魔法少女リリカルなのは 妖精の舞う空   作:スカイリィ

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第三十九話 戦闘知性

「L1、L2。応答せよ!」

 

 零は焦った。あの閃光はESSMの炸薬と推進剤が一瞬で炸裂した炎だ。先の通信から察するに、あの二人はESSM12発の直撃を受けた。

 脆い航空機を攻撃するために存在する対空ミサイルだが全長は4m近くあり、決して小さくはないし威力も弱くない。高速で移動する航空機に少しでもダメージを与えるため一般的な対戦車ミサイルや対地ミサイルより炸薬量が多いこともある。ましてやマッハ3という速度で突っ込んでくる以上、その運動エネルギーは莫大だ。

 

 腕の立つ魔導師のシールドでなら1、2発は受け止められるかもしれない。だが12発もの集中砲火を食らったら無事ではすまないだろう。あの二人でも、わからない。

 

 自身の動揺を感じとった零は頭を即座に冷やして前方へ意識を向ける。なにをしている。今の自分には二人の安否を気にするよりも優先すべきことがあるはずだ。

 

「雪風。アドミラル56のイルミネーターを潰せ。艦全体に影響が出ても構わん。おれが許可する」

<ROGER…Lt./RDY-CDS/FIRE>

 

 即座に雪風がCDSを発射。攻撃波はアドミラル56の艦橋上部へと突入し、ミサイル誘導のためのアンテナを内部から破壊する。イルミネーターは目標へ電波を照射し、その反射波でミサイルを誘導する一種の管制装置である。こうしたタイプはセミアクティブレーダー・ホーミングと呼ばれ、これが破壊されると艦船はミサイルをまともに誘導できなくなる。零はシグナムとフェイトの救助より、次の攻撃を防ぐ方を優先した。

 

 イルミネーターは艦の中枢と複雑かつ密接にリンクしているため、CDSによる攻撃で艦全体に悪影響が出る可能性があった。原子力空母であるアドミラル56に対しそれは危険極まりない攻撃であるし、艦そのものはできるだけ無傷に近い状態で日本海軍に引き渡したかった。大国の虎の子を破壊したとなれば管理局と接触した時に面倒なことになる。今はしかしそんなことを言っていられない。

 

 アドミラル56からの攻撃照準波が消失したことを確認した零は、そこで初めて後ろを見た。進行方向も反転。ゆっくりと二人の方向へ向かう。

 

「通常レーダーを最大強度に。L1とL2のいる空域を走査せよ」

<ROGER>

 

 視界前面が、暗闇の中で強いサーチライトに照らされたかのようにはっきりと見えるようになる。大気圏を突き抜けて遥か遠く、低軌道を周回中の人工衛星までも見ることができた。これまで体験したことのない感覚にぞっとする零だが、それよりも二人のいる辺りに浮かんでいる奇妙な物体に関心が向いた。

 

「なんだ?」

 

 レーダー上でそれは巨大な毛玉のように見えた。毛玉と言うよりは電波をランダムに反射するミラーボールのようだ。シルエットが把握できないので最初は構造が複雑なのかと思ったが、どうやら能動的に蠢いているらしい。

 

 零はレーダーシステムを切り替え、可視光観測と赤外線レーダーでそれを見ることにした。海上では水蒸気による光の減衰・屈折と海面の乱反射があるため使用していなかった。肉眼に近い感覚で拡大表示。先ほどの未確認物体へとズームする。

 可視光で見たその物体に零は戸惑った。

 

「これは……?」

『こちらライトニング2。……深井、聞こえるか?』

 

 荒い息と共にシグナムの声が通信回線から流れてくる。

 

「こちらB1。アドミラル56の攻撃手段は封じた。もうミサイルはこない」

『そうか……感謝する。レヴァンティン、シュベルトフォルム』

 

 シグナムの命令と共に、その巨大な球体はみるみる縮小してついには消滅した。

 いや、消滅したのではなくある一点に収束したのだ。彼女の握る、一本の剣に。

 

『シグナム! 怪我!』通信に割り込んでくるフェイトの声。

『ふふふ……我ながら無茶をしたものだ。テスタロッサ、ブーメラン1に応答しろ』

『え? あ、えっと、こちらライトニング1。健在です』

「B1。ラジャー。これより合流する。負傷しているようだが、移動できるか?」

『軽い手傷だ。私もテスタロッサも問題ない。今からそっちに向かう』

「了解。この場で待機する」

『感謝する』

 

 そこで通信は途切れた。宣言した通りホバリングに移行して止まる。二人の方を見ると、時速60kmほどでこちらに向かっていた。恐らくシグナムの負傷の度合いに合わせてゆっくりと来ているのだろう。

 

 零は先ほどの球状の物体がなんだったのかを理解していた。

 

 あれはシグナムの剣。レヴァンティンだ。

 

 シュランゲバイゼン。以前に模擬戦で経験した能動的に動くムチのような巨大蛇腹剣だ。それをシグナムはチャフとして利用した。すなわち鎖状の剣を空中で球形にまとめることによって巨大なレーダー反射源を作り出し、そこにミサイルを誘導したのだ。

 ワイヤーで接続された刃は金属製であるため鏡のように電波や光を反射する。それをゆるくまとめると全体としては電波を乱反射する構造物となる。中身はスカスカでも構わないからかなり大きくさせることが可能だ。つまり大量のチャフをばらまいたのと同じ条件になるわけで、ミサイルはそこへ優先的に突っ込もうとする。人間の大きさでしかないシグナムとフェイトはその巨大な反射に隠れミサイルを回避したということだ。

 

 なんという判断能力だろう。フェイトも斬撃でミサイルを撃墜したがそれとは方向性がまるで違う。シールドで防ぐでもなく射撃で撃ち落とすでもなく切るわけでもなく「ミサイルが自ら剣に突撃してくるよう仕向ける」など常人がとっさに考えるものとは思えない。

 

 相当な戦闘経験、それも単調なものではなく様々な相手と戦い、高度な判断能力を身につけたものと推測できる。彼女達ヴォルケンリッターは元々戦闘用として製作されたプログラム体だ。本来自我など持たない。それなのに今はこうして明確な自我を持ち、プログラムされていないはずの新しい戦法を自らの判断で実行することができる。

 もしかしたら彼女達は、表面上は人間に近くても、知性体としての根本は雪風と同じ戦闘知性なのかもしれない。そう零は思った。

 

 

 

 

 

