魔法少女リリカルなのは 妖精の舞う空   作:スカイリィ

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何人か鏡を把りて、魔ならざる者ある

魔を照すにあらず、造る也

即ち鏡は、瞥見す可きものなり、熟視す可きものにあらず


──齋藤緑雨




第四十話 鏡像の敵

 

 

「トマホーク・ジョン……」

 

 フェイトは言われた名前を反芻するように呟いた。地球でトマホークといえば、インディアンが使う斧のことだ。今まで彼を日本人のように見えていたが、それを踏まえて見ると確かにインディアンのように見えなくもない。どちらも人種的にはモンゴロイドだから似ているのだ。

 

 国連軍の艦であるなら、インディアンの者が乗っていても不思議ではない。だが彼はたった今デバイスを展開した。つまり魔法の存在しない管理外世界の地球人ではない。なのに地球の艦に乗っているという矛盾。フェイトの脳裏に嫌な予感がよぎる。

 

「トマホークさん、あなた以外の乗員はどこですか」

「この艦は元々無人ですよ」

 

 ばかな。フェイトは驚きと同時に屈辱感を覚える。バカにされている。こんな立派な空母が無人であるはずなどない。しかし零の言っていた『人の痕跡がまるでない』という情報と組み合わさることで、妙な納得も湧きあがった。もともと無人なら、痕跡など無くて当然だ。

 

 そしてこの艦が無人であることを把握しつつ、こちらに敵対行動をとる、ということはこの異変の元凶と彼は少なからず関係があるわけであり、彼を捕えて尋問する義務が時空管理局執務官であるこの私に発生する。

 そう考えたフェイトは構えたバルディッシュに魔力を込めた。穏やかな性格の彼女の心に、獰猛で冷酷な闘争本能がゆらりと立ち込める。

 

「もう一度確認します。あなたは、私に対し交戦の意思があるのですね?」

「その通りです」

「投降する考えは?」

「ありません」トマホークは笑顔のまま応えた。「僕は、場合によってはあなたを殺さなくてはならない」

「それはどうして──いや、どうせ重要なところは話すつもりないでしょうから、そこから先はあなたを叩きのめしてから訊くことにします。ライトニング1、エンゲージ」

「続きは署の方で、ってやつ……ですね!」

 

 先に仕掛けてきたのはトマホークの方だった。得物を振り上げての突撃。10mという間合いを一瞬で詰めてくる。そして袈裟懸けに振り下ろされる巨大斧。

 フェイトは左へのステップでそれを回避。避けた斧で艦橋の床が深く切断される。カウンターとしてこちらもバルディッシュで切りかかるが、斧を素早く引き抜いて下がっていたトマホークには当たらない。振りぬいたバルディッシュが艦橋のモニターを直撃してそれを粉砕した。

 

 互いの初撃を避けた後に2人の動きが止まる。距離はおよそ7m。先の切り合いは様子見といったところだ。わずかな時間の内にフェイトは相手の動きとリーチを頭に叩き込む。

 

 得物の長さはあちらに分があるが、スピードではこちらが上だ。見たところリーチ長めのパワータイプ。反応速度はかなり速い。

 

 勝てない相手ではない。あれだけ長い斧なら取り回しに難がある。接近戦に持ち込んで素早くラッシュをかければ圧倒できる。フェイトはそう考えるが、同時に未だ見ない相手の魔法攻撃の方が気になる。どんな魔法を使うのだろう。砲撃、射撃、結界、いろいろ考えられる。それによってはこちら側が不利になることもありうる。

 

 しばらく睨み合った後、先に動いたのはトマホークだった。その場から動くことなく斧を振りかぶる。

 

「!?」

 

 斧の先端に魔力が一気に集まり、それが銀色の刃を形成するのが分かった。フェイトはとっさに右へ避けた。

 

「Atsiniltłʼish áláshgaan!(雷の爪)」

 

 聞き慣れない詠唱。そして振り下ろされた斧の先端から斬撃が飛ぶ。魔力で形成された斬撃が床を引き裂きながら突進してくる。フェイトはギリギリで回避に成功するが、かすめた肌がピリピリと痺れた。これは、電撃を帯びているのか。

 

「まだまだ!」

 

 追撃とばかりに連続して斬撃が飛んでくる。フェイトは後退しながら左右へのステップで全て回避する。背後の壁と窓が斬撃でメチャクチャに破壊されるのが分かった。誘導性はないが、天井と床で高速機動を制限された艦橋では充分に脅威となる。有利に戦うにはもっと空間が必要だ。

 

 バックステップで回避しながら、そのまま破壊された窓から飛び降りる。下には広大な飛行甲板。ここなら空間は充分に確保されている。落下しつつ、視界の端でトマホークが己を追いかけて艦橋から飛び出すのが見えた。

 

「プラズマランサー・ファイア!」8個の魔力弾を展開し、トマホークへ突っ込ませる。

「naabaahii yooʼ!(戦士の首飾り)」彼の周辺に環状魔法陣が展開され、周囲へ向けて電撃が放たれる。アーク放電のようなその猛烈な電流は向かってきた魔力弾を一瞬で霧散させた。

 

 一本の電流がフェイトに向かってくるが、バルディッシュを掲げ防御魔法を展開することで弾く。

 そして甲板に激突する寸前で飛行魔法を発動。移動方向を180度反転させ、未だ落下中のトマホークへ突撃する。彼とぶつかる前にバルディッシュの形態をザンバーフォームへと変更。

 

<Zanber form>

「これで!」

 

 野球バットを振るように巨大な魔力刃を叩きつける。トマホークは戦斧の長い柄でそれを受け止めるが、自身の落下速度とフェイトの上昇速度が足し合わされ生まれた運動エネルギーの大きさにその顔を歪めた。すさまじい負荷に戦闘斧のフレームが悲鳴をあげる。

 

「たあああああ!!」

 

 渾身の力を込めて雷色の大剣を振りぬく。その結果トマホークの運動ベクトルは80度ほど捻じ曲げられ艦首の方向へ弾き飛ばされる。同時にフェイトも反動で飛ばされるが飛行魔法による制動をかける。

 

 高速かつ浅い角度で飛行甲板に叩きつけられたトマホークは2、3回ほどバウンドした後、駐機してあった艦載機の翼に突っ込み、背中を強く打ちつけた。衝突された戦闘機は甲高い音と共に右の翼がへし折れ、甲板上を滑って行った。

 

