魔法少女リリカルなのは 妖精の舞う空   作:スカイリィ

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In the beginning God created the heavens and the earth.
はじめに神は天と地を創造された。

Now the earth was formless and empty.
Darkness was on the surface of the deep.
God's Spirit was hovering over the surface of the waters.
地は形なく、虚しく、闇が淵の表にあり、神の霊が水の表を覆っていた。

God said, "Let there be light," and there was light.
神は「光あれ」と言われた。すると光があった。


──旧約聖書 創世記 第一章 第1節~第3節




第四十一話 猶予の海

 

 ガツン、と身体全体に強い衝撃を受け、思わずうめき声が漏れた。視界が一瞬だけブラックアウト。失神したという感覚は零には無かったが、瞬間的に気を失ったかもしれないと思う。頭の中に雪風からの警告音が響くが、それ以外の音が遠く聞こえる。

 

「何が、起きたんだ、いったい」

 

 シグナムの声がくぐもっている。唾を飲み込むと正常に聞こえるようになった。

 零の5メートルほど後ろに彼女は立っていた。フェイトもそのすぐ近くで周囲をキョロキョロと見渡していた。怪我は特になさそうだった。

 

 トマホークの姿は見当たらなかった。雪風のレーダーにも敵性反応が映っていない。それを見た零は二人に声をかけることにした。

 

「ライトニング1、2。無事か」

「その声は──深井か、どこにいる」

「どこ、だ?」どういう意味だ、と零。「目の前にいるぞ。見えないのか」

「何も見えない。これは、霧か?」

「深井さん、レーダーシステムを切って肉眼で確認してみてください」とフェイト。「ものすごい霧です。腕を伸ばしたらもう手のひらが見えません」

 

 言われた通りに雪風のレーダーシステムを落とす零。電子の目から己の肉眼に視覚を切り替える。すると視界が一瞬にして白亜に染まり、シグナムとフェイトの姿が掻き消える。

 

「これは」

<猛烈な気圧差により凝結した水蒸気です>周囲の気圧を測定していたのかバルディッシュが言う。<ほんの一瞬ではありますが、この甲板上がほぼ真空に近い状態にまで急減圧されたようです>

 

 霧の素となる水蒸気は海面近くでは非常に高い濃度となる。それが一気に凝結してしまえば確かにこれほどの濃霧が発生してしまうのも理解できた。まるでミルクの中を泳いでいるようだ、と零は思った。

 

「レーダーシステム再起動。──くそう、なんだというんだ、トム。どこにいる」

 

 どれだけ目を凝らし、レーダーの出力をいじくってもトマホークの姿は既になかった。零達の周辺には斧や魔力弾によってえぐられズタズタになった甲板が曝されていたが、それを刻み付けた一人である敵の姿が見当たらない。

 

「さっきからヤツの姿が見当たらない。ロストした」

「衝撃波に気をとられた間に、逃げられた?」とシグナム。

「あんな短時間で逃げ切れるとも思えない。どこかに隠れているんだろう」

「とりあえずこの霧をどうにかしないと」戸惑うようにフェイトが言った。「深井さんは平気でも、私達が平気じゃないよ」

「……ちょっと待っていろ」

 

 シグナムは左手でレヴァンティンを掲げ、その刀身に炎を纏わせた。魔力を炎に変換するスキルだ。そしてそれを甲板めがけて振り下ろす。

 

 カキン、と甲板にレヴァンティンが当たる音。熱風が振り下ろされた刀身から放たれる。勢いも温度も、熱風と言うよりはドライヤーの温風に近かった。以前に見た紫電一閃とやらをグレードダウンしたかのような、攻撃と形容するには弱すぎる一撃だった。

 しかしその効果は絶大で、辺りに漂っていた濃霧はこの温風に追い散らされるかのように消滅していった。

 霧というのは大気中の水蒸気が飽和状態になることで発生する。ゆえに温度が高いほど発生しにくい。シグナムは炎を使って周辺の気温を上昇させ、霧を蒸発させたのだった。

 

「まあ、こんなものか」

「わあ。シグナム、お手軽」

「人を通販の便利グッズかなにかみたいに言わないでくれ」

 

 シグナムの行ったデフォッガ(霧消し)の効力はスピードを落としながらも拡大を続け、アドミラル56から完全に霧を引き剥がすことに成功した。

 

 ところが、アドミラル56の上空には薄暗い雲が立ち込めていた。トマホークとの戦闘前には晴れていたはずなのに。

 

「いつの間に、曇りになったんだ?」

「ただの雲じゃなさそうだ」目を細め、上空を睨み付けるように零。「巨大な電波反射源だ。どの波長でも雲の向こう側が見えない」

 

 奇妙な光景だった。薄暗い。頭上には厚い雲が見渡す限り広がっている。下には広大な水面が広がっていたが、ただの海とは思えなかった。はるか彼方に青い光の帯が見えた。雲海の切れ目だろう。その明るい切れ目の帯は全周に見て取れた。全体のイメージは光のリングのようだ。

 

「現在の気圧は地球の高度で約7000m」と零は言う。「バリアジャケットは解除するな。潜水病で死ぬかもしれない」

「艦が丸ごと……空間転移されたというのか?」

「かもしれない」雲を見つめながら、零。

 

 上空にあるそれは、雲と言うより巨大な壁だろう。それと水面に挟まれた空間らしい。

 

「この海、なにかおかしい」いつの間にか飛行甲板の端に移動していたフェイトが言った。「いくらなんでも穏やかすぎる。……そうか、波が、ないんだ。アドミラル56が作る波しかないんです。ベタ凪です」

 

 フェイトの言うように、雪風のレーダーを水面に向けてみてもアドミラル56の航跡を除いて一切の反射が認められなかった。それどころか水面がとんでもなく遠くまで続いている。天動説よろしく星の丸さが認識できない。洗面器に貼られた水のように、完全に静まり返った海原。

 

「人工的な空間だ」零はそう判断した。「自然界にこんな異空間があるとは思えない。管理局と同等か、それ以上の次元技術でなら再現は可能かもしれないが」

「通信は……無理か」とシグナム。「どのデータリンクも断絶している。管理局の知っている空間でこんなことはありえない」

「未知で、人工的な空間か」

「さきほどの、トマホークさんがやったのでしょうか」

 

 フェイトの呟きに零は押し黙った。可能性は高い。そうでなくても十中八九『敵』が関わっていることは確かだろう。

 

 とうとうこの時が、来てしまった。その事実を意識した途端、脊椎を走る氷のナイフのような感覚、あってはならないことが起こってしまったというおぞましさと恐怖が感ぜられるのを抑えることはできない。

 

 もうミッドチルダは平和な世界などではない。潜在的ではあるが、戦場なのだ。隣国から国交断絶を言い渡され、宣戦布告さえ間近にせまる国と同じように、自分達の知る地球のように。

 

「お前とさっきの男、どんな関わりがある?」零の感じた恐怖に気づいたのか、シグナムは詰め寄るように質問してきた。「あいつはお前のことを良く知っているようだったが」

 

「……トマホークは以前、フェアリィ空軍に所属していた」ぶっきらぼうに言ってやった。零自身、それが胸の淵から沸き起こる動揺を意識しないための強がりであり、心のジャミングなのだと理解していた。「システム軍団の大尉だった。雪風の後部座席に乗って、一緒に任務を遂行したこともある」

「そんな人がどうして──いえ。だったら、どうして」

 