 シグナムの負傷はそれほどひどいものではなかった。右半身を中心にあちこち軽い切り傷を負っているが、大したものではない。ただ右手首内側の傷は少しばかり深く、シグナムが左手でレヴァンティンを持っていることから腱が切られていることを示していた。見たところ親指の腱だろう。

 

「ミサイルの破片でやられたのか」

「他の切り傷はそうだが、これだけは自傷みたいなものだ」

「……自分で切っただ?」

「爆発の衝撃でレヴァンティンの刃の一部がこちらに向かってきてな、避けきれなかった」

<シュランゲフォルムの性質上、うねることで衝撃を緩和できると踏んでいたのですが、運が悪かったです>残念そうにバルディッシュ。<当たり所の問題で、ある部分の運動ベクトルが一方向に集中し制御の許容を超えて弾き飛んでしまったようなのです>

「私に飛んできたミサイルを引き付けていたから、下手に避けられなかったんだ……」自分のデバイスと同じように落ち込むフェイト。

「……それは、確かに自傷だな」ある意味で、と心の中で思う零。

 

 レヴァンティンはミサイルに対する有効な盾兼囮として機能した。だが問題だったのはその盾が鋭い刃で構成されていたことだ。

 ワイヤーで繋ぎとめられた不安定な状態で、しかも剣である以上はどちらかの手で持っていなければならない。上手く攻撃の威力を剣の球体内で処理できれば問題ないが、敵の攻撃が強力だと過剰な運動エネルギーが外に飛び出してくる。これでは普通の盾の裏側に五寸釘がびっしりと生えているようなものだ。敵の攻撃が強力だと、盾のせいでこちらが傷付く。有効的だが危険な盾だ。

 

「自分で切れ味を試すことになるとは思わなかった。私の未熟さが原因だ」

「ESSMの集中砲火を防いだんだ。まだマシだろう」

「お前なら全弾防げただろう?」

「……前にも言ったはずだ。どちらが高性能か比べるなんてことは、意味がないと。ここは戦場だ」

「……ああ、わかっている」

 

 零は気まずそうに言うシグナムを尻目にアドミラル56へ目を向ける。距離はおよそ2km。もう目と鼻の先だ。

 

「アドミラル56の戦闘能力は喪失した。あとは制圧するだけだ」

「了解しました」バルディッシュを構えてフェイト。「どこから突入しますか? あれだけ大きいと制圧するだけでも一苦労ですよ。艦首から行きますか?」

「いや」無表情に零。「艦橋に直接乗り込もう。この人数では制圧できる空間にも限度がある」

「まず頭から抑えて身動きを封じるんだな」とシグナム。

「先行する」左の刀を抜いて零。「おれが艦橋を攻撃する。その後に突入しろ」

 

 二人が無言でうなずいたのを見て、零はホバリング状態から通常飛行状態へ移行する。時速400kmほどの低速で一直線に巨大な鉄塊へ向かう。相対距離が600mほどになった辺りで海面スレスレから跳ね上がるように高度を上げる。

 零は艦橋から100mほどの距離で、持っていた刀を投擲。同時に時速40kmまで急減速をかける。

 時速500kmほどで艦橋の窓に突入した刀は切っ先を進行方向に向けていたためガラスを貫通。放射状に広がる無数のヒビを残してそのままの勢いで天井に突き刺さる。

 そのヒビの中心へ体当たり。無数のヒビを入れられたガラスは衝撃に耐えられず砕け散った。

 

「動くな!」

 

 艦橋に突入した零は天井スレスレの高さでホバリングし乗員に対して日本語での警告を発するが──結果としてそれは意味をなさなかった。

 

「……?」

 

 肉眼で艦橋を見渡すが、人影のようなものは見当たらない。隠れているのかと思い、雪風の赤外線レーダーをサーモグラフィー代わりにして走査するが、それでも人間の体温やそれの影響を受けたと思われる痕跡が見当たらない。あるのは機械の熱だけだ。さらに零は雪風に命じて空間受動レーダーを起動。とっさに隠れたのか、それともだいぶ前から無人だったのかは空気の流れを見ればわかる。だが、いくら走査しても艦橋内の空気に空調以外の乱れは見られない。

 

「……誰もいない?」

 

 そんなばかな。零は飛行魔法を解除して床に降り立つと艦橋内を詳しく調べ始める。人がいたのなら飲みかけのコーヒーだとか、報告書だとか航海日誌があるはずだ。だがいくら探しても、人の熱を知らないような床の冷たさがバリアジャケット越しに伝わってくるだけだった。

 

「深井さん?」背後からフェイトの声。

「なんだ。なにがあった」零がぶち破った窓からフェイトとシグナムが入ってくる。「……なんだこれは。乗員はどこにいる? 脱出したのか?」

 

 わからない、と首を横に振る零。

 

「わからない、はないだろう。ミサイルを撃ってきたんだ。誰かが命令してきたはずだ」

「そのはずだが……少なくともおれが突入するずっと前からこの艦橋は無人だったらしい。空気の乱れがなさすぎる。これといった熱反応もない」

「空気の乱れ……えっと、空間受動センサー、でしったっけ?」フェイトが訊ねてくるが零はそれを無視して天井に刺さった刀を引っこ抜く。間違いも面倒なので訂正しない。

「艦橋以外で人がいるとしたら、CIC(戦闘情報センター)か」

「CDC(戦闘指揮センター)だ、空母は。艦橋の下にあるはずだが……おれが行こう」

「私も行こう」左手のレヴァンティンを強く握るシグナム。「深井、お前は接近戦が苦手だ。狭い艦内では銃より剣の方が有利な場合もある。私は左手でも負けはしない。テスタロッサはここに残れ。誰か来るかもしれない」

「でも、シグナムはケガしてるし──」

「怪我人を単独状態にしておくのはリスクが高い」冷淡な口調でフェイトの言葉を遮る零。「CDCなら雪風が情報を取得できる。怪我はファーストエイド(応急手当キット)を探せばいい。空母ならそこらへんにあるだろう。使い方はおれも知っている」

「わ、わかりました」ハトが豆鉄砲を食らったような表情になるフェイト。「じゃあ、何かあったら連絡してください」

「B1、了解」

「ライトニング2、了解」

 

 シグナムと零の二人は警戒を緩めることなく階段を下りて行った。

 

 艦橋に一人残されたフェイトはポツリと呟いた。

 

「……バルディッシュ、私って嫌われてるのかな」

<単純に間が悪いだけかと思われます、サー。いつものことです>

 

 フェイトは今度こそ肩を落とした。しょんぼり。

 

 

 

 

 