 またやってしまった。フェイトは戦闘中でありながらも脳内でどこか呑気な思考を並列させていた。戦闘機って、高いんだろうなぁ。経費で落ちるかな。

 

<二塁打ってところですね>パチパチ、と拍手の音を出しながらバルディッシュ。<いい当たりでした>

「あっちが飛べないってのはわかってたからね。当てるのは楽だよ」

 

 艦橋から飛び出した際、後を追ってきたトマホークがフォトンランサーを避けるのではなく撃ち落としたことからそれは推測できた。せっかく広い空間があるのだから飛べばいいのに、彼はそれをしなかった。ならば彼は飛行魔法を行使できないか、あるいは発動が遅く空戦に不向きであると考えるのが妥当だ。

 広い空間であればこちらに分があり、なおかつ身動きのできない落下中に攻撃を加えるのがベストとなる。だが下手に攻撃を加えても受け止められるか迎撃されてしまう。トマホークの反応速度は非常に早かった。

 

 受け止められてしまうのなら、相手をそのままぶっ飛ばせばいい。フェイトがとっさに考えた戦法がそれであった。作用反作用の原理で自分もぶっ飛ばされることになるが、こちらは飛行魔法を行使できるから問題ない。

 

 そうして戦闘機に突っ込んだトマホークであったが、やはりと言うべきか未だ戦闘可能らしく「よっこらせ」と気の抜けた声と共に起き上がってきた。

 

<Blitz Action>

 

 空中から見下ろす形となっていたフェイトは、トマホークが体勢を立て直すまえに突撃を敢行。高速移動魔法を利用した鋭い突きを叩きこむ。

 トマホークは余裕の表情でそれをいなす。ザンバーフォームの魔力刃が中破した戦闘機へ深々と突き刺さり、高速で擦れた斧の柄と魔力刃の間から火花が散る。

 

「Atsiniltłʼish áláshgaan!(雷の爪)」

「くっ!」

 

 トマホークからの反撃を受ける。今度は斬撃を飛ばすのではなく刃に付けたまま切りかかってきた。しかしギリギリのところでシールドを張ることに成功し、競り合いの形にまで持ち込む。

 

「いい腕だ。こっちの仲間になりませんか?」

「冗談!」

 

 機体から刃を抜くと同時にシールドを解除し鍔迫り合いの状態で押し返そうとするが、相手は余裕綽々で受け止めている。なんて力だ。ピクリとも動かないなんて。魔力による強化を施しているにしても、それはこちらと同じ条件なだけであって有利とはなりえない。それなのに力で勝っているということは、元のパワーが段違いなのか。

 

「さっきは不覚をとりましたけど、もうアクチュエータを切り替えましたから、力では負けませんよ」

「アクチュエータ……? ──まさか」

「お察しの通り……!」

 

 瞬間、フェイトの視界が反転した。直後にすさまじい荷重がバリアジャケットの制御域を超えて彼女の身体にかかった。金属音と、背中に冷たい感触。

 

「がはっ」

 

 激烈な圧力によって肺から空気が漏れ出し、脳に強い衝撃が加わったことでフェイトは気を失った。幸運なことに彼女は数秒後には意識を取り戻し、痛みとともに自身の状態を認識することができた。

 

 飛行甲板上のトマホークが遠くに見える。ざっと120m。こちらが見下ろしている格好だ。だが飛行魔法を展開させた覚えはない。何かに引っかかっている? フェイトは首を回して周囲を確認する。

 

 航空母艦の、アイランド型艦橋。そこの中腹に張り付いている。金属製の外壁が身体の形に変形してしまい、そこに収まっているのだ。周囲を取り囲む数cmほどのへこみを見て、トマホークにぶっ飛ばされて猛スピードで艦橋に叩きつけられたということを認識するにはさらに3秒ほどかかった。

 想像を絶するパワーに身震いする。バリアジャケットが無ければ今頃この身体は原型をとどめていないだろう。さらに言えば、コンクリートなどの非金属製の壁であったら衝撃が吸収されず着用していても重大なダメージがあったはずだ。

 

「ぐ……」

 

 反応速度もパワーも人間とは思えない高レベル。トマホーク・ジョンの身体能力は魔導師であることを考慮しても人外の域にある。先ほどの会話で出てきた単語から推測するに、彼は──

 

「戦闘用の、サイボーグ……!」

 

 ミッドチルダにおいて禁止されている技術だ。これで彼が重大な犯罪を実行しようとしているか、そういった組織に属していることは確定した。

 

 しかし同時に、予想以上の強敵であることも確定した。空戦魔導師でも陸戦魔導師に圧倒されることだってある。彼が飛べないことはこちらのアドバンテージとしては些細なものだ。身体能力でそれを補われてしまう。

 

「どうしたんですかー?」ゆっくりと歩いてくるトマホーク。呑気な声と裏腹にその手には巨大な戦斧。「もうギブアップですか?」

 

 にこやかに笑う彼の顔が、フェイトには悪魔のそれに見えた。

 

 

 

 

 

 ズガン、というすさまじい音にシグナムは足を止めた。

 

「なんだ。今のは──おい深井」

 

 すでに一段上の階層に到達している零に向けて叫ぶが返事がない。シグナムは階段へと駆け足で向かった。一段ずつ上がるのも面倒なので二段飛ばしで駆け上がると、深井零の黒い背中が見えた。

 

「深井、どうした。なにが──」

 

 彼の視線の先を覗き込む。そこには無機質な壁しかない──はずだったのだが、シグナムはその壁に起きていた異変を目の当たりにして固まる。

 

「……どこのコントだ?」

「……金属壁だから、ありえなくはない、のか?」

「私に訊くな」

 

 金属製の壁がへこんでいる。それだけなら良かったのだが、そのへこみ方が『可笑しかった』。

 

 人だ。人の形にへこんでいる。周辺はクレーターのように円状に歪みつつ、中心部はぶつかったであろう物体──すなわち人間の形が見て取れた。はっきりではないが、明らかに人型の物体が叩きつけられたか押し付けられた形状をしている。

 おちつけ私。今は任務の最中だ。シリアスだ。シグナムは妙な笑いがこみ上がってくるのをこらえた。こういう時、鉄面皮である深井零が羨ましく思えた。

 