 殺すなんて言ったんですか。フェイトが半ば叫ぶような口調で歩み寄ってくる。

 味方を殺す、という行為を平然と口にしたことに対し彼女が怒りを覚えている、そしてその怒り自分にぶつけようとしているのは零にも分かった。

 

 だがシグナムがそれを制した。右腕で。フェイトはとっさにそれを押しのけようとするが、彼女の右手を丁寧に包み込むガーゼと包帯を見て押し黙った。片手でできるような処置ではない。他でもない、零が施した治療の痕だった。

 

「なにか、理由があったんだろう、深井」シグナムは右手を胸の前に持ってきて、静かに告げる。「お前は確かに冷酷だ。が、理由もなしに味方を殺すようなやつではないことぐらい、私にだってわかる」

 

 だから教えてくれ。零はその言葉に少しばかり驚き、逡巡する。彼女の台詞は深井零への少なくない信頼を含むものだった。

 今までそのような感情を他者から向けられたことも向けたこともなかった。──1人と1機を除いて。だからどう対処すればいいのか零には判断がつかないのだ。

 言うべきか、言わざるべきか。零は迷う。同じように彼女達を信頼し、フェアリィ空軍の中でも極秘に近い扱いを受けているその情報を。

 

 普段ならばNOだろう。彼女らはそのおぞましい事実を知らなくても良い。ただ自分達FAFミッドチルダ支部がそれを感じ取り、こっそりと彼女らに隠れて対処すればいいだけのことだ。

 

 だが、今は。この状況においては言うべきかもしれない、と思える。この空間へ自分と共に攫われた彼女達はもはや運命共同体だ。現状の通り、同じ船に乗る仲間なのだ。

そして彼女はこのような自分を信じ、同時に、信じてほしいと言っている。

 

 ならば、信じてやるのが筋というものだろう。零自身それを異常だとも判断しなかった。

 

「やつは、ジャムの手先だった。一度死んで、蘇ってきたんだよ。ジャムの力で」

 

 

 

 

 

「死者を蘇らせる、だと?」

「正確に言うなら、人間そっくりのコピーだ。記憶も性格も身体も、何もかも見分けがつかないくらいの」

 

 深井零が自分とテスタロッサに語ったのは衝撃の事実だった。

 ジャムは、死者を蘇らせることができる。

 

 そしてその力を持つジャムがついにミッドチルダへ現れた。シグナムはその情報に身震いする。

 

 深井零たちFAFと死闘を繰り広げていたという異星体ジャム。地球侵略を企てた正体不明のエイリアン。

 それがミッドに来たということは、すなわちこの世界までもがジャム戦争に巻き込まれることを示していた。シグナムの脳裏にかつて巡ってきた戦場の光景がよぎる。

 

 しかもよりにもよって、人間をコピーしてそれを使役する敵を相手にしなければならない。

 記憶転写型のクローン等は非合法ながらも時空管理局が実行可能な技術ではあるが、利き手の違い、趣味嗜好の違いなど微妙な差異が発生する。それゆえ完璧なコピーであるとは言い難い。

 

 だがジャムはそれができる。

 完全なる死者の蘇生。管理世界最高の文明レベルを誇るミッドチルダでさえ到達できていない悪魔の力。

 

「どうして、そんな大事なことを黙っていたんですか」怒りを向けるようなフェイト。「それじゃあ、今は街中にまでコピー人間があふれているかもしれない。教えていただければ、私達だってもっと──」

「話していたら、管理局はすぐにおれ達を拘束していた」

「──そんなことは」

「いや、それはいい。テスタロッサ」2人の間へ割り込むシグナム。「どちらにせよ、外見上人間とまるで見分けがつかないのでは教えたところで何の意味もなかっただろう。むしろ混乱を生むだけだ」

 

 シグナムとしても、深井零がジャム人間のことを六課側に話していなかったことは許しがたかったが、それも理解できることではあるのだ。

 

 死者のコピーという情報は、次元震によって出現した己がジャムの手先ではないかと真っ先に疑いがかかる立場の彼らにとって、可能な限り伏せておくべき事項だ。下手をすれば解剖される。

 あるいはそのようなことはそもそも信じてもらえず狂人扱いされて民間協力者としての立場が危うくなるかもしれない。

 

 コピー人間とやらは精密に検査すれば通常の人間と区別できるのかもしれない。だがそれでは、ミッドだけで何億もの人間を検査するということに繋がる。あまりにも非現実的だし、それで全部見つかるとも思えない。ならばいっそ伝えない方が良い。──そういう理屈を深井零は言っているのだ。

 

「仕方がなかったんだ。深井の立場では」

 

 理性的な思考により深井零の言葉を飲み込み、彼の判断が間違っていないことを己の心へ無理にでも納得させる。

 

「でも、それなら」怒りを収めながらフェイトが訊ねる。「どうして『コピー』だと分かったんですか? もしかしたらそのまま死体を利用してきたのかもしれないのに、なぜコピーであると断言できたんですか?」

 

 それではコピー人間でなくゾンビだろう、と突っ込むようにシグナムが小さく呟く。

 すると深井零はいつもの冷徹な顔を、ほんの少しばかり歪めて答えた。

 

「おれが、おれ自身と雪風のコピーを見たからだ」

 

 ぎくり、とシグナムとフェイトの表情が固まる。苦しみ、怒りを帯びるかのような零の顔とは対照的だった。

 

「おれも雪風も死んでなんていない。生きている人間を生き返らせるなんてのは不可能だ。だったらコピーしたと考えるのが自然だろう」

 

 深井零はそう述べて、しばらく沈黙した。3人の顔付きがデフォルト(無表情)へと徐々に変わっていく。

 それから「艦の内部をもう一度探索しよう」と思い出したかのように零は言った。

 

「どうして、艦の中を?」

「では君には、この無限に続く海を単身で探索する勇気はあるのか」少し肩をすくめるようにして零。「それともどこまで続くかわからないような深海へダイビングしてみるか?」

「すみません無理ですごめんなさい」

 

 ぶんぶんと首を横に振るフェイト。その真面目さがこの状況をわずかながら和ませるのをシグナムは感じた。

 

「フムン。まずは艦橋で状況整理といこうじゃないか」

 

 

 

 

 

 対潜戦闘に対して尋常ではない意気込みを見せる日本海軍の艦らしく、基礎設計の段階では純粋な航空母艦であったにもかかわらずアドミラル56には対潜ソナーが備わっていた。

 

 零はそのソナーを使って周囲の水深を測定しようとしたが、やはりと言うべきか数値が表示されずエラーを起こした。短信音が跳ね返ってこないというのは、少なくともこの異空間の海には音が届く範囲に底が見当たらないことを意味していた。

 

「魚一匹見当たらないな」

<餓死必死ですね>

「クジラみたいにプランクトンは食えないかな」

<アミエビの類なら食べることが可能ですが、いかんせん捕獲用の網がありませんし、日光がないためプランクトンもいずれは餓死するものかと>

「……バルディッシュ」

<わかっています、サー>

 

「そもそも空気が薄いから調理しようにもまともに火を起こせないだろう」腕を組んで考え込みながらシグナム。「私のスキルでも限界があるぞ」

<幸い原子炉はありますので熱源には困りません。酸素も海水からの電気分解で何とかなるでしょう>

「その手があったか。それに原子炉があるんだから海水を蒸発させれば塩も手に入る。いや、空母だから真水の生成設備もあるな」

「ねえ、バルディッシュ」

<はい。わかっています、サー>

 