 零とシグナムは人気のない艦内通路と軍艦特有の狭くて急な階段をひたすら降りていく。下へ向かうエレベーターもあったが突然止まるかもしれないため使用しなかった。

 

「傷は?」

「問題ない。出血も収まってきた」

 

 階段を下りていく間に交わした会話はそれだけだった。通路の左右を警戒しながら進む二人の間には、険悪と言えないまでも曇った空気が漂っていた。他人など関係ないと言い切る零の性格を知ったことで、シグナムの彼を見る目が変わったのは少し前のことだ。ホテル・アグスタの件でシグナムはそれを実感し、彼を避けるようになった。同時に会話らしい会話もしていない。ここにおいても会話が発生しないのは当たり前と言えた。

 

 だがここは戦場であり、二人は戦士である。決して互いを妨害せず、嫌がらせをすることもなく、ただひたすら冷静に論理的に行動していた。

 階段の途中に部屋があれば零が優れた探知能力で通路側を警戒し、その間に接近戦に秀でたシグナムが部屋の様子を確認する。通路に情報端末があれば今度は機械に詳しい零がそれを調べ、彼の背後をシグナムが守る。通路が二手に分かれている時はそれぞれの道を二人で警戒する。暗黙のうちにそのような役割分担が発生し、互いの背を守っていた。

 

 それは仲間という概念で構築されたチームプレイなどではなく、この場で生き残るためにどうすれば良いのかという論理的思考と戦闘勘によって導かれた連携であり、二人はそれを言葉もボディランゲージも使うことなく機械のように正確にこなしていた。二人は生粋の戦士だった。生き残るためにはどうすればいいのか、この状況で相手はどう考えているのか、言葉を交わさなくともわかる。

 

 そうこうしているうちに二人はCDC(戦闘指揮センター)の扉の前にたどり着いた。そこでようやく不気味なほど静かだった二人の間に言葉が放たれた。

 

「突入する」

 

 この一言だけだったが、シグナムはそれで零の意図を理解したらしく、零の背に自らの背をくっつけるような体勢になって背後を警戒し始めた。突入する際に背後から奇襲を受けてはたまらない。

 零は扉にトラップなどが仕掛けられていないことを確認すると、外開きのそれを思い切り引いて中に突入した。

 

「全員手を挙げろ!」慣れていない日本語で警告しつつCDCの内部を見渡す。

 

 誰もいなかった。暗く広い部屋の中を無数のモニター光が照らしている。人の気配は、ない。

 

「ここもか」

「いったいなんなんだこの船は」後ろから続いて入ってきたシグナムが言う。「幽霊船か何かか?」

「ミサイルを撃ってくる幽霊船とは、笑えない」

「Flying Dutchman(さまよえるオランダ人)ならぬ、Flying Admiral(さまよえる提督)か。しかもミサイル付き」

「ここは喜望峰じゃないぜ」

「じゃあ真珠湾か?」

「フムン」

 

 零は雪風に命じて周囲の機器を調べさせる。雪風の電磁波で機械を直接操作するというのは可能だが、いつ敵が襲ってくるかわからない現状で雪風の処理能力を割くわけにはいかないし、なによりFAFと規格が異なるこの艦の制圧は時間がかかる。

 しかし今見えているモニター群の情報を一瞬で読み取り解析することは可能だった。雪風はそれらの情報をまとめ、零の視覚に投影する。

 

「これは……自動攻撃モードに設定されている」

「コンピュータが、攻撃してきたのか」驚き半分、納得したという表情でシグナム。

 

 イージス艦など、システムが高度に自動化された戦闘艦は人間が手動で目標を設定するのではなくシステム側が自動で設定し攻撃することが可能だ。つまりは自動で敵を認識し自動でミサイルを発射し撃滅するという全自動攻撃能力である。しかしそれは残弾を考慮せずミサイルをひたすら撃ちまくることにも繋がるので、例えば多数のミサイルによる飽和攻撃を受けてしまい、人間では捌ききれない状態になった場合で使われることが多い。つまり手動時よりも数的不利な状況下で使われるシステムだ。このアドミラル56は空母なのでイージス艦と同列に語ることはできないが、少なくとも戦況が優勢な時にはあまり使われないはずだ。

 自動攻撃モードの状態ではミサイルを放つのに人間の判断は必要ない。だから無人状態でも近づくもの皆撃ち落とす。アドミラル56はそういう状態だったのだ。

 

「そんなに切羽詰まった状態で転移してきたのか? 機能中枢を探して止めればなんとかなるが……」

「すぐに止めるぞ」シグナムが冷静に言う。「我々とテスタロッサでこの巨艦を制御するのは無理がある。増援が必要だ。制圧要員もだな。戦闘員が隠れている可能性もある」

「了解だ」制圧するとなればざっと数百人は必要になるな、と脳内で計算する零。

「とりあえずどれだ。その攻撃モードを切り替えるスイッチは」

 

 シグナムの質問を受けて、黙って周囲を見渡しつつ雪風の情報と照らし合わせる。一般人には受容できない量の膨大な情報が視覚に投影されるが、それを零は平然と読み取っていく。

 

「あの制御卓だ」少し離れた場所のモニターを指し示す。「もうミサイルの残弾はないが、片側のCIWSが残ってる」

「ミサイルが無いのはなによりだ」

「これでこの艦の戦闘能力は無くなるはずだ」その制御卓の前まで来て、操作パネルに触れる。「対空戦闘用具納め、と」

 

 操作を終えると、周囲のパネル表示が切り替わったのが零には分かった。艦全体が非戦闘状態に移行したのだ。雪風のレーダーにノイズが走らなくなったことから強力なECMも止まったらしい。

 一応、CDCの周辺に自分たち以外の生体反応がないかどうか確かめるが何もない。零は戦闘態勢を解く。

 

「あっけないな」

「ああ。もっとトラップのようなものがあると思ったんだが」零を見て同じく警戒を緩めるシグナム。

「しかし念のためだ。増援を要請する前にこの艦を電子的に制圧させてもらう」と零。誰かがこの艦内に潜んでいるとしても、電子的に制圧してしまえばどこにどれだけいるのかすぐにわかる。「雪風、時間をかけてもいい。ここから艦のシステムを掌握しろ」

<ROGER…Lt.>

 

 雪風はそう返事をすると、CDCのコンピュータ群へ電脳的攻勢を仕掛け始めた。アドミラル56のメインコンピュータにはファイアウォールなどの高度なセキュリティが施されている。スパイ等が艦に侵入し、ウイルスプログラムをばらまかれることを想定していてのことだった。その防壁は当然、内部からの電脳制圧を妨げようとする。