「確かこの壁の向こうは外だったはずだ。外から押し付けられて型がとれたんだろう」

「雪風、この体型をスキャン。この型が誰なのか──フェイトだ?」

「テスタロッサの、型だ?」シグナムはまじまじとそれを見た。確かに、右手の先には何やら杖のような物体の型がうっすらとではあるがとれているし、身長もそれぐらいだ。

「外で一体なにが起きているんだ。さっき魔力反応があると思ったら、これだ」呆れたように零。「戦闘かと疑ったのが馬鹿らしく思える」

「本人に直接訊いたらどうだ?」

「フムン」

 

 その言葉の直後、深井零が背中の翼を広げて射撃体勢に入った。それを見てシグナムはギョッとした。次の瞬間、秒間500発の魔力弾がその人型の周囲に放たれ、見事な円形の型抜きを披露した。

 

「この手に限る」

「いきなり発砲するバカがあるか」

「日本海軍へ引き渡す時に、あんなマヌケな痕を残したままでいいのか?」

「……なるほど」

 

 シグナムが納得するのと全く同時に、ガコン、と派手な音を立てて金属壁が倒れてくる。アイランドの壁は塔のように上へ行くほど細くなっているため、この壁も内側に向けて傾斜しているのだ。

 

 そして案の定、フェイトがそこに張り付いていた。床に倒れた瞬間に円形の金属壁から身体が離れ、「ぷぎゃ!」と尻尾を踏まれた猫のような声をあげて床を転がる。シグナムはその光景を見て再び笑いそうになった。

 

「ずいぶんと愉快な状態らしいな」床に転がったフェイトを見下ろしながら零。「無事か?」

 

「あれ、深井さん、シグナム?」キョトンとした表情のフェイトが仰向けのまま零の顔を見上げる。

<助かりました、フカイ中尉、ユキカゼ。素晴らしい型抜きです>

「助かった、だ?」シグナムが訊く。「何があった」

「えっと──敵です!」数秒経って状況を把握し終えたフェイトが叫ぶ。「外に敵がいるんです!」

「落ち着け。どんな敵だ。複数か」零がそう訊いたことで三人の間の空気がシリアスなものに変わるのが分かった。

「一人ですが、ものすごいパワーの陸戦魔導師です。武器は斧型のアームドデバイス。あと魔力変換資質をもっているようで、電撃を飛ばしてきました」

 

 シグナムは敵の概要を聞いて「手ごわそうだな」と答えた。陸戦型でパワータイプ。斧型のデバイスに電撃。スバルとフェイトを足して2で割ったようなやつだ。飛べないにもかかわらずフェイトを壁に叩きつけるなど、相当な技量に違いない。

 

「私が行こう」

「怪我人が単独で前に出るな」

「なんだと。私は──」

「全員で叩き潰す」零は無表情で言った。「3対1。その方が効率的だ」

「……」キョトンとするシグナム。数秒ほど間を空けてから左手で握るレヴァンティンに力が籠められる。「そうだな、他に敵がいないとも限らない。離れた状態では各個撃破されるリスクがある」

「敵は甲板上にいます。艦載機が邪魔ですけど、隠れる場所は限られているはずです」立ち上がりながらフェイト。バルディッシュを強く握る。「私達3人でなら、いけます」

「了解した。──こちらブーメラン1、ロングアーチ、聞こえるか」

 

 零が雪風の通信システムを通じて六課のヘリに連絡する。もうジャミングは解除してあるから通じるはずだ。

 そして電波雑音の後に返信が来た。フェイトとシグナムにも同時に声が届く。ヴァイスの声だ。

 

『──こちらロ……アーチ。提督殿のいびきは……たようだな。聞こえるよう……なってきた』

「グランセニック陸曹か。緊急。ライトニング1が敵の襲撃を受けた」

『敵だ? 無事なのか?』

「幸いな。今のところ相手は一人だ。これより三人で戦闘に入る。サポートを頼みたい」

『了解した。六課に……する。……くそう。あっちと……通信が不安定だ。ジャミングが強すぎたのか。衛星が機能不全を……しているらしい。うまく繋がらない』

「はた迷惑ないびきだな。そちらとの通信状況も不安定だ。雑音がひどい。直るのか」

『回復している間に敵を叩きのめ……方が早い』

「わかった」

 

 零は頷くと二人に向き直って言った。

 

「なら、とっとと片付けよう。索敵を怠るなよ。ブーメラン1、エンゲージ」

「ライトニング1、エンゲージ」

「ライトニング2、エンゲージ」

 

 零を先頭として三人は外に飛び出す。

 

 頬を撫でる潮風が、シグナムには妙に冷たく感じられた。

 

 

 

 

 

「妙だな……」

 

 アドミラル56から60kmほど離れた空域をホバリング中のヘリコプターの中でヴァイスは首をひねった。怪訝そうな表情のまま、アビオニクスパネルをカチカチと弄り続ける。

 

「どうしたのよ」それを見ていたソフィアがキャビンから声をかけた。

「衛星との通信がいつまで経っても回復しないんだ」

「低軌道のやつでしょ?」

「静止衛星だとラグがあるからな。他ではどうか知らんが六課では低軌道のものを使っている」

「……あの艦からのジャミングが無くなってどのくらい経った?」

<400秒ほど経過しましたが>

 

 どういうことかしら、とソフィアは彼と同じような表情になって腕を組んだ。

 人工衛星というのは秒速7~8kmという超高速で軌道を駆け抜けているものだ。数百km離れた地上から見ても、地平線の端から端まで衛星が駆け抜けていくのに1分かかるかどうかという速さである。

 そして周回高度が高くなればなるほどその速度は遅くなり、地球では高度3万6000kmに達すると空の一点で完全に静止しているように見える。これが静止衛星だ。空にアンテナを向ければいつでも通信できるというメリットがあるが、距離が離れているため電波での通信ではタイムラグが生じてしまう。

 

 そこでヴァイスは前線とのタイムラグを最小限に抑えるためにあえて低軌道の衛星を通信の中継として利用していた。ミッドチルダでは数多くの衛星が軌道を回っている。一個の衛星はすぐに地平線の向こうに隠れてしまうが、その前に次の衛星が地平線から顔を出す。そしてそれが隠れるとまた次の衛星、というように次々と中継点を変えていくのだ。

 

 さらに言えば衛星は赤道上を周回しているものだけではなく、星をタスキ掛けのように「斜め」に周回しているものも多くある。地上から見るとそういった衛星の軌道は星の自転によって徐々に移動してくように見える。だからアドミラル56の上空を通過した衛星が、軌道をもう一周してきても同じ地点の上空を通過するわけではない。逆もまた然りだ。