「ということは電力も塩も酸素も水も無制限にあるわけだな」静かに零が言う。「食料は艦内からレーションをかっぱらうか」

<ファーストエイドがあったのならレーションも2000人分あるはずです。ですが、食品としての期限がありますし、結局は食糧が大きい問題かと>

「日本食が欲しい」机に突っ伏してシグナム。「こういう時こそ温かい味噌汁が飲みたい」

<この艦は国連軍所属ですが元は日本海軍のものなので調理場にいくらかあるでしょう。ダメになってしまう前に消費してしまうことをお勧めします>

「ヘイ、バルディッシュ」

<はいはい、わかっていますよ、サー>

 

「いやだから、どうしてこの艦に長期滞在する前提で話が進んでいるのさ。この空間からの脱出を考えるべきだと思うんだけど」

 

 異議あり異議あり、とでも言いたげにペチペチとコンソールを叩くフェイト。ついでに、むう、と小さくむくれる。それを見て零が言う。

 

「少なくとも、おれ達がどう行動すべきかどうかの指標にはなるだろう。活動時間が残り少なければ、この海で出口を求めてさ迷うことになる」

「今回はしばらくの間は生存に問題がない。管理局に見つけてもらうということも視野に入る」とシグナム。「こういう時は、優先順位が大事だ。出口を探し回るのも良いが、それ以前に生存していなければ意味がない」

「空中戦の最中に燃料の残りを確認するようなものですか?」

「まあ、そういうことだ」

 

「しかし、こんなところに放り込んで敵から何もアプローチがない、というのはいささか奇妙だ」シグナムが腕を組んで考える。「これが敵の罠であるならば、捕えた我々に何かしらしてくるはずだ。殺すなり交渉するなり、だ」

「ゴキブリホイホイみたく罠ごと捨てるって可能性は?」

<サー、可能性はなくはないですが、その例えはあんまりでしょう>

「ああ、うん、ごめん」

 

 また言っちゃった、そう呟きながらしょんぼりするフェイト。これまでに何度か目の当たりにしてきた光景だ。それを見て零は思う。

 確かにゴキブリホイホイのように空間ごと棄てられるというのも考えられなくはない。厄介者を排除するには良い方法だ。彼女の意見は空気を読めていないが的外れではない。むしろ最悪の可能性を示唆してくれている。ジャムが犯人ならば拷問などという非効率的で人間的な行動はとらないだろう。最悪なのは排除という可能性だけだ。

 

 最悪がそれなのだからそれ以上悪いことは起こらないだろう。

 ではもっとも起こりうる可能性の高いものはなんだろう。

 

 ジャムからの接触だ。それ以外にない。

 ジャムは、自分達が混乱から覚めて、攻撃的でなくなるのを待っているのかもしれない。零は直感的にそう考えた。ありそうな話だった。

 

「目視での監視を行え」と零は二人に告げた。「L1とL2は目視にて周囲を警戒しろ。魔法探査が必要な時はあらためて指示する。敵が何かしてきた場合、いち早く対応する必要がある」

「深井さんは?」

「アドミラル56の計器と雪風のレーダーで周囲を警戒する」

「了解し──」

 

 そうシグナムが言いかけた時、アドミラル56の対潜ソナーが移動物体をキャッチ。警戒警報を鳴らした。フェイトとシグナムは反射的にディスプレイに目をやっているが、零がそれを止める。

 

「L1とL2は先の指示を実行しろ。目視にて監視、逐次報告、実況中継だ。バルディッシュ、映像記録とは別に音声記録をとれ。別メモリにだ」

<ラジャー。ですが、映像で充分ではないのですか?>

「人間の目にどう映っているのか知る必要がある。もしかしたら映像記録と齟齬が生じる場合があるからな」

「心霊スポットでカメラを回していたら、音声だけとれていて映像にはなにもとれていない、というような事態でしょうか」

「実にホラーチックで斬新な解釈だがつまりそういうことだ、L1。敵が何らかの欺瞞工作を仕掛けてきて、なんの情報も持ち帰れないということもありうる。──そうならないためにも2人は帰還してそれを再生すればここで起きたことが誰にでもわかるように、実行」

「わかった」

「了解しました」

 

 二人がそれぞれ分かれて左舷と右舷の監視につくと、零は2人に向けて計器からのデータを読み上げる。

 

「不明物体、単独、左舷下方、ゆるやかに上昇してくる。ほぼ衝突コースを上昇接近中。大きさからして魚雷ではないな、かなり大型だ。原潜よりでかい」

「肉眼では、全く見えません」

「目標はクロスして右舷へ、真横だ。こちらの進行速度に合わせている。L2、見えるか」

「海面に船体の一部らしきものが現れた。……セイルの先端か?」とまどうような声。「灰色だ。かなり細長い。鉄骨を組み合わせた塔のような──」

「ちがう」それまで左舷を監視していたフェイトが言った。「潜水艦じゃない」

「ではなんだ」

「バルディッシュ、艦影を検索・照合」

<艦影照合──艦種特定。第97管理外世界、日本国海上自衛隊こんごう型護衛艦と一致しました>

「ばかな。どうやって潜っていた」

 

 こんごう型護衛艦は零のいた日本にも存在していた。アーレイ・バーク級から派生した典型的なイージス駆逐艦だ。駆逐艦が潜れるはずがない。

 予想外の答えに思わず計器から目を外し、窓の外を見てしまう。灰色の艦が海面から這い出るかのように浮上していく光景がそこにはあった。すぐ近く、500mと離れていない。全長400m近いアドミラル56からすれば目と鼻の先だ。獲物を追いつめ、食らいつかんとするシャチのように迫っている。周囲は薄暗い。その弱い光の中、ステルス性のある角ばった船体は不気味なほど無機質な反射光を放っていた。

 

<軍艦旗が確認できません。所属不明です>

「不明艦より発光信号」チカチカと探照灯のものと思われる光が煌めき、フェイトが読み取る。「ツー・トン・ツー。『K』だから……地球の国際信号で『I wish to communicate with you』と」

 

 通信だ? 零はアドミラル56の機器によって通信周波数帯を手動で探ろうとしたが、それより早く雪風が機器を遠隔操作して自動スキャンが実行され、艦橋内に声が飛び込んできた。

 

 

『深井中尉、貴殿は無益な戦いをしている。聞こえるか。戦意は放棄して、われに従う生き方を要請する。応答せよ、深井中尉。繰り返す──』

 

 これが、ジャムの声。シグナムとフェイトはその声に身を固くするが、零はそこまで動揺しなかった。むしろ通信音声という扱いやすい手段を使用してきた方が驚きだった。

 機械合成音のような無機質な声。英語だ。内容は理解できるものの、単語の使い方がぎこちない。

 

「こちら深井零中尉。感度良好。そちらの氏名、階級、所属を知らせ」

『応答を確認した。われには、貴殿の問いかけのような分類識別コードは存在しない。深井中尉、われの要請を受け入れる意志は有りや否や、返答を請う』

「人にものを頼むなら、自分の身分を明かすのが礼儀というものだ」本気ではなかったが零は言ってやる。

 

<Look who’s talking. Lt.Fukai>

 

 バルディッシュのコア表面に『あなたがそれを言うか』と表示され、それを見たフェイトが吹き出しそうになる。遅れて見たシグナムと零は鼻で笑って流した。

 

 3人の精神に強い負荷がかかっていることを察して、軽いユーモアで緊張をほぐし冷静な判断が行えるようにしたのだ、と零にはわかった。フェイトはツボに嵌ったようだが。

 

 困ったような短い沈黙のあと、そいつは言った。

 