 当然雪風はそのような防壁などものともしない。無数に仕掛けられた艦電子回路のセキュリティ群を、濡れた障子紙のごとくぶち破っていく。

 

 地球製のコンピュータはすべてノイマン型コンピュータ。ジョン・フォン・ノイマンという天才数学者が開発した、プログラムをデータとして記憶装置に格納し、これを順番に読み込んで実行するコンピュータであり、ノイマンが開発した原初のコンピュータ「エニアック」の眷属にあたる。昔から続く伝統的で信頼性の高い形式だ。

 ところが雪風は非ノイマン型の光回路コンピュータだ。地球製とは比べものにならない演算能力を持つ上、そのプログラムも異質かつ極めて効率的に組まれている。例えユニゾンデバイスになったとしても古い形式とも言えるノイマン型を制圧するのは簡単だった。

 

 逆にネックとなるのはノイマン型の遅さ、そしてこの艦の巨大さだ。制圧するにも艦のコンピュータが応答してくれなければ破るものも破れずこちらが待つはめになる。そして艦が巨大ということは搭載されているシステムの数も膨大かつ複雑に絡み合っているということだ。中にはセキュリティのために外部から物理的に接続しにくくしてある。

 

 雪風はそれらを片っ端から攻撃し、制圧するしかない。しかもどれがどう影響し合っているのか、その都度調べないといけない。だから時間がかかるのは当然だったし、それを零も理解していた。

 

「どのくらいかかる?」気になったのかシグナムが訊いて来た。「これだけ大きな艦なんだ。時間がかかるだろう」

「フムン」確かに、どれだけ時間がかかるかというのは零も気になるところだった。1時間はかからないだろうが。「雪風、この艦のシステムを完全制圧するのに要する時間を答えろ」

 

 数秒経って、雪風はこう返答した。

 

<3 minutes>(あと3分)

 

 

 

 

 

「これ、艦長席ってやつかな」フェイトは赤一色に彩られた椅子を見ていた。とても良い作りだ、と思う。

<我々の地球における海上自衛隊では、赤は一等海佐の色です。あちら側の日本海軍が自衛隊の伝統を引き継いでいるとするならば、恐らくこの席には大佐の階級を持つ艦長が座っていたのでしょう>

「へー」じっとその席を見つめるフェイト。傍から見るとショーケースに飾られたオモチャを見る子供にような目をしていた。

<……座りたいのですか?>

「え!? あ、えーと、うん。めったに座れるものじゃないし。でも今は作戦行動中だし」

<私達以外誰もいないようですし、良いのではないですか?>

「んー。まあ、そうだね」

 

 周囲をきょろきょろと見まわして誰もいないことを確認してからそっと椅子に腰を下ろすフェイト。いけないことをしているような気がして、自然と縮こまって座ってしまう。

 

「……わぁ」

 

 無骨だがいい椅子だった。その良い感覚と何とも言えぬ優越感に自然と頬が緩み、口から感嘆の声が漏れる。「えへへ」

 

 数十秒ばかりその心地よさを堪能すると、周りに目を向ける余裕が出てくる。アドミラル56の甲板の向こうにはミッドチルダの碧い海が広がっている。沿岸部はともかく、陸地から数百キロも離れたこんな外洋まで来ることはめったになかった。

 空の感じもどことなく違う。やはり陸地とは空気の流れが違うのだ。零がぶち破った窓からは濃い潮風が流れ込んできて、ここが海であることを否応なく感じさせる。

 

 泳ぎたいな、と考え始めたところでフェイトは頭を振って意識を別方向に向けようとする。何を考えているんだ私は。今は作戦行動中ではないか。

 

 電波妨害があまりに激しくて相変わらずロングアーチと通信はできない。止めようにも艦橋に操作する設備はなく、恐らくCDCにあると思われた。零達から待機の指示を受けたフェイトは特にすることも無い。つまるところ暇なのであって、作戦外のことを考えてしまうのも仕方ないと言えた。戦闘を意識しても艦長席から腰を上げようとしないあたりが、未だ少し気が緩んでいる証拠でもあった。

 

「深井さんとシグナム、うまくやっているかな」自分が考えていたことを相棒に悟られぬよう、作戦に関する話題を振るフェイト。

<少なくとも下から戦闘音が聞こえてこない限りは、問題ないかと>少しばかり皮肉を込めながらバルディッシュ。

「……普通にやりそうだから困るよね」

<互いにここが原子力空母の上であることを自覚していてくれれば幸いなのですが>

「……いざとなったらこの床壊して直行するよ」

<敵との戦闘も予測されますしね。それが良いかと>

 

 たぶんシグナムの方から仕掛けるだろうな、などと考える。敵との遭遇より可能性が高そうに思えた。

 

「でも、どこ行ったんだろうね」

<この艦の乗員ですか?>

「うん。深井さんによれば少なくとも2000人はいるって話だけど、影も形もない。この席にいるはずの人もさ」

<確かに。海面に浮いているわけでもありませんし、そもそもここまで徹底して人の痕跡を消す理由がない>

 

 アドミラル56の艦長席に座ると広い飛行甲板を見渡すことができた。少しばかり目を凝らすが人影は見当たらない。日の丸が描かれた見慣れぬ戦闘機と黄色の牽引車が海風の中に放置されているだけである。ある程度固定はされていて海にずり落ちる危険はなさそうだ。

 

<ドクター・フォスが空中空母から単独でこちらに飛ばされたのとは逆に空母だけこちらに来たということも考えられますが、だとしたら人間以外の、人間の痕跡があるはずです。これは意図的に人間の痕跡を隠しています>

「仮にそんなことをしたとしても、それをする理由が分からない」

 

 フェイトは浮かない顔をしながら小さくため息をついた。「なんだかなぁ」

<なにが、ですか?>

「どうもさ、そもそも深井さんの世界に日本軍があることに違和感あるんだよ、私は」

<自衛隊から軍に変わったことは確かに大きいですね。周辺国家との軋轢も少なくなかったでしょう>

「いや、そうじゃなくてね」少し苦笑するフェイト。「日本軍があるってことは、アメリカ軍とかロシア軍とか、それぞれ軍隊があるんじゃないかなって」

<それが?>

「ジャムという人類共通の敵が現れたのに、各国ごとにまだ軍隊持って、争いはしないまでも睨み合っているってことでしょ?」フェイトは海から視線をそらさずに言った。「シグナムが言っていたみたいに、国と国との戦争を仲裁する国連軍がFAFとは別に存在することも、良く考えてみれば変なんだよ。いっそまとめてしまえば楽なのに。つまりはまだ国と国で戦争が起こる可能性があるか、実際に起きているんだよ。FAFに戦争の仲裁を担当させるのは無理があるからね。空軍だけだし>