 そういったことを踏まえると、アドミラル56のジャミング電波がいかに激烈であったとしても、400秒もあれば代わりの衛星が頭上に来ていてもおかしくないのだ。なのに通信が通じないというのは、妙だ。

 

「……キャプテン(機長)、静止衛星と通信を繋いでくれる?」

「……なんだって?」

「だから、適当な静止衛星と──」

「いや、ちがう」パニックを起こしたような声が出てしまう。「静止軌道上の衛星とも繋がらないんだ。通信が」

「はあ!? 冗談でしょ。さっき深井たちとは繋がったじゃない」

<冗談ではありません>驚いた声を出すサディアス。<今しがた確認しましたが、三名との通信リンクが切断されています。GPSまで切れています。軌道上に存在を探知できません。どうやら遠距離における通信が何者かによって妨害されているようです>

「とりあえずブーメラン1との再接続を試している。でもこの様子じゃあ、いつ繋がるかわからん」

「遠距離通信の阻害……。ジャミングの起点はどこなの」

<この空域全体からです>

「はあ?」

<このヘリ周辺に無数の電波発信源が確認できます。空中です。しかも全て不規則に移動しています>

 

 ソフィアは散弾銃形態のサディアスを引っさげたまま、窓にへばり付くような形で外を見た。

 ヘリの周囲はいくつかの雲があるだけだ。その雲もさほど大きくなく、向こう側が透けて見えてしまうほどだった。何かが隠れられそうなものではない。ヴァイスもそれは確認している。

 

「何にもないじゃない。キャプテン、レーダーに何か反応はある?」

「いや、鳥と雲しか映っていない」

「鳥?」もうソフィアが一度窓の外を見ると白い影が横切った。一瞬驚いたものの、ソフィアはすぐにそれが何であったか理解したようだった。「ああ、カモメね」

 

 よく見ればあちこちをカモメが飛び交っている。この下に魚群でもあるのだろうか、とヴァイスは思った。

 

「のんきなものね。ローターにバードストライクしなけりゃいいけど」

「やめてくれ。いきなりキャノピーに血が飛び散るとか嫌だぞ。心臓止るわ」

<いいと思うのですがねぇ、鮮血と羽毛のマーキングとか。こう、アウトローな雰囲気がして>

「アウトローじゃなくてアウトな雰囲気の間違いでしょうが。あんたの感情制御回路ぶっ飛んでんの?」

<もちろん冗談ですよ。人類最高の知性を持つ超高度機械知性体の私がそのような野蛮な趣味なわけないじゃないですか、ハハハハハ。あなたやカールじゃあるまいし>

「良かった、と言うべきか怒るべきなのかわからないわ。本当に遠回しな罵倒が得意ね、このクソデバイス」

<はいはい、お褒めに預かり光栄ですよ。ペチャパイ貧乳まな板ぺったんこのご主人様。──ですが冗談抜きでここらあたりのカモメを殺さなければならないかもしれませんよ?>

 

 おいどういうことだそりゃ、というヴァイスの声と同時に彼の前にあるレーダーディスプレイに新たなアイコンが現れた。水面に小石を落としたような赤い波紋が無数に表示される。

「これは?」

<私がこの空域のジャミング波を解析したものです。その赤い波紋が発信源です>

「多すぎだろ」ヴァイスは肩をすくめた。この周囲100kmだけでも500個はあるだろうか。

「一個一個の出力はずいぶんと弱いみたいね」己の前にも展開された空中ディスプレイを見ながらソフィアが呟く。

<ええ、出力としては子供の工作で使う電池と同レベルです。あなたの胸と同じように影響を無視できるほどの小ささなんですよ。あなたの胸と同じように。ですが数が集まることで全体としては膨大な出力になっているんです。あなたの胸と違って>

「待ちなさい、今なにか余計な比喩表現が二回、じゃない三回──」

<良く見てください。そのジャミング源、レーダーにしっかり映っているんです>

「んなバカな。この空域におれ達以外の飛行物体なんて──」

<カール、あなたも気づいているのでしょう?>

「にゃあ、嫌な臭いのチキンがうじゃうじゃいる」

 

 ヴァイスの肩にモフモフとした感触。今まで黙っていたカールがひょっこりと顔をのぞかせていた。

 

「嫌な臭い?」

「カモメは食ったことあるけど美味かったぜ。匂いも味も良かった。でも今いるカモメからは嫌な臭いがする。あの辺のカモメ、カモメじゃにゃい。海鳥でもない」

<本当にあなたの嗅覚と食い意地はすごい性能ですね>

「嫌な臭いって、どんなだ」

「わからにゃい。初めて嗅ぐニオイだぜ。肉の臭いのはずなのに肉と違う。タンパク質がおかしくなってるような……。狂牛病にかかった牛の脳みそみたいな臭いが全体からしてる。あと少し金属の臭いもあるかにゃ」

「金属? ……ってことはまさか」

 

 ヴァイスが再びレーダー画面を見つめ直すと、ほぼ全ての赤い波紋の中心には鳥と思われる小点があったのに気付いた。

 

「このへんのカモメ全部が、ジャミング電波を出してるってことかよ」

 

<その通りです。キャプテン。──痛いですソフィア、なにを、痛い痛い>

「たぶん改造されて、電磁波を出すようになっているんだわ」さっきの仕返しか、サディアスを何度も壁に打ち付けながらソフィア。「バッテリーも埋め込まれているだろうけど、鳥は心臓も筋肉も強力だからそれなんかも利用して電波を出しているのね」

 

 心臓から流れ出る血流の勢いから水力発電の要領で、あるいは電気ウナギと同じく筋肉を発電器官に変化させて電気を取り出しているのか。どちらにしてもうってつけの生物だ。しかも海鳥は長距離を飛ぶためスタミナはあるし、飛行のためのエネルギー消費が少ないからそれを電気に変換したところで影響は最小限に済む。

 

「でもどうすんだよ。ここらのカモメ、全部殺すにしてもきりがないぞ」

「……とりあえず一匹捕まえてみましょ。解剖すれば状況を打開するための鍵が見つかるかもしれない」

「キャビンの掃除たのむぜ?」

「心配しなくてもカールが綺麗に舐めとってくれるわよ」

「やめろ、そっちの方がむしろ嫌だ。でも解剖道具なんてどこに?」

「ナイフがあるわ」ミラー越しにソフィアを見ると、懐から折り畳み式のナイフを取り出して刃を展開させているところだった。管理局の魔導師としてはナイフを持つなどめったにないことだが、彼女に関しては持っていた方が自然なように思えた。あといつの間にかサディアスを打ち付けるのは止めていた。