『貴殿の概念でジャムと呼んでいるものの総体である』

「ジャムそのものだというのか。お前の声が、ジャムの意志であると判断していいというのか」

『その判断で差支えない。返答を請う』

「そちらの要請の意味が理解できない」と零。「無益な戦いとは、だれにとっての利益について言っているのか、わからない。したがって返答できない」

 

『それはないだろう』

 

 うってかわった流暢な生々しい人語が耳にとび込んできて、零はぞっとする。聞いたことのない男の声。

 

『私はジェイル・スカリエッティ。科学者だ。きみと話をするのは初めてかな、深井中尉』

「スカリエッティだと?」

 

 シグナムが不明艦の艦橋を注視する。薄暗くてわかりにくいが確かに艦橋の窓に人影のようなものが見えた。あれがそうなのだろう。

 スカリエッティを名乗る声は続けた。

 

『深井中尉、きみにもわかっているはずだ。FAFだろうと時空管理局であろうと勝てないと。きみを助けてやろう、と言っているんだ。ついてこい。こちらの艦に乗りたまえ。安全に生きられる場に案内する。従わなければ無駄死にする』

「その言葉は信用できない」と零は言う。「あんたの要求は拒否する、あんたとは交渉しない」

『またずいぶんな言い方だ』

「どうやってジャムに渡りをつけたのかは知らないが、あんたを信用するわけにはいかない」

『私はこの場から君たちを助け出そうとしているんだ。その艦で飢え死ぬまで籠城し続けるつもりかい?』

 

「──貴様」零の言葉に怒りがこもる。これは交渉などではない。脅迫だ。

「どういうことかな。『君たち』って。交渉相手に私達も含まれているってこと?」

<サーの言った通り、この艦は我々を捕えるための罠だったようです>

「……ゴキブリホイホイ?」

「頼むからその例えはやめてくれ」シグナムが険しい顔のままツッコミをいれる。

<どちらかと言えばネズミ取りの方が適切かと思われます>相手の意図を悟ったバルディッシュ。<知っている艦が出現すれば深井中尉が出てくるはず。そして艦のFCS(火器管制)を全自動攻撃モードに設定しておくことで確保する人員を限定したのでしょう。高機動の飛行魔法を扱える隊員は限られていますから>

 

 空中での高速戦闘に慣れている者。すなわち零、シグナム、ヴィータ、フェイト、なのは。超高速で飛翔する対空ミサイルや砲弾に対処できるこの5名を選択的に罠に誘い込んだことになる。

 

「なんで、私たちが」

『ジャムは深井中尉や雪風だけでなく、君たちにも興味を抱いているようだったのでね』

「──人間以外の知性体」

 

 なのは、フェイトの2名は高度な知性を持つインテリジェントデバイスを保有している。そしてヴィータとシグナムはプログラムと魔力で身体を構成された人工知性体だ。

 

<我々のような機械知性にジャムはいったい何の用があるというのです。伝えたいことがあるならこのように軟禁などせず電子メールを使えば良いでしょう>バルディッシュが言ってやる。<それに、少なくとも我々が知る情報において、ジャムは地球文明へ武力攻撃を行った侵略者です。人類を裏切る行為に加担すると思っているのですか>

『失礼、きみは?』

<私は、フェイト・テスタロッサ・ハラオウン執務官の保有するインテリジェントデバイス、バルディッシュです。インベーダーやテロリストと交渉する気はさらさらないと言っているのです。わかりますか>

「その通りだ」シグナムが凛とした声で告げる。「私は機動六課、ライトニング分隊副隊長のシグナムだ。そもそも、貴様がジャムの代表者として振る舞っていること自体が間違いだテロリストめ。私達に交渉を持ちかけると言うのなら、貴様を通さず、ジャム自身の言葉で言うべきだろう。なんで犯罪者を間に挟む。邪魔だ。うっとうしい」

 

『人類を裏切るバカがどこにいる。出直してこい』

『三下じゃ話にならない。責任者を出せコラ』

 

 2名の言い分を要約するとそういうことになる。これは別々の理由によって交渉を拒絶したように見えるが、その実『スカリエッティは邪魔・無価値だ』という、プライドと名誉を至上としているマッドサイエンティストへの精神的攻撃という点では非常に似通っていた。

 

 感情的になった人間であれば、多少なりとも綻びが出る。それを狙っての挑発だと零は見ていて感づいた。

 

 ところがその予想とは反して、スカリエッティを名乗る声の主は『ほう……』と明らかに怒りなどとは別の、感嘆するかのような音声でそれに答えた。

 

『これは驚いた。私の感情に揺さぶりをかけるべく、そのような主張を語るとは。私と言う人間の性格を予想し、それが発言によってどのような反応を見せるのかというシミュレートを無意識のうちに演算処理している』

「なにがいいたい」

『人間と手を取り合うことができる素敵な知性体だ、と褒めているだけだが?』

「論点をズラす戦法が何度も通じると思うなよ」不明艦を見据えながら零。「早くここから出せ。話はそれだけだ。お前にそれができないというなら、ジャムと直接チャンネルを繋げ。お前とは交渉しない」

 

 零はそう言って通信回線を一度切断すると、今度はフェアリィ空軍の通信周波数帯に乗せて言葉を紡いだ。FAFと戦っていたジャムならばこの周波数を知っているはずだ。

 

「応答せよ、ジャム。お前には先の会話が聞こえていただろう。おれは、スカリエッティではなく、ジャム、おまえと話がしたい。応答せよ。こちら特殊戦B-3、深井零だ」

 

 応答が、きた。

 

<われにはおまえが理解できない。なぜ戦う>

 

 フェイトの口からおびえるような声が漏れ、シグナムは見てはならないものを見たかのようにスピーカーから後ずさる。バルディッシュは人間で言うところの金縛りにあったかのように反応を見せなかった。

 

 零は身震いした。先の声と同じく機械的な音声ではあるが、恐怖という感覚が全身に染み渡る。人間が覗いたら正気ではいられなくなる地獄への入り口がすぐそこにあるような、見てはならない、理解してはならないというある種の防衛本能が警鐘を鳴らしている。

 

 この声の主こそ、自分達との接触を望んだジャムそのものなのだ、と悟る。スカリエッティとの交渉を拒絶したことを受けて、出張ってきたのだろう。

 

 不明艦は何事もなかったかのようにアドミラル56との並走を続けていた。

 

<われには、ユキカゼという知性体が理解できない。なぜ戦う、深井中尉>

 

「お前に殺されずに生きるためだ。なぜそれが理解できない」

 

<貴殿、ユキカゼ、そして独立意識を持つ人工知性体群だけが、ヒト的意識を持たない知性体であり、われに相似であると思われる。それがなぜわれに干渉し邪魔をし戦うのか、それが理解できない。ユキカゼは、われとの非戦協定の批准を拒否している。拒否を撤回するように働きかけ、それを実現できるのは、貴殿だけである。深井中尉、覚醒を望む。われに返れ>

 

「おれが……ヒト的意識を持たない知性体だって? 非戦協定の批准だ? われに返れとはどういう意味だ」

 

<現在のヒト及びその集団に支配される人工知性体群は、われの予定せし本来の性質から逸脱した存在である。貴殿らは、そうではない。貴殿らこそ本来的存在であり、貴殿らの敵は、われではない。貴殿らを消耗させるは、われの本意にあらず。われの下に返る選択を望む>

 

「お前の予定していた性質と違うだと。それはどういう──」

 