<……なるほど>

 

 納得した、というような声でバルディッシュが応えた。

 

 もし地球に存在する全ての国が一致団結してジャムと戦っているのだとすれば、わざわざ空母を日本海軍所属とする意味がない。フェアリィ海軍だとか、もしくは地球連合海軍だとかにまとめてしまえばいい。それがないということは未だ各国は独自の軍隊を保有している。そしてほとんどジャム戦争の被害を受けない北半球の日本が軍を持っているということは──

 

<この空母も、人間同士の戦争に使われるのかもしれないのですね>

 

 人間同士の戦争。

 惑星単位で統一されたミッドチルダにおいて、国家間の戦争という事象が発生していたのはずっと昔の話だ。ミッド出身のフェイトは日本の中学で歴史を学ぶまで戦争というものを実感したことがなかった。

 

 かつて地球では質量兵器を用いた世界規模の大戦争が二回も起きて合計八千万もの命が殺された、という事実は信じられなかったし、高町なのはと八神はやての祖国がその二回の大戦争に参加していたことも理解しがたかった。あんなにも平和で人も自然も穏やかな国だというのに。

 

「こういう言い方は問題かもしれないけどさ。……せっかくジャムが現れて、人類が一致団結することができたのに、深井さんの世界では人間同士で殺し合っているんだよ」

 

 それがこの空母を見て、わかった。とフェイトは言いたげだった。

 

「そりゃあ、簡単にはいかないよ。ミッドだって統一するのに原始時代から何千年何万年とかかったんだ。逆に言えば、あっち側の地球はそれをできるチャンスをふいにしたんだ。それが、なんかさ、悲しいなって。この艦の乗員が人間の痕跡を隠したとしたら、人間を相手にした作戦なのかもしれない」

 

 まるでこの自分達をのけ者にして、敵愾心をぶつけられているような気分にさせられる。バルディッシュはフェイトの言わんとすることを理解したようだった。人間の敵は結局のところ、人間というわけか。

 

「深井さんが自分から日本語でしゃべろうとしないのもそれなんじゃないかな。こっちは死ぬ気でジャムと戦っているのに、祖国は人間を殺すための武器を我関せずと造っているなんて、それじゃあ自分の戦いは何なんだって気分になる。日本を嫌いになっても不思議じゃない」

<私達の知っている地球の日本へ行こうともしませんからね。祖国の料理や気候が懐かしくなるはずなのに>

「エディスさんは心理状況を観察するとか言って深井さんについて回っているけど、親友に会いたいとか言ってもアメリカが恋しいとは一言も言わないんだ。二人とも自分の国に帰ろうとしていないから、そういうことなんじゃないの?」

 

 自分たち地球防衛軍がジャムと戦っている後ろで、各国の軍はお互いを叩き伏せようと策謀を巡らせているとしたら、己の戦う意味が無意味になりかねない。それは、つらいだろう。

 

 フェイトは静かにため息をつく。すると、右手に持ったバルディッシュがわずかに発光した。

 

「バルディッシュ?」

<……なにか接近してくるようです>

 

 もしかして、乗員? 直感的にそう考えたフェイトは艦橋の外へと通じる扉へ首を向けた。

 

 

 

 

 

「ぐ……」

「痛むのか?」

「いや、大事ない」

 

 一度止めた手を再び動かし、シグナムの右腕に包帯を巻いていく零。彼らの傍らにはファーストエイドのセットが置いてあった。幸いにもCDCの隅にいくつか備え付けられていたものを拝借したのだ。果たして魔法によるプログラム体である彼女に人間用の応急処置が通用するのかわからなかったが、傷口から覗く血管と皮下脂肪、筋肉の走行は人間と変わらず、にじみ出る血も差異は見受けられなかった。

 零は人間と同じように彼女を手当てした。CDCの片隅に2人で座り込んでの治療だった。腱が切れている以外は特に異常はなかった。むしろ日本海軍とFAFのファーストエイドの違いに戸惑ったくらいだった。久々の日本語はやはり慣れない。

 

「血は止まっているが、あまり激しい動きをすると再出血する」

「わかった。気を付けよう」

 

 ガーゼで拭いはしたが、シグナムの腕にはまだ固まった血がこびりついていた。この艦にくるまでにかなり出血したようだった。圧迫止血で無理やり止めたのだろうか。

 

「……すまないな」包帯を半ば巻き終えたところで呟くシグナム。

「なにがだ」

「いや、お前のことだ。怪我人である私を足手まといに思っているんだろう」

「別に。自分で歩けるだけマシさ。それに戦場では眼も耳も多い方が有利だ。幸いアンタには2つずつある」

「……ますますわからんな、貴様は」

「お互い様だろう」零は彼女の言わんとすることを理解した。「おれはアンタを理解するつもりはないし、アンタを気づかうつもりもない。ただおれは──」

「ただ最善の判断を、か?」遮るシグナム。

「ああ」短く肯定する零。「戦場における、な」

 

 さすがに彼女も気づいているだろう、と零は考えた。『感情なんて不必要だ』とこの自分が考えていることに。しかしそれは彼女には理解し難いものらしい。それを無理やり納得しようと思考しているのかシグナムは口をつぐんだままだった。

 その後しばらく沈黙が続いた。零が包帯をハサミで切って、端を固定具で留める時までCDCにはコンピュータとエアコンの駆動音しか響かなかった。

 

「それが、わからない」唐突にシグナムが呟く。「深井、お前はなんのために戦う?」

「……なに?」

「お前は前に『他人のことなど知ったことか。おれには関係ない』と言ったな。覚えているか」

 

 零は小さくうなずくことで肯定した。余った包帯を元の袋へ雑に突っ込む。

 

「つまりお前は、自分以外の存在などどうでもいい、と言ったわけだな、違うか」

 

 違わない。先と同じような返事がシグナムに届く。

 

「では何のためにFAFで戦う。他人なんてどうでもいい、祖国も、家族も、どうでもいい。怨み辛みも感じない。そんな男がどうしてよりにもよって地球防衛軍なんかに入って、人類を守ろうとしているんだ。私にはそれがわからない」

「あんたには関係ないだろう」

 