「護身用?」

「サバイバル用のキャンピングナイフよ。安物だけどね」苦笑いしながらソフィア。刃の他に缶切りと栓抜きにペンチ、それとハサミにヤスリが展開される。「サディアス、モードAA(対空)。一羽仕留めたらチェーンバインドで回収するわ。キャプテン、射撃するからホバリングを続けてちょうだい」

<ラジャー>打ち付けられたのを微妙に気にしている声のサディアス。拗ねてはいても命令に一応従うあたり、公私混同はしないらしい。

「後部ハッチ解放。……撃つのか?」

「暴れられても困るし、意識のある生き物を解剖する趣味はないわ。魔法で気絶してもらう」

「……あいよ。終わったら言ってくれ、ハッチ閉めるから」

「ん。サンキュー」

 

 後部ハッチが解放されローターの騒音がコクピットまで響き渡るが、その中でパチン、とナイフを折りたたむ音だけが妙に響いた。

 

 

 

 

 

「はあああああ!!」

 

 シグナムが剣を振る。

 その斬撃は大気を切り裂くほどの速さを保ったまま、暴れる蛇のごとき縦横無尽の軌跡を残していく。右手の親指が動かない現状においても彼女の戦闘能力は極めて高いレベルにあった。

 

「アハハハ。貴女も良い腕ですよ!」

 

 しかし目の前の男はそれらの剣戟をすべて防ぎ切っていた。その巨大な戦斧をくるくると操りながら鋭い斬撃を受け止め、いなし、あるいはかわす。彼の表情には戦いの香りどころか『遊び』という言葉が似合うほどの笑みが張り付いていた。

 

──なんだ、この男は!?

 

 余裕の表情をされているとはいえ、押しているのはシグナムの方だ。彼女は自他共に認める剣の達人だった。六課でも本気の彼女と打ち合えるのはフェイトぐらいで、しかもそれは単純な剣戟によるものではなく高機動戦闘をも含めた場合の話だ。純粋な剣の腕前ならシグナムの右に出る者はいない。

 そのシグナムの剣が、全て防がれている。

 

 時に技で攻め、時に力で、速さで攻めるが、そのどれもが相手の身体に届かない。圧倒しているはずなのに圧倒しきれていない。

 

「くそう!」これではダメだ。シグナムは一度距離をとるべく、袈裟懸けに斬撃を叩き込み相手の斧に当たったその反動でもって後方へ飛んだ。

 

「シグナム!」それを見計らったようにフェイトが男へ突撃する。ザンバーフォームの剣型魔力刃が男に振り下ろされる。

「おっとっと」男は半身になってそれを躱し、くるりと踊るようにして斧による薙ぎ払いをしかけてきた。

 

 フェイトはしゃがんで薙ぎ払いを躱し、直後に飛行甲板にめり込んだ刃を、上体の起き上がりを利用して翻し、切りかかる。かなり無茶な体勢からの攻撃だったが直撃コースだった。ガキン、と斧の柄で受け止めた男は斜め下からの攻撃にバランスを崩し後方へ下がった。

 

 そこへ間髪入れずにシグナムの突きが入る。体勢を立て直した彼女の一撃は凄まじい威力だった。斧の刃を盾にして受け止めた男の表情に初めて苦痛が浮かぶ。

 

「たはは、これは分が悪い」

「まだいるぞ」

 

 瞬間、男の立っていた甲板がはじけ飛ぶ。ほんの一瞬の間に600発近い魔力の塊が彼めがけて殺到したのだ。シグナムはその直前にレヴァンティンンを引いてバックステップで距離をとり、男も後方へ飛んでいた。

 

「あーあ。また派手にやっちゃいましたね。どう弁償するんですか?」

「しらじらしい」

 

 雪風と融合した零の、青く冷たい眼差しが男を射抜く。間髪入れずに再びの射撃。

 

「Atsiniltłʼish áláshgaan!(雷の爪)」

 

 男の斧から斬撃が飛ぶ、零に向けて。電撃を纏った魔力の斬撃は秒間1000発の射撃を受け止め、耐え切れずに爆散する。その強い閃光にシグナムは視界を失ってしまう。男は斬撃を盾にしつつ、目くらましに使ったのだ。

 

 退避だ。視覚が不十分な状態では真正面からの攻撃にも対応できない。とにかく位置を変えなければ。シグナムは閃光が収まらぬうちにそう判断を下し、飛行魔法と脚力によって急速に後方へ下がった。

 

 するとその直後、ズガン、と先ほどまで己が立っていたあたりから強烈な破壊音が響き渡った。やはりそう来たか。シグナムは安堵の息を付くと同時に、心の中で相手の戦闘能力のすさまじさに感嘆の笑みを浮かべた。あの男は深井零の射撃を防ぎつつ、それで発生した爆発光を閃光弾代わりに使い、フェイトかこの自分のどちらかに対する奇襲へと繋げる。なるほど敵ながら見事な戦いぶりだ。あのまま視界が正常に戻るまで突っ立っていたら、目くらまし後の奇襲に対応できなかっただろう。

 

 だが次はこちらの番だ。視界が戻った瞬間、斧を振り下ろした体勢のところへ強烈な突きをお見舞いしてやる。

 

 

──甘いですよ──

 

 

 シグナムの背筋に冷たい電流のようなものが走る。突きの構えをとっていたレヴァンティンをとっさに垂直に立てて防御の体勢に移行。静止していた飛行魔法を再起動、後方への運動ベクトルを発生させる。

 

「Atsiniltłʼish áláshgaan(雷の爪)」

「ぐがっ!」

 

 レヴァンティンに添えた右手に激痛。遅れて柄頭を握る左手にも肩ごともぎ取られるような衝撃が伝わる。戻りかけた視界には、右へ猛スピードで通り過ぎる雷刃がかろうじて映っていた。左からの斬撃だった。すさまじい威力を受け止めたレヴァンティンのフレームが軋む音。

 

 シグナムはその破壊のエネルギーにあえて逆らわなかった。弾き飛ばされるようにして彼女は右方向に移動した。相手の斬撃を利用して距離をとったのだ。

 

 半ば発動させていた飛行魔法を使って今度は空中へ浮かび上がる。甲板からおよそ7m上空へ移動したあたりで視界が正常に戻った。そこでシグナムはようやく現状を確認するだけの猶予を得ることができた。同時に背筋が凍るような思いになる。それは恐怖という感覚に最も近かった。

 