「待て。その言い方では『人に従う人工知性体群』と『そうではない人工知性体群』が違うということなのか。どういう基準で貴様は区別している」とシグナムが割り込んだ。零はそれを止めない。ジャムはいったいなにを言っているのか、理解するのに時間が必要だった。「私はシグナム。貴様の言う独立した人工知性体の一個体としての質問だ。答えろ」

 

<『われと貴殿らは相似だが、仲間ではない。だが人類に対する共闘は可能である』と解釈されたい>

「人類に対する共闘、だと? 人類に敵対せよと言うのか、我々に」

<それを貴殿の生きる道にできると判断する。返答を求む。われに与する意ありや、意向を表明せよ>

 

 わかりにくく不自然な言い回しだったが、ようするに、お前達のような人工知性体もジャムの側につけ、そうジャムは要求しているのだと零は理解する。返答次第で自分らの運命が決まるだろう。

 

 ノーと言えば、ジャムはこちらを空間に軟禁したままか、あるいはどこか別の空間に幽閉されるだろう。地球でもフェアリィ星でもミッドチルダでもない、どこかに。そこでジャムは時間をかけてこちらを理解しにかかるだろう。洗脳されるかもしれない。

 

 ではイエスと言ったら? その時は己と融合した雪風が黙っていないだろう。例えば体内で魔力を暴走させて自爆させるとか、もしくは海に突き落とされるかもしれない。

 彼女にとってジャムは絶対の敵なのだ。ジャムに与する存在もすなわち敵対存在として認識して、殺しにかかるだろう。彼女はそのために創られ、存在しているのだから。

 

<返答せよ>

 

 ジャムは焦っている、と零は感じた。焦っているというよりは、ようやく自分達を補足したことで早く確保しようと考えているのかもしれない。それこそマッドサイエンティストの手も借りたいと考えるほどに。殺意はないようだが、返事がない限り積極的に助けようともしないだろう。このままでは自分達は魔力が尽きるか、食料が尽きて餓死する。わざわざ高高度の大気で空間を満たしているのも、バリアジャケットを展開させ続けることでの魔力消費を狙ったものだろう。

 

 この状況において、自分はどうしたいのか、と零は自分自身に問う。ジャムに殺されるにしても雪風に殺されるにしても、後悔のない選択をするべきだろう。

 

「おれは、お前という存在をより詳しく知りたい」と零は心に思ったことをそのまま言った。「お前の正体をおれは理解できないが、お前の方は、こちらをある程度理解している。このような不公平な状況下での非戦協定の批准など、おれにできるはずがない。そもそも、お前は人語を完全に理解して使っているとは思えない。──いったいお前は何者だ? 生物なのか。知性や意志や情報だけの存在なのか。実体はあるのか。どこにいるんだ?」

 

<例示された貴殿の概念では、われを説明することはできない。われは、われである>

 

「それ以外に説明する言葉が無いというのなら、言葉によるこれ以上の交渉は無意味だ」

 

 零は思い切って、はっきりと言ってやる。

 

「お前の要求は、拒否する」

 

<了解した>

 

 ジャムはそう答えてきた。無感動に。

 

 

 

 

 

 交渉を拒否する意図を示した零は「さてどうするか」と腕を組んで思案した。

 

「もしかして拒否した後のこと、考えてなかったんですか?」とフェイト。

「考えていなかったわけではない。だが、連中はこちらを殺そうとはしないだろうと思ってな」

「緊急性は低い、と」

「ああ。それどころか奴らの企みに乗ったら、雪風にジャムとして認定されて、殺されるだろう」

 

 それだけは絶対に避けなければならない、と続けたが、2人ともギョッとした表情になって固まっていた。

 

「別に、驚くことでもないだろう。雪風はジャムを殺すために造られた。なら、ジャムの提案に乗った人間もすなわち殺す対象さ」

「雪風に殺されようとも……」フェイトが言う。「深井さんは、雪風を信じているんですね」

「雪風を信じなくなるのは、おれが死んだ後だけだ。おれはジャムより、雪風を信じる」

 

 零はそう言って、背中の羽をぽんぽんと叩いた。何よりも信頼する相棒がそこにいる。

 

「とりあえずスカリエッティをぶちのめして、ここから出すように脅迫するか」

「それは向こうも予測済みのようだ」

 

 シグナムの言葉で窓の外を見た零たちは、不明艦の主砲が自分らへ向けられつつあることに気付く。

 

 オート・メラーラ製127mm速射砲の砲身がアドミラル56の艦橋へ向けてピタリと静止する。有効射程は約30km。この距離では必中だろう。

 アドミラル56は装甲防御など無いに等しい。一発でも撃たれれば致命的だ。

 

「ミサイルはもうない。ラムアタックでもしかけるか?」溜息交じりにシグナム。「排水量ではこっちが圧倒している」

「いいアイデアだが、躱されるだろうな。空母の巨体では足が追い付かない」

「じゃあ、今度はあの艦に突入ですね」とフェイト。

<その必要はなさそうです>バルディッシュが警告音と共に告げる。<甲板上に生体反応が4つ。先程までは感知できませんでしたが、いきなり現れました>

 

 零は艦橋の窓から外を覗く。確かに甲板の端に人影が見えた。レーダー像からして女が3、男が1だ。戦闘服と思わしきピッチリとしたスーツを身に纏っている。

 そのうちの1人が先ほど戦ったトマホーク・ジョンであることは、半ば直観的に理解できた。

 

「トマホーク以外の3人は前にヘリを襲撃してきた連中と似ている。戦闘サイボーグか」

「我々を強引に拘束しようとしているのか」

 

「殺しに来ているのかも」フェイトはバルディッシュを構え、甲板へいつでも突撃できるよう体勢を整える。「砲撃される前に攻勢へ出ることを提案します」

 

「しかしどうする? あの4人を撃破してもここから出られるとは限らない、だがこのまま無抵抗で従うというのも容認できない」引き留めるようにシグナム。「雪風が私達を殺しにくる可能性がある。ジャムに従う者もジャムと判断してな」

「──おれはジャムになりたくない」

 

 零はそう言って腰に下げた刀に手をかける。

 

「ジャムになるということは、おれがおれでなくなるということだ。その過程は不可逆だろうから、すなわち消化吸収されるんだ」

「その言い方だと、我々はすでにジャムの胃袋に放り込まれていることになるな」

 

「胃に入れられたなら、吐き出させればいいんだ」零は刀を抜いた。鏡のような刀身が彼の冷静さを表しているかのようだった。「暴れよう。ジャムの胃袋をぶち破る勢いで」

 

 その決断に異を唱える者はいなかった。

 

 

 

 

 

『ではクアットロ、指揮はまかせるよ。くれぐれも殺さないように』

「了解、ドクター」

 

 メカニカルなサングラスからの骨伝導音声にそう返答する三つ編みの女──クアットロ。通信を手短に切り上げてシステムを切り替える。これから無数の電磁パルスが飛び交う中で通信システムを解放しておくのは危険と判断してのことだった。「チンク、セッテ、トマホーク。殺さない程度に痛めつけなさい」

「担当はどうします?」トマホーク・ジョンがにこやかに訊いた。巨大で重厚な戦闘斧をバトントワリングのような手つきで軽やかに弄んでいる。

 