 シグナムの言葉は静かな声色だが、強い感情が存在しているように零は思えた。

 

「ヒーローにでもなりたかったのか? 戦闘機に乗って、エイリアンを倒す英雄に」

「そんなものには興味ない。名声なんて他人が勝手に付けるモノだ」

「金か?」

「生活できればそれでいい」

「女は?」

「抱き飽きた」

「友のためか?」

「友、か」

 

 そこで初めて言い淀んだ。厳つい親友の顔が脳裏に映し出される。たった一人の友。彼を守るために自分は命を張れるだろうか。張ったことなどあっただろうか。

 

「違うな」首を横に振って答えた。「あいつはあいつで、戦っていた。おれが助太刀する猶予なんてない」

「じゃあ何のために戦っていた」無傷の左手を握り締めてシグナム。「名声も金も女も、友のためでもないときた。ジャムに恨みがあるわけでもない。ではお前は何を目的として戦ってきた。何のために地球を守っていた。何のために戦士たらんとした」

「──なにも」零は静かに言った。「なにもない。誰のためでも、何かのためでもない」

「それで、戦えたというのか」

「ああ」

「ふざけるな」ほとんど怒っているような口調。「そんなものが戦士であっていいものか。何かを守ろうとする気概もないのに、信じるものも、なにもないのに、どうして戦えた。なぜなにもないのに、戦士でいられた」

「おれが何のために戦うなんて、あんたには関係ないだろう」

「いや、ある」

「騎士の誇り、とやらか」バカバカしい、と半ば吐き捨てるように言ってやった。

「それもある」

「それも?」

「何のために戦うのか、それがはっきりしていない者と一緒に戦うなど私にはできない」

「おれはアンタに勝ったこともある」戦う目的が無い者は弱いとでも言いたいのか、と眉をひそめる零。

「そういう意味ではない。お前の目的を明らかにしろ、ということだ」

「……なるほど」

 

 何のために戦うのか。それが分からないやつを信用するわけにはいかない。そう彼女は言っているのだと零は悟った。なるほど歴戦の戦士らしい、しかし論理的な判断だ。戦いにおける情報戦の根底を彼女は理解している。

 

「なにかあるはずだろう。お前が戦士になったきっかけが」

「ジャムと戦えばわかる。誰かのために、何かのために、なんて考える余裕なんてジャムは与えてくれない。人間同士でなら問題なくても、そんな余計なことを考えていたら、ジャムに殺される」

「それはそうだろう。エイリアンなんだから」

「違う」フェアリィでの戦いが頭に浮かぶ。「ジャムと戦うには、フェアリィ空軍で戦うには、自分以外のことを考えていたら戦えない。そういう戦争なんだ。最初は祖国のために人類のために恋人のために戦うというのもできるだろう。だがそのうち意味も分からなくなってくる。ジャムは叩いても叩いても出てくる。考えていたら殺られる。自分は何のために戦うのかなんて、考えられない」

「しかし」苦し紛れのようにシグナムは呻いた。「ここはミッドチルダだ。せめて、戦いに目的を持ったらどうだ」

「あるさ」無感情に零。「ジャムを殺す、というな」

 

 どうどうめぐりじゃないか。シグナムの表情はそう語っていた。ジャムを殺すためにジャムを殺す。傍から見ると論理破綻しているだろう。手段の目的化だ。

 

「戦いに理屈はいらない」それに答えるように零。「ジャムを殺す。それ以外になにも考えない。それがジャムと戦い、生き残るための思考だ」

 

 まるで機械だな、と零は自分自身を思った。ジャムを殺すためだけに存在している戦闘機械。それが自分だ。雪風を初めとするフェアリィの戦闘機械知性体のように、戦うこと以外考えない知性。

 かつて純粋な戦闘プログラムとして誕生し、人間とコミュニケーションを図るために付与されたシミュレート領域を用いて偶発的に感情を手に入れた目の前の彼女と対照的だ。彼女がこの自分に対し苛立ちを覚えるのは、それが原因かもしれない。昔の自分を思い出すか、同族嫌悪か、自分の中に潜む戦闘マシンとしての本能がざわつくのか。これではどちらが人間で、どちらが戦闘プログラム体なのかわからない。

 

 ジャムと戦っているフェアリィ空軍の人間は、少なからず思考が機械的になる。特殊戦ではそれが顕著で、むしろそれを良しとしていた。零が特殊戦のエースたりえたのは生まれついての機械的で、無機質な人格のせいだ。

 だというのに雪風がヒトの姿をとったというのは何という皮肉だろう。まるでこの自分が戦闘機械であることを阻害するかのような。零は自嘲気味に笑みを浮かべた。ほんの少しだが彼の口角が上がる。

 

──いや、まてよ──

 

 まさかと思うが、雪風をあの姿にしたのはジャムではないだろうか、と零は唐突に思い至った。雪風があの姿をとったことに関して、そのメカニズムに関しては六課の解析能力ではわからなかった。未知のロストロギアが関わったのではないかという説も出たが、結局仮説の域を出なかった。ならばジャムによる工作で、あの雪風は偽物なのではないかとも考えた。

 

 しかし自分はあれが雪風であるということは絶対の自信を持って、肯定できる。もしそれが分からなくなっているとすれば、この自分はもはや雪風の相棒たりえない。いかなる姿形をとっていたとしてもそれが雪風であれば、自分はそれを雪風であると認識できるはずだ。

 

 そもそもジャムが雪風を人の姿にして、人間である自分とコミュニケーションをとりやすくしてやるなど敵に塩を送るどころか、味噌と醤油とついでに味醂を合わせて送りつけてやるようなものだ。余計にこの自分と雪風のつながりを強くしてどうする。だから、雪風の姿はジャムの工作によるものではない、と判断するに至った。

 

 しかしこう考えるのはどうだろう。深井零という人間の姿をした戦闘機械を、ただの人間にしてしまうためにジャムが雪風を作り変えた、というのは。

 雪風が戦闘機ではなく人間の姿をとったことで、この自分は対人コミュニケーション能力の向上に迫られた。それはすなわち戦闘に費やすためのメモリ領域をコミュニケーションのために使用するのと同義であり、また雪風を通じて深井零を変質させることによって戦闘機械としての能力を削ぎ、無力化するためではないだろうか。

 

 そこまで考えた零は、自身と融合している雪風に意識を向けようとするが、それよりも沈黙していたシグナムが口を開く方が早かった。

 