 男との距離は50m強。ギリギリのところで防ぐことができたから良いものの、あれは直撃していたら騎士甲冑(バリアジャケット)の防御すら貫通し、己の首を切り飛ばしていたかもしれない。

 

 威力もそうだが、何よりも斬撃が到達するまでの時間がおかしかった。甲板に斧を振り下ろしてから、あれほど短い時間でどうやって距離を詰め切りかかってくることができたのだ。シグナムは相手の姿を見ながら、そのカラクリを探した。

 

 相手の男は驚いた顔で──3人と会ってから初めて浮かべる表情でシグナムを見上げていた。そのずっと後ろ、すなわちシグナムが強烈な破裂音の発生源と判断した場所には斧の跡などではなく、人間の足跡が残っていた。ざっと10センチはあろうかという深い足跡だ。

 

 まさかそんな、ばかな。

 

 シグナムの額に汗がにじむ。彼女の思考回路が導き出した結論は彼女自身にとって信じがたいものであると同時に、とてつもない畏怖を生じさせるものだった。

 

──あの音は斧で甲板を刻んだ音などではなく、ただの足音だったというのか。

 

 それならば破裂音とほぼ同時にシグナムの眼前に到達したことの説明はつく。すさまじい脚力をもって甲板を踏み付け、その反動で前方へ突撃したのだ。

 地面を強く踏み付け、氷の上を滑走するように一瞬で間合いを詰める。『活歩(かつほ)』だ。地球の極東地区・中国の体術にそのような技があると聞いたことがある。恐らく同時に物質加速系の魔法をもって上方向への反動を抑え、前進方向へのベクトルのみを抽出・増幅したのだろう。

 

 しかしだ。耐熱性と耐衝撃性を兼ね備えた強固な飛行甲板をえぐるほどの脚力など、どんな魔導師であろうと到達不可能な領域だ。

 

 目の前の男は、そのような領域に到達しているというのか。

 

 彼はほとんど棒立ちに近い状態ではあったが、シグナムを含め六課側は動くことができなかった。零と融合している雪風さえもだ。様子を見ているのか、何か策を講じているのか。それともシグナム達と同じように男の圧倒的パワーに驚愕しているのか。ともかくそれまで爆音を響かせていたアドミラル56の飛行甲板に一時の静寂が訪れることになった。

 

「……それにしても、意外ですね」先にその静寂を破ったのは男の方だった。シグナムへ向けて喋っていたが、彼女はそれを自分への言葉だとは思わなかった。

 

 まるで独り言だ、そう思いながらもシグナムは聞き返してやる。

 

「──何がだ」

「ぼくの姿を見ても動揺しないなんて。てっきり慌てふためくものと思っていましたよ」肩をすくめながら男。「深井中尉」

「……知り合いなのか。深井」

 

 眼前の男が深井零を知っているという事実にシグナムはさほど驚かなかった。己でも不思議なくらいに。まるで、そのことが頭のどこかで予想できていたように感じられた。

 シグナムとフェイトの視線が男から零に向けられた。

 

「ああ」無表情のまま答える零。「久しぶりだな、トム」

「人を撃ってから『久しぶりだな』なんて、タチが悪い。順序も行動も矛盾している」

「雪風がお前を見るなり『撃て』とうるさくてな」零は手に持った刀を構え直す。「動揺する暇もなかった。ためらっていたらおれが危なかった」

「逆に自分が攻撃されるかも、と?」くるりと戦斧を回して零に向ける男。

「雪風の考えることくらい、わかるさ」

「それにしてはずいぶんと悠長ですね。今なんてお喋りしているじゃないですか」

「お前が『トマホーク・ジョン』なのか、確認したかったんだ」

 

 零の顔を食い入るように見つめていたシグナムには、そう言う彼の瞳に怒りと悲しみと、懐かしさのような感情が湧きたっているのを感じ取った。彼がそんな感情を抱くなど、シグナムにはトムと言う男の存在よりもそちらの方が意外に思えた。

 

「自分で納得するためにな。だから雪風には我慢してもらっている」

「フムン。では、納得していただけたのですね?」

「そうだ。だから安心しろ」零は右手の刀をトマホークに突きつけ、その複雑な感情を秘めた瞳でまっすぐに見つめながら、言った。「殺してやるよ、トム」

 

 

 

 

 

 ブシャ、と勢いよく液体がぶちまかれる音を背後に感じ取り、ヴァイスは顔をしかめた。生け捕りにされた海鳥の心臓にナイフが突き立てられた音だった。血が猛烈な勢いで吹き出す。たかが野生動物の一個体とはいえ、生き物が殺され、その血がぶちまけられている状況というのは正常な人間なら嫌悪感を覚えるものだ。

 

「うへえ、血のスプリンクラーだわ。制服が台無し。血は赤いのね。内臓も筋肉も見たところ異常はないし、組成は普通なのかしら」

「だからバリアジャケット着とけばよかったのに。にゃあ、でもこの血、美味いけど変な感じがする。やっぱり普通のカモメじゃない」

<体液に毒物が含まれている可能性もあるので口に含まないでください、カール以外は。──血液のサンプルを採取しました。分析完了まで200秒>

 

 だというのに後方のキャビンで血にまみれている一人と一匹と一機は哀れな海鳥の生死など気にも留めていないという雰囲気で、物言わぬ肉と成りつつあるそれを黙々と解体し始めていた。コクピットにまで血と臓物の臭いが漂ってくるのを感じてヴァイスはバックミラーでキャビンの様子をのぞき見る。

 

 真っ赤な鮮血がキャビンの天井にまで塗りたくられ、そのところどころに白い羽毛がこびりついていた。その血の海の中で同じく血にまみれたトリオが海鳥を解剖している。ヴァイスにはソフィア達がニワトリを襲って臓物を漁っている野犬ように見えた。

 

「おい、キャビンを汚すなって言っただろう。血の海にしてどうするんだよ」

「帰ったら掃除するから」

「そういう問題じゃない」

「俺が全部舐めとってやろうか」ペロペロと血を舐めながらカール。

「もっとダメだ」

 

 シートにまで血を染み込ませて、フェイト達が戻ってきたらどう言い訳すればいいのだろう。ヴァイスは操縦桿を握っていない方の手で頭を抱えた。愛機とはいえ管理局の備品で市民の税金なのだ。始末書ものだ。

 

「ああもう」半ばヤケクソになりながら無線に呼びかけるヴァイス。「ライトニング1、2、それにブーメラン1、応答してくれ。頼むから」

 