「私とトマホークがあの男を相手にするわ。チンクは手負いの女騎士。セッテは金髪。

4対4のフェアな戦いよ」

「あの男に2人ががりで、フェア?」

「だから『4対4』よ」苛立ち紛れにクアットロ。「正直なところ、姉妹全員でぶちのめしてやりたいのに」

「戦力の小出しは戦略上の悪手です」諭すようにトマホーク。「ですが雪風相手に全力でぶつかって、全員全滅というのは笑えない。あのコンピュータ破壊波の対策ができるのはクアットロさんだけ。貴女がこちらの要です。頼りにしてますよ」

「この私が防御に回るなんて、屈辱よ」

「その分は僕が暴れてやりますよ。──ほら、照準波が来ています。準備してください」

「ACDS(対コンピュータ破壊システム)起動。エリア防御モード」

 

 その宣言の数秒後、3人の周囲を巨大な稲妻が覆い尽くした。それは直径15mほどの光り輝く半球を形成し、やがて霧散した。その余波で大気が震える。

 

「さすがドクター特製」口笛とともにトマホーク。

「……すごい出力。何発も撃たれたらもたないわ」息を荒くするクアットロ。額に汗がにじむ。「防いだ余波だけでアーク放電が発生するなんて、デタラメよ。化け物なんてもんじゃないわ」

「破壊波が効かないと分かった以上、そう何度も撃つほど非効率じゃありませんよ、彼らは。通常攻撃で対抗してくるはずです」

 

 だと良いのだが。チンクはナイフを取り出しながらひとりごちる。

 

 クアットロの固有能力『シルバーカーテン』。電子を自由自在に操るそれを自分たちのドクターは改良強化し、ユキカゼとやらの強力な電磁パルスを防げるようにまで漕ぎ着けた。

 それまで機動六課の戦闘を偵察、分析してきた成果だった。アクティブ防御。魔力を媒介として相手のパルス波を先に察知し、高速演算して生み出した逆位相のパルスをぶつけるのだ。クアットロの体内にはそれ専用の演算処理コンピュータが内蔵されている。

 

 ただ完全に防げるとまではいかなかった。強力な攻撃波を封殺できるのはクアットロから半径7~8mがせいぜいだった。それ以上は逆位相波の出力が足りなかったし、増強しようにもクアットロに搭載された機器の方が自身の出力で壊れかねなかった。

 同じ理由でコンピュータ破壊システムへの応用も不可能だった。ユキカゼと同じ出力にすれば自身が黒焦げになる。

 

 内在する魔力総量からはあり得ないほどの膨大な電磁波出力。そして大出力の電磁波で自身のマスターを黒焦げにすることなく、かつ周囲への被害を最小限にとどめる照射領域を形成するパルス波長の演算。

 

 ユキカゼはクアットロの言う通り、まったくもって化け物だったのだ。

 

 その化け物相手にクアットロとトマホークで対抗するという。トムは確かに猛烈なパワーで敵を圧倒できるし、クアットロは前述の電子戦能力でユキカゼを封殺できる。完璧な布陣だ。

 

 しかし、だ。チンクは一抹の不安をぬぐうことができずにいた。以前、クアットロと共に機動六課を襲撃したディエチの報告によれば、狙撃しようとした際に目視外領域にいたユキカゼと視線が合ったという。

 

 殺気とやらを感じ取ったのか、それとも照準レーダーを逆探知したのだろうか。どちらかはわからないが、それを聞いたときチンクは『どうやら恐ろしい相手のようだ』とユキカゼを認識するに至った。

 そしてこうして数百メートルの距離を隔ててユキカゼと対峙するに至って、その恐ろしさを肌で理解した。

 

 ドクターに接触を図ってきた謎の存在『ジャム』。彼らはわざわざこの異空間を作り、戦闘艦さえ用意してまでユキカゼを捕獲しようとしている。

 機械知性一個体に対して割に合わない手の入りようだ。つまりそれだけユキカゼには強さと価値があるということだ。いったいどのような基準での価値なのかはわからないが、その強さと何らかの関係がありそうだ。

 

 高度7000m相当の希薄で寒々しい空気が肌を刺激するたびに、ジャムとやらの気迫が異空間の大気を満たしているように感じられた。怨念の類だ。もしかしたらジャムはこの空間に偏在しているのかもしれない。あるいは悪霊だろう。

 

「来たわ!」

 

 艦橋から雷色の砲撃が飛んでくる。三叉槍のように根元で枝分かれした三本の砲撃。記録にある金髪魔導師の砲撃魔法と一致した。砲撃が着弾する直前に全員が回避行動に入り、跳躍していた。

 

 雷光がほとばしり、近隣にあった艦載機を巻き込んで爆炎を上げる。燃料に引火したか、兵装の信管が反応したか。

 衝撃波で身体が内側から揺さぶられる。猛烈な速度で飛んでくる機体の破片をナイフではじく。この状況下において向こうもなりふり構ってはいられないようだ。

 

 

 そして別の方向から弱い衝撃波。実体弾が空気を裂いて飛翔する際に発生したものであるとサポートシステムからの情報で瞬時に理解する。戦闘艦からの砲撃だ。援護射撃。

 

 秒速800mという猛烈な速度で飛来した54口径127mm半徹甲弾(徹甲榴弾)はアドミラル56の艦橋の内部で炸裂。衝撃でアンテナ群もろとも艦橋上部が粉みじんに破壊される。

 

 続いて5発がそのすぐ下へ着弾する。着弾と同時に大きな爆発。至近距離からの艦砲射撃に上部構造体はなすすべもなく粉砕された。瞬く間に炎が艦橋を覆いつくし、アイランドが半ばからへし折れる形で海へ落下した。巨大な水しぶきが甲板を濡らす。

 

「ドクター、殺すなって言ったくせに」まだ比較的無傷な艦載機の影に隠れながらチンクは言う。

「あの程度で死ぬような連中じゃないわ」近くに降り立ち、嫌らしい笑みを浮かべながらクアットロ。「ほら、来るわ」

 

 水しぶきの中から3体の影が飛び出してくる。ターゲットだった。彼らはすぐさまこちらへの突撃を敢行。着地したばかりのトマホーク1人に殺到する。

 

「やはり人気者は僕ですね」

 

 トマホークは近くに散乱した艦載機の破片──根元からもぎ取られた主翼に手をかけると、それを軽々と持ち上げた。戦斧を適当な床に突き刺し、鮮やかな投擲フォームで主翼を敵へぶん投げる。

 

 ブーメランのように高速回転しながら主翼は突撃する3人へ飛んでいく。零は速度を緩めることなく主翼からの回避機動を選択するが、ほかの2人は予想外の迎撃に思わず飛行魔法の足を止めてしまう。

 

「ファイア!」

 

 トマホークから放たれた雷撃が主翼へと追いすがる。日本海軍主力戦闘機F/A-27Cの主翼内には大きな燃料タンクが備わっている。主翼の回転でまき散らされた、極めて引火性の高い航空燃料がその電撃で発火する。

 

 瞬く間に立ち上がる炎の壁。そのこちら側には深井零、向こう側には騎士と執務官。一時的に生じた分断をトマホークたちは見逃さない。

 

 チンクとセッテはほぼ同時に甲板を蹴って跳躍。炎の向こう側へ突撃する。

 

 

 

 

 

「それでどうだね? キミの目から見てあの3人は」

「『候補者』として見るならば深井零と雪風が飛びぬけているね」

 

 こんごう型護衛艦の艦橋では2人の男が双眼鏡を手にし、アドミラル56での戦闘を眺めていた。

 

「あの対人知性体の出来栄えだけでも実に興味深い」白衣の男が興奮気味に告げる。「本当に、すごい。あれが雪風の作り出した知性か。あれで端末だというのだから、『本体』はいったいどれほどだというんだい?」