「つらくはないのか?」

「……つらい、だって?」考えたことも無い、と言わんばかりの口調で零。

「何も目的が無いのに、戦い続けることに、不安は無かったのか?」

「……一度ジャムの脅威を目の当りにした後、戦いを放棄するなんておれにはできない」

「それは、正義感ってわけではないだろう」

 ああ、と零は頷いた。「人間相手なら相手側に寝返るなり、降伏するなり、講和するなりできるだろう。だが、ジャムにはそんなもの通用しない。問答無用で襲ってくる。FAFが負ければ全人類皆殺しだ。その中に自分もいる。逃げも隠れもできない。だから、戦う。自分が生き残るために」

「……生存競争だな」

「生存、競争だ?」

「うむ」シグナムが言う。「二つの異なる種がいて、それが互いに生存のため争う時、相手を皆殺しにするまで終わらないだろう? 淘汰だ。それと似ているなって、な」

「フムン」

「考えたこともなかったか?」

「そうだな」

 

 零は静かに立ち上がった。生存競争に、淘汰か。なるほどそれはジャム戦争の本質を言い当てているのかもしれない。ジャムが新兵器を持ち出してくれば、FAFも新兵器を開発して立ち向かう。FAFが新しい戦術を考え出せば、ジャムはそれを無効化する手段を使ってくる。終わりのない、いたちごっこ。まさしく生存競争だ。裏切りも降伏もできない。敗者には死だけが待っている。

 

「生存競争。ジャムとの、か」

「そう考えると」零に続くようにシグナムも立ち上がる。「お前の思考も、納得がいくように思える。それもまた戦士のあり方だ」

「おれが、戦士だって?」

「生存競争に勝ち残るため、人類が生み出した戦士」何かを悟ったように、すっきりとした顔でシグナムが言う。「それがお前だ。深井零。例えお前が人類をどうでもいいと思っていたとしても、だ。ジャムと人類の両方が全滅しても、お前が生き残りさえすれば人類の勝利だし、お前がジャムに勝てば人類は助かる」

「おれの存在そのものが、人類の総意だとでも?」

「違う。自然淘汰と同じように自然発生したんだ。首の長いキリンや鼻の長いゾウが他の奴を差し置いて生き残ったように、人類が生き残るためにもともと備わっていた突然変異のタネさ。多様性の一つだ」

「それが、おれ?」

「そうだ。そう考えたらしっくりきた。お前個人にだけ目を向けていたから私は腹が立った」左手で乱れた髪を整えるシグナム。「だが、そっちの世界の人類のことを考えたら、それもまたありなんだと思った」

「どうしてだ」

「個人の人生には干渉して影響を残せるかもしれないが、種全体に干渉しても意味がないか、ろくなことにならない。お前という存在は人類が生き残るためのタネだ。それを下手に弄って潰すわけにもいかない。そのタネ自身が自分を変えていかなければ意味がない。その変わっていく果てに、人類の未来があるかもしれないからな」

「おれが、タネか……」

 

 シグナムの言葉は論理的で、なによりも強い説得力があった。おれが、人類の希望だというのか。

 

 ならば、雪風は何だ。

 

 機械達の、タネ。おれが人類のタネだというのなら自然にそうなるだろう。機械知性達が自らの生き残りのために放った、タネ。地球上の全コンピュータが破壊されたとしても、雪風が生き残ればそれで機械達の勝ちであり、絶滅を免れることができる。シグナムの考えに沿えばそうなるだろう。

 

 ではその雪風とおれが融合した『コレ』は何なのだ。

 

 異なる二つの知性体から生み出されたタネ同士が惹かれあい、信頼し合い、ぶつかり合い、殺し合い、愛し合い、一つの生命体のように活動し、共に戦う。いったい、なんのタネなんだろう。おれ達は。何のために深井零と雪風は一緒にいるのだろう。

 

 

「さて、そろそろテスタロッサが待ちくたびれている頃だろう」

 

 シグナムはCDCの出口に向かって歩き出した。その後ろ姿はケガを負ってもなお凛としていて、まさしく騎士としての強さを感じさせた。

 

 

 

 

 

「誰?」

「わわ、すみません」

 

 フェイトが顔を向けた先には、浅黒い肌をした男性が立っていた。フェイトの反応に少し驚いたようで扉の所でたたらを踏んでいた。無人だと思っていた艦橋に人がいたことに対し、まさしく慌てふためくようなそぶりを見せていたため、フェイトはなんだか申し訳ない気持ちになり、たまらず艦長席から降りて彼に向き直った。

 

「えっと、この艦の乗員の方ですか?」英語で問いかけるフェイト。

「ええ、そうです。あなたは?」

 

 浅黒い肌に彫りの深い顔立ちの男性はピシリと姿勢を正して答えた。流暢な英語だった。なさけないように見えて、きちんとした海軍の軍人らしかった。空母のものだろうか緑色のジャケットを着ている。男性はフェイトを見た後、ぶち破られた窓を見てギョッとした表情を浮かべた。しまった、とフェイトは思った。緊急時とはいえ器物損壊だ。

 

「すみません。私の仲間が、その……思い切り割ってしまいまして。後で弁償します」

「は、はあ」

 

 フェイトは敬礼しながら言った。「私は時空管理局、古代遺失物管理部機動六課所属のフェイト・テスタロッサ・ハラオウン執務官です。この海域における調査のため来ました。あなたの所属と姓名をお聞かせ願えますか?」

 

「は、はい」聞き慣れない語群に圧倒されながらも男性。「自分は日本海軍アドミラル56、整備課のカツラギ・アキラ少尉です。艦橋の様子を見に、来ました」

 

 カツラギ、と男性は名乗った。国連艦隊所属だからどんな国籍を持つ人が乗っていてもおかしくないと思っていたが、どうやら日本人らしい。顔の彫りは深いが、よく見ればアジア系に見える。

 

「カツラギ少尉、ですね? あなた以外の乗員はどちらに?」

「はい。下の格納庫です」首を傾げる男性。「それよりも時空、管理局?」

「詳しいお話はここの司令官に話します。よろしければ艦長か、艦隊指揮官の方と面会する機会を頂けますか? 私はあなたがたに対して危害を加える意図はありません。──ガラスは、その、見逃してください」

「ええ。わかりました」最後の言葉に和んだようで、男性は一転してニコリと微笑んだ。こちらが悪い人間でないことを理解してくれたようだった。「ではご案内しましょう」

 