 通信リンクが切断されているというのもあるが、ヴァイスにとってこのトリオの相手を自分一人でしなくてはならない状況は我慢ならないものであった。まともな精神の持ち主では信じられないくらい疲れてしまう。骨が折れるというレベルではなく、結石破壊用の体外衝撃波を出力100倍で骨にぶちこまれて粉砕骨折するような感じだ。負担をなすりつけるという意味でも三人には早く帰還してもらいたかった。

 

「で、その鳥の体から何か見つけるんじゃなかったのかよ。早く見つけて、キャビンの掃除をしてくれ」

「あー、はいはい」適当に受け流すソフィア。「まあ、ビンゴというやつよ。心臓に金属反応があったわ。何かの機械が埋め込まれているみたい」

「まじかよ」

<さらに神経の走行を調べたところ、不自然に肥大化している部分が見受けられました。一部にはマイクロマシンのような反応が見られます>

「改造済みってか」ヴァイスは外を飛び回るカモメたちを見て苦々しそうに言った。「誰がやったか知らねえが、関係ない野生動物まで材料にしやがって」

<野生動物、という点においては疑問が残ります>

「どういうことだ?」

<血液を分析したところ、明らかに通常の野生動物が有している体液とは違う成分が検出されました。元素含有量は変わらないのですが、異常です>

「カールが変な臭いって言っていたのはそれね。ジャミング専用に製造した人工生命だわ」

<現在詳しく分析中。次の結果報告は150秒後>

「どっちにしろ胸くそ悪いぜ」吐き捨てるように言うヴァイス。「命をなんだと思っている」

「にゃあ。ゴチソウだと思っているよ、おれは」

「あんたは少し黙りなさい」ソフィア、サディアスの銃身をつかんで黒猫の頭を、ぽかり。

「いってぇ」

「ソフィア、私を黒猫型の汚物に近づけないでください。ストレス制御回路がイカレそうです」

「あらそう。そのまま思考回路全部いかれちゃいなさい」

 

「こういう生物を造りそうなのは」アホトリオの口喧嘩がヒートアップしそうなので話を元に戻すヴァイス。「おれ達の知りえる中ではスカリエッティぐらいなもんだが、奴も提督殿(アドミラル56)の出現に一枚噛んでいるとか、ありえるのか?」

「そうね……。面白そうなんで自分のものにしたくなった、とか充分ありえるんじゃないかしら。それでこのカモメ達を試験運用も兼ねて投入したのかも。管理局から艦を隠ぺいして接収するつもりかしらん」

「だとしたら一歩遅かったな。すでにこっちの優秀な戦闘員がもぐりこんでいる」

 

 フェイト、シグナム、零。この三人を制圧するのは並大抵の力では成せないだろうとヴァイスは思う。三人の空戦技能と高速戦闘能力は管理局全体から見てもトップクラスだし、魔力も豊富だ。かなりの長時間、高い戦闘能力を維持することができる。だからこそこの作戦において抜擢されたわけだが。

 この三人を制圧するには管理局のエース、高町なのはを三人以上用意する必要があるだろう。ついでに辺り一面が焦土と化すこと必然である。魔力砲撃で周囲の地形が跡形もなく破壊され、電撃と火炎で大気中に有毒化学物質が発生し、電磁パルスで上空の電離層が乱され広範囲に電磁嵐が起こるかもしれない。想像すると完全に悪夢だ。核兵器か。

 

 つまり管理局以外の勢力があの艦を手中に収めるためには三人を打倒する必要があるわけで、負ける可能性の方が高いし、周囲への被害も甚大になるのだ。防衛戦以外でそのようなリスキーな行動をとる理由など皆無だ。あの艦にノドから手が出るほど欲しいものが無い限り、あのマッドサイエンティストといえども手は出せない。

 

「例えばレリックが十個まとめて載せてあるとか、とてつもなく貴重なロストロギアが装備されているだとか、それぐらいのメリットがなければ現段階であの艦を手に入れようとは思わないだろう」

「まあ、それぐらいなら三人を相手取るだけのメリットはあるわ。というか、やっぱりあの三人って強いのね」

「ガチでやりあったら都市一つ消える上に一週間は人が立ち入れない焦土が出来上がるぞ」

「ロストロギアの暴走並ね。あの三人はそれだけの価値が……」

 

 そこでソフィアが喋るのを止めた。それまでの饒舌が途切れたことでヴァイスが訝しむ。

 

「どした?」

「……まさか、それが目的?」

「はあ?」

 

 なに言っているんだ、とヴァイスが怪訝な声を上げるが、それを無視するようにソフィアのデバイスが電子音を鳴らす。

 

<報告します。カモメの体液の分析が完了しました。驚くべき結果です。まさしくソフィアの胸の小ささ並に──>

 

 ガン、ガン、ガンとサディアスをヘリの壁面にフルスイング三連発で叩きつけるソフィア。無表情のまま。「続けなさい」

 

<ラ、ラジャー。……本生物のタンパク質組成を調べましたところ、このカモメの体はD型アミノ酸で構成されているということが判明しました>

「?」

<生物の体がタンパク質で作られているのはご存知だと思われますが、そのタンパク質というものは様々なアミノ酸が鎖のように結合してできているものなのです>

 

 それは生物学に詳しくないヴァイスでもなんとなく知ってはいることだった。身体は肉で、肉はタンパク質で、タンパク質はアミノ酸でできている。だからこの身体は無数のアミノ酸でできていると言っていいだろう。

 

<このアミノ酸なのですが、私たちが普段から『アミノ酸』と呼称しているものは『L型アミノ酸』のことを指しています。これは生物の体に存在するアミノ酸が全てL型であるためなのですが、このL型を鏡に映したような構造をしているのが『D型アミノ酸』です。D型は通常生物の体内には存在していません。数十億年の生命進化の中で、どういうわけかL型アミノ酸だけが使われてきたのです>

「でも、そのカモメはD型でできているんだろ?」

 

<はい。あまりにも異常なことです。自然界に存在しているアミノ酸がL型で占められている以上、このカモメは自然発生したものとは考えられません>ほんの少し興奮したような声色を出すサディアス。<鏡に映った像は本物とそっくりになりますが、その像を実際の空間に取り出してみると本物とは同じになりません。右手と左手を向い合せにして重ねあわせることができても、手のひらを同じ方に向けたまま両手を重ねたところでピッタリ同じには合わさらないようにです。偶然にこんなものができるなんて、ありえません>

