術は持っていないはずですよ」
──フェアリィ星を、知らない?──
零は驚愕した。
ばかな、いくら地球側の、ジャムに対する関心が薄れたとはいえ、フェアリィ星を知らないというのはあり得ない。
零にとってはあって当たり前の、超空間通路のことも知らないようだ。
「……お前は地球育ちか?」
零は確認する、彼女が幼いころに地球を離れたなら、ジャム戦争のことを知らなくても無理はない。
それなら説明がつくだろう。
「はい、ミッドチルダに来たのは4年前で、生まれも育ちも日本です」
零の期待は見事に外れた。
──ウウム──
悩む彼を見て、なのは恐る恐る言った。
「あの、もしかしたら、私のいた『地球』と深井さんの『地球』は、同じようだけど違う次元世界。いわゆる並行世界なんだと思います」
「……パラレルワールドか。確かにそれなら説明がつくが……よくあることなのか?」
確かに、同じ『地球』という名前で、日本もあるのに、まったく違う世界というのもおかしい。
何らかの関連があると考えるべきだ。
「良くあることではないですが、そこまで技術力に差があることからすると、可能性は高いです」
「フムン」
納得した。
一ヵ所勘違いしているようだが、ジャムのこと、超空間通路のことを話すのは、いまだ頭の整理がつかない彼にとっては面倒なことだった。
──その訂正は、あとにしておこう
だがジャムのいない世界か──
零にはピンとこなかった。
それはいいとして。
「…おれは、元の世界に帰れるのか?」
とたんになのはの表情が暗くなる。零には、彼女が言うことが、なんとなく予想できた。
「深井さんのいた世界はたぶん管理局もまだ発見できてない世界です。だから……今すぐに、ってのは無理だと思います」
「そうか」と零。
──まあ、元々死んだ身だ。生きているだけでも、ましか──
なのはは続けた。
「どれくらい時間が掛かるか分からないけど、でも私たち管理局が必ず見つけます」
『別に戻れなくてもいいんだがな』零はその呟きを心の底にしまった。
そんなことを言ったら『諦めちゃダメです!』と、彼女が怒るのが目に見えていたからだ。
「……ちょっと一人にしてくれないか、一時間くらい。気持ちの整理をしたい」
零がそう言うと、なのはは何も言わずに部屋から出ていってくれた。
優しいやつだな、と零は思った。
──そして真面目で、ばか正直だ──
おれが脱走するかもしれないということを考えなかったのか? と。
目覚めた時から彼の奥底にあった欲求。『雪風を探す』
ただそのためだけに零は行動する。
できれば、今すぐここを抜け出したいところだった。
だが、今はとりあえず寝ることにした。
雪風を探そうにも、驚きと混乱続きで、体力も気力も不足していた。
それに、寝ることで、今の現状から逃避したくもあった。
零はなのはの行動を予想した。
──恐らく、あの性格からして、なのはは一時間後きっかりに再び来るだろう。
もはや自分の予測などあてにはならないだろうが。
彼は自嘲ぎみに小さく笑う。
その静かな笑いの後、零はしばしの眠りについた。
きっかり一時間後、零はなのはに起こされた。
今度は彼の予想通りだった。
自分の予測が当たったことに、零は苦笑した。