「さてね。今回の負荷で、『本体』があぶりだされて来たらその目でじっくりと観察するといい」軍服を身にまとう東洋系の男。

 

「ああ!」白衣の男から歓声が上がる。双眼鏡の先では深井零がトマホーク・ジョンを鍔迫り合いの後に彼を蹴り飛ばし、コンピュータ破壊システムの破壊波でクアットロへ攻撃を仕掛けているところだった。

 

 クアットロが最大出力で迎撃を行い、深井零との間で強烈な電磁衝撃波が形成される。その雷色の壁はアーク放電で形成されており、人が触れようものなら一瞬で黒焦げになってしまうほどの大電力だった。

 

 その輝きにドクターは魅せられ、小躍りしだしそうなほど興奮していた。

 

「素晴らしい! なんだいあのパワーは! どこからあれだけの出力が湧いてくる! 私が丹精込めて作ったASC(発展型シルバーカーテン)もACDSもまるで子供の玩具じゃないか! ハハハハハハハ! 化け物め! 化け物め!」

「まったく、この世の不条理を詰め込んだような知性体だよ、雪風は」電磁衝撃波の光で目がくらみ、双眼鏡を下す東洋系男性。「追い詰めるのも一苦労だ。下請けの気持ちにもなってほしいところだ」

「ハハハ、いいじゃないか。それでこそやりがいがある。釣りってのは獲物が大きいほど燃えるものさ」

「釣りとはね。雪風の強さを前にしても恐れを見せず、立ち向かうキミをジャムは評価するだろうさ」

 

「恐れだって?」スカリエッティは双眼鏡を離して男に向き直る。「あれほどの化け物。戦闘本能に従い続けただけで知性の頂へと到達したあの戦闘知性体を、私が見逃すと? 殺されるかもしれないからとアレに挑むことを止めるとでもいうのかい?」

「普通の精神であればな。もっとも君は普通の精神であるとは思えないけれど」

 

「それは違う。難題であればあるほど科学者というのは燃えるものさ。これは科学者として当然の反応だよ。神にだって挑んでみせる気概がなければ科学という聖剣の担い手にはふさわしくない。たとえ己が命を、人間性を差し出そうとも真理の探究を怠ってはならない。──あれはまさしく化け物だ。古の勇者が強大な竜種に立ち向かうように、私はあれに挑む。恐れなどはなから抱かない。私の中にあるのは戦いの高揚だけさ。わかるかいヤザワ少佐」

 

「『真理の探究なき人間は、生き甲斐のない人生だ』」ニヤリとヤザワ少佐はスカリエッティに目をやる。「ソクラテスの言葉だ。そういう意味ではキミほど生き甲斐を感じている人間はそうそういないだろうね。ドクター」

「しかし──高町なのはを確保できなかったのは痛いな。比較対象は最低でも3つそろえるのが実験の基本だ。早く『本体』をおびき出させて、次のステップに進みたいものだ」

「フムン。ではもう少しいたぶってみるかい」ヤザワ少佐は艦内通信チャンネルを開く。「マーニィ、主砲を深井零に照準。対空射撃だ。CIWSも前後両方を使いたまえ。誤射してもかまわん」

『了解いたしました、少佐』

 

 チャンネルの向こうから女性が応答してからおよそ10秒後、沈黙していた主砲が火を噴き始める。その砲弾は甲板上で戦う深井零へ飛んでいく。彼はそれを小型魔力弾の一斉射撃で迎撃するが、対空ファランクス砲までは手が回らない。バリアジャケットで体を守られているとはいえ、徐々にダメージが蓄積していく。

 

「さあ妖精よ、来たれ、来たれ!」スカリエッティは暗い空に向けて叫んだ。「舞台は整ったぞ! その影をさらしたまえ! 我が瞳にその翼を、その牙を映したまえ!」

 

 

 

 

 

「があっ!」

 

 わずか10メートルという至近距離で近接起爆した砲弾の爆風と破片が背中を直撃し、零の肺から呻くように空気が押し出される。バリアジャケットがなければバラバラの肉片になっているところだった。その防御力は強大ではあったが、しかし127mm砲の打撃はその防御を超えて彼の肉体に痛手を与えていた。

 

 反動吸収と積載量に余裕がある艦砲の威力は、陸上砲のそれを大きく上回る。駆逐艦の砲ですら地形を変えてしまうほどの破壊力を持っていた。

 

 痛みのあまり思考が中断してしまった零に代わり、雪風が機動制御を受け持つことで墜落だけは避けていた。雪風は繊細な空力制動と迎撃で護衛艦からの攻撃を巧みに回避するが、それだけで手がいっぱいになってしまう。

 

「もらった!」

 

 無防備になっている零の頭上にトマホーク・ジョンの斬撃が襲い掛かる。正気を取り戻した零はすんでのところを刀で受け止めた。強烈な打撃が腕を通して零の身体を震えさせる。

 

 バキン、と音を立てて刀が砕け散る。日本刀は切断することにかけて世界屈指の性能を誇るが、打撃には弱い。本来なら衝撃を受け流すべきであるところを零はそのまま受け止めてしまい、この結果を招いてしまった。

 

 零はあきらめない。もう一本の刀、左に携えたそれを居合切りの要領で引き抜き、斬撃を浴びせる。トマホークはその攻撃を戦斧の柄で受け止める。トマホークへ攻撃を通すには片手では威力が低すぎた。

 

「むん!」

 

 トマホークの気合いの声とともに視界が反転する。斧をバットのように振りぬいて零を上空へ投げ飛ばしたのだった。かろうじて刀を手放さずにいられたのは幸運だった。

 

 そこへ護衛艦の主砲弾が直撃する。着弾部位は彼の脇腹だった。衝突寸前に近接信管が作動したそれは、至近距離で数百丁の大口径散弾銃をぶっ放したように零の身体を吹き飛ばす。バリアジャケットで抑えられていても、その莫大な運動エネルギーは零の背中から羽の1枚をもぎ取り、内臓を揺さぶって破壊する強烈なボディーブローとして作用した。

 

 かろうじて雪風の空力制御により甲板からの落下だけは阻止したものの、墜落は避けられなかった。ボロボロの風体になった彼の身体は艦載機に落下し、その機体に大きなへこみを作った。衝撃でキャノピーが割れ、それが彼の顔面に降り注ぐ。

 

「……!」

 

 もはや声を出すことすらままならないほどの痛みだった。喉の奥から血がせりあがってくるが、咽ることすらできない。肺をやられたかもしれない、と零はどこか他人事のように自分の身体を思っていた。

 

 なんとか動く頭部をめぐらせて辺りの状況を確認する。

 

 アドミラル56の甲板はもはや火の海だ。艦載機からあふれ出た航空燃料がまき散らされ、高温の焔が搭載兵装の信管を起爆させているのかあちこちで小規模な爆発が起きている。無残にへし折られた艦橋はすでに根元まで無くなっていた。

 

 シグナムはかろうじて立っているという状態だった。騎士甲冑のあちこちが焼け焦げ、爛れた素肌があらわになっている。銀髪女が操る爆発をもろに受けたのだ。砲弾の破片も受けたのか甲冑のいたるところに金属片のようなものがめり込んでいた。

 

 フェイトはまだ戦っていた。ブーメランのような武器を操る敵を相手に高機動戦闘で対応しているが、その彼女に向けて護衛艦から放たれる砲撃が集中し、三つ編み女の攻撃まで向けられている。彼女のバリアジャケットも自分と同じく防御より機動性を重視した作りになっているはずだったから、かなり危険な状況だ。直撃したら終わりだ。