 

「にゃはは、じゃあこのカモメ、鏡の国から来たのかよ」

<いっそのこと、そう解釈してしまった方が楽なくらいです>

「まじかよ」ちゃかしたつもりで真剣に返されてしまったカールが真顔で聞き返す。

「そんなもの誰が作ったってんだ。そんな生き物、自然の餌を食えずに餓死するだろうに」

<仮に何者かが製造したとするならば、それが目的でしょう。体内に手を加えたカモメが長期間生存してしまえば管理局に露呈する可能性が高くなります。ですが海上において短期間で死亡するのであればまず見つかりません>

「体内に爆弾を仕込むよりはスマートよね」

<しかし、このような生物体──鏡像生物とでも呼びましょうか。こんなものを大量生産し、マイクロマシンによって改造を施すなんて、管理局の技術をもってしても不可能です。いったい何者が──>

 

 

 突然、ドンという強い衝撃にサディアスの言葉が遮られる。

 巨人の手に叩かれたようなヘリ全体を揺さぶる揺れだった。体勢を崩したヘリはコマのように回りながら降下していく。あまりの衝撃にソフィアとカールはキャビンの壁に叩きつけられ、ヴァイスはパイロットハーネスにより体が締め付けられて悲鳴を上げそうになる。

 

「クソッ。こんな天気で乱気流かよ!?」

 

 ヴァイスは操縦桿を動かして必死に揺れを押さえ、ペダルを蹴って回転を止めにかかる。アビオニクス類からの警告音が鳴り止まない。どこかの配線が断絶したのかもしれない。

 

<警告。アドミラル56周辺にて小規模程度の次元震、あるいはそれに類似した時空異常が発生しつつあります>

「なんだと!?」

 

 ヴァイスがキャノピーの外へ目を向ける。見える景色は機体のスピンによって高速で流れていってしまうが、それでもわかることが一つあった。

 

 空が、歪んでいる。

 

 大海原の上に巨大な透明レンズが浮かんでいるような感じだった。上下に長い紡錘形のようだ。膨らんでいくように見えるのは衝撃波のせいか。しかし計器で確認しなくてもあの位置にアドミラル56がいるということが直感的にわかった。

 

 またあの艦のところで次元震が発生するというのか。ヴァイスはこの事態が人為的に引き起こされたものだと確信する。そんな偶然が二度もあってたまるか。くそったれ、誰かは知らないが絶対逮捕してやる、と心の隅で悪態をついた。

 

 この揺れは次元震の初期微動によって引き起こされた衝撃波です、とサディアスは続けた。

 

<また周辺空域に極めて強い磁気嵐が発生しており、艦本体の観測ができません>

「カモメどものせいだわ!」床に転がったままのソフィアが怒鳴る。「あいつら、今まで出力を抑えていたのよ!」

 

 パネルを見れば、大気速度計の表示が最低値から最大値までめまぐるしく往復し、レーダー表示も狂ったように明滅を繰り返していた。対地高度計などは高度10万mというありえない値を示したまま停止していた。

 

 そして歪んだ空に、ほんの一瞬だけ白い煙の柱が立つのをヴァイスは見た。急激な気圧の変化で発生した水蒸気だ。そう思った直後、再びの警告音。

 

<衝撃波、第二波きます>

「Mayday, Mayday, Mayday(緊急事態発生)。こちら機動六課ロングアーチ!」作動するかどうかも怪しい無線に向けて怒鳴る。「墜落の危険あり!」

「んなもん知ってるわよ、このポンコツヘリ!」

 

 うるさい黙れ、と言い返そうと口を開いたとたん、再びの衝撃が機体を襲った。洗濯機の中に放り込まれた布きれのような回転が悪化する。ハーネスに締め付けられた腹から未消化のランチが飛び出しそうになるのを必死にこらえつつ、ヴァイスは機長として事態の回復に専念した。ペダルを踏み込む脚は攣りそうになるほど力いっぱい踏み込み、操縦桿を握っていない方の手はチェックリストの手筈通りにパネル類を操作していた。

 

 努力のかいもあってか、機体の回転速度自体は遅くなっていった。しかし衝撃波と磁気嵐によって燃料系統が破壊されている可能性もあり予断はできない。

 

<次元震の終息を確認。磁気嵐も消失しました>

「お、収まった」

 

 ふへー、と緊張の糸が切れて溜息が出てしまう。もう機体は安定している。ひとまず危機は脱したようだった。

 

 気を引き締め直し、操縦桿を動かして機体の反応を確認する。しかし計器がどうにもあてにならない。水平儀は予想外の方向でくるりと反転したりする。気圧高度計と電波高度計の示す値がかけ離れていることにも気づく。どちらの数値がより正確なのかとヴァイスはキャノピ越しに機外を見る。両数値ともデタラメだった。

 

「計器類がいかれやがった」とヴァイス。「任務続行は完全に不可能だ。燃料が切れる前に帰投する」

<通信機能は生きていますか?>

「おうよ。六課に救援要請のコマンドを送ったよ」

<ですがその前に、非常に困ったことが起こりました>

「まだ何かあるってのか」

 

 ヴァイスは、もうどうにでもなれと言わんばかりに呆れた様子だったが、その後に続いたサディアスの報告は最悪な状況を示すものだった。

 

 

<アドミラル56が、消えました>

 

 

 

 





 作中においてトマホーク・ジョンが妙な言葉を話していますが、これはアメリカ先住民族のナバホ族が用いているナバホ語です。

 トマホークは設定上、純血のドグリブ族(トリチョ族)ということになっていますが、ドグリブ族の言語について調べてもほとんど情報が出てきませんでした。あっても英訳しかなく、学生時代の英語の成績が壊滅的だった私には到底使いこなせるものではありませんでした。

 しかたがないので、ドグリブ族と同じアサバスカ諸語に属するナバホ語を用いることにしました。こちらは比較的情報が手に入りやすく、和訳も可能でした。

 これは、大阪出身のキャラに京都弁を喋らせるのと同じで、いささか不自然なことです。あと文法に関して私は素人なので単語の並び方などはかなり適当です。

 こうした中途半端な出来は私としては不満足です。でもトマホークにはどうしてもアメリカ先住民の言葉で技名を言ってほしかったのです。というわけで適当なところで妥協しました。ごめんなさい。

 もし読者の中にドグリブ族の言葉が分かる方がいましたら、情報提供お願いします。

※投稿が一年以上空いてしまった理由に関しては私の活動報告をご覧ください

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