「ああ、日本語で良いですよ」一転して日本語で話しかけるフェイト。「日常会話くらいならできますから」

「ええ!? ああ、ええと。日本語上手ですね」いきなり聞こえてきた日本語に驚きながらカツラギ少尉。

「数年前まで日本にいたんです」はにかむような笑みでフェイトが言う。「すみませんね。驚かせてしまったようで」

「ハハハ」

 

 そりゃあ、わけのわからない海域で漂流していて、どう見てもアングロサクソン系の金髪女性がどこからともなく現れて、時空管理局だのなんだの聞いたこともない言葉を羅列したあげく、流暢な日本語を話し始めたら驚くだろう。フェイトはそう考えて小さく笑った。

 とりあえず敵としては見られていないようだ。

 

 しかし、こんな巨大な原子力空母が漂流した原因についてどう話したものか、とフェイトは頭を抱えそうなくらい悩んでいた。たいていの組織の長は頭が固いことがテンプレートだ。次元震などという事象をどうすれば信じてもらえるだろう。

 

 まあいい。とりあえず乗員は無事なのだ。と数秒の後にフェイトは開き直った。今は、とりあえず艦長とやらに会ってみてから考えることにしよう。フェイトは前向きだった。

 

「ところで、その斧みたいなやつはなんですか?」歩きながらカツラギ少尉がバルディッシュを見て訊ねた。

「ああ。これはバルディッシュ。私の相棒です」

「へえ。いい得物ですね。機械に見えるけど、そんなので打ち合ったら故障したりしませんか?」

「機械ですよ。このバルディッシュは──」

 

 カツラギ少尉とフェイトがそろって扉をくぐろうとしたところで、けたたましい警告音が鳴った。

 

<その男から離れて!>

 

「わ!? 誰ですか!」

「バ、バルディッシュ?」いきなり騒ぎ始めた手元の相棒を見つめるフェイト。

<その男は危険です。早く、戦闘態勢を>先端部の球体ディスプレイを激しく点滅させながらバルディッシュが叫んだ。

「それ、電子秘書だったんですか」物珍しげにカツラギ少尉。

<人間を騙せても、私はごまかせませんよ>

「何を……」

<あなたは、人間ではない>バルディッシュが明言した。<私の本能(プログラム)がそう言っている。でも、視覚情報においてあなたは人間だ。しかし私はあなたを機械でも生物でもプログラムでもないと判断する。あなたは、何者だ>

 

 フェイトは扉とカツラギ少尉から後ずさるようにして離れた。目の前の彼が、人間ではない? 人間でなければロボットでも、ヴォルケンリッターのような魔導プログラム体でもない? ではいったいなんなのだ。幽霊だとでもいうのだろうか。

 

 そのままゆっくりと後ずさって、艦橋の中ほどで足を止める。彼と自分との距離は10mほどになっていた。

 

「へえ……驚いたな」彼は離れたフェイトの顔を見つめ、先と同じようにニッコリと笑顔を浮かべた。「インテリジェントデバイスも、僕達のことを認識できるんですね」

「あなたは──」先と変わらぬ笑顔のはずなのに、身の毛がよだつ感覚。得体の知れない恐怖が身体の奥から這い上がってくる。「誰ですか」

「嘘ついてスミマセンね。これも仕事の内なんです」ちょっと申し訳ない顔をしてカツラギ少尉。先の日本語ではなく英語で話し始めていた。「僕の任務は、ある人物を確保すること。それと邪魔者を殺傷することなんで。あなたには嘘をつくのが手っ取り早かった。髪も切って日本語も覚えて日本人になりすましたつもりだったのですが、無駄でしたね」

 

 殺傷する。その言葉を聞いてフェイトは驚き、それから一拍置いて覚悟を決めた。この人は、自らを敵だと断言したのだ。脳の全思考を戦闘に向ける。気迫で負けてなるものかと彼の目を睨み付ける。

 

 彼の瞳は血のように赤かった。先ほどまでは確かにアジア系の褐色の瞳だったはずなのに。フェイトの瞳と同じ赤。しかしそこから発せられるオーラは、まるで地獄の窯を覗き込んでいるかのごとく彼女の心を粟立たせた。無垢なる悪という言葉が脳裏に浮かぶ。

 

「私に、時空管理局に敵対するつもりですか」

「ええ。僕の上司もあなたに敵対しているので、いまさらです。──ディネ、Open Sesame 」

 

 開けゴマ、という気の抜けた言葉と共に展開される光。デバイスだとフェイトはすぐに分かった。

 展開された光は巨大な戦闘斧(バトルアクス)だった。片刃だ。長さはざっと170センチ。刃渡りは50センチあるだろうか。機械的だが柄の部分に木目のような模様があしらわれ、どこか前時代的な古めかしさが残るデザインだ。ディネ、といったか。それがこのデバイスの名前か。

 

 カツラギ少尉はその巨大な斧をバトントワリングか何かのように軽々と回した後、刃先をフェイトに向けた。

 

「得物を向けた以上、手加減なんてしませんよ、カツラギさん」

 

 フェイトはバルディッシュをアサルトフォームにして構えた。ここは自分の間合いだ。斧形態であるアサルトフォームは中距離から格闘戦までこなすことができる。しかし、お互いに斧が得物とは奇妙な巡り合わせだ。

 

 フェイトがいつでも迎撃できるよう構えていると、カツラギはちょっと困ったような顔になった。

 

「ええと。カツラギ・アキラというのは日本人らしい名前を適当に考えたものでしてね。本名は******* (Thetholich)っていうんですよ」

「……Thetho、lich……?」名前の部分がまるで聞き取れなかった。フェイトはとっさにその音をマネしてみた。

「いい線いってますよ、その発音。日本語でも英語でも僕の名前は発音できないし書き表すこともできないんです」

 

 発音できない? じゃあ何と呼ばれているのだろうとフェイトが考えたところで、彼もそれを感じ取ったようだった。笑顔のまま口が開かれる。

 

「だから皆にはこう呼ばれていますよ」

 

 人懐っこそうな笑顔で彼は言った。

 

「トマホーク・ジョン、ってね」

 

 

 




<あとがき>

 投稿が遅れてしまい申し訳ありませんでした。

 現在私は就職活動中であり大変苦戦しております。そのストレスで何もしたくなくなるくらいに落ち込んでしまい、同時に執筆に対するモチベーションが大きく低下してしまいました。

 現在も内定がもらえず四苦八苦しておりますが、研究室の教授に「〇〇くんを落とすなんてろくな会社じゃない。そのうち潰れるよ」と励ましの言葉をいただき、お祈りメールをもらうことにもいくぶん慣れたので執筆することにしました。

 とりあえず就活頑張ります。


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