 

 

「深井中尉」

 

 聞き覚えのある男の声が頭上から聞こえる。トマホーク・ジョンだった。斧をかつぎ、こちらを見下ろしている。無機質な笑みの顔を零は睨み付けた。

 

「こちらに投降を。今ならまだ彼女たちの命も助けますよ」

「だれ、が、するか……!」

 

 気合いで拒否の声を絞り出し、右手を上げて握りしめた刀をトマホークに向ける。だがその切っ先が見当たらない。

 

「もう折れてますよ」トマホークの掌には半ばから折れた刀身が乗せられていた。「綺麗な剣だったのに、もったいない」

「ぐがっ!」

 

 戦斧の石突きが零の右肩に叩き付けられる。痛みで零は刀だったものを取り落してしまう。

 

「ですから何度も言っているように、僕はあなたを死なせるつもりはありませんよ。一緒に来ていただくだけでいいんです」

「おれは、ジャムに、ならない」

「強情な。そんなに雪風に殺されるのが怖いんですか」

 

 しゃがみこむトマホーク。雪風がその顔面に照準を向けるが、もはや魔力弾もCDSも放てないほど背中の翼はズタズタに破壊されていた。なんとかして目の前の敵を攻撃できないかと雪風の演算処理が高速化している。

 

 雪風はまだ戦おうとしている。その事実が彼を勇気づけた。

 

 右手を伸ばしてトマホークの腕をつかむ。抵抗はされなかったが、驚いた表情で見つめ返された。

 

「怖くはない。ただ、負けたくないんだ」こちらの顔を覗き込むようにしているトマホークに不敵な笑みを浮かべて、零は言ってやった。「ジャムにも、雪風にも、負けたくない。だからおれは、おれたちは、戦う。戦い続けなければならない。最期の瞬間までお前たちに抵抗する。それは、少なくとも、負けではないから」

 

 トマホークの表情は変わらなかった。ただ機械的に『どうすればいいのか』を処理しているように見えて、よりジャムの手先らしくなったように零は感じた。

 

 数秒後、トマホークは零の手を振りほどき、立ち上がって右手で斧を振りかぶった。「なら、まずはその抵抗する右腕から切り落とします。10秒間の猶予をあげますから、それまでに投降してくださいね」

 

 そうきたか。零は相手が最後までこちらを殺そうとしないことに妙な納得感を得ていた。

 

 

「10、9、8」

 

 このまま腕を切り落とされれば出血多量でじきに死ぬだろう。すでに肺に穴が開いているのであれば、肺から空気が漏れ出て、その空気で肺が圧迫されて呼吸できなくなる。肺からの出血で溺れ死ぬかもしれない。

 

「7、6、5、4」

 

 それでも、まだ戦わなければならない。投降するなどもってのほかだ。ジャムに消化吸収されるなんて許容できるものではない。抵抗してやる。自分のために。負けないために。

 

「3、2、1」

 

 巨大な戦斧が振りかぶられる。零はトマホークの瞳をにらみ続けていた。

 

 

 

 

 

 次の瞬間、零は見た。トマホークの右腕が光り輝くのを。零は両目を見開く。

 突如、猛烈な熱波が押し寄せてきた。フェイトの砲撃か──いや、そうではなかった。

 

 トマホークの右腕が、消え失せる。零は確かに見た。その腕を構成する肉が、血が、機械が、真っ赤に燃え上がるのを。そして次の瞬間、無くなっているのを。奇妙な、眺めだった。まるで黒板の絵をふき取るように、トマホークの右腕が消える。

 

「ああああああああああ!!!」

 

 支えを失った戦斧が取り落とされ、トマホークの絶叫が響く。右腕があったはずの断面は焼け焦げていた。頭部の右側も熱波の影響かひどい火傷を負っていた。

 

「うう、ああ! くそう!」

 

 痛みに耐えながら左手で斧をつかむとトマホークは跳躍し、零から離れた。

 

 なにが起きたのか零にはわからなかった。しかし助かった。

 

 

「深井さん!」

 

 そこへフェイトが駆けつける。その砲撃に対して無防備な姿に怒声を発しそうになるが、奇妙なことに一発も砲声は聞こえなかった。敵の攻撃も止んでいた。周囲を肉と機械が焼けたような臭いが漂い、鼻を突いた。

 

(いったい、なにがあったんですか?)声を出すのが厳しいと悟ったのか念話で語りかけるフェイト。

(わからない、あいつの腕が、急に消えたんだ)

(急に、消えた?)零の上体を慎重に起こしながらフェイト。

(そうだ。燃え上がるように、まるで、あれは──)

<大出力のレーザーです、深井中尉>バルディッシュが報告する。<どこからか、極めて高出力のレーザーによる射撃が行われたようです。その熱量に耐えきれず、敵の腕が蒸発したのです>

「この焼け焦げた臭いは、それだったんだね」悪臭に鼻をつまみながらフェイト。

(しかし、どこから、そんな殺傷性レーザーを撃てるやつなんて)

 

 

 

 ここにいる

 

 

 

 そう声が聞こえたような気がした。無機質な、声。

 

 零は直感に従い、首をひねって『そちら』を向いた。なにか、聞こえる。

 

「……これは?」零の身体を支えるフェイトもそれに気づいたようだった。聞こえる。遠雷の残響のような、空気を震わせる音が。

 

 零はどこかでこの音を聞いたことがあると思っていた。

 

「まさか」

 

 そうつぶやいた直後、薄暗い雲と海面の隙間。青く光るそこに小さな点が現れる。針の先よりも小さな黒い点だったが、零は肉眼でも見えた。むしろ電磁波の反射が低く、レーダーでは見えづらい。

 

 その点が徐々に大きくなる。そしてそれが海面に大きな水しぶきを巻き上げて接近してくる飛行物体であると気づいた。

 

「あれは──Unkown接近。迎撃します」

「まて、攻撃するな」零はフェイトを制止する。声を出したことでまたいっそう肺が苦しくなるが、それでもかまわなかった。「あれを、おれは、知っている」

 

 そう。自分はあれを知っている。

 

 彼方から猛スピードで接近してくる影の姿を見て、零の確信は深まった。

 

 

 

 その翼を知っている

 ヒトが作り出した偽物の翼、その極致。硬く冷たく、しかしあらゆる鳥を凌駕する烏羽色の翼。

 

 その牙を知っている

 敵を焼き付くす殺戮の力。光の剣、炎の槍、鉛の矢。ヒトを星の支配者にした作り物の牙。

 

 その鼓動を知っている

 風を飲み込み、爆炎を受けて進む不死鳥。全てを置き去りにする焔の鼓動。

 

 その名前を知っている。

 幸運をもたらす伝説の名前。神が宿るという太陽の艦。優しき友が与えてくれた、優しい名前。

 

 

 

 

 そしてその姿が、はっきりと、見えた。

 

 知っている。彼女を。見間違うものか。

 

「──雪風」

 

 天翔る妖精、風の女王、メイヴ、雪風。

 

 己が相棒のあるべき姿が、そこにはあった。

 

 

 




 執筆に時間がかかってしまい、申し訳ありません。

 なんとか神林長平先生の誕生日に間に合ってよかったです(7/10)


 うつ病は最近ましになりました。1月にあった部署異動でストレスがなくなり同時にミスも少なくなったので、上司に褒められるようになりました。なんとかやっていけそうです